山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

絶望のなかで自分がやれること

2024-12-07 17:10:12 | 読書

 前々から読みたいと思っていた武道家で思想家の内田樹の「街場…」シリーズ。『街場の共同体論』(潮出版社、2017.1)をやっと読み終える。創価学会系の雑誌『潮』に連載してきたものを単行本にまとめたものが本書である。目次を見ると、家族論、格差社会、学校教育、コミニケーション能力、師弟論などで、共同体という言葉が見当たらない。ムラ社会に生きていると共同体とのかかわりは無視できない。内田氏の生きている世界は都会中心であるのがやや気になる。

  

 ムラで生活していると、水源地・生活道路・草刈りなどの整備や神社・祭り・防災訓練の行事がらみの共同作業が少なくない。水源地の泥の除去や林道の枯れ枝・土砂の撤去や水道のメーター点検などは、グループの当番制で三カ月に一回廻って来る。その意味では、群馬県上野村にも居住している哲学者・内山節氏の本のほうがムラの様子がリアルに出てきて身近な感じがする。とはいえ、二人とも易しい言葉で活字化しているので哲学に縁遠いオラたちにとって入り口は入りやすい。

  

 さて、本書では内山氏が自分の意見を断言する過激な物言いに引っかかる人もいるかとも思えたが、「まえがき」に「当たり前のこと」を言っているだけだと強調する。続けて著者は、政治家・エコノミスト・メディアらの指導者や大衆の幼児化が甚だしく、経済成長がすべてという呪縛から解放されないまま、国土や国民の荒廃が進行してしまったと指摘する。「そのような集団的な思考停止状態に現代日本人は置かれ」、「この深い絶望感が本書の基調低音をかたちづくって」いるとしている。

  

 オラも、専門家にとっては厳密な表現はあるだろうが内山氏のそのくらいの断言は容認できると思えた。そして、阪神大震災を体験した著者は、「絶望的な状態に置かれたときには、まず足元の瓦礫を拾い上げることから始める」、そうした当たり前の行為が「自分にできること」だったという。そこに、絶望状態から自分を救う第一歩があるというところに著者の真骨頂がある気がする。

  

 共同体論については、「現代日本における共同体の危機は、いきなり天から襲来した災厄ではなく、何十年もかけて、僕たち日本人が自らの手で仕込んだ」「国民の営々たる努力の<成果>」であり、その「仕組みが破綻し始めた以上、それを補正するための努力にも同じくらいの時間がかかると覚悟したほうがいい」と結ぶ。

  

 この著者の終末観というか、絶望感はよくわかる気がする。オラもいろいろ地域づくりなどの活動もしてきたが、その壁の厚さに絶望的にもなったが、最近は自分が終末高齢者になって体や大脳のあちこちが齟齬することが増えたこともあり、「今自分ができることをする」ことをベースに日々を迎えてきた。姜尚中の言う、自分の中の「根拠地」を構築していく大切さを実感している。その意味で、著者の「初めの一歩」に大いに共感してやまないことしきりだ。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハチのようなハエと侵入者の足跡

2024-12-04 22:46:26 | 生き物

 外に出ようと玄関の引き戸を開けようとしたら、見慣れないハチのようなものが外に出たいようでもがいていた。引き戸を開けて迂回路にしたが逃げようともしない。一途な性格だ。ハチの多くはよくあるタイプだ。2cmくらいのベッコウ色の翅がきれいだったので、とりあえず捕獲してみる。調べてみたら、「ベッコウバエ」(ベッコウバエ科)だった。翅には5個の丸い紋があり、背中には3対の黒っぽい縦条線があった。

  

 すでに弱っていたようだが、容器の中では仰向けになって暴れていたが元に戻れなくなっていた。腹部が黒いのはメスのようだ。ベッコウバエの餌は、樹液・糞・キノコだという。そう言えば、昨日わが家のバイオトイレの糞尿を取り出し畑の隅に埋めたばかりだ。春や夏にこれをやると、作業して数分でハエが大挙してやってくる。ハエの嗅覚の速さにいつも感心する。昨日はさすがに1匹も来なかった。ひょっとすると、その近くにいたのかもと類推する。

  

 その足で、畑に向かうとその近くに怪しい足跡があった。間違いなく、動物のものだ。これはどうも蹄のかたちなので、シカかイノシシに違いないと当局に報告する。すると、どうやらシカのようだという鑑識の頼りない回答があった。いつもだとシカの食害にやられてしまうが、もう畑にはシカが食べられる野菜や樹の葉はない。足跡から右往左往するシカの動きが見て取れる。最近、イノシシがおとなしくなったものの、今度はシカの出番かとため息をつく。

 それ以上に、人間界の罪はエンドレスだ。闇バイトにしても詐欺にしてもつまらん行為にうんざりだ。武道家で思想家の内田樹は、そうした現象群は日本人が「幼児化」している「結果だ」と明快な評決を下す。そうした結果を産み出してきた「集団的な思考停止状態」に絶望的だが、それに対して自分は何ができるかを卑近な例で提起している。それらを考えると、害獣諸君の狼藉はかわいいもんだ。それも人間が生みだした結果だもんな。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

紫式部じゃないよ白式部かな !?

2024-12-02 22:25:27 | 植物

   林縁を歩いていると紫の実に出会うことがある。紫色は古代から上品な色であり貴族の上位の色でもある。自然が生み出した紫色はとても少ない。だから、派手ではない「ムラサキシキブ」の実に出会うとうれしくなる。しかも、葉がビロード状の「ヤブムラサキ」の葉を確認すると声をあげてしまう。どちらも実はさほど多くない。そんなとき、わがバタフライガーデンで白い実の「式部」を発見する。

  

 市販でよく見る園芸種の「コムラサキ」の実の多さは圧巻である。茶畑の茶木を伐根した跡には40本ほどのコムラサキがニョキニョキ出てきたのでずいぶん慌てたものだ。今でもわがガーデンの帝王として君臨しているので、他の場所へ徐々に移植したり、寄贈したりしている。そこに、白実が加わるとは心強いバリエーションになる。

 

 しかし、いつ植えたのか、自然にそうなったのか、残念ながら覚えていない。感覚としては突然発見したという驚異だった。でも、環境的には実生から芽が出てきたとは考えにくい。だもんで、後期高齢者の記憶力減退のなせる症状だと推測するのが妥当だと観念した。「シロシキブ」という品種はあるらしいが、ムラサキシキブ系だそうだ。したがってこれは、コムラサキ系の「シロミノコムラサキ」という園芸種のようだ。来年になったら、挿し木して増やすことでコムラサキと共演していくようにしたい。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする