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田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

お盆に映画「フィールド・オブ・ドリームス」を見る(2021/8/16)

2021-08-16 11:09:15 | 田舎で読んだ本
雨で行くところもなく、暇つぶしに新聞を読んでいると、スポーツ欄によく判らぬ写真と記事。
写真は、トウモロコシの畑の間から野球選手が次々出てくる写真、記事は、映画「フィールド・オブ・ドリームス」のロケ地、トウモロコシ畑を野球場にした男の物語らしいが、ここで大リーグの後半のスタートの試合があったというもの。

 ふと、記憶がよみがえった。
 同居の次男が雨の日は家でゴロゴロしている暇なトーちゃんのために、使わなくなった古いプレーステーションと今のテレビをつなぎ、アマゾンの「プライムビデオ」で映画見たい放題にしてくれていて、愛用しいるが、どれを見ようかと、映画紹介の短文を見ていた時、トウモロコシ畑・声が聞こえたという一文があり、アクション映画がいいと、スルーしたことがある。

 1989年封切りで評判になった映画らしい。
これは面白そうと、プライムビデオで探し出して、見てみる。
 面白かった。
 1919年のワールドシリーズで八百長の試合をしたというので、ホワイトソックスの選手が球界追放になり、その中の、スター選手、ジョー・ジャクソンが野球ファンの子供たちにはショックで嘘でしょうと、声が上がったという話は、小学生の頃読んだベーブルースの伝記で読んだことがある。
 映画は主人公の中年の農夫が、トウモロコシ畑の中で、声を聞き、これをきっかけに、なけなしの貯金をはたいて、トウモロコシ畑を潰して、ナイター照明付きの野球場を作ってしまうと言うのが話の始まり。
 もうなくなったはずの、ジョー・ジャクソンがまずこの野球場に現れ、球界追放になった8人の野球選手がこの球場で野球させてくれと、練習。
 選手たちはトウモロコシの間から現れ消えていく、幽霊ではなく、球場内の区域で生身の人間のようにプレー。
 見える人と見えない人があり、主人公とその奥さんと幼い娘には普通に見え、野球の練習を面白がって見ているという続き。
 よく判らなかったが、打算で世渡りしている人には、野球選手が見えない感じ。
 奥さんが良くできた人で、変わり者の旦那にgoサインを出すし、面白かったのは、娘の通う学校の父兄が、不道徳な本を図書館から排除しよう、その中にはアンネの日記もあったが、表現の自由、人権、アメリカの建国の精神等、機関銃のような啖呵を飛ばして、父兄会の空気を一変させる下りは拍手。
 アメリカの国民スポーツの野球の変わらぬ価値を再認識させる下りもあり、新聞記事で紹介されたように大リーグの後半戦の開始試合にこの映画のロケ地の球場が選ばれたらしい。
 映画の最後は、けんか別れして死別した父親が野球着姿で球場に現れて、主人公とキャッチボールをして、家族を紹介できたり、破産していた農場も野球好きの純真なアメリカ人が大挙押し寄せ、観覧料20ドルを払って、経済問題も解決したらしいという場面でお終い。

 コロナ下の東京オリンピックに聖火リレーに王・長嶋の私ら団塊の世代のヒーローか現れたり、野球でも、JAPANがガチンコ勝負で優勝してと、気持ちが野球モードだったので、この映画はひきつけられた。
 時期もお盆の時期で、ご先祖がこの世に戻ってくるといわれているタイミングと、この映画で亡くなったジョー・ジャクソン等往年の野球の名選手らが、よみがえるという筋書きが、共振するものがある。

 毎年、お盆の暇なとき、見ると為になる映画と思ったことでした。

 このタイミングで、この記事を書いた日経新聞のスポーツ記者、えらい。
記事は、冒頭、新聞記事をそのまま載せるのは問題だか、このブログを読んでくれるのは、北九州の少数の釣りバカオヤジなので、ご勘弁。
 
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ヘロドトスの歴史 アテネの賢者ソロンの一言(2021/8/1)

2021-08-01 16:56:23 | 田舎で読んだ本
オリンピックが近づき、古代ギリシャオリンピックの逸話を確認したくて、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスの「歴史」を岩波文庫で購入。
 50年近く前、一度読んだことのある本で、これを機会にもう一度と、少しずつ読んでいる。
 飲み仲間の一人、世話好きのS女史が先日、面白かった本だと、「幸福に生きるためのカウセセリングの知恵」と言う単行本を見せてくれて、パラパラと見てみると、ちょうど読んでいるヘロドトスの歴史の一節に同じ話が出ていると思い出した。
 S女史がどんな話かというので、確か、人間成功したとか金があると言っていても、幸福かどうかは死ぬ間際にしか分からないという話だったと。
 我が家に帰ってから確かめると、下のような一節。

 今のトルコのある小アジアで栄えたサルディスの王のクロイソスが自分が世界一の幸福な人間だと考えて、アテネの賢者と言われるソロンに訊ねた時の問答。

 なお、ソロンは紀元前639~559年の人で、アテネの政治に中小の農民も参画させる改革を行い、アテネの民主主義の第一歩を切り開いたことで名高い。(冒頭 玉川児童百科大辞典 昭和27年発行より)
 日頃の小さい心がけで、金にも権力にも恵まれた成功者よりも幸福な人生を送れることがある、との指摘で、そのとおりと腑に落ちる話。

クロイソスは自分が世界で最も仕合せな人間であるつもりでそう訊ねたのであったが、ソロンは王に露諛う(へつらう)ようなことはなく、自分の真実と信ずるがままに答えていった。
「王よ、アテナイのテロスがさような人物であろうと存じます。」
意外な答えに驚いたクロイソスはむ、意気込んだ口調で訊ねていうに、
「そなたは一体どういう点で、そのテロスなる者が最も仕合せな人間だと考えられるか。」
ソロンがいうに「テロスはまず第一に、繫栄した国に生まれてすぐれた良い子供に恵まれ、その子らにまた皆子供が生まれ、それが一人も欠けずにおりました。さらに我が国の標準からすれば生活も裕福でございましたが、その死際がまた実に見事なものでございました。すなわちアテナイが隣国のエレウシスで戦いました折、テロスは味方の救援に赴き、敵を敗走せしめた後、見事な戦死を遂げたのでございます。アテナイは国費をもって彼をその戦没の地に埋葬し、大いにその名誉を顕彰したのでございます。」・・・・・
 ソロンはこのように幸福の第二位を右の兄弟に与えたのであるが、クロイソスは苛立っていった。
「アテナイの客人よ、そなたが私をそのような庶民の者どもにも及ばぬとしたところを見ると、そなたは私のこの幸福は何の価値もないと、思われるのか。」
 ソロンが答えていうに、
「クロイソス王よ、あなたは私に人間の運命ということについてお訊ねでございますが、私は神と申すものが嫉み深く、人間を困らすことのお好きなのをよく承知いたしております。人間は長い期間の間には、いろいろと見たくないものでも見ねばならず、遭いたくないことにも遭わねばなりません。人間の一生をかりに70年といたしましょう。・・さてこの70年間の合計26,250日の内、一日として同じことが起こるということはございません。さればクロイソス王よ、人間の生涯はすべてこれ偶然なのでございます。
 あなたが莫大な富をお持ちになり、多数の民を統べる王であられることは、私にもよく判っております。しかしながら今お訊ねのことについては、あなたが結構なご生涯を終えられたことを承知いたすまでは、私としましてはまだ何も申し上げられません。どれほど富裕な者であろうとも、万事結構ずくめで一生を終える運に恵まれませぬ限り、その日暮らしの者より幸福であるとは決して申せません。腐る程金があっても不幸なものも沢山おれば、富はなくとも良き運に恵まれる者もまた沢山おります。きわめて富裕ではあるが不幸である人間は、幸運な者に比べてただ二つの利点をもつに過ぎませんが、幸運な者は不幸な金持ちよりも多くの点で恵まれています。なるほど一方は欲望を充足したり、ふりかかった大きな災厄に耐える点では、他方より有力ではございましょう。しかし幸運なものには他方にない次のような利点がございます。なるほど欲望を満足させたり、災厄に耐える点では金持ちと同じ力はございますまい。しかし運が良ければ、そういうことは防げるわけでございます。体に欠陥もなく、病を知らず、不幸な目にもあわず、良い子に恵まれ、容姿も美しい、というわけでございますからね。その上更に良い往生が遂げられたならば、その者こそあなたの求めておいでになる人物、幸福な人間と呼ぶに値する人物でございます。人間死ぬまでは、幸運な人とは呼んでも幸福な人と申すのは差し控えねばなりません。
 人間の身としてすべてを具足することはできぬことでございます。国に致しましても、必要とするすべてが足りているようなところは一国たりともございませぬ。あれはあるがこれはない、というのが実情で、一番沢山ある国が、最も良い国ということなのでございます。人間にいたしましても同じことで、一人一人の人間で完全に自足しているようなものはおりません。あれがあればこれがないと申すわけで、できるだけ事欠くものが少なくて過ごすことができ、その上結構な死に方のできた人、王よ、さような人こそ幸福の名をもって呼ばれて然るべき人間と私は考えるのでございます。いかなる事柄についても、それがどのようになってゆくのか、その結末を見極めるのが肝心でございます。神様に幸福を垣間見させてもらって末、一転して奈落に突き落とされた人間はいくらでもいるのでございます。
 ソロンのこの話がクロイソスの気に添うはずもなく、現在ある福を捨て置いて、よろずのことの結末を見よ、などという男は馬鹿者に違いないと思い込んだクロイソスは、一顧も与えずにソロンを立ち去らせたのであった。(ヘロドトス 歴史 岩波文庫上 p35)


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チャーチルの第二次世界大戦を読んだ 小使の一言(2021/7/17)

2021-07-17 11:51:50 | 田舎で読んだ本
朝から雨が降ったり止んだり。
時々読み返している、チャーチルの「第二次世界大戦」(河出文庫)をパラパラとめくってみました。
 ナチスドイツが、フランスに攻め込み、同盟国のイギリスも追い立てられて、とうとうダンケルクから装備を捨てて、34万人の兵士がイギリスに逃げ帰ったころ。
 フランスは、ドイツに降伏、イギリスも3週間で、鶏が首を捻られるようにドイツに負けると言われていたころの描写。

「私が表現する光栄を持った明朗沈着なイギリス気質が、事態を一変させたといってよかろう。戦前の数年間は極端な平和主義に走り、思慮を欠き、いたずらに党争にふけって、軍備がきわめて弱体であったにもかかわらず、軽率にもヨーロッパ問題の核心に手を出したすえ、いまや道義的衝動と準備の不備とを同時に解決せざるを得なくなった。これが当時のイギリスであった。しかし、国民には困惑の色は無かった。彼らはヨーロッパの征服者に挑戦した。かれらは降伏するくらいなら、イギリス本土を修羅の巷と化すこともいとわないと思っているようであった。これは立派に歴史の一ページを飾るものであった。しかし、これに似たもので、別の結果になった例もある。アテネはスパルタに征服された。カルタゴはローマに抗して滅びた。勇敢で誇り高く、気楽に構えていた国家やその民族が、完全に抹消されてしまい、わずかにその名をとどめるもの、あるいはそれすら止めないものなど、過去の記録にも珍しくない。 記録さえ残らず、また忘れられてしまった悲劇は、どれほどあるか分からない。
 島国というイギリス特有の技術的利点を理解するイギリス人は少なく、外国人はさらに少なかった。戦前の優柔不断の時代においてさえ、海上防衛をはじめ防空の基本がどのように維持されてきたかが、一般に知られていなかった。イギリス国内に外国軍隊の砲火がみられてから、およそ一千年を経ていた。イギリスの抵抗を指揮するものはすべて冷静で、生命を託すかまえであった。このようなわれわれの気持ちは、しだいに全世界にわたって、敵にも味方にも認識されるようになった。この気持ちを支えたものは何だったか。それは暴力だけでしか解決されないものだった。
 これには別の局面もあった。六月の段階でわれわれの最大の危険の一つは、われわれの最後の予備軍を空費的な、無益なフランスの抗戦に注ぎこんだり、わが空軍が大陸への飛行や移動によって漸次弱体化していくことであった。・・・・・・・イギリスは、フランスに戦争継続を要求すればするほど、それに対する援助の義務が大きくなり、本土防衛を準備すること、とりわけ、そのカギを握る戦闘機25個中隊を本国に残しておくことが、ますます困難になったであろう。この点では絶対に譲歩するべきではなかったが、それを拒否すれば、苦悶するわが同盟国のフランスはひどく憤慨したことであろうし、またわれわれの関係もすべて悪くなったであろう。イギリスの最高指揮官も何人かは、実際にほっとした気持ちになって、冷や汗をかきながら新たな、単純になった問題にとりかかった。ロンドンのある軍のクラブで、ある会員がしょげていると、そこの小使が「旦那、いよいよ試合は決勝戦ですね。しかもホームグランドでやるんですよ」といったという。」(第二巻 p164)

チャーチルはこの第二次世界大戦でノーベル文学賞を受賞している。
コロナの時期、この個所を読むと、オリンピックの開催可否について、政治の要職にあるものはオリンピック開催の意義について、国民に強く分かりやすいメッセージを出さねばならないと、開催に批判的な著名人やら専門家からの発言と重なってくる。
 オリンピック参加の選手が、各地で事前合宿のニュースが毎日のように流れるようになり、受け入れている自治体や地元の方の奮闘ぶりを見てるいると、別に政治家に教えてもらわなくても、選手やその周りの人の言動をみていれば、感心もするし、よくやったと言いたくなる。1964年の東京オリンピックは、盛り上がりが素晴らしく、国民の一体感があったと振り返ると思い出される。朝ドラのエールで、この時の入場行進曲が小関裕而の作曲と最近になって知ったりで、この時のインパクトは今も蘇ることがしばしば。今回の東京オリンピックはまさか、コロナ騒ぎで世界が動転していて、日本はババ札を引いてしまい、いやいややることになるとは予想しなかった。今の若者が数十年たって私のような爺さん婆さんになった時、日本はオリンピック開催の約束を自分の損になっても果たした、これは自慢できると、孫や子供に話すのだろうと思う。
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人と自然にやさしい米づくり を読んだ (2021/7/15)

2021-07-15 18:06:04 | 田舎で読んだ本
農園で畑仕事をしていると、隣の集落に住む、EI氏がやってきて、ティータイム。
EI氏の高校時代の同級生に佐野正幸氏という方がいて、本を自費出版で出して、自分も刺激されて、古代城をテーマに自費出版の準備をしているとか。
 佐野氏の本は「人と自然にやさしい米づくり」というタイトルで、佐野氏の幼馴染がやっている有機栽培のコメ作りを本にして、最近勉強した絵で絵本にしていると。
 本屋でも買えると。
 
 面白そうだと、私も楽天で発注、先日届きました。
妻も私も感心。
 化学肥料、除草剤、農薬は使わず、草をトラクターで押し付けて、それを水張りして腐らして肥料にする等、どのページも感心・共感するばかり。
 竹田農園の野菜作りにも参考になる。
絵も味わいがあるが、佐野氏の文章もしっかりして、考えも深いと感服。


 何冊か追加発注、畑友達に差し上げることにした。
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古代ギリシャのオリンピック(2021/6/22)

2021-06-22 14:52:08 | 田舎で読んだ本
東京オリンピックまであと一月、コロナの変異ウィルスにも効果のあるワクチンのお蔭で、なんとか開催できそう。
 
 テレビや新聞で、オリンピックの意義、開催の是非その他報道されることが多く、40年以上前、まだ30歳前後の頃読んだ、ギリシャの歴史家、ヘロドトスの「歴史」の一節を思い出した。
 紀元前480年ころ、100万ともいわれるペルシャの軍勢が、都市国家の全盛時代のギリシャに攻め込んだ頃の出来事が主な記述。
 印象に残っているのは、ペルシャ軍の本部に、ギリシャからの投降者が引き出され、今、ギリシャ人は何をしているのかと聞かれ、返事が、今、オリンピックで競技の見物をギリシャ人はしていると。
 勝者への賞品は何かと、重ねて聞かれると、オリーブの冠との返事。
 それを聞いていた参謀の一人が、「ああ何という国に我々は攻め込んだのか。金品でなく名誉を重んじる国ではないか。我々は大敗する。」といった内容。
 金品でなく、名誉を重んじる国は負けない、40年たった今も、鮮明。

 その後、ヘロドトスの歴史は、本箱に眠り、歴史が好きだという若い人に、もう読むことはなかろうと、謹呈。
 テレビで毎日オリンピックの準備のニュースが流れるので、もう一度、あの個所を読んでみたいと。
 楽天で検索すると、岩波書店から文庫本が出ている、私が読んだ単行本(筑摩書房? 中央公論?)は見当たらない、それで、岩波の文庫本を注文、昨日届きました。(冒頭)
上中下3巻で、活字も割と大きく、老眼の私でも読めそう。
 詳細な索引が巻末にあり、オリンピックで調べると、ありました。

「折から少数のアルカディア人が、食料に事欠き、何か職にありつこうとして、ペルシャ陣営に脱走してきた。ペルシャ人は彼らの王の前面に曳き出し、ギリシャ軍の行動について聞き訊そうとした。この質問は一人のペルシャ人が一同に代わって問うたものであったが、脱走者達は、ギリシャ人はいまオリュンピア祭を祝っているところで、体育や馬の競技を観覧している、と答えた。その競技の賞品は何かと質問者が訊ねると、彼らはオリーブの枝の冠が与えられると答えた。その時、アルタバノスの子トリタンタイクメスが実に見上げた言葉を吐いたが、それがクセルクセス(王)からは臆病者との謗りを蒙ることになった。すなわち彼は競技の褒賞が冠で金品でないと聞くと、黙っていることが出来ず、満座の中でこういったのである。「ああマルドニオスよ、そなたはわれらをよりにもよって、何たる人間と戦わせようとしてくれたことか。金品ならぬ栄誉を賭けて競技を行う人間と。」これが彼のいった言葉であった。(岩波文庫 ヘロドトス歴史 下巻p191 マルドニオスとは、クセルクセス王の側近で、王をギリシャ侵攻にたきつけた人物)

 40年ぶりにパラパラ読んでみると、面白そうな本。
近々もう一度読んでみることにした。

 今晩、二度目の新型コロナの予防接種。
 
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60年ぶりに読んだグリム童話集(2021/3/12)

2021-03-12 21:18:21 | 田舎で読んだ本
私が小学4年生、10歳の時から買ってもらった講談社の少年少女世界文学全集、結構おもしろく、当時の小学生は、買ってもらったり、図書館で借りたりして広く読んでいたもの。今から60年前、昭和34年からの話。我が家にあった全集は、父母がなくなったあと、私が引き取り、以来、暇にまかせては、手に取って読んできた。最近は、グリム童話集を読んだ。あかずきん、白雪姫、ヘンデルとグレーテル。これを手に取った私は10才、ひらがなが多く、話が比較的短く簡潔で、なんとか全頁読んだ記憶。そのなかで、下の「おじいさんと孫」の話は今も記憶に。可哀そうなおじいさんを、親がいじめるのを見て、小さい孫が、将来親が年取ったら使わせると、木の粗末な桶をつくったところ、親が目が覚めて、おじいさんを、大事にし出した話と記憶。自分を子供とその親に見立てて、10歳の私は読んだ記憶。今回71歳で読むと、手が震え、よだれが垂れるおじいさんに自分引き寄せて読んでいました。読む年齢により、話の力点が変わってくるのだと、知ったことでした。私もこのおじいさんと似た年齢で、明日は我が身。60年前と同様、しかし別の光景で、強く印象に残る短編。
↓・・グリム童話

おじいさんと孫(グリム童話集 講談社 少年少女世界文学全集 昭和34年4月発行)

むかし、ひどく年をとったおじいさんがありました。目はぼんやりし、耳はつんぼになりました。おまけにひざはがたがたふるえていました。
 いまでは、テーブルにすわっても、もうさじをちゃんともつことができませんでしたので、いつもスープをテーブルかけの上にこぼしました。また、くちからもいくらかスープがもどってながれるのでした。
 おじいさんのむすこと、そのおよめさんは、それがいやでたまりませんでした。ですから、年とったおじいさんは、とうとう、だんろのうしろのすみっこにすわらなければならなくなりました。
 そのうえ、むすこたちはおじいさんのたべものを土のさらにいれてやり、しかも、おなかいっぱいにはたべさせませんでした。
 するとおじいさんは悲しそうにテーブルのほうをみました。しかも、その目はぬれました。あるときいおじいさんのふるえる手は、その小ざらさえしっかりもっていられず、小ざらはゆかに落ちてわれてしまいました。
 わかいおよめさんは、ぶつぶついいました。でも、おじいさんは一こともいわないで、ただ、ためいきをついていました。およめさんは、おじいさんのために、ほんの少しのお金で木の小ざらを買いました。おじいさんは、いまではその小ざらでたべなければなりませんでした。
 みんながそうしてすわっているとき、四つになる小さい孫が、小さいいたぎれをはこび集めていました。
「おまえはそこで、なにをしているんだね。」
と、おとうさんはたずねました。
「ぼく、小さなおけをこしらえているんだよ。」
と、子どもは答えました。
「ぼくがおとなになったらね、おとうさんやおかあさんは、このおけでたべるんだよ。」
 これを聞くと、むすことおよめさんは、しばらく顔を見あわせていましたが、とうとうなきだしてしまいました。
 年とったおじいさんを、すぐテーブルのところへつれてきました。このときから、おじいさんには、いつもみんなといっしょにごはんをたべさせました。そして、すこしくらいこぼしても、なんともいいませんでした。
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小説「赤毛のアン」とパンデミック(2020/4/23)

2020-04-23 18:33:10 | 田舎で読んだ本
昭和35年発行とあるから、今から60年前に出た、「少年少女世界文学全集(講談社)」が今手元にある。私が小学4年生、10歳の時、四国今治で、ぼんやり暮らしていた時、父母が全巻50冊を買ってくれたもの。兄弟4人で、気に入ったのを読み、それから30年たち、私がこの全集を引き取り、今度は私の3人の子供達が、やはり気に入ったものを読み、今も我が家に。これを時々、暇爺さんの私が、取り出して、読み返しては、面白いと思ったものは、小学4年生になった孫達に、送るようにしている。3世代に渡って読んできたため、背表紙が剥がれて傷んだものも多数。

 最近は、アメリカ文学で、赤毛のアンを読んでいる。(冒頭)
カナダのモンゴメリー(1874~1942)作の有名な小説。訳者は、村岡花子とあり、朝ドラで取り上げられた翻訳家。話も面白いが、今世間を騒がせている、新型コロナウイルス、パンデミックが頭にあり、小説の中に、熱病の話が随所に出てきて、思わず傍線を引いた。抜き書きすると、次のとおり。

孤児のアンが、11歳の時手違いで、中年の兄妹の暮らす家に引き取られたとき、身の上を語る場面。
「おかあさんは、それからながくは生きなかったんです。あたしが生まれてから三か月たったきに、熱病にかかって、なくなってしまったの。・・・おとうさんも、四日あとにやっぱり熱病で死んでしまったの。・・」

 ひきとられた家で、やしない親の夫人から家事の注意。
「あんたは、私がいいつけたのに、ふきんをきれいな熱湯で消毒しなかったじゃないの。なにか聞きたがるより、まず第一にやるべきことをやりなさい」

登場人物の一人、近所の、リンド夫人がアンを見に来る場面。
「そのころ、やっとリンド夫人がアンを見にやってきました。ほんとうは、もっと早くやってきたかったのですが、思いがけない、ひどい悪性感冒にかかったために、ずっと家にひきこもっていなければならなかったのです。」

教会に独りで出かけ、帽子に花を飾っていたのを、やしない親の夫人に注意され、アンがしょげたときの言葉。
「おばさんに、ひどいやっかいをかけることになるんじゃないかしら。たぶん孤児院に送り返した方がいいかもしれないわ。それは恐ろしいことで、あたしにはたえられないと思うんですけどね。きっと肺炎になってしまうわ。こんなにやせているんですもの。・・・」

友達のダイアナの妹ミニーが、咽頭炎で両親は出かけて留守、医者もなかなか来れず、命が危なかった時、11歳のアンがてきぱきと処置して助けたはなし。
「まず、熱いお湯がほしいわ。あらまあ、ダイアナ、このやかんには、お茶碗いっぱいぐらいしかないじゃないの。そら、水をいっぱい入れたら、メアリー・ジョー、ストーブに薪をくべてちょうだい。さあ、ダイアナ、あたしがミニーのきものを脱がせてベットに入れるから、あんたは何か、やわらかいフランネルの布をさがしてくるのよ。それから、なにより先に、イビカック(薬草の一種)を一服のませなければ」
「あとでお医者は、バーリー夫妻(ミニーの両親)にむかっていいました。「クスパート家にいる、あのアンという女の子は、まったくすばしこく、、かしこいこどもですね。あかんぼうの命を助けたのは、あの子ですよ。・・・」


 アンが水遊びをして、ひどい風邪を引きこんだ時、お客に来た、学校の先生夫妻にアンが腕によりをかけて作ったケーキに、間違って、キズ薬を入れて失敗したとき、
「アンはしくしくなきだして、「においがわからなかったんですもの、ひどく風邪をひいていたんですもの。」」

 アンが高校を首席で卒業し、大学進学のための奨学生に選ばれ、久しぶりにやしない親のところに帰ったとき。
「マニラ、マシューおじさんどこかわるくないの」
「わるいんだよ、この春、ひどい心臓発作がおきてから、なおりきらないんだよ。・・」

  おじさんが心臓発作でなくなり、大学進学をやめ、地元で教師になることにしたアンの心境をつづったさいごの場面。
「アンの地平線は、クイーンから帰ったよるで閉ざされました。でも道が狭められたといっても、その道に、静かな幸福の花がさきみだれていることを、アンは知ったのでした。まじめなしごとと、大きなのぞみと、あつい友情は、アンのものでした。・・」

 最後の個所が、多分、小説「赤毛のアン」が今に至るまで、全世界でよみ継がれている理由だと思う。
 それにしても、どうしてこのように、熱病が小説の随所に出てくるのか、作者のモンゴメリーも1874年に生まれ、幼児の時、母親と死別したことが体験としてある。それと1889年~1891年から、全世界にインフルエンザが蔓延し、死者が多数出たことも背景にあるらしい。この肺炎の流行から25年たって、有名なスペイン風邪が第一次大戦の末期、1917年に大流行、世界で5000万人から一億人の死者。スペイン風邪の時は、1889年の世界流行のインフルエンザに罹って免疫のある人は症状が軽く、結果的に、免疫の無い25歳以下の若い人の死亡が多かったらしい。

 今は、新型コロナで世界が苦境にあるが、同じような、災難が数十年おきに発生し、手痛い目に人類は会い、精一杯しのいで、そこからまた立ち上がって、新しい道を切り開いてきたと、「赤毛のアン」を読んで、思ったことでした。近いうちに、この本も、孫の手元に送る予定。あまりに汚れて、傷んだ本なので、嫌がられるかも。
 
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旧石器時代の分業(2019/11/28)

2019-11-28 11:11:11 | 田舎で読んだ本
3日前の日経新聞の一面のコラム、春秋を読んでいて、なるほどと思いました。
冒頭の記事で、下の内容(新聞記事をそのまま使うのは問題だが、このブログを読んでくれるのは、北九州の釣りバカの皆さんが大半でご勘弁を)

日本経済新聞朝刊 2019/11/25 春秋

「日本にも旧石器時代があったことを証明した群馬県・岩宿遺跡の発掘から今年は70年の節目だ。地元の公民館などでは狩猟採集で生活していたこの時代に関する講演会が相次いで開かれ、今月そのひとつに参加した。そのなかで興味深い海外の研究成果の紹介があった。
 旧石器人は、未知の土地での獲物の探索と、勝手知ったエリア内での獲物の居場所を予測し仕留める行動の2つを、並行して進めていたという。同じ土地にとどまったままでは食料資源が枯渇するので、新天地の開拓は欠かせない。ただし、当座の生活を考えると、高い確率で獲物を手に入れる工夫も怠れないというわけだ。
 いま企業にもとめられることと、かなり似ている。激しさを増す競争に勝つにはイノベーションの種を求め、土地勘のない分野にも出ていって技術や人材を取り込む必要がある。同時に、目先の利益を確保するにはこれまでの経験を踏まえた製品改良や効率化が外せない。旧石器時代と同様、両刀遣いが生存の条件といえる。
 狩猟、農耕、工業、情報社会と発展してきたが、生き残るための行動には一定のパターンがあるのかもしれない。旧石器時代と現代では探索するものが違うが、進むべき方向を示すリーダーの役割が重要なことも共通している。人工知能(AI)が広がる未来社会「ソサエティー5.0」でもこの点は、変わらない気がする。」
 

私の孫の一人は、最近耳にするようになった発達障害と言われる変わった子供。最初に発達障害と聞いて、驚いたり、心配したが、時々一緒に遊んでいると、この子は天才じゃないのかと、驚くことも。
 妻と、車で農園に行くついでに、この孫(2歳のころ)を後部座席に座らせて、信号待ちで、妻と話に夢中になっていると、たどたどしい日本語で、「青よ」と。振り向くと孫が、信号が青になったから、発車しなさいと注意してくれたもの。
 夕方、孫の住んでいた横浜の広い自然公園を散歩していて、よちよち歩きの孫が、空を見上げて指さす方を見ると、空に小さくジェット機が見える。
 夏休み、孫たちでにぎやかな居間で、バアチャン(妻)がゴキブリを前の日退治したことが、孫たちの話題になり、一人が面白おかしく新聞でゴキブリをバアチャンが叩く真似。するとこの発達障害と言われてる孫が、そうじゃないと、バシン・バシンと全身を使った迫真の演技で、妻のゴキブリ退治をこと細かく覚えていると驚嘆。
 常に遠くに目を向けているし、情報が正確豊富。
 
 私が学生の頃、なんの準備も無しに、春の連休時の会津磐梯山に登り、山頂付近の深い雪と霧で迷子になりかかり、あわや遭難となった時、同行の一人が、難なく道を開いて、無事下山したことがある。
 霧の向こうにある太陽が彼には、見えて、太陽との関係で方向を確かめれたものと思う。(通常の光がまぶしく感じる方もいるらしい)

 何年か前、四国今治に墓参りで戻った時、地図を一目見るだけで、あとは地図を見なくてもそこにドライブできるという、高校時代の同級生と飲んだことがある。詳しく聞くと、子供の時から、太陽との関係で方向が自然に分かっていたとのこと。

 5年ほど前、まだ若い人の就労支援の事務所に顔を出していたころ、若者の支援組織の合同会議があり、大人数の前で、「発達障害は障害ではない、個性。名前が悪い。疾風怒濤型とか、変えた方が良い」といったが、皆さん、何をいっているのかとブーイング。

3歳の男の子は、全員発達障害、成人も5%が発達障害とのこと。
能力が欠けている障害だと、長い歴史で、自然淘汰されて、激減するはずだが、5%もいるということは、社会にとって必要なグループである証拠でもある。

それで、冒頭の「春秋」だが、新しい猟場を求めて冒険の日々を過ごす役割を果たせるグループ(発達障害という妙な名前)と、安定した猟場で、確実に獲物を持ち帰るグループ(常識人)に旧石器時代に役割分担が出来た、種族が生き残り、出来なかった種族は、環境変化とともに絶滅したと考えてよいのでは。
 歴史時代になっても、戦国時代や、明治維新の動乱期は、発達障害と言われる型破りの人間が社会を牽引してきた。織田信長や坂本龍馬。

 太平洋戦争が終わって、74年、戦争のない安定した世の中が続き、冒険の日々を過ごすべく生まれた人は、住みにくく、障害者だと気の毒がられている。もっと彼らに敬意をもつべきと、思ったことでした。

 日本でも指折りの精神科医と言われている、神田橋條治氏は、「発達でこぼこ」と呼んでいる。このほうが的を得ている。また、「落ち着きのない、子供はたくさんいるが、落ち着きのない爺さん・婆さんはいない。まわりが邪魔しなければ、脳は発達する。」とも言っており、別に動乱がなくても、冒険の日々を過ごすべく生まれてきた人たちも、立派な社会人になるとも。
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こんな夜更けにバナナかよ、の映画を見に行く(2019/1/6)

2019-01-06 17:35:24 | 田舎で読んだ本
以前、学生時代、お世話になった、西村秀夫先生の思い出話をブログにのせたところ、あおの 様からコメント。
 「こんな夜更けにバナナかよ」という本に、西村先生の事が出てくる、この話が映画にもなって年末に封切りされるというもの。

 本は早速買って、読んでみました。
 12歳で筋ジストロフィーを発症し、42歳で亡くなった札幌に住む鹿野靖明氏の病院ではなく、自宅で暮らすものがたり。

 生活の支援が必要で、24時間、毎日入れ替わりで多くのボランティアの若者が出入りする。
 よく続いたものと驚きました。
 筋ジストロフィーの症状が、まだ軽かった時期、鹿野氏は授産施設で暮らしており、このとき、西村先生も大学を辞めて、クリーニング部門の部長として働いていおり、その時鹿野氏の話し相手の一人。
 決めつけずに、若い鹿野氏の話を静かに聞いていたそうで、西村先生の私が知っている風貌がよみがえってきました。

 映画の方は、西村先生が、定年で東京に引き上げた後の数年間が舞台。
鹿野氏とボランティアの若者の成長する軌跡が丁寧に映像化されており、いい映画。(冒頭はそのポスター)
 映画には西村先生は出てこない。
 新聞では、安倍首相も年末の休みにこの映画を見たとのこと。

 ブログが取り持つご縁で、いい本と映画に出会えました。
あおの様、ありがとうございました。
 
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「龍三と七人の子分たち」(ビートたけし)を見る(2015/5/17)

2015-05-17 18:11:16 | 田舎で読んだ本
先月、日経新聞の夕刊で、ビートたけし のインタビュー記事。(冒頭)
面白かった。
 4月末封切りの、「隆三と7人の子分たち」を監督した、ビートたけしに、伝えたかったこと等、インタビューしたもの。
 記事は、下のような内容で、この10年、サラリーマンを脱落して、不良爺さん達と釣りやら、ビールやらで、ブラブラしている身には、わが意を得たりといった話し。
 せっかくだから、映画もみてやれと、暇そうな若い人2人も行くというので、3人で、小倉のチャチャタウンの映画館に出かけました。
 映画みながら、飲んだビール、3杯。
 げらげら笑っての2時間でした。
 結構お客もはいっており、段々客が増えてくる、本物の映画ではと思った次第。
 飲み仲間の、小倉の不良爺さん達のグループの親分が、ラーメン屋、錦龍の大将というのも、映画の龍三と字も中身も二重写しでした。

 時間があったら、見に行くことお勧めです。

・・・・・・・・・・・新聞記事↓・・・・・・・・・・・・
日本経済新聞 2015/4/15 夕刊に掲載
「怖いものなし」が面白い
格差社会に「ジジイ」の反乱
映画監督 北野武 さん
(きたの・たけし) 1947年東京生まれ。「ビートたけし」として80年代の漫才ブームで人気を得る。監督作に「ソナチネ」(93年)、「HANA-BI」(98年)、「座頭市」(03年)など。新作は25日公開。

四人に一人が高齢者となった日本社会。元ヤクザの老人たちが反グレ集団に逆襲する映画「龍三と七人の子分たち」を撮った北野監督に、老人の反乱のこころを聞く。

 自分も老人なんだけど「老人をいたわりましょう」とかいう言い方がイヤでね。金もない若い奴に面倒なんかみられたくねえよ。将来は二人で一人を面倒見るっていうけど、いらねえよ、そんなもの。
 電車で席を譲るというけど、お前より長く生きて、常識も知識をある人に譲るというのはわかるけど、かわいそうだからなんて冗談言うな。
 昔は老人に孫に小遣いやるくらいの財力はあったよね。「ジイさんどうした」と言ったら「昼から一杯やってるよ」「あすは釣りにいくや」なんてのがあった。ちっとも金持ちには見えないけど、ちょっとは豊かな感じがあった。
 今それをやってんのは現役のサラリーマンじゃないか。経済の格差ができて、サラリーマンの格差も開いた。ジイさんなんてもっと格差がある。介護の金も払えず、ただ寝ているのが仕事になっている。
 のんきなご隠居なんて、堅気じゃほとんどいない。サラリーマンをリタイアしたのんきなご隠居なんて、結構な位置にいたひとでしょう。

■老人は「怖いものなし」だから、面白いという。

老人は失うものねえから。
 青春とか情熱とか、俺、ウソ臭くてイヤなんだ。野球が弱い学校がいくら頑張っても勝てない。今の時代は少年野球から始まるから。タレントだってタレント養成学校に行ってないと、事務所に入れない。
 昔は貧乏でも成り上がる方法があった。今は金がないと出来ない。成り上がる方法を消していますよ。それが意外に文化の発見場所だったのに、全部つぶされた。ただ決められたものがあって、それに乗ってある程度のところまで行って、お金吸い取られて終わり。
 夢とか希望とか、やたら子供時代から探させるじゃないですか。今の時代で一番怖いのは「死」になっている気がする。やりたいことが見つかるまでに死ぬのが怖い。
 俺なんか父ちゃん母ちゃんが「何もしなくていいんだ。どうせバカなんだから、生きてりゃいい」ってもんで。今の子は夢を持たなきゃいけないてのが、逆にブレッシャーになってんじゃないか。
 親がそういっているのは、社会構造の歯車になれって言ってる可能性もあるわけですよね。それが生んだ利益が違うところに持っていかれるのに。
 なんだっていいよ、生きてりゃって方が、社会から外れた方が、幸福だと思うね。この映画のジジイたちみたいに。

■重要なのは「好きなことして生きて来たか」だ。

 老け方というか、ジジイになり方をちゃんと考えないとね。リタイアして何か見つけるってのは遅いよ。面白いことって年季いるから。
 今の子は成長に従って死ぬまで商品が全部用意されてる。おむつ、ぬいぐるみ、ディズニーランド、アイドル、やせる、整形・・・。ひたすら吸い上げられる。企業は必要だから作るっていうけど、我々が自分の意志で何かを選んだかといったら、全部よういしてあるものじゃないか。
 俺ら運がいいなと思うのは流れに逆らう場所があった。今の子は逆らえないんじゃないかと思う。その流れにね。
コメント (1)
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