田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

釣りに行ったり畑に出たり(2011/4/29)

2011-04-29 23:19:43 | Weblog
 しばらく行ってない船釣り、昨日の28日、関門フィッシングの乗合船で出かけました。
その夕は、M画伯邸でバーベキュー。
今日は、竹田農園に出かけ、夏野菜の植え付けと海に畑に遊びました。
一週間前から風邪で悪化したり小康状態になったり。

(釣りの前は寝れん)
 関門フィッシングの船に乗るには4時起床。
早く起きねばという心配と、大物が釣れたらどうしようという興奮と、今日こそはしっかり寝て風邪をよくしなくてはという焦り、の三重苦で頭はさえてさっぱり寝れず。
子守唄を歌うと寝れるかもという苦肉の思い付きで、頭で「ねんねんころりよおころりよ・・・」とうたっていると、頭痛がしてくる。
布団にいたのは5時間、眠ったのは1時間か。

(アラカブ)
 風速10メートルの強風が時々吹き、船長はやまかげの比較的波静かな場所に船を移動。丸々と太ったアラカブがボツボツ釣れる。
最後は25センチのメバルも。
風が冷たい。
ビールを3缶。
ご機嫌になったところでパチリ(冒頭の写真)。
帰港し、門司港の船溜まり(下の写真)を後に。

アラカブは、関門では餌が豊富だからかよく肥えている。味もいい。(下の写真)


(宴会)
 風邪で咳、寝不足でフラフラでさっさと寝たいが、今晩は、M画伯邸でバーベキューがある。
体にムチ打って電車でM画伯邸にたどり着き、ビールで乾杯を始めると、とたんに元気で口滑らかに。
バナナのたたき売りの余興もあり(下の写真、元バナナたたき売りチャンピオンのK氏の口上)盛り上がる。

飲み仲間のHR氏が県議に当選したお祝いと、3年間の福岡転勤から戻ってきたKN氏の歓迎会が今日の宴会の趣旨。
早々に帰宅。
爆睡。

(夏野菜の準備進む)
 今日は、次男に車で竹田農園まで運んでもらい、まず、小倉室町のラーメン屋のI氏から頼まれた、カッポ酒用の竹取り。
明後日、室町の祭り「起点ちゃ室町」で使うとのこと。
お昼はお隣の江藤正氏と。
しゃべりながら飲む酒は美味いと。(下の写真)

畑は、ピーマン、コショウの苗植え付け、カボチャの種まき、里芋の植え付け。ピーマン、コショウの畝を前にパチリ。

5月の連休でなた豆、ヤーコンを植えると、夏野菜の準備ほぼ終了。
もう一息。

風邪は小康状態維持。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農園にトマトの植えつけ(2011/4/25)

2011-04-25 19:54:00 | Weblog
5月の連休前後は、農園は大忙し。
トマト、キューリ、なた豆、ヤーコン等々すべてこの時期に種まき、苗の植え付け。
今日寄った行橋市の苗屋さんも大賑わい。
昨日に引き続き、竹田農園で遊んできました。

(奇跡の栗の木)
 管理が大変で25年前放棄した栗畑が真竹の藪になっていて、この数年カッポ酒を頻繁にやるようになり、竹が段々間引きされ、見通しがよくなり、一年前、栗の木が4本、大木になって生きていたのを発見。
栗の実もなり、大半はイノシシのものだが、昨年秋、私も少しオコボレ頂戴。
今日トマトの支柱にしようと、細身の竹を切りにこの竹藪に。
栗の木、新芽が出て、昨年の今頃は、根本近くには日の光が当たらなかったのが、今日は竹が間引きされて、サンサンと日の光。パチリ。(冒頭の写真)

(お昼の野菜は玉ねぎの葉っぱ)
 今日は江藤正氏、町に運動を兼ねて出かけており、お昼は私一人。
農園の林でビールに鶏肉のバーベキュー。
野菜が欲しいと畑を見ると、勢いよく伸びる玉ねぎ。
まだ玉ネギ以前で葉がツヤツヤ。
これを引き抜いて、焼いて食べる。
葉も下の玉ねぎの赤ちゃん、ともにジューシーで甘い。(下の写真)


(トマトの植え付け)
 昨日作った畝に、苗屋で買ったフルーツトマトを植え付ける。支柱も出来たとろでパチリ。(下の写真)

 一輪車には、良質の腐葉土。
向こうに見える山の際に、土建屋のIK氏が仕事で刈り取った大量の草の捨て場があり、立派な腐葉土になっており、それをもらってきたもの。
丈夫で美味しい野菜がこの腐葉土を畝に混ぜると育つ。

鳥取に旅行していた次男昨晩戻ってきて、開口一番「トーチャン、何を食べとったん、冷蔵庫に買っておいたもの全部のこっとる」と。今日農園からタクシーで我が家に戻ると、次男はCDショップに仕事に、台所には次男が作ってくれた味噌汁。持つべきは料理の上手な息子。サンキュー。妻は横浜の孫のお守り、5月の連休明けまで。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏野菜の畝づくり(2011/4/24)

2011-04-25 00:02:12 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
東京孫見物の旅から帰り、明日は名高い漁場の汐巻で大漁ともくろんでいましたが、季節外れの寒波到来で海も波高く、前日の夕方釣り中止の決定。
しかたなく、竹田農園に出かけ夏野菜の植え付け準備でした。
妻は引き続き横浜で孫のお相手、次男は休暇を取って鳥取旅行で、我が家は私おひとり様生活。
誰も農園まで運んでくれないので、タクシーで出かけました。

(トマトの畝つくり)
 竹田農園の畑は、砂が多く水はけがよい。
そのためかトマトがよくできる。
今年のトマト予定地は、昨年の秋、お隣のEさんから頂いた大量のもみ殻を山積み。
半年たったが、まだまだモミは堆肥化しておらず、鋤き込むには早すぎ、別の使わない畝にバケツで運ぶ。
山のようにあり、2時間近くかかる。
作業の途中でパチリ。(冒頭の写真)
モミを移動させたあと、一輪車で土建屋のIK氏が数年前仕事で刈り取った草を捨てていた山手の空き地に。
草が完全に堆肥になったものが山盛りで好きなだけ取ってよい。
一輪車で運んだ、この完熟たい肥をトマト予定の畝にばら撒き、三鍬で耕す。
5月の連休にトマト苗植え付けの予定。

(バーベキュー)
 お昼は林でバーベキュー。
お隣に住む江藤正翁(元南海ホークスのエース、88歳)も加わりビールにソーセージに焼き芋。
カッポ酒も。(下の写真)

 江藤翁と雑談。
〇「ピッチャーはコントロールが良くないといいピッチングはできない。ソフトバンクのM投手やA投手球速はあるがコントロールがダメでこれでは選手としては知らぬ間に消えてしまう。審判に誤審させるような微妙な球を最近はあまり見ない。昔はボール、ストライクの判定で監督が血相を変えて抗議することが多かった。今はボールとストライクがはっきりしている。コントロールを良くするには、自分で考えなくてはダメ。球はどのあたりで離す等。教えられてわかるものではない。」
江藤翁、今度の5月9日には満89歳だが、体力もあり、頭も昔と変わらず明晰。
現役時代の江藤翁速球とコントロールの良さで打者を打ち取ってきたらしい。
現役時代のピッチングの写真、迫力がありフォームも安定している感じ。

(春ジャガスクスク)
 昨年の夏は100株のサツマイモ、秋は150株のジャガイモと30株の里芋を収穫の直前にイノシシとタヌキに食われ、自家製芋はタヌキからかろうじて守ったサトイモを一株口にしただけ。
畑の周りの柵をこれでもかと補強したので、今年の春ジャガ、なんとか人間様で食べたいもの。
スクスク育つジャガイモをパチリ。
葉の色も良く、豊作の予感。


 明日も農園で畑とたき火で遊ぶ予定。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京をブラブラ(2011/4/18)

2011-04-18 18:31:21 | 3.11東北大震災の頃
 東京と横浜の孫見物に、昨日の日曜日北九州空港から東京に。
4日ほど東京の長男と横浜の長女の家に転がり込み、暇を見つけてあちこち遊ぶ算段。
妻は一足先に長女宅に。

(羽田)
久し振りに羽田に、昼食は空港の見えるレストランで、ランチにビール。
ちょうど向かいに新しく出来た国際線のターミナル。(冒頭の写真)
羽田も随分、便利になった。
しかし、大震災の影響で、空港の人出は普段の半分といった感じ。
照明も半分で節電実施中。
都内の駅も、エスカレーターは節電で使用中止、もっぱら階段を皆さん歩け歩け。
お年寄りや車椅子の方はエレベーター。
電車が止まるよりよっぽどましと、東京の皆さん割り切っている感じ。
東京の人はエライ。

(柳瀬荘)
長男の家は、所沢の近くで、所沢には松永安左エ門(実業家、茶人、文筆家、登山家、遊び人どれも傑出)が戦前、軍部の横暴に抗議して隠棲した柳瀬荘がある。
3万坪の敷地、多くの茶室、国宝級の美術品があるが、戦後全て国に寄付(東京国立博物館)したと本には書いている。
一度見てみたいと思っていたが、今日時間があったので、所沢に足を伸ばして、タクシーに頼んで、出かける。
木曜日しか一般公開していないので、訪れる人も少ないようで、タクシーの運転手さんもよく知らない。
ようやくたどり着き、運転手さんの言うには、所沢市でなく、ここは新座市とのこと。
母屋の見事な茅葺の屋根が見える入口でパチリ。(下の写真)


直径1メートルはあろうかという巨木が欝蒼とそびえたち、心洗われる気分。


小田原の戦後の住まいの跡壱岐の生家跡にも松永記念館があり、福岡市美術館にも松永安左エ門所蔵の美術品が寄贈され常設展示。昨年から訪ねてみたが、どこも大切に保管されている。寄贈されて既に65年経つ柳瀬荘も敷地内はよく手入れされており、感心しました。

今日は、塀の周りから見たが、次の機会には木曜日に来て、中に入ってじっくり見てみたいもの。
所沢の駅からタクシー往復6500円程。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

末川博 関東大震災(1923年)の海外の反応

2011-04-16 23:25:27 | 3.11東北大震災の頃
 田舎生活をしていると、時間はふんだんにあり、今日は、20歳のころ愛読していた末川博の「彼の歩んだ道」(冒頭の写真)を読んだ。誰かにあげてしまったが、また読みたくなり、本屋に聞くとすでに絶版、ためしにアマゾンで調べると送料込251円で入手。遊学中のフランスで関東大震災のニュースに接し、その時の体験を書いた箇所、90年前も今も日本人は同じように踏ん張ったんだと思いました。下のような随筆。


末川博(元 立命館大学総長)「彼の歩んだ道」(岩波新書 1965年)p209

関東大震災
 大正12年(1923年)八月の末、イギリス、ドイツ、スウェーデン、ノルウェーなどを旅行して、フランスにはいった。パリに着いてから三日目の九月二日の朝、散歩するつもりでホテルを出たとたん、そこに出ている屋台店にならぶ新聞見てびっくりした。どの新聞も第一面に日本のさまざまな写真をのせて最大の活字で「日本の大地震」という見出しをつけているのである。長崎からの簡単な電報がのっているのだが、最初は九州地方以外は全部地震に襲われて日本という国の大半が消え去ったのではないかとさえ思われた。大使館に出かけてきいても、詳しい報道はないというので、要領を得なかったけれども、時がたつにしたがって、箱根山以東が一面の海になっているような報道から東京、横浜を中心とする震災であるという報道にしぼられてきた。通信機関が今日ほどに発達していないうえに、日本の中心がひっくりかえって混乱しているのだから、やむをえなかった次第である。
 いづれにしても、たいへんだ、気の毒だというわけで、パリの官公署は、反旗を掲げて弔意を表し、やがてフランスとベルギーでは、公共団体や協会が救援金の募金を始めるというふうに、日本が第一次大戦で連合国として協力したことに対する感謝の意もふくめたと思われる救援活動が広く展開された。ところが、私たち日本人は、地震、雷といったような天災についてはあきらめが早いせいか、この遠いパリから心配してもしようがないと思うせいか、とにかく喜怒哀楽を顔に表すことが少ないために、あちらの人たちの中には奇異に感じたものもあるらしい。
 ある日、下宿のおばさんが「あなたは豆をねってつくったトウフというものを食べるか」ときくから「日本ではみんな食べているが、いったい、それがとうしたというのか」とききかえしたら「日本の人たちがあんな大震災にあっても悲しそうな顔をしないで落ち着いているのは、トウフを食べているからだ、という話を聞いたので」といって、町で聞いてきた話しをしてくれた。むろん、日本人の無表情とトウフとは関係のないことだが、どこの国でも知ったかぶりをする半可通がいて、もっともらしい話をつくりだすものだと、おかしくもあり、また人ごとではないような気もしたのである。


なお、末川博氏はこの後、日本に帰り、母校の京都大学の法学部教授で教育に携わっていたが、軍国主義と思想統制の嵐(関東大震災の100倍の災難を日本と近隣国にもたらした)に抗して、京都大学を去り(滝川事件)、戦後の民主国家の建設に立命館の総長として大車輪の活躍をした人。同時期、東大総長として戦後日本の思想界をリードした矢内原忠雄と同じような光彩を放っている人

 あすから、東京、横浜に孫見物の旅。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小倉で巨人・ヤクルト開幕第二戦(2011/4/13)

2011-04-13 23:39:29 | Weblog
私は、幼いころから巨人ファンで、それを知ったか、友達が小倉での巨人・ヤクルトの開幕第二戦のチケットを譲ってくれました。
バックネット裏の特等席。
今日、妻を引っ張って小倉球場に駆け付け、ビールに焼きそばで、巨人も勝利でご機嫌の夕べでした。
自分で手を伸ばして写した写真下に。

両チームとも、東日本大震災の復興を合言葉に、キビキビしたプレーで、観客席も一体感があり、私が中学3年当時、熱狂した昭和39年の東京オリンピック当時の、凛とした日本に戻った感じでした。(冒頭の写真は、巨人優勢で盛り上がっているところ)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農園で畑仕事(2011/4/11)

2011-04-11 16:56:47 | Weblog
春たけなわ、竹田農園に妻と畑仕事&ピクニックでした。

(桜)
 農園のある集落には、山からの小川が流れ込む水場があり、側に見事な桜の木。
満開で、ほれぼれ。(冒頭の写真)

(畑の手入れ)
 春の陽気に、草も勢いよく成長。放置すると畑も草ぼうぼうだが、手入れして種まきしたり苗を植えると、豆やら芋やら大根やらスクスク育つ。
私は、草を積み上げた畝を耕し、キューリの苗を植え付ける。
ついでに種も蒔く。
時差蒔きで長い期間キュウリを収穫できる。
妻は、芽の出たジャガイモの芽かき、ソラマメの周りに竹の支柱をめぐらし、紐で囲んで、成長したソラマメが倒れないように工夫。
グリーンピースの支柱の追加も。(下は勢いよく育つ畑)


(一人で飲むより)
 お昼は、農園の林でバーベキュー。(下の写真)

肉、ソーセージ、ピーマン、サツマイモを炭火で焼き、私と妻とお隣の江藤正翁(元南海ホークスのエース、88才)とで舌鼓。
畑で一働きした後で、食べ物、飲み物なんでも美味しい。
先日剪定した槇の木の枝が山盛りありたき火も惜しみなく出来る。
ビールを飲みながら江藤翁「美味い、一人で酒を飲んでいても、なんともないが、ここでしゃべりながら飲むと、実に美味い」と。

(竹の子はまだ土の中)
 4月も中旬で、農園の周りの孟宗竹の林、竹の子そろそろ取れると、帰りに立ち寄って、探してみるも、一つもない。
今年は例年より竹の子は遅い感じ。
下は、もうすぐ収穫の始まる竹の子山。


今度の日曜日から数日、東京・神奈川の孫見物の予定。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんな日もある、関門で船釣り(2011/4/10)

2011-04-10 17:34:12 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
気温も上昇、快晴、日中は20度に。
コーラル丸でアジ狙いの釣りでした。

(魚探には映っているいるのに)
 アジのA級ポイントの、新日鉄の埠頭近くに到着。
魚探には、濃い魚の影。
今日は楽勝と、船をアンカーで固定し、仕掛けを投入するも、一向に当たりなし。
 場所を移動し、別の瀬のポイントに。
 ここにも魚探ではアジらしい反応。
おでん屋のS氏にアジが釣れたので、群れが来たかと色めくも後が続かず。
 船長が、アラカブ、メバルの住む、ピンポイントの岩のくぼみの真上に船を固定。
 アラカブ、アコウの小型、メバルの小型がボツボツあがり、やれやれ。
小型のアコウが釣れて、M画伯とおでん屋のS氏でパチリ(冒頭の写真)

(コウイカ) 
関門には、4月、5月とコウイカが多分日本海からはいってくる。
アジはあきらめて、コウイカ狙い。
下に、グチねらいの針、上にコウイカの疑似餌で2時間近く岸近くのコウイカポイントを
船で流す。
 釣り好きのST氏はしっかり2匹ゲット(下の写真)。

 私は、小ふぐが釣れて、周りの笑いも誘うのみ。(下の写真)

 時には、こういうこともあると、釣れた魚の大半は、皆さん95歳の母上の介護をしている
M画伯に、「お母さんに」とさし上げる。

 帰港し、撒き餌で汚れた甲板の掃除も終わり、別れの挨拶はまた近々会いましょう。
気持ちのいい一日でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農園でイチゴの手入れ(2011/4/4)

2011-04-04 17:32:20 | Weblog
昨日と一変、青空の春日。
竹田農園に、妻とハイキング&畑仕事。

(こぶし)
 竹田農園は、馬ケ岳、御所ケ谷という山の懐にあり、農園が近づくと山のあちこちに白いコブシの花。(冒頭の写真 左が馬ケ岳、右が御所ケ谷)
この花が咲きだすと、春が里に来たという気分。下はもっと近くから馬ケ岳。手前の建物はゴミ焼却場、完全燃焼とみえ、煙突がない。


(イチゴ) 
今日は何をしたらよいか、畑を見ると、イチゴの苗、白い花が咲いている。
油粕を追肥し、マルチングをすることに。
昨年は、タヌキに正体不明の鳥(ヒヨドリ?カラス?)に90%食べられ、私が食べたのは数個。
今年は、鳥には、透明の釣り用テグスを張る。
タヌキには、柵の中のイチゴは問題なし。
柵の外にもイチゴがあり、これには、昨年イノシシの縄張りにある栗をかすめ取るため用いた、ネットを張る予定。
今年は90%人間様が食べてやる。
下はマルチングをしているところ。


(江藤正翁とバーベキュー)
お昼になり、妻が火を起こし、お隣に住む江藤正翁(元南海ホークスのエース、88歳)にも声をかける。
ビールを飲もうと思うも、今日はあわてて、持ってくるのを忘れる。
幸い日本酒はあったので、これを竹の杯を作り冷酒で飲む。
なかなかいける。
昨日のバスハイクの話題に。
〇昨日久しぶりに会った、池上氏(写真家、「有明海の記憶」弦書房など、写真集を出している。福岡美術館で個展も何度か)は旧制八幡中学の同級生だったが、つきあいは当時なかった。
江藤翁はワルさグループ(スポーツ大好き)で池上氏は勉強好きのおとなしいグループ。
終戦後、同級生で同窓会を作り、どんぐり会という名前で、よく集まっていた。
どんぐり会で、池上氏と話すようになった。
昭和21年当時、江藤翁が下関の大洋漁業に勤務するようになり、どんぐり会のメンバー5、6人がリュックを担いで、魚やらテンプラやらを江藤翁ところによく、もらいに来たが、このメンバーはワルさグループの面々。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柳川、日田バス旅行(2011/4/3)

2011-04-04 00:13:59 | 3.11東北大震災の頃
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
日曜日、黒ラベルの会という、サッポロビールしか飲まないというあまり意味の分からない会の、日帰りバス旅行でした。
柳川で川下り、日田のサッポロビール工場でビール、耶馬渓の神尾家住宅見学の後、守実温泉で一っ風呂。

(バナナたたき売り)
 リーダーは小倉室町のラーメン屋の錦龍のI氏、東日本大震災の義捐金をバスの中で募るといっていたが、知り合いのバナナのたたき売りの元全日本チャンピオンのK氏もバス旅行に参加していたので、バナナのたたき売りの売り上げを募金箱に入れることに。
3箱のバナナ、愉快な口上で次々売りさばき、募金箱はずっしり。(冒頭の写真)

(柳川川下り)
 柳川では桜も満開、川下りにウナギのかば焼きで、40名の参加者、ご機嫌。
ちょうどひな祭りの川船での子供会の行事で華やか。(下の写真)

竹田農園の隣に住む江藤正翁(元南海ホークスのエース、88歳)も参加。
柳川には江藤正翁の八幡中学時代の同級生の写真家の池上氏もお住まいで、事前に連絡して川下り合流。
私とは別の船でお二人は歓談で詳しくはわからない。
愉快だった様子。
船着き場で記念写真。


(ガンバレ日本)
 日田のサッポロビール工場に。
工場見学の後、恵比寿ピールの試飲。
作りたてのビールは高台から眺める水郷日田の美しい景色とあいまってひときわ美味しい。
ビールを飲むとき工場見学案内してくれた女子社員、「私がガンバレ」というから、皆さんは「日本」と言ってくださいと。
乾杯が終わると、大きな拍手。(試飲風景下に)


(神尾家住宅)
 日田から耶馬渓にはいる守実温泉に、240年前の古民家があり、国の重要文化財。
九州では確認されている一番古い民家。
囲炉裏、竹で張った床など興味深く皆さん見学。
特に、これは何だと、驚いたのは、どうも風呂らしい。(下の写真)

竹で作ったスノコの上にタライがあり、
どうもここで風呂浴び。
下に落ちは水は、穴があり、ここに水を貯めたらしい。
畑にやる水にして肥料効果も狙ったのか。
飲み仲間とパチリ。


 あいにく肌寒い一日ではありましたが、桜も満開、バスの中は笑いが絶えず楽しい一日。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする