最近釣れていますかと。
鯛のシーズンでクーラー満タンが続いていると申し上げると、中村氏は今は、壱岐に渡り波止場からイサキなど釣っている、いっしょに行かないかと。
今は月2回の汐巻での船釣りで十分と辞退。
釣りの思い出話でも送ってくださいとお願いすると、下のような、玄界灘に浮かぶ相ノ島での夜釣りの事件。
一年前の夏の話。
もう83歳だと思うが、今もお元気。
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最近相島を専らホームグランドとして大物狙いで出かけている。
トラちゃんやトンビとも仲良しになった。
昨年、お盆前の夏の夜、一泊での釣りに出かけた。
夕まず目を迎えたがさっぱり釣れない。潮はいいのだが…..。魚はいないのか?
夏の日は長いが、夕日が西に傾き相島港が次第に夕暮れに向かっていく。
遠くに浮かぶ立花山が、夕日を惜しむようにひときわ鮮明に浮かび上がっている。
中央が立花山、左に松尾岳、右に白岳が連なる3連山である。
いずれも350メートルほどの低山だが、当時は博多を守る要塞であったという。
博多は、中世には海外貿易の拠点として栄え、その莫大な権益を手に入れるため近隣の諸大名が争奪戦を繰り広げていた。
島津軍が九州統一を目指し豊前大友軍を殲滅せんと薩摩から北上してきた。
大友宗麟は耳川の戦いで敗れ家臣たちの多くが離反し、豊前は近隣諸侯たちの草刈り場となっていた。最後まで宗麟に忠誠を尽くしたのは大友家有力武将である高橋紹雲と戸次道雪両名のみであった。
このころ大友家はすでに立花山、宝満城、岩屋城が最後の砦となっていた。
島津の大軍の猛攻で窮地に落ちた宗麟は、九州征伐を狙う秀吉に助けを求める。
秀吉の援軍が来るまで高橋紹雲に残された立花3山(立花山、宝満城、岩屋城)の死守を命じた。
島津軍5万、守る高橋軍はわずか5千。もはや勝敗は明らかであった。
高橋紹雲は岩屋城で討ち死にし、宝満城も陥落。最後の砦は紹雲の長男統虎(むねとら=後の柳川城主、立花宗茂)が守る立花山を残すのみとなっていた。
統虎のもとに降服するよう島津軍から使者が来た。「主家が衰えたとき一命を掛けて尽くすは武士の本懐、そなた自身も島津の家が衰退すれば主家を捨てて命を惜しむのか。武家に生まれた者として恩・仁義を忘れるものは鳥獣以下である」と薩摩軍使者にきっぱりと断る。立花山は、島津軍5万を前にして一歩も引かず秀吉援軍が来るまで数百人で耐えたのである。
この立花宗茂の物語は歴史学者磯田氏が、「今度大河ドラマを作るなら柳川城主立花宗でしょう!」とNHKTVで発言したことから火が付いた。
西鉄天神駅、博多の街、および新宮町や相島漁港でも大河ドラマ実現に向けての横断幕や幟(のぼり)を見かける。
歴史の瞑想に耽っていたら辺りはすでに真っ暗となっていた。
突然漁港から打ち上げ花火が次々に打ち上げられた。
ドーンドーンと花火は豪快で美しい。海面に残影が映える。
ここは花火見物の一等席だ。独り占めして贅沢な気分になる。
ここはいったん釣りを忘れ夏の夜の風物詩に浸ることにしよう。
空ばかり見上げていたら、竿が上下に大きく揺れている。
生きアジに大物が食らいついたのだ。
ハリスはワイヤーである。今度はどんな大物であろうと竿は折れても糸が切れることはない。ヒラメ、スズキ、ブリかと大物が頭をよぎる。
来た!来た!と胸は高鳴り竿に走る。(続く)
釣りバカ日誌 ⑪
夏の夜の相島漁港の花火に見とれていたら、竿が上下に激しく揺れている。
魚たちも花火見物に岩場から出てきたのか。
ついに大物が喰らいついたと、胸が高鳴り竿に走る。
竿を立てるとズッシーンと大物が引き込む。久しぶりに手ごたえ十分だ!
リールを巻くが魚との力比べである。この手応えからすると相当な大物に相違ない。
リールがジージーと音を立てて逆回転する。ドラッグが甘い。急いで絞める。
いったい何が来たのか。引き込む力がすごい。胸は高鳴り期待は弾む。
タモを探すが辺りは真っ暗。見当たらない。
竿は折れても糸が切れることはない。
それでも岩場に逃げ込まれたら危ない。
ワイヤーとは言え岩場でこすれたら切れてしまう。不安がよぎる。
リールを慎重に巻く。
大丈夫!岩場に逃げ込んではいないようだ。ズーンズンと引き込む抵抗を感じる。
魚は少しずつ浮いてきている。
海面は真っ暗で何も見えない。竿を持ったままタモのところまで慎重に移動する。
強い引き込みが来た。再びリールが逆回転してうなる。切れるなよと祈る。
引き込みが弱まったとき、力の限り巻き上げる。
キャップランプも点灯した。海面を照らすが魚影はまだ見えぬ。
すでに5分は経過しただろう。大魚との攻防はやがてこちらが優位になってきた。
暗い水面に何やら魚影が見えてきた。でも何かわからない。
タモを出す。魚は最後の抵抗を試みる。暗い海面に白い水しぶきが上がる。
直径50センチの大タモだが、なかなか入らない。今度は掬ったと思ったら入っていない。
魚が大きすぎてタモに納まらないのである。
昼間であれば誰か助けに来てくれるが、誰もいない。
ここでばらすことが多い。「バレルな」と祈る思いだ。
左手で竿を支え、右手にタモをもって悪戦苦闘である。
釣り人にとっては、天国、地獄かの緊張の一瞬だ。
やっとの思いでついに仕留めた。
大きい、大きい、!ウーン、この魚は!?長~い、長~い!?!?
やっとの思いで掬い上げライトで照らし確認する。
大物はスカーフのナポリ巻き状態でワイヤーハリスに巻き付いている。気味悪い。
超大ウナギ、それとも超大アナゴ?
胴回りが私の手首より大きい。長さは優に1メートル超えている。大きい大きい。
ウナギではなさそうだ。
超巨大アナゴに相違ない。この海の主かもしれない。
ひさしぶりに大捕り物を満喫し釣りの醍醐味を堪能できた。
大アナゴの天ぷらが目に浮かんでいた。
⑫
家に持ち帰り、早速ウナギのかば焼きの要領で捌いた。
柳川にいた子供のころ、釣ったウナギをさばいていたから自信はある。
かば焼き風にさばき終えたら大ザル山盛りのボリュームである。
重量も2Kは超えている。
衣をつけてアナゴの天ぷらが大量にできた。美味しそうだ!
早速試食してみる。
「うーん?!」針金のような硬い小骨が無数にあり食えない。
ハモの小骨切の要領で包丁入れても骨が固すぎる。全くたべることができない。
味は美味しく最高である。捨てるにはもったいない。どうにかして食べたい。
思案した挙句、衣を取り金ザルに入れてスリコギで身だけ濾すことにした。
すり身をミンチ団子にして食べることを考えた。我ながら食う執念はすごい。
そこでミンチ団子にして再び油で揚げた。
アナゴのミンチ団子が山のようにできた。数日で食べることはできない。
日持ちを考え、さらに燻煙器にかけ燻製ミンチにした。
我が家の雑木で作った自家製チップは豊富にあった。
試食してみると大変おいしい。黒酢が味を深くしている。
これまで体験したこともない美味。最高の一品ではないか。
手間、ヒマかけただけのことはあった。
アナゴはせいぜい40センチである。
1メートルを超す大アナゴが見たこともない。
一抹の不安があったのでネットで調べた。
なんと、大アナゴではなく「ダイナンウミヘビ」とあった。
「あちゃー!蛇をたべた。」
ところが「ダイナンウミヘビのレシピ」が出ていた。
かば焼きが紹介されていたので救われた気持ちになった。
釣り人がアナゴと間違って食べることが多いそうだ。
食うための執念はみな同じである。
果たして「ダイナンウミヘビの燻製ミンチ」のその後の行方は?
「大変美味しいよ、体験したこともない美味しさだよ。騙されたと思って一つ食べてごらん」と妻に勧めるが、「そんなに美味しかったらご自分でどうぞ」と見向きもしてくれなかった。
ご近所さんにおすそ分けもいかがかと、百個ほどの燻製蛇団子を一人で食べてしまった。
お陰で元気も百倍!