田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

2022年のサプライズ

2022-12-30 17:14:19 | 年度ごとサプライズ
今年もあと二日、我が家でのんびり。

 今年のサプライズを写真を見ながら思い出しています。
1月
 正月明け、電話の通じない釣り宿の関門フィッシングを門司まで確かめに。
店じまいしていました。


 年末、釣り中止でガッカリして港に忘れた水筒2個、一月の初釣りで港に行くと、そのまま置いてありました。日本はいい国。


5月
 旧知の中国のGKさんの家族が連休のドライブで、我が家に一泊。7月には中国に帰国。


7月
 コロナも3年目、行動制限が取れたので、不良爺さん達とビアガーデンに3年ぶりにおっかなびっくり集まりました。


8月、3年振りに子供・孫 総勢11人がやってきて、我が家は一時人口14名と賑わいました。

 棚で作っているカボチャ、今年も豊作、最後の2個のカボチャの周りだけ、葉が枯れ落ちずに、日陰を作って、カボチャの実を夏の日差しから守っていました。カボチャの親心。


大学時代、同志会という学生寮を紹介してくれて、それ以来、年賀状のやり取りをしている、先輩のKH氏と45年ぶりに再会。四国今治での私たちの結婚式にも急遽参加してくれた思い出話に花が咲きました。

 夏の炎天下、汗だくで畑仕事の後の妻との昼食タイム。バテ気味でサル顔。熱中症注意。

9月
 大型台風接近の報に、身構えて、窓ガラス、ガムテープ。上、妻の担当、下とおちゃん。幸い台風は、北部九州では被害はありませんでした。




 今年は、畑で取れたニンニクの醤油漬けに挑戦。毎日家族で一個ずつ食べました。気のせいか、体に力が湧いてきました。


10月
 これも3年ぶりに四国今治に墓参り。帰りに三崎半島の三崎港の旅館に一泊。えびす屋。三崎港の漁師さんがその日釣り上げた新鮮な魚料理に堪能。家族経営で、心がこもっています。
写真は最後に出てきた、アジのナメロウを使った茶漬け。


12月
農園の隣に隣接する、休耕田と屋敷跡、親戚の持ち物だが、高齢化、草刈りを人に頼んでやるのも難しく。イノシシの団地になって、集落の皆さん、田んぼも荒らされ、困った。妻の卓球友達のYさんのご主人が、草刈りをしてくれて、大助かり。最後の草焼きは、我々も含め、4人で。


ついに、コロナ感染。私と妻は軽症で熱も出ず。同居の次男は私にうつされ、熱も38°が3日間間、検査でコロナと判明。3人とも、かぜ薬だけで全快。やれやれ。


 畑の里芋を掘ろうと、積み重ねた刈草を除けると、冬眠中のガマガエル。畑の芋虫を食ってくれるいい奴。別の畝の刈草の下に移動。


 屋敷内に薪にしたいと、転がしてある太い丸太、大きすぎて手つかず。試しに、鉄のクサビをそれまで、鉄の小型のハンマーで、叩いて、うまく行かなかったのを、大型の木槌に変えると大成功。


 コロナの収束の気配がしてきた、いい一年でした。
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休耕田の草刈終了(3次) 2022/12/29

2022-12-29 21:56:58 | Weblog
往きは電車~折り畳み自転車、帰りは合流した妻の車で竹田農園でした。

農園往きは今年は今日が最後。
何度もお世話になった、平成筑豊鉄道。
第三セクターの鉄道では、珍しい黒字の鉄道。
運転手はバスのワンマンと同じで、よく働く。
駅も、最近は、行橋駅の隣に、平成コスタ駅を新設するなど、客のニーズをよく見て投資。
平成コスタ駅は、ショッピングモールに直結、合わせて、モールと線路を挟んだ住宅街からモールへの踏切も新設し、人の流れが格段に良くなった。
おまけに、建設の材木は地元の製材所の寄付ときた。
従業員も経営者も努力を惜しまない。
今日も10人ほどのお客、私は豊津駅下車。


農園に到着、昨日味をしめた大型の木槌と鉄のクサビで、太い丸太を割ってみる。

無理かもと思ったが、簡単に縦に割れ、手ごろな薪が今日も手に入る。


 お昼時、一人バーベキュー。

 食事の最後にコーヒーを沸かして飲んでいると、妻合流。

 私は、懸案の休耕田の草刈。
春、夏、秋と休耕田の草刈は3回必要で、今は3回目の草刈の最中。
し残した個所は、集落への進入道路に面した田んぼで一タンク、60坪程刈り終わる。(冒頭)
見栄えもよくなった。
これで休耕田の草刈は終了。
 来年の春の連休明けまで、休耕田の草刈は必要ない。

 畑に戻り、リヤカーで運んだ刈草は、冬の間、畑の土の中で過ごす里芋の畝に防寒のため積んでおく。

 明日から、正月準備と寝正月で、畑には一週間来ない。
当座の里芋、ヤーコン、ネギを収穫。




 日も暮れてきたので、帰路に。
年末ギリギリで、休耕田の草刈が終わり、やれやれ。

 
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薪割りは大型の木槌(2022/12/28)

2022-12-28 18:54:23 | 田舎生活のイノベーション
往きは電車~折り畳み自転車、帰りは迎えに来た妻の車で竹田農園に出かけました。

コロナでの自宅待機中、運動不足で、夜の睡眠が浅く、夜中によく目が覚めた。
元通りの生活が戻り、農園に出かけて体を動かし始めると、眠りが深くなり、よく眠れる。
体を外で動かすことは、いい睡眠にも大事と再認識。

 農園に到着、寒さをしのぐための薪作り。
木蔭には、切り倒した菜のみの大木の太い丸太が転がっている。
割って薪にしているが、専用のクサビを鉄のハンマーで打ち付けて一昨年からトライ。
 割れるには割れるが、100回近くハンマーで打ち付けて、時間がかかるし、疲れる。
今日もさっそくこのクサビと鉄ハンマーで割ろうとするも、埒が明かず。
 テレビで、ポツンと一軒家という人気番組、私より高齢のお年寄りが、マサカリを丸太に降り下ろして、いとも簡単に割っている。
 屋敷内に、以前買ってまるで使っていない、大型の木槌があったのを思い出し、クサビの上をこれで打ち付けたらいいのでは。
 マサカリのような威力があるかもと。
 やってみました、なんと、2~3回打ち付けると、パキンと真っ二つ。(冒頭)
おかけでで、手ごろな薪が4個、瞬く間に用意出来ました。
 いい薪割りの方法が見つかった。

 お昼は、今日も一人バーベキュー。


 午後は、昨日草刈りした休耕田の刈草を集めて山盛りに。
帰りは、リヤカーで、畑に刈草運び。


 取入れの始まった、ヤーコンを一株掘り上げる。

ジャガイモも。


 ヤーコン、ジャガイモは集落の隣近所に、プレゼント。

 妻が到着、帰路に。
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年の瀬、休耕田の草刈(2022/12/27)

2022-12-27 18:43:19 | Weblog
昨日から年賀状作り。
いよいよ今年も終盤。
妻と竹田農園に出かけました。

 到着はお昼時、私は火を焚いて、炭火作り。

妻は、要らない段ボール箱を燃やす。

 ジャガイモの収穫も。

今年は、ジャガイモがよくなっている。
 畝に刈草をたっぷり敷いたのが良かったのか、気候がジャガイモに合ったのか。
 葉も芋虫に食われることなく、最後まで勢いがあった。

 畑の野菜をホイル焼き。

ニンジンが大きくなっている。
風邪防止にネギは役立つ。
 ビール美味い。


 午後、私は休耕田の草刈。
例年だと、3次目の草刈、終わっているのだが、今年は、コロナで自宅待機したり、最近は雪やら雨で、最後の詰めの草刈が出来ずじまい。
 後、油タンク2回で終了の見込みで、今日は、1タンク。
 残すところ、後一回、明後日にやってしまう予定。
帰りに、畑の畝に敷く刈草をリヤカーで運ぶ。(冒頭)

畑の野菜をたっぷり食べ、体も動かし、気持ちのいい一日でした。

 
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農園で久しぶりに一人バーベキュー(2022/12/26)

2022-12-26 21:46:27 | Weblog
電車~折り畳み自転車で竹田農園に出かけました。

 コロナにかかったり、雪や雨が続いたりで、電車~折り畳み自転車での農園往きは久しぶり。

 途中で渡った今川、冬の落ち着いたたたずまい。


 お昼前に到着、薪を作り、畑の野菜を取ってバーベキューの準備。
野菜は、ネギ、チンゲン菜、ニンジン、我が家から持ってきたサツマイモ。

 特に急ぎの仕事もないので、のんびり日向ぼっこしながらの一人バーベキュー。(冒頭)

午後は、リヤカーを持ち出し、休耕田に。
刈りっぱなしの刈草を農道近くまで運んで積み上げておく。
 帰りに、畑に敷く、刈草をリヤカーに。

運んだ刈草は、空いた畑の畝に積んでおく。

 時間のある時、玉ねぎの畝に、マルチング代わりに敷く予定。
病気を防ぎ、最後は土に還って肥料になる。

 炭の残り火で焼いていたサツマイモ、戻ってみると、いい具合に焼けていました。

持ち帰って、明日の朝、サツマイモ飯で食べることに。

 一昨日は冬至。
日の暮れるのが早く、早めに豊津駅まで自転車を走らせる。
いい運動になりました。
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ツクネ芋 最後の一株を収穫(2022/12/25)

2022-12-25 22:03:31 | Weblog
トロロにしても、お好み焼きに混ぜても、粘り気があり、美味しいツクネ芋、今日、最後の一株を掘り上げました。

 妻と、午後から農園に。
ツクネ芋は寒さに弱く、特に上部の葉や茎が寒さに枯れると、下の芋も、寒さにやられて、ドロドロに溶けて、捨てるしかなくなる。
 この数日の寒波で、葉も茎も枯れただろうと、最後の一株を掘り出しに。
農園に久しぶりに到着、つくね芋の支柱を見ると、葉も茎も茶色に枯れている。(冒頭)
 大半は、既に掘り上げ、茎を鎌で切り取ったので、枯れて当たり前。
 しかし、屋敷に一番近い株はまだ掘ってなく、数日前までは、緑。
その株の葉が枯れ、よく見ると、茎はまだ緑を保持。
 茎まで、枯れると、下の芋も溶けてしまう。
 今日がラストチャンスと、専用の鍬で掘り上げると、立派なつくね芋が4本。
特に二本は、大きい。
 ちょうど妻の卓球友達のYさんがやってきたので、仲良く折半。
 我が家には、大きい芋一本を持ち帰る。

 妻は、発芽して、少しずつ大きくなっているグリーンピースとスナップエンドウの畝の草取りと、発芽しなかった個所に、追加で種まき。

 この時期、種を蒔いても発芽しないだろうと思うも、ダメもとでトライ。

 ネギの在庫がなくなったので、ネギも収穫。


 持ち帰ったつくね芋、よく洗って皮を剥き、おろし金で擦り下ろす。

半分は今晩のトロロ、食べきれない残り半分は冷凍して、保管。

 久しぶりの青空で、気持ちのいい一日でした。
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冷蔵庫 ジイは炬燵 孫公園(2022/12/24)

2022-12-24 16:11:18 | 笑える話
昨日、雪の残る寒い一日、炬燵でテレビを決め込んでいると、大阪に住む娘からラインの便り。

「堺市現在3°C。
4キロ離れた公園に
鬼ごっこに行く本日
終業式の中学生。
青春と書いてアホと
読む」

 孫は早中学一年生。
笑えました。
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チャーチルの「第二次世界大戦」とプーチンの戦争(2022/12/23)

2022-12-23 14:18:41 | 田舎で読んだ本
わが家のコロナ感染、一段落し、熱も出なかった私と妻は、一昨日から外出、熱の出てコロナの診断の出ていた次男も、自宅療養期間を終え、今日から仕事再開。
 
 外は冷蔵庫状態で、今日は私も妻も炬燵の人。
本棚から文庫本を探し出しました。
最近のウクライナでの戦争の報道に、よく似た話と気になっていた、イギリスの第二次世界大戦を指導したチャーチルの「第二次世界大戦」(チャーチルはこの著述でノーベル文学賞を得ている)。

 この本で、ドイツの独裁者のヒトラーのヨーロッパ征服の意図と実行振りが詳しく書かれている。まずオーストリアに住んでいるドイツ系の住民の要望でと、一気に攻め込み、躊躇するフランス・イギリスをしり目に、併合。
 これで最後だからと、次にチェコのドイツと接する州を併合しようと武力圧力を加え、これにイギリスが、本当に最後ねと、チェコに武力放棄を強いて、一部併合を認める条約(ミュンヘン条約)を結び、そのすぐ後に、チェコ全域を占領して、イギリス・フランスを唖然とさせた。
 次に突然ポーランドに攻め込み、イギリス・フランスが宣戦布告で、第二次世界大戦。
ここまでは、ドイツの軍部も驚くヒトラーの独壇場で、フランスも降伏の憂き目。
 ロシアのプーチンも、オーストリア・チェコの併合と同じにウクライナを攻め落とせると戦争を起こしたのだが、結果は、手ごわいウクライナの抵抗と準備に既に10カ月、目的を達成できていない。
 今は、ウクライナの電力設備、病院等のインフラをミサイル、ドローンで攻撃に戦力を振り向けている。寒い冬に、ウクライナ国民が戦意を喪失するかもとのプーチンの期待。
 これもヒトラーのイギリスとの決戦に、当初、制空権を握り、イギリスにドーバー海峡を渡って攻め込むという戦略で、ドーバー海峡沿いのいくつものイギリス空軍基地を爆撃し成功しかけていたのだが、ベルリンをイギリス空軍に爆撃された報復に、ロンドン市の空爆に戦力を振り替えたという過程によく似ている。
 今回のウクライナの戦争では、クリミヤ大橋をウクライナに爆破された報復に、ウクライナの電力設備・病院等をミサイル攻撃したもの。
 ヒトラーのロンドン爆撃はどうなったかというと、10万近くの犠牲者は出たが、空軍基地は持ち直し、結果的に、ドイツ空軍を追い払い、イギリス征服を諦めさせた、ドイツの戦略の失敗といわれている。(映画の「空軍大戦略」にこの間の事情が描かれている)
プーチンは、ヒトラーの成功した、オーストリア、チェコ征服を模倣したが、失敗。ヒトラーの失敗したロンドン爆撃を模倣して、ウクライナの国民の戦意喪失を計っている。今のところ、寒さにウクライナ国民は難渋しているが、意気阻喪したようには見えず、これもヒトラー同様に失敗するように思われる。
 ウクライナ軍は、前線の補給ルートや、武器貯蔵庫、指揮系統を維持でき、反対に、アメリカから提供された、ハイマースの精密ロケット攻撃で、ロシアの補給路、指揮系統を破壊しつつある。
 時間はかかるだろうが、第二次世界大戦末期のヒトラーの最後に似た結末をプーチンと取りまきは経験するようになるのだろう。
 それにしても、チャーチルの「第二次世界大戦」で詳細に綴られた報告を読めば、ロシアは今回の戦争はしなかった。なまじ、第二次世界大戦で勝ったため、おごりから、脇が甘くなっていた。敗戦国日本では、敗戦の4年後の昭和24年、チャーチルのこの本が出た1年後には、毎日新聞社が膨大な24巻を全訳出版、広く知れ渡っている。私が読んだのは、その縮刷版全4巻で河出書房から、昭和58年に出ている。

 ちなみに、イギリスがドイツ空軍と死闘を演じていて、イギリス空軍基地が全滅しかかった時、ドイツ空軍の矛先がロンドン市に移りイギリス空軍が一息ついたころの描写↓。

第二次世界大戦(チャーチル、河出文庫2巻 より)
「事実、8月24日から9月6日にかけての戦闘では、形勢は我が戦闘機隊にとって不利だった。この重大な時期に、ドイツ軍はイングランドの南部と南東部の飛行場に、連続強力な攻撃を加えた。彼らの目的は、彼らが攻撃を焦る首都の、昼間防空施設を破砕することにあった。われわれにとってそれよりはるかに重大なことは、ロンドンを恐怖爆撃から守ることよりも、これらの飛行場とそこから作戦行動に戦闘機隊の機能と連絡であった。それは英独両空軍の生死を賭した死闘の決定的な場面であった。われわれはロンドンやその他の場所を守るという観点からこの作戦を考えず、どちらが空で勝つかということからだけを考えていた。スタンモアーの戦闘機部隊総司令部、特にアックスブリッジの第十一戦闘大隊本部には、大きな不安があった。この大隊の前線飛行場5か所と、6つの小地区基地は大損害を受けた。ロンドン南方のビッギン・ヒル地区の基地は大損害を受けたので、一週間にただ戦闘機一個中隊しか行動を起こすことが出来なかった。もし敵が隣接地区に猛攻を繰り返して、作戦室や電話連絡を破壊すれば、戦闘機大隊本部の複雑な組織全体が崩壊したかもしれない。そうなれば単にロンドンが惨憺たる目に会うばかりではなく、決定的地域におけるわが上空の完全な支配が失われることなったであろう。・・・・・・・・・・・・・・このため、ドイツ軍の攻撃が9月7日にロンドンに向けられたのを知り、敵は計画を変更したという結論に達したとき、わが戦闘機部隊司令部はホットした気持ちになったのだった。ゲーリングはあくまで、飛行場の攻撃を続けるべきであった。とういのは、イギリス空軍の全戦闘力がこの場合、その組織と連絡に依存していたのだ。しかし、彼はこれまで認められていた人道の命に背いたのはもちろんのこと、従来からの戦争の原理に背いて、愚かな過ちを犯したのである。
 この同じ期間(8月24日~9月6日)わが戦闘機部隊の戦力は、全体として相当に減退していた。2週間のうちに操縦士103名が戦死し、128名が重傷を負い、466機のスピットファイアーとハリケーンが破壊されるか甚大な被害を受けた。約千名の全操縦士のうち、ほとんど四分の一が失われたのである。その補充は元気こそ旺盛だが、260名の新しい操縦士によって、やっと埋めることが出来たが、それは訓練中の隊から引き抜いた未経験の操縦士であり、多数の者はまだ全課程を終えていなかった。9月7日から10日間にわたるロンドンへの夜間空襲は、波止場や鉄道の中心部に対して行われ、多数の市民を殺傷したが、これは我々にとっては、もっとも必要とした息抜きの期間となった。
・・・・・・・・・・・・・・
 8月末に至って敵はロンドンに散発的に来襲したが、これに対してわれわれはベルリンに対して報復的攻撃を加えた。しかしこの距離がかなり長かったため、イギリスに近いフランスやベルギーの基地からロンドンを攻撃するのに比べれば、それは甚だ小規模たらざるを得なかった。戦争内閣としては、反撃を加えたい気持ち、大きく賭けたい気持ち、敵に挑みたい気持ちで一杯だった。わたしも全くそのとおりの気持ちだった。そしてヒトラーの心を動かし不安を感じさせるためには、彼にイギリス人の激怒と意志の力を悟らせることが一番だと私は信じた。ヒトラーは心の底では我々に敬意を抱いていたのである。もちろん彼はわれわれのベルリン攻撃を大いに利用して、ロンドンと他のイギリス諸都市を混乱と荒廃に陥れるという、かねてのドイツの計画を公式に声明した。「もし彼らが我が都市を攻撃するなら」と彼は9月4日に宣言した。「我々は、彼らの都市を抹殺するのみである」。彼はこのために最善をつくした。」

 ドイツのイギリスの空軍基地攻撃から、ロンドン攻撃に方向転換した、きっかけが、イギリス空軍によるベルリン爆撃だったとの、最後の記述は、映画の「空軍大戦略」にも詳細に描かれている。
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畑のガマガエル(2022/12/20)

2022-12-20 21:39:39 | 農園の生き物
今日一杯、私と妻は、コロナのため、基本的に自宅待機。
明日から、晴れて自由の身。
私も妻も熱もなく、咳もない。
運悪く、私にうつされ、発熱して検査の結果コロナの診断の出た次男も、昨日から熱も引き、普通の生活が出来るようになった。
次男は、金曜日から出勤ok。
冷蔵庫の野菜が残り少なくなったので、午後から妻と車で竹田農園に出かけました。

私は芋類の収穫。
芋ほり専用の鍬で、里芋を掘ろうと、被せている刈草を除けると、大きなガマガエル。(冒頭)
寒いので、分厚い刈草の下に冬眠中らしい。
畑のヨトウムシやらスズメガを多分、年中食ってくれるいいやつ。
大事に掴んで、既に収穫が終わり、来年4月頃迄、使わない畝に移しておく。
上にはたっぷりの刈草。

 里芋

 ヤーコン



 つくね芋。

ツクネ芋は、残すところ一本で、霜にやられないように、分厚く刈草を被せている。
来週前半に収穫見込み。

 妻は、大根、チンゲン菜、カブ、ネギを収穫。

 妻はその後、玉ねぎの畝に刈草を敷いて、今日はこれで作業お終い。

 我が家に帰宅、つくね芋は皮を剥いて、大根おろしで、擦って、トロロに。
食べきれない分は、袋に入れて、冷凍庫に。
 つくね芋の処理は、エソを捌いて、出刃包丁ですり身にするのと同じくらい手間暇がかかる。
 冷凍したつくね芋の擦ったのは、後日、お好み焼きに使うはず。

 コロナ騒ぎで、自宅軟禁が続いたが、一週間ぶりの畑で、体も心もリフレッシュの一日でした。

 
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わが家はコロナで冬ごもり(2022/12/17)

2022-12-17 16:26:19 | 新型コロナウイルスの頃
3日前の水曜日、喉がイガイガ、咳も出て40年以上前からお世話になっている行橋市内の個人病院を受診。
 妻も時々咳、熱なし。
 熱もないので、通常の風邪薬を処方してもらって、その後、引き続き熱も出ず、咳も収まった。
今度は同居の次男、木曜日に喉が痛いと会社を早退、熱もあったが、発症して間がないので、PCR検査をしても正確な結果が出ない、薬は、コロナ予防接種の副作用の緩和によく効くと妻から聞いていた「カロナール」を5日分貰ってくる。
 今日、気になると次男は妻の車で、再度病院に。
 PCR検査の結果、コロナ陽性。
 治療は引き続き、カロナール服用、症状が収まっても、来週木曜日まで自宅療養することと指示。
 結果、私と妻は濃厚接触者扱いで、会食、会合、公共交通機関の利用等は来週火曜日まで避けるようにとの指示。

 多分、我が家で一番最初に喉のイガイガのあった私から、妻も次男も感染したのに、発熱してPCR検査した次男がコロナ認定で、貧乏くじを引いた格好。
 悪い悪いと、38度前後の熱で、布団の中の次男に、飲み水やらミカンを運んで罪滅ぼし。
 次男は、発熱3日目の今日は食欲も徐々に回復、大事には至らない感じ。

分ったこと
①我が家では、感染者推定3名が、感染者1濃厚接触者2でカウント。
日々の都道府県の感染者数も、実際の1/3程度の数だろうと思ったことでした。
 ②私も妻も、オミクロン対応ワクチンを先月接種済み。
それで、発症するも、発熱しない軽症で収まった。
 次男は、副作用が大きかったので、ワクチンは3回打ったが、オミクロン対応は、無視。
 それが発熱につながったのだろう。
 オミクロン対応ワクチン、打たなくて正解だったと思うか、いつか次男に聞いてみるつもり。
 ③3日前に行った時は5台、今日は10台、病院の屋外の駐車場で診察待ちの発熱・風症状の患者の車が待機。今は、どこの町の内科・小児科の病院も押し寄せるコロナ?風邪?を心配する患者で手一杯の感じ。現在、コロナの防波堤になってくれているのは、町の病院と隣接する薬局。

 畑から持ち帰ったヤーコン、毎日、我が家の食卓に。(冒頭)
私は食べ始めて4日、徐々にお通じがよくなり、今朝は、快調そのもの。
 病院から貰ってきた薬と、ヤーコンがお互いの効果を高めあって、コロナに強い体力をつけてくれている感じ。

 今日から3日間、冷蔵庫状態の冷え込みらしい。
炬燵とテレビの人。
 年賀状も作ろう。
 
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