田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

南三陸町のメルマガ(2011/9/27)

2011-09-27 23:34:03 | Weblog
南三陸町の観光協会の楽天出店のメルマガ届きました。

印象に残った箇所は
 日本各地、世界各地からいまも励ましのエール。ありがとうのメッセージ。


 漁師の皆さん、漁に出始めた方が徐々に増え、それまで好きな晩酌を断っていた漁師さんも、漁に出始めて晩酌を徐々に再開。南三陸町の漁獲額の半分を占める秋鮭の漁が始まり、刺し網(魚の胴体にほぼ近い網目で、泳いでいて、ヒレがひっかかり、捕まえる)の漁船が40隻出ている。例年は100隻。鮭40匹取れたが、ガレキが一トンの船もあったとのこと。仲買人の買値も例年の倍の値段。仲買人の心意気。




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農園でのんびり(2011/9/26)

2011-09-26 19:13:30 | Weblog
汐巻での釣りの疲れで昨晩は爆睡、遅い朝食を取り、今日はお昼前にJRで行橋駅まで行き、なじみのタクシーで竹田農園まで。
農園近くになり、ちょうど自転車でバス停まで向かう江藤正翁(元南海ホークスのエース、89歳)とばったり。
行橋まで買い物に行くとのこと。
お元気そう。

(昼食)
お昼は農園の林でバーベキューを一人で。
ポカポカ陽気でビールもおいしい。(冒頭の写真)

(栗まだ落下せず)
放置された栗畑、竹藪になり、まだ生き残った栗の木4本から大量の栗が毎年秋に落下、すべてイノシシのものに。
これをせめて1割を横取りしようと竹藪にネットを張り、ここに落ちた栗をいただくという算段。
そろそろ落ちているかと見に行くも、まだ栗の姿なし。
昨年も10/4にたくさん取ったので、あと一週間か。
この栗の木、真竹と背比べして勝った栗の木でとても高い。
見上げても栗の木の丈が高すぎてイガがあるか否かよく見えない。
もしかして今年は栗できないのかもとの不安も。

(ネギ植え付け)
この時期、ネギの苗の植え付け。畑の空いた畝を耕し、今日もネギを植え付ける。
食べると血行がよくなり、体も温まり、たくさん作って惜しみなく食べる予定。
ネギは、イノシシもタヌキも召し上がらないので、防御柵の外でも栽培。
下は、ネギの畝つくり中。

帰りは妻の迎えの車で。

 今度の日曜、コーラル丸で釣りの予定。キスは釣れないそうで、アジ、べラ狙いか。

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汐巻で楽しい釣り(2011/9/25)

2011-09-26 00:27:12 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
第四日曜日は、汐巻に船釣りに行ける日。
木工職人のSG氏のグループで月2回の釣行をこの40年続けているが、欠員補充で、お声がかかるようになったもの。

(命の洗濯)
波静か、快晴、暑くもなく寒くもない釣り日和。(出港してから日の出をパチリ、冒頭の写真)
70メートルの海底から上がってくるアラカブ、鯛などを釣りながら、ビールや腹ごしらえ。
ポイント移動の際は、今日の釣り見通しやら、釣れた魚の調理の仕方などよもやま話。
 和気あいあいで命の洗濯といったところ。下の写真


(赤イサキ)
釣り終了の直前、私の仕掛けが根掛り。
諦めて、釣糸を船べりに引っかけて、ハリスを切ることに。
テンヤ(錘に釣り針が2個ついたもの)が海底の岩に引っかかっているようで、しばらく道糸を持つ手に力を入れていると、外れたのか、今までにない、強い魚の引き。
大鯛かもと工務店のS氏にタモいるかもと話しながらゆっくり糸をたぐる。
上がってきたのは、イサキに似た大きな魚。
船長がいうには、赤イサキとのこと。
最後の最後にハラハラドキドキで気分は最高。下の写真


 持ち帰った魚は、さばいて冷凍庫に。赤イサキは、イトヨリで成功したムニエルで後日いただくことに。
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今年最後の草刈りスタート(2011/9/23)

2011-09-23 20:15:08 | Weblog
秋分の日、お天気も良くピクニック気分で妻と竹田農園でした。

(今年最後の草刈り開始)
農園のイチジク畑(休耕田)ススキが生えてきて、側の道路の見通しが悪くなりそろそろ草刈り時期。
この稲刈り時期の草刈りを終えれば今年の草刈りは終了。
農園の空き地に草刈り機を持ち出し、プラグの掃除。
先日、飲み仲間のT氏とビールを飲みながら話していて、私が使っている草刈り機、なかなか起動しない、50回は起動のロープを引っ張っている、分解修理を業者にやってもらう必要があるかと聞くと、T氏、草刈り機のプラグを外して、歯ブラシでプラグについたススを除けば、大丈夫と。
草刈り機のプラグをどう外すのか頭をひねっていると、刃を締める専用レンチのもう一方にもレンチがついていたのを思い出し、試にやってみると、ピッタリ。
教えてもらった通り、プラグを歯ブラシでゴシゴシ。
イチジク畑に一輪車に草刈り機を乗せて到着、半信半疑で起動させると、3回、起動ロープを引っ張るとエンジン始動。
やったね、いいこと教えてもらったといったところ。(冒頭は、草刈り前)
 昼食をはさんで、100坪ほど刈ったところで、時間切れ。畑の堆肥用に草を集めて、パチリ。
(下の写真)


(お昼)
今日は妻も昼食まで残り、畑の草取り。昼食は林でバーベキュー。
お隣に住む江藤正翁(元南海ホークスのエース、89歳)も加わりそよ風が心地よい。(下の写真)


(イノシシの暴れた後)
サツマイモを芋が育つ都度畑に乱入、跡形も無く食い尽くした畑、7月末に食われた後は、インゲン豆と枝豆、先週やられた後は、ネギと次々、種まき、苗植え付け。
昨年イチジク畑で刈り取った草が、一年たちいい堆肥になっており、ホクホクの畑。
先週イノシシがサツマイモを二度目に食い荒らしたとき、まだ芋がはいっていない、私もこれはダメだろうと放置していたサツマイモ、イノシシもこれは食えんと手を付けず。
今年の秋は気温が高いそうで、もしかしてサツマイモが取れるかも。
10株程ある。

上の写真、手前はサツマイモ、その向こうがインゲンと枝豆、その横が今日植えたネギ。

 今度の日曜、名高い漁場の汐巻に釣り。波は静からしい。潮も中潮で大漁かも。

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今日はイノシシの勝ち(2011/9/21)

2011-09-21 23:37:45 | Weblog
竹田農園に畑仕事の一日でした。

(イノシシ軍団高笑い)
農園に着き、私が荷物を車から降ろしていると、妻が、イノシシがはいったらしい、里芋食べられたと。
あれだけ柵を強化したのにまさかと、畑に入ると、里芋と、イノシシに食われて植えなおしたサツマイモ、見事に食われている。
サトイモは半分、サツマイモは大半がイノシシ軍団の胃袋行き。
植えなおしたサツマイモにリヤカーで真夏の炎天下、水を運んだ苦労も水の泡。
イノシシの高笑いが聞こえるような。
食い荒らされたサトイモをパチリ。


(イノシシの縄張りの栗畑、今日は成果なし)
 イノシシの食うに任せていた栗畑に先日張ったネット、台風の風でイガが落ちているのではと見に行く。
腰にはイノシシ避けの鈴とトランジスタラジオ。

ネットの上には、小さなイガが一個で(冒頭の写真)、肩透かし。
後10日程で、栗ゲットか。
しかし、人間様の領分の農園の林の小さい栗の木には立派な栗の実で焼いて食べる。下の写真。


(柵の補強)
どこからイノシシめ入ったのかとチェック。
ネットを張っている生垣の角、低くなりネットにも穴。
もともと槇の木の生垣だったが、ツタが覆い、生垣の木が貧弱になった部分を狙われた。
イノシシが体重をかけたら、生垣がへしゃげ、その上を飛び越えたらしい。
農園の空き地に転がっていた、木製パレットと竹、それに壊れた石油ストーブの火傷防止のガードを使って、自信の補強。
いつも自信を持って作った柵が簡単に突破されるのだが、今回もこりずに自信作。
自信の柵の前でパチリ。

これで入れないだろう。多分。

(昼食)
お昼はお隣に住む江藤正翁(元南海ホークスのエース、89歳)と。
涼しくなり、体調も食欲も回復した感じ。下の写真。

イノシシに芋を食われたと話すと、そうか、私はイノシシを見ないがと怪訝な様子。
イノシシは夜行性。

(カボチャになた豆)
芋はイノシシに献上したものの、健康野菜のなた豆(ストレス発散、歯槽膿漏改善、血糖値改善効果)は豊作(下の写真)、カボチャも柵に這わせたのが功を奏し、イノシシから取られず人間様の手に(下の写真)。
なた豆

カボチャ


 今度の日曜、汐巻に釣り。波静かでありますように。
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四国今治へ(2011/9/18)

2011-09-20 19:49:02 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
この連休、二泊三日で、四国今治から広島県の鞆の浦に妻と遊びました。
今治は父母の墓参り、鞆の浦は観光。
新尾道まで新幹線のこだま格安切符、そのあとレンタカーでうろうろ。

(近見山 ちかみやま)
 今治に着き、旧知のYご夫妻と、今治をドライブ、そのあと焼き鳥をご馳走になる。
最初に行ったのが、今治市の西にそびえる近見山。
この山は、頂上からの来島海峡の眺めがすばらしく、幼稚園の時祖父に山登りにつれて行ってもらって以来、中学生まで、ため池で釣り、筏遊びなどしながら何百回と登った山。
 山頂近くまで車で登り、懐かしい来島海峡の眺めを楽しむ。冒頭はY氏とパチリ。

(登泉堂の和菓子 とうせんどう)
食事も終わり、Y夫人の運転の車で投宿しているホテルに向かっていると、この通りに登泉堂という名前の和菓子屋さんがあり、選挙に縁起がいい名前と説明してくれる。
飲み仲間に今度、町会議員に立候補するM氏がおり、縁起物に買って帰ることに。
翌日、買った羊羹が下の写真。

店の方に、選挙があると、よく売れるでしょうと言うと、怪訝な顔。
しばらく考えて、なるほど、初めて気が付いた、今度選挙があったら、その乗りで売ってみようと。
登泉堂は苗字ではなく、屋号とのこと。

(ビオトープ)
翌日、墓参りのあと、一回り上の74歳の叔父が昨年から夏の昼寝の小屋にと、作っている茅葺小屋を見に行く。
もう少しという感じで、あいにく叔父は、鹿児島旅行中で会えず。
 元々叔父がやっていた軍手工場の移転跡地に地下水をくみ上げながら、ビオトープを作っており、その一角に建設中。
下の写真。 

来年夏には、叔父もここで昼寝ができそう。

(平山郁夫美術館)
今回は、島伝いに走る「しまなみハイウェー」を車でドライブ。
鞆の浦に向かう途中、生口島にある平山郁夫美術館に立ち寄る。
ここが平山郁夫の故郷で、見飽きない絵がたくさん展示されており、たくさんの観覧の客。
これで3回目だが、いつもいいものを見せてもらったと命の洗濯といったところ。
美術館の前で、通りかかったスタッフの男性にお願いしてパチリ。

妻が言うには、あの男性、平山郁夫によく似ている。
もしかしたら、ご親族の方かもと話しながら、車は鞆の浦に。

(保命酒 ほうめいしゅ)
鞆の浦は、江戸時代瀬戸内海運の中継地で朝鮮使節もここに滞在、関係の建物も保存されている。
また、保命酒という薬草入りの酒が江戸時代から醸造、販売されており、酒造家の豪壮な邸宅と蔵も保存され、見学できる。
今も4軒の保命酒の醸造所があり、市内の販売店で買うことが出来る。
その一軒の店頭でパチリ。

江戸時代に作られた看板で、龍の彫り物が見事。
左甚五郎の弟子が彫ったとのこと。

(尾道)
旅も最後になり、尾道で昼食。
 新幹線が通るまでは、ここ尾道と今治を結ぶ連絡船を今治から東京に行くにはいつも使っていて、懐かしい。
新幹線が通じるとお隣の三原の方が海に近い駅で、三原~今治フェリーが便利になり、尾道に来たのは40年振り。
スマートな海辺の町に発展していました。
尾道市と向島の間の海峡をパチリ。


台風15号接近のため時折雨も降るも、旅行には支障なく、20日の夕刻には我が家に。

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南三陸町のメルマガ(2011/9/15)

2011-09-15 22:25:38 | Weblog
 南三陸町の観光協会の楽天出店のメルマガが届きました。

 写真の無断掲載は著作権の関係でやや問題ですが、見るのは釣りバカ中心の小人数ですので、お許しのほど。
釣りバカの皆様、漁師さんにまつわる商品も増えているようで、縁起かつぎにこの出店で買われてはいかが。魚が寄ってくるかも。

要旨は、

冒頭の写真、左側に10軒の集落があったそうですが、今はこのように。中の川、鮭が遡上するそうです。今年も遡上があることを皆さん期待している。南三陸町の漁協の水揚げの半分は鮭で、銀鮭養殖の発祥の地が南三陸町。

8月はボランティアの皆さんの参加が驚くほど多かったそうで、メルマガの記者が25キロの海岸沿いの道を車で走ったとき、ためしに数えてみると、パワーシャベル(ユンボ)が58台動いていたとのこと。
散髪屋、板金屋と店も次々オープンで看板は手作りとのこと。下の写真。





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イノシシ軍団の栗畑に突入(2011/9/12)

2011-09-12 21:11:28 | Weblog
 秋野菜の種まき、先週やり残した、カブ、チンゲン菜の種を蒔きに竹田農園に出かけました。
知り合いの方の紹介で来たT青年も同行。
T青年、農業に就くことが夢で、どんなものか体験したいとのこと。
真面目な方でした。

(栗キャッチ網の設置)
T青年と、旧栗畑今は真竹の山にはいる。
腰には、イノシシ避けのチリンチリン、念のため、胸ポケットにはトランジスタラジオでトーク番組をかけっぱなしでイノシシ来るなよ。
あと10日もすれば、栗が実って落下し始めるはず。
これをこの25年、イノシシ軍団の食糧基地になるに任せていたが、昨年から、ネットを張り、そこに落ちた栗は頂くという算段。
昨年はザル半分ほどで何度も栗ごはんに。
農園の畑の芋を毎年食い荒らすイノシシ軍団への仕返しと栗食いたいが半々。
T青年の加勢のおかげで、昨年よりよほどしっかりとネットを張れる。(冒頭の写真)

(お昼はバーベキュー)
お昼は、お隣に住む江藤正翁(元南海ホークスのエース、89歳)も加わり3人でバーベキュー。
下の写真。

戦時中の満州での苦労話や、年金を得るため25年のサラリーマン生活が必要だったが、2年足らず、困ったと思ったが、兵役の3年が加算され助かった等の話をT青年に。
随分と参考になった様子。

(栗初収穫)
農園の林には、若い栗の木があり、根元に2個のイガ。
火箸でこじ開けると、大きな立派な栗。
これをバーベキューの残り火で焼く。

小一時間でこんがり焼けて、美味しい初栗でした。
イノシシ軍団から取り戻す栗が今から楽しみ。

秋野菜、一通り種まきが出来、10月からの収穫が楽しみ。

 来週は、四国今治に両親の墓参りで釣りは無し。
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赤やがら 運よく汐巻の釣り実行(2011/9/11)

2011-09-11 22:30:30 | 海の珍妙生物
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日まで天気予報は台風崩れの低気圧で波高し。
今日予定の汐巻での釣り、中止だろうと思っていたが、予想される波の高さ、2.5m→2.0、しかも風は南東の風で、汐巻では、岸からの風で波の高さには影響少ない。
船長も、釣りokの判断で、今日は朝早くから汐巻での釣りでした。
木工職人のSG氏、郷土史家のT氏、作業服屋のH氏ら5人の釣り人。
汐巻の釣りに来れてそれだけで今日は幸せといった感じ。
冒頭は、明け方の油谷湾。

(大漁)
 大潮で潮の流れが速く、底どりに苦労したが、魚の食欲は旺盛で35センチの真鯛(下の写真)、カナトフグ、大型のアラカブ等、コンスタントに海の底から釣り上げる。

 昨年の10月に釣ったことのある、アカヤガラという珍魚もつれ、楽しい釣り。
下の写真、アカヤガラ

アカヤガラが上がると、これは京都では高級魚、刺身でもおすましの実でもいけると、ベテラン氏。
長年釣りをしているが、こんな大きなアカヤガラは初めてとも。
褒められると気分も乗ってきて、釣りをしながらのビールもひときわ美味しい。

(繭の指サック)
南三陸町観光協会のの楽天出店で購入した繭、なんに使ったものかと思案した挙句、手釣りでの指サックで使ってみる。
2週間前、試してみたが、使いづらかったので繭玉を縦に割って、ゴムひもで繋ぐという改良品を持っていく。
使ってみると、
十分指サックの役割を果たす。(下の写真)

帰宅して感じたのだが、この繭サック、指の関節痛にも効果があったような。
私は数年前から手の指の第二関節が右手も左手も数年前から動かすと軽い痛みがあり、年月がたっても良くも悪くもならず、釣りにも畑仕事にも支障ないので放置。
繭の指サックをしていた右手の関節の痛みが軽くなっている。
ネットで見ると、繭には消炎効果があるそうで、その影響か。
これからも試してみる予定。
指サックの釣果への影響は、魚の当たりは取りやすい感じで、繭の指サック、気に入った。
丈夫で、今日使った繭の指サック、次回も使えそう。

(カルパッチョ)
持ち帰った鯛と馬面ハギを妻が刺身にし、カルパッチョに。
次男もこれはイケると。下の写真。

残りの魚は、内臓を取り、冷凍庫に。
カナトフグのから揚げ、
アカヤガラのお吸い物、ハトポッポ(イラ)のブロックのフライ等、これからの食卓を賑わせてくれる見込み。
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S君、O君 フランクルの時代精神の病理学(2011/9/7)

2011-09-07 22:30:15 | 先生・友人
普段は、北九州市の若い方の就職支援の事務所に出かけて、若い方の話をフンフンと聞いていまして、いろいろと教えられます。先日は、フランクルの時代精神の病理学の話になり、私も20歳と少しの時、読んだことがある本。この本との思いでを30年近く前、つづった記事を寄稿した雑誌があったことを思い出し、本箱の隅から引っ張り出しました。同人雑誌の「燧(ひうち)」という雑誌で(冒頭の写真)、私の高校時代(愛媛県の今治西高校)の日本史の先生の竹本千万吉先生(もうお亡くなりになった。学識はへたな大学教授は足元にも及ばない。生徒や父兄の人望は抜群で、趣味釣りで、私の遊び仲間の冒険家のM先生によく似ている)が起こした、同人雑誌。内容は、次のとおり。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1983年 同人雑誌「燧(ひうち) 4号」に竹田が投稿したもの。

古い日記
 古い日記をめくってみた。21歳から22歳、10年以上も前の日記である。「F君とS君、特にS君の扱い方に苦心している。どうも東京っ子の学生は付き合いにくい。悪人ではないのだが(昭和45年9月)」。S君に反感をもちだしたのは、たまたま、その年の大阪万博に、グループで見物にいこうという約束を、S君だけが期末試験が迫っているとの理由で、直前に破ったという、ささいなことが原因であった。それ以来、S君とは顔をあわせても、口もきかない。他の友人にも、S君ボイコットに加わって欲しかったがうまくいかず、一人でカリカリしていた。
 「朝8時半から夕方5時まで、ぶっ続けの講義。少々疲れる。肉体的・精神的にまいった(昭和45年10月)」。精神的にまいったなどと書いたが、そんな生易しいものではなかった。目の前が真っ暗といった方がいい。大学での講義も、夕方になると、さすがにくたびれてきた。教室は学生で満員で、中央近くでノートをとっていたので、抜け出すことはちょっと無理。そんな時、ふっと異常に気がついた。急に大声で叫びたくなったのだ。叫ぶのではと心配したといったほうがいい。100人ちかくの学友が、驚いて、こちらを振り向くかもしれない。大声を出すなどという馬鹿なまねはするなと自制はするものの、額に汗が出る。残り30分はもう講義どころではなかった。これがノイローゼか、ゆくゆくは精神病で、僕もこれでおしまいか。目の前が真っ暗である。
 「西高時代の先輩のTさんがやってくる。一時間ほどダベる(昭和45年11月)」。Tさんとのダベリングで、Tさんの住んでいる寮にはノイローゼの学生はいるかと聞いてみた。いるいる、いっぱいいるとの事。目の前は暗い。頭が重くて集中しきれない。S君と対立、あわよくばS君をグループから追放してしまえと、力んで、その事ばかり考えていた神経の緊張が引き金になったのだろう。小生は、いつかは精神病で廃人かとの心配を抱え込んだまま、その後の3年ばかり暮らすはめに陥った。学生生活は、表面上はいままでどおり続けたし、S君とも気持ちの通い合う友人にいつの間にか戻ってはいたが。
 「O君から200円で買った『夜と霧』(フランクル)を読む。ナチの強制収用所で生死の境をさまよった、一心理学者の記録。特に、ユーモアが生活技術として重要であるから『私は彼に提案して、これからは少なくとも、一日に一つ愉快な話をみつけることをお互いの義務にしようではないかと言った』という収容所での心構えをつづった箇所に共鳴(昭和46年9月)」。O君とはたまたま寮で部屋がいっしょになった。当時、それほど親しかったわけでもなく、どちらかといえば、印象の薄い友人だった。そのO君が、竹田、この本は読んだから200円で買え、と差し出した本が「夜と霧」(フランクル・みすず書房)だった。気分的には乗り気でなかったが、まあ付き合いだからと、200円(定価600円)で買ったわけだ。読んでみると、一年来の重苦しい気分を和らげてくれる。希望ゼロのユダヤ人の強制収用所で過ごし奇跡的に生き延びたフランクルの体験に共鳴するものが、当時の私にあったのだろう。
 さっそく、フランクルの他の著書を買って読んでみた。それが「時代精神の病理学」(みすず書房)。フランクルの戦後行った、ラジオでの講演(神経症治療をねらったもの)集だと買ってみて知った。読むうちに目が釘付けに。「強迫神経症。劇場などで大声で叫んだり、ナイフで人を刺したり、今走ってくる電車に飛び込むのでとの脅迫観念に苦しむ。・・・しかし、ナイフで虫一匹殺せた患者はいない。彼を最も苦しめるのは、自分はこのまま精神病者となり廃人となるのではとの不安。・・・しかし健全者を含めて、もっとも精神病にかかりにくいのは、私(フランクル)は自信をもっていうが、この強迫神経症患者」との一節。まさしく私のことではないか。頭の中の重苦しいかさぶたが、ポロリと音をたてて落ちたような気がした。5月の青空とは言えないが、雨空に、一条の日の光が差し込んだとの観があった。
 気持ちが5月の青空になったのはこの2年後であったように思う。
 この3年間の重苦しい体験から二つのことを学んだ。
 一寸の虫にも五分の魂というが、五尺の人間はそれ以上である。まちがっても私がS君にしようとしたように、社会的に抹殺しようなどとはしないこと。いかに不愉快でも、態度に出さず、黙って時の経過を待つように耐えるのが一番。そうでないと私のように、えらい目にあう。これが一つ。
 フランクルの著作を読むきっかけは、竹田この本を200円で買えのO君の一言。O君は一見、どうということもない友人だったが、私の命の恩人ともいうべき人(本人はそんなことは今も知らない)。人の話は注意してよく聞くこと。どんな大知識をもらえるか分からないというのが二つ目。
 今日も10年前同様、日記を書いた。今日の日記を読み直してみる日がまたあるかもしれない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 いまから30年近く前に書いた文章だが懐かしい。
争ったS氏はその後、銀行員となり、高知に単身赴任した時、私とF氏に声をかけてくれて高知旅行。
S氏が休日のたまり場にしていた、イングリッシュガーテンハウス(左のブックマークにHP)に連れて行ってくれた。
イングリッシュガーデンでの減農薬ミカンの栽培の苦労話が今の竹田農園にいい味付けをしてくれている。

F氏は、官庁で過ごした後、エコノミストとして立命館大学の先生として今も活躍。
私がT社リストラを言い渡されてしょぼくれている時、京都・琵琶湖旅行を企画してくれて励ましてくれた。

 時代精神の病理学、アマゾンで検索すれば、中古(新品同様)品が送料込みで500円前後で4日で届く。
ラジオの講話を収録したもので、読みやすい。
読んで損はしませんぞ。

(フランクルの脅迫神経症の記述は「時代精神の病理学」みすす書房1961年版の134ページに。)
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