田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日の日曜日、コーラル丸で関門にアラカブ釣に出かけました。
(漁船の大群)
この日は小潮で、普段は潮どまりの1時間程度しか出来ない、アラカブを5時間は釣れそうということで、コーラル丸も普段は出向かない、関門橋の付近の瀬を目指して走る。
関門橋を越えたところで、海峡の3キロほどの長さの海域に、少なめに見て、50隻の漁船やクルーザー。
皆さんコーラル丸と同じアラカブ狙い。川端船長もこれではアラカブより釣り人の方が多いと苦笑い。
日が昇って間が無い早朝の海に仕掛けを投入。
程なく、ブルブルと重々しい引きと共に、大型交じりでアラカブが次々竿を曲げ、ビール片手にご機嫌の半日。
(高地トレーニング)
結局、アラカブ8匹、タコは狙うも空振りで総重量1キロ程の獲物をクーラーに入れて帰路に。
足取りが軽いのに驚く。先週、魚15キロ、ワカメ25キロを担いで小倉駅からヨタヨタ歩いたのを体がまだ覚えていたもの。
マラソンランナーが酸素の薄い高地でトレーニングして、平地でのタイムを延ばすのによく似ている。
(アラカブ差し入れ)
先週来の魚が冷凍庫にまだ沢山あるのを思い出し、帰り道にある、G氏のお宅に寄る。
16年前、我家が今の苅田の新居に引っ越した時の区長さんのお宅で、縁の下の力持ちの仕事を黙々とされていたのに感心して、それ以来、時々好物のアラカブを差し上げていたのを思い出し立ち寄る。
玄関に奥様が出てきて、立派なアラカブだと喜んでくれる。
私は、帰宅後そのまま、四国今治の特別養護老人ホームの母の見舞いに。妻からメールで、夕食後の時刻にG氏からほろ酔い気分の電話で、とても大きなアラカブで煮付けて美味しく食べている。
奥様も電話口に出て、しばらく体調が優れず食が進まなかったが、久しぶりの美味しく食事をしたとのこと。
これからも釣に励まなくてはと返事をすると、また釣りに行く口実が出来たと妻。
アラカブは白身の魚で、私も四国の実家で、ひどい食中りで絶食一日の後、母が、ベラを買ってきて、焼いて食べさせてくれたのを思い出す。白身で病後に良いのだと。
(江藤翁の友人の葉書)
3週間前、竹田農園隣に住む江藤翁と農園でバーベキューをした際、私が四国出身だと言うと、親友のK氏が徳島にいる、小学校の校長をしていて、今は会うこともかなわぬと話していたので、住所を聞いて、当日の写真を送ると、下のようなお礼の葉書。
85歳とのことだが、気持ちは青年と感心したり、羨ましいやら。
「昨日は、思いかけずのお方から、なつかしい江藤君の写真を贈っていただき驚きました。江藤君とどのような話が出たことかと!! 私と江藤君はお話しの中でお分かりかと思いますが、法政大学時代の旧友で、他の数名の旧友と年に1、2度の旅や会食を楽しんでものです。現在はほとんどの友人が逝くなり、会うことも無く、旅もなく淋しく思って居りました。江藤君とは年賀のやりとりで、元気だとは思って居りましたが、このように、写真で元気な姿が見れることなど、想像も出来ませんでした。ほんとうに有難うございました。江藤君には手紙をしたいと思いますが、今、生き残っているのは私と江藤君の2人くらいになってしまいました。江藤君は大きい体でどんな人かと思う位ですが、体に似合わず心やさしい男でした。今つくづくと大学時代や戦後帰ってからの行き来を思い出しております。お宅の方々もお元気でお過ごしの程祈り申します。江藤君をよろしくお願い申します」
江藤翁、K氏、G氏、皆さん80歳を優に超え風格有り。かくなりたいと思った次第。
昨日の日曜日、コーラル丸で関門にアラカブ釣に出かけました。
(漁船の大群)
この日は小潮で、普段は潮どまりの1時間程度しか出来ない、アラカブを5時間は釣れそうということで、コーラル丸も普段は出向かない、関門橋の付近の瀬を目指して走る。
関門橋を越えたところで、海峡の3キロほどの長さの海域に、少なめに見て、50隻の漁船やクルーザー。
皆さんコーラル丸と同じアラカブ狙い。川端船長もこれではアラカブより釣り人の方が多いと苦笑い。
日が昇って間が無い早朝の海に仕掛けを投入。
程なく、ブルブルと重々しい引きと共に、大型交じりでアラカブが次々竿を曲げ、ビール片手にご機嫌の半日。
(高地トレーニング)
結局、アラカブ8匹、タコは狙うも空振りで総重量1キロ程の獲物をクーラーに入れて帰路に。
足取りが軽いのに驚く。先週、魚15キロ、ワカメ25キロを担いで小倉駅からヨタヨタ歩いたのを体がまだ覚えていたもの。
マラソンランナーが酸素の薄い高地でトレーニングして、平地でのタイムを延ばすのによく似ている。
(アラカブ差し入れ)
先週来の魚が冷凍庫にまだ沢山あるのを思い出し、帰り道にある、G氏のお宅に寄る。
16年前、我家が今の苅田の新居に引っ越した時の区長さんのお宅で、縁の下の力持ちの仕事を黙々とされていたのに感心して、それ以来、時々好物のアラカブを差し上げていたのを思い出し立ち寄る。
玄関に奥様が出てきて、立派なアラカブだと喜んでくれる。
私は、帰宅後そのまま、四国今治の特別養護老人ホームの母の見舞いに。妻からメールで、夕食後の時刻にG氏からほろ酔い気分の電話で、とても大きなアラカブで煮付けて美味しく食べている。
奥様も電話口に出て、しばらく体調が優れず食が進まなかったが、久しぶりの美味しく食事をしたとのこと。
これからも釣に励まなくてはと返事をすると、また釣りに行く口実が出来たと妻。
アラカブは白身の魚で、私も四国の実家で、ひどい食中りで絶食一日の後、母が、ベラを買ってきて、焼いて食べさせてくれたのを思い出す。白身で病後に良いのだと。
(江藤翁の友人の葉書)
3週間前、竹田農園隣に住む江藤翁と農園でバーベキューをした際、私が四国出身だと言うと、親友のK氏が徳島にいる、小学校の校長をしていて、今は会うこともかなわぬと話していたので、住所を聞いて、当日の写真を送ると、下のようなお礼の葉書。
85歳とのことだが、気持ちは青年と感心したり、羨ましいやら。
「昨日は、思いかけずのお方から、なつかしい江藤君の写真を贈っていただき驚きました。江藤君とどのような話が出たことかと!! 私と江藤君はお話しの中でお分かりかと思いますが、法政大学時代の旧友で、他の数名の旧友と年に1、2度の旅や会食を楽しんでものです。現在はほとんどの友人が逝くなり、会うことも無く、旅もなく淋しく思って居りました。江藤君とは年賀のやりとりで、元気だとは思って居りましたが、このように、写真で元気な姿が見れることなど、想像も出来ませんでした。ほんとうに有難うございました。江藤君には手紙をしたいと思いますが、今、生き残っているのは私と江藤君の2人くらいになってしまいました。江藤君は大きい体でどんな人かと思う位ですが、体に似合わず心やさしい男でした。今つくづくと大学時代や戦後帰ってからの行き来を思い出しております。お宅の方々もお元気でお過ごしの程祈り申します。江藤君をよろしくお願い申します」
江藤翁、K氏、G氏、皆さん80歳を優に超え風格有り。かくなりたいと思った次第。