田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

今日もイノシシ肉を食べる(2012/2/27)

2012-02-28 07:47:22 | Weblog
 田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日から咳の出ていた妻、今日病院に行くとインフルエンザ(A型)とのこと。
今日は一日安静で、私は次男の車に乗せてもらって竹田農園に遊びに。

(イノシシ肉)
昼食の食材を求めて、途中の野菜直売所の国府の郷に。
ここで、イノシシ肉のロースを購入。
竹田農園の山向こうの猟師さん達の食肉工場の提供で、とても美味しいし、農園を荒らすイノシシ駆除になる。
バーベキュー仲間の江藤正翁(元南海ホークスのエース、89歳)は今日は行橋に自転車・バスで買い物で私一人のバーベキュー。
ポカポカした早春の日差しで、体も温まる。
枯れ木のたき火も心地よい。(冒頭の写真)
一番のご馳走はイノシシ肉(下の写真)。


(イチジクの苗木)
2反ある休耕田、草刈りは集落の義務で(草が伸びると風通しが悪くなり、稲の生育に悪影響、またイノシシがはびこる)年3回は草刈り。
ただ刈るだけでは能がないと、イチジクの苗を植えてきた。
今年は2本購入し、畑に仮植え。

これを午後、一輪車で畑に運び、田んぼに土盛りし植え付ける。

これで合わせて15本程のイチジクの苗。
古いものは5、6年たつが、手入れをほとんどせず、収穫時も放置で今まで私の口に入ったのは昨年の一個のみ。
今年は3、4個は食べたいもの。

 次男の迎えの車で帰宅。妻は熱は下がったものの、私が食事の準備をする羽目に。
今日収穫したジャガイモ、ヤーコンをたっぷり、国府の郷の特製豆腐も全部放り込み、最後は自家製味噌を多めに溶いて味噌汁。
味噌の味がとても良く、ヤーコンの甘みも混じって美味しいと好評。
健康にもいいはず。
味噌汁パワーで妻のインフルエンザも私の帯状疱疹(痛み少しずつ軽く)蹴散らしてしまいたい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

味噌作りのお手伝い(2012/2/26)

2012-02-26 15:45:57 | 海の幸・山の幸楽しく加工
この時期、妻はいつも味噌作り。
結婚した最初の冬に味噌を作ると言い出して、やってみると見事な味。
以来、35年間ほぼ欠かさず味噌を仕込んでいる。
私は、当初は手伝っていたが、休みの日は釣りやら畑やらに出かけて、いつもサボり。
しかし今回は、帯状疱疹が痛く、釣りはパス、おまけに妻も風邪気味で、お手伝い。
米15キロを蒸して、行橋の薬屋で麹菌を買って、蒸した米を適温にして振り掛け。
これが2日前。
しっかり麹菌が繁殖して米麹の出来上がり(冒頭の写真)。
これに塩をマブシ、前日から煮込んだ大豆3キロを混ぜる。下。

3キロの大豆も煮ると、体積が3倍になるそうで大なべにいっぱいに。


餅つき機があり、これに味噌作り用の羽をつけて混ぜる。下

以前は手で、家族総出でやっていたが、重労働で、餅つき機の登場となったもの。
米、大豆合わせて18キロで、この20%の塩3.6キロが妻流であまりからくないが、おいしい味噌が出来る。
 多いので、8回に分けて餅つき機を動かし、混ぜた味噌の元はソフトボール大に丸め、これをプラスチックの樽に隙間なく詰める。

 これを北側廊下の押し入れに収納し、1年放置すると熟成の味噌が出来上がる。
 妻風邪、私帯状疱疹(大分痛みは取れてきたがまだチクチク)で二人ともノロノロと作業で、80歳の老夫婦の風情。
 味噌の仕込み終了で、午後は炬燵で一休み。

 来週こそ釣りに出たいもの。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然の癒し力(2012/2/20)

2012-02-20 19:24:39 | Weblog
気温も上がり快晴、昨日に続き竹田農園に遊びに行きました。
行きは次男の車、帰りは妻の車で送り迎え。

(イノシシの肩ロース肉)
みやこ町の野菜直売所、国府の郷に寄り、お昼のバーベキューの食材仕入れ。
ここにはイノシシの肉を売っている。
農園の山向こうの猟師の皆さんが仕留めたイノシシを上手に下処理したもの。
農園の芋を毎年食い尽くすイノシシもこの猟師さん達に何匹かは退治されているはず。
美味しいし、イノシシ駆除に協力も出来るので、今日はイノシシの肩ロースを仕入れ。(冒頭の写真)
この猟師さんのブログがあり(左のブックマーク)、拝見すると農園側から見る馬ヶ岳、御所ヶ谷の山が左右逆になっており、竹田農園の山向こうにお住まいや肉の加工場があると分かる。
下は農園側から見た、山並み。


(たき火の準備)
温かくなったとはいえ、たき火は必要。
今日は昨日より帯状疱疹の痛みが軽くなっているので、真竹の生えている山に。
ここに時々切り倒してきた雑木がたくさんある。
これを手ごろな長さに切って、ついでにカッポ酒用の竹も切り、山道に引っ張り出す。(下の写真)

腰にはイノシシ避けのチリンチリンと携帯ラジオ。
これを農園まで引きづって運ぶ。
丸太を持った左手に、地面と丸太が接触してゴトゴトと振動。
これがいいマッサージで帯状疱疹のチクチクの痛みが薄らぐ感じでこれは良い。
農園でたき火にちょうど良い長さに鋸で切り、今日一日の燃料確保(下の写真)。


(バーベキュー)
お隣の江藤正翁(元南内ホークスのエース、89歳)も加わり二人で宴会。
今日は暖かい、家に居るより外の方が暖かいと、江藤翁。(下の写真)

メインディッシュはイノシシ肩ロースでジューシーで実に美味しい。
上手に解体している。

(アスパラカスの移植)
気持ちのいい天気に、丸太マッサージ、イノシシ肉と自然のプレゼントたっぷりで、帯状疱疹の痛み随分と軽くなる。
昨日はやる気にならなかった、アスパラカスの移植という力仕事もやる気に。
5年程たち、そろそろ移植して再生時期のアスパラカスを掘り出す(下の写真)。

これを枯草・牛糞をたっぷり鋤き込んだ新しい畝に移植して今日の仕事は終了。

 いい一日でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

凍える寒さの農園でたき火(2012/2/19)

2012-02-19 20:59:34 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
2週間程前から帯状疱疹で、早めに医者に行き、軽い方と言われているもののまだピリピリと痛みが左胸と腕に。
今は抗生物質の投与は終わりビタミンB12と塗り薬でしのいでいる。
痛みは少しずつ引いてくるようだが、チクチクでまだ夜中に目が覚めて、道遠しといった所。
 気分転換に竹田農園に遊びに行ってきました。妻が送り迎え。

(たき火)
この冬は寒波が次々やってきて今日も最高気温は摂氏4度で晴れたり雪が降ったり。
帯状疱疹は患部が冷えると痛みが強く、温めると痛みが和らぐ。
まずたき火の準備。
林のあちこちに転がっている枯れ木を集めて手ごろな長さに鋸で引く。
妻が点火してチロチロと柔らかい炎。
体がジンワリと暖まってくる。
我が家で石油ストーブに炬燵より体がポカポカするかんじ。(たき火は冒頭の写真)

(バーベキュー)
大事を取ってこの2週間ビールは飲まなかったが、今日から自主解禁。
農園のお隣に住む江藤正翁(元南海ホークスのエース、89歳)も加わりバーベキュー。下の写真。


江藤翁と雑談。
〇若いのに帯状疱疹とは困ったもんだ。気をつけなさいよ。(62歳の私も若いと言われると
その気になりました)
〇最近は寒いねー。しかし兵隊に行ったおかげで寒さはあまり苦にならない。満州の兵学校で学徒出陣の後教育を受けたが、冬は外は氷点下30度の毎日で、朝気温を示す旗が氷点下20度の時は、「今日は温かいぞ」と言ったもの。洗濯も外で手で洗うので冷たかった。

  江藤翁は今日も素足にサンダル。足の皮膚はピンク色で健康そのもの。
私は半病人で体力差をひと際感じたバーベキューでした。

(春ジャガ準備)
3月に入ると、春ジャガの種イモの植え付けのシーズン。
なた豆の後の不要になった竹の支柱を取り除き、後に、休耕田から運び込んでいた枯草を敷き詰める。
雑草が伸びるのを防ぎ、土もミミズその他で耕され、植え付けの作業が楽になる見込み。
土も健康に。

本来なら明日は関門にメバル狙いの釣りでもというところだが、半病人モードで、自信もやる気もなく明日も農園でブラブラの予定。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松永安左エ門の電力会社建て直しの原型(2012/2/16)

2012-02-16 21:57:12 | 松永安左エ門の足跡巡り
田舎生活をしていると、時間はたっぷりあり、読書も好きなだけできる。今は、松永安左エ門著作集を読み返している。松永安左エ門は戦後の電力民営化に辣腕を揮い、戦後の高度経済成長の基礎を作った人だが、随筆家、茶人、登山家、歴史家、遊び人どれをとっても抜きん出た人。大正十一年、拠点の九州電灯鉄道(九電の前身)と名古屋の名古屋電灯と合併、この名古屋電灯の建て直しの思い出をつづった記事、印象に。この名古屋電灯建て直しと同じスタンスで、より規模の大きい日本の戦後の電力業民営化を成功に導いたと気づく。東京電力はじめ電力業界のほころびが指摘されている昨今、松永安左エ門のこうした見識と行動力には学ぶところが大きい。松永安左エ門89歳で書いた簡潔な文章に驚く。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
松永安左エ門著作集(五月書房)第一巻 p424 昭和39年日経新聞掲載 私の履歴書より

九州電灯鉄道と関西電気(名古屋電灯)が合併したのが大正十年の十一月で、それからの二、三年間は猛烈に忙しかった。・・・合併直後は関西電気の名前を踏襲し、広く社名を公募して決めたのが「東邦」で、正確には東邦電力は大正十一年に始まる。・・そもそも名古屋電灯の前身は旧藩時代の失業藩士を救済する目的で企てられた事業で、日本では古い歴史を持つ電灯会社であった。欧州大戦のころから電気の需要は動力用を中心に急激にのび、供給不足がちであったが名古屋地方では特にそれがひどく、さらに故障、停電が連日で市民の憤激を買っていた。・・・・
 そんな状態で東邦電力が生まれるそうそう第一に手を着けねばならなかったのが、中京地方における電気事業の建て直しだった。経営内容もむろんだが、名古屋に乗り込んでみてまず驚いたのは会社が体をなしていなかったことだった。
 広小路にあった旧名古屋電灯の事務所は乱雑であった。電工が使う自転車はどこにでも勝手に乗り捨ててあり、倉庫は廃品と新品がゴッチャになっている。経理は雑でサービスどころではなく、まず事務所の整理、整頓から始めねばならなかった。自分で写真をとって回り、実物を示して改善を要望した。便所には男女の区別をつけ、白壁に塗り替えるといったところから着手した。
 困ったのは停電である。多いうえに、故障するとなかなかなおらない。需要家が怒るのも当然だった。会社の配電室にベッドを持ち込んで、実情をみるとともに修繕作業も指揮した。同時に原因を調べたが、配送電線がひどかった。
 博多ですら市内配線は三千五百ボルトになっているのに、人口が三、四倍もある名古屋でなお千五百ボルト、容量が小さく間に合っていない。そこで配電線の昇圧をはかり、一挙に五千ボルトに引き上げた。この工事を全線にやったのだから、資金も膨大なものになった。
 一方で大口需要先の実業家、県や市の役所筋、有力者を歴訪して、改善について了解を求め約束して回った。桃介(福沢桃介、名古屋電灯の前社長)に対して憤慨していた人たちも、最初は同類が現れたのだからあまり好意を示さなかったが、いつとはなく打ち解けてきた。桃介排撃の急先鋒の一人青木鎌太郎(憲政会代議士)などはのちには熱心な私のシンパになってくれた。しかし停電が解消し、電圧が正常になり、信用を回復するまでには相当な努力が必要だったが、禍が転じて福となり、私にとってありがたい試練となったと思う。
 なぜこんな状態だったか。それは桃介の方針に問題がある。人物のスケールが大きいだけに、細かい仕事には向かない。大同電力が長くそうであったように彼は水力開発に興味があり、一軒一軒に電気をうるようなことは不得手で、卸売りを事業の中心に考えていた。どちらかといえば直接の供給先を持たない主義で、その点が私と違っていた。
 東邦電力になってしばらくして私は名古屋に三万五千キロ二台という当時日本最大ユニットの火力を設置した。これはごく最近まで稼動していたが、建設した頃は名古屋地方、岡崎地方を含めて東邦の総ロード(電力供給力)が約八万キロ、それに匹敵する設備を一挙にふやしたことだった。この火力設備は当時のニューヨークタイムズに大きくとりあげられた。極東の中都市に米国でもない最新設備がみられるとは思いがけなかったと報じていたが、そのときそのときの最高のものを設置するのが私の流儀で、これはいまでも同じ考えである。
 稼働率がよければコストはいちばん安いのだから、問題はロードを増やすことである。そのためには中小企業に電力の使い方をPRしたり、家庭電気機器の普及をはかったりした。電気が安ければ需要はふえる。そこでさらに能率のいい設備をする。いわゆる良循環で基幹産業はこうあるべきだが、これが電気事業にたずさわって以来の私の考えだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

耶馬渓の温泉に病養う(2012/2/14)

2012-02-14 16:06:04 | Weblog
昨日に続き今日も本格的な雨。
仕事が休みの次男に頼んで、耶馬渓の西谷温泉にドライブでした。
宴会に旅行の遊び過ぎがたたった帯状疱疹、傷口はふさがったものの、まだチクチク痛い。
関節の痛み・神経痛に効くと効能書きにあった耶馬渓の温泉でチクチクを治してやろうとの算段。

(農家レストラン)
青の洞門近くにある農家レストランで腹ごしらえ。
地元の野菜や鶏・豚をふんだんに使った田舎料理のバイキングで健康的。
チクチク治しにはまず体力で、栄養をつけるのが正解と、おいしく頂きました。
普段だと生ビールも出てくるところだが、自重して、暖かい柚子ジュース。(冒頭の写真)

(冬景色)
西谷温泉は青の洞門から更に山国川をさかのぼり車で20分ほどのところに。
車からは、耶馬渓の山並みや農家の畑の連なりが見渡せ、見ていて飽きない。(下の写真)

こういった風景に触れるのが一番の薬かも。

(温泉)
終日雨のあいにくのお天気だが、お年寄り中心に20人ほどの湯治客。
かけ流しの温泉に首までつかり、すぐ肌はヌルヌルでチクチク無くなりそうと期待。
風呂上りにサッパリしたところでパチリ。


 途中に立ち寄った豊前市の道の駅「お腰掛」で1.5キロ1000円で売っていた地元の一粒牡蠣を3キロ買い、今日は我が家で牡蠣の炭火焼の予定。ビールが飲めないのがちょいつらい。
来週には釣り・畑再開の期待。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南三陸町のメルマガ(2012/2/13)

2012-02-13 10:06:47 | Weblog
南三陸町観光協会の楽天出店からメルマガが届きました。
あとひと月で震災から一年、南三陸町の震災前の写真集を作り、全世帯に送ろうというプロジェクトを町の有志で進めているそうです。
下のような桜並木の写真も。

この桜並木、桜の木は全て津波でなぎ倒され、何も残っていないとのこと。
一口一万円とか5000円とかを楽天出店で購入すると、一冊は注文した本人、10冊、5冊が町の皆さんに届くというシステム。
多分、漁師さんの写真もあるかもと、私も一口注文しました。

メルマガの申し込みは左のブックマーク。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
遊び過ぎのたたりでかかった帯状疱疹、先日皮膚科に行くと7割治った、あなたの症状は軽い方、とのことで、今は抗生物質の投与は終わり、ビタミン剤(B2)のみに。しかし痛みは結構あり、まだ半病人モード。今日、明日雨で、農園でたき火でもという企ても没で、炬燵にはいって釣りの仕掛けを作る今日明日です。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動く歩道上の太陽発電パネル工事に震災ポスター(2012/2/8)

2012-02-08 21:49:59 | 3.11東北大震災の頃
私が日頃通っている小倉駅北口のビルと駅を結ぶ動く歩道があり、現在、そこの屋根に大量のソーラーパネルを設置している。その工事現場の安全柵になにやら写真がたくさん掲示されている。よく見ると、東北の津波の被災地の住民の皆さんの写真と思いをポスターにしたもの。一つ一つ追っていくと、心を打たれる。ソーラーパネルも今回の震災の復興への小さい一歩。設置工事に寒い中、作業を黙々とやっておられる工事関係者の皆さんの心もこのポスターに励まされることと推測。以下が、その写真とコメント。

「余計な言葉はなくていい」


あの日と闘い続けていく


これからを取り戻す旅


悔し涙はうれし涙にする


ガレキを踏み台にするさ


忘れたいけど覚えておく


頑固者の出番の時だ


そして絆は家族になった


それでも今日も海を見る


野球がしたいです神様


甘く見るなよ大槌人だ


チョー悲しくなんかない


被災地じゃネー、正念場だ


此処でなきゃ、ダメなんだ


ひとつひとつ咲かせるよ


 どこが作ったポスターだろうとよく見ると「復興の狼煙ポスタープロジェクト」とあった。
このプロジェクトが発売してるポスターをこの工事を請け負っている工事会社が買って掲示してくれたのかも。
 毎日、このポスターの横を歩くと身が引き締まります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友人のOK氏を訪ねる(2012/2/6)

2012-02-07 22:22:21 | 先生・友人
月曜日の昨日、かねて約束の旧友のOK氏の最近の仕事ぶりを見学に。
OK氏とは学生時代同じ寮で過ごし、親しくしていただいた。
郷里の山口県の梅光女学院で長く教鞭を取り、昨年退職、有機栽培の畑を耕している、数学の塾を開く等、面白そうな話を聞いていたので、見に行くと約束していたもの。

(小暮実千代記念館)
下関駅から車で市役所近く唐戸の駐車場に。
ブラブラ歩きながら、「あれが女優の田中絹代の記念館。下関で生まれ育ったので、この記念館が出来ている。このレンガ建ての建物、今度二階を改造してこれも下関の生んだ女優の小暮実千代の記念館にする予定」とのこと。
小暮実千代はOK氏が長く働いた梅光学院の卒業生でもあり、OK氏も小暮実千代記念館の開館を応援しているとか。
冒頭の写真後ろの白いビルが田中絹代記念館、手前のレンガ建ての建物が小暮実千代記念館予定。
 これが出来上がると門司のレトロから連絡船で唐戸に渡り、この女優2人の足跡をしのぶのも楽しそう。

((数学塾)
OK氏は梅光女学院では数学の教鞭をとっており、小中高校生対象に数学の塾を開くのだと。3/5日開講予定。
既に、唐戸のしゃれた3F建てのビルの一室を借りて、準備着々。
毎週2回、2時間/回で月謝8,000円。
OK氏のこと、数学の本当の魅力を若い人に伝えるに違いないと思った次第。教室でパチリ。

このビルの1Fには、上品なたまり場にしたくなる喫茶店があり、ここで一休みして、本命の川棚温泉近くにある300坪の農園に向かう。

(有機農業とイタリアン)
車で走ること30分余り、川棚温泉に。
休耕田を借りたという畑に。
もうあたりは暗くなり始めているが、大根、カブ等とりいれ時、グリーンピースもかわいい芽を出している。ここでパチリ。

 この後、有機農業仲間で新年会を兼ねて、イタリアン料理を楽しむということで、川棚温泉の源泉の側にある有機野菜の直売所に。
OK氏の農業の先生のNK氏が運営しているとのこと。
3ヘクタールの農地を借りて、有機栽培野菜を直販したり、取引のあるレストランに卸し、採算ベースに乗せているとのこと。
客は我々を入れて8人で、私の隣には、湯玉駅前で病院を営んでいるご夫婦。
NK氏の協力を得て5反の畑を買って、農作業を楽しんでいるとか。
患者さんのリハビリにも農作業はいいそうで、近所の一人暮らしの人も仲間に入れてほしいとやってきたりで、地域の交流の場とか。
私が、帯状疱疹で酒を飲めないというと、ウムとおっしゃり、美味しそうなワインをグイグイと飲んでおられる。
私が発疹している部分を抑えて痛みが取れたなと思っていると一言、「患部は温めるといいですよ」と。
シェフは、NK氏の友人と言うOM氏。
65歳でイタリアに4年間住み込んでイタリアンを学び、30年ほど日本とイタリアを行ったり来たりとのこと。
有機野菜や地元の魚介類、有機飼料で育てたという青森?の和牛のワイン煮ETC。
本物のイタリア料理とのことで、とてもおいしい。
話も酔うほどに弾み、ワインを飲めない(帯状疱疹)私は、段々勢いに気おされて、もっぱら聞き役。
客のおひとりが、温泉の立派なホテルのオーナーで、私とOK氏のために離れの立派な客室を格安料金で提供してくれ、ぐっすり睡眠。

シェフの釣り話
朝のJRで小倉に戻ろうと川棚温泉駅で乗車。
昨日の名シェフのOM氏もいっしょに。
昨日会ったばかりだが、いろいろと雑談。
私が汐巻に最近釣りに連れて行ってもらっているというと、氏も釣りが好きで、毎月2回、我々と同じ汐巻に釣りに行っていたとのこと。
しかし、仲間が釣ったフグの肝にあたって亡くなった(調理したおばあさんが、フグの肝とカワハギの肝を取り違えたらしい)ので汐巻の釣りは止めたとか。
しばらく関門橋の近くの海辺(下関)でイタリアンレストランをしており、仕事の合間に、店の窓から5号ハリスでぷっこみつりをしていたとのこと。
50センチ程のチヌとかスズキが釣れ、ユムシが初めて釣り餌として使われた時これでぶっこみ釣りをしてみると、入れ食いでこれを全て店の水槽に入れておくと、新聞社が取材に来て「レストランから釣り・・・」と十数匹のチヌ・スズキが水槽で泳いでいる写真付きで報道されたこともあったとか。
幅広い魅力的なシェフでした。
私が飲めなかったワイン、氏が選り抜いた名品ばかりだったとか。ああ残念。

 OK氏の仕事ぶりと仲間の皆さんに触れて、楽しい2日間でした。
 帯状疱疹は、少しずつ痛みが減ってきている感じ。明日病院で診察してもらう予定。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帯状疱疹になった(2012/2/5)

2012-02-05 16:51:22 | ゾーとした話し
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
先週は日中の最高気温も氷点下1度などという冷蔵庫状態。

(帯状疱疹)
ここ2週間程、妻が東京に孫見物で留守のため、ビールを沢山、テレビも夜中まで、宴会の二日酔いのまま、私も東京・横浜に孫見物のチョイ旅などやりたい放題が裏目に。
4、5日前、左胸に発疹が一つ、なんだろうと思っているともう一つ左胸に。
しかも最初の発疹は指で押すとたわいなく破ける。
次の日、また次の発疹が5、6個。
そういえば左の上腕が虫刺されのようチクンと痛かったことも。
なにやら不吉な予感で、ネットで、発疹で検索すると、「帯状疱疹」の文字。
50歳以上の高齢になるとよく発症、人にうつることはない。
但し、水ぼうそうのウイルスにつき、水ぼうそうに掛ったことのない子供に注意。
私の症状と同じ。
水ぼうそうのウイルスが神経節に隠れて生存しており、ストレスが貯まったり睡眠が足らず疲労が重なると抵抗力がなくなり、この神経に沿ってウィルスが増殖、痛みと発疹とのこと。
ほっとけば治るのではと期待するも、早期に治療しないと後遺症(慢性的神経の痛み、ひどいらしい)が出るとのこと。
これはやばいと、土曜日の昨日の朝、開店時間にあわせて、近くの皮膚科に。
既に先客が16人で皮膚科もけっこうお客が多いと知ったしだい。
先生は一目見て「典型的な帯状疱疹です。症状は軽いが、薬を出します、注意点はこの看護婦さんが説明します」とのこと。
看護婦さんの言うには、毎朝のジョギングはしばらく中止、お酒もダメです、風呂にはいるのはOK。と分かりやすい説明。
おかげで、昨日やっと東京から戻ってきた妻と次男がビールで乾杯をしているのを横目に、御猪口一杯の梅酒で我慢。

 今日は妻と、竹田農園に、短時間収穫のみのドライブでした。

(芋の取り入れ)
まず、すっかり枯れたなた豆の取り入れ。
通常は若い鞘を食べるのだが、取り損なった豆はそのまま放置、昨年末からカチカチに鞘が乾いたものから適宜取り入れ。今日は最後の取り入れ。
例年の倍は取れた感じ。
家に帰り、今まで取り入れた分も含めてパチリ。

これを5月の連休の頃畑に播くと、発芽して健康野菜のなた豆がたくさん取れる。
なた豆欲しいとよく言っている糖尿病予備軍の飲み仲間に、これを播いたらバッチリと配る予定。
 妻は、玉ねぎに追肥(冒頭の写真)
私は次にサトイモ(赤目)の取り入れ。
 掘る前下。

 掘った後。

手ごろな芋、7、8個はこの春植える種イモ用に土の中に埋めておく。
ジャガイモ、ヤーコンも当座食べるものを収穫。(下の写真)


今日の収穫が終わったころ、お隣の江藤正翁(元南海ホークスのエース、89歳)がやってきて、「毎日寒いねー、この頃は行橋には、自転車でなくタクシーで出かけているよ」と。
相変わらず素足にサンダルで、足の皮膚はピンク色血色良く、お元気そう。

(昼ごはんはジャガイモ焼き)
普段ならたき火をしてバーベキューでお昼だが、こちらは、帯状疱疹の身、病人モードで我が家にUターンで炬燵にはいって昼食。
掘り上げたジャガイモはオーブンで焼いて、バターをつけて食べる。(下の写真)

新鮮で美味しいこと。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする