長男夫婦に二人目の子供が授かり、妻は一週間前から待機、私は昨日、今日と東京・横浜に孫見物でした。
(東京の電車)
震災から40日後の東京に孫見物に行ったとき、驚いたのは節電のため、すべてのエスカレーターを止めて、乗客のみなさん歩け歩け。
それから10カ月、エスカレーターは動いているが、乗客の皆さんの表情は当時と変わらない。
お年寄りも若い人も男女の別なく口を引き締めている。
地震前は特に若い人の半分は口がボンヤリ開いていたように思う。
地震を機に戦後の20年間の日本人のようなハングリーさが東日本で生じている感じ。
結婚も出産も増えてくるだろう。
九州はどうだったろうか。明日、電車の中でよく見てみよう。
冒頭は2年前に生まれた横浜の孫と地下鉄のフォームに散歩。
横浜の地下鉄は柵があるので、子供連れでも散歩やりやすい。
(三笠公園)
妻はあと2w、長男夫婦の家事加勢で東京にとどまることに。
私は横浜の長女の家に泊めてもらい、時間があったので、横須賀の三笠公園に。
「坂の上の雲」で有名になった三笠が海辺に保管・公開されているらしい。
戦後、アメリカ軍に接収され、ダンスホールと水族館になっていたのが、復元されたらしい。
下は三笠の全景
三笠の艦橋、東郷提督、参謀の秋山真之がバルチック艦隊との戦闘時立っていた場所も表示。
特に東郷元帥は戦闘の6時間程?、一歩も動かず靴の下だけ乾いていたとのこと。
一番前の標識の場所が東郷提督の位置。
東郷提督の立場所から見た三笠の艦首。
この艦橋の下が、厚さ35センチの鋼鉄で囲まれた指揮所。
東郷はここに入らず、砲弾の飛んでくる艦橋から指揮、戦死を覚悟していたとのこと。
ただ、指揮所の周りの壁、たたくと空洞の響きで、再興したとき、薄い鋼板で作り直し中は空洞と見た。
口径15センチの副砲。模造品だが迫力がある。
東郷提督が寝泊まりした艦内の個室。ベットが昔の寝台車程の幅。
東郷提督のリビング。ここで会議も行われた。
坂の上の雲は何度もよんだ愛読書で、興奮の一時でした。
夕方、羽田空港に着き、時間があったので、空港を見渡せるレストランで、ビールで一休み。下の写真。
後、2w次男と越冬生活が決まり、北九州空港に迎えに来た次男に、食事の準備よろしくねと念押し。
楽しいチョイ旅でした。
(東京の電車)
震災から40日後の東京に孫見物に行ったとき、驚いたのは節電のため、すべてのエスカレーターを止めて、乗客のみなさん歩け歩け。
それから10カ月、エスカレーターは動いているが、乗客の皆さんの表情は当時と変わらない。
お年寄りも若い人も男女の別なく口を引き締めている。
地震前は特に若い人の半分は口がボンヤリ開いていたように思う。
地震を機に戦後の20年間の日本人のようなハングリーさが東日本で生じている感じ。
結婚も出産も増えてくるだろう。
九州はどうだったろうか。明日、電車の中でよく見てみよう。
冒頭は2年前に生まれた横浜の孫と地下鉄のフォームに散歩。
横浜の地下鉄は柵があるので、子供連れでも散歩やりやすい。
(三笠公園)
妻はあと2w、長男夫婦の家事加勢で東京にとどまることに。
私は横浜の長女の家に泊めてもらい、時間があったので、横須賀の三笠公園に。
「坂の上の雲」で有名になった三笠が海辺に保管・公開されているらしい。
戦後、アメリカ軍に接収され、ダンスホールと水族館になっていたのが、復元されたらしい。
下は三笠の全景
三笠の艦橋、東郷提督、参謀の秋山真之がバルチック艦隊との戦闘時立っていた場所も表示。
特に東郷元帥は戦闘の6時間程?、一歩も動かず靴の下だけ乾いていたとのこと。
一番前の標識の場所が東郷提督の位置。
東郷提督の立場所から見た三笠の艦首。
この艦橋の下が、厚さ35センチの鋼鉄で囲まれた指揮所。
東郷はここに入らず、砲弾の飛んでくる艦橋から指揮、戦死を覚悟していたとのこと。
ただ、指揮所の周りの壁、たたくと空洞の響きで、再興したとき、薄い鋼板で作り直し中は空洞と見た。
口径15センチの副砲。模造品だが迫力がある。
東郷提督が寝泊まりした艦内の個室。ベットが昔の寝台車程の幅。
東郷提督のリビング。ここで会議も行われた。
坂の上の雲は何度もよんだ愛読書で、興奮の一時でした。
夕方、羽田空港に着き、時間があったので、空港を見渡せるレストランで、ビールで一休み。下の写真。
後、2w次男と越冬生活が決まり、北九州空港に迎えに来た次男に、食事の準備よろしくねと念押し。
楽しいチョイ旅でした。