田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

2007/11/26

2007-11-26 22:57:40 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日と今日、妻と、妻の卓球仲間のM夫妻とY夫人の総勢5人で九重、湯布院への一泊ドライブ旅行。
紅葉も山の中腹が一番の見頃、命の洗濯をしてきました。

(赤川温泉)
M夫妻は、2回/週のペースで耶馬渓~九重の温泉を日帰り旅行を行っており、今日は、赤川温泉といって、久住山の南山麓にある、秘湯に連れて行ってあげるとのこと。
M氏運転の車でドライブすること、3時間、久住山を正面に見ながら、車は山道に。
ここだと、降りた広場に車が10台程。
登山口があり、ここから、久住に登るらしい。
歩くこと5分、しっかりした造りの温泉旅館。
冷泉で、乳白色、PH4.3で酸性。
湯船が4つあり、2つは、摂氏20度ほどの水、2つは加温していい湯加減。
湯と水と交互にはいるといいそうな。
露天風呂になっており、目の前に30Mほどの高さの滝がゴーゴー。
冷泉の方が、効き目があるようで、震え上がって冷泉にはいると、30秒で慣れて温かくなる。
今度は肌があちこち、ビリビリ。
おー、効いてきたぞ、という感じ。
機会をみつけて、ここを基地に、のんびり久住登山をしたいもの。
冒頭の写真は、赤川温泉前でパチリ。

(竹田農園の屋敷の修理)
M氏は私と同じ、58歳で、3年前、自衛隊を退官、趣味の卓球と温泉旅行を楽しんでおられる。
もうひとつ趣味があり、それが壊れた農家の修理。
竹田農園の屋敷も樋は半分崩れ、庇の板は腐って、ところどころ板がめくれ、今にも底が抜けて、瓦が落ちてきそうな危ない状態。
これを見て、この春から夏にかけて、ご自宅から道具をもってきては、屋根の修理をしてくれ、今後10年は大丈夫、出入りOKの屋敷に再生してくれたもの。
改めてお礼を申し上げ、何日くらい修理に通ってくれたのかお聞きくすると、20日弱とのこと。
屋根の庇は腐っていたが、屋根の山の部分の漆喰も割れ目が出来、雨水が家の内部にしみ込んでいたので、それも全部漆喰でふさいだとのこと。
改めて、サンキュー。
家の中も、床が一部腐ってブヨブヨが気になるとのことで、来年は、ここも直してくれるかも。
M氏には、「竹田農園の野菜、果物(柿)好きなだけいつでも持って行ってくだされ」と、申し上げた次第。

今度の日曜日、久しぶりの関門舟釣りを予定。
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2007/11/18

2007-11-18 22:27:44 | Weblog
 田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
寒波が襲来し、冷え込みましたが、北九州は快晴で、竹田農園で秋の収穫祭のバーべキューを楽しみました。

(コーラル丸釣り友の会集合)
日だまりの農園の空き地に、川端船長夫妻、工務店のH氏夫妻、薩摩隼人のO夫妻、室町ラーメン屋のI氏に、M画伯とコーラル丸でいつも釣をしている面々が10人余り、これに妻の卓球仲間、農園の隣に住む、土建屋のIさん夫妻、江藤正翁(元南海ホークスのエース)で総勢20人ほど。
皆さん日頃の釣りで鍛えたアウトドア感覚で、てきぱき、火をおこし、カッポ酒の竹を山から切り出し、竹でオチョコを作りと、段取り良好。
簑島で仕入れた牡蠣12キロ、ワタリガニ、畑の里芋・大根で作ったイモ汁と食材は新鮮、美味、安価。太陽の光と、炭火で体もぽかぽか。
ビールにカッポ酒で酔いも回り、M画伯の馬鹿話に、笑いが絶えないバーベキューでした。

(江藤正翁の雄姿)
話も弾み、先日亡くなったピッチャー稲尾はもともと別府緑ヶ丘キャッチャーをしており、たまたまコーチに行った際、ピッチャーに転向させるように江藤翁がアドバイスしたといった話も。
江藤翁の現役時代の写真を見たいと私が言い出して、50年前の野球少年達、5人で、江藤正氏のお宅に案内してもらう。
よく片付いた居間の壁に、現役時代、力投してる江藤正投手の写真。
さすが、第一回オールスターのパリーグ先発投手、力感満点で皆さん、言葉を失い、ラーメン屋のI氏とM画伯、いっせいに携帯電話の写真。(下にその写真)
ついでにデマジオが昭和26年引退の年、オニール(監督?)と来日した際の、記念写真もあったので、これもデジカメに。(同じく下に)

(実りの秋)
シンジャガ、葱、柿など、竹田農園の秋の作物、今が食べごろで、皆さん、お土産に持ち帰ってもらいました。
味と安全に自信あり。
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江藤正投手の投球

2007-11-18 22:21:03 | Weblog
江藤正翁が南海ホークスのエースとして、力投している写真。
迫力があり、思わず、デジカメで写真に。
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江藤正翁とデイマジオの記念写真

2007-11-18 22:18:03 | Weblog
写真は、江藤正翁の家にあった、デイマジオが大リーグ監督のオドール氏と昭和26年秋、引退の年に来日し、模範打撃を披露した際の写真。場所は大阪球場。
前列中央、右から7人目がデイマジオ、後列右から6人目、黒いジャンバーの人物(オドール)の隣が若き日の江藤正翁。観客席満員で、当時の熱気が伝わってきます。
江藤正翁は、デイマジオのバッティング投手を務めたそうです。
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2007/11/14

2007-11-15 00:57:58 | Weblog
江藤正翁(元南海ホークスのエース)とバスハイクに行った時の写真を、江藤正翁の親友のT.K氏(徳島県の石井町にお住い)にお送りしましたら、下のようなお手紙をいただきました。学生時代は空手5段、優しい方で、地元の小学校校長を務めた立派な方です。写真も同封いただき(冒頭 前列向って左端がT.K氏)皆さんのお顔を拝見すると、お1人お1人の温かい人柄が伝わってくるようでした。


Takeda 様
季節がら、朝夕は大変冷え込んでまいりました。
お写真で見る限りでは皆様ご一同お元気の様子で何よりと思います。
江藤君も旅行を共に出来る様では結構なことと喜んでおります。

 何といっても年齢です。
少々何処か不具合は致し方はないと思わねば・・・。

 さて私も一病息災と言われるように割合に元気で毎日食もおいしく、また酒も1~2合は欠かさずに、朝夕毎一時間は何か仕事で体を動かしております。
 一病と言うのは、昨年末に大腸ガンが見つかり、今年の1月18日は切開手術で小腸と大腸との接合部分を余分目に40cmほど切除してもらいました。
経過も大変よく前に書いてありますように食もよく酒も楽しくたしなめております。

 唯、86歳になり、友人のほとんどが死亡され友人らしい友人が無くなってしまったことが、一番淋しいことです。
江藤君等と毎年一度旅の楽しみも出来ず、当時の友人で生き残っているのは、高知のM君くらいになってしまいました。
 一番親しくしていたA君の奥様は現在北海道に住まわれているようです。

 一人で自由に出歩きも限られて、旅などは思いもよりません。
一度会いたいと思うばかりとなりますが、江藤君は近くに takedaさん達のような親しくお付き合い下さるお方があることは幸せなことだとうらやましく思います。

 私は今日玉ねぎの植え付けをするつもりで畑を用意しております。
 いよいよ寒くなりお宅のある地域も冬には北風の相当強く雪等も降ることと思います。どうかお身体にご注意の上、幸福な新年を迎えられます事をお祈り申します。
 尚この手紙、江藤君にもお見せください。
敬具                            T.K
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2007/11/11

2007-11-11 22:47:55 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
皮ハギが釣れているとのことで、コーラル丸で関門にと早朝、我が家を出たところで、川端船長より、今日は波が高いので釣中止の電話。
帰宅して2時間不貞寝。
遅い朝食の後、竹田農園に、グリーンピースの種まき、玉ねぎ苗植え付けに。

(イノシシ我がもの顔)
農園の入り口の休耕田に冗談で植えたイチジク、実がなっているかもと、車を止めて、実を取りに。
2本あるはずのイチジクの木が、1本しか見えない。
ここらへんと思しきあたり、イノシシ君達が、ミミズを掘った後。
直径2メートル深さ50センチの程のクレーターが一面に。
よく見ると、1.5メートルまでに成長していたイチヂクが土に埋もれている。
イノシシ君が力任せに掘り倒したもの。
馬鹿力に脱帽。
今朝、やられたばかりのようで、葉は緑。
土の中から引っ張り出し植え直して農園に。

(バーベキュー)
ちょうどお昼時で、バーベキュー。
釣って冷凍庫に入れていた、手のひら大のクロと肉を持参。
庭先で火をおこし、近くに住む、江藤正翁(元南海ホークスのエース)と土建屋のIさん家族も合流。
近くの竹やぶから竹を切りだして、カッポ酒。
俺は焼酎(I氏)、いやビールじゃ(江藤正翁)と言っていたが、カッポ酒が出来上がると、ちょっと一口、旨い、もう一口で、一人で飲むより、炭火を囲んで皆と食べるのが一番じゃと。酔いも回る。
秋晴れの日差しを受けて、パチリ(冒頭の写真)。

(江藤正翁の話)
江藤正翁の話はいつも面白いので、つい聞き惚れる。

○江藤正翁が見たバッターで一番のバッターは、大岡虎雄氏と前から聞いていたが、もう少し詳しく聞く。
「門鉄戦(門司鉄道管理局と八幡製鉄の野球対決)は九州の早慶戦といわれて人気があった。
大岡虎雄氏はこの八幡製鉄で長くプレーした。
このバッターと二重映しになるのが、引退の直後、日本に来て、各球団に打撃のデモンストレーションをしてくれたジョー・デマジオ。
大阪の難波球場で最初、阪急の小柄なピッチャーが投げたが、クレーム。
球が軽すぎてスライスしてしまう。」
そのため、江藤正翁が投げることになり、
「対戦すると、怖いとは思わなかったが(怖いと思うとその時点で負け)自然体で、スキだらけ、しかしどこに投げて良いか分らない。
アウトコースの球は、ピッチャーに打球が来ると思い、真中からインコースに投げると、全て外野スタンドにライナーで持っていかれた。
大岡虎雄氏はデマジオのバッティングとそっくり。
40歳近くでプロ入りしたが、それでも40本近くのホームランを打った。(江藤正翁といっしょにブレーした昭和20年代の強打者)大下、別当も大岡虎雄氏が一番のバッターだとの意見だった。
江藤正翁は5年の戦争でのブランクの後、メンバーが足りないと、門司鉄道管理局から頼まれて、ためしに投げて、完封したと聞いていたので、
「その時、大岡氏とはどうだったのか」と聞くと、
「よく覚えていない、0点に抑えたので、ホームランは打たれていない」とのこと。

○I氏の知り合いのパチンコ好きは、給料前借りでパチンコに血道をあげているのもいる、とI氏が話すと、
江藤翁「腹が立つ、引け時が分かっていない。
俺もよくパチンコ屋に行くが、勝つこともあれば負けることもある。
勝っても負けてもほどほどのところで、引き上げる。
よく1000円、2000円で儲けようと、パチンコ台の周りをうろうろ歩いているのを見かける。
すぐ分かる。顔が卑しい」とのこと。
勝負事は潔くするのが良いらしい。
江藤翁は、片道6キロを自転車でスイスイ飛ばし、パチンコ屋に出かけているのをよく見る。
86歳!

(チビ君たち)
小学校入学前のI氏のお孫さんも、バーベキューに加わり、そのあと畑仕事を妻としていると二人のチピ君、畑の近くを走り回って遊んでいる。
妻が声をかけて、畑から引っこ抜いた、なた豆の支柱の竹を、畑の隅に運ばせる。
チビくん達、遊びと思って、嬉々として妻の手下に。
してやったりと、妻ニッコリ。

 明日は、関門フィッシングの船で釣りと、電話するも留守。
従業員の秋の慰安旅行かも。
来週は、竹田農園の収穫祭で、またバーベキュー。
11/17から売り出しの簑島の牡蠣の炭火焼きにイモ鍋も。
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2007/11/04

2007-11-06 00:11:25 | 酒蔵を不良爺さん達と訪ねる
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
一昨日、昨日とサッポロビールしか飲まないという飲み仲間の会の面々と、日帰りバス旅行に行ってきました。
一昨日は秋月の散策、昨日はキリンビール園の見学(コスモス畑とビール試飲が目当て)ともに温泉あり。
私は幹事で、両方参加で秋の行楽を堪能しました。

(カエル寺)
 二日目の昨日、博多の南、20キロに位置する、真言宗のお寺、通称カエル寺に。
飲み仲間のリーダーのラーメン屋のI氏がテレビで見て、是非行こうと。
このお寺には、2年前、クルーザーのラニーニャ号の艇長のN氏宅にバーベキューで遊びに伺った際、近くにあるからと、散歩がてら連れて行ってもらったお寺。
N氏にカエル寺の住職に、飲んべえ40人が行くので、受け入れをお願いしてほしいと依頼。
N氏すぐ出かけて住職にお願い、住職快く引き受けてくれたもの。
田舎のさびれた寺のような駐車場にバスの面々、いったいここはどこじゃと怪訝な顔。
口の悪い面々で、「つまらん」と、小言を後でもらうのではと、内心冷や冷や。
本堂への石畳を登るにつれ、石のカエルの多さと、カエルが掲げる「不運ではない、試練と思え」「足元注意」「日々是好日」などなどのプラカードに皆さんにっこり。
お会いするのは二度目の住職が階段途中まで出迎えてくれ、本堂に。
皆さん、本堂に集まったら、和尚さんの楽しくも心に響くお話が、次々。
時計を見ると、予定の出発時刻はとっくに過ぎて、ウヘー!
最後は、3歳の子供さんを亡くした夫婦が、子供をしのんで東京ディズニーランドに行き、お子様ランチを2つ頼んだら、事情を知ったレストランのウェイトレスが、3つ用意してくれたという話に、和尚さんも目にかすかに涙、飲んべえの面々も涙が頬を流れで、「生きている人間相手に話をしてくれた。これが本当のお坊さんじゃ」と面々大感激で、はるばる北九州から来た甲斐があったと晴れ晴れした表情。

(M画伯)
バスハイクには、ラーメン屋のI氏の50年来の友人のM画伯も同行。
飾らぬ、良寛和尚を思わせる漂漂とした人柄に、旅も一段とにぎやか。
I氏の発案で、参加者全員の俳句会を企画し、入選者4名にM画伯が、短冊に絵を書いてくれることに。
最終目的地のキリンビール工場(コスモスが美しい)に到着し、面々はコスモス園を散策。
N氏差し入れのカッポ酒を飲みながら、俳句を推敲する(私を含めほぼ全員ど素人)グループも(冒頭の写真)。
散策を終え、バスに私が荷物を取りに戻ると、N氏、バスの通路に膝をつき、真剣に絵を短冊に。
薄暗くなりつつある車内にM画伯の真剣な表情、ありがとうございます、と最敬礼して、キリンビールの試飲会場に。
この俳句会、帰りのバスの中で審査、私の句が入選し、M画伯の唐辛子の素敵な絵の入った短冊ゲットしました。
俳句は「登り来て見上げる紅葉カエル寺」。
M画伯油絵は、号(葉書の大きさ)5.8万円で美術年鑑に載っているそうな。

(江藤正翁)
86歳の江藤正翁(もと南海ホークスのエース、第一回オールスターのパリーグ先発)も、参加。
道中いろいろと話。
「戦時中、野戦重砲隊で南方に行く途中、貨物船を兵士用に丸太で仕切り、すし詰め状態。嵐になり船が揺れた拍子に、仕切りの一部が崩れる。そのまま寝ていて、朝になり、隣に寝ていた、親友の福田氏(佐賀・長崎・福岡の出身で、拓殖大学、江藤翁と一緒に学徒出陣、満州の士官学校で訓練)が起きないので、声をかけると、すでに死亡。
崩れた丸太で頭の一部がつぶされていた。
体格の良い方で、立派な兵隊だった。
そうした死に方をした友人が多かった、自分が生き残ったのは紙一重。
福田氏の遺族に会って最後の様子を知らせたかったが、出来ず、今に至った」とのこと。
バス旅行が終わり、「来春、柳川に川下りと桜見物に同じメンバーでバス旅行をするので、行こう」と言うと、「生きていたら行くぞ」とにっこり。

(冒険家のM先生)
M高校を定年退職した数学教師で冒険家のM先生、本当にお祖母さんの眠るフィリピンバギオに単身で出かけ、地元の高校生、大学生の数学の先生を始めました。
詳細は左のブックマーク(バギオ冒険日記)。

 今度の日曜日、コーラル丸で釣り。一昨日のバスハイクに参加の川端船長の話では、皮ハギがよく釣れているとのこと。
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渋柿の塩漬け 2007/11/1

2007-11-02 00:46:30 | 海の幸・山の幸楽しく加工
竹田農園は、もともと妻の実家で、古くからの農家。
屋敷の周辺には、妻の両親が植えた柿の木が10本近く。
そのうち2本が渋柿で、一本は実が細長く種なし。
もう一本は丸い形は富有柿のよう。
細長渋柿は、干し柿にすると美味で、釣り友達のH氏が毎年もぎに来て、上手に出来上がったのを頂くという美味しい話。
丸渋柿は、利用価値なしと、カラスがつつくにお任せでこの30年やってきました。
 
 妻が言うには、
「この丸渋柿を私の母親が毎年、塩水に漬けて、子供の時、おやつに炬燵に入って食べていた。それはおいしかった! 」とのこと。
この秋は、この塩漬けにチャレンジ。
濃度は、いつも干し魚を作る時の濃度の3.2%だろうで、妻も私も意見一致。
漬ける期間は妻はまだ小さい時分の話で全く知らない。
勘で2週間かとのこと。
私がネットで調べると、東北の方が、同じような塩漬けを母親が作ってくれて美味しく食べたが、つけ方が分らんとの、ホームページが唯一あっただけ。
3日置きに食べて、渋みを人体実験で、チェックすることにしました。
結果は、
10/22 →10個程の丸渋柿を3.2%の塩水に漬ける
10/25→朝食べると渋くて、一口で止め
10/27→渋みはあるが、甘味が強い
11/1(10日経過)→98%渋みは消えている。美味しく一個平らげる。

(10日経過後の写真、冒頭に)

10日目から、桶から食べる分だけ、都度、取り出して、デザートに食べると、おいしいと結論。
40個程追加でもいで、現在塩水に漬けこみ中。


この40個を昨日(11/9日)、11日経過後食べますと、まだ渋みは80%程しか抜けていません。
最初のは、居間の温かい部屋、後のは北側の寒い廊下に置いたためと思われます。
温度が渋の抜ける日数に影響があるようです。
妻は、子どもの時、母親は寒い北側の屋外通路に置いていたので、北側廊下で良い、その分、保存が効いていいのだと。
気温が低いと、渋が抜けるのは二週間が目安のようです。
ためしに10個を分けて、温かい居間に移しました。以上は、11/10に追記。


この渋柿は、甘柿のような、成り年、裏年が無く、毎年、たわわに実る。
秋の味覚の楽しみがまた一つ増えました。
ラッキー!
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