田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

関門でアラカブ、タコ釣り(2010/11/29)

2010-11-29 19:02:11 | Weblog
昨日は名高い漁場の汐巻の釣り、波が高く中止。
腕が鳴る、困ったときの関門フィッシングで、門司の港からアラカブ釣りに出かけました。

(アラカブシーズン入りか) 
例年、関門のアラカブはこの時期から釣れ始める。
潮も小潮でそれほど速くなく、ウィークデーではあるが、たくさんの遊漁船。
行きかう貨物船の通行の邪魔にならないように、海上保安庁の船や水上警察の船がパトロール。(冒頭の写真)
 アラカブは、乗合船の釣り自慢の皆さん、10匹前後といったところか。
 まだ水温が高く、アラカブが本格的に釣れるのは、これからか。

(タコ)
 関門橋の付近、11月から1月にかけて、いい型のタコが釣れる。
潮の流れがゆるくなり、海峡の中央部(岸近くはタコ禁漁)に船は移動、アラカブ釣りタイム。
私は、アラカブ釣りは中止、釣れたアラカブを3枚におろし、タコ仕掛けに紐で結わえて、タコ狙い。
 「チューチュータコかいな」と小声で歌いながら、仕掛けを上げ下げ。
 ゴムマットがひっかかったような、抵抗感があり、10ゆっくり数えて、思い切り合わせると、ずっしりしたタコが掛りました。
 小一時間の間に、1キロ前後の立派なタコが3匹と上々の釣果。
 これで正月のタコは確保じゃと、リッチな気分になったところでパチリ(下の写真)


(晩秋の門司レトロ)
 タコとアラカブでクーラーボックス結構な重さ。
これをかついで、門司港駅まで。
途中、門司レトロで一休み。下の写真。

 (タコの刺身)
 タコは2匹は、ぬめりを取って、そのまま冷凍。
1匹は湯がいて、夕ご飯のおかず。
写真は、湯がいたタコの1/2を刺身にしたのもの。
大きなタコで、1/2匹で皿にいっぱい。下の写真。

コリコリして甘みがありました。
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晩秋の竹田農園(2010/11/28)

2010-11-28 18:24:20 | Weblog
 田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
日曜日、名高い漁場の汐巻に鯛釣りと楽しみにしていましたが、あいにく波高く中止。
私と同じく暇な妻と、竹田農園に出かけました。
竹田農園の後ろにそびえる、御所カ岳、馬カ岳の山肌、紅葉が美しい。(冒頭の写真)

(時期外れの草刈り) 
従来なら10月いっぱいには終わっている休耕田(イチジク畑)の草刈り、まだ300坪程残したままでみっともない。下の写真。

8月のイノシシ、10月のタヌキの芋、豆の猛攻で防御柵の補強に手間取っていたため。
今日は、一月遅れの草刈りの仕上げ。
2時間ほどで200坪終了。
今年から、刈った草は一か所に集め、冬の暇なとき、リヤカーで畑に運び、堆肥にする予定。
さっぱりしたイチジク畑の前でパチリ(下)。


(昼食) 
お昼は林の中で、バーベキュー。
たき火で暖を取りながらのビールがうまい。
お隣の江藤正翁(元南海ホークスのエース、88歳)も一緒に。
江藤翁と雑談。
〇大阪の宗右衛門町(そえもんちょう)近くに大阪球場、江藤翁の住まいがあり、よく食べ飲み歩いた。元々の花街の宗右衛門町のど真ん中に、ぽてぢゅう、という名前のお好み焼きの店が出来、よく食べに行った。
ここのご主人の家族も近くに住んでおり、子供同士よく遊んでいた。
この店が、お好み焼き発祥の地。大阪の人は、誰でもぼてぢゅう、を知っている、等。
 その後、土建屋のIさん夫妻もたき火に当たりながら、よもやま話。(下の写真)


(畑フル稼働) 
イノシシ軍団、タヌキ衆が芋・豆を食い尽くして、荒廃の極みだった畑、グリーンピース等、植え終わり、フル稼働。
来春の収穫が楽しみ。
妻は、赤玉ねぎの補植(下の写真)、私はイチゴ苗の移植とダメ押しの作業。


(タヌキ脅し、パート2)
 先週、畑の竹の支柱に、クラッカー(紐を引っ張るとバンと鳴る)とその先にサラミソーセージを結んでタヌキを驚かせてやろうと仕掛け。
今日見てみると、サラミはきれいに食べて、クラッカーは、爆発せずそのまま。
サラミを引っ張らず、その場で、ムシャムシャ食べたらしい。
カワハギのようなエサ取り名人か。
今日は、帰る間際に、イイダコ釣りの針に、ソーセージを引っかけ、先週と同じようにクラッカーと結ぶ。(下の写真)

ソーセージとイイダコ仕掛けをアップ(下の写真)

タヌキめ、これでドウじゃ。といったところ。

 明日は、関門フィッシングの乗合船で、アラカブ釣りの予定。

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農園で簑島牡蠣の初バーベキュー(2010/11/23)

2010-11-23 18:50:11 | Weblog
今日は勤労感謝の日で妻と竹田農園に畑仕事と牡蠣のバーベキュー。

(簑島の牡蠣生育良好)
 農園に行く途中、行橋の簑島漁港近くの牡蠣の販売所に。
手ごろな牡蠣、1キロ700円を3キロ購入。
聞くと、今年は生育が良いそうで、沖の牡蠣筏から取り外した牡蠣が次々軽トラックで海に面した販売所に。(冒頭の写真)

(種まきと収穫) 
先週し残した、玉ねぎの苗植え付けと、おたふく豆(大型のソラマメ)の種まきを妻と手分けして取り掛かる。
二人でやると作業がはかどり、昼過ぎには完了。
ついでに、春どり大根の種まきも(下の写真)。

 イノシシ、タヌキにイモ類、豆類根こそぎにされたが、タヌキの恩返しか、大根、カブが素晴らしい出来。
たっぷり収穫。
ヘチマも適当に種まきして、放置していたが、立派なヘチマ収穫(下の写真)。

ヤーコンは試掘りすると、まだ小ぶりで、12月になってから、取り入れ見込み。
実りの秋です。

(牡蠣のバーベキュー) 
簑島で買った一粒牡蠣を炭火で焼く。
お隣に住む江藤正翁(元南海ホークスのエース、88歳)も加わり、「これは美味い」と何度も言いながら腹いっぱいに新鮮な焼き牡蠣を平らげる。
林にころがっている木切れや竹を燃やして暖を取り、ビールもうまい。
(下の写真)

 江藤氏と雑談。
 〇一昨日のバスハイク、楽しかった。その晩は、眠りが深かったみたい。
バスの中で、65歳くらいの男性が二人、選手時代の江藤正氏のことをよく知っており、当時バッテリーを組んだキャッチャーは筒井選手ですかと聞くので、そうですよ、等話が弾んだとのこと。

(タヌキおどし)
 
補強した柵が完璧なのか、畑にタヌキの好物の芋がなくなったからか、タヌキが畑に侵入した形跡なし。
やられっぱなしではシャクなので、昨日100円ショップで買ったクラッカーの引き紐にサラミを釣るし、タヌキがサラミを食ったら、「バーン」というように工夫。(下の写真)
 
一個試に鳴らしてみたが、安物だったからか、「バン」というおとなしい爆発音で、今一。
まあ、試に仕掛けてから帰路に。

 今度の日曜、名高い漁場の汐巻に釣りの予定。
波静かでありますように。
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梅が枝酒造 黒ラベルの会のバスハイク(2010/11/21)

2010-11-22 15:27:08 | 酒蔵を不良爺さん達と訪ねる
田舎生活の好きなみなさんお元気ですか。
昨日の日曜日、黒ラベルの会という、サッポロビールしか飲まないというあまり
意味の分からない会のバスハイクに出かけました。
リーダーは、小倉室町のラーメン屋の錦龍のI氏。
私はお世話係というところ。
竹田農園のお隣に住む江藤正翁(元南海ホークスのエース、88歳)もいっしょに。

(松永安左エ門コレクション) 
バスは福岡市美術館に到着。
ここに展示されている松永安左エ門の茶道具の見物が目的。
九州電力、西鉄の基礎を作った人であり、戦後の電力業界の民営化に辣腕を振い、電力の鬼と
尊敬された実業家。
登山家、茶道家、文筆家、歴史家、遊び人どれをとっても傑出した人。
庭造りも傑出しており、金はかけず、年と共に木や石がなじんで、立派な庭園になると定評。
バスの中で、「天神の街も西鉄のターミナルビル建設とあわせて、基礎を作った人で、天神は
松永安左エ門が90年近く前に作り始めた庭園のようなもの。
活気があり、賑やかだが落ち着きと気品もあるのはそのせい」と講釈をぶちました。
この日は、美術館には松永安左エ門寄贈の中国、日本の青銅器が展示されており、しげしげと見入りました。
参加者にバスガイドが職業の方、3人おられ、松永安左エ門の資料があれば、送ってほしいとのこと。
日経新聞の私の履歴書に書いた記事があるので、コピーして送る予定。

(梅が枝酒造と無窮洞) 
車内缶ビール飲み放題で、いいかげんいい気持ちになったころ、長崎の佐世保にある、作り酒屋の梅が枝酒造に。
今度は、日本酒、焼酎の試飲。
建物は文化財に指定されている250年前の建物が基礎とのことで、蔵見学もさせてくれ、働いている人も仕事に打ち込んでいる感じのいい酒屋さん。
作業場の見学の途中でパチリ(冒頭の写真)。
 この酒屋さんの近くに、戦時中、小学生が自分たちの防空壕を岩山をツルハシでくりぬいて作った横穴の見学。
無窮洞というそうな。
柔らかい岩盤をくりぬいた横穴は広々としており、教室やら台所やら。
丸二年かかったそうで、防空壕内の教室の教壇の前でパチリ(下の写真)。

梅が枝酒造と無窮洞、二か所、組み合わせて訪問することお勧め。

(俳句会) 
波佐見という町に入り、磁器の販売所兼資料館に。
有田焼、伊万里焼のかなりの部分は、江戸時代ここ波佐見で大量生産されていたそうで、ここで買う有田焼はお得ではないかと推測。
日も傾き、同行の釣り仲間の工務店のS氏、木工職人のSG、コーラル丸の船長を磁器の販売所の前でバチり(下の写真)。

波佐見にはアルカリ水質のかけ流しの温泉もあり、ここで旅の汗を流してくつろぐ。
こんなところにこんなにいい温泉があったと、皆さん絶賛。
俳句の会も車内でやり、入選者にはM画伯の短冊に書いた絵やら、世話好きのS女史提供の絵画展の入場チケットと豪華。
私も妻も賞品欲しさに句をひねるも、あえなく落選。
 私の句は、「何買おか 波佐見の椀に 西日射し」
 妻の句は、「秋空の 目にしみる 旅路かな」

行楽シーズンで道路も一部渋滞で、小倉に戻ったのは、夜9時でした。
また来年春、桜の頃、行こうと、酔っ払いたちの声。


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復興の鍬音(2010/11/15)

2010-11-15 19:34:34 | 農園の生き物
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
そろそろグリーンピースの種まき、玉ねぎの苗植え付けの時期。
竹田農園に妻に運んでもらい、畑仕事でした。夕方、迎えの車。

(復興の鍬音) 
8月にサツマイモをイノシシ軍団に、10月にジャガイモ・サトイモをタヌキ衆に根こそぎ
食い尽くされ、畑はスカスカ。
 連作にならないように、過去の植え付けの記録を見て、グリーンピースと玉ねぎ、おたふく豆の畝の準備。
 お隣の土建屋のIK氏が草刈りで持ち帰った草を山際に山盛りにしていた場所に、立派な腐葉土がたっぷり。
これを一輪車に山盛りで4往復、畑の畝に蒔き、牛糞堆肥も加えて、鍬で耕す。
タヌキ衆が丹念に掘り返しているので、土がやわらかで作業がはかどる。(耕す前にパチリ、冒頭の写真)
 グリーンーピースは種まき完了、玉ねぎは半分植え付けたところで、暗くなり、来週に持ち越し。
 廃墟の畑が息を吹き返した。

(たき火) 
最高気温14度で、結構寒い。
林に転がっている、丸太や竹の切れ端をバーベキューコンロに投げ込んで、一日中たき火。
お昼は、バーベキュー。
お隣の江藤正翁(元南海ホークスのエース、88歳)も加わり、二人でビールに
カッポ酒。(下の写真)

江藤翁と雑談。
〇一週間に一、二度、行橋市内出かけている。1キロ先のバス停まで自転車で、行きは下り坂で楽ちんだが、帰りは上り坂で結構きつい。
最後は自転車を押すが、これがいい運動になっている。

(タヌキ撃退) 
わずかな隙間を見逃さず、畑に侵入を繰り返したタヌキ、侵入した形跡なし。
後2Wもすれば、取り入れの始まる、ヤーコンも無事でやれやれ。
金網付の鉄枠を入り口に設置して、開閉も楽になった自慢の入り口の前でパチリ。下の写真。

お隣の土建屋のIK氏の奥さんと立ち話。
「つい先日、夜、車で帰宅したら、コロコロした動物が、竹田さんの畑の方から、ビューと逃げて行った。あれは何だろう」と。
 タヌキに違いない。
 まだ畑の周りをウロウロしているらしい。
 おいしい、新ジャガ、里芋、枝豆をたらふく食べて、冬モードのコロコロ体型になった様子。

タヌキを懲らしめるため、クラッカーの紐に餌をつけて、食べたら「バーン」となるように仕掛けを作ろうと考えるも、時間切れで、次回に。優先順位は高い。
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浮漁礁と尖閣諸島(2010/11/14)

2010-11-14 22:52:38 | Weblog
今度の日曜日、黒ラベルの会という、サッポロビールを飲もうという、意味の感じられない会のバスハイク。
目的地は、有田周辺。
幹事は、小倉室町のラーメン屋の錦龍のI氏と私(takeda)。
今晩は、錦龍に行き打ち合わせ。
ビールを飲むほどに、脱線に次ぐ脱線で
懸案の尖閣諸島問題。
中国の狙いも日本の狙いも、海洋資源。
弥生時代の昔から説き起こせば、中国にも一理ある。
中国南部から、漁業部族が台湾経由尖閣諸島にも来たはず。
その何割かは、さらに北上して日本に来て、弥生文化が花開いた。
彼らから、日本民族。

尖閣諸島の価値を、10倍にして、お互いに半分くれてやれば、結構ではないかとtakeda。

秘策は、浮漁礁じゃ。
沖縄周辺の海に現在、点在する。
海の底にアンカーを落とし、ロープで海面のブイに結び、まず海藻、小魚、最後に青物と効率の良い漁礁になり、釣り船が集まる。
ネットで見ると、一基1500万円で作っている。
これを尖閣列島周辺、2万平方キロ(四国の面積)に日中双方で各1万基設置する。
双方1500億円。
一平方キロに、一基付く。

多分、魚の取れ高は10倍。
距離的に一番近い、台湾に、遊漁船基地を作り、日中双方の釣りバカ達がカンパチクーラー満タンの夢見心地で仲良く、釣り糸。
もちろんその中に、私たち不良爺さんグループの姿も。

これが正解じゃ と錦龍のI氏にツバキを飛ばしながら同意を求めるも、I氏、別の提案をしていましたが、酔いが回って、覚えていない。

 信頼のおける仲間と飲むビールは、いいもんです。

 明日は、竹田農園に出かけ、玉ねぎ、グリーンピースの種播き。
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絵馬(2010/11/12)

2010-11-12 21:33:49 | ルーツはここに?

 先日、不良爺さん8人で、水木しげるロードにドライブした際、中の海の海峡を挟んだ対岸の、美穂神社に。
ラーメン屋錦龍のIさんの言うには、全国のゑびす神社の総本山とか。
美穂ケ関の港に面した立派な神社。
社務所の売店を覗くと、魚の絵の入った絵馬。
2つ、購入。
一つは私、もう一つは、コーラル丸川端船長に土産。
今、裏に「祈 安全」と書いて書斎の机の前にブラリ。
(冒頭の写真)
安全、楽しく、釣りができますように。
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水木しげるロードを訪ねる(2010/11/7・8)

2010-11-09 00:13:43 | 笑える話
 田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日、今日と鳥取県の境港と島根県の松江に遊んできました。
小倉室町のラーメン屋のI氏、M画伯、工務店のS氏と大工のMY氏、薩摩隼人のO氏に
サッシ屋のY氏に苅田町のMY氏に私の8名。
平均年齢は65歳程。
唯一インターネットを使えるからという理由で私が幹事。
行きはJR、帰りはレンタカー。

(水木しげるロード) 
ゲゲゲの鬼太郎の作者、水木しげるのふる里で、商店街のあちこちに、鬼太郎漫画に登場の妖怪のブロンズが並んでいる。
アーケード街の一角に、水木しげる記念館がある。
NHKのゲゲゲの女房で一段と人気を博し、人波が絶えることなく、水木しげる記念館の門前町の様相。
天真爛漫な少年期の暮らしぶり、戦地で片腕を失い、鳴かず飛ばずの戦後の紙芝居に貸本作家と晩年の成功と、どの時期をとっても、心を揺さぶられる。
8人で、水木しげるロードをブラブラ。(冒頭の写真)

(うれしい誤算) 
レンタカーが意外と高く、JRは安い山陰本線周りの列車が満員で取れず、値段の張る岡山回りになり、しわ寄せは、宿泊料に来て、予約した宿は、境港から松江に向かう途中の大根島のネットで見てもぱっとしない民宿風の安宿。
M画伯には「木賃宿、食堂も兼務しているようで、夕ご飯は、焼うどんとご飯に味噌汁。
飢えず、夜露をしのげればよいでしょう。予算が無い。」と説明すると、
M画伯「タケダ君や、俺は刺身を食いに晩、出かけるぞ」と苦笑い。
晩、6時に宿に着くと、しっかりした作りの建物、広い部屋を4つ用意してくれ、ぐっすり眠れそう。
夕食は、立派な椅子・テーブルに海の幸が満載、ビールもおいしい。
「幹事、でかした。素晴らしい宿じゃ、こんな美味い刺身は食ったことがない」とうれしい誤算に、話と笑いが絶えない。(下の写真)

翌朝、民宿のご夫婦から、シャクヤクの小鉢をいただき、育ててみてくださいと。
全員大喜び。

(松江城、堀川めぐり)
 松江は、宍道湖と中の海という二つの大きな湖の間にある、水の都。
城の周りの堀を50分ほど川船で遊覧。
皆さん、バカ話をビールを飲みながら楽しみ、船頭さんもつられて、話に加わりでにぎやか。
紅葉も見事で、気持ちのいい50分でした。(下の写真)


(足立美術館) 
松江から車で30分ほどのところにある足立美術館は、美しく大規模な日本庭園と横山大観の絵画が多く公開されていることで名高い。
月曜日のウィークデーにかかわらず、自家用車やバスで次々と見物客。
不良爺さんたち8名は、一人1500円奮発して、お茶室に。
神妙に、しかし時々、破天荒な軽口で愉快なお茶席でした。(下の写真)


 後は、中国山地の山間の温泉で汗を流し、中国自動車道を苅田町のMT氏運転の8人乗りのレンタカーで
小倉まで300キロを4時間で突っ走って帰宅。
愉快な二日間でした。
 来年の春、またどこかへ一泊ドライブしようと、別れました。
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天神の街を作った人・松永安左エ門(2010/11/5)

2010-11-05 22:30:07 | 松永安左エ門の足跡巡り
福岡市の天神地区は、行ってみると、賑やかで、品がある。
3年前、釣りによく連れて行ってくれるN艇長と世話好きのS女史と3人で博多で食事をしたとき、時間待ちで天神のスターバックコーヒーで道行くあふれる人波を眺めていると、若い人も多く、明るく清潔な街並みに、心がウキウキしたのを思い出す。
やはり時間つぶしで、大丸百貨店の2棟のビルの間の歩行者天国に面した、オープンカフェでビールを飲んでいると、賑やかで気持ちのいい街並みだと、一人で感心したのも懐かしい。

天神の街並みの基礎を作ったのは、後に電力の鬼と言われた、松永安左エ門。
松永安左エ門は戦前、東邦電力を率いて日本の電力業の1/3を傘下に収め、戦時中は隠棲、戦後、電力業の民営化と経営健全化のための、電力料金の大幅値上げ(前後2回、あわせて2倍近くの値上げだったと思う)を官民上げてのブーイングを押し切って断行し、戦後の高度経済成長の基礎を作った人。
その過程で、当時の首相の吉田茂とも仲たがいして、周りがお膳立てして、仲直りで、小田原にあった松永安左エ門の住まいを吉田茂が訪ねて、お茶を楽しんだことがある。
そのあと、吉田茂は「松永安左エ門さんの茶器は見るべきものがあるが、庭は今一」と感想をのべたとのこと。
これを聞いて、「庭は国づくりと一緒で、10年、15年の時間をかけて出来ていくもの」と笑ったとか。
なお、このとき吉田茂が見るべきものがあると誉めた小田原の自宅の茶器・掛け軸は全て、松永安左エ門の死後、小田原の松永記念館に寄贈され、現在は、それが福岡市美術館に移り、松永コレクションとして、展示されている。
お茶に造詣の深い人からは(小林一三)、「松永安左エ門は庭に金を使わないが、年がたつにつれ、いい庭に育っていく」との評価。
天神の街は、松永安左エ門が50年、100年後をにらんで作った庭園のようなもの、年とともに、いい街
並みになっていくと、下の手記を読んで思った次第。

松永安左エ門が昭和39年1月に寄稿した「日経新聞 私の履歴書」 松永安左エ門著作集第一巻
「(九州鉄道<昭和17年に西日本鉄道になる>のこと)
ここらで九州鉄道のことを述べておこう。東電と東力が合併した直後の昭和3年5月から私は東邦社長になっていたが、傍系事業のなかで力を入れたのがこの経営であった。・・・
福岡~二日市間の工事は大正9年にできたが、このとき天神町を起点にしたのは次のような事情からである。博多駅を起点にすることは国営鉄道を喜ばす、一方そのころ福岡市民のなかには福岡側の繁栄を望む声が強かった。福岡市といっても中州を境に博多と福岡に分かれ、博多は神谷宗湛以来の商業地であるが、福岡側は旧城下町を主体に住宅街をなしており、福岡市は下町と山手に別れていた。その福岡というわけである。
そこで天神町に着目したのであるが柳原白蓮が住んでいた伊藤伝右衛門の”あかがね御殿”や取引所の建物くらいが目ぼしいものでまだ静かな住宅街だった。地元の木幡一という男に依頼して、この辺の土地を買い付け、九鉄本社を天神町に置きここから工事を始めた。同時に福岡市の糀屋町で呉服屋をやっていた博多の古い商人、中牟田喜兵衛を説きつけて、ターミナル・デパートを建設させることにした。このため中牟田を小林一三に紹介してその援助を頼んだが、これが現在の岩田屋である。またこのとき九鉄の付帯事業につくったのが春日原球場で、これは長く九州の”甲子園”だった。
 筑後川を渡って久留米市まで延びたのは13年の4月で、市街電車と区分して”急行電車”と呼ばれるようになっていたが、これから大牟田までが長かった。津福まで延びたのが昭和7年、それから先が出来たのは昭和も14年になってからだ。
長い間赤字を続け50円株が10円台になっていたこともあり、その打開は炭都大牟田に延長することであったが、資金は思う通り集まらず、土地の買収も進まず、さらにここでも国鉄側が大牟田乗り入れに反対ということであった。最も苦心したのは中島・大牟田でこの間、栄町からは国鉄と並行して走っているが、この用地の買収も容易に進まなかった。九鉄の不振打開に東邦社員のうちで戦闘力のある進藤甲兵(東力時代の常務で、東京進出部隊の師団長格)を岐阜電力から呼び戻し、九鉄の経営に当たってもらった。
私もたびたび督励に出かけた。大牟田市内の用地は「相場よりも高いものを要求してくるので困る」と進藤が言う。現場の責任者としては無理はないが、
「いくら高くとも買ってしまえ、土地というものは、必ず値上がりするもので少々高く買っても先にいってあのときは安かったと思うものだ。価格にこだわらず、早く片付けろ・・・」などと激励半分しかりつけたものだが、のちには大牟田駅への乗り入れも進藤が話しをつけて解決した。九州鉄道の初めから考えると大牟田~福岡間の開通には22年かかったのであった。
天神町の開発とこの乗り入れは思い出の一つである。」


 竹田農園のお隣に住む、江藤正翁(元南海ホークスのエース、88歳)とビールを飲みながら、八幡中学時代の思い出をお聞きすると、よく、「われわれのチームは弱く、春日原球場へ行こうが合言葉。北九州大会で勝ち残らないと行けなかった。」とお聞きして、私が、よく分からないという顔をするので、なんで春日原球場を知らないのかと、怪訝な顔をされる。
松永安左エ門の上の手記で春日原球場は、長く九州の甲子園とあり、やっと意味が分かった次第。

 11月21日、飲み仲間で有田方面のバス旅行。福岡市美術館にある松永コレクションを見物予定だか、もしバスが天神を通れば、「ここは松永安左エ門が手がけた、庭園のような街、だから見飽きない」と威張って解説したいもの。

 今度の日曜日・月曜日、ラーメン屋のI氏、M画伯等、ビール好きの不良爺さん達と境港に水木しげるロードを見物に行く予定。
お天気でありますように。
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昼はカワハギ、夜タヌキ(2010/11/3)

2010-11-03 22:15:03 | Weblog
文化の日、天気快晴、昼間は関門海峡でコーラル丸に乗り、アジ、カワハギ釣り。
帰宅後、夕方、妻と、タヌキに散々イモ類を食い荒らされた竹田農園に、柵の補強に。

(アジ、カワハギ大漁) 
釣り人は、M画伯に川端船長の顔なじみの工務店のHT氏、釣り熱心のST氏等、5人。
M画伯のバカ話に笑いながら皆さん、まずアジの良い型(冒頭の写真)、続いて、カワハギとアジのミックスと絶えず竿が曲がり、生簀は満タン状態。
特にカワハギは、今が一番肝が大きく、美味しい。(下はカワハギが釣れたところ)


(竹田農園のタヌキ爆撃の痕) 
夕方、釣り道具の片づけはそこそこに、竹田農園に。
途中、DIYの店で、動物侵入防止ネット、杭を打ち込む大きな木槌、杭を買っていく。
ジャガイモ、サトイモ、やつ頭は全滅と聞いていたが、ヤーコンはどうか心配。
農園に着き、問題の畑を見ると、ジャガイモ、サトイモ、大豆を何度も掘り返し、跡形も無い。ヤーコンは、手つかずで残っている。
この地域では栽培している農家は少ない野菜で、タヌキ衆はヤーコンを知らず「これは、ダリアじゃ、不味い、捨て置け」となったものと思われる。
今年の秋は芋なし、柿なしで、実りの秋には程遠いが、ヤーコンは健康野菜でおいしいので、これを味わって恵みの秋を実感したいもの。
下に、竹田農園の畑の写真(タヌキ衆が来る前、来た後)


 こんなによく実っていた畑が、タヌキ衆が襲来すると

 こんな廃墟に(イモ類・豆類は残らず食い尽くしている、少し芋が残っているのではと鍬で少し掘ってみたが皆無、タヌキめ徹底的に食い尽くした)


柵の補強 
2日前、妻が畑の補強をやっており、タヌキ衆の侵入は防ぐことができた感じ。
畑の大根等野菜も減っていないとのこと。
しかし、入り口を厳重にしたので、これを取り除いて畑にはいるのに、5、6分かかりそうで、開け閉めを簡単にするため、先日、職場の近くのテナントの皆さんからプレゼントの金網付金枠4枚を持ち込んで、スムースに開閉できる、入り口造り。
自信作が出来たが、既に日は沈み、あたりは真っ暗。入り口の前で、パチリ。(下の写真)

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