田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

2008/2/24

2008-02-24 22:21:02 | Weblog
田舎生活の好きな皆さん、お元気ですか。
日本列島は、台風並みの突風と寒波で、コーラル丸も、昨晩、釣り中止決定。
今日は、午後から竹田農園にジャガイモの植え付けに妻と出かけました。

(焚き火)
時々、湿った雪が舞い、気温は4度程度。
農園に着くとすぐに、バーベキューセットを取り出し、枯れ枝で着火、直径10センチ余りの枯れ木を、目たてしたてのよく切れる鋸で適当な大きさに切り、焚き火。
よく燃え、燃料費0の素敵なストーブの出来上がり。
焚火の側にいると、冷たい冬の風も苦にならず、ポカポカ。

(ジャガイモ)
DIYで買った、鶏糞、牛フンをたっぷり畝に撒き、三鍬で耕すと、ホクホクとした、よく肥えた畝が出来上がる。
妻がここに、ジャガイモの種イモを半分に切り、埋めていく。
作業が半分終わったところで、農園の隣の家に住む、江藤正翁(元南海のエース)が来てくれて、作業中断、温かい焚き火を囲んで、雑談。
ビールも。(冒頭の写真)

(二重契約)
江藤翁、
「知り合いの毎日新聞の記者の藪田氏が、新聞を送ってきてくれた。
パウエルの二重契約が話題になっているが、実は、江藤翁も1949年に社会人野球の大洋(今の横浜ベイスターズ)から、プロ野球にスカウトされた際、南海と阪神の両球団と契約を結んだと、責められ、1949年は一年間出場停止処分になった経緯を書いたと、2/20付の記事を送ってきた」とのこと。
温かい焚き火にあたりながら、ビール。
当時のいきさつを聞かせてもらった。
当時、南海の一枚看板の別所投手を巨人が強引に引き抜き、南海ホークスはピッチャーの補強が急務。
江藤翁に南海に入団して欲しいと、法政の2年先輩の鶴岡監督が、これも法政のOBの戸倉勝城大洋監督(のち、阪急の監督)に何度も会って、依頼。
二人の先輩の勧めで、南海入団を承諾。
するとこれも法政の5年先輩の若林忠志氏、当時、阪神の監督兼投手が、下関に来て、いっしょに食事、突然、「鶴岡さんには、話がついているから、阪神に入れ」と。何の準備も無かった江藤翁は驚いたが、それならと、用意された契約書に拇印を押す。
これが二重契約と大問題、とうとう、1949年は一年間出場停止。
戦争で法政のエースから学徒出陣でブランク5年、27歳での一年停止はつらかったとのこと。
父上の、「野球は止めてしまえ」との意見に傾きかかったが、何度も、南海ホークスの代表が自宅(今の江藤翁のお住まいと同じ敷地にあった)に見えて、一年辛抱して南海にはいるようにとの、話で、1950年に南海入団、その年は、15勝程、翌年は27勝で、第一回のオールスターの開幕投手に。
(当時のダイナミックなピッチングフォームは、2007/11/18のブログのhttp://blog.goo.ne.jp/takeda12345_2006/e/1740c5bde3da08d255bd9d1b42cd4af4
に。)  
当時は、今のようにしっかりしたコミッショナーは無く、巨人軍が実質のコミッショナー。
強引に巨人に移籍した別所がお咎め無く、自分が何で出場停止1年かと、悔しかった。
4年前、私が勤務先のT社をリストラになつて、農園で、ショボショボ畑を耕していると、
「まだ若いんだから、ガンバリなさいよ」と野太い声をかけてくれたことがあり、随分と、心に響いた事が昨日のよう。
こうした経験があるから、江藤翁の言葉には、重みと温かみがあったのだと思った次第。
 毎日新聞の記事、下に。

毎日新聞 2008/2/20 (北九州版)

パウエルのはるか以前、「二重契約」と認定され、一年間の出場停止処分を受けたプロ野球選手がいる。南海で投手として活躍した江藤正さん(85)=行橋市在住。南海と入団交渉を進めていたが、49年春、一瞬の隙を突き阪神が契約を締結。南海は翌日、契約無効として連盟に提訴した。
 両球団の監督は江藤さんと同じ法大出身。厳格であるべき契約が先輩、後輩の気安さで語られたことが悲劇を生む素地となった。「阪神の若林さんから『ツル(南海・鶴岡監督)と話はついている』と聞かされ、疑心などなかった。ぼくはどっちでもよかったんだ」
 実はこの少し前、巨人による別所の引き抜き事件が起こった。連盟裁定は巨人に甘く、その矛先が江藤さんへの厳罰につながった、と見る向きもある。
 その年の秋、阪神から南海にトレードされたが、汚名を着せられ、27歳の1年間を棒にふった。
 「パウエル? ぼく(のケース)とは違うだろう」(藪田尚之)


 今度の日曜日、飲み仲間の小倉室町錦龍のI氏のお誘いで、祭りのお手伝い。広場で焼き芋を焼いて、売れと。3月2日、10:30~、バナナたたき売り、ガマの油売り、ピリッとした祇園太鼓と、見どころ多し。常盤橋界隈が中心。したがって、釣りは休み。
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2008/2/19

2008-02-19 21:29:17 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
久しぶりの積雪、寒さに負けずに釣りに宴会に遊んでいます。

(ホームアローン)

先週木曜日、妻は娘と韓国に日曜までの予定で、出発。
私は小倉に出て、夜、帰宅、いつもカバンに鍵を入れているので、鞄のポケットを探ると、鍵が無い。
どうも、家の中に置きっぱなし。
妻が居れば、ドアは開けてくれるが、今は、多分ソウル。
玄関はまだ雪が残り寒い。
気持ちも冷え冷え。
思案したあげく、元来た道をトボトボ駅まで。
隣駅の苅田駅前にホテルが最近建ったのを思い出し、ホテルフロントに。
靴はゴム長靴、道は雪。
ホテルに落ち着いて、すぐ、東京の長男に電話。
長男も我が家のカギを持っているので、「すぐ宅急便で送って! 」
ホテル2泊のあと、土曜日の昼、小倉の若い人の就職支援センターに届きました。
やれやれ。
夕方、ゴム長靴のまま、テクテクとわが家に。

(厳寒・突風)
家に入れると分かると、すぐ関門フィッシングに翌日、日曜日の舟釣りの予約。
7時30分、関門橋近くの港を浜好丸、出港。
北風がピューピュー吹く。
狭い海峡、波は問題ないが、風で船が押されたり、進み過ぎたりで、仕掛けが安定しない、その分、狙いのアラカブの食いが渋い。
私が座った前の席には、ベテランらしい二人連れ、隣には、毎週関門フィッシングか、玄界灘舟釣りに出ているという、私と同じ年かっこうの釣り人。
浜好丸の浜崎船長は、人柄の良い、人気の船長。
船長の影響か、浜好丸の釣り人は、おおらかな気持ちのよい釣り人が多い。
今日も、船の動揺の影響で仕掛けが隣とお祭りしても、ニコニコしながら、皆さん、自分の仕掛けを切って、「すみません」。
アラカブ、食いが悪いと、前の釣り人「誰かが釣れると、気持ちがよくなるのに。」とポツリ。
釣れないと、他が釣れると、ムカッとする私には、驚きの言葉。
この前に陣取る釣り人が、結局20匹のアラカブとタコ一匹。
私はアラカブとメバル11匹。
どこが違うのかと、観察すると
①前の人は、竿先が微動だにしない、私は、ビールだツマミだとせわしなく動く。
②前の人は、寒風に素手で釣り、竿は常に両手持つ。
私は、寒いのでは手袋に片手はホッカいロの入った上着のポケット、竿は片手で操作。
ビールは飲みたい、ホッカイロは好き、それでも人の半分釣れれば、上等と諦めました。

(焼き鳥・チャンポンパーティ)
この日は、小倉駅前の居酒屋の串平で焼き鳥、そのあと、小倉室町のチャンポン屋の錦龍でチャンポン・餃子の宴会。
博多からクルーザーのラニーニャ号の艇長のN氏とその友達3名も合流。
串平はT氏、錦龍はI氏のそのぞれの店のオーナーの好意で貸し切り。
釣れたアラカブ、メバル11匹は、急ぎ帰宅、捌いて、小型クーラーボックスに入れて、串平に。
T氏、「よし、カラアゲ」。
ビールで乾杯していると、ちょうど、上手にカラアゲになった今日の獲物。
皆さん、これは美味いと、頭も、パリパリと平らげてくれました。
さすがプロ、骨もカリカリと揚っていました。
「この寒空によく釣りに行った。このアラカブは素晴らしい。」と褒めてくれましたが、前の釣り人の半分の釣果で、ガックリしている身には、意外で、これは、実体以上に評価されていると、コソバイ宴会でした。

(フィリピンの宮城マリ子、森まさ子)
N艇長の友達の一人は、フィリピンの女性で、フィリピンでは有名な国民的歌手らしい。
名前はエマさん。
また、ボランティア活動で、スラム街に生徒60人程の学校を作り、半分の生徒が授業料を払えないので、日本やカナダでコンサートを開いてその収益金で、学校や、里親(いままでに30人を育てた)の資金にしているとのこと。
N艇長いわく、「肢体不自由児施設、ねむの木学園を開いた、タレントの宮城まり子さんのような方。」
串平でちょうど隣に居たので、「なぜ、そんなボランティア活動を始めたのか?」と聞くと、
「母親が産婆さんをしていて、子供の時、母親について、出産の手伝いをしていた。
貧しい家庭が多く、母は食事やおやつの、余りをいつも持って行ってプレゼントしていた。
まだ食べたいおやつも母が持っていくので、持っていかないでと、喧嘩したことも。
大人になって、母の気持ちが分り、こうしたボランティア活動をしている。
母は、5年前、77歳で亡くなった。」
えらい人がいるもんだと、感心。
最後は、エマさんの歌を聞きたいと、錦龍のIさんの奥さんが取り仕切るスナックに。
エマさん、二曲歌う。
最初は、映画タイタニックの主題歌を英語で。
10人ほどの飲み仲間の面々、あまりの素晴らしさに目を見張り、言葉がない。
紅白歌合戦のトリの女性歌手が、すぐ隣で熱唱している感じ。
森まさ子と遜色ない。
もう一曲は日本の歌だったが、酔いが回り、曲名は忘れた。
この曲も歌の気持ちが伝わり、ジーンしたのは記憶に。
3/7(金)ニューオータニ博多で夕食付きのエマさんのチャリティコンサート(チケットの問い合わせは092-441-4558)があるそうで、私も2枚購入。
妻と行く予定。
チャリティのポスター、冒頭に。

 今度の日曜、コーラルで釣りに行きたい。
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2008/2/11

2008-02-11 11:45:51 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
中国、台湾では春節が2/7日。
季節感覚では、2/7日が本当の迎春で、関門も日差しが優しく、日中は日向にいると暑いくらい。
昨日は、コーラル丸で関門海峡で釣りでした。

(中学生)
この日は、私がウィクーデーに出かけている若い人の就職支援センターに時々顔を見せる、K氏と同行。
住まいが門司で岸壁からの釣りの盛んなところで、この一年、釣りに目覚めてよくサビキで、アジ、クロ、時にはアオリイカも釣りあげている、逞しい青年。
就職の面接をしり込みしてなかなか仕事が決まらないのが玉に瑕。
初めてのコーラル丸で、川端船長に「門司に住む、釣り好き」と紹介。
船長、懐かしそうに、
「私も中学まで門司、中学は何所? 一文字波止で中学生の頃、毎日釣りに行っていた、今は波止は埋め立てられて陸続きだが、当時は海に隔てられていて、伝馬船で渡してもらっていた。潮通しが良く、チヌがよく釣れた。」と思い出話。
二人は意気投合したようでした。

(人間関係)
K氏と並んで、新日鉄の埠頭のアジポイントでアジ、コノシロを快調に釣りあげながら、ビール。
K氏が言うには、
「釣りを始めて、人間関係が広がった。釣り場には常連の釣り人がたくさんおり、挨拶をするし、釣り情報を交換。この間は、波止場でアジのサビキ釣りを何人かの顔なじみでやっていて、ふと、竿を短いのに代え、岩壁の縁を釣ってみようとやってみると、大きなアジが次々釣れて、周りから、兄ちゃん頭いい、大学を出たんか?とほめられた」とのこと。
放送大学に入って、勉強したいと思っていいるK氏、鼻が高かったに違いない。
私も、釣りをしたいと、小学校に上がるか上がらないころ、母の里で、釣り道具を買ってきて、竿に取り付けていると、近所のオイサン達がやってきて、仕掛けをチェックしてくれて、
「それはそうとオモリはどこにあるんぞ?」3人で見ながら、(多分、浮きの上につけていたのと思うが)
「こんなとこにある」と笑われて、子供心が傷ついた思い出が。
こうした歯に衣をつけない、荒っぽい取扱いを他人にされたのは、これか初めて。しかし、これがいい経験で、少々の言葉には気にしない免疫が出来た。
縄文時代の昔から、釣りは生きるための食糧確保の手段で、単刀直入、大人から若輩に荒っぽく伝授してきたわけで、超引っ込み思案のK氏もいい人間関係の経験をしている様子。
就職も間近か。

(アジの一夜干しにコノシロの酢漬け)
14リットルのクーラーボックスに半分、小アジ、コノシロ大型(30センチ)を土産に我が家に。
小アジは南蛮漬け用に、中アジは背開きで一夜干し。
コノシロは三枚におろして、酢漬け。
一夜干しのアジは、今朝の朝食のおかずで、旨い。
一部、近所のクロ釣り名人のF氏宅に進呈。
先日の見事なクロのお礼。

 今度の日曜日は、コーラル丸休漁。
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2008/2/4

2008-02-04 14:55:53 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
先週土曜日は夕方から雨本降り、節分の宴会だと、小倉室町のラーメン屋のI氏のお誘いで、室町の旦那衆、女将さん衆と恵方巻きを食べてビール。
両隣りは、I氏と郷土史家のT氏。
二人ともコーラル丸の釣りメンバー。
寒いし雨が降るのに明日釣に行くのか?と二人とも呆れて、「俺達はパス。」
あけて3日の昨日は、ちょうど雨雲が北九州では切れて、時々太陽も見える、風も微風と釣日和。

(カップヌードル)

船には、船長の川端氏と私の二人だけ。
遠くの山(帆柱山)には、雪が積もって北国の風情(冒頭の写真)。
魚探には魚影があるが、狙いのアジではなく、イカナゴかイワシの稚魚の大群のようで、結局アジ、コノシロが5、6匹で納竿。
まあ、雨に打たれず、しかも新鮮な潮風に当たれて満足。
お昼頃、船長、船尾でお湯を沸かしてカレー味のカップヌードルを作ってくれる。おいしいこと。
体の内側から温まりました。

(よもやま話)
釣り人は船長と私だけで、竿を出しながら、よもやま話。

①コーラル丸釣友の会のメンバー、だんだん年をとってきて、寒いこの時期、釣りに出るのがおっくうで、キスの釣れだす春を待っている人が多い。

②釣れた魚を誉めて、食べてくれる身内がいる間が、釣りも楽しい。
奥さんに先立たれて一人暮らしになると、釣りもあまり楽しくないのだろう、釣りに来なくなる。

③コーラル丸はディーゼルエンジンで動き、燃料は軽油。
平均的には、60リットルの軽油を毎回の釣りで使う。
船の燃料タンクは300リットルで、
残量が100リットルになると、軽油を補給する。
3回の釣り毎に、200リットリ補給。釣り船専用の油屋が、港まで小型のタンクローリーで給油しにくる。
この一年で軽油の値段が倍になり、船賃を値上げする見込み。

④健康のためには、何かして、シンドイと思っても体を動かした方が良い。
朝、晩、夫婦でウォーキングしている人を見るが、仕事なり、遊びでやった方が楽しい。
船長の奥さん、美容院を一人でやっているが、止めないといっている。
私も、竹田農園の休耕田の草刈り、夏場暑いが、イチヂク等の果物を植えて、どれくらい育ったか、わくわくしながら草刈り。
ただ、草をかるだけより、果物の苗木があった方が、やる気になり、続く。
先週の日曜日、イチヂクを3本、追加で植えた。

⑤船長、日曜日釣りに出て、翌日の月曜日、奥さんも美容院が休みなので、夫婦で日帰りとか、泊まりがけ(車の中で寝ることが多い)で大分県の温泉に行き、骨やすめしている。500円で、何度でも風呂に入れ、休憩室で持ち込んだ弁当を食べたり、温泉の水蒸気で料理OKといった温泉、たくさんある。私も月曜日暇なので、連れて行ってとお願い。

 来週日曜日、またコーラル丸出漁。
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味噌づくり

2008-02-01 21:01:08 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
今日は、若い人の就職支援センターは休んで、妻の味噌作りの手伝い、午後は先日目たてした鋸で林の枝切りをしました。

(味噌)
結婚したばかりのざっと30年前、妻が「味噌をつくろう」と。
作ったことがあるのか聞くと、「作ったことは無いが、母親が作るのは見ていた。短大の食物の教科書にも作り方が出ていた」とのこと。
教科書を見ると、米5トン、塩1トンといった、工場レベルの数値が列挙。
これを米は10キロ程度使うからと、電卓で必要な塩、ダイズの量を計算してやってみると、一年後、味噌が出来たではありまませんか。
以来、30年、毎年味噌を作ってきました。
結構いい味で、市販のものより、塩が少なめで、味噌汁を作る時は、たくさん味噌を使うが、体にもよさそう。
独立して所帯をもった子供達やら、私の飲み仲間にと、作る量も米15キロと昨年から増産。
我が家での作り方は
①米15キロを蒸す。
 多いので、ガスコンロとわが家の餅つき機(蒸し器機能あり)の両方使用。
②蒸した米は、冷えないように、古布団に包み、15キロ全て蒸し終わるまで積み上げる。
③近所の薬屋で「麹菌」を買っておく。
 包み紙に「もやし」と書いてある。
 田舎の薬屋には売っている。
④蒸し終わった米を人肌程度に冷まし(冒頭の写真)麹菌を混ぜる。
 失敗を恐れ、必要な菌の4倍使う。
 1200円程。
 菌は、カビの胞子を集めたような感じで薄こげ茶。
⑤布団に包み、熱を失わせないように、ホッカイロ(使い捨てカイロ)14個を布団の中にペタペタ。
⑥これで48時間放置。
 発酵して麹になる。
 30時間くらいたったところで、一度かき混ぜ、発酵熱を少し冷ます。
⑦2日後、塩、3.6キロ(米+大豆の重量の20%)を麹と混ぜる。
 前日から炊いたダイズ3キロと大豆の煮汁、塩で発酵を止めた麹を餅つき機で混ぜる。
 一度では多すぎるので、10回程に分ける。
 これをソフトボール大に丸めて、間に空気がはいらないように、プラスチックの大きな樽にビッシリと詰める。
⑧表面にカビが生えないように、仕込んだばかりの味噌の表面に、薄く塩をまぶす。
⑨1年、寝かせておくと、おいしい味噌出来上がり。
⑩表面にまぶした塩は、結晶のように残る。若干のカビは、しゃもじでこそぎ棄てる。食べる時は、しゃもじで10センチばかり掘り、内部から食べる。塩は、後自然に味噌に混じる。また、カビが生えるのを防ぐため、昨年の夏、梅酒から取り出した梅を見えるくらいに浅く埋めておく。

今日は、⑤までやって、そのまま、竹田農園に。

(枝うち)
竹田農園の林には、私が結婚する前既に亡くなっていた妻の父親が植えた貝塚イブキが直径、30センチ、高さ10メートル近くに成長し、3年前の大形台風で10度ほど傾いたまま。
危険な状態。
高いところの枝を三脚に私が登り柄が2メートル程の鋸で挽く。
息が切れても、途中で止めるわけには行かず、大きな枝が屋根を直撃しないように、妻が竹ざおで枝を押しながら、苦闘20分、重さ25キロ程の枝がドスンと地面に。
貝塚イブキ本体は、枝がはらわれたので、台風が来ても、多分倒れないハズ。
先日、目たてした、大鋸で切り落とした枝を切断してみると、見事な切れ味。
直径8センチ程の枝をキューリでも挽くように、ザクザクとあっという間に切断。
こうして切り出した長さ1.3メートル程の枝は、イノシシ防御の柵の杭にする予定。

我が家に戻り、ひと風呂浴びて、血糖値計ると93と、健康値。釣りも畑も健康にいい。
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