田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

ボーイズ ビー アンビシャス ライク ディス オールドマン(2024/9/5)

2024-09-05 22:37:36 | 俳句、短歌
先日、テレビのクイズ番組。
各県の偉人ベスト5を当てたり、選ばれた偉人にまつわるエピソードがクイズに。
 回答者は、カズレーサーのような、クイズのスペシャリスト。

 私の郷里の愛媛の偉人のNO.1は正岡子規、 続いて日露戦争で活躍した秋山兄弟の名前も。
 北海度は、偉人NO.1はクラーク博士。
偉人の選出は、各県民合計15000?人のアンケート。


素朴な感じの北海道の小学生にマイクが向かうと、「クラーク博士が一番の偉人。少年よ大志を抱け、この老人のように」と。
 早口で、最後の老人のようには、辛うじて聞き取れた。
驚いて、横で見ていた次男に、あの子は、最後、この老人のように、と言ったなと聞くと、言ったと返事。

 私のような75歳、団塊の世代は、少年よ大志を抱け、の有名なセリフはよく知っている。
立身出世、末は博士か大臣目指せといった意味だろう程度の理解。

 私が学生時代、3年間暮らした、同志会での一コマを、この北海道の小学生のコメントで思い出していた。
 同志会は、明治の終わりに、坂井徳太郎という25歳の青年が、アメリカのハーバード大学で過ごした学生寮に感銘、日本の大学生にもこうした寮生活を経験させたいと、寄付をつのってスタートさせた、キリスト教系の学生寮。
 定員は18名と小人数、キリスト教の宗派問わず、カトリック・プロテスタント・無教会(内村鑑三に始まる)と雑多。
 教会や行政のバックアップはなく、卒業生が寄付したり、ボランティアで世話役を買って出たりで、120年たった今も、東京の文京区は西片町で続いている。
 学生の完全自治でもある。

 そこの行事に、金曜会という会合があった。
毎週金曜日の晩、寮生と、同志会を世話してくれている、理事長(当時は、薬学者の石館守三氏)、牧師さんお二人(聖公会の高瀬恒徳主教、プロテスタントの小西芳之助牧師)が必ずお見えになり、まず夕食をいっしょに取り、次にチャペルで祈祷と、そのあと、感話会(ショートスピーチ)で学生が近況やら経験談を話し、最後に3人の先生がコメント。(冒頭3先生の写真、1973年発行の同志会70年史より)
 もう55年前になるが、石館守三先生が、知り合いの方がクラーク博士のことを調べていて、有名な、ボーイズ ビー アンビシャスの次に、まだ言葉があったと。それが、ライク ディス オールドマン。それを聞いた小西牧師(学生時代、同志会に暮らし、日曜日は内村鑑三の聖書講義を聞き、サラリーマンを経て、牧師に)が思わず手を打ち、それで、前の言葉が生きてくる、なるほどと、感銘した姿が今も鮮明。

 意味は本当には分かっていなかったが、多分、大事な言葉(ライク ディス オールドマン)なんだろう、どうも、立身出世、末は博士か大臣とは違うと、ボンヤリ思ったのが昨日のよう。
 その後、同志会の先輩や内村鑑三の弟子、そのまた弟子の方を訪ねたりして、ライク ディス オールドマンの肉付けをしてきて、どうせなら、実践をと暮らしてきたのが、今までの75歳の人生だったように思われる。
 31年働いた会社を55歳でリストラで退いたのが、ライク ディス オールドマンの意味を知るいい契機にも。

 テレビで、「少年よ大志を抱け、この老人のように」、と小学生がスラスラと言うのに、驚いて、北海道では、今は、学校や家庭での会話でこのように正確に伝えていると知った次第。
 ネットで見ると、ウィキペディアでも、ライク ディス オールドマンと結句していると知ったことでした。

 焼酎でほろ酔い気分が吹き飛んだひと時でした。

 
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私が昔過ごした学生寮の同志会の生活を詠んだ俳句(2024/4/10)

2024-04-10 22:48:40 | 俳句、短歌
最近は、竹田農園に電車~折り畳み自転車で行くとき、電車の待ち時間に、私が学生時代、3年間お世話になった同志会という小さい(定員max18名)の会報を読んでいる。
 今までは、毎年届くのだが、私が書いた近況とその前後の同級生の書いたものをパラパラ読むだけで、放置していた。電車の待ち時間、ダラダラスマホを見るよりも手軽な小冊子(かさばらず、リュックに入る)を読むことに。
 それで現在は、最近届いた同志会の会報。

 これを読んでいて、心に残った個所が、俳句。
私が卒業して、23年後に卒業された、中山善仁氏が詠んだ句

 木蓮や鑑三読みし寮の部屋

 この句は、残念ながら、中山氏が昨年(2023年)お亡くなりになったとの訃報を中山氏の母上が同志会に知らせてくれた手紙に添えられた句。(冒頭)
同志会を詠んだものと思うとの母上からの一言も。

   同志会は、1902年に坂井徳太郎という当時25歳の青年が設立したキリスト教系の寮で、創立120年になる古い小さい学生寮。教会や行政のバックアップはなく、卒業生の寄付の寄せ集めや、これも卒業生が入れ替わり立ち替わりボランティアで世話人にはせ参じて、都内の大学生の小さい寮として今も続いている。
 キリスト教の宗派は問わず、カトリック、聖公会、プロテスタント、無教会(内村鑑三に由来)と融通無碍。
 私は、内村鑑三の弟子の矢内原忠雄、そのまた弟子の西村秀夫、杉山好先生という方の著書やら講義に惹かれて、聖書を手に取った。
 この句の、鑑三は、内村鑑三。
 後世の最大遺物など、内村の名著を私も同志会の静かな部屋で読んだし、お会いする機会はなかったが、この中山氏も内村鑑三の著書を読んで過ごしたのだろう。気持ちが50年前、22歳の昔に一気に帰る深く印象に残る俳句でした。

 この中山氏、どういう方だったのだろうと、同志会の会報を何冊か見てみましたが、法学部政治学科の卒業、滋賀県の大津にお住まいとしか分からなかった。

 ネットで、お名前と大津で検索すると、俳句をよく詠んでいたようで、NHKのテレビの俳句番組で特選に選ばれていました。

 その句が

 タンポポを踏めり 踏み絵を踏むがごと

 これもいい句だと思いました。

更に、同じ番組の特選に

 白々と 明くる夜空や 冬田あり

 が選ばれていました。
自然に深く親しんだ方だったと思います。

50歳前後の若さで亡くなられたのは残念だが、人の記憶に長く残る俳句をいくつも残していかれた良い人生だったのだろうと思いました。
 
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汐巻で楽しい五目釣り 鯛・イカの気配(2024/3/10)

2024-03-11 11:54:54 | 俳句、短歌
 田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日の日曜日、名高い漁場の汐巻に釣りでした。
前日の晩、釣り幹事の工務店のSZ氏宅にとめてもらい、まだ真っ暗の4時前、小倉出発。
瓦屋のMY氏、HY氏、銀行員のSK氏らいつもの釣りバカ。
油谷湾の対岸にある久津漁港を6時前に出港。
船はいつもお世話になる第五漁神丸。
今日は、油谷湾を出て真っすぐ沖に、本来の汐巻。
昨日までの強風も収まり、釣り日和。

(五目釣り)
期待した青物は全員空振りだったが、楽しい五目釣りになりました。
真鯛(大鯛は船中3匹 そろそろ真鯛シーズンの気配)






アラカブ(ボッコも)





人気のアコウ

人気のマハタ(タカバ)

人気のアマダイ

名前不詳、美味しいらしい

レンコ鯛




マトウダイ


ヤリイカ(そろそろイカメタル出番かも)

イサキ

カナトフグ

ヒメ(通称沖ハゼ 3枚に下ろして一夜干し)


(調理)
夕方帰宅、今日は私は期待の青物は釣れず、大ダイもご縁無く、ゆっくり夕食を取り、その後、持ち帰ったレンコ鯛、アラカブ、マトウダイを調理。
レンコ鯛は二枚に、頂いたヒメは三枚に下ろして、塩水に40分程
漬けて、一夜干し。
10時過ぎには、終わり、爆睡でした。

朝、一夜干しを回収、一枚づつ袋詰めにして冷凍庫に。
主に農園でのバーベキューで炭火焼予定。美味い。

今回の釣り「めでたさも中くらいなりおらが春(小林一茶)」の心境。

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今年の草刈、ゴールが見える(2020/11/1)

2020-11-01 21:55:13 | 俳句、短歌
秋晴れ、往き電車~折り畳み自転車、帰り迎えに来た妻の車で竹田農園でした。

 11月になり、草の伸びるのが止まった感じ。
3巡目の休耕田の草刈、後半の上手の田んぼ、350坪ほどで、今日で3回目の草刈。
一回で1油タンク分しかしないので、油タンク3タンク分。(冒頭)
 草丈の高い一帯は、今日で終了で、後は、2回も草刈りをすれば、終了の予感。
来年の5月まで、休耕田の草刈りは不要になる、やれやれ。

 草刈りの後は、リヤカーで既に刈った刈草を畑まで運ぶ。

今日は、根が定着して、葉が立ち上がってきたネギの根元に運んだ刈草を敷いておく。
肥料と、病気予防になる。

 お昼は、ゆっくり時間をかけて、一人バーベキュー。

柔らかな秋の日差しが、ビールの肴。
(翌朝、布団の中で一句
 和らかな秋の日差しに飲むビール)

 いい運動になりました。
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孫は伸び、爺はすぼむ(2020/9/17)

2020-09-17 10:46:38 | 俳句、短歌
今日は、午後から雨の天気予報。
家でおとなしく、ビデオでもと横着を決め込んでいると、堺に住む娘からライン。
孫が学校で書いてきたらしい、短詩をコメント付きで送ってきたもの。

 小五の孫 男の子
お題 「生きる」に続けて詩をつくりましょう

「生きる
それは
全てが充実している
わけではないということ」

 娘のコメント
深い・・
侘び寂びが・・・
哀愁漂う秋の詩

 小二の孫 男の子
お題 あいうえお の詩
「あぶらぜみが
いたそうに
うって
えみたいな羽がきれいだったのに
おなくなりになった」

 娘のコメント
死んでもーた(emoji)

小五の詩は、徒然草の
「なにごともし残したところのあるは
生き延びる心地のするものなり」
の世界と繋がり、そうだよなーと納得。
 小二の詩は、最近農園でよく見かける
アブラゼミの死骸を思い出しました。

 孫や子供は、爺の意表をついて成長、爺71歳は
日に日にすぼんでいくのを実感して、うれしいような
侘しいような。

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小雪の中でバーベキュー(2018/12/29)

2018-12-29 18:32:00 | 俳句、短歌
家の中でブラブラもあきて、行き電車~折り畳み自転車、帰り野菜を取りに来た妻の車で、竹田農園でした。

 お昼前に着き、休耕田からリヤカーで刈り草を一度畑に運び、最高気温5度とのことで、そのあとは、ひたすらたき火の薪作り。
 薪が揃ったところで、たき火コンロでたき火、炭をおこして、バーベキューに。
今回は、缶ビールはリュックで持ち込み。
 たき火と炭火で、ポカポカでいい気分になっていると、ヒラヒラと小雪舞う。(冒頭)
 木陰に避難するほどでもなく、そのままビールにサヨリの干物やら、餅を焼いてバーベキュー続行。
 一句「暇オヤジ小雪の中でバーベキュー」
仕上げのあんころ餅を食べていると、雪が降るので、トーチャンを救援にと、早めに妻の車。

 妻は大根、カブ等の収獲とタマネギの中耕。

 私は、里芋、ジャガイモ、ヤーコン、つくね芋の収獲。
今日の野菜で、おせち料理も作り、年越しの予定。
 ヤーコンは、先日一株掘ったら、さっぱりで、やばいかもと心配したが、今日3株掘ると、例年並みに、立派なヤーコンが続々でやれやれ。


 ヤーコン、ジャガイモを収穫した後の畝には、昼前リヤカーで運んだ、刈り草を積んでおく。
 後は、一冬かけてミミズ、微生物が、いい土にしてくれるはず。

 ヤーコンは、美味しいし、オリゴ糖が大腸のビフィズス菌の栄養になり、お通じがよくなり、風邪も引きにくくなると、結構引き取り手が多く、帰りに妻の卓球友達のYさん宅により、配給。

 畑仕事は、今年はこれで終了。
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江戸時代の田舎生活の様子 短歌(2017/4/29)

2017-04-29 16:38:12 | 俳句、短歌
郷里今治の今治西高校に私が通学していた時、古文の先生で、池田義孝先生という方が教鞭をとっており、学識の深さに、生徒、先生の尊敬を集めていました。
 この先生が、古文の副読本に本を出して、私も愛読。
 古文の教科書に載っていない、日本の古典のさわりを紹介、分かりやすい説明を加えたもの。
 その中に、江戸時代の短歌で川で魚を取る子供の光景をうたったものがあり、今も記憶に。
 正確にはどんな歌だったのだろうかと、まだ捨てずに保管してあった、この副読本を本箱から引っ張り出して、読んでみました。
 以下、ご紹介。

 井手曙覧(いであけみ)の短歌。 江戸時代末、福井の清貧の国学者とのこと。

こぼれ糸網につくりて魚とると二郎三郎太郎川に日くらす

 小学生の頃、今治の清水という田園地帯にある従兄弟の家に春休み、夏休み泊りに行き、小川に一日小鮒を追いかけていましたが、その時の光景と二重写しになります。

 その他の短歌も田舎生活で体験する場面で味わいがあります。

「蟻と蟻うなづきあひて何かことありげにはしる西へ東へ」

「たのしみはあき米櫃に米いでき今一月はよしといふ時」

「たのしみはまれに魚煮て児ら皆がうましうましといひて食う時」

「たのしみは珍しき書人に借りてはじめ一ひらひろげたる時」


 随分、印象に残る短歌だと思っていましたが、先ほどネットで調べると、正岡子規も高く評価したとのこと。また、クリントン大統領も天皇陛下がアメリカ訪問の際、井手曙覧の短歌を引用して歓迎のスピーチをしたとのこと。
 こういった短歌を高校の古文の副読本で高校生に紹介してくれた、池田先生の見識にも改めて脱帽しました。
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ラインでの句会(2017/3/30)

2017-03-30 23:20:00 | 俳句、短歌
一年前から、妻といっしょにスマホに携帯を取り替え。
高齢者向けのスマホで画面は携帯とよく似ている。
行き当たりばったりで、ラインも始め、昨日は家族の俳句会。
テーマは、北九州の若い人の就職支援センターの退職。
年齢も4月には68歳でそろそろ辞め頃。

まず妻
「ずっとアイロンかけてきたYシャツを見て一句。
 お疲れ様 残るYシャツ あと一枚」
同居の次男
「立春の 畑耕し 脱ぐ背広」

「金じゃない 心の自由 さくら道」

 釣りと畑は、まだまだ辞めません。
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正岡子規の病牀六尺を読む 3/3(2013/1/26)

2013-01-26 22:38:40 | 俳句、短歌
印象に残った箇所(3/3)

病牀六尺(岩波文庫 ワイド版 p174)
いよいよ暑い天気になつて来たので、この頃は新聞も読む事出来ず、話もする事出来ず、頭の中がマルデ空虚になつたような心持で、眼をあけて居る事さえ出来なくなつた。去年の今頃はフランクリン自叙伝を日課のやうに読んだ。横文字の小さい字は殊に読み慣れんので三枚読んではやめ、五枚読んではやめ、苦しみながら読んだのであるが、得たところの愉快は非常に大なるものであつた。フィラデルフィアの建設者とも言うべきフランクリンが、その地方のために経営して行く事と、かつ極めて貧乏なる植字職工のフランクリンが一身を経営していく事と、それが逆流と失敗との中に立ちながら、着々として成功していく所は、何とも言はれぬ面白さであつた。この書物は有名な書物であるから、日本にもこれを読んだ人は多いであろうが、余の如く深く感じた人は恐らくほかにあるまいと思う。去年はこの日課を読んでしまふと、夕顔の白い花に風が戦いで(そよいで)初めて人心地がつくのであつたが、今年は夕顔の花がないので暑苦しくて仕方がない。(九月一日)

 子規はこの20日後、明治35年9月19日に結核・脊椎カリエスが悪化し激痛の内に亡くなる。満35歳。フランクリン自伝は、私も高校生~大学にかけて何度も読んだ(翻訳 冒頭の写真)面白い本。アメリカでは、昔から社会に出る若者の必読の書であると聞いている。日本の太閤記とよく似た、痛快で、経験に基づき仕事の優れたやり方が懇切丁寧にこれでもか、これでもかと明示されている名著。子規が実業家としても大輪の花を咲かせることの出来る人であったとこの一節を読むと分かる。

 
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正岡子規の病牀六尺を読む 2/3(2013/1/25)

2013-01-25 22:23:09 | 俳句、短歌
印象に残った箇所(2/3)

病牀六尺(岩波文庫 ワイド版 p168)

日一日同じ処に畑うつ(子規)
という句を評して(碧梧桐)作者自身が畑うつ場合であるかわからぬといふてある。これは余の考えは人の畑打ちを他から見た場合を読んだつもりであるのぢやけれど、作者自身が畑打つ場合と見られるかもしれん。・・・・・(8月28日)


 この句は、特に春や秋、種まき・苗植えの準備を竹田農園でやっている光景とぴったり。一つ畝の表面に積み上げた枯草を他の畝に移し、牛糞を入れて、鍬で耕し、畝の表面を整地し、種まき・苗植えの溝を作り、やっと種まき、苗植えつけが終ると、既に日は暮れ、帰りの時刻になる。今日はこの一畝で終わったなと呆れる。この句を木片にマジックで書いて、林の木の枝に吊るしておこうと思っている。今日、さっそく、我が家の物置にあった木の板にマジックで句を書いて、今度の農園行に持っていこう。それにしても下手な字。

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