田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

松永安左エ門の戦後の電気料金大幅値上げ(2012/4/28)

2012-04-28 21:09:08 | 松永安左エ門の足跡巡り
田舎生活をしていると、読書の時間は十分ある。最近は、松永安左エ門著作集を読んでいる。松永安左エ門は傑出した実業家、茶人、登山家、歴史家、随筆家、そして遊び人。東京電力の実質国営化のニュースを最近は耳にして、松永安左エ門の戦後の電力会社の民営化と、電源開発のため、料金を66%値上げを断行した下りが痛快だった。値上げ反対の各層からの声にひるむことなく、電気料金の値上げとそれを元にした電源開発で戦後の高度経済成長の基礎を築いた胆力と見識の深さには驚かされる。見ていてバカバカしくなる最近のテレビの国会中継も、松永安左エ門の時代なら面白かったろうと思った次第。下のような内容。昭和36年、松永安左エ門の88歳頃に書かれた思い出話。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(松永安左エ門著作集 第4巻 p431)
7割5分の値上げ方針

九電力がともかく発足したが、最初に実施したのが二十六年八月の料金値上げである。この事件で吉田内閣と公益委の対立が起こった。
 吉田首相が「公益委でなく私益委員会だ」と私をしていわしむれば、見当違いの非難を浴びせて、永年の間柄であった松本委員長と対立状態になってしまったり、私が「電力の鬼」ということにされてしまう原因となったのがこれからである。
・ ・・まず最初に当面したのが二十六年の渇水である。・・・このときは朝鮮事変がおきて電力需要はますます増大する傾向にあった。
 渇水のひどい例をあげると、二十六年十一月十三日には全国の発電所がわずか二百二十万キロが稼動したに過ぎない。今日東電だけでも四百万キロ以上が動いているのであるから(三十六年六月)いかにひどかったかが伺われるが、この頃は法的な使用制限を行った。それも東北・北陸・関西・中国地区では九月分は、四・五月分の使用実績の五割制限、休電日を週に三日も設ける状態であった。この事情は十月に台風があって一時緩和されたものの、二十七年三月まで続いた。・・・供給状態の悪さというものは今日からみればちょっと想像もつかない。
 そこで急がれたのが電源開発であったが、九電力が発足したといっても料金は経常収支すらつぐなわない状態で、まして新規投資の資金を借り入れることなど、到底おぼつないなありさまであったから、この料金問題というのは結局、開発資金対策でもあったわけだ。つまり急を要する問題であった。・・・・・
 それはさておき七割五分の値上げの方針が伝わると、俄然大きな反響が捲き起こった。総司令部(GHQ)がそれゆえに定率償却に反対したことは先に書いたとおり。国会、政府筋も大反対だった。二十六年八月に実施した三割値上げ案では総司令部では賞与費用というケチな項目まで削ってきたが、ともかく実施できた。これが第一回である。二回目二十七年五月の改定の時はさらに大騒ぎになった。このときは僕が反対した電源開発促進法のことも絡みつつあっが、ともかくひどい反対だった。
 奥むめおさんが、「主婦連」を作ったのも、確かこの電力料金の値上げ問題からであったと記憶している。
 「電力再編成というのは、米国から九匹の乳牛を輸入したようなものである。これに適正な料金を払うということは餌を与えることだ。その飼料を十分与えず、また三度のものを二度にするというのであれば、長く国民を養ってくれる乳はとれない。親牛も死んでしまう。子供が可愛いのであれば飼料代を嫌がるのは間違いである・・・」と参議院商工委員会で奥むめおさんの質問に応えて説明したこともあった。このたとえ話は荒れ狂う国会の反対論を、いくらか沈静させる効果があったようだ。後年箱根で奥むめおさんに会ったとき「アノ松永さんの牛乳論で、私どもは反対の気勢を大分ソガれましたよ・・・」ということで大笑いになった事もあった。以来奥さんとも仲良くなって今日に到っている。
 分かっているはずの政府が、私からいわせると全く駄々っ子みたいだったのは政治家の良識何処にありや? と今でも思う。反対の先鋒は安本長官兼物価長官の周東英雄君であった。・・政府側の意向として値上げ反対を伝えに来たが、少しも理論的なことを言わない。私が「しからば電気事業の自立ができなくしておいて、今後の急激な電力需要にどうして応ずるのだ。資金も集まらず採算がとれない形は、単に電気事業だけの問題ではない。日本の復興をどうするんだ・・・」と詰問するんだが、彼はただ急激な値上げだから困る。政治は政府の責任である。といっているに過ぎなかった。・・・・
 二十七年の値上げを当初の水準でいうと三割六分五厘にあたり、二回あわせると六割六分になって、最初の目標というか、九電力の希望した七割五分には達しないまでもホボ近いところになる。この二回の料金値上げは、公益事業委員会のやり方が強引なものと世間が取りはやした。大阪に行ったとき、新聞記者が来て、
「電力料金の値上げは政府も反対している。それでも実施なさる積もりか?」
「当たり前だ。政府は何もわかっちゃいない」
「しかし政府は値上げさせないといっている」
「ソンナ政府ならぶち壊してしまえ・・・」
といっておいた。これが新聞に出たから今度は与党が怒り出した。国会に私を呼び出して、ソンナことをいったのは事実か? と聞くから、
「大阪でシャベッタのはそのとおり、趣旨は間違いなし」
と証言したから、今度は議員連が呆れたような顔つきだった。
 ともかく国会も政府も値上げには猛烈に反対である。・・・需要家が両院の代議士に働きかけていたのだから、文字どおり天下上げての反対である。しかし結果からいうと賛成者がホンノ一部の学者を除いて全くなかったからこそ二度の値上げが出来たといえる。つまり私一人が悪者になれば済むからだ。
 そう考えて私は譲らなかったのだが、その結果、公益事業委員会のなかで強いのは松永であると伝えられ、「電力の鬼」というあまり有難くない名を頂戴した。
  二度目の料金値上げの公聴会で広島に行ったとき、・・・三井造船の社長だったと思う人が・・心から納得してもらえなかったようだ。そして値上げには反対であることを申し述べていた。私は「皆さんの立場はよくわかるが、ご自身の産業の利害からのみ論じてはいけない。産業というものはお互いに発展することが必要である。電気事業は基幹産業であるから、その供給力を高めることは国全般に繋がる問題であるから、苦しいでしょうが、大所高所から判断して欲しい・・・」との趣旨を語った。そのとき私は失礼だが戦後の経営者は粒がちいさくなったなあ! としみじみ思った。概ね自己の立場から利害をいっているに過ぎず、経済全般というか、ともに栄えるという考え方がみうけられないことである。
・ ・・・
そんなことで第二回の値上げは二割八分となり、二十七年に実施したが、当初から考えると六割六分五厘の値上がりである。二回分を合算しても約一割私の考えより低かったが、いうなれば、これが定率と定額の償却方法の差である。二十九年まで続いた電力の割り当て制にたいし、経済界の大半は実際は料金の料よりも電力量の量であった。二十六年でも、禁止を目的としているかのような二段料金の高い方を使ってまで操業度を上げていた企業もいくらもあった。朝鮮戦争の影響もあって、景気は上向いていたので物を作れば売れた時代であり、操業度の向上で固定費は下がるのである。・・・
 二十九年に割り当て制度が廃止され「もはや戦後でない」と経済白書は三十一年に名文句をハイたが、それにはこの二度の値上げと再編成(電力会社の民営化)が大きく貢献したことを今でも信じている。政府も財政資金で開発の援助を行ったが、値上げによって開発資金が直接獲得でき電源開発が軌道に乗り、電力供給が増加した。またこれによって外資導入も出来るようになったと思っている。

 この料金問題と並んで苦心したものに需要増加の見通しを決める増加率のとり方と言うことがあった。・・二十六年以降三十六年までの電力需要の伸び率は平均十一・五パーセントという高い実績になった。・・・私が8パーセントを主張すると・・・経済安定本部では3パーセントだと主張していた。・・・

 一方、電力会社に対し職制、機構の点についてこんなことをいった。「大きくすべからず」である。私はその点で各社社長に十分注意することというので一札とった。形式的なことで無論法的な効力はないのだが、いわば肝に銘じてもらいたかっのである。そこで社長連が集まる機会を捉えて、約束する意味で署名捺印してもらった。するとこのなかには社長でなく代理人がきているところもある。こんなところは署名を躊躇していたから少しおかしくなった。
「社長に電話して許可を得ますからしばらく待ってください」
などと言うも人も出る始末である。・・・新電力会社の発足に際しては、なるべく簡素にして経費の節約を図らせる心がけを要望したものであった。・・・運営機構を簡素化することによって、セクショナリズムに陥ることを避けようとしたものだが、その後の実情は必ずしもこの趣旨が貫かれているかどうか、ちょっと疑わしい気もする。
  ・・・
(p471) なぜ私が電源開発法に反対したか。いうまでもなく国営事業は能率があがらず、したがって経済的でもなく、サービスも悪い。第一自由闊達な民間事業でないと、民族永遠の生命源である人が育たないからである。こんなことを今さらクドクドいう必要はないが、電気事業の国営論は常に出る意見であり、今後も飛び出してくるであろうから(ことに今次の社会党の政策綱領になっている)、電気事業の国営という考え方に触れておこう。・・・ 
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関門から藍の島に釣り遠征(2012/4/23)

2012-04-23 20:11:46 | Weblog
本来なら昨日の日曜日、名高い漁場の汐巻で釣りのはず。
しかし、低気圧の接近で海は大荒れでまたも中止。
これで昨年12月から3回続けて私に回ってきた汐巻釣りのチャンスは没に。
次のチャンスは5月の第一日曜。
今日は、「汐巻がダメなら関門があるさ」と関門フィッシングの乗合船でアラカブ釣りでした。
私と同じように、沖ノ島での青物釣りが中止になり、しびれを切らせてきたという釣り人2人と一緒で3人の釣りバカでのんびり釣り。

(潮の濁り)
関門海峡のアラカブポイントに仕掛けを投入するも1時間当たりなし。
船長の話しでは、この2日間の高波で、海の底の泥が撹拌され潮が濁って魚が餌を食わないとのこと。
急遽、日本海への入り口の藍の島近くまで遠征することに。
ポカポカ温かく、周りの景色を楽しみながら、ビールも飲んでくつろぎました。
冒頭の写真は、関門橋。
しばらくすると、武蔵・小次郎の決闘の島、巌流島(下)

それからしばらくして、住友金属の高炉が見える(下) 黄砂の影響か、遠くがかすんでいる。

更に行くと、新日鉄の高炉(下)


北九州は鉄の町。
藍の島まで来ると、海の色は、澄んだ藍色でこれなら魚も釣れそう。
私はメバル仕掛け、他の釣り人は、ジギング、餌釣りミックスで楽しんでいました。
白島近くまで、遠征してくれる。白島の石油備蓄基地をパチリ。下の写真。


(アコ、ボツボツ)
船長は丹念にポイントを流してくれるも、魚の食いは、ポツリ、ポツリで退屈しない程度。
オッ来たというのは、29センチのアコが一匹上がった時で、期待したメバルも一匹だけ。
他に小型のアラカブが10匹といったところ。
船で釣りに出れただけで満足で、お隣の釣り人がシャッターを押してくれてパチリ(下の写真)。


(トラフグ、関門海峡に)
関門海峡に、朝、10隻程の漁船が集まっているのが見える。
例年この時期に外海から大きな(50センチはありそう)トラフグをねらっての釣り船らしい。
この日、トラフグを釣り上げた船の生簀を覗かせてもらうと、あまりの大きさにビックリ。
紺青色の小型の豚が泳いでるのかと思った。
このトラフグの群が入ると、他の魚を追い回して、釣果が下がると聞いたこともある。

 納竿間近、ロシアから天然ガスを運んだ大型タンカーがゆっくり日本海に出港。
下の写真。
煙突に樺太のデザイン。


 帰って、アコと比較的大きいアラカブを刺身に夕食。
居酒屋で食べる刺身より、釣ったアコ・アラカブの刺身が美味いと家族からお褒めの言葉。
これはまた、釣りに行ってよろしいの許可と解釈。
いい一日。今晩は爆睡の予感。
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春の畑(2012/4/22)

2012-04-22 21:01:34 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
予定していた名高い漁場の汐巻での釣り、昨日から波浪警報発令の悪天候で早々と中止。
今日は朝からの雨も昼には上がり、青空。
明日は関門フィッシングで釣り予約したので畑に来れない。
草が生え始めた竹田農園の畑の手入れに午後から出かけました。

(ヤーコン)
健康芋のヤーコン、そろそろ植え時。
冬場、畑の畝に埋め込んでいたヤーコンの球根を掘り出し畑の畝に積み上げた枯草を取り除いて、牛糞を撒いて鍬で耕し、植え付ける。
ヤーコンはオリゴ糖が一杯で、腸に届くと、ビィヒィジス菌の栄養になり、腸内が健康、免疫細胞も増えて、病気になりにくいらしい。
連日酒だタバコだとやりたい放題の飲み仲間の不良爺さんたちに、もっと作れと人気の芋。
冒頭は、畝を作る前、下は、ヤーコンの球根と、耕し中の畑。


(お手伝い)
現在、長女が孫と帰省中。
孫は2歳と4カ月で好奇心旺盛で、家の中では好きにやらせてもらえず不満が一杯。
私を迎えに来た妻が、この孫を車に乗せて、夕方到着。
試に大根を間引いて、ジョウレンに入れて一緒に運ぶと「ヨイチャヨイチョ」(と聞こえた)とよく働く。
目を離していると、自分一人でジャガイモの中耕をしている妻の所に行き、もっと大根を引こうと(言っているらしい)。
妻が付き合って一本だけ引いて引き上げるところをパチリ(下)


春たけなわで、ジャガイモ、タマネギ、ソラマメにグリーンピース、春大根etc.スクスク育ち、にぎやか。

全員、いい運動になりました。
明日、関門に釣り。
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農園で春の味覚(2012/4/16)

2012-04-16 19:12:39 | 先生・友人
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
そろそろ竹の子の季節、竹田農園の近くの孟宗竹の山に竹の子掘りに出かけました。
川端船長ご夫婦と、知り合いの若い人3人も参加。
昼過ぎ、長女と次男も合流し、総勢、11名でバーベキュー。

(竹の子)
今朝早く既に人間様の先客があったようで、5人で30分程探すも、小ぶりの竹の子5本のみ。
ないよりましと、農園まで引き上げる。
これを一本は川端船長の奥さんのリクエストで皮をそのままに、炭火で焼く。
結構おいしいとのこと。
残りは皮をはいで、バーベキューの炭火で鍋に湯を沸かし、ヌカ、トウガラシを入れて湯がく。

(バーべキュー)
春まっさかりで、ポカポカ陽気。
焼き肉、ウィンナー、椎茸を焼いて、ビールにカッポ酒。
若いご夫婦は将来農業をしたいということで、一月前、神奈川から引っ越してきたもの。
川端船長も畑を数年前から借りて、ヤーコンやサツマイモを栽培しており、空き家や畑の借り方の実践アドバイス。(冒頭の写真 バーベキュー風景)
お隣に住む江藤正翁(元南海ホークスのエース、89歳)も加わり、江藤翁の父上から言われて一度だけ田植えの手伝いをしたことがあるが、苗を一本だけ植えたところで、「もういい、お前のような大きな足で田にはいられると、土手が崩れる」とストップがかかりそれ以来農業の経験はないといった話もでて、盛り上がりました。

 先週の土曜日、愛知県から江藤翁を訪ねて来た人がいて、昭和20年代の野球事情について
いろいろと聞きに来たとのこと。40歳前の感じの男性で、当時のプロ野球の歴史に詳しかったとか。
丸焼きの竹の子、結構いける味で、春の味を堪能できました。

(インゲン豆の種まき)
インゲン豆はメキシコ原産で、今もインゲン豆をメキシコ人はたくさん食べるそうで、それでメキシコ人は自殺が少ないという説も。
豆の葉緑素が鬱傾向を軽減する作用もあるらしい。
多分、食べれば、世の中の楽しい面がたくさん見えてくるのだろう。
 それを聞いてから、農園の畑に春と秋、インゲン豆を蒔くことにしている。
 今日は、若い人3人に、手順を説明し、道具を渡して、畝づくりから種まきまでやってもらう。
結構上手にやり終える。何事も経験と言うところ。作業が終わったところでパチリ。


 ほんの少しの竹の子を湯がいたものをお土産に、夕方散会。

 今度の日曜日、名高い漁場の汐巻に釣りの予定。
長女と孫が帰省しているし、おいしい魚をご馳走できるかも。
波静かでありますように。
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釣り仲間は汐巻で釣り、私は孫とお散歩(2012/4/15)

2012-04-15 21:40:18 | Weblog
今日は日曜日、海はナギで久しぶりの釣り日和。
名高い漁場の汐巻にこの35年、月二回のペースで通っている木工職人のSG氏達、今年初めて、出港。
 今までは、いつも日曜日は海は大荒れでやっと出れた釣り。
 私にもお声がかかったが、あいにく、別の用事で釣りに出れず。
 朝10時ころ、釣りメンバーの、工務店のS氏に電話すると、弾んだ声で
「皆さんすでにボッコ(30センチ前後の大型のアラカブ)が10匹前後、トラギスも釣れて、玉石混交。今、歴史家のT氏が船べりをギシギシいわせながら糸を上げよる(大物が掛かったということ)・・・・鯛は上がっていない」とのよだれの出るような実況中継。
 皆さん、いい日曜日を過ごしたようです。
 私は、我が家に20日ほどの予定で帰ってきた長女と孫でにぎやかで、暇だった午前中は、孫とJRの電車に乗ってお散歩。若いころのような体力も忍耐力もないと、痛感し早々に、娘に孫返却。

 明日は、農園に竹の子掘りの予定。
何人か、来客も。

(琉球大学の木村名誉教授、地震・火山の予知で高名で、私もよくHPを読んでいる。
しばらく更新が無かったが、先日更新。とても参考になります。左のブックマーク)
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農園の春(2012/4/9)

2012-04-09 18:16:40 | Weblog
 最高気温22度と先日までの寒さが嘘のよう。
春たけなわの竹田農園に妻と出かけました。
農園の近くで馬ケ岳、御所ケ谷(右)をパチリ。(冒頭の写真)
一足先に妻は帰り、次男が夕方迎えに。
お隣の江藤正翁(元南海ホークスのエース、89歳)は、天気が良いので自転車とバス乗継で行橋まで買い物でお昼は妻とバーベキュー。
 今日は道の駅で買ったキュウリの苗の植え付けと、同じくキュウリの種まき。
5月末には新鮮なキュウリが取れるはず。
 サトイモの種イモ、昨年とれた芋を越冬のため畝に穴を掘って保存。これを掘り出して、畝に植え付け。
 段々畑もにぎやかに。
 真竹を切り出して、カッポ酒用に切断。一本は今日のバーベキューで使い、残りは小倉駅前の焼き鳥屋の串平におとどけの予定。(下の写真)ご主人もお客も喜んでくれる。

真竹の山は元々栗畑で、放置していたもので、現在4本の栗の大木が生き残っており、真竹を切り出すので、真竹と競合している栗の木が元気になるという一石二鳥。

夕方迎えに来た次男に片づけを手伝ってもらい(下の写真)、帰路に。


いい一日でした。
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白島付近でメバル釣り後花見(2012/4/8)

2012-04-08 22:43:19 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
快晴、天気予報は午後から強い南風で海は荒れる。
コーラル丸に釣りに出るか電話すると、風が強いので釣りは無し。
困ったときの関門フィッシングで、白島周辺のメバル釣りに出かけました。

(メバル竿&インターネットで買った仕掛け)
門司港の船溜まりから富士丸に乗り、長駆関門海峡を走り、白島まで40分ばかり走る。(冒頭の写真、下は日の出)

白島周辺でのメバル釣りは今年はこれで3度目。
前回メバル釣りで苦戦したとき、メバル釣り用の柔らかい竿を20年前に買い、これを大型の魚、コイチ釣りに使ったら、船長から竿が柔らかすぎると一言で、ガッカリで物置に置きっぱなしだったのを使ってみようと思いついた。
今回この、超柔らか竿をおっかなびっくり使ってみる。
仕掛けは、インターネットで買った、「せとうち春告魚」と言う名前の6本針、針には、ヒラヒラがついておりしょうゆの香りをしみこませているらしい。
驚いた、底をとって竿を持っていると、グイグイとメバルが食ってくる。
たくさん一度に釣ってやろうとリールを少し巻いて、十数える。
超柔らか竿で重い魚の引きに竿は海に竿先がはいるまで曲がる。
一度は、同時に5匹のメバルで嬉しさもひときわ。(下の写真)

メバルは竿で釣れということわざを思い出した。

 帰港途中天然ガスを運び終わったタンカーをパチリ。


(花見)
帰港し、その足で、小倉の森林公園で花見に合流。
飲み仲間のHR氏が企画してくれたもの。
桜は今が見どころ、見事な桜に、ビールにバーベキューで皆さん盛り上がっていました。
バナナのたたき売り、元日本チャンピオンのKB氏も来ており、余興にバナナのたたき売り。(下の写真)

釣り帰りで、酔った勢いで、KB氏にメバル3匹提供するから、メバルのたたき売りもやってチョーダイとお願い。
3000円でバナナを競り落とした酔っ払いの若い人がおり、ちょうどいいと、バナナプラスでこのメバル3匹を付録で謹呈。
 愉快な花見でした。下に写真。




 釣り後、花見で遊びてんこ盛りの一日でした。
メバル、アラカブは帰宅して数えてみると、20匹でした。(叩き売りに出した3匹含む)

(秋月からの葉書)
先週の日曜日、飲み仲間とバスを仕立てて、秋月にバスハイク。
その時、地酒屋の店先で江藤正翁と四方山話をした年配の女性に一緒に写した写真を送っていたら、写真届いたとのお便り。
 ずいぶん喜んでくれた。(下)
「今、秋月は桜の花が満開です。毎日お客様です。先日、写真をお送りくださいましてありがとうございました。お友達も喜んでおります。私は目の手術をして片目になっています。字も良くかけません。ほんとうにありがとうございました。何時もながめています。お礼まで。」
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農園でのんびり(2012/4/2)

2012-04-02 17:44:41 | Weblog
昨日のバスハイクで心地よい疲労、昨晩は爆睡で、よいめざめでした。
快晴、ポカポカ陽気で、妻と桜見物を兼ねて竹田農園に。
 農園のお隣の江藤正翁(元南海ホークスのエース、89歳)も加わり、日向ぼっこしながら、ビールにカッポ酒。
 炭火で鶏肉、ウィンナーを焼き、焼き芋も。(冒頭の写真)
畑は、グリーンピース、タマネギが勢いよく伸び始め、草取りをしておけば(下の写真)、土の状態がいいので(枯草を敷き詰めた効果)このまま、成長してくれそう。


ジャガイモもかわいい芽を出して、春たけなわに。
 食事の後、小一時間草取りをして、我が家に。
 気持ちのいい、一日でした。
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研醸酒造 春の花見物のバスハイク(2012/4/1)

2012-04-02 10:01:47 | 酒蔵を不良爺さん達と訪ねる
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日の日曜日、黒ラベルの会という、サッポロビールしか飲まないというあまり意味の分からない会のバス旅行にいってきました。
小倉室町のラーメン屋の錦龍のご主人のI氏の飲み仲間が集まり自然発生的にできた会で、私は今回、お世話係。
行先は、大刀洗の平和記念館、酒蔵の研醸、秋月の桜、最後は温泉というコース。
参加者は、当初、25名くらいで赤字になりそうだったが、直前に増え、41名。
竹田農園のお隣に住む、江藤正翁(元南海ホークスのエース、89歳)も。
妻は、町内会の総会に出席で、朝、集合場所の西小倉まで大量のビール運びのみやって退散。

(研醸の酒蔵見学)
 研醸は、インターネットで見つけた、ニンジン焼酎などで有名な焼酎メーカー。
酒蔵見学のお願いを一ケ月前すると、日曜日は休みだが、酒蔵を開けていただけることに。
 ところが、バスが出発し、研醸に電話すると、「今日の営業は終わりました。・・・」のアナウンス。
何度電話してもおなじ。
バスの運転手さんも前日から何度も電話したがつながらない。
もしかして、見学の話をわすれたのかも、別の酒蔵が近くにあるので、そちらに行こうかと思案。
バスの運転手さんも研醸に行く道が狭すぎて、大型バスは入れないかもと、酒蔵変更に傾く。
 しかし、電話した時の研醸の社長さんの温厚そうな声が、とても酒蔵見学を忘れるようには思えず、ええいと、大刀洗の平和祈念館(特攻隊の遺品の展示)に着くと、タクシーを呼んでもらって「私も行きましょう」と言ってくれたバス運転手さんと二人で、研醸の偵察に。
菜の花に囲まれた田園地帯に研醸はあるが、事務所も酒蔵もカギがかかっている。
近所の方に聞くと、朝、従業員の方が出入りしていたが、帰った、そこに、社長?の自宅があるので、行ってみたらと。
立派なお宅に「こんにちわ」と声を掛けると、社長の息子さん。
驚いて、すぐ、社長に電話すると、到着する11:30に鍵をあけ、従業員も出勤する段取りと。
大型バスの通れる道も教わり、この際、別の酒蔵に行こうとの誘惑に負けず良かった良かった。
メンバーの長老のO氏、別の飲み会の帰り、「飲み仲間の付き合いでは不義理をしては、絶対にダメよ」との独り言を思い出したドタバタでした。
 41名の皆さん、試飲した焙煎麦の焼酎、ニンジンジュースに満足。

私は、7年間、樫の樽で寝かした、麦焼酎の古酒を3本購入。
随分お得な値段で売ってくれた。
帰って、妻と息子に見せると、さっそく飲んで、いい風味とお褒めの言葉。上は試飲風景。

(秋月の桜祭り)
 お昼をおいしくいただき、(下の写真)、バスは桜、菜の花の咲き誇る田舎道を一路秋月に。

秋月は福岡の黒田藩の支藩で、桜並木や、品のある屋敷が観光客に評判で、ちょうど桜の季節でこの時期の日曜日はたくさんの車。
しかし今年の桜の開花は遅く、桜開花時期ニュースで、3/31の夕も秋月は、桜まだつぼみ。
 桜は見れなくても、せっかくここまで来たから行けと、秋月に着くと、なんと桜5分咲。
秋月のある朝倉市周辺は昔から石工を輩出しているそうで、町のいたるところに石垣。
石垣の前でパチリ。

 町の春の桜祭りの日で、飾りの車をひいて、賑やかに行列(下の写真)。

 私は江藤翁と町を散策。
 一休みした地酒屋の店先で、近所のお婆さんたち3人とよもやま話。(冒頭の写真)
江藤翁が友達は皆死んでしまって、趣味もないし、することがない。
私のような年寄りは毎日どうしているのか一度聞いてみたい、と言うと、
この3人、「畑が楽しみ、私とこの野菜は成長が悪い、あんたのとこは好いね等、話していると元気になる」とのこと。
 80歳代半ばのとのことで、ご主人たちは、桜祭り見物でたくさんやってくる観光の車の交通整理に出ているとか。
 おばあさんたちの言うには、秋月の桜は昨日の午後、開花が始まったとのこと。
はや五分咲きで目を楽しませてくれている。
 このバスハイクでは、句会をやっており、私の句は、この時のよもやま話を歌って

「あの桜、昨日開いた、お婆々言う」

 楽しい一日で、解散の西小倉駅前で、皆さん、「また行きましょう」と。

 
 
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