田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

鹿児島バス旅行 竹崎農園にもお邪魔(2024/11/2~3)

2024-11-04 23:35:16 | 農園巡り
釣り幹事の工務店のSZ氏夫妻のご好意で、鹿児島県、2泊3日のバス旅行を楽しんできました。

 初日は、おはら祭の前夜祭で、夜の市街で、おはら踊りを披露。
私は何回か参加して踊っているが、ほとんどマスターせず、ワンポイント遅れの苦心の踊りでした。
 それでもなかなか経験できないひと時。

 二日目、三日目は、楽しい観光。
熊本県との県境の出水地区に移動。
 今も残る武家屋敷の街並みの散策を楽しんだり、江戸時代初期に出水の郷士達を指導した、山田昌巌の逸話に驚いたり、共感したり。


 三日目のお昼は、山手の農園の「竹崎農園」にミカン狩り。
農園の奥様の話では、経営の柱はカラタチの若木に各種ミカンを接ぎ木して、ミカンの苗木作りと販売とのこと。
 各種ミカンも栽培・販売している。
 一度は、奥さん単独、二度目はご主人とドイツの農園を見学して周り、楽しい農業、ゆとりのある農業をしているのに感銘。
帰国してからはキャンプ場を設けたり、ミカン狩りをしたり、昼食の出来る素朴なレストランを作ったりして今に至っていとのこと。
 ミカン狩りをしてみたが、上手にミカンを育てており、美味しいこと、舌を巻きました。
 高知のイングリッシュガーデンに行った時も、ご主人の安岡氏が同じように、フランス、オランダの農家が、現金収入は少なくても、何軒かの農家でワインやパンを持ち寄り、楽しい農業をしているのを見て、日本でもこうした農業をと始めたのがイングリッシュガーデンと話していたのと、同じ。
 
 竹崎農園で食べたお昼のスペイン料理のパエリア(米にエビ、シジミを加えて、鉄板で蒸し焼き)も絶品でした。

 雄大な桜島(冒頭)にも見とれましたが、出水の政治の指導者の山田昌巌、竹崎農園の経営者にも感心した鹿児島旅行でした。


 
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イングリッシュガーデンハウスから電話(2024/6/1)

2024-06-01 09:24:13 | 農園巡り
朝、高知のイングリッシュガーデンの奥様から電話。
先日、年に4回、柑橘類を送って貰う「賢ちゃんの四季」で、おいしい小夏が送られてきたので、その件だろうと話を聞いていると、ご主人の安岡賢之氏が先日亡くなったとのこと。
 驚いてお幾つでしたかと聞くと、88歳、突然亡くなって気持ちが今も混乱しているとのこと。
 ネットで見ると、亡くなる直前まで、ミカンの剪定をしていたそうで、長患いの無い、私から見ると、理想の亡くなり方。

 送られた小夏は、最後のイングリッシュガーデンからのミカンで、減農薬(8~9割カット)、美味しく安全なミカン。
 毎朝の食卓を賑わせている。
 子供達にも、長年送ってくれており(有償)子や孫も栄養面でもためになり、立派な安岡氏の農民魂も感じ取ってくれたのではと思ったり。

 イングリッシュガーデンには、都合4回、お邪魔したが、今も鮮明に覚えている。
 安岡賢之さんから聞いた農業への姿勢が、竹田農園での木陰の毎回のバーベキューや無農薬・無化学肥料の後押しをしてくれている。
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孫見物の旅の合間に、日野水牧場と諏訪湖見物(2024/5/11~15)

2024-05-15 23:53:28 | 農園巡り
この5日間、東京に住む長男、堺に住む長女宅に妻といっしょに押しかけ、孫見物。

 東京では、長男が参加している消防団のポンプ車を見物。

 東京から堺への移動を利用して、中央本線を使い、まず八ヶ岳の山麓にある日野水牧場に。
この牧場は、私が大学生の時、50年前、友人の長網良明氏と2泊3日で泊めてもらった思い出の牧場。
 学生時代過ごした同志会という学生寮の先輩の日野水一郎氏が始めた牧場。
その後、数年前から時々、妻とこの牧場にお邪魔するようになり、今回も甲斐大泉駅からタクシーで、この牧場に立ち寄ることが出来た。
 日野水一郎氏のご子息の丈士氏が後を継いで、立派に切り盛り、レストランと、コテージで旅人をもてなしてくれる。
 着いたのは丁度お昼時、先客が2組いて、いい雰囲気のレストラン。
 景色も素晴らしい。
 ランチは野菜たっぷり、パンも美味で満足。
時間があったので、丈士氏と雑談。
 明日、80歳になるそうで、私も75歳、健康法やら学生時代の思い出話。
 諏訪中央病院の鎌田実氏の健康随筆をよく読んでいると私が申し上げると、鎌田先生たちのグループが、特に減塩を繰り返し勧めて、特に男性が塩の摂取が多すぎと指摘、お蔭で、長野県の男性の平均寿命は日本の中ごろから、今では、トップの長寿県になった等。
 丈士氏と記念写真。(冒頭)

 この日は、諏訪湖の近く上諏訪の民宿に泊まる。
お手軽の料金で、温泉があり、料理もしっかり。
 特に朝食は、昨日日野水牧場で聞いた、野菜一杯の健康食。
小鉢に、生姜の漬物、チーズと昆布の佃煮の混ぜ物など、これは美味いし、体に良さそう。
 諏訪中央病院の食事キャンペーンをしっかり受け止めた料理かも。

 宿を出たついでに、近くの諏訪湖に。
遠くに、穂高の雪を頂いた山並みも見え、絶景。

 サイクリングをしている方の話では、近くで黒曜石が出て、縄文時代には、矢じりやナイフ用に、盛んに諏訪から出荷されていたとのこと。
 人も集まり、経済力もついて、諏訪湖周辺は縄文時代の文化の中心地だったとのこと。

 諏訪と言えば、諏訪大社と、下諏訪の諏訪神社に。
神社は4つあるそうで、行ったのは、そのうちに一つの秋宮。
 諏訪地方は神主の長が、大名兼任だったそうで、立派な社殿。
 有名な、丸太を逆落としにする神事で運んだ丸太も4本、社殿の四隅に立てていました。

 名古屋経由で堺。
娘宅に一泊。
 仁徳天皇陵が近くにあり、広大な公園が古墳に隣接して。
この公園の中に、日本庭園、そこに朝散歩して、茶屋もあり、抹茶を飲んでのんびり。
 堺は、明との貿易で栄えた街で、日本庭園も中国の史跡も念頭に作られている独特のつくりとのこと。

 孫の成長と爺・婆の老化を実感し、新しい発見もある楽しい五日間の旅でした。

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山梨の日野水牧場に4年ぶりに遊びに(2023/5/24)

2023-05-24 18:39:28 | 農園巡り
今日まで5日間、1.5年ぶりに東京・堺に住む子供たちの家に妻と遊びに。
孫も上の子は中学生、スクスクと育っていました。

 新幹線のジパング倶楽部のお得切符利用で、経費節減も。

 東京から堺への移動は、途中、山梨の日野水牧場に寄って、レストランで昼食、松本泊まりも。

 日野水牧場は私が大学生の時、52年前、私が住んでいた同志会という古い学生寮の先輩の日野水一郎氏を訪ねて一度、4年前、ご子息のこれも同志会の先輩の日野水丈士氏が牧場にレストランも設けたと聞き、訪ねたことも。
 今回で3回目。
 日野水丈士氏は私より、4歳年上で、78歳だが、お元気。
食事も野菜たっぷり、パンも父上の代からの美味しいパンで、満足の昼食でした。



 食後、丈士氏とパチリ(冒頭)。

 松本城は、江戸時代の建物そのままで、急こう配の階段は、印象に残る難所で面白い。


 娘の住む堺は、仁徳天皇の大きな古墳が保存されていて、隣接する大きな古墳公園も市民の憩いの場。
 ここに、実は、堺市が観光の目玉に、巨大バルーン(ヘリウム)を浮かべて、観光用に上空100メートルから仁徳天皇の古墳の全体の景観を見れるようにと準備、営業直前に、原因不明のガス漏れで、バルーンは撤去。
 その跡地を見物。

 敷地周辺の花壇に水やりしている係の方に、いつからバルーン再開? と聞くも、未定とのこと。
 バルーンは撤去して、ガス漏れの原因を調査しているとのこと。
 ヘリウムガスは4万円/7立米とのことで、4000万円ほどのヘリウムガスの損失とのことで、これからどうなりますか。

 久しぶりのJRを使っての旅、海外からのお客が新幹線、特急列車は半分近く、全員マスクは付けていない。
 皆さん、総じてマナーが良い。
 日本人は列車の中は、8割の人がマスク。

 久しぶりに孫子に会え、日野水牧場にも行けて、楽しい5日間でした。

 明日から、畑と釣りの人に戻ることに。
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高知のイングリッシュガーデンハウスからミカン届く(2020/1/23)

2020-01-23 14:26:37 | 農園巡り
20年ほど前に、たまたま遊びに行った高知のミカン農家&バラ園のイングリッシュガーデンハウスから、先日、今年初めてのミカンの宅急便。
 農薬カット、90%で、味も抜群のミカンで、食べて美味しいし、体にもよさそう。

 毎月、購入する「賢ちゃんの12か月」が基本の購買だが、年4回、「賢ちゃんの四季」という、購買方法もあり、私はそれでお願い。
 東京の長男家族、堺の長女家族にも同タイミングで送ってもらっており、両方の家族から届いたよ父ちゃん、母ちゃん、サンキューの連絡も毎回。
 味にうるさい孫も、イングリッシュガーデンのミカン類は、喜んで食べるそうで、不思議。

 お年も70歳の私より、一回り程先輩のはずだが、一時は年齢を考えて、ミカン畑を縮小する方向と聞いていたのが、いつからか、近所の農家が高齢で栽培は無理と手放したミカン畑も引き受けて、勤勉な農民魂は健在。
 年賀状に「私も70歳」と書いたら、返事に、「70歳は若い」と笑われるしまつ。

 毎回のミカンに添えて、便りがあり、それも楽しみ。
今月のは、
「皆様に支えられてここまで続ける事ができた私のこだわりみかん。ようやく辿り着いたと思ったところが実は入口。幾度どんな思いをしたことか。安心安全で「美味しい!」と思わず声の出るようなみかん。そして、最後にお金になるようなみかん。
 その昔、「賢ちゃん。そんなみかん作りは財閥になってからやりなさい。」と言われた事を思い出します。
 しかし私は、みかんを「美味しい」と言って喜んで召し上がって下さる方の笑顔と健康を思い浮かべて、60年余り頑張り続けて来ました。
 あと何年作ることができるか分かりませんが、今年も頑張ります。
こんな私のこだわりみかんにお付き合い下さい。お願い致します。」(冒頭)

仲の良いご夫婦、ご家族で、これも見習いたいもの。
昨年春、50年ぶりに足を運んだ八ヶ岳山麓の日野水牧場と、このイングリッシュガーデンハウスは、私の知っている本物の農家。

 これからもご縁を大事にしたいもの。
 
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47年前の夏旅行(2019/6/27)

2019-06-27 14:28:00 | 農園巡り
昨日から、断続的な雨。
これで畑の野菜は勢いを取り戻すはず。
畑に出かけることもならず、一日家でゴロゴロ。
本箱にあった、同志会という私が大学生の頃暮らした学生寮の会報(冒頭)に、寮生として寄稿した夏休みの旅行記事を読み直しました。
私はこのとき、23歳、翌年の春には、北九州の住宅設備機器のメーカーに就職することが決まっていた。
 この春、47年ぶりに訪ねた八ヶ岳山麓の日野水牧場や、山形の山の中にある高校、山形基督教独立学園(広い敷地内に畑があり、牛も飼っていて生徒が世話)、大阪の芦屋にある三田谷治療療育院(ここにも広い畑があった)の先輩の仕事振りを見物に行ったときの思い出話。
 47年たった今も記憶が鮮明で、竹田農園で健康野菜作りに汗を流すときの、励みになっていると思ったことでした。下のような内容。


夏旅行 (1972年同志会 会報)

今年の夏休みの前半、二十日ほど、日本の中央部(北は山形・南は四国)を行ったり来たりしてきた。懐かしい思い出もあれば、話したくない思い出もある。懐かしい思い出、二、三。
七月十八日~二十日。同志会を昭和12年に卒業され、農林省の役人として将来を約束されていたにかかわらず、戦後、開拓農民として、八ヶ岳のふもとで、高地農業に従事しておられる、日野水一郎先輩の牧場に、長網兄と行く。「私は農民であり、実際家である。私はこのことを誇りとしている。」と言われる日野水先輩。乳牛二十頭の為の干し草作りに大忙しの頃。抜けるように青い空。八ヶ岳の威容。
軽井沢、甲府、尾鷲とほっついた後、大阪へ。
七月二十七日。同志会を、昭和八年に卒業され、建設省で、銚子港建設等に携われた後、奥様の父上の後を継がれ、現在、芦屋市内にある、三田谷治療療育院という精薄施設の責任者として活躍しておられる、飯島十郎先輩を、小西兄と伺う。どっしりして、悠々迫らぬ先輩。園児の作った花瓶。学校畑。人懐っこい園児。寿司のおごりにあずかった後、失礼する。
東京にひとまず戻り、その後、山形の飯豊山に登り、帰路、基督教山形独立学園に。
八月三日。昨年六月、河野兄と学園に来て以来、一年振りで、学園の鈴木先生とお話しする。河尾兄といっしょ。真理を求めて止まない、そのために、この山奥に来て、教育に半生を捧げる鈴木先生。学園に、夏休みを利用してやってきた、小生と同年輩、または、やや若い学園OBの皿洗いに口ずさむ歌が、やがて、同志会メンが、クリスマス前、半月間特訓をやっても、まだ実現出来ぬ、見事なハーモニーとなる。昨年、支払わずに来た、食費、宿泊費(一泊三食六百円)をついでに支払って後、学園を後にする。
今回旅行でお会い出来た三人の先輩(鈴木先生は同志会の先輩ではない)は、それぞれ、ご自分の天職を見出しておられる。小生も、自分の天職を見出したいという願いがあったので、これらの三人の先輩との何日間かが、特に印象に残っているのかもしれない。小生にもいつか自分の天職が示される時が来るかもしれない。その時、この夏の三人の先輩との何日間かが、小生を何らかの形で、力づけてくれるものと信じる。
追記・・現在特に印象に残っている事、人間のよく出来た女性を生涯の伴侶とすべし。
   三人の先輩とも、素晴らしい奥様がついておられ、内助の功、少なからずと見た。
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山梨の日野水牧場を50年ぶりに訪ねる(2019/4/20~24)

2019-04-24 20:18:37 | 農園巡り
東京と堺に住む長男、長女宅に4/20~24の5日間妻とブラリ旅でした。
今回初めて、フルムーンパスというJRのシニア向けの5日間夫婦で列車乗りたい放題、グリーン車もOKのお得きっぷ利用。
孫見物の他に、今回は、いつか訪ねてみたかった山梨県の八ヶ岳山麓にある日野水牧場と、岐阜にあるらしい、ユダヤ人へのビザ発行で有名な、杉原千畝記念館に寄るのが目的。

 日野水牧場は、私が大学生の時お世話になっていた同志会という小さい学生寮の先輩の日野水一郎氏が始めた牧場で、2泊3日で泊めてもらったことのある牧場。
 干し草作りや、新品種のブラウンスイスという牛の話しや、各地の牧場の跡取りの若者が泊まり込みで牧畜の実習に来ているのが新鮮で、今もよく覚えている。
 50年近く前の話し。
 その後、年賀状のやり取りはあったが、日野水氏がお亡くなりになってからは、ご無沙汰。
これも同志会の先輩(私より5歳年上)のご長男の丈士氏が牧場を経営していると風の便り。
 年賀状の中で、日野水一郎氏が私と友人の長網氏が来たとき、一緒に写真を撮らなかったのが残念とあり、もう一度牧場に行って、跡取りの丈士氏と写真を取りたいものといつも思ってきたもの。
 
 長男宅に2泊した後、中央線の特急で甲府に行き、鈍行に乗り換えて小淵沢に。
そこで、小海線に乗り換えて、甲斐大泉下車。
 ネットで調べると、駅から1.5キロとのことで、地図片手に妻と上り坂をテクテク。
防風林のカラ松の間から、まだ雪の残る八ヶ岳。

 50年前のおぼろな記憶も頼りに、大通りを横に入り、砂利道を行くと、視界が大きく開けて、畜舎と日野水牧場の看板。
 レストランをやっているとネットにあったので、まず腹ごしらえとガラス張りの店に。
 厨房にいた女性が気が付いて、席に着き、水を持ってきて注文を取りに来た、がっしりした体格の男性に、日野水丈士さんですかと、お聞きすると、そうですよと。
 同志会の3年程後輩の竹田で、50年ほど前、父上が牧場をやっていたころ、泊めてもらった云々から始まり、懐かしい思い出話。
 〇泊めてもらった時、20歳前後の若者が3人泊まり込みで、実習生として働いていた。と言うと、父上が全国に酪農の話しを講演することがよくあり、その話を聞いて、全国から若い人が実習に。父上は元々は農林省の役人で腕っぷしはなく、この若い人たちに随分農作業や開墾を助けてもらった。
〇父上が54歳の時、新聞でスイス政府が国費留学生を募集、酪農の勉強が出来ると知り、ドイツ語を猛勉強、1年間スイスに留学、酪農家の牧場をいくつも実習して回り、牧草を集める立派な機械を持って帰った。その後、交流のある、アメリカのウィスコンシン州の牧場に日本の将来の牧場主の若者を留学させ、25名近くに。丈士氏も大学卒業後、4年ほど民間企業で働いた後、父上の後を継ぐことになり、一年働いた後、このウィスコンシン州の牧場で1年実習。農業技術は、先方には300頭の牛で、規模が大きすぎて技術的な参考にはならなかったが、農民魂のようなものには、感銘を受けた。84歳の当主も朝早くから勤勉に働くのに驚いたとのこと。
〇私が50年前泊めてもらった時、牡牛も肉牛として使えるブラウンスイスという牛をツガイで輸入して日本での飼育を父上は図っていたがと聞くと、日本のあちこちで、飼育しているとのこと。日野水牧場でも、牛の飼育は今は止めたが、最後はブラウンスイスだけ。レストランで出しているブラウンスイスの牛乳は、松本の牧場(野麦峠近く)から宅急便で送ってもらっているとのこと。
〇父上の一郎氏は87歳まで牧場で生きた。母上は、96歳?まで、3、4年前まで元気に暮らしたとのこと。牧場の環境が良かったのだろうかとのこと。母上の手記を週刊ダイヤモンドで読んだことがあり、大変文才のある方と思ったと申し上げると、笑いながら、晩年は短歌をよく読んで雑誌に投稿して、採用されると喜んでいたと。お墓は東京に。

 お昼のランチは素晴らしい味で、ベーコンは自家製とのこと。パンは、日野水一郎氏自慢のパンを50年前ごちそうになったが、その味を受け継いで妻も舌を巻く美味しさ。丈士氏の話しでは、母上が力を入れたパンとのこと。


〇広い面積、草刈りが大変でしょうと聞くと、牧草で、野菜と同じ。刈った草を集める機械で刈り取り集めるが、起伏があったり、石の多い所は、奥さんと草刈り機で刈り、集めるとのこと。今は2頭の羊が居て、それも草を食う。野生の鹿も夜は集まって牧草を食っている。集めた草は、近所の牧場で使っている。30センチほどになったら刈る、年五回。

 等々、話が尽きませんでした。2頭の羊が草を食べているのを背景に、丈士氏とパチリ。
宿題を果たせました。(冒頭)
丈士氏は昭和19年生まれ、八ヶ岳には小学一年生の時、家族で引っ越してきた。計算すると75歳、青年のように気持ちも体もお元気で、私も見習いたいと思った次第。
 レストランは、ご家族で食事準備しておられ、忙しい夏は、東京に住む子供さんも手伝ってくれるとのこと。

 できれば、来年も孫見物のついでに、日野水牧場に遊びに行きたいと思ったことでした。


 塩尻に一泊、中央本線の特急の快適な旅のあと、ネットで調べたルートで杉原千畝の記念館に。
 交通の便が悪く、行きは、6000円弱払って可児(かご)駅からタクシーで。

最近映画になり、有名になったが、戦後は、外務省を解雇され、経済的にも苦労したとのこと。
 名誉回復を唱えたのは、外務政務官だった鈴木宗雄氏だったとのことで、ダーティな印象のある政治家だが、毒にも薬にもなる人なのだろう。
 その後、外務大臣だった河野洋平が、外務省の非礼を詫びたとのこと。
 今は故郷の誇り。
 なかなか来ない帰りのバスの時間待ちで入った食堂の方に、杉原千畝はこの近所で生まれたのかと聞くと、もっと山手とのこと。
 交通の便は悪いが、杉原千畝の気迫が辺りに漂っているような、清新さがあり、こちらも力が出てくるような、訪ねて良かったと思いました。

 主な目的は孫見物だが、日野水牧場、杉原千畝記念館にも寄れ、いい5日間の旅でした。
 
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鶴瓶の家族に乾杯でイングリッシュガーデン紹介(2017/5/15)

2017-05-15 22:50:41 | 農園巡り
 鶴瓶の家族に乾杯という、ぶっけつ本番の地域訪問の番組がNHKで毎週月曜日放映されている。
今回は、鶴瓶とゲスト(俳優の杉本哲太)が高知県をブラブラ。
高知県ということで、イングリッシュガーデン(左のブックマーク)にたどり着くといいのに、と思ってみていたら、なんとゲストが、本当にたどり着いていました。
 イングリッシュガーデンは、20年ほど前、仲の良かった友達が銀行員で、高知に単身赴任、遊びに来ないかというので、もう一人の友達と高知訪問したとき、この銀行員氏が、日曜日、たまり場にしていると、連れて行ってくれたもの。
 8割農薬カットの小ナツ、水晶文旦、温室ミカンを作っている農家で、ご夫婦や、二人の御嬢さんが力を合わせて、ミカン栽培、バラ園を営んでいました。
 農業への取り組みは半端ではなく、人生の楽しみ方も素晴らしいとすっかり感心して、以来、定期的に、美味しいミカン類を購入。
 初めての訪問以来、時々、遊びに、一番最近は、不良爺さん達と車をしたてて、バラの美しい5月に寄ったのが懐かしい。

 ゲストが、小ナツを出してもらって、思わず「おいしい」と言うと、ご主人の安岡氏が「それを言ってもらうのが一番うれしい」と。
 また、農業に従事してきての感想を聞かれて、「妻に感謝の農業人生です」と。


 竹田農園でも、イングリッシュガーデンをお手本に、整備していきたいもの。
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竹田農園のヤーコンのルーツ 最終日に 東京~東北旅行(2017/4/1~4/7)

2017-04-08 11:37:08 | 農園巡り
4月からいよいよ暇になり、妻と予て行ってみたかった、宮城の南三陸町に行ってみました。
東日本大震災で大きな津波被害のあった町で、地元のみなさん、果敢に津波に立ち向かったことで何度もニュースに。
 東京の長男宅で、2泊、孫たちと遊んだあと、初めての東北新幹線で仙台に。

 翌日、午前中、伊達家の菩提寺、瑞巌寺という寺に。
 場所良く知らずに、仙台に来て良く調べると、松島にあるとのこと。
 電車で40分、初めての松島。
 さすが、伊達正宗、豪壮な桃山風の建築。(冒頭)
 案内の地元の方に、津波被害はなかったのかと聞くと、松島の多島海の地形が影響して、松島には大きな津波は4000年来ていないとのこと。
 高さ1.2メートルの防潮堤も越さず、港近くの防潮堤の無い地区だけ、床下浸水。
 地震の方も、東北は雪が多くその対策で壁が多く、屋根も金属製・セメント瓦で地震被害もほとんどなかった。
瑞巌寺もちょうど当時は解体修理中で、まったく被害なしだったとのこと。
 震災時、電気が通じず、被害状況分からなかったが、一週間して電気が復旧、大被害に驚いたとのこと。
 松島町では津波による死者0だったとのこと。

 午後、仙台駅に南三陸町のリゾートホテル、観洋からの迎のバスに乗り、2時間、立派なホテルに。
 このホテルも津波で2階の天井まで水につかり、被害を受けたが、被災者600人を受け入れ、寝泊りの場所を提供したとのこと。
 3月の被災から4カ月ほどは、水不足(飲み水・洗濯・トイレ・風呂)に悩まされたとのこと。
 今は、完全にホテルは機能を回復、ウィークデーだが、見たところ200名ほどの宿泊客。
 掃除も行きとどき、気持ちのいいホテル。
 ロビーに、被災時の短文を掲示。

 土産物売り場には、震災当時、地元の方がネット販売していた、釣にかかわるグッズも。
 大漁旗デザインのタオル、バッチ、キーホールダー。

 まとめ買い。
窓からは、志津川湾の養殖のブイが沢山。
 聞くと、小さいブイはワカメ、中くらいのブイは牡蠣、大きなブイ(筏?)は銀鮭の養殖とのこと。

 ホテルの夕食もこれらの海の幸がいっぱいでおいしい。

 翌日、このホテルが毎朝運行している「語り部バス」に乗り一時間、町の津波の後を見て回る。
 案内は、ホテル従業員で、自分が見聞きしたことを話してくれ、被害の大きさに唖然。
 最初に高台にある、戸倉中学校後(今は公民館)に到着。
津波が押し寄せこの高台の中学校の一階まで水没したとこと。

 ほんとかよと、驚く。
 次に、廃墟になった、3f建のレストラン兼結婚式場。
 津波当日、老人会の演芸会があり、380名の年配者が集まり、解散の時だったとのことだが、チリ地震を経験した従業員がおり、海の水が大きく引いているので、大きな津波がある、屋上に登り退避するようにと、外に出ることを制止したおかげで、多くの年寄が命拾いしたとのこと。
 屋上が、くるぶしまで水につかったとのこと。

 有名な防災庁舎の鉄骨も残っており、ここは、地元の人もカメラを向けるのをためらうとことで、私も撮影は遠慮。
 バスから外には、一切出ず、最後は、この防災庁舎に向かって、バスの中から全員で合掌。
 毎日、1人でも希望者がいれば、この語り部バス運行。

 ホテルを出て、線路後を舗装してバスを走らせているJRバスで、南三陸町の旧商店街に。

トラックが行き来、工事現場。

 すでに、旧市街の上10メートルに盛り土し、港近くに広い敷地。
 ここに、商業施設を作るそうで、第一陣の商店街が3月からオープン。

 多くの買い物客。

 このあと、気仙沼経由で一ノ関。
 初めてみる北上川は大河。


 一ノ関から電車で二駅の所に平泉があり、毛越寺(もうつうじ)、中尊寺金色堂見物。
豪壮優美。
 中尊寺の入り口には、弁慶の墓。

 平泉の駅前の120年続いてるというそば屋さんで、昼食。
 義経いわれの掛け軸もあり、おいしい。
 壁に色紙がいくつもあり、テレビのディレクターのコメントも。
 九州では、ローカル番組「メンタイワイド」が有名だが、この色紙「めんこいテレビ」には笑った。

 
 その後は、埼玉に住む、古い友人宅に一泊。
 竹田農園と同じく、サラリーマン卒業のあと、畑仕事に汗。
 ここから、送ってもらったのが、ヤーコンの球根で、竹田農園の主要作物に現在なっている。


↓ヤーコン 友人の畑ではあまり人気ないようで、掘らずに放置している畝も


 一週間ののんびり旅でした。
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イングリッシュガーデンハウス 四国高知にドライブ旅行(2012/5/20~21)

2012-05-22 00:41:32 | 農園巡り

田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
不良爺さんたち8人で、四国高知に新幹線・レンタカーで昨日と今日、旅に出かけました。
小倉室町のラーメン屋の錦龍のI氏とその飲み友達で、絵描きのM画伯、工務店のS氏とMY氏、サッシ屋のY氏等、平均年齢は65歳前後。
冒頭の写真は、途中寄った、大三島の大山祇(おおやまづみ)神社で。

(M画伯、実力発揮)
 高知の桂浜の民宿、浦戸荘に宿泊。
ビールにカツオのたたきで、陽気になって、私がM画伯は号8万円の画家で、見飽きない絵を画く、何か書いてもらったらいいと、女将さんに話し、M画伯に、描け描けとはやし立てる。
では、メザシを描こうと、冷蔵庫のメザシを出してもらって女将さんが用意した画用紙にクレヨンを使ってさらさらと、見事な絵を描き上げる。
 「イヤー見直した、女将さん、この画家さんが厚かましく注文した生卵、タダにしてください」と、お願い。
盛り上がったところで、パチリ。


(金環食)
この高知旅行は、私が幹事で、ちょうどバラが見ごろのイングリッシュガーデンハウスに行きたく企画したもの。
ところが、ちょうど金環食に日にちが重なり、今朝は、雲の合間から見える見事な金環食を堪能。
桂浜の荒波とマッチして、素晴らしい見ものでした。
あいにく、カメラではっきり撮影には腕が伴わず失敗。
用意した専用めがね、雲間から見る光が弱すぎて、役立たず。
とうとう太陽が厚い雲に隠れた所で、引き上げ時にパチリ。


(龍馬の書いた関門海峡の絵図)
桂浜では、坂本龍馬記念館を見学。
第二次長州征伐で龍馬が、高杉晋作率いる奇兵隊と合同で幕府軍と戦った際の、龍馬の戦況報告の地図とコメントが展示されており、興味深い。
 アラカブ、アコを狙って釣り船で釣りを楽しむ、見覚えのある海峡の絵図に思わずパチリ。


(イングリッシュガーデンハウス)
イングリッシュガーデンハウスは、左のブックマークに詳細が出ているが、10年ほど前、単身赴任中の銀行員のS氏が企画してくれた高知の旅の際、氏の日曜日の憩いの農園だと、連れて行ってくれたミカンとバラ園が素晴らしい農園とご家族。
 ちょうどバラが見ごろで、駐車場には10台ほどの車で見学の方が多数。
 不良爺さんたちには、品のある農園なので、お行儀よくするようにと、しつこいくらいに、説明して、昼間のビールで赤ら顔、カツオのたたきにたっぷりつけたニンニクで臭い息をぷんぷんさせながら、コンニチハと、ご主人と奥様にご挨拶。
不良爺さんたち、素晴らしいバラ園にうっとり。下の写真。

 ご主人の安岡さんと雑談で、私の事を覚えてくれていて、話が弾む。下の写真。

 安岡さんの奥様からも、「いっしょの皆さん、いい方ばかりですね」と、お褒めの言葉も。

 そのあとは、温泉で汗を流し、瀬戸大橋経由、新尾道で新幹線のルートで小倉に着いたのが夜の10時過ぎ。
 楽しい二日間でした。
コメント (4)
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