東京と堺に住む長男、長女宅に4/20~24の5日間妻とブラリ旅でした。
今回初めて、フルムーンパスというJRのシニア向けの5日間夫婦で列車乗りたい放題、グリーン車もOKのお得きっぷ利用。
孫見物の他に、今回は、いつか訪ねてみたかった山梨県の八ヶ岳山麓にある日野水牧場と、岐阜にあるらしい、ユダヤ人へのビザ発行で有名な、杉原千畝記念館に寄るのが目的。
日野水牧場は、私が大学生の時お世話になっていた同志会という小さい学生寮の先輩の日野水一郎氏が始めた牧場で、
2泊3日で泊めてもらったことのある牧場。
干し草作りや、新品種のブラウンスイスという牛の話しや、各地の牧場の跡取りの若者が泊まり込みで牧畜の実習に来ているのが新鮮で、今もよく覚えている。
50年近く前の話し。
その後、年賀状のやり取りはあったが、日野水氏がお亡くなりになってからは、ご無沙汰。
これも同志会の先輩(私より5歳年上)のご長男の丈士氏が牧場を経営していると風の便り。
年賀状の中で、日野水一郎氏が私と友人の長網氏が来たとき、一緒に写真を撮らなかったのが残念とあり、もう一度牧場に行って、跡取りの丈士氏と写真を取りたいものといつも思ってきたもの。
長男宅に2泊した後、中央線の特急で甲府に行き、鈍行に乗り換えて小淵沢に。
そこで、小海線に乗り換えて、甲斐大泉下車。
ネットで調べると、駅から1.5キロとのことで、地図片手に妻と上り坂をテクテク。
防風林のカラ松の間から、まだ雪の残る八ヶ岳。
50年前のおぼろな記憶も頼りに、大通りを横に入り、砂利道を行くと、視界が大きく開けて、畜舎と日野水牧場の看板。
レストランをやっているとネットにあったので、まず腹ごしらえとガラス張りの店に。
厨房にいた女性が気が付いて、席に着き、水を持ってきて注文を取りに来た、がっしりした体格の男性に、日野水丈士さんですかと、お聞きすると、そうですよと。
同志会の3年程後輩の竹田で、50年ほど前、父上が牧場をやっていたころ、泊めてもらった云々から始まり、懐かしい思い出話。
〇泊めてもらった時、20歳前後の若者が3人泊まり込みで、実習生として働いていた。と言うと、父上が全国に酪農の話しを講演することがよくあり、その話を聞いて、全国から若い人が実習に。父上は元々は農林省の役人で腕っぷしはなく、この若い人たちに随分農作業や開墾を助けてもらった。
〇父上が54歳の時、新聞でスイス政府が国費留学生を募集、酪農の勉強が出来ると知り、ドイツ語を猛勉強、1年間スイスに留学、酪農家の牧場をいくつも実習して回り、牧草を集める立派な機械を持って帰った。その後、交流のある、アメリカのウィスコンシン州の牧場に日本の将来の牧場主の若者を留学させ、25名近くに。丈士氏も大学卒業後、4年ほど民間企業で働いた後、父上の後を継ぐことになり、一年働いた後、このウィスコンシン州の牧場で1年実習。農業技術は、先方には300頭の牛で、規模が大きすぎて技術的な参考にはならなかったが、農民魂のようなものには、感銘を受けた。84歳の当主も朝早くから勤勉に働くのに驚いたとのこと。
〇私が50年前泊めてもらった時、牡牛も肉牛として使えるブラウンスイスという牛をツガイで輸入して日本での飼育を父上は図っていたがと聞くと、日本のあちこちで、飼育しているとのこと。日野水牧場でも、牛の飼育は今は止めたが、最後はブラウンスイスだけ。レストランで出しているブラウンスイスの牛乳は、
松本の牧場(野麦峠近く)から宅急便で送ってもらっているとのこと。
〇父上の一郎氏は87歳まで牧場で生きた。母上は、96歳?まで、3、4年前まで元気に暮らしたとのこと。牧場の環境が良かったのだろうかとのこと。母上の手記を週刊ダイヤモンドで読んだことがあり、大変文才のある方と思ったと申し上げると、笑いながら、晩年は短歌をよく読んで雑誌に投稿して、採用されると喜んでいたと。お墓は東京に。
お昼のランチは素晴らしい味で、ベーコンは自家製とのこと。パンは、日野水一郎氏自慢のパンを50年前ごちそうになったが、その味を受け継いで妻も舌を巻く美味しさ。丈士氏の話しでは、母上が力を入れたパンとのこと。
〇広い面積、草刈りが大変でしょうと聞くと、牧草で、野菜と同じ。刈った草を集める機械で刈り取り集めるが、起伏があったり、石の多い所は、奥さんと草刈り機で刈り、集めるとのこと。今は2頭の羊が居て、それも草を食う。野生の鹿も夜は集まって牧草を食っている。集めた草は、近所の牧場で使っている。30センチほどになったら刈る、年五回。
等々、話が尽きませんでした。2頭の羊が草を食べているのを背景に、丈士氏とパチリ。
宿題を果たせました。(冒頭)
丈士氏は昭和19年生まれ、八ヶ岳には小学一年生の時、家族で引っ越してきた。計算すると75歳、青年のように気持ちも体もお元気で、私も見習いたいと思った次第。
レストランは、ご家族で食事準備しておられ、忙しい夏は、東京に住む子供さんも手伝ってくれるとのこと。
できれば、来年も孫見物のついでに、日野水牧場に遊びに行きたいと思ったことでした。
塩尻に一泊、中央本線の特急の快適な旅のあと、ネットで調べたルートで杉原千畝の記念館に。
交通の便が悪く、行きは、6000円弱払って可児(かご)駅からタクシーで。
最近映画になり、有名になったが、戦後は、外務省を解雇され、経済的にも苦労したとのこと。
名誉回復を唱えたのは、外務政務官だった鈴木宗雄氏だったとのことで、ダーティな印象のある政治家だが、毒にも薬にもなる人なのだろう。
その後、外務大臣だった河野洋平が、外務省の非礼を詫びたとのこと。
今は故郷の誇り。
なかなか来ない帰りのバスの時間待ちで入った食堂の方に、杉原千畝はこの近所で生まれたのかと聞くと、もっと山手とのこと。
交通の便は悪いが、杉原千畝の気迫が辺りに漂っているような、清新さがあり、こちらも力が出てくるような、訪ねて良かったと思いました。
主な目的は孫見物だが、日野水牧場、杉原千畝記念館にも寄れ、いい5日間の旅でした。