田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

授業料(2024/5/9)

2024-05-09 22:48:28 | 田舎で読んだ本
今日の日経新聞を読んでいると、国立大学の授業料を年50万円→150万円(文系)にしないと、大学の質が保てないとの議論。
慶応義塾の学長の意見とのこと。

 私が大学受験生だった55年前は、国立大学は、授業料が安いが、生徒も父兄も共通認識。
 幸い、大学は国立大学に受かり、大学の入学要領を見た母が、授業料が月1000円、高校の1700円より安いと、驚いたり、喜んだりしたを鮮明に覚えている。
 当時は私が育った今治には、予備校も大学進学の塾も皆無。
私は、参考書も買わず、教科書と授業のノートのみで、受験体制。
 入学してみると、私のように、地方から出てきた学生は、経済的に苦しいので、国立大学に入ったという学友が沢山。
 
 国からは、当時も莫大な資金が国立大学に注がれていたのだが、そのおかげで、社会の下部から上部に移る、社会の対流現象が起こり、貧乏人と金持ちの子弟が机を並べて、お互いの良さを認め合ったりが、その後の日本の社会の連帯感を作ったように思う。

 国立大学の授業料を150万円にしては、当時の私のような貧乏人の子弟は、大学進学という進路を奪われてしまう。
 慶応義塾の創設者の福沢諭吉も中津藩の貧しい下級藩士の出で、家老職の家に生まれた同年配の若者から、妬まれて、長崎での勉学を妨げられたので、夜逃げ同然で、大阪の適塾にもぐり込み、後の大福沢に変身したもの。(福翁自伝)

 今までの日本の歴史は特に変革期、貧しい下層の人間が学問を身に着けて、世のため人のためになったことを考えると、大学の授業料150万円の議論は的外れ。

 慶応義塾の学長は、奨学金制度を給付型にして、充実させれば良いとの意見だが、仕組みが複雑・不安定で、貧しい高校生や、その父兄は、理解も活用も分からない人が大半と思う。私も結果的に日本育英会の特別奨学金を貰ったが、父母は、給付が決まってから、そういうものがあったと知ったに過ぎない。シンプルに、国立大学は安いと、今まで通り、看板を掛け続けてほしいもの。
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日本の人口が減りだした 何で? (2024/4/3)

2024-04-03 16:45:23 | 田舎で読んだ本
 少子高齢化で、私たちのような爺さん・婆さんはなかなかこの世から去らないし、生まれてくる子供は、私たちの時代の団塊の世代の1/3の80万人に減少。

 お隣の韓国は、既に少子化対策に多額の政策費用を使ったが、出生数の割合(一人の女性が子供を産む人数)は日本の1.2に対し(2であれば人口維持)、0.7と効果は0。
 
 なぜだろうと???

 最近のガザのハマスによる、イスラエル人の虐殺の報復で、イスラエルが空爆と地上戦を繰り広げて犠牲者は4万人に近く。
 初めて知ったのだが、ガザには、貧困の中で250万人が暮らしていて、妊産婦が5万人との報道。
 日本の人口は、12000万人で、この50倍でガザの妊産婦の5万人の比率で計算すると、250万人の子供が今後10カ月で生まれる勢い。
 日本の少子化対策で、数兆円の支援金をこれから子供を産んでくれる、若い夫婦に費やすのだが、金を振る舞うだけでは効果はないのではと思ってしまう。

 私の世代の団塊の世代は、1947年から1949年の戦地から帰って、結婚した夫婦の間に生まれた子供で、毎年270万人。
 家庭で子供4人、5人が普通。
 太平洋戦争では、若い20歳前後の男性が軍人として230万人が戦死、市民も空襲で80万にが死亡、運よく生き残った、私の父母のような若者がさっさと結婚、バラック生活の中で子供がドンドン生まれた。
 身近で人が次々と死んでいくのを見て、子孫を残すのが今自分たちに出来ることと、割り切ったのだろうと、推測。
 これは敗戦国のドイツ、イタリアも同じで、先日テレビで、人口のビラミットで、70歳と20歳の人口の比率を色別に地域ごとにプロット。
 70歳が今の20歳より倍近くが赤で、日本、イタリアの北部、ドイツの特に旧西ドイツが目だって赤。
 日本、イタリア、ドイツは今のガザのような完膚なきまでに叩き潰された国で、ここでベビーブーム。

 日本の政府は、しっかり歴史的人口の推移とその要因をしっかり押さえて少子化対策を立てているのだろうかと、ネット検索すると、完ぺきな飛鳥時代からの人口推移の分析が国会(参議院)の委員会で発表されていました
 これを見ると日本の人口は、江戸初期には1500万人、中期までに3000万人に増え、その後停滞、明治維新当時で、3300万人、以降一貫して増えて、太平洋戦争の敗戦当時の1945年で7200万人、1967年(私が高校3年の年)に1億人で、2000年で12700万人。

 団塊の世代が増えたのは、出産数の増加+医療の進歩、経済回復で栄養状態の改善で、乳幼児死亡が減ったのが大きい。
 家庭によって差はあるだろうが、私は6人兄弟で、うち2人は栄養失調(母乳が十分出ない)で直接は肺炎で死亡。
 私は、子どもの時から、人は生まれても1/3は死ぬもんだと思い、結婚してからは、子どもは夫婦二人の人数の2人でいいが、予備でもう一人産んだ方がいいと計算。
 妻も、両親に20代で死に別れ、年の離れた姉は遠隔地に住んで、田舎の一軒家で一人暮らし、家族は多い方がいいの考えに。
 二人とも子供は3人がいいと思っていたら、3人目も授かり、今のところ、一人も欠けずでやれやれ。
 人の死が周りで当たり前のように次々と起こるのを体験すると、子どもは、もう一人要るというのが、動物としての人間の心理。
 これは、昆虫でも哺乳類にも共通。
 弱い動物程、沢山子供を産む。

 日本の人口の歴史で、この2000年、減るということは無かった。
どうなるのやら、韓国のように子どもを増やすことに繋がらない無駄な政策経費は、借金暮らしの政府には使ってほしくない。

 人口減まではならなかったが、3000万人で150年停滞した江戸時代後半の社会、文化のありようが、これから人口減をこの1500年の歴史で初めて経験する日本の参考になるかも。

 冒頭の写真は、交尾したあと、メスがオスを食う(オスのアミノ酸が雌の卵巣の栄養になるらしい)カマキリ。昨年10月農園で見かけた。
 
 
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この冬一番の冷え込み、少年少女世界文学全集を読む(2024/1/24)

2024-01-24 10:33:33 | 田舎で読んだ本
私の住む苅田町、朝の気温は、氷点下2度とのこと。
農園に遊びに行こうかと昨晩考えたが、坂道で自転車が凍ったアスファルトにスリップしそうで、今日は一日炬燵の人。

 暇なので、私が小学生の時、父母が4人の子供達にと大枚はたいて買ってくれた、講談社の「少年少女世界文学全集」の世界童謡集というのを読んでみました。
 この全集は、人気があり、親が買ってくれたという、同世代の友達も多い。
 今治で商売をしていた父母が高齢で店を閉めた時、私が貰ったもの。
 その後、私の子供達3人が読み、今は、私が読み返して、読み終わったものは、長男、長女宅に送っている。
孫が読めばいいと。
 この世界童謡集の発行は昭和37年、私が13歳の時で、童謡とか詩などには興味なく、手元に届いたまま、一度も読んだことが無かった。
 いい詩が沢山。
今日読んだ詩で、感心したのが、ドイツの詩人、小説家、ジャーナリストのケストナーの詩。

「誰も君の頭の中をのぞきはしない    ケストナー

君がどんなに富んでいるか、だれも知らない・・・。
ぼくがここで富のことをいっても、
ぼくのいうのは、もちろん株券や
別荘の車やピアノや
その他の高価なもののことではない。

人が目で見て税金をかけるような
富を、ぼくはいますすめようとは思わない
根を引き抜いてみてさえも
誰にも数えることが出来ないような価値があるのもだ。
その価値は、泥棒だってぬすむことができない。

忍耐はそのような一つの宝だ。
あるいはユーモアやしんせつや
そのほかすべての感情も。
じっさい、胸の中にはたっぷり場所がある。
それはまるで魔法の袋のようなものだ。

感情がどんな富をやくそくするものかを
忘れている人だけが、まずしいのだ。
だれもきみの頭の中をのぞきはしない。
君がどんなに富んでいるか、だれも知らない・・・。
(そして君自身もそれを知らないことがよくあるのだ。)

     訳 柴田治三郎        」

 ケストナーは、今日、百科事典を見て初めて知ったのだが、1899~1974の人で、ナチスドイツの1933年の焚書で著書を焼かれたり、2度投獄された経験。国外に出ず、ドイツで生き、戦後も西ドイツのペンクラブ会長として活動。という人物。

 この詩を読んでいて、この正月に立て続けに起こった、能登の地震と、羽田の日航機事故を特集したテレビ番組を思い出した。
 事故の2w後に、民放で放映されたもので、タモリ氏が地質学者、もとパイロット、元CAと映像を見ながら、意見交換するもので、大変印象に残っている。
 特に羽田の事故で、乗客・乗員379名が全員脱出出来た奇跡の報道には驚かされた。
 第一報のニュース映像で、火だるまの旅客機が滑走路を走っているのを見て、これは乗客・乗員は全滅と私は一瞬固まったのだが、直後に全員脱出と報道が続き、まさかと思った事故。
 後部座席にいた乗客が、今後の事故対応に役立つだろうと、半分死を覚悟して、スマホで動画を撮っていて、それが紹介されていた。
 海上保安庁機との衝突から4分後から撮影が始まり、脱出して外に出る6分間が音声も含めて紹介されている。
 乗客は、CAの指示を守り、煙が充満してくる機内で、座席で待機。
立ち上がって勝手に逃げる人皆無。
 マイクが働かず、CAが前方で指示する内容を、乗客が、後方にリレーで伝言。
 8つある脱出シートのうち、使えるシートは前の2つで、まず前方の客から、続いて後方の客が、素早く、荷物は上部の棚においたまま、手ぶら(携帯と財布は皆さん持って逃げた)で脱出シュートから機外に。
 その間、CAは外が火の海で使えない脱出口を客が勝手に開けないように、担当の出口を見張りに残る。
 外に出た客の一部は、滑り降りてくる客が下で団子にならないように、手助け。
 一番後部の脱出シュートは、火は回っていなかったが機体が前のめりになり、高さがあり、使えるが確認に時間がかかったが、担当のCAの判断で開放、映像で見ると、ここからも10名以上の乗客が脱出。
 撮影をした人が脱出したのは、衝突から10分後で、この方は、後部座席にいたので、大半の乗客は、10分で脱出、最後に出たのが機長で、18分後で、多分機長は取り残された乗客がいないか、残り8分間、命がけで確認したものと推測。
 事故にあったのは、JALだが、ライバルのANAの地上勤務員も30名がかけつけ、逃げ出せた乗客の誘導や、小型機を近くにつけて、電源を入れて、トイレを使えるようにした。
 乗客のインタビューもあり、ある子ども連れの男性が、「こどもの隣に座っていた方が素晴らしい方で、子どもさんから先に逃がしてください」と。

 ケストナーの詩にある、一番の宝物の、忍耐、思いやり、勇気、知性といったものが、この日航機の事故脱出には溢れているように思いました。

 日本は、GDP世界第二位を長く誇っていたが、中国に抜かれ、昨年はドイツに抜かれ、まもなくインドにも抜かれそうな気配。
 人口が減っているのだから、この趨勢は止められない。
 GDPでは、もう世界3位までの表彰台には立てないが、ケストナーのいう、どろぼうも盗むことが出来ない、忍耐、ユーモア、親切といった財産は、日本には豊かで、これを維持、増やしていくのが、今の日本には大事と思ったことでした。
 これなら、老いて病んで貧乏している、私達爺さん、婆さんにも今からでも十分に出来る。

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朝ドラの「らんまん」に出てくる、主人公の親友(2023/7/7)

2023-07-07 13:53:14 | 田舎で読んだ本
NHKの朝ドラ、明治以降の世相を反映したドラマが毎回。
今は、植物学者の牧野富太郎をモデルにした「らんまん」。
 半分ほどは見ているが、なかなか面白い。

 牧野富太郎の名前を初めて聞いたのは、私が小学生の時、映画のニュース番組(当時はテレビがないので、映画の合間にニュースを映写)に、植物学者で世界的に有名な牧野富太郎博士が亡くなったというもの。
 世界的に有名という説明があり、当時、戦争に負け、貧乏で、世界に誇るもの皆無と思っていた日本に、世界的に有名な人がいたのかと、嬉しくなった記憶。
 牧野富太郎は1862~1957まで生きた人で、このニュースは私が8歳の時のニュース映画。

 その後、名前は知っているが、詳しいことは知らなかった。
高知の友人が企画してくれた高知旅行で、牧野富太郎記念植物園に行って、その昔見た、ニュース映画の記憶がよみがえったことも。
 また電力の鬼の松永安左エ門の登山日記に、尾瀬が原で、牧野富太郎が、馬にいっぱい積んだ草花を、持ち帰ることはならんと、尾瀬の平野長蔵氏から、説教を食らったという話が、こんなことをしていた人かと思い出したり。

 今回の朝ドラは、東大の植物学教室に出入りして、実力を教授から認められるも、小学校中退、虫けらのような君に、発見した植物の発表の道はない、俺の下請けをしろと、ダメだしされた場面。
 その後、登場したのが、ドラマでは、広瀬裕一郎という名前の、高知での、藩校時代の親友。
 この親友も苦学して、東京に出て、最後は官費で学べる札幌農学校で、土木を勉強したということ。
 広瀬氏の教授への痛烈な批判、土木工事でも現場作業員は虫けらのような取るに足りないと思われているが、これからの新しい日本は、この虫けらのような日本人の力で作っていくと。
 大学のルートでしか新種の植物の発表できないと教授が言うが、上野の博物館に牧野富太郎の知人がいるのだから、そこを訪ねたらどうかの、絶妙のアドバイスも。

 その痛快な、広瀬裕一郎に拍手だが、いったいどういう人がモデルかと、気になり、ネットで検索、すぐ、分かりました。
 広井勇という人物で、高知出身、札幌農学校の2期生で、内村鑑三、新渡戸稲造といった、近代日本の礎を築いたクリスチャンと同級生。
 土木技師として、日本で仕事をしたあと、自費で苦労してアメリカに渡りミシシッピ川の改修工事に現場作業員として入り、技師としても優れた論文を発表、帰国後は、小樽港の港湾建設を行なった。
 現在の小樽港は、この工事のお蔭で発展。
建設現場では、率先して現場作業をした、札幌農学校、東京大学でも教鞭をとり、優れた港湾・橋梁土木の技術者を沢山育てた人物。
 大学の講座制度に代表される、権威主義的なやり方には、同調しなかった人らしい。
 
 広井勇氏の経歴を詳しく調べた記事があり、どこかで見た写真が。
ありました、時々読んでいる、内村鑑三の「一日一生」の中に。
 洗礼して50年を記念して集まった、内村鑑三、新渡戸稲造らの写真。(冒頭)
 ここに広井勇氏の姿が。
この写真を撮った4カ月後に、広井勇氏は亡くなったとのこと。

 広井勇氏が、港湾土木の日本のバイオリアで、後継者を多数育てたというくだりで、私が22歳の学生の時、どんな仕事についたものかと、思案して、訪ねたことのある、先輩を思い出した。
 飯嶋十郎という、昭和8年、東大の土木学科を卒業した、私が当時暮らしていた同志会という小さいキリスト教系の学生寮の先輩。
 この先輩を訪ねたのは、当時、学生の指導をしていた、高瀬恒徳という聖公会の牧師さんが、この先輩の話をして、建設省にはいり、銚子港の建設に携わった方で、今は、奥さんの実家の芦屋の三田谷治療療育院という、知的障害児の施設で責任者として働いているという話がきっかけ。
 突然の訪問もこころよく応対してくれて、寿司をご馳走になり、広い畑のある施設を見学した思い出。
 この飯嶋氏は、広井勇が亡くなった後、大学に入っていると思うので、その弟子から教わった孫弟子だったと思われる。知識だけでなく、幅広いものの見方も受け継いでおられたものと、今推測しているところです。
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アンデルセン童話集(2023/4/22)

2023-04-22 15:36:04 | 田舎で読んだ本
私が小学生の頃、父母が子供達4人へと大枚はたいて買ってくれた、講談社の「少年少女文学全集」を田舎生活の暇にまかせて、時々読んでいる。
 30年ほど前に、父母が四国今治でやっていたメリヤス店を高齢のため閉めて、郊外に引っ越した時、私が全50巻もらったもの。
 5年ほど前に、すぐ下の妹に1/3を回して、残りは、私が読んでは、私の長男、長女宅に孫によませるといいと、一冊ずつ送っている。

 数日前、昭和33年12月発行とある、第四回配本の、アンデルセン童話集を読み終わった。
私が9歳の時の本で、子どもの私には歯が立たず、読まずにそのままだった本。
 73歳の今読むと、結構含蓄のある話ばかり。
 有名な、「みにくいアヒルの子」は、9歳で父親が戦死、母親が再婚してなじめず、15歳家を飛び出して、飢え死にしかかったり、人に助けてもらったり、気が付くと、デンマーク一の童話作家になっていた、アンデルセン自身の経験が元になっていると知った。
 また、「マッチ売りの少女」は母親が、幼いころは乞食までして、寒い冬空で野宿したという経験を何度も聞かされて、それが元になっているとか。

 読んでいて、驚いたのは、「年の話」という童話の一節に、傍線が引かれている。
私は子供の時、読んだ覚えがないので、私が引いたのではない。
 私の姉と妹達も読んだので、彼らの一人が引いた?
その後、私の子供達も読んでいたので、彼ら?
73歳の私なら、これは参考になる話だと、傍線を引いたろうが、若い私の姉妹や子供達がこんな個所に線を引いたのは、意外だし、驚き。
 それが、以下の文節。
冬の王様が、もうすぐ春なので、お役御免で消えてしまいたいと思ったときに、クリスマスの天使に諭されたところ

「でも、あなたにはまだ力がありますよ。大事なのは休息ではなくて、活動です。どうか若い苗木の上に、あたたかに雪をつもらせてください。あなたがまだ国を治めているうちに、ほかの人がうやまわれるようなことがあっても、それをしんぼうすることを学んでください。世間に忘れられても、なおも生きる道をまなんでください。春がくれば、あなたは自由の身になれるのです。」(冒頭)

丁度この時、日経新聞に森鴎外の評伝があり、鴎外が軍医総監の要職を去った後も、晩年まで老体に鞭打って働き続けたという記事があり、このアンデルセンの童話の一節と通じるものがあり、今度は私が、「森鴎外」と書き込み。
 この本は、近いうちに孫の手元に行くが、孫もいつの日か、このページに傍線やら書き込みを入れてくれると楽しい。
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兼好法師の徒然草を読む(2023/2/25)

2023-02-25 14:44:38 | 田舎で読んだ本
午後から雨の天気予報、畑仕事でもと思っていたが、晴耕雨読、我が家でおとなしく。
古典の徒然草、兼好法師が700年ほど前に書いた随筆。
蒙古襲来の1年後に生まれ、鎌倉幕府が倒れて、足利尊氏の室町幕府が誕生した激動の時代に生きた人。
 中学、高校の古文の教科書に必ず取り上げられ、有名な段はいくつか今も覚えている。
木登りの名人が弟子が高いところで作業しているときは何もアドバイスせず、飛び降りれそうな低いところで、「過ちすな、心しておりよ。」「過ちは必ず安きところになりてつかまつることに候う」の一節は、屋根に登って瓦のズレを直したりするとき、自然に脳裏に浮かんで、おかげで大けがをせずに済んでいたのかも。
 NHKの大河ドラマで高杉晋作が主人公の時、藩内の狂信的な国粋主義の侍に命を狙われて、四国に逃亡するとき、この徒然草を持って、吉田松陰に読むように勧められたと、語る場面もあり、こういう英雄も読んでいたのかと、感心したことも。
 この数年、ボケ防止も兼ねて、不登校などで、小学校、中学、高校の勉強が出来ていなくて、20前後になって、勉強しなおしたいという若人の勉強のお手伝いをしている。
 教科書がメインだが、この徒然草をテキストにして、読み合わせや、筆写もしてもらっている。
 55年ぶりの徒然草で、こちらも勉強になる。
 若い人も、面白いと真面目に筆写している。
 最近読んだ段で印象に残ったのが、最終段243段、8歳の子供の兼好が、父親に仏はどうしてこの世に現れたのか質問するところ。父親の説明に納得せず、問い詰めて、父親が兜を脱いだ話。人から聞いたり、本で読んだことを鵜呑みにせず、自分で納得するまで考える姿勢に感心。兼好法師は、こうした姿勢で世の中を生きてきて、徒然草の随筆が生まれたのだと納得。下のような一節。


徒然草 第243段

 八つになりし年、父に問いて云わく、「仏は如何なるものにか候ふらん」と云ふ。父が云わく、「仏には、人の成りたるなり」と。また問ふ、「人は何として仏には成り候ふらんや」と。父また、「仏の教えによりて成るなり」と答ふ。また問ふ、「教え候ひける仏をば、何が教え候ひける」と。また答ふ、「それもまた、先の仏の教えによりて成り給ふなり」と。また問ふ、「その教へ始め候ひける、第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」と云ふ時、父、「空よりか降りけん。土よりや湧きけん」と言ひて笑う。「問ひ詰められて、え答へずなり侍りつ」と、諸人に語りて興じき。


 ロシアのウクライナ侵略に、プーチンを80%のロシア国民は正しいと支持。プーチンやマスコミの話を鵜呑みにしているロシア国民のインタビューに、この人たちは一般教養が無さすぎると呆れてしまう。しかし、90年前の日本人も、満州国を作ったり、226事件で政治家の暗殺が続いても、軍部や政府の言い分を鵜呑みにして、最後は無条件降伏の痛い目に。その反省に戦後、判断力を日本人は養うため、大学でも一般教養を必修にし、矢内原忠雄らが尽力した歴史。
 読む個人の人生行路の安全のためにも、国の暴走を防ぐためにも、徒然草はこれからも読み継がれていくことと思った次第。


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チャーチルの「第二次世界大戦」とプーチンの戦争(2022/12/23)

2022-12-23 14:18:41 | 田舎で読んだ本
わが家のコロナ感染、一段落し、熱も出なかった私と妻は、一昨日から外出、熱の出てコロナの診断の出ていた次男も、自宅療養期間を終え、今日から仕事再開。
 
 外は冷蔵庫状態で、今日は私も妻も炬燵の人。
本棚から文庫本を探し出しました。
最近のウクライナでの戦争の報道に、よく似た話と気になっていた、イギリスの第二次世界大戦を指導したチャーチルの「第二次世界大戦」(チャーチルはこの著述でノーベル文学賞を得ている)。

 この本で、ドイツの独裁者のヒトラーのヨーロッパ征服の意図と実行振りが詳しく書かれている。まずオーストリアに住んでいるドイツ系の住民の要望でと、一気に攻め込み、躊躇するフランス・イギリスをしり目に、併合。
 これで最後だからと、次にチェコのドイツと接する州を併合しようと武力圧力を加え、これにイギリスが、本当に最後ねと、チェコに武力放棄を強いて、一部併合を認める条約(ミュンヘン条約)を結び、そのすぐ後に、チェコ全域を占領して、イギリス・フランスを唖然とさせた。
 次に突然ポーランドに攻め込み、イギリス・フランスが宣戦布告で、第二次世界大戦。
ここまでは、ドイツの軍部も驚くヒトラーの独壇場で、フランスも降伏の憂き目。
 ロシアのプーチンも、オーストリア・チェコの併合と同じにウクライナを攻め落とせると戦争を起こしたのだが、結果は、手ごわいウクライナの抵抗と準備に既に10カ月、目的を達成できていない。
 今は、ウクライナの電力設備、病院等のインフラをミサイル、ドローンで攻撃に戦力を振り向けている。寒い冬に、ウクライナ国民が戦意を喪失するかもとのプーチンの期待。
 これもヒトラーのイギリスとの決戦に、当初、制空権を握り、イギリスにドーバー海峡を渡って攻め込むという戦略で、ドーバー海峡沿いのいくつものイギリス空軍基地を爆撃し成功しかけていたのだが、ベルリンをイギリス空軍に爆撃された報復に、ロンドン市の空爆に戦力を振り替えたという過程によく似ている。
 今回のウクライナの戦争では、クリミヤ大橋をウクライナに爆破された報復に、ウクライナの電力設備・病院等をミサイル攻撃したもの。
 ヒトラーのロンドン爆撃はどうなったかというと、10万近くの犠牲者は出たが、空軍基地は持ち直し、結果的に、ドイツ空軍を追い払い、イギリス征服を諦めさせた、ドイツの戦略の失敗といわれている。(映画の「空軍大戦略」にこの間の事情が描かれている)
プーチンは、ヒトラーの成功した、オーストリア、チェコ征服を模倣したが、失敗。ヒトラーの失敗したロンドン爆撃を模倣して、ウクライナの国民の戦意喪失を計っている。今のところ、寒さにウクライナ国民は難渋しているが、意気阻喪したようには見えず、これもヒトラー同様に失敗するように思われる。
 ウクライナ軍は、前線の補給ルートや、武器貯蔵庫、指揮系統を維持でき、反対に、アメリカから提供された、ハイマースの精密ロケット攻撃で、ロシアの補給路、指揮系統を破壊しつつある。
 時間はかかるだろうが、第二次世界大戦末期のヒトラーの最後に似た結末をプーチンと取りまきは経験するようになるのだろう。
 それにしても、チャーチルの「第二次世界大戦」で詳細に綴られた報告を読めば、ロシアは今回の戦争はしなかった。なまじ、第二次世界大戦で勝ったため、おごりから、脇が甘くなっていた。敗戦国日本では、敗戦の4年後の昭和24年、チャーチルのこの本が出た1年後には、毎日新聞社が膨大な24巻を全訳出版、広く知れ渡っている。私が読んだのは、その縮刷版全4巻で河出書房から、昭和58年に出ている。

 ちなみに、イギリスがドイツ空軍と死闘を演じていて、イギリス空軍基地が全滅しかかった時、ドイツ空軍の矛先がロンドン市に移りイギリス空軍が一息ついたころの描写↓。

第二次世界大戦(チャーチル、河出文庫2巻 より)
「事実、8月24日から9月6日にかけての戦闘では、形勢は我が戦闘機隊にとって不利だった。この重大な時期に、ドイツ軍はイングランドの南部と南東部の飛行場に、連続強力な攻撃を加えた。彼らの目的は、彼らが攻撃を焦る首都の、昼間防空施設を破砕することにあった。われわれにとってそれよりはるかに重大なことは、ロンドンを恐怖爆撃から守ることよりも、これらの飛行場とそこから作戦行動に戦闘機隊の機能と連絡であった。それは英独両空軍の生死を賭した死闘の決定的な場面であった。われわれはロンドンやその他の場所を守るという観点からこの作戦を考えず、どちらが空で勝つかということからだけを考えていた。スタンモアーの戦闘機部隊総司令部、特にアックスブリッジの第十一戦闘大隊本部には、大きな不安があった。この大隊の前線飛行場5か所と、6つの小地区基地は大損害を受けた。ロンドン南方のビッギン・ヒル地区の基地は大損害を受けたので、一週間にただ戦闘機一個中隊しか行動を起こすことが出来なかった。もし敵が隣接地区に猛攻を繰り返して、作戦室や電話連絡を破壊すれば、戦闘機大隊本部の複雑な組織全体が崩壊したかもしれない。そうなれば単にロンドンが惨憺たる目に会うばかりではなく、決定的地域におけるわが上空の完全な支配が失われることなったであろう。・・・・・・・・・・・・・・このため、ドイツ軍の攻撃が9月7日にロンドンに向けられたのを知り、敵は計画を変更したという結論に達したとき、わが戦闘機部隊司令部はホットした気持ちになったのだった。ゲーリングはあくまで、飛行場の攻撃を続けるべきであった。とういのは、イギリス空軍の全戦闘力がこの場合、その組織と連絡に依存していたのだ。しかし、彼はこれまで認められていた人道の命に背いたのはもちろんのこと、従来からの戦争の原理に背いて、愚かな過ちを犯したのである。
 この同じ期間(8月24日~9月6日)わが戦闘機部隊の戦力は、全体として相当に減退していた。2週間のうちに操縦士103名が戦死し、128名が重傷を負い、466機のスピットファイアーとハリケーンが破壊されるか甚大な被害を受けた。約千名の全操縦士のうち、ほとんど四分の一が失われたのである。その補充は元気こそ旺盛だが、260名の新しい操縦士によって、やっと埋めることが出来たが、それは訓練中の隊から引き抜いた未経験の操縦士であり、多数の者はまだ全課程を終えていなかった。9月7日から10日間にわたるロンドンへの夜間空襲は、波止場や鉄道の中心部に対して行われ、多数の市民を殺傷したが、これは我々にとっては、もっとも必要とした息抜きの期間となった。
・・・・・・・・・・・・・・
 8月末に至って敵はロンドンに散発的に来襲したが、これに対してわれわれはベルリンに対して報復的攻撃を加えた。しかしこの距離がかなり長かったため、イギリスに近いフランスやベルギーの基地からロンドンを攻撃するのに比べれば、それは甚だ小規模たらざるを得なかった。戦争内閣としては、反撃を加えたい気持ち、大きく賭けたい気持ち、敵に挑みたい気持ちで一杯だった。わたしも全くそのとおりの気持ちだった。そしてヒトラーの心を動かし不安を感じさせるためには、彼にイギリス人の激怒と意志の力を悟らせることが一番だと私は信じた。ヒトラーは心の底では我々に敬意を抱いていたのである。もちろん彼はわれわれのベルリン攻撃を大いに利用して、ロンドンと他のイギリス諸都市を混乱と荒廃に陥れるという、かねてのドイツの計画を公式に声明した。「もし彼らが我が都市を攻撃するなら」と彼は9月4日に宣言した。「我々は、彼らの都市を抹殺するのみである」。彼はこのために最善をつくした。」

 ドイツのイギリスの空軍基地攻撃から、ロンドン攻撃に方向転換した、きっかけが、イギリス空軍によるベルリン爆撃だったとの、最後の記述は、映画の「空軍大戦略」にも詳細に描かれている。
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名工左利き と 坂の上の雲(2022/4/4)

2022-04-04 13:31:48 | 田舎で読んだ本
ウクライナに攻め込んだロシアとウクライナの戦争が、連日報道されている。
数日でウクライナが敗戦と予想されていたのに、一月余りが過ぎ、ウクライナが逆にロシアを押し返している地域も出て、驚いたり拍手したり。

 ウクライナやコサックにかかわる小説を思い出して読んでみました。
田舎生活をしていると、時間はいくらでも。

少年少女世界文学全集(講談社 昭和35年発行 四国の両親が子供たちに買ってくれて、今私の手元)のロシア編に「名工左利き」という短編小説がある。この小説は、小学生の時読んで、記憶に残っていたもの。たまたま最近読み返していた。
 ナポレオンとの戦争にロシアが辛うじて勝利し、ロシアの皇帝が同盟国のイギリスを訪問、イギリスから工業技術を誇示するため、ゼンマイで動き出す小さいノミのおもちゃを贈られたので、お返しにそのノミのおもちゃの脚に、ロシア(ウクライナ)の職人が蹄鉄を打ってお返ししたという小説。職人の右代表でイギリスに渡った、左利きというあだ名の職人が、ついでにあちこち案内されて、イギリスでは中古の銃の手入れ、ロシアでやっているようなレンガ屑で銃身の内部を磨いていない、ロシア式では、銃の内部が広がって不発弾が増えると知り、急ぎ帰国するも、報告する前に帰りの船で酒を飲みすぎて死んでしまうという話。おかけで、その後イギリス・トルコ・フランス対ロシアのクリミア戦争では、ロシアが破れたという、小説。
 コサック兵はナポレオンを追い出したというくだりがある。
「ところがここに、皇帝のおともをしているドン・コサックのプラートフ将軍と言うのがいて、皇帝が外国びいきになるのを喜ばず、・・。イギリス人たちは、すぐさま珍しいものをたくさん出してきて、それが戦の時、どのように使われるかを説明し始めた。・・・皇帝はプラートフにたずねた。「いったいどうしたわけだ。どうしてお前は、そんなに知らん顔をしていられるのだ。感心するものは何もないのか。」プラートフは答えた。「感心したことが、ただ一つだけあります。それはナポレオンがロシアを攻めてきたとき、わがドン・コサックの勇士たちが、こうしたものを一つも持たずに、勇敢に戦って、たくさんの敵軍を追っ払ったということです。」

 坂の上の雲は、司馬遼太郎が10年かけて世に出した長編小説。日清日露戦争と、四国松山出身の正岡子規、秋山好古・真之の3人が主人公。日露戦争の時、秋山好古は日本の騎兵を率いて満州で当時世界最強と言われた、コサックの騎兵1万騎と戦うシーンかある。正面衝突は避けて、攻められると、基本的に地下壕に潜り、当時の最新兵器の機関銃を打ちまくって、負けを防いだり、200騎程の遠征隊をロシア軍の背後深く潜入させて、コサックの騎兵を前線から遠く離れた地点に配置せざるを得ないようにして、決戦でロシアにコサック抜きでの戦いを強いて、勝利するという離れ業を見せた。このコサックについて、司馬遼太郎が手短に解説している。「19世紀のロシアの大侵略時代にはこの地方(コースサス)もロシア帝国に併呑されてしまったが、それをきらって少数民族の反乱が多く、日露戦争当時も決してかれらはロシア体制に対して従順であったわけではない。このあたりに、コサックの部落が多い。コサックというその本来の意味はトルコ語で、「自由の人」という意味らしい。元来が、15世紀ごろロシア帝国の地主の圧迫に耐えかねて南へ逃げた農奴や都市貧民たちがつくりあげた集団で、選挙による首長をいただいて国家的束縛から自由になっているひとびとをさすものだが、その後、逆にロシア帝国の侵略のための屯田兵のような役割をつとめさせられたりした。・・・」(坂の上の雲 文春文庫5 p367)

 司馬遼太郎の解説を読むと、ドン・コサックの子孫が多く住む今のウクライナは、イギリスから逃れた清教徒が建てたアメリカ合衆国がイギリスと戦った独立戦争とダブって見える。名工左利きを読むと、ウクライナ人はナポレオンやナチスドイツの占領を最後は覆した粘り強い民族と知れる。ロシアはウクライナに勝てない。

 ロシアは、人のものを盗んで富を築くのではなく、戦後の日本がやったように、狭い国土を何倍にも有効利用して、経済力、国力をつけるように国のかじ取りをしたほうが、賢明と思われる。北海道のサロマ湖の漁師は、ホタテガイの養殖と沖合に稚貝を計画的に放流・捕獲することで、一軒当たり3000万円の収入を得ている。こうした勤労と技術を組み合わせた経済が平和と繁栄をもたらすと早く知った方がいい。
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EI氏の「古代山城へのいざない」 大根の種蒔き(2021/10/8)

2021-10-08 19:42:36 | 田舎で読んだ本
竹田農園に電車~折り畳み自転車で出かけました。

 今日の目的は、そろそろ種まき時期の大根の種蒔き。
あまり早く蒔くと、大根サルハ虫の餌食になり、葉脈だけに。
 今の時期だと、大根サルハ虫の全盛期を避けれるので、被害は軽くなる。

 まず、晴天続きで、カラカラの畝に集落の水場から水を運んで、土に注いでおく。(冒頭)
リヤカーで2回分、100キロ程の水。
 
 作業をしていると、近所にお住いのEI氏が見えて、古代城の本が出来たので、謹呈と、寄ってくれる。
 私も歴史は好きで、農園のすぐ近くの御所ケ谷の古代城からひもといた、歴史の本。

 面白そう。
アマゾン、楽天で購入できるとのこと。

 昼食は一人バーベキュー。

野菜は畑から。
 特に、ナタマメのホイル焼きがこだわり野菜。

 食物繊維が多い。

 午後、大根の種蒔き終了。


里芋に取りついたスズメガの幼虫、今日は4匹。

累計で124匹捕殺。

 ニンジン、段々育ってきた。


 ニンニクも発芽。


 夕方になり、豊津駅まで自転車~電車で我が家まで。
懸案の大根の種蒔き終了で、満足。
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お盆に映画「フィールド・オブ・ドリームス」を見る(2021/8/16)

2021-08-16 11:09:15 | 田舎で読んだ本
雨で行くところもなく、暇つぶしに新聞を読んでいると、スポーツ欄によく判らぬ写真と記事。
写真は、トウモロコシの畑の間から野球選手が次々出てくる写真、記事は、映画「フィールド・オブ・ドリームス」のロケ地、トウモロコシ畑を野球場にした男の物語らしいが、ここで大リーグの後半のスタートの試合があったというもの。

 ふと、記憶がよみがえった。
 同居の次男が雨の日は家でゴロゴロしている暇なトーちゃんのために、使わなくなった古いプレーステーションと今のテレビをつなぎ、アマゾンの「プライムビデオ」で映画見たい放題にしてくれていて、愛用しいるが、どれを見ようかと、映画紹介の短文を見ていた時、トウモロコシ畑・声が聞こえたという一文があり、アクション映画がいいと、スルーしたことがある。

 1989年封切りで評判になった映画らしい。
これは面白そうと、プライムビデオで探し出して、見てみる。
 面白かった。
 1919年のワールドシリーズで八百長の試合をしたというので、ホワイトソックスの選手が球界追放になり、その中の、スター選手、ジョー・ジャクソンが野球ファンの子供たちにはショックで嘘でしょうと、声が上がったという話は、小学生の頃読んだベーブルースの伝記で読んだことがある。
 映画は主人公の中年の農夫が、トウモロコシ畑の中で、声を聞き、これをきっかけに、なけなしの貯金をはたいて、トウモロコシ畑を潰して、ナイター照明付きの野球場を作ってしまうと言うのが話の始まり。
 もうなくなったはずの、ジョー・ジャクソンがまずこの野球場に現れ、球界追放になった8人の野球選手がこの球場で野球させてくれと、練習。
 選手たちはトウモロコシの間から現れ消えていく、幽霊ではなく、球場内の区域で生身の人間のようにプレー。
 見える人と見えない人があり、主人公とその奥さんと幼い娘には普通に見え、野球の練習を面白がって見ているという続き。
 よく判らなかったが、打算で世渡りしている人には、野球選手が見えない感じ。
 奥さんが良くできた人で、変わり者の旦那にgoサインを出すし、面白かったのは、娘の通う学校の父兄が、不道徳な本を図書館から排除しよう、その中にはアンネの日記もあったが、表現の自由、人権、アメリカの建国の精神等、機関銃のような啖呵を飛ばして、父兄会の空気を一変させる下りは拍手。
 アメリカの国民スポーツの野球の変わらぬ価値を再認識させる下りもあり、新聞記事で紹介されたように大リーグの後半戦の開始試合にこの映画のロケ地の球場が選ばれたらしい。
 映画の最後は、けんか別れして死別した父親が野球着姿で球場に現れて、主人公とキャッチボールをして、家族を紹介できたり、破産していた農場も野球好きの純真なアメリカ人が大挙押し寄せ、観覧料20ドルを払って、経済問題も解決したらしいという場面でお終い。

 コロナ下の東京オリンピックに聖火リレーに王・長嶋の私ら団塊の世代のヒーローか現れたり、野球でも、JAPANがガチンコ勝負で優勝してと、気持ちが野球モードだったので、この映画はひきつけられた。
 時期もお盆の時期で、ご先祖がこの世に戻ってくるといわれているタイミングと、この映画で亡くなったジョー・ジャクソン等往年の野球の名選手らが、よみがえるという筋書きが、共振するものがある。

 毎年、お盆の暇なとき、見ると為になる映画と思ったことでした。

 このタイミングで、この記事を書いた日経新聞のスポーツ記者、えらい。
記事は、冒頭、新聞記事をそのまま載せるのは問題だか、このブログを読んでくれるのは、北九州の少数の釣りバカオヤジなので、ご勘弁。
 
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