田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

N艇長の特別授業(2010/6/28)

2010-06-28 18:24:52 | 先生・友人
N艇長の特別授業が九産大であり、聴きに行きました。
世話好きのS女史の恩師の心理学の先生の授業に、S女史の肝いりで、特別出演となったもの。

 1時間程、40年間の銀行員生活やら、福岡市の若い人の就職支援の話やら、現在やっておられる、フィリピン人等在日の外国人向けのヘルパー講座(亡くなった息子さん遺志を継いだもの)に時間の経つのも忘れて、聴き入っていました。
 50人程の学生さんが聴いていましたが、皆さん感じるところがあったようでした。

 私のメモ帳に書き留めたキーワードは
○今の外国人向けのヘルパー2級講座には、今まで130名の卒業生、そのうち35名が介護の仕事についている。
○自前で始めた、デイケアと訪問介護の事業所「やしの実」には12名のフィリピン人の卒業生が働いている。彼らは、心でお年寄りを受け止めて、いい介護をしている。
○この外国人向けの介護教育の事業、皆さん無理と反対し、自分でもやれないかもと思ったけれどやってみたら出来た。
○受講者のフィリピン人、夜の接客の仕事についている方が多く、仕事が終わってそのまま、授業に駆けつける方が多い。居眠りせず、熱心に聴いている。自分の話に感動してくれるのが分かり、自分も感動する。講座は4カ月で最初の一カ月は、自分の担当で、疲れるはずが、疲れない。感動が人生のエネルギー。
○子供には、今は勉強しなくてもいい、しかし勉強しなくてはならない時が来る、その時勉強しなさいと、言ってきた。それが出来るかどうかが、分かれ目。

 北部九州も強い雨。
冒頭の写真は竹田農園で昨日撮った、畑への入り口。
イノシシ対策の柵を周りに作っているので、人の出入りは入り口に置いた、金属製の箱(旧タイプの石油ストーブの火傷防御の箱)を除けてから行う。
奥が、イノシシ君の好きな芋類の栽培エリアで柵で囲んでいる。
手前は、トマト、キューリ、サヤインゲン等、イノシシ君が今まで荒らさなかった作物。
イノシシ罠は金属製の箱で、仲間が何頭もこの罠にかかって殺されているので、イノシシ君はこうした金属の音が嫌いでこの入り口、チャチな作りだが、壊されない。
6月は植物の光合成が一番活発で、空気中の酸素量は6月が一番多いそうだが、農園の作物も生垣もむせかえるような緑の洪水で、酸素フル生産中。
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雨の合間の釣り(2010/6/27)

2010-06-27 21:49:15 | Weblog
田舎生活の好きな皆さん御元気ですか。
日曜日、久しぶりにコーラル丸でアジ、キス釣りでした。

(大雨の直後の釣り)
昨日の天気予報は、日中曇りだが雨無しとの予報。
しかし、明け方、屋根の瓦に当たる強い雨音。
もしかして中止?と心配しながら小倉港に。
雨雲が垂れこめているが、何とか釣り出来そう。
まず新日鉄近くのアジポイントに。
明け方の強い雨に嫌気がさしたらしく、見渡しても遊漁船の姿、見当たらず。
おかげて、コーラル丸は一番良いポイントにアンカー。
この数日釣り船が来ていないらしく、20センチ前後のアジ、大漁。
冒頭の写真は3時間程の一人当たりの釣果。
下は、29センチのアジを釣りあげて得意の表情。


(キス最盛期)
アジの後は、砂地のキスポイントに。キスも水温が上がり、動きが活発になったようで、退屈しない程度に、良い型のキス。

(アジの佃煮)
ずっしりと重いクーラーボックスにはアジ50匹、キス12匹前後。
妻、たくさんアジが釣れたので、圧力がまで佃煮を作ると。
以前N艇長に教わったアジの甘露煮風味。
1時間程でアジの佃煮。
食べてみると、家族全員「美味い。」と。
アジ・クロの刺身、アジの佃煮(下の写真)で、夕食卓の会話も弾みました。


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1・8焼酎薄めと司馬遷の史記(2010/6/24)

2010-06-24 22:48:38 | 田舎で読んだ本
飲み仲間の小倉室町の錦龍のI氏、知恵のある方で、話しているといろいろと教わる。
I氏が居酒屋で焼酎を頼むとき、「1・8焼酎薄めで」とよく注文する。
最初は、私も意味が分からず、聞くと、「焼酎1お湯8、残りの1はグラスが空き、熱くないのでその部分で手で持つ。」
私が行く小倉のいくつかの居酒屋では、最近はI氏のおかげで、1・8焼酎と言えば、そのとおり作ってくれる。
一度、郷里の四国今治の居酒屋で、「1・8焼酎薄め」というと、おかみが、腹を立てて、からかわんでくれと。
この1・8焼酎、5杯飲んでも、五分五分の焼酎一杯と同じ酔いで、泥酔しない。
結構、おいしく楽しく飲める。

先日、暇にまかせて司馬遷の史記を読んでいると、古の名君が、泥酔しない知恵で、
客と主人が杯を交わしたとき、3拝9拝することをルール化し、泥酔を防いだという記事。
下のとおり。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
司馬遷 史記(平凡社 上 216ページ)

 そもそも豚を養い酒を造るのは、その(酒食)によって禍を引き起こすためではない。
しかるに(酒食に伴って)裁判沙汰がますます頻繁になるのは、酒の流弊が禍を生む
からである。
故に、このことによって、先王は酒礼を作った。
すなわち(酒)一献(を受けるとき)
の礼でも賓・主は三拝九拝するから、終日(杯を重ねて)酒を飲んでも泥酔に到ることが
できない。
これは先王が酒禍に備えたためのものなのである。
もともと酒食は(賓主が)共に喜び合うためのものである。

 参考*先王は黄帝、堯(ぎょう)、舜(しゅん)、禹(う)といった紀元前2000年頃の中国の
伝説の皇帝で、史記の文章を読んでも、理想的な指導者であると高い評価。アメリカ建国の
時期の大統領ワシントン、ジェファーソンのような国民の尊敬を集めた政治指導者。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

4000年前の中国の名君の知恵と錦龍のI氏の知恵、どちらも、気持ちよく酔って、人生を楽しみ、健康に過ごせる工夫。
中国に4000年前、同じ工夫をした偉い人がいたと、今度I氏に教えてあげよう。

(冒頭の写真は、野菜・魚と物々交換でご近所からいただいた焼酎。どれも美味しい。)
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グルコミン酸のサプリメント(2010/6/24)

2010-06-24 06:21:21 | Weblog
今週月曜日の農園でのバーベキューで、江藤正翁とビールを飲みながら雑談。
江藤翁は、元々身長は183センチの堂々たる体格。
88歳の今も骨格や筋力、肌のつやは、私よりはるかに良い。
しかし、身長が10センチ程縮まりレントゲンを撮ると、腰のあたりの脊椎の軟骨がひしゃげており、医者の意見では、長年ピッチャーをしてきた職業病だろうと。
手足の軽いしびれとか、腰の鈍痛があると日ごろボヤイテいる。

最近、サプリメントで「グルコミン酸」というのが手に入り、試に食べてみると、効果があるようだと、目を丸く。
ご自宅で、袋を見せてもらった。
キャラメルの袋みたい。

ネットで見ると、骨と骨の間の軟骨がすり減って、痛みがある時、グルコミン酸を取ると、軟骨が再生して痛みが軽減することもあると。
私もそのうち、グルコミン酸のお世話になるかも。
グルコミン酸の豊富な魚とか野菜があれば、狙うのだが。
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農園で孟宗竹切り(2010/6/21)

2010-06-21 23:13:57 | Weblog
梅雨入りしたものの、今日は朝から曇りで雨なし。
竹田農園で汗を流してきました。

(孟宗竹取り)

以前ご主人と竹田農園に遊びに来たことのあるK夫人、イベント会社の経営もしている。
町おこしを兼ねて、今度7/7日に、小倉のホテルで七夕祭りを準備中。
この祭りに「天の川そうめん」を企画、孟宗竹を縦に二つに割り、これを皿代わりにそうめんを入れて食べるという趣向。
その孟宗竹をこのイベント会社の若い社員二人、切りに来る。
農園の下手にある孟宗竹の山に3人で。
気温28度程だが湿度は昨晩の雨で多分100%、鋸で5分も竹を切っていると、汗ビッショリで息も上がる。
 1.2メートル程に切った孟宗竹を12本、農園に持ち帰り、どうやって縦に割るか思案。
ナタを当ててこれを金づちで叩くと、1分程で見事に真っ二つ。
中の生地は清潔でそうめんの皿にぴったり。
薩摩隼人のO氏から受け売りの「木元竹うら、竹は先端の方から切ると、旨く縦に割れる」と講釈して、縦に割るのは、イベント会社に持ち帰ってからに。
そのあと、七夕飾りに良さそうな細めの竹を探しに、奇跡の栗の木(25年放置した栗畑に真竹が生い茂り、忘れられていた栗の木が生きていて、巨木に成長)に案内、記念写真。(冒頭)
(インゲン豆の炭火焼き)
お昼は農園の林でバーベキュー。
昨日、汐巻で釣った小魚(ベラ、ヒメ、アラカブ)、畑で取ったジャガイモも。野菜が無いと、畑のインゲン豆をもいできて、そのまま炭火で焼いてみる。
若い客人たちは、インゲン豆が一番おいしかったとか。
お腹いっぱいになり、パチリ。



(ピッチャー稲尾)
バーベキューには、農園のお隣に住む、江藤正翁(元南海ホークスのエース、88歳)も加わり、賑やかに。
若い客人たちに江藤翁を紹介、野球談議に花が咲く。
私が、「ピッチャーの稲尾、元々高校時代キャッチャーだったが、江藤さんがピッチャーに転向させた・・」と説明するも、稲尾を二人とも知らない。
私は呆れ、江藤翁は、これでは昔の野球の話は無理、とタバコをスパスパ。
帰宅して仕事から帰ってきた次男に「稲尾をしっとるか」と聞くと
「神様、仏様、稲尾様の稲尾か」と。
さすが私の息子と思うも念のため、どうして知っているのか聞くと、中学時代、テレビゲームに稲尾が出ていたとのことで、ガックリ。

(ナタ豆すくすく)
5月の連休に植えたナタ豆、発芽し、スクスク。
ナタ豆、ストレス発散効果があるそうで、この若い鞘を食べた、私とラーメン屋のI氏、共に血糖値が大きく下がり正常に。
ストレス発散の副次的作用ではないかと思う。
飲み仲間、糖尿病予備軍だらけで、このナタ豆栽培面積を1.5倍に。
ナタ豆の前でパチリ。


 今度の日曜日、コーラル丸で釣りの予定。
今日川端船長に電話すると、2人までなら乗れるということで、私と工務店のS氏が乗せてもらうことに。
早い者勝ち。

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汐巻で釣りを楽しむ(2010/6/20)

2010-06-21 00:02:02 | Weblog
田舎生活の好きな皆さん御元気ですか。
名高い漁場の汐巻きに、船釣りに行ってきました。
木工職人のSG氏の釣りグループに釣り人欠員の時のスペアとして入れてもらったもの。

(夜中の3時出発)

夜が明けるのが早くなり出港は朝5時20分。
小倉を夜中の3時に自動車乗りあいで行くことに。
私は運転免許を持たないため、普段は工務店のS氏のお宅に前日から泊まり込むのだが、今日はS氏は欠席。
そのため、小倉駅前のビジネスホテルに泊り、ホテル近くで車に乗せてもらう。
いつも寝ている夜中の3時で寝ぼけ顔。

(2枚潮)
予定通り、粟野の漁港を出港。
段々と明るくなり、太陽が東に雲間から見え隠れ。(冒頭の写真)
小一時間沖を目指して船は走り、今日のポイントに到着。
さすが汐巻、レンコ鯛、マダイ、アラカブの良い型が次々に上がる。
(下は丸々としたイサキを釣りあげたところ)


下はレンコ鯛を釣り上げたところ。

水深は90メートルだが、糸を毎分5メートル程、出してやらないと、底から仕掛けが浮き上がってしまう。
船はパラシュートアンカーで風に対して安定させ、潮に乗って移動するのだが、船長の話では、水面近くの海水だけ動いて、下の海水はじっとしているため、段々海底近くの仕掛けが船から離れていく、しかし糸がついているので、仕掛けが舞い上がるということらしい。
皆さん、海底近くに仕掛けを安定させるために、苦労。
そんなハンデをものともせず、皆さんいい型の魚を次々しとめる。
このグループの皆さん35年程、この港から船釣りを続けているそうで、私はとてもじゃないがかなわない。

(船長の釣った魚)
このグループを乗せてくれる船長、毎回同じ方で、なじみ。
近隣の漁港では、若い漁師さんたちからは、その腕前と人柄で尊敬されているとのこと。
この船長、今日も魚を、操船の合間に沢山釣りあげ、その釣果を全て、釣り人に呉れる。
SG氏はこれを人数分に分けてくじ引きでそれぞれの嬉しいお土産に。下の写真


(35年もよく続いた)
木工職人のSG氏の釣りグループ、月に2度、この船に乗るようになって、35年近くたったとのこと。
コーラル丸のように、家のすぐ近くに港があれば良いが、車で2時間の粟野から乗船の皆さん、よく続いたものと不思議。
帰りの車の中で、この釣りグループの方と雑談。
この方最近は年を取り、白内障に罹り、釣りのペースは落ちたが、元気だったときは8人乗りの自分の車で、西は黒埼、南は苅田町まで夜中の3時、4時に次々ピックアップしたとのこと。
それを30年近く続けたいうのだから、恐れ入る。
SG氏の釣り仲間はこうした方が多く、それが35年たった今も、毎月2度の船釣りを続けれている原動力らしい。
素晴らしい。

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トイレが取り持つ縁(2010/6/16)

2010-06-17 00:35:46 | Weblog
今日は、小倉サッポロ星の会、サッポロビールしか飲まんぞ、というあまり意味の無い目的の会。
小倉室町の錦龍のI氏が会長で、年に7回、サッポロビールで「サラマンダー」(ドイツの学生が乾杯!というのに使う合言葉、サラマンダーは鍛冶屋の火の神様で、たとえ火の中水の中、矢でも鉄砲でも持ってこい、といったこれまたあまり意味の無い、掛け声らしい。)と掛け声で、サッポロビールをレストランで飲みかつだべる。
60名程集まり、M画伯、工務店のS氏、苅田町のMT氏、冒険家のM先生、世話好きのS女史など、見慣れた顔。
私の隣に、鋭い目をした私と同年輩の男性。
錦龍のI氏が案内してきた方。
聞けば、事情があって解散した「門司サッポロビールの会」のメンバーだった方。
この方が言うには、ラッパ(トランペット?)を仲間と吹いており、駅から練習場の途中に、気になるラーメン屋があり、一回目はラーメン、次の回はチャンポンを食べ、トイレを借りて、ふと壁を見ると、「小倉サッポロ星の会、酒飲み運転撲滅・・」というビラが貼ってあった。
何事と、大将に聞くと、これが錦龍のI氏で意気投合、招かれて、今日ここに来たとのこと。
「実は、あのビラ、I氏に言われて、私竹田が作ったんです」と申し上げると、「オー、これは奇遇、人生何が縁になるか分かりませんなー、心臓がドキドキしてまっせ」と。
 錦龍のI氏、「人には添うてみよ、馬には乗ってみよ」と以前ポツリと言われたことがあり、その言葉を思い出しました。
まず、行ってみる、話してみる、いやでも乗ってみる、意外な心の友という宝物が待っているということらしい。
 錦龍のトレイのビラ、冒頭に。
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農園で畑仕事を楽しむ(2010/6/14)

2010-06-14 18:54:40 | Weblog
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
梅雨入りとはいえ、雨はなく、薄曇り。
竹田農園に、仕事が休みの次男と草刈り、畑の手入れに行ってきました。

(二人でやれば楽ちん)

次男、昨年イチジク畑の草刈り大半をやってくれた。
今日も次男にイチジク畑の草刈りを任す。
私は、近くの竹林に真竹を取りに。
昼のバーベキューのカッポ酒と発芽してツルの伸び始めたナタ豆の支柱用。
破竹(真竹の竹の子)も探すとチラホラ。
次男と二人だと当たり前だが、農作業が2倍はかどり、楽ちん。

(イノシシ防止柵の補強)
4年前からイノシシにサツマイモや里芋を取られないように、畑の周囲にイノシシ除けの柵。
4年経ち、杭が所々腐ってグラグラ。
5月の連休に、自衛官のS青年が農園に遊びに来た時、竹やぶの近くの杉の木を切り倒して、立派な杭を3本作り空き地に放置。
これを次男に埋め込んでもらう。
30分程で出来上がり、宿題が片付く。
下の写真のインゲン豆取りをしている次男の背後が新しい杭。


今年もイノシシに勝ちたいもの。

(バーベキュー)
お昼は、先週釣ったキスを塩焼きに。
お隣の江藤正翁(元南海ホークスのエース、88歳)も加わり、舌鼓み。
カッポ酒とビールのチャンポン。
畑から掘り出したジャガイモも焼き、塩を振りかけて食べる。
ホクホクして美味しい。

○昨日、ソフトバンクと巨人の試合をドーム球場に妻と見に行ったと江藤翁に話すと、
「昨日の試合、テレビで見たが、いい試合だった。面白かったろう。」と。
また、昨年知り合いの方と、ドーム球場に初めて行き、試合をみたが、「あのような立派な球場で投げると気持ちがいいだろう、今の選手は幸せと思った」とのこと。
お腹も満足したところで、パチリ(冒頭の写真)

今度の日曜日、名高い漁場の汐巻での釣りに連れて行ってもらう予定。
外海で波が高い日は船が出られずお天気次第。
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福岡市美術館の松永安左エ門の寄贈の品 今日の発見は3つ(2010/6/13)

2010-06-13 21:26:49 | 松永安左エ門の足跡巡り
今日は、日曜日でゆっくり朝食、そのあと、福岡市の美術館、最後はヤフードームで野球観戦とビールでした。
発見3つ。

(赤玉ネギ =サラダには輪切り)

竹田農園で、赤玉ねぎを沢山収穫。
我が家に持ち帰り、乾燥も終わり食べごろ。(下の写真)


いつも妻任せなので、自分で玉ねぎサラダ用に下ごしらえに昨晩チャレンジ。
妻に教えてもらった。
サラダには、葉先~根元の軸に直角に包丁。
輪切りにする。
カラミが抜けるのだとか。
ちなみに肉じゃがではこの葉先~根元の軸に平行に包丁。
煮崩れしないそうな。
私が食べたいのはサラダなので、教わったとおり輪切り。
これをタッパーに入れ、そのまま冷蔵庫に放置。
友人の栄養学のドクターST夫人から輪切りしたたまねぎをタッパーに入れ、数時間放置するだけでカラミが抜ける、
水にさらさなくて良い、その方が栄養価が高いと数年前伝授されている。
今朝、寝ぼけて起きると、すでに朝食の準備が出来ており、私が昨日切った玉ねぎ、サラダに。(冒頭の写真)
赤玉ねぎのサラダ、血行がよくなり、老いては肩こりに効果、老いも若きも仕事に遊びにパワフルになる。
人体実験済み。

(福岡市美術館=都心でハイキング)
三月に小田原、五月に壱岐で見た松永安左エ門の記念館、とても印象的。
小田原の記念館の係の方が、福岡市美術館に茶道具、絵がたくさん寄贈されていると聞き、ソフトバンクと巨人戦をヤフードームに見物のついでに寄る。
大濠公園の湖の岸辺にあり、緑豊か。
茶道具、絵は松永コレクションとして常設展示。
入り口でパチリ(下の写真)


俵屋宗達の絵が多い。
松永安左エ門が、聖徳太子、弘法大師、福沢諭吉を日本の3偉人と尊敬しており、弘法大師直筆の書(?)もあると聞いたが、今日は展示されていない様子。
都心ながら、水辺のハイキングと貴重な松永コレクションが堪能でき、来てよかった。

(プロ野球=外野のバックスクリーン近くが特等席)
今日、ヤフードームでソフトバンクと巨人の試合があり、その外野席の券を2枚先日、友人からいただく。
 面白そうなので、妻と。
 内野席の方がよいかもと思ったが、座ったパックスクリーン近くの席からは、ピッチャーの球筋やら打球の行方が良く分かる。(下の写真)


 外野に球が飛ぶと、すぐ近くで迫力のあるプレー。
 私設応援団も外野で熱烈なファンは外野にかたまり、「次は川崎、打つぞ」とか、「今日の杉内は調子が悪い」等々、後ろや前で解説をしてくれる。
 チャンスになればお祭り騒ぎで、内野席で見るより3倍、面白い。
下は、ラッキーセブンで、風船を飛ばして大騒ぎ。


明日は次男と農園で草刈りETC.


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松永安左エ門の遺言

2010-06-12 00:55:16 | 松永安左エ門の足跡巡り


先日、不良爺さんたち6人で壱岐にドライブしたさい、立ち寄った松永安左エ門記念館で見た、松永安左エ門の遺言状。
後、何年生きているのやらと、爺さんたちぼやいているので、この心境に近付きたいと思った次第。

「一つ、死後のはからいの事
何度も申し置く通り、死後の一切の葬儀、法要はうずくの出るほど嫌いにこれあり。
墓碑一切、法要一切が不要。
線香類も嫌い。
 死んで勲章・位階(もとより誰もくれまいが友人の政治家が勘違いで尽力する不心得、固く禁物)これはへどが出るほど嫌いに候。
 財産はセガレおよび遺族に一切くれてはいかぬ。
彼らがダラクするだけです。
(衣類などカタミは親類と懇意の人に分けるべし、ステッキ類もしかり)
小田原邸宅、家、美術品、及び必要什器は一切記念館に寄付する。
これは何度も言った。
 つまらぬものは僕と懇意の者や小田原従業者らに分かち与うべし。
借金はないはずだ。
戒名も要らぬ。
以上、昭和36年12月8日
横山通夫様
松永安太郎様
田中精一様
井上五郎様
木川田一隆様
この大締めは、池田勇人氏にお願いする。
 以上」

(亡くなる10年前に書かれた遺書)

壱岐の記念館のこの遺書の実物を拝見するだけでも来た甲斐があった。
松永安左エ門著作集の第一巻にある松永安左エ門の亡くなる1年前の写真と、歴史家A.J.トインビーと、記念館の庭にある松永安左エ門夫妻の胸像の作者の北村西望の手記、冒頭に。
(A.J.トインビーの手紙は原本が記念館に展示されていた)
コメント (2)
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