田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

福島原発からの処理水の放出(2023/8/28)

2023-08-28 14:48:15 | 3.11東北大震災の頃
昨日の釣りの行きの車で、福島第一原発に溜まった、トリチウムを含む処理水の海洋放出が話題に。
 気分的に、福島産の海産物を食べるのに抵抗のある人が増えるかもと心配。
 この車の中では、反対の声の大きい、中国や韓国の原子力発電所からは、今回の福島の放出水より高い濃度、絶対量でも多いトリチウムが海や川に放出され、それは国際基準には、抵触していない、日本政府が、科学的な話をしろと怒るのは、このためだとなって、話題は、今日の釣りの話に戻る。

 ネットで見ても、このトリチウムの中国、韓国での原発からの放出は話題に。
マスコミは、もっとこの事実に焦点を当てて、報じたらいいのにと、思案。

 昨日(8/27)の日経新聞を釣りの翌日の休養日で読んでいると、次のような記事。
タイトルは、デマを封じる外交戦略。
「・・・人体への悪影響を訴える人たちが指摘するトリチウムは世界の原発が海に流している物質だ。福島第一原発で予定する海洋放出は年間22兆べくレム未満。外務省の資料によれば、例えば中国沿海部の泰山第三原発は20年に143兆べくレム、韓国の月原原発は21年に71兆べくレムをいずれも液体廃棄物として処分した。・・・」

 これだけはっきりした、事実があるのだから、中国や韓国での福島原発叩きは、わりと近いうちに、収まることだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京・横浜孫見物の旅(2013/2/13)

2013-02-13 23:39:12 | 3.11東北大震災の頃
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
この3日間、孫見物に東京、横浜に遊んできました。

(大震災と暴走族)
行きは、北九州空港からで、次男の車で送ってもらう。
道中、昨日の毎日新聞で見た、「日本に学ぶ10の事」を私が次男に話すと、次男の働いているDVDショップの本社のある茨城県の店で、毎晩、40人程の暴走族が走り回ってうるさくて仕方なかったのが、震災の翌日、「今日から復興支援に東北に出かけます。暴走は止めます」と警察に挨拶に来て、それいらい、ずっと静かになったとのこと。
 警察に挨拶するとは、可愛い所があると言うと、次男は、別の場所で暴れているのではないと、伝えたかったんだろうとのこと。
 単車が主な暴走族だそうで、がれきの中を走り回って、被災者のお役にたったことだろうと、感心したことでした。

(東京駅)
建設当初の姿に再建したという東京駅を、長男宅で宴会をしたあと、妻と見物。
気品と豪華さのある建物に変身しており、駅の前、広い広場も作られ、写真撮影をしやすくしてくれている。
ここでパチリ。(冒頭の写真)
ドームの中、ホテルやレストランの回廊が内側にあり、物珍しさに、レストランに入ってみる。


やや割高だが、入館料と思えば安いものと、二階のバーでランチにビールで東京駅を堪能しました。
門司港レトロも負けそう。

(自然公園)
今日は、横浜の長女宅に泊まったついでに、孫と、日吉本町駅近くにある山林を利用した、児童公園に。
たき火OK、遊具は手作り、規制するより冒険しろ、といった今時珍しい公園。(左のブックマーク、横浜鯛ケ崎公園)
孫はと見ると、公園の手押し車を山の上まで押し上げて探検しておりました。

私も子供のころ、「少年ケニア」とか「マゼラン・クック船長の伝記」「砂漠のヘディン」といった、冒険物語に夢中になって、近くの小山やため池で、冒険ごっこで遊んでいたのを思い出しました。
こういう公園を作った横浜の人はエライ。

 今度の日曜日、若松から釣りの予定。波静かでありますように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2011年3月、世界を駆け巡ったメール(2013/2/10)

2013-02-10 23:17:17 | 3.11東北大震災の頃
2011年3月、世界を駆け巡ったメール

 小倉駅から我が家に戻る車中で読もうと、買った3/10日の毎日新聞の記事、思わず何度も読み返しました。3/11日の東日本大震災にかかわる記事。著者は、元世界銀行の副総裁の西水美恵子氏とのこと。書き写すのは、著作権上問題と思いますが、読むのは、少数の釣りバカの皆さんがほとんどですので、ご勘弁。以下のような記事。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
在留中の英領バージン諸島では、午前2時前だった。けたたましい電話の呼び出し音に何事かと跳び起きた。世界銀行ワシントン本部から東京に出張中の、元部下からの国際電話だった。・・・・緊急時に肝が据わる彼女が涙声なのに気づいて、驚いたのを覚えている。途切れ途切れの通話も、震災や通話規制のせいではなかった。
「今、帝国ホテルに向かっている・・・・美恵子の同胞は素晴らしい・・・強い余震が来る中で・・・誰もかれもが落ち着き払って・・・まわりの人を思いやって・・・助け合っている・・・こんな民族が住む国がこの世にあったなんて・・・信じられない・・・美恵子の国はすごい・・」・・・・・
深夜の電話からしばらく。ワシントンに戻った彼女から
「これが世銀やIMF(国際通貨基金)はもとより世界中を駆け回っている」と一通のメールが転送されてきた。
「10things to learn from Japan (日本から学ぶ10のこと)」と題したそのメールに、こうあった。

① The Calm(平静)
悲痛に胸を打つ姿や、悲嘆に取り乱す姿など、見当たらない。悲しみそのものが気高い。
② The Dignity(威厳)
水や食料を得るためにあるのは、秩序正しい行列のみ。乱暴な言葉や、無作法な動作さなど、ひとつとてない。
③ The Ability(能力)
例えば、驚くべき建築家たち。ビルは揺れたが、崩れなかった。
④ The Grace(品格)
人々は、皆が何かを買えるようにと、自分に必要な物だけを買った。
⑤ The Order(秩序)
店舗では、略奪が起こらない。路上では、追い越しも警笛を鳴らす車もない。思慮分別のみがある。
⑥ Sacrifice(犠牲)
50人の作業員が、原子炉に海水をかけるためにとどまった。彼らに報いることなどできようか。
⑦ The Tenderness(優しさ)
レストランは値を下げる。無警備のATM(現金自動受け払い機)は、そのまま。強者は弱者を介助する。
⑧ The Training(訓練)
老人も子供も、全ての人が何をすべきか知っていた。そして、すべきことをした。
⑨ The Media(報道)
崇高な節度を保つ速報。愚かな記者やキャスターなどいない。平静なルポのみがある。
⑩ The Conscience(良心)
停電になった時、レジに並んでいた人々は、品物を棚に戻して静かに店を出た。

真のインスピレーションを感じる。日いずる国で起こっていることに。(著者・西水和訳) 」

余すところ一月で、大震災からもう3年目が訪れようとしている。・・
・・忘れてはならない。かけがえのない大きな犠牲をはらった人々が、厳しい状況に耐えながらも、今なお希望を失わずにおられることを。
 そして、私たちが当たり前だと思っていることを、いかに世にまれなことかと驚異の念をもってたたえ、だから日本は大丈夫と支えてくれる人々が、世界に大勢いることを。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
100年の後にも、孫や子供に読み継いで欲しい、静かな勇気を与えてくれる記録と思いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北九州市のガレキ処理の灰見物のち農園(2012/6/25)

2012-06-25 19:35:27 | 3.11東北大震災の頃
(がれき処理後の放射能)
 用事で北九州市役所近くに来たので、北九州市が東北の被災地のガレキの焼却処理を決めた際、市民に直接、焼却灰やスラブの放射能測定をやれるコーナーを市役所のホールに設けたというのを見物に。
 焼却前のガレキ、焼却後の灰、スラブ、焼却時に集塵装置で補足した塵を透明容器に入れて、放射能測定器で希望者に測定させていた。(冒頭の写真)
お昼時で、私の他には誰も市民は来ておらず、係りの方お二人から、測定器の操作方法を聞いてやってみる。
平常時、北九州市役所内は、0.07マイクロシーベルトの放射能があるそうで(自然界の現象・60年近く前の米ソの水爆実験の名残?)、その値と焼却灰その他に放射能測定器を近づけたときの値は変わらず。
 こんな値なら、早く東北のガレキの焼却処分を開始してほしいものと思った次第。

午後は、竹田農園に、次男運転の車で。

(農園のカボチャ棚)
農園のカボチャ、棚を作り、それにツルを登らせて育てる方法を昨年から始め、大成功。
今年も、カボチャ棚を半分まで作り、今日は、ネット張り等の仕上げ。
午後暇そうな次男にやってもらう。
 昨年もやったので、要領よくテキパキ。(下の写真)

 「こういうものを作るのは楽しいね」と次男。
カボチャは既に花が咲き始め、ピンポン玉程の実もなっているので、8月上旬には食べれそう。

(休耕田の枯草運び)
暇なとき運ぼうと、休耕田に山積みの枯草、そろそろ運ばないと、また生えだした草に覆われて、作業が困難になりそう。
時々の雨の中、愛用の組み立て式リヤカーを持ち出して、500メートル程離れた休耕田から枯草運び。(下の写真)

これを秋野菜用に空けた畝に敷き詰める。
畝に草が生えず、ミミズが繁殖して土を柔らかく耕してくれ、土も健康になる等、いいことずくめ。
3往復して半分以上運び終わったところで、残りは来週に。

 今度の日曜、コーラル丸でキス・アジ釣りの予定。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「今注意すべき大地震」(木村政昭氏)を読んだ(2012/3/15)

2012-03-15 22:15:06 | 3.11東北大震災の頃
 東北の大震災以来、地震や津波に関するニュースや解説をよく目にする。最近、「いま注意すべき大地震」(木村政昭著、青春出版会 冒頭に写真)をフムフム、ナルホドと思いながら読んだ。木村政昭氏は琉球大学の名誉教授で、その名前は時々新聞で、地震があるとそのコメントを見て、名前を覚えていた。印象的だったのは、神戸大震災の直後、この地震は雲仙普賢岳の噴火と関係があるかもしれない、普賢岳の噴火はこの地震でストレスが開放され収まるかもしれないとのコメントがあり、実際に噴火が沈静化したとき。その後、注意して新聞記事や、一冊木村氏の書いた本も読んで見たりして、大変説得力があると感心。ホームページも開設しており(左のブックマーク)特に東北の地震のあと、よく覗いていたが、昨年8月以降、更新がなく、病にでも倒れたのかと心配していたところ。病ではなく、冒頭の本を今年の一月出版で、やれやれ。アマゾンで送料込み1,000円で注文し、読み終わったところ。

 内容は、自分で直接読むのが一番良いが、地震と火山との関係で、これから発生する地震や火山噴火の可能性に言及しており、大変シンプルで雄大な構想。なぜ、政府の地震予知や学会の主流の学説にならないのか不思議だが、そうはなっていない。
 歴史家にアーノルド・J・トインビーというイギリスの歴史学者があり、「歴史の研究」という大著がある。このトインビーもマスコミや事業家や市井の歴史好きには絶大な支持があり、20世紀最大の歴史家と呼ばれているが、歴史学者の間では異端扱いされて久しい。私も「歴史の研究」の抄録の日本語訳の全三巻の第一巻を高校三年生の時読んだことがあり、随分と目が開かれた記憶がある。この木村氏は歴史家のトインビーとよく似ている。学会の主流には嫌われる学者のような。

 今回の木村氏の新著で、驚いたのは、今話題のガスハイドレートが大津波と関係があることがあり、江戸時代(1771年)マグニチュード7.4の海底地震で八重山諸島に最大85メートルの大津波をもたらしたのは、地震がこの海域に広く存在するガスハイドレートの瞬間的な爆発を引き起こし(シャーベット状のメタンが海水と広範に接触)地盤の大崩落を起こした事に起因したかもしれないとの指摘。

 木村政昭氏のブログでは最近は地震・火山情報の詳細は更新しないようなので、一度この本を読んでみるのも身を守る一助になるかも。またこの木村理論を念頭に、釣りや温泉三昧で目にする火山の跡や巨大な石灰の山並みを見るとこれまで繰り広げられてきた地球の大地の歴史を感じることが出来る
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

動く歩道上の太陽発電パネル工事に震災ポスター(2012/2/8)

2012-02-08 21:49:59 | 3.11東北大震災の頃
私が日頃通っている小倉駅北口のビルと駅を結ぶ動く歩道があり、現在、そこの屋根に大量のソーラーパネルを設置している。その工事現場の安全柵になにやら写真がたくさん掲示されている。よく見ると、東北の津波の被災地の住民の皆さんの写真と思いをポスターにしたもの。一つ一つ追っていくと、心を打たれる。ソーラーパネルも今回の震災の復興への小さい一歩。設置工事に寒い中、作業を黙々とやっておられる工事関係者の皆さんの心もこのポスターに励まされることと推測。以下が、その写真とコメント。

「余計な言葉はなくていい」


あの日と闘い続けていく


これからを取り戻す旅


悔し涙はうれし涙にする


ガレキを踏み台にするさ


忘れたいけど覚えておく


頑固者の出番の時だ


そして絆は家族になった


それでも今日も海を見る


野球がしたいです神様


甘く見るなよ大槌人だ


チョー悲しくなんかない


被災地じゃネー、正念場だ


此処でなきゃ、ダメなんだ


ひとつひとつ咲かせるよ


 どこが作ったポスターだろうとよく見ると「復興の狼煙ポスタープロジェクト」とあった。
このプロジェクトが発売してるポスターをこの工事を請け負っている工事会社が買って掲示してくれたのかも。
 毎日、このポスターの横を歩くと身が引き締まります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南三陸町観光協会の楽天出店からのメルマガ(2012/1/6)

2012-01-06 23:34:38 | 3.11東北大震災の頃
南三陸町の楽天出店からのメルマガが届きました。
そのまま印象に残った箇所引用です。(著作権の関係でそのまま引用は問題ですが、読むのは釣りバカ中心の小人数ですのでゴメン)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今年は、3人だけでお正月。普通にお雑煮とおせちのお正月でした。
 年越しという感じもあまりせず、
 去年は、生きることに精一杯、生活を取り戻すために精一杯という感じでした。
 まだまだ、年が明けても何かが変わるわけでもなく、
 「3・11」が来て一区切りというのが町民の気持ちでしょうか?私はそう思いました。

   中略

仕事始め、南三陸町長が朝一番にいらっしゃいました。

 町長から聞いたことを少し。

 昨年を振り返り、今日でちょうど震災から300日!

  ・ふるさと納税は4倍に!

  ・他のボランティアセンターの閉鎖も聞かれる中、南三陸町はまだまだ沢山の方が
     来ていただいています。
      一番のピークは夏休みの8月 280人
      11月でも180人!

  ・そして、人口1万5800人ほどの南三陸町。
  全国からのご寄付は件数が宮城県で1番だそうです。
  金額でも、政令指定都市の仙台市、人口15万人の石巻市に次ぐ3番目の額だそうです。
     (石巻を抜いて2番目だったこともありました。)
     
件数が1番ということは、どれほど、個人の方々が南三陸町に関心を持っていただいているかが如実に表れているということです。

 町長も本当に有り難いと申しておりました。本当にありがとうございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 楽天出店の商品たくさんありますが、一番重宝しているのが、大漁旗デザインのハンドタオルとフェイスタオル。私は釣りの時、ポケットに入れておくといつも予想外の釣果。釣り友二人も釣り船の上でタオルを上げたらその日は1人は60センチ、もう一人は70センチの鯛をそれぞれ3匹で天にも上った気分。
工務店のS氏は、大漁旗タオルをシャツの上にまとうと、60センチの鯛3匹(下)

木工職人のSG氏は大漁旗タオルを道具入れに大事にしまうと70センチの鯛を次々3匹。強い引きで時々腕が海に引き込まれたとのこと。下


クリスマスに職場の同僚たちにプレゼントしたら、「受験生の娘に上げたら随分よろこんで、壁に張っていますよ」とおっしゃる方も。
 メルマガの申し込みは、左のブックマークに。

今度の月曜日、釣りの計画。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南三陸町の観光協会のメルマガ(2011/10/14)

2011-10-14 22:14:38 | 3.11東北大震災の頃
南三陸町の観光課の楽天出店のメルマガが届きました。内容は

 EXILEのライブが南三陸町であり、テレビでも全国放映。震災の翌日の3/12に、南三陸町の志津川中の卒業式が予定されていて、生徒はEXILEの「道」を皆で歌う準備。ところが3/11に大震災があり、中学は避難場所で、生徒も先生も父兄も3/11の夜、ろうそく一本で過ごしたとのこと。
以下、原文(著作権の関係で引用は問題ありますが、読むのは、主として釣り自慢の小人数ですのでゴメン)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
3・11 あの日、教室で一夜を過ごしたクラスメイト達
      あの夜、真っ暗な中、1本のろうそくの明かりの中、誰ともなく口ずさんだ曲が「道」でした。

  ♪思い出が時間を止めた
   今日の日を忘れるなと
   見慣れた景色 二度と並べない思い出の道♪

 どうしようもない気持ちを乗り越えようとしたのか、自然と歌われた曲「道」

 先生・父兄はそれを聞き、涙があふれたと言います。。

 中略

 ある日、私たち観光協会が場所をお借りしている南三陸町仮庁舎産業振興課に
 みるからに町の人ではない方々が、ゾロゾロいらっしゃいました。

 耳をでっかくして、聞き耳をたてていたはな(はな・・メルマガの記者)

 「EXILEメンバー本人たちがどうしてもやりたいと申しております」

===========================================

 そして、それが現実になったのが「南三陸町音楽祭」
 忙しいスケジュールの中、この日しかメンバー全員がそろって空いている日はなかったそうです。

 中略

道を歌い、
ATSUSHIさんまで涙、町民も涙。
 
 この時、そこにいた人たちの気持ちがひとつになった気がしました。

==========================================

 そして、涙では終わりません!!



Rising sunで盛り上がり、
最後はお約束 choochootrainで終わりました!!!

エグザイルさんありがとうございました!!!

==========================================

後日談、
漁師町によくいそうな町のおっちゃん
「いやー、えぐざいるなんて知らなかっだけどや~、すっかりファンになってしまっだ~」

おっちゃん、かわいいです(^o^)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 このメルマガの申し込みは左のブックマークに。
釣りに使えそうな商品や海産物もこの楽天出店で売っています。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国の古代国家、夏の名君 禹(う)(2011/8/19)

2011-08-19 22:10:59 | 3.11東北大震災の頃
 田舎生活をしていると、時間はたっぷりあり、最近は司馬遷の史記を読んでいる。何回か読んだが、読むときの気分で、印象に残る箇所が変わってくる。
 一昨日読んでいて、いままで読み飛ばしていた、中国の伝説の最初の王朝、夏(紀元前2070年~)の創始者の禹(う)の詳しい紹介が心にしみた。
 黄河をはじめとした大きな河川の川筋を安定させるために、13年間没頭し、とうとう成功、国民は、丘から平地に移り住むことが出来、農業生産も飛躍的に高まったというもの。
 高さ20メートル、1000年に一回の大津波に見舞われた日本では、国民は平地から丘に移らなければならない。
 また、平地に戻るには、禹(う)のような弛まない努力があれば出来るということを司馬遷は示唆している。

下のような下り。

「司馬遷の史記 夏本紀(平凡社 上18ページ)

禹(う)の人となりは、敏捷で勤勉、徳がそなわっていて道にたがわず、その仁慈の心は親しみやすく、その言葉は信頼できた。その音声は韻律にかない、進退は法度に合い、言動はつねに適宜であった。そして、倦まずたゆまず、またなごやかで、世の中の綱紀として人々の仰ぐところであった。
 禹は、ついに益・后稷(こうしょく)とともに帝の命を奉じ、諸侯・百官に命じて人夫を徴収し、それを全土に配置して水土をおさめ、山々をめぐり木柱をたてて山名を表記し、高山・大川の格式を定めた。禹は父の鯀(こん)が功ならずして誅罰をうけたことをいたみ、身を労して心を集中し、屋外におること13年、自家の門前を通りかかってもはいって休息しなかった。衣食をうすくして鬼神への供え物を豊富にし、家室を質素なものにしてその費用を田畑のあいだの溝作りにまわした。陸をいくには車、水上をいくには船、沼沢地をいくには橇(そり)にのり、山をいくにはキョク(裏に釘をつけたはきもの)を用いた。準(みずもり・水平をはかる)と縄(すみなわ・直線をはかる)を左手に、矩(さしがね・角度をはかる)を右手に持って、四時にかなうように作業をすすめた。このようにして九州を開拓し、全土にわたって、道路を通じ、沢に堤防をほどこし、山を調査した。益に命じて民衆に低湿地にうえるべき稲をあたえ、后稷に命じて民衆に得がたい食料を与え、食料が不足しているところへは余りあるところから補給させて、諸侯の国々の事情を均しくした。
・・・常・衛(ともに河北省の川)は流路どおりに流れるようになり、大陸沢(河北省)も水がひいて沢らしくなった。・・・済水と黄河の間の地が沇州(えんしゅう)である。そこでは、九河(黄河の下流の九つの分流)がそれぞれの道にしたがって流れるようになり、雷夏(沢名 山東省)も沢として落ち着き、よう、しょ(ともに雷夏の西北の平地を流れる川)は合して一つとなり、桑に適した地帯はもはや洪水のおそれはなく、養蚕を営みうるようになった。

かくして、人民は丘からくだって平地に居住することができた。・・・・」

 現代の禹(う)は、地震予知の学者であり、低コスト高効率の防波堤の設計技師であり、その他知らない何かを弛まぬ努力で作り上げる人。
 禹(う)の時代は、その前の名君の堯、舜、禹(う)と続く中国の高揚時期。
 孔子も理想の時代と懐かしみ、彼らの没したという場所は、中国の聖地となっている。
 東日本大震災を契機に現代の禹(う)が輩出して日本の復興も本物と思った次第。

 明後日は、関門に釣りの予定。大物釣れますように。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

農園のお盆(2011/8/13)

2011-08-13 15:32:07 | 3.11東北大震災の頃
お盆で竹田農園の近くにある妻のご先祖様のお墓に墓参り。
長男一家、長女一家と我が家で農園に。
冒頭は、真夏の竹田農園近くの道からパチリ。

墓参りのついでに、今が盛りのなた豆(糖尿病に効果があると飲み仲間に好評)とカボチャを収穫(下の写真)。


墓参りが終わり、引き上げようとすると、同じ集落の、最近お亡くなりになった方があったお宅にお参りの帰りの、長男の幼馴染。
25年振りの再会。
記念写真(下の写真)。

たまたま、29年前、竹田農園にまだガス、電気が通っていたころ(今は廃止)一夏、農園の屋敷で避暑で過ごしたことがあり、その時のこの幼馴染のマコト君と長男の写真が見つかる。
写した場所も同じでした。(下の写真が29年前の長男とマコト君)

お盆はご先祖様の霊がやってくる時らしいが、懐かしい人々にも再会する時らしい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今晩は、飲み仲間、釣り仲間で関門に花火見物。

 今、花火大会から戻ってきたばかり。
花火職人さんは東北の方が多いそうで、今日の関門の花火、例年、終わる2分前に打ち上げる、超大玉の見事な花火が最後の15分間打ちっぱなし。
 採算無視で、花火職人さんたちが、東北の皆さんの思いを胸に、この15分間の見事な大玉のオンパレードやってくれたと推測。
あいにくカメラを持っていくのを忘れ、妻の携帯で、花火をパチリ。

 周りの人、気持ちが伝わり涙がこぼれていました。私も。
ご一緒の飲み仲間のリーダーの小倉室町のラーメン屋の錦龍のI氏も、「涙が出た」とポツリ。

 来年も11名でレストランの予約を済ませて、妻と、冒険家のM先生ご夫妻と帰路に。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする