当ブログをご覧の皆さんは広島市中区基町の「中央公園」内に旧制広島高等学校の卒業生が建立した石碑などがあるのをご存じだろうか。
広場の北東(歩道沿い)に設置されている【広高の森】記念碑。裏面には以下の文が刻まれている(撮影時期は令和2年1月上旬)
森を贈ることば
広島高等学校の創設は大正十三年のことであったが昭和二十五年学制改革によって閉鎖され広島大学の母胎となった
その間二十有六年われわれ同窓の者四千八百余名はひろく市民の暖かい愛情に包まれて学園生活を送ることができた
かつて享受したその恩顧にむくいるためここに学校創立五十年を記念し感謝の心をこめてこの森を贈るものである
昭和四十八年十月
広島高等学校同窓会
その記念碑の程近くに平成20年(2008)8月に有志によって再建された【加藤友三郎像】が見える。元々銅像は「比治山公園」に建立されたが、戦時中の金属供出によって失われたという経緯があった。
街の活性化を兼ねて「中央公園」にサッカースタジアムが建設されることが決まり広場のレイアウトが大きく変更される。【広高の森】記念碑は現在地に残されるが、銅像などは別の場所に移されるそうだ。
広場の北東(歩道沿い)に設置されている【広高の森】記念碑。裏面には以下の文が刻まれている(撮影時期は令和2年1月上旬)
森を贈ることば
広島高等学校の創設は大正十三年のことであったが昭和二十五年学制改革によって閉鎖され広島大学の母胎となった
その間二十有六年われわれ同窓の者四千八百余名はひろく市民の暖かい愛情に包まれて学園生活を送ることができた
かつて享受したその恩顧にむくいるためここに学校創立五十年を記念し感謝の心をこめてこの森を贈るものである
昭和四十八年十月
広島高等学校同窓会
その記念碑の程近くに平成20年(2008)8月に有志によって再建された【加藤友三郎像】が見える。元々銅像は「比治山公園」に建立されたが、戦時中の金属供出によって失われたという経緯があった。
街の活性化を兼ねて「中央公園」にサッカースタジアムが建設されることが決まり広場のレイアウトが大きく変更される。【広高の森】記念碑は現在地に残されるが、銅像などは別の場所に移されるそうだ。