ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

新聞に載った:『女たちの満州』本番まで3日!

2016-05-27 08:39:49 | アート・文化

 朝日新聞が菜の花座公演『女たちの満州』を取り上げてくれた。小さな記事だが、公演直前の告知記事はとてもありがたい。公演などのお知らせは、「週末ファイル」等の催し物欄に掲載されるのが普通なので、今回記事となったことは『女たちの満州』が注目を集めるテーマだということを物語っている。毎日新聞も載せてくれると言っていたことでも、関心の高さはわかるというものだ。

 取材の際に、作品制作の動機を執拗に聞かれた。「満州の問題はきちんと整理されておらず、あやふやなまま。最近はあったことをあったと伝えることでさえ難しくなりつつある。そんな昨今の風潮に刃向かってみようというのが、作品の動機の一つ」と記者には語った。それは確かに誤りではない。首相を先頭に、歴史修正主義が大手をふるってまかり通る有様には怒りとととも、大きな危機意識も感じている。だが、あくまで動機の一つに過ぎない。

 満州に惹かれるようになったのは、はるか昔のことだ。モノ・カネ・成長の都会に嫌気がさして、東北に彷徨い出た頃、農を基盤と考える農本主義の思想に引き寄せられたことがあった。未耕地の開拓とか集団農場といったものに漠とした憧れを感じていた。満蒙開拓の足跡は東北のいたるところに散見できたから、東北て満州は常に身近に存在した。大陸の広大な可能性に飛び込んで行った若者たちのたくましい夢とロマンに、打たれるものもあったと思う。しかし、満蒙開拓は、明らかに日本による侵略政策の一環、個々人の誠意や意欲、意図を超えて矛盾は拡大し、悲惨な結果へとなだれ込んで行った。そんな二面的なあいまいさにずっと居心地の悪さを感じていた。ここらで、一つ、そのあやふやさに飛び込んでみよう、これも動機の一つだ。

 歴史の陰でしわ寄せを食う女たちの声を聴きたい、共に生きてみたい、一昨年の『山棲』、昨年の『お遍路颪』と固まりつつある僕のライフワーク、これも大きな動機に違いない。前2作も含め、時の権力や世間から弾き出され、光を当てられることもなく埋もれている民衆の歴史の一幕だ。これも書きたいと思った理由である。さらに、国家による棄民。これも問題意識としてあった。あれほどの悲惨な事態が生じていながら、誰も責任を取らなかった不可解さ。これは現在の福島にも引き継がれている。この無責任日本にも切り込んでみたいと思った。

 かと言って、民衆は常に被害者、などと言つもりはない。確かに先見の明を持たず、リアルな戦略・戦術とも無縁だった石頭の指導者たちが導いた愚かな戦争ではあった。しかし、その偏狭で強圧的な軍人、迎合する政治家を拍手喝さいで祭り上げていた民衆の熱狂がなければあのような無謀な戦いは生じなかったはずだ。それは女たちにも通じるのであって、そのことも無視してはならないとの思い、これも書く動機になっている。

 20年ほど前、高畠にも中国東北部から、祖国での暮らしを夢見て引き上げてきた人たちがいた。肉親捜しのキャンペーンも新聞マスコミを賑わせた。でも、こういった動きに僕が反応できたかと言えば、それ否と答えるしかない。心に掛けるべき大事を見過ごしたこと、その罪悪感、と言うほどのものではないが、も書かねばならぬと背中を押していることに間違いない。

 一つの作品を書く、ということは、これくらい入り組んで不可解な作業なのだ。

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それ、中国語?『女たちの満州』発音で苦戦?

2016-05-26 08:56:01 | アート・文化

 舞台が満州だから、当然、中国人が登場する。ストーリー中では当時にならい満人、って言ってるけど。女子義勇隊の下働きをしている老人とその知り合いの青年の二人だ。義勇隊員たちが相手の時はたどたどしい日本語で話すが、中国人同士の会話や、興奮した時には中国語が飛び出す。開拓団に安く土地を買い叩かれ、開拓地の周辺で小作や手伝いとして暮らす人たちはたくさんいた。その人たちと日本人との関係が、物語の大きな柱の一つになっているから、とても大切な役どころだ。他に満人の泥棒も登場するし、長く満州に暮らし現地の言葉が話せるお女郎さんも出てくる。だから、中国語の特訓の対象は4人、とは言え、老人と青年が主体だ。

 1か月ほど前、近くに済むHさんとその娘さんに講師をお願いして、本場の発音を嫌というほど手ほどきしてもらった。その時の様子はブログに綴った。もちろん、2時間程度の口移しでマスターできるほど甘いものではなく、正しい発音を録音させてもらい、そのダビング音源を元に各自練習してきた。今回は、その自習の成果が実っているかどうかと、場に相応しい言い方になっているかをチェックするため、仕上げの講習をお願いした。

 4人のうち数語しか出てこない泥棒とお女郎さんはすぐに合格、さて、問題は老人と青年!まずシーンを他の出演者とともに演じて、全体の流れを理解してもらう。次にセリフ一つ一つ先生から厳しいチェック。発音しては直され、直しては訂正され、どうにか青年の方はパスできた。

 で、老人だ。中でも「日本人になんか話したって無駄だ!」というセリフがどうしても発音できない。録音CDを何度聞いても聞き分けられない、と、先生の口元に耳を近づけての、まさに口移し講習を行った。

 何度も何度も繰り返すが、どうも、その音自体が、役者さんの持つ音のレパートリーに無いらしく、何としても先生の発音に近づかない。横で二人のやり取りを聞く僕にも、役者の苦労が伝わってきて、なんとも切ない。結局、最初の訳を手直ししてもらって、簡単で言いやすい表現に変えてもらった。それでも、役者は自信回復というわけにはいかず、再度録音して聞き取り稽古することになった。頑張ってほしいもんだが、どうも、うやむやに済ますことになりそうだ。もし、観客に中国語を解する人がいたら、ごめんなさい!だ。

 やっぱり、ここでも耳だ。障害を持つ人を除けば、誰だって音は同じように聞こえているはすだ、って漠然と思い込んでいる。でも、それはまるで違う。人により耳センサーの感度性能は大きく異なっている。音の大きさに対してならば、これは健康診断の際の検査項目にも入っているから、能力差はわかりやすい。納得も行く。年寄はテレビの音量をアップしないと聞き取れない。僕もそうなりつつある。

 だが、耳の感度には、音量以外にも音質や音の波形の微妙な違いを聞き分ける力も関係している。音の高低もある。高低差が聞き取りにくい人は、アクセントが自己流になりやすい。日本語のアクセントやイントネーションは、音の高低変化が主体だからだ。正しく聞き取れなければ、正しく発音できるはずがない。耳の感度ということをもっともっと自覚することが必要だと思う。聞き取れないのは、集中力の不足、それだけではないってことが教育現場などでも認識されるといいと思う。

 音の感度は鍛えることが可能だ。発せられる音に集中する訓練だ。聞こうとすること、たったこれだけのことでも、耳は飛躍的に感度良好になってくる。すぐれた音楽家のような鋭敏さにたどり着けないまでも、言葉の言い回しの相違くらいは聞き分けられるよう研ぎ澄まされてくる。まず、自分の耳が聞き逃してる、あるいは、聞き分けられていない音が多量にある!という認識を持つことだ。知の集積が、無知の自覚から出発するように、現実世界の音の多彩さに対して、自分の耳はあまりにも一部分しか聞き取っていないということを自ら言い聞かせることから始まると思う。

 

 

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性格は先天的?後天的?我が家の間借り猫近況

2016-05-25 10:46:12 | 暮らし

 我が家の小屋に一人?一匹取り残された子猫、シーズン到来で、こりゃいかん猫屋敷になると避妊手術に連れて行ってみたら雄だった猫、今も、元気に小屋暮らしを続けている。最近は狩りの面白さに目覚め、畑で子ネズミを狙う毎日だ。やっぱり、猫は猫、狩猟本能は忘れていない。かと言って、猫は猫。家に居着くのもいたって自然、小屋の一隅を寝床として、狩りと見回りに疲れた体をゆったりと休めてもいる。

 親に見捨てられ、孤独と不安の中で幼児期を過ごした猫だから、さぞかし警戒心が強くなっていることだろう、と、普通なら思う。ところが、こやつ、思いの外の甘えん坊なのだ。朝、玄関を出れば、小屋の入り口、ニャーと一声朝のご挨拶。さっそく寄ってきて足元にすり寄り、絡みつく。気持ちが高ぶれば、人の足で爪を立てずに爪とぎの仕草、どうやらこれも甘えの身体表現であるようで、抱きかかえてやると、心地よげに微かに喉を鳴らしたりする。

 裏の畑は、やつのフィールド、獲物を虎視眈々と狙ってみたり、敏捷性をひけらかすように、飛び跳ね走り回っている。が、こちらが畑仕事でも始めようものなら、素早く寄ってきてまとわれりつく。猫の手でも貸したらどうだ、雑草引っ掻くとか、こちらの思惑なんぞなんのその、しゃがみこんで草取りする膝に乗っかって甘えてくる。

 邪魔だ、どけ。まったく役に立たないやつめ。と邪険に扱っても平気の平左、おい、かまってくれよとまとわりつく。この甘ったれ根性、先天的なもんなんだろう、いかに悲惨な経験を経てきても消え失せなかったと見える。

 先天的と言えば、猫は家に居つくもの、小屋じゃ我慢できず、いずれは母屋に入り込むとのあらかたの予想に反して、今も玄関前までは付いてきても、それ以上歩みを進めようとしない。これは律義さなのか、警戒心なのか?いずれにしても、なーなーの馴れ合いを排するその節度、大切にして行こうじゃないか。

 

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『女たちの満州』通し稽古!

2016-05-24 16:13:36 | 演劇

 本番1週間前に通し稽古ができたなんて、いつ以来だ?うーん、記憶にないぞ?て、ほどに珍しい。ああ、菜の花座の不甲斐なさが知れ渡っちまうなぁ。このところ、いつだってぎりぎり、追い詰められてホールドアップ、ゴメンナサイ!寸前、なんとか窮地を脱するってスリリングな舞台作りが続いている。

 この仕上がりの遅さについては、うんざりするほど書いてきた。本の遅れ、演出の不手際、そして、役者の怠慢。この際だから、責任は役者になすり付けてしまおう。だって、今回だっていつもと同じ2か月の稽古期間だったからだ。できるってことなんだよ、その気になれば。仲間うちのなーなー気分、「みんなセリフ入ってないしぃぃ、まっ、自分だってまだ大丈夫じゃね?」このみんなで遅れりゃ怖くない!菜の花座の常識、他劇団の非常識!が大きな血栓となって血の巡りを妨げていたわけだ。

 で、今回は何が違う?それは、新しい人が加わったこと!それも、面識もなければ、つながりもない、まったくの赤の他人が配役に入ったことが大きい。しかも、若手にとっては同年代、こりゃ、意識するわな。いい加減なことできんぞ、って思うわな。しかもしかも、その一人が男性ってことなら、これはもう、無様なことは絶対できない!

 まっ、演出としちゃあ、動機はどうあれ、セリフが早く入ってくれればいいわけで、本番1週間前に曲がりなりにも通せたってことは、これからの連日稽古で一段も二段も上を目指してダメ出しできるってことで、嬉しい限りだ。

 順調に進んでいるのは役者ばかりじゃない。衣装や道具なんかもほとんどそろってきたし、効果音など音響も手筈間違いなしだ。初舞監の采配の巧みさも舞台作りをリズミカルに進めてくれている。ああ、そう言えば、舞監も初めて一緒する人だった。

 つまりはこうだ。集団には時折、外部からの新参者が必要なんだってこと。地域おこしと同じこと、よそ者の存在の大切さってことだ。さあさあ、部外者を迎え入れリフレッシュした菜の花座、納得の行く舞台を仕上げて、これが常態ですが、なにか?と、いたしましょうや。

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機械良好!腕前不良!やれやれ田植えは終わって・・・・なぁぁぁい!

2016-05-23 20:35:05 | 農業

 見てくれよ、この苗の並び。

 遊んでるわけじゃないから。田んぼアートを目指すわけでもない。ただ、ただ、腕前が下手なだけ。田植え機械の方は、いたって順調。なのにこの始末、どうしてこうも技量足りないんだろ?田んぼに乗り入れて数秒、畦に乗り上げるし、いかん!いかん!とクラッチ操作すれば、今度は大きく右旋回。こら、ちょっと勝手に動くな!機械は正直にオペレーターの指示に従ってるだけ、うわーっ、苗、その場にぼろぼろこぼれてるし、止め方、止め方?どうすんだ、いかん、それ機械の上下動だって!

 1年ぶりだからなぁ。それもたった1日の経験。これで覚えていろって、そりゃ無理難題だよ、機械苦手の僕にとっちゃ。だいたい、ブレーキちゅうもんが無いてのが、社会常識を外れてるよ。クラッチを切る切らないで進んだり止まったりするんだ。そのクラッチてやつが、自転車のブレーキと同じ構造。両手をぎゅっと握ればクラッチが切れて止まる。自転車と違うのは、片手だけ握っても止まらない、勝手に旋回する。止めたままにするには、クラッチに付いた止め金具をはめねばならない。これがとんでもなく厄介なんだ。ついつい離してしまったり、簡単に外れたり、そのたんび、田植え機はご主人の意図を無視して右へ左へ。その操作にさらに植え込みロータリーの監督もせねばならない!もう、なんちゅう機械作ってんだよ!

 でもそいつは、八つ当たりってもんだ。運転速度を最低速にして、一つ一つ指さし確認。どうやら機械の仕組みに慣れてきた、と思ったら、苗箱が機械に食いつかれた!ポット苗田植え機では、苗箱が機械の中を順繰りに送られて苗が押し出される。その途中で引っかかってしまった。引けども、押せども、いなせども、猛獣の牙に噛みつかれた子ウサギ同様どうにもならない。ああだ、こうだ、仕掛けてみるがまるでダメ。そのうちになんと苗箱がバリっ!亀裂が入った。ええい、もうどうにでもなれ。どうせこの箱はもう使えないんだ。凶暴な破壊衝動に突き動かされ、取り出した稲刈り鎌でずたずたに切り刻んでやった。なんと、恐ろしい衝動破壊行動!箱は10数片にばらばらに切り刻まれ、どうやら、とりだすことができた。

 こんな機械との仲たがいもあるにはあったが、やっぱり、文明の利器、上手に動かせば仕事は的確かつスピーディ、2反部半を正味4時間で終わらせることができた。遅い!てか?いいよいいよ、言ってろよ。よしよし、残すは山沿いの小さな田んぼ1枚だけ。あっという間に終わるだろう。終わればビールで乾杯だ。1日で田植えすべて終了!信じられない!手植え中心だった頃は、4日近くかかった。おんぼろ2条植えでやり始めてからも、捕植作業が膨大で数日間は田んぼを這い回った。それが、1日でお仕舞いだよ、さなぶりだよ。

 なんて、うまく行かないのが人生なんだなぁ。さあて、最後の1枚、ささっと終わるぞ、と田に乗り入れたはいいが、田んぼが乾き過ぎで機械が動かない!ええーっ、?こうなんのか?固くしまってカチカチになるんじゃないんだ。まるで悪女の深情け、土と言うより泥が粘りつき、へばりつき、機械はよれよれの耄碌ジジイ、エンジンをフル回転させ、後ろから渾身の力を込めて押して、どうにかこうにか進むだけ。Uターン地点に来て、ついににっちもさっちも行かなくなって、ギイブアップ!水入れて、土を柔らかくし、機械の底部のフロートを浮かばせるしかない。でも、すぐ上の田は、まだIさんが手植え真っ最中。ダメだこりゃ!明日、明日。一晩水を引き入れて、明日、再度の挑戦だ。

 ああ、かなり残念!大いにがっかり!今日ですべて済ませて、明日は野菜の苗植えがしたかったのに。って、そうは問屋が卸さない。失敗あっての農作業。思惑外れが人生ってもんだぜ。

 

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