ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

軍都から商業激戦地となった湾岸のベッドタウンを歩く

2024-02-09 01:13:39 | 千葉県

2024年1月28日(日)

習志野市は、明治から昭和初期まで、軍関係の施設が置かれ軍都として栄えた。1970年代には習志野市中心部であるJR津田沼駅周辺に多くのスーパー、百貨店が進出し商業激戦地となった。

 

JR津田沼駅南口から東京湾方面に向かって数分のところにある整備された住宅街「奏の杜」。

「奏の杜」からJR津田沼駅方面の風景

「奏の杜」にあるパン屋。調べてこのパン屋を訪れたのではないが、通りかかったら長い行列ができていたので、美味い違いない思い行列に並び購入。特にカレーパンがホッカホッカサックサックでうまい。行列に並んだのは30分程度で、豆コーヒーの無料サービスがあり、店の前には机とベンチがあり、昼食として食べた。一緒に歩いてる友人も満足気だった。

「奏の杜」から東京湾方面にある京成谷津駅付近の商店街。シダ類のような街路樹がとても珍しくオシャレな感じがした。

JR津田沼駅北口。

JR津田沼駅北口から南口方面を望む。大きなビルは千葉工業大学であるが、かつては大日本帝国陸軍鉄道第二連隊があった。千葉工業大学に鉄道第二連隊の表門が残っている。

叔父夫婦が暮らしていた最寄駅がJR津田沼駅だったので、昔、何度か訪れたが、パルコ、西友、イトーヨーカード、マルイ、高島屋があり、田舎にはないスーパーやデパートがたくさんあり、都会はいいなぁと感じていた。

今、残っているのはイトーヨーカードのみで、久しぶりに津田沼を歩いたが活気もなくなった気がする。

昔、バスに乗り叔父宅に行く途中に通った古い商店街が南口からすぐの所にあったことを記憶していたので、再度、南口方面を歩いたらその商店街があった。記憶が確かだろうということを友人に証明しながら歩いた。当時も北口と比べたらレトロ感があったが、アーケードが錆て、シャッターも多くなったような気がしてレトが進行している。

風呂屋がイベントホールとして利用されている。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 令和6年初場所開催中の相撲... | トップ | 美の国の中心を歩く2024 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

千葉県」カテゴリの最新記事