ウォーキングカメラマン

“お歩きさん”をした時に出くわした心に残った風景、光景、人物などを撮る!!

城下町と宿場町と温泉街を持つ街を歩く

2017-10-21 13:16:24 | 山形県

2017年9月17日(日)

山形県上山市は、上山藩の城下町、羽州街道の宿場町、そして会津の東山温泉、庄内の湯野浜温泉とともに"奥羽三楽郷"と言われる温泉街を持つ。

JR上山駅前の案山子時計。上山は、1971年から案山子祭りが開催され、全国からユニークな案山子が集まる。

目的は温泉に入るために訪れたが、偶然、祭りに遭遇。三つの神社合同の祭りで、甲冑隊、鼓笛楽隊の衣装で時代絵巻さながらの行列を見れる。天気が悪いせいか見る人より行列参加者が多かった。

 市内中心部からみた上山城。

城下町・宿場町の面影を残す古い建物や商家がある。

市内に公衆浴場が7つある。写真の地元の人がお勧めの最も古く情緒ある公衆浴場に行った。入浴料150円+先髪料100円。

上山城から見た市街地。

これまた偶然、山形舞子が山車に乗って踊る、「踊り山車」というイベントがあった。「踊り山車」は1752年に誕生したと言われる。紅花を通した京・大阪との交易により舞子などの芸能が入ってきた。

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日本最大級のヤナがある日本一の紅花産地の街を歩く

2017-10-20 23:56:21 | 山形県

2017年9月17日(日)

 山形県白鷹町には、町の南北に日本三大急流の最上川が流れていて、日本最大級のヤナが設置されている。最盛期にはヤナで5000匹の鮎が獲れる。また日本一の紅花の産地でもある。

道の駅で鮎まつりが開催され、いろいろなイベントが開催されていた。白鷹町は日本一の紅花の産地でもあり、花笠は、紅花摘みの作業唄。

 鮎が売っていたが、これは養殖鮎だった。

 道の駅の裏には最上川が流れ、常設のヤナが設置されているが、10分程度ボッーと眺めていたが1匹も鮎は獲れなかった。

 

 道の駅にあったリンゴ畑。

白鷹町の中心部のメインロード。

中心部付近を流れる最上川の橋からの展望

メインロードから一歩路地に入ると古い家屋が多く、昔からの集落だった。

 

集落内の神社でも秋祭りが開催されていた。

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山奥の朝市がある温泉街を歩く

2017-10-17 00:42:05 | 山形県

2017年9月17日(日)

 肘折温泉(山形県大蔵村)は、最上川沿いの国道から、登って行く山間の温泉街。朝市が開催され、旅館が立ち並ぶ路地に浴衣姿の観光客が買物している風景は温泉情緒を感じる。

 肘折温泉に行く時に通った国道458号線。山間の小さな集落を抜け、そば畑の中を通り山を登るようにして行く。新庄から寒河江方面に抜けれる道であるが、肘折温泉から寒河江方面は通行止めだった。

 四ヶ村の棚田。大蔵村の中心部と肘折温泉の中間くらいのところにあり、日本棚田100選のひとつ。

 肘折温泉の近くにある湯の台スキー場の前のそば畑。写真のとおり見事なそば畑だった。

 肘折温泉街。1200年もの歴史がある温泉。豪雪地帯であり、冬場は3m以上の積雪がある。

 朝市。朝5時30分から始まる。

 この温泉街には、浴衣姿に下駄履きが似合う。城崎温泉(兵庫県)、渋温泉(長野県)似た感じ。

 

 

 旧肘折郵便局。温泉街の中央部にある1937年に建てられたレトロな局。1995年に新庁舎へ移転している。

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昭和レトロのまほろばの里を歩く

2017-10-15 00:05:06 | 山形県

2017年9月16日(土)

 山形県高畠町は、県南部に位置し、稲作のほかデラウェア、ラ・フランス、リンゴなどが栽培され、ワインも生産されている。昭和レトロをPRし、"まほろばの里"と称している。

道の駅から三重の塔を望む。

道の駅周辺の集落。トタンにペンキを塗った大きな屋根の家を見ると、東北の農村に来てるということを実感する。

子供の頃に見た鎌を持っての稲刈りではないので、写真的、旅人的には物足りない。田んぼもたくさんあったが、果物畑もたくさん見かけラ・フランス、リンゴ、ブドウも実をつけていた。デラウェア生産は日本一とのこと。

 

 旧高畠駅舎。山形交通の高畠線の駅で地元の高畠石を使った駅舎。

昭和縁結び通り商店街。高畠町の中心部であり、以前は"中央通り商店街"だったが、昭和レトロに関した町おこしで2004年に改称した。

 菅公シャツの看板があるが、学生服が有名な会社だった。田舎ではよく見かけた看板。

”昭和ミニ資料館"を開設している商店。このように 昭和に関する資料を無料展示している店が19店もある。

 昭和ミニ劇場と掲げているが、喫茶店ですが、資料だけを無料で見ることができる。昭和の映画ポスターがたくさん展示されていた。

 "おしどりミルクケーキ"の看板を掲げてる店を町内でよく見かけたが、高畠町に1919年に工場が設立された。粉ミルクを開発した会社とのこと。

 昭和縁結び通り商店街にある大日如来石仏と大わらじ。湯殿山参拝者や旅人の道中の守護神として祀られている。

 

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たくさんのエピソードがあるパゴダの国

2017-10-14 16:49:16 | ミャンマー

2015年スーチーを中心に民主化の政権を樹立したミャンマーだが、最近、イスラムの少数民族ロヒンギャの暴動、テロを理由に、政府がロヒンギャを迫害し、50万人以上の難民が発生している。かつて訪れた時は、ボッタクリやインチキに会った一方、夜行列車で働く青年たちと交流したり、おもろいセールストークの土産売りがいたり、アジアのノンビリ感に浸れた穏やかな国だった。ということで今回の過去写真は、ロヒンギャ問題を早期解決し、この国の平穏を願いミャンマーの写真をUPします。

【2004年8月】

(ヤンゴン)

ヤンゴンの中心部にある黄金のスーレーパゴダがある通り。 高田馬場に住んでいたことがあるという感じのいい若者と知合って、大衆食堂でご馳走になった上に、ミャンマー人が日焼け止めに顔につけているタナカをプレゼントしてもらった。食事後、彼の奥さんの母親のロンジー(スカートのように腰に巻く民族衣装)店に誘われて行った。暑いし、この国滞在中はロンジーを履こうと思って購入。自分の感覚では少し高いかな程度だったが、あとでミャンマー人に聞いてわかった話では、メチャ、ボッタクリだった。

 スーレーパゴダ内部。無料で入れるが、土足厳禁で靴箱を管理してる人にチップを渡して入る。

 シェッタゴンパゴダ。日本人に親切にされたという現地の自称高校教師が、日本人には親切されたからということで笑顔でいろいろ案内してくれた。勝手にしてくれたからといいながらも、気分は良かったので少しばかりのチップでも渡そうと思っていたところ、そいつから金を要求され一気に気持ちは萎え、払う気は全くなくなった。しつこいし、泣きそうな顔に根負けしていくらか払ったが、いい人という風に思った分、気分はメチャ悪かった。

 チャウタン。ヤンゴン郊外。この川の中州が寺になっていて、寺の周りには鯉ではなく、鯉と同じくらいの大きさのたくさんのナマズが水面で口をパクパクさせていた。

(マンダレー)

マンダレーヒルからのたくさんのパゴダとエーヤワディー川(イラワジ川)の眺望。 ヤンゴンから冷房なしの寝台列車で17~18時間かけて到着した。寝台列車に毎日乗務する4~5人の若者と知りあい、伸びたTシャツ、薄くなった靴下などあげたら喜んでくれマンダレー到着時、彼らのおごりで一緒に食事した。彼らはマンダレーに到着後、同じ寝台列車に乗務してヤンゴンに戻る。彼らと別れた後、一人でマンダレー観光。

クドードォパゴダ。マンダレーヒルからも見えた。

涅槃仏。

 

 (アマラプラ)

マンダレー郊外の町で、かつては都が置かれたこともある。織物が盛んな街である織物工場。

 僧侶が全国からこの僧院にきて修行。毎朝、10時頃に朝食の配給に並ぶ姿は圧巻。これを見た後、勝手に私についてくる5人の女性土産売り軍団を引き連れ観光。土産物売り軍団はもちろん、露店の土産売りからアチコチで「お兄さんカコイイネ!」と言われた。こんなにカッコイイと何十回も言われたのは今だかつてない。

(バガン)

 マンダレーから「金閣寺」行きの夜行バス(京都市バスの払下げ)に乗り、早朝到着。冷房なし、虫が入ってくる、通路は農作物が入った麻袋や荷物のダンボールでふさがれ、ボロバス特有の油臭さ、ホコリで最悪の移動だった。写真のとおり荒野にたくさんの古いパゴダがあり、非常に癒される光景だったが、体調は最悪で下痢をして体もダルくパゴダの影で横になって寝ていた。交通手段は庶民的なものは馬車であり、ヤンゴンに戻るためにバガン空港には馬車で行った。

 

 

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