自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

母と娘 ~ 気に障る言葉

2012年12月18日 | 介護と自然治癒力

 12月18日                                

 母の転倒::右肩強打

 

ギータとクリシュナ神の話を連載させていただいている。

気分転換に、介護の扉を開いてみたい。

part1)

母の話である。 

前回は 父の墓参りに行ったときの事を綴った。

あれから、ずいぶん時間が経過しているし、母との関係も改善がみられている。

改善と言っていいのだろうか? 

安定剤を飲んでいるわけではないのだが、筆者に対しての母の応対が安定してきている、

という言い方が適当なのかもしれない。

ところで、今回、12月4日、日本を出発するにあたって、母にどのように言いだすべきか、

考えた。

不安に陥らないよう、かつ、パニックにならないよう、切り出しが肝心に思えた。

はっきり、”これからインドに行くから” というべきか?

お茶を濁して、”少し東京からいなくなるから” と 彎曲に伝える方が無難か?

詰まる所、”しばらく会えないけど、大丈夫?” と念を押さなければならないだろう。

等々、いろいろな問いかけを考えたが、やはり、本当のことをいうことにした。

 

出発4日前 11月下旬インド行きの予定を切り出す。

”あら、まあ、いつ帰ってくるの?” と、電話越しに母は驚き、

”カレンダーに印つけておくからね”と言いながら、ペンを走らせている様子。

その翌日、”昨日、あなたは、どこか遠くへ行くとか言っていたけど、どこへ行くの?”と 

母から、電話が入り、再び昨日つけたはずの、カレンダーのマークを再確認。

さらに、数日たって、出発前日12月3日夜、母 と会って、食事をして、再再度、予定を告げる。

 

ところが、当日、成田飛行場に向かっているバスの中でケアマネからSMSに連絡が入る。

緊急事態やいかにと想い、メールを読む。

”お母様が娘さんと連絡つかないと言って慌てていらっしゃいますが・・

何か、’私の言葉がいけなかったか?’と気にされてます” 

すでに、もう、母の記憶には、私がインドへ行くという観念はない。

そうそう、ケアマネの方には、インド行きの話をお伝えしていなかった。 

改めて、母には今日12月4日、インドに立つことは話していることをお伝えして、

留守中のケアーに関してもお願いをする。

 

幸い、母は今、常備薬と言って特になく、なんとか、毎日の生活の

リズムが身についているので、留守中、私以外の家族に、

世話を任せることもできた。

週3回、朝から夕方まで、デーケア―の施設で過ごし、

週2回はケアマネ―ジャーの派遣してくださるヘルパーさんが、

自宅で母と会話しながら、掃除などの世話をしてくださる。

私自身、週に一度か二度は母と会って食事したり、セラピーを

したりしていたが、インドにいる、

この3週間は夫に時々、母のところに行って様子を診て

もらうことにしている。

 

不調が全くないということはないが、母の健康が維持され、

五体四肢とりあえず、正常なのがありがたい。

時々、あちこち、”痛い” ”しびれる”と支障が出るものの、

杖もつかず、デーケア施設での時間を楽しみ、

バスで送られ帰宅同時に、生き生きとした声で、

”今帰ってきたわよ” の電話をもらう日課だった。 

この電話を受け取ることができるということが、

母にとっても、私にとっても 有り難い。

 

そんな母の日常生活に、時々’魔がさす’こともある。

母が、インドに行く数週間前に家の廊下で転んだ。

右肩から転倒。 

かなり激しく打ったと、母から翌日連絡を受けた。

数日後、母と会食。まだ、“転んで肩が痛い、手も挙げられない” 

様な事を言うので、強打したらしい、

早速、手当をして、強打した箇所の”詰まり”を解いた。

すると、15分もしないうち、頭が割れるように痛いという。

“大丈夫。強打して詰まっている所と頭の痛いその箇所

とが連携しているから、今、痛みがあるの。

頭が解けていく過程だから、 そうしたら、打った肩

も楽になっていくからね。

今は、肩の痛みが、頭の痛みに転化して 

ガンガンするのだと思う・・・”

などと言いながら、手当しているうちに、

頭の痛みも消え、肩の打撲の痛みも和らいだようだった。

 

こうした場合、打って傷みとして現れている場所を

解くことによって、連携している身体のほかの部分が

痛むことがしばしばある。

母の場合、強打した肩を十分に解かない場合、

知らずに頭の血管にも悪影響を及ぼさないとも限らない。 

念入りに解くことが必要だ。

それは、打った箇所を解いている時、頭の部分に

ガンガンとした痛みを覚えていることでわかる。

脳梗塞とかいうのも、実際、肩や脚を強打して、

そのつまりが上層に転化していき、

頭に変化をもたらす場合が多いと考えられる。

 

私の父がそうであった。

天井にぶら下がっている電球を取り換えようとして、

脚立から転倒した。

頭や肩を打ったらしい。 

生憎、現場におらず、海外に住んでいたときだったので、

その時は何も手当をすることなく時間が過ぎた。

その話は、後日、父の足がマヒしてきて、スリッパが

脱げていても気がつかないという状況で、初めて知った。

そこで、帰国した折、数週間にわたり、父の打ったと

見える足(膝小僧からふくらはぎにかけて)と頭を丹念に解いた。

すると、ジョジョにマヒも感覚が戻り、ずって歩いて

いたのが、かかとを上げて歩くことができるようになった。

 

そういう臨床体験があるので、今回も、母の打ち身の箇所

を丹念に解くことは必要だった。

こうして、五体満足でも、人は贅沢だ。

心の寂しさが 満ち足りなさに変わり、ついつい小さな

不平不満が募り、愚痴となる。

”寂しい”という感情は、常につきものではあるが、

健常者でも 老いも若きも、生きていて ”寂しくない”人

はいないだろう。 

家族に囲まれていても、いなくても、人は時々、寂しさに

襲われるものなのだろう。

 

part2)

今までブログで’寄り添う介護’という意味合いで、

介護する側の心の持ちようを検討したことがある。

それは、母の要求や心の赴く 言葉の表現に、なるべく 

逆らわないように接し、

まずは受け入れるということだった。

でも、最近の私は、母の一人の”人格”を おもむろに

認めたうえで、母への向き合い方。

接し方を変えてきている。

母が、忘れることも承知で、誤解されることも承知で、

何度も、同じ説明をしたとしても、

根底には、健常者に対して接するように母に対している。 

脳が壊れている、とか、委縮しているから理解不能だと

いう観念を持たないようにしている。

母の人格の健全さを、心の奥底で信じている。

そうこう、接しているうちに、母も、今まで言いたい

放題の自我を 若干、コントロールできるようになった。

 

”これを言ったら、娘の気分を損ねるかもしれない” と 

母の経験から判断できるようになってきた。

たとえば、母が一方的に”私の非”を、”思い込み”から

責め立てる電話が、かかってくるとする。

以前の私だったら、どんな話でも聞いて、

”冷静に”対応しようと努力する。

そのうち、”母の思い込み”が原因であることにに対して、

”もの申す的”態度になり、話を切り返す私がいる。

すると、母はむきになって、反論する。

結局最後は、水掛け論ならぬ、母の怒りに 

まくしたてられて、いきなり、途中で、電話を切られるというのが

大概の筋書だった。

 

今は、そういう母の” スイッチが入った”電話に対して、

”黙って、聞いて” こちらから、

静かに、それとなく、受話器を置くことにしている。

実家でも、母の顔色が”突然”灰色がかって、目が座った

状態になりそうなときは、わかる。

その時は、母との座をたつか、その場を離れる。

母の頭の回線スイッチがOnになった、と私は表現する。

母の母でない要素がにじみ出てくる瞬間を咄嗟(とっさ)

にキャッチして、その状況になるべく身をおかないようする。

 

そうこうしているうちに、私自身、体験が増えてきた。

どうしたら、精神的に母と距離を置くのかということを、

無意識に考えるようになったようだ。

勿論、一緒にお手伝いいただいている ヘルパーさんや 

ケアマネの方との 情報交換や連絡は

密になってくる。 皆様の献身的なお心遣いのおかげで 

母は見守られている。

 

今回、成田飛行場に向かう、リムジンバスの中で受け取った、

ケアマネ―ジャーのFさんのメールにはこう書かれていた。

お母様から以下のような連絡を受けています~という前書きで、

“娘に何か気に障ることを私(母)が言ったかもしれない。

そのために、娘が電話に出てくれない。連絡がとれなくなった”・・・・

 

自分(母)が、娘(私)に、気に障ることを言う ~ 

こんな言葉が母の心にあることを知って正直嬉しかった。

”人が人の気持ちを察する余裕”、それは、自己主張が強いとき、

自己防護したいとき、そんな時には、なかなか、持てない。

これは、健常者でも、老齢者でも、認知症の人でも、同じではないか? 

~ ふと、そんな気にさせる、母の一言だった。

 

 

 

 

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