自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

音楽の師と教え

2012年12月30日 | 神秘と神の大地”インドの香り”

12月30日  集中力と心の洞察

 

師が教えてくださったこと。

インド古典音楽の真髄のみでなく、 ”思いやり” ということ。

音楽の心は愛であること。

今でも、師の穏やかな、言葉がよみがえる。

”Fatima,you do not know 'Love'?"

ファティマ(私のモスリム名) お前は愛を知らないのか?

この言葉の裏には次のような背景があった。

 

当時、師は、コンサートに若手のタブラ奏者を起用していた。 

印度一番、つまり、世界一、自他ともに認められているタブラ奏者、

ザキール・フセイン師 とコンサートをアメリカやインド、世界中で、開く 

私のグル(師)だった。

ところが、その日のリサイタルは、経験もそこそこの

若手と一緒だった。

(シタール独奏は タブラ奏者とともに行われる)

ついつい、名うてのタブラ奏者と比較して、師に、

その腕の甘さを指摘した。

その時の言葉が、上の返答だった。

”もっと、寛容に見てあげなさい。 

彼らも一生懸命なのだから” … と返答する代わりに、

”ファティマ(と呼ばれていました)は、愛をしらないのか?”

という、言葉を私に投げかけられたのだ。


グルの愛情を悟った。 

安易に、批評することのむずかしさをつくづく感じた。

 

マタジ(奥様)が教えてくださったこと。

”教養あるインド人のモデレートという観念。 出すぎず、控えめ過ぎず、

立場をわきまえること。”

奥様は賢明な方だった。 

常に師を理解し、愛し、子供たちをいつくしみ、そして、

私たち弟子たちにも、心を注いでくださった。

出すぎず、それでいて、内助の功を発揮して、家庭を切り盛りしながらも、

とても華やかな美しい方だった。

中東でコンサートしたとき、ホテルのチェックインで 

印度からのモデル一向と鉢合わせをした。


奥様も、モデルの一人と フロントで、間違えられて、違う、

部屋の鍵を渡されたと、グルジー(師匠)が楽しそうに私に

語って話してくださった。

 

そしてお二人が教えてくださったこと。

”音楽というもの、芸術(真実)を伝えるとき、弟子に対しては、

自分の持てる物すべて余すことなく、無償で与えること。

与えても、決して、弟子に、期待することなかれ”

という 徹底した姿勢だった。

 

お二人から、”日本で こうしてほしい” というような、

一切の頼まれごとをされたことがない。

印度の音楽関係者の中にいると、常であった、

”いつか、日本でコンサートしたいのだけど” とか、

”日本に行ったら便宜図ってほしい” 

などという、依頼や頼みごとは、一切、グルジーの口からは

出たことが無かった。

 

常に、独立心を維持し、勿論協力を惜しまない方達は 周りに、

いらしたが、弟子達に媚びることなく

実力で、世界に羽ばたいていかれた。 

そして、私達には、ご自分の音楽を無償で、余すところなく、

与えてくださった。

 

私を”ベータ”と呼ばれた。 ”娘よ” という意味である。 

”ジータラ・べタ” この祝福を、何千回 師から受けただろう。

師への挨拶は、つま先へ右手で軽く触れ 頭を下げる拝礼である。

そのたびに、師は、こう言われた。 ”ジータラ、ベタ”・・・” 

ウルドゥ語であろう。

”God Bless you"  つまり、 "神から祝福を、娘よ”という意味である。

 

人生、中盤に差し掛かって、印度に行った。

それまで、シタールに触れたことも無い、ましてや、

インド古典音楽など、聞いたことも無かった私に、親バトが

小鳩に餌を与えるように、シタールの真髄を砕いて、丁寧に、

噛んで含め、教えて下さった。 


それから、10年後、デリー・ハビタットセンターやカマー二という、

プロの音楽家が演奏する所で演奏会を開くまでに

外人の弟子が成長することは 誰も予測していなかっただろう。 

 

デリー大学大学院の芸術学部で理論を勉強するように示唆されたのも、

師であった。


”ファティマは外国人だから、’印度人の血’でシタールを弾くことに

限界がある。 

頭できちんと、印度音楽の概論と理論が、理解できることも、

シタール奏者になる大きな助けになるだろう。” 

印度古典芸術が神への奉納から始まったこと。

古典芸術論、美学、 音楽のヴェーダ理論、 印度音楽の歴史と背景、

各種ラーガの法則とリズム、そして、哲学、それらを頭でも

修得するようにというのが 師の薦めであった。


目の前で当時の大学芸術学部古典音楽学科の学部長 

デブ・チョードリ師に、電話をかけて、父上の時からのお付き合い

あり、入学試験の詳細などを細かく聞いてくださった、


”もし、一点の違いで不合格になるようだったら、合格の枠に

入れてやってほしい” 

などと、個人的人脈のメリットを多少 加味して、”よろしく” と 

言われて、受話器を置いた。


こうした、師の想いもあり、私は、デリー大学・大学院で 

シロマニ(音楽専門大学課程)2年、

M.A(Master of Art)2年、M.PHIL(Master of philosophy)2年、

そして、Ph。D(博士課程)4年, 計10年の研究生活を終えること

ができた。 

この、長い過程の音楽探究の道、その第一歩が グルジーの一言でも 

あったのだ。

 

そもそも、ヴィラヤット・カーン巨匠(ガエキアングを生み出した

シタール奏者)の後継者であるご長男から、シタールを 直接、

教えていただくことなど、夢のまた夢のようなことだった。


主人が特派員として、インドに転勤となり、前任者のご自宅に

ご挨拶に伺ったとき、シタールを初めて目にした。

前任者の奥様が当時、デリー大学院を出た、グルジーの弟子から、

習っていたのだ。 


”シタールに恋した” と私は、その日、宿泊先のタージホテルに

戻り、主人に語った。 

一目ぼれだった。 

心が無性に惹かれた。


早速、シタールの先生を、奥様から紹介してもらい、翌週から、

レッスンを受ける手筈を整えた。

その先生はB先生といい、グルジーの内弟子の一人だった。

”どうせなら、グルジーの前で演奏できるように、頑張ったらいい” 

そう B先生は言われた。


B先生とともに、グルジーの御宅へ、内弟子たちの 稽古風景を

見に伺い、師への紹介もしていただいた。

師を丸く囲んで、行われていた、1時間弱のセッション。


それは、それは、舞い上がるほど、甘美なシタールの音色と

旋律の世界であった。

こうして、シタールに心を奪われた私は、師の御宅へ伺い、

B先生や内弟子たちのレッスンの見学を許可され、輪の方端に

座らせていただくことになった。

 

あるとき、師匠(グル)が内弟子の一人に、先週教えたフレーズ

を弾くよう、命じた。

ところが、その出来栄えは、満足のいくものではなく、師は次々と

弟子に弾かせた。


私の隣に座っている内弟子は、下を向いていた。 

師と私の目が合った。 

”Do you  play?"

”弾いてみるかね?” と何気に、私に師は聞いた。 


震える手で、シタールを触った。 弾けた。 

人知れず、自宅で練習していた。 

当時から 一日3時間の練習を始めていた。 

グルは表情を変えず、目だけを見開いた。


”ご覧。 彼女はこれだけ、弾いている”

その日を境に、私は、内弟子とともに、練習を許されるようになり、

それから数か月後、晴れて内弟子にさせていただいた。 


内弟子や奥様の立ち会いのもと、お菓子と花、を前にして、

グルの前に座った。

グルの口にお菓子を一口切って入れ、グルの足を洗い、

グルの足にひれ伏した。

そして、グルは、私の右手付け根に、祝福と弟子になった印の

紅い糸を巻いてくださった。 

これが師弟関係の正式な入門儀式だった。


こうした、グルとの出会いが、ブログを書いていると、まざまざと、

昨日のことのように思い出す。

20年も前の話である。

 

グルが教えてくださったことをまた一つ思い出した。

”シタールを手にしたら、ほかのことは何も考えず、全神経を音色

に集中すること”

そして、心が乱れているときは集中ができないのだから、

シタールは持たないこと。

グルの前で、シタールの一弦を震わせただけで、

”今日はシタールを置きなさい”

と言われたこともあった。 

”心は今どこにある?” と言われたこともあった。

グルは、心を見抜く達人でもあった。

  

今現在、日本に拠点を移した。

師から、いただいたものが大きすぎて、私は、中途半端な気持ちで

シタールを触ることすらできない。

 

私より、お若いお二人であった。

でも、はるかに成熟した精神の強さと独立した魂の持ち主

であった。

とりあえず、音楽から離れている私ではあるが、今でも、

お二人とグルの音楽に 心からの敬意を、そして、家族の一員

として、迎え入れていただいたことに対して、心からの感謝

を捧げ続けている。

 

シタールは一種の瞑想の手段でもあった。 

”音楽と離れて、もったいない”と言う方もいる。 

だが、シタールの本質と、心を見つめる集中力は、

私にとって同質なものであり、

シタールのチューニングと

体と心の調律も、同様の共通性を見出している。       

 

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