自然治癒力セラピー協会=Spontaneous Healing Therapy Japan

自然治癒力を発揮させるために、心と体の関係を考えます。

悟りと食べ物

2013年09月20日 | 健康を実現するための言霊(マントラや真言)

 食前の祈り   平成25年9月20日

**********************************

インド, 菜食主義者, 食品, 香港

 

エゴ意識、または、自我意識(アハムカーラ)と食べ物

の関係について、考えてみたいと思います。

大我(たいが)に至ることは、ある意味悟りを開くこと

でもあります。自分の中の究極の 自分という個別化した

意識のない本質的自己を知るには、食べ物の重要性が

昔より言われています。

 

現代栄養学ではすべての栄養素、タンパク 質脂肪炭水

化物、ビタミンミネラル、その他 バランス良くとる

ことを提唱しています。

さらに、タンパク質には、植物性も動物性も ともに

大切だとして、それぞれの特質などもよく知られる

ところです。

しかし、精神的、霊的になるためには 菜食主義である

べきだとする意見は、古来インドでも、神道でも、

いまだに残っています。

その理由は、様々あげられていても、納得性のある

説明はなかなかできないのがほんとうの所です。           

 

そこで、今日は菜食主義を インドの完全菜食主義の

方たちや僧侶の言葉を参考にまとめてみたいと思います。

まず、”霊的な” という意味から考えてみましょう。

霊的になれないのはどうして?

それは、執着 と 利己主義(我)が一番のネックだ

というのです。

 

次の苦行僧お話しがそれをわかりやすいように、説明

しています。

ある日、世俗を放棄したことで有名な苦行僧が、道端で

眠っていました。

彼は ヒョウタンでできた、水入れを枕代わりに頭の下

に敷いていました。それはある意味、ヒョウタンの中

にある、水を誰かに飲まれたくない、”という想いの

現れだと、それを見た知恵ある人が 見て取りました。

 

そこで、その知恵者は大声でこう言いました。

“皆、すべての物を放棄していることで有名なあの

お坊さんが、川端で寝ているよ。よく、見てごらん。

執着が無いと言っておきながら、あの水の入った

ヒョウタンに 執着しているのは 変じゃないか?“

この言葉を耳にして、苦行僧は眼をさまし、皆の

笑いものにされていることに腹をたてました。

しかし、気持ちを抑えて、心でつぶやきました。

 

“結局、あの知恵者はただの煩悩者だ。 

自分に対してどう振る舞うかそれを教えようとする

資格などない。“

 

そこで、その知恵者が 河で水浴びを終えるまで、

そのまま寝たふりをし、河から上がってきたところで 

行僧は体を起こして、さも、ヒョウタンに執着は

無いとばかり、そのヒョウタンを知恵者の足元に

投げつけました。

すると、知恵者はこの行為に対して、苦行僧の心の内

見て取りました。そこで、また、大きな声で周囲の

人たちにこう呼びかけました。

 

”おや、あの人は執着だけではなく、アハムカーラ

(小自我意識)にも満ちている”ヒョウタンへの執着が

無い と 見せつけるため、それを、わざと投げ

つける行為で、証明しようとする僧の、小さな

自分意識のプライド怒り がそうさせている

ことをこの知恵者は見てとったのです。

 

この言葉を聞いて、即座に、この苦行僧は知恵者

ただ者ではないこと気がつき、足元に身を投げて、

知恵者の真実を見抜く、アートマに対し、畏敬を

示し、謝罪するとともに、自分の非を認めたと

いう話です。

          

この例にみられるように、どんなに苦行した僧

ですら、執着と小自我意識を放棄することは難しい。

そして、この、ふっと心からわく、想念や感情が 

食べ物が一要因になっていると インドの聖者は

言います。

それは不当な食べ物のせいだというのです。

不適当な食べ物とは、不正な手段で手に入れた

食物、不正な想いで調理された料理、などが

挙げられます。

 

さらに、”悲しみの感情を殺される前に味わった

生き物”の摂取 などもその要因となっている

ために、肉食が禁じられているともいえるの

でしょう。

 

”不当な食べ物”に関しては。ギータに登場する

ビーシュマの口からこれを語ってもらいましょう。

 ビーシュマ は偉大な 賢者 として名をはせて

いました。

さらに、偉大な自己放棄の信念の持ち主でも有名です。

彼は 一生かけて、父親の命に従うことを良しとした

のです。

 

ビーシュマという名前の起源は、サンスクリット語で

“人間の歴史に並ぶもののない、偉大な決断力と誓い

厳守“ という意味だと言います。

 

しかし、ギータの中の、クリシュナとの闘いでは、

彼は敵にまわり、アルジュナの打った矢で傷つき、

クルクシェトラ闘いから九日目で倒れました。 

ビーシュマは アルジュナの大叔父でもありました。

そこで 敵とはいえ、偉大な叔父を理解している、

アルジュナはじめ、5人兄弟たちは 一人の妻を

伴い、見舞いに行ったのです。

 

ビーシュマは 厳格な決意とともに、矢でつくった

寝床に体を横たえながら、兄弟たちに”義”(ダルマ)

についての話をはじめました。

すると 兄弟の妻(兄弟たちは、一人の妻を共有して

いた)が笑い出したのです。

失礼な行動だと、一瞬、兄弟たちの顔に緊張が走りました。

その雰囲気にもかかわらず妻は話し始めました。

 

“おじ様。お許しください。

でも、あなた様が今、義 について、語ろうとされる。

実際、其の話は、私たちが闘っている敵、あの、

邪悪な心の カウラヴァ兄弟に教えて差し上げるべき

でした。

その 義の話私の 高貴で有徳の夫たちに語って

おいでになり、私には、矛盾した無駄なことと思った

ら、つい可笑しくなって笑い声をたててしまったのです。“ 

 

ビーシュマはそれを聞いて、次のように答えました。

“あのような恥知らずの悪い想いの人たちに仕え、

食べ物を得てきた私、彼らからの恵みで暮らしてきた私、

その結果私の血は濁ってしまったのだ。

私の中のあらゆる清い想いは それによって、押さえ

つけられていたのだよ。

 

アルジュナの矢が私の不純な血を抜き去ってしまう

までは。

しかし、その汚れた血が抜き取られた今、私の中に

埋もれていたダルマ(義)の想念が噴出して、

それを あなたの夫たちに伝えるようにと促し、

このような話をしたのだよ。“

                                   

摂取する食べ物の如何が、人間の道徳的長所短所に

影響するというのはインドの太古より、知られている

ことでした。

ビーシュマの言うように、邪悪なカウラヴァ兄弟の

不浄な心で得た食べ物を共に食していたこと、

あるいは賄賂やだましたりて得た金銭で買った

食べ物、それらは、純粋な食べ物として、心と体

健全に保つ要素にはならないと、いうこと

なのでしょう。

 

不浄か、適切でない食べ物であっても、それを、

浄化する方法があるのです。それが本来の食前の

祈りの意味合いでもありました。

祈りを捧げることで、不浄を浄に、できると

言います。ごく日常の一コマとして、食事の前に、

手を合わせて”頂きます” と、日本人は言います。

印度でも、日常的に、食物を浄化する祈りが

ささげられてきました。 

 

その中でも一番、短い真言、マントラをご紹介

すると、次ようなものです。

“アンナム・ブラフマ・ラーソ・ヴィシュヌ、

ボクター・マヘーシュワラー“ここには 印度の

宇宙三神の名前が出てきます。

それぞれ、宇宙の創造、維持 破壊の神、三位一体

の神で宇宙原理の三様式でもあります。

このマントラはどういうことかと言うと・・・

 

個体の食物は 新生の神 ブラフマ、 飲む水と

液体は維持神、ヴィシュヌ、そして、その食事を

楽しむのが破壊と創造神、シバ神、という意味です。

ですから、食事をまず、この三神に捧げる供え物

とし、それを感謝をもって戴くということになります。

 

この三神 の三 の意味は、想念と言葉、行為

三つの純粋性が一致するようにという意味合いが

含まれます

これからいただく食物を神に感謝するとともに、

こうした 自分自身の行動と心、言葉の、浄化の

祈りでもあるわけです。

インドでは神に捧げられた供え物を プラサート

と呼びます。プラサートは、お供え物の意味でも

使われます。印度寺院では、信者が神にお供え物

を盆にいれて祭壇の前に、恭しく捧げると、そこに、

聖水を、僧侶がかけて、再び、信者に戻して

くれます。

 

結婚式、就職祝い、引っ越しの挨拶、喜び事が

あると、印度では 食べ物をこうして、プラサート

に変えて、近隣の人たちに配ります。

神様からの祝福された食べ物、甘いお菓子が

多いのですが、それを頂きながら、悦びを共有します。

 

プラサートすることで、食物の不純性が聖化されて、

それをいただくことで、我々の血となり肉となる

食物成分が純粋に作用すると信じられているのです。

 

 インドクジャク, 孔雀, くじゃく座町, 緑, 動物園

 

 

 

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癌検診の結果は忘れなさい!

2013年09月18日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

日本と欧米の癌定義の違い  平成25年9月18日

****************************************

誤診の比率は低くはない。

特に 癌の見極めは どんなに経験豊かな

医師でも、難しい側面があるという。

 

がんを診断するのは、細胞を切り取って、顕微鏡で

病理検査をするが、その際、見かけは癌でも

潜在癌”か ”癌もどき”か、きちんとした見分けが

つかず、誤診が起こりやすいという。

 

アメリカの癌関連医学雑誌 ”キャンサー”に、

2005年の統計で、

がんの初期診断の誤診率はときには12%にもなる” 

と伝えた。

               

ガンモドキ(癌のように見えるもの)は、体に危害を

加える癌ではなく、癌と診断されていても、この

モドキが多いと 近藤医師(*1)はいう。

 ”たとえば、50歳を超えた男性の二人に一人は

亡くなったあとに、解剖すると、前立腺がんが

見つかります。それは放っておいても、大きく

ならない、潜在癌だったのです。

 

ところが、最近は健診で、”前立腺がん”を見つけ

出しては、自覚症状も無い人に”手術しますか?

それとも、放射線?”迫っている。

手術の後遺症はもちろん、放射線治療でも合併症

が起きて ひどいときには人口肛門になることも

あります。”      

           

つまり、医療機器が発達して わずかな病変を

 検出できるようになってきた現在、近藤医師に

よれば、日本人の三人に一人の50歳以上の男性は 

甲状腺がんと判断される確立を持っているという。

 しかし、実際、甲状腺がんで亡くなる人は癌による

 死亡者の 0.1%にしかならず、年間300人程度

いうこと。

 

がん検診をすればするほど、患者が増えるという

ことと関係がある。

                         

その理由を、近藤医師は以下のようにまとめている。

 

その1)

日本人は医者に癌と誤診されやすい。

癌の定義が 日本と欧米では異なる。

日本では上皮内にとどまっていても

癌の性格を持った細胞があれば、癌と診断される。

欧米の場合は、浸潤(しんじゅん)されていなければ

その場合でも癌とみなさない。

だから、欧米では日本で癌と診断される人のうち、

8~9割は癌の診断を受けないという。

そこで、意味のない手術て後遺症や合併症など

副作用を引き起こす割合が日本人は高い。 

         

その2)

健診時のCTが癌を誘発するCTだけでなく、

PET (ポジトロン断層撮影)などに

よるがん検診は法線の被ばく線量が多く、

たった一回でも こうした検査は、発がん死亡

の引き金になり得る

                             

その3)

本物の癌なら見つかったときはもう遅い。

健診に こまめに通う人は、人の命を奪う

本物の癌の発見が、放置している人たちに

くらべより早く、発見できるといわれる。

 

しかし、本物の癌ならすでに転移している。

つまり、健診で発見できる大きさになるずっと

以前に、死亡原因になる転移が成立している。

 

実際、長期の追跡調査の結果によると、

健診群も放置群も、死亡者数はほとんど変わりない。

精密検査で見つかる癌は、ほとんどが ”もどき” 

だからだ。

                        

モドキ癌は、小さくなればなるほど、その発見確率

高いといわれる。なぜなら、本物の癌はできて

すぐに 転移が生じている。

PET検査のようなCT等の検査では見つからない

癌病巣が発見できる場合が多々あるが、その病巣は 

”すでに転移している本物の癌”か ”ガンモドキ” 

のどちらかなので、本物の癌を、発見したところで 

寿命が延びるわけではない。

 

むしろ、ガンモドキ なら、生理的負担を

体に負わすことなく、放置しておいても

危険性はあまりないし、精密に検査するほど

ガンモドキに対して、無意味な治療をする

可能性が増すと警告する。                       

近藤医師は乳がん治療の権威者である。

著書の”心得21” の見出しタイトルでこう訴える。

 

”乳がん検診の結果はすべて忘れなさい”

 

来月10月は”乳がん月間”と定めて、いろいろな

キャンペーンが話題になるだろう。

健診を受けた人たちの其の後の死亡率に関しては、

カナダの5万人を対象にした調査で むしろ、

”死亡率は健診群のほうが 少し高い”という

皮肉な結果も出ている。

 

乳がん検診も他の健診と同様の結果だった。

”僕は、入管内の ’がん’ が縮小・消失した

ケースを数多く見てきました。

そして、世間で乳管内がんとされている病変は

癌ではなく、女性ホルモンにたいする反応がある

に強くでた”乳腺症”という結論に至っています”

と近藤医師は著書に書いている。

 

マンモグラフィー検査でしか発見できない

乳癌と診断された 99%は カンモドキ、

それでも、どの病院の外科でも、全部切り取る

処置をとるだろう。近藤医師は癌と宣告された

ときの対処と切り取る方法をとらない、

温存方法を薦めている。

次回にその話題を移したい。

 

 

 

 *1 

近藤誠博士は 慶応義塾大学医学部講師。

1948年生まれで患者本位の治療の実現を掲げられ、

医療の情報公開を積極的に進めてこられた。

抗がん剤の毒性、拡大手術の危険性など、癌治療に

おける先駆的意見を述べられ、その功績から

2012年に 菊池寛賞 を受賞された。

参考文献) ”医者に殺されない47の心得” 近藤誠著 2013、

 株)アスコム

 

 

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9月の風邪~ゴルフの素振り

2013年09月16日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

幸せを呼ぶ青い熊  平成25年9月16日

******************************

先ほど、近所のかたにご挨拶したら

”風邪をひいて、咳が出て”と言われた。

そろそろ秋風邪の季節になったのかもしれない。 

時々、ブログでご紹介している野口晴哉氏の風邪

に対する所見が詳細に、記されている本がある。

(*1)秋風邪というのは、野口氏の言葉で、

夏風邪からの延長線で以下のように、述べている。

                      

”9月の終わり、汗が出るほど暑いが風が冷たいよう

になると、汗の始末が急に必要になる。

それは出た汗が引っ込んでしまうからだ。

引っ込むと皮膚が鈍り、筋が硬くなる。

夏風邪もその一つだし、だるい 重いもその一つで

ある。風にあたっても、すぐ汗の出る季節は、

心配はないのだが、近ごろはACの普及と乱用に

よって、秋の入り口の心配を7月からしなければ

ならなくなった。

 

背中に涼風を長く受けないこと。湯上りの汗を

扇風機で乾かさないこと。クーラーの風を直接体

に受けぬこと。もっとも体力が充実している間は

心配はない。 

また涼風も、前から受けるものは警戒しないでも

よいが、背中から風を受けるとは汗をぬぐうことが

必要。”

                              

汗をかく、発汗作用が 体を健全に調節している

鍵になっているようだ。

近頃は、真夏でも、汗をかく機会が、屋内では

めっきり、少なくなった。

電車、事務所、店舗の中、クーラーが効いているから、

暑いですね”と

ふうふうしているのは、屋外での移動時間の間

で、屋内から外に出た瞬間、その温度差と強烈な

日差し体が 戸惑う。筆者の子供時代、”日射病

になるから~帽子を忘れないで~”外へ行くとき 

母に、注意された。

今は、”熱中症に気をつけてという言葉に代わった。

 

熱中症 は、ある意味 現代病かもしれない。

夏は汗をかくのが当たり前という時代から、

冷房病という言葉が生まれるほど冷えた空間が

つくられ、発汗を極力抑えられる生活様式に、

隠されたその要因の一つがあるのではないかと思う。

野口氏は続けてこう書いている。

 

”夜眠るころ暑く、暁方冷えるころになると、

神経痛、リュウマチ風の筋肉痛、脚がだるい、

目が痛む、腹痛、腰痛、胸痛頭痛、吐き気などが

伴う状態の人が多くなるが、朝起きて足湯を3分

してさするようによく拭くと、いろいろな症状が

なくなってしまう。脚が冷えたための現象とも

考えられる。

 

夏の汗は 有力な脱塩法。泌尿器に対しては、その分 

補助の効果をはたしていた。その汗が気温が下がるに

つれて、少なくなり、秋の中旬になるころは、汗かく

ことが少なくなる。

 

脱塩作用や、泌尿器の補助的な働きも平行して少なく

なり、血管がこわばるとか、血圧が上がるとか、

排尿異常とかが起こりやすくなる。

そうでなくても、頭が重かったり、肩が凝ったり

爽やかな秋のはずなのに、体は爽やかでないという

ことはある。”

                                 

発汗作用の効用は、熱を下げるだけでなく過剰な

塩分が、汗水と一緒に体外に出ていくことだ。

だから、高血圧や、泌尿器などの負担が少なくなる。

夏でも汗をかくことを忘れた生活をしていると

こうした生理学的機能が発揮できず、体の自然機能

の調節を損なうともいえる。 

                                   

そんな時の 体操の一つを紹介している。

”その時に胸椎を刺激してやると良いのだが、

ゴルフの空振り、玉無しゴルフが最も適当な運動

といえる。ボールを置くと、かえって、胸椎の

ねじれを増やすような姿勢になるので薦められない。

秋が深くなると、空気が乾いて、発汗が促進される

ので、おのずと、こうした症状もなくなる。

 9月から11月ごろまでは上記のことを念頭に対処

されるとよい。”

 

野口氏の言葉で自然治癒の浄化現象を

次のように説明している。

” だから、ハクション とくしゃみをした瞬間

’あ、風邪だ’ と思えば スーッと入り込む

生理的な面からいえば、ハクッション は風邪が出て

いくときだ

くしゃみをしたら、”今、風邪が出て行った”

思えばよい。下痢でも同じ。ジャーット出て、体の

大掃除がなされた。’たいへん、おなかを壊した、

病気だ’という考え方に結びつくから、それから

病気になってしまう。”

                    

さらに、風邪の心理的要因があることを認め、

以下のような提言をしている。

 

”私は、寒いから着物を増やすとか、暑いから着物

を脱ぐとか、扇風機をかけるとかいう人為的な余分な

ことはできるだけ、少ない方が良いと考えてる。

私の道場では、戦前は冬でも、開けっ放しにして

おいた。火鉢も出さず、一生私は単衣(ひとえ)

の着物を着ていた。

 

皆はカイロなどを忍ばせていたが、その時分の人で、

ストーブのそばに近づいただけで、風邪をひくと

いう人がたくさん出てきた。体が敏感になっている

ということのほかに、自己暗示を持っているのだ。

そこで、

              

これは自分の信念で風邪をひたの相違ないとおもう

が、そういう心構えは本当でない。

普通の暮らしをして、健康を保つよう仕向けねば

ならない’と考えて、それからは、ガラス戸を閉める

ようにした。

寒いから風邪をひくだろうと思い込んでいる人は、

寒いと風をひく。

ストーブで温まると風邪をひくと思い込んで

いる人はストーブで風邪をひく。

風邪を引くことの中には、そういう心理的な

分子が非常に多いことがわかりました。”   

 

恐れは恐れているものを引き寄せる

という心の法則がここで、挙げられている。

こうしたら、こうなるだろう・・・と心配していると

そうなりがちだ。

潜在意識に、その心配が張り付いて、

風邪になったかも・・という意識が潜在意識

に届いたとき、風邪をひくと野口氏はいう。

 

”ただ思い込んだだけで 風邪をひかない人は

 沢山いる。それはなぜかというと、思い込むことは

意識的。意識で思い込むときは、風邪をなかなかひか

ない。心の奥の深層心理、潜在意識の中に、

 ’あ、風邪をひく’ という意識が入り込むと風邪の

現象が起こる。”     

               

このような気分的要因は病の起因の一つだ。

普段から、気(分)の病にならないよう、

私たち本来の心持ちである、”明るい心、嬉しい心”

を努めて忘れないようにして、目の前の仕事を

結果を求めず、心こめて行い、万事必ず、良くなる

と信じて、待つことも時には必要だろう。 

                                                      

コロッケさんは、物まねの第一人者、人気者だ。

愛すべき母上から教え込まれた、幸せの言葉を

先日 紹介していた。

その言葉は 青いクマ で、

ア は あきらめないのア

オ は 怒らない のオ

イ は いばらないの イ

ク は くよくよしないのク

マ は 負けないのマ

だそうで、、難儀な時にもくじけそうなときにも、

思いだし、実行し、現在の成功を導いたという

こと。

 

青い熊 のメッセージには、健康と幸せの秘訣が

確かにこめられているようだ。

               

 

 *1)参考文献 ”風邪の効用”S・53 野口晴哉、 

全生(株式会社)発行

 

 

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コーヒーの健康効果

2013年09月14日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

サプリメントの有効性は?   平成25年9月14日

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テレビをつけていると

サプリメントの宣伝がとても多く

どれもこれも その効用は素晴らしい。

サプリメント服用だけで、

元気で若く、お肌つやつや、やる気満々の人生が

約束されているかのようだ。

 

医師の立場から近藤医師は ”心得31”の項目で

コラーゲンでお肌はぷるぷるしない。

グルコサミンはひざに直接届かない”

という表題で、サプリメント効用について、

意見されている。

著書から抜粋してご紹介すると・・・

”口からとった、コラーゲンが肌を直接 ぶるぶる

させるわけではなく、グルコサミンが膝に届く

わけでもない。

ゼラチンは100%コラ―ゲン由来で5g袋に

コラーゲンが4500mgほど含まれています。

 

もし、本当にそれが肌に届くなら、ゼリーをよく

食べる人はお肌が一生ブルンブルンに弾んで100歳に

なっても、皺と無縁でいられるはずです。”

 

これらのサプリメントは 食べてから胃の中で消化が

始まり、腸で分解されたり、血液に入り込んでアミノ酸

糖として活用される。               

だから、どんなに、コラーゲンやグルコサミンを摂取して

(食べて)も 結局、わずかなタンパク質や糖分を取るの

と変わらないと近藤医師は言う。

消化されてしまえば、同じというわけだ。

 

”体内に吸収されたアミノ酸の一部はコラーゲンや

グルコサミンに合成されます。しかし、コラーゲンは

肌だけに活用されるのではなく、全身のあらゆる組織

に存在して、体や皮膚を臓器の形を支える構造材の

役目をします。”

 

”グルコサミンも全身の結合組織のあちこちにあり、

軟骨細胞を形づくるために、もっとも大切な栄養素の

ひとつです。”という。

 

食べて体に取り入れたときに、タンパク質が分解されて

アミノ酸になり、その一部グルコサミンになる。

グルコサミンを直接口にいれてもそれはタンパク質と

いう素材を口にしているのと変わりなく、直接必要な

体の部位に補強されるわけではないということらしい。

 

購買者がもう少し知識をもって効果に関しても判断

しながら、それらの 品物を購入するよう 近藤医師は

アドヴァイスする。たとえば、

”ナノ化コラーゲンというのがありますね。ナノ化とは、

分子量を10億分の一・・・

地球ならピンポン玉の大きさにまで小さくすること。

分子量が小さいから、口からとる場合も肌に塗る場合も

吸収されやすいという 謳い文句ですが、本当にナノ化

されたコラーゲンはただのアミノ酸。

アミノ酸が多数結合したものがコラーゲンなのです。

グルコサミンを ナノ化ミネラルイオンの働きで吸収

しやすくした などという意味不明の商品もあり、

おまけに一か月分が 1万2千円もします。

 

コンドロイチンや ヒアルロン酸なども含め、原理は

すべて同じです。食べても 飲んでも、おなかの中で

バラバラになり、目的部位には到達しない”

 

これらのサプリ商品は過剰に摂取すれば、がんや心臓病

原因になることがあると近藤医師は指摘している。

コラーゲンやグルコサミンの役目は人間の体の構造材と

なること、それらの合成能力を高めることがまず必要で、

それらしき名前のタンパク質や糖分をとっても、実際の

効用がないということだ。

 

自然治癒力を促す、私たちの生命力、その力を十分発揮

していれば、体に必要なそれらの要素は体が自然補給して

くれる。

つまり、新陳代謝がすすみ、気の流れの整った、心身調和

のある健康を保つことで、サプリメント知らずで

過ごせるだろう。

 

近藤医師も

”栄養バランスの良い食事、程よい運動、早寝早起きを

心掛ければ、新陳代謝が良くなりコラーゲンや

グルコサミンの合成能力を保つことができる と 

記している。           

サプリメントはあまり効用が望めないようだが

コーヒーの適宜の飲用は体に良いと聞いていた。

 

実際、筆者は、時々、炭火でコーヒー豆を

自家焙煎して飲んでいるが、利尿作用があり、

腎臓の働きも軽くなるような気がしていた。

すると、それを裏付けるような記事を目にした。

時々行く喫茶店に ”コーヒーを飲む人は癌を遠ざけます” 

という新聞記事のコピーがテーブルに置いてあった。

 

近藤医師もそのことに関して著書の中で触れている。

引用させていただくと・・

”コーヒーは頭痛、胃痛をなだめ、眠気をはらう煎じ薬

として、世界に広まった飲み物。

最近世界各国の大規模な調査で画期的な健康効果が

発揮されている。

日本国立がん研究センターを中心とする研究班は

40~69歳までの男女9万人を10年間追跡調査して

一日に5杯以上コーヒーを飲む人の肝臓がんの発症率

は 飲まない人の4分の1と発表。”

 

さらにその長所をまとめると

・コーヒーの抗酸化・抗炎症成分がC型肝炎 肝臓がん

への進行を抑えると推測

 

大腸がん発症率が毎日1杯以上飲む人で女性の場合、

飲まない人の半分以下に抑えられていた(岐阜大学

グループ1992年から8年間35歳以上の地域住民3万人

対象調査)

 

死亡リスクが一日2杯以上飲む人は、飲まない男性

より10%低い/女性は13%

4~5杯飲む男性は飲まない男性より12%/女性は

16%死亡リスクが低い

(米国衛生研究所/1994~2008、50~71歳

の男性23万人、女性17万人対象調査)

 

・よく飲む女性ほど、(ただしタバコは吸わない)

脳卒中のリスクが低い

男性の場合、2~3杯飲む場合、飲まない男性に

比べて40%胆石になるリスクが低い

(米ハーバード大学医学部研究グループ/

8万3千人女性対象24年間の追跡調査)

 

・飲む量の多い女性ほど、肌にできるシミの量が少ない

(30~60代女性131人/お茶の水女子大学 

近藤和雄教授)

まだ、データの紹介が続くが、結論として、近藤教授

中高年でコーヒーを一日3~5杯飲んでいた人は

認知症やアルツハイマー病の発症リスクが飲まない人に

比べ 65%も低かったことをあげて、健康・美容・

長寿の秘訣がコーヒーに有りという結論を出している。

         

そういえば、淀川長治氏という映画解説で名前を馳せた

人がいたが、”私の長寿の秘訣はコーヒーです”と答えて

いたのを想いだした。

当時(30年ほど前)は、コーヒーは胃を荒らす飲み物

とか癌になるとかいうイメージしか無かったようだ。

 

そのような時代だったから、淀川氏は、あえて、コーヒー

この年で(たぶん80歳以上で・・)何杯も飲む”が

健康に長寿を楽しんでいることを強調されたのだろう。

 

実際、近年になって、長年かけた追跡実験結果で

コーヒーの健康への効果を証明されてきたが

淀川氏も きっと、その結果に、納得されるだろう。

                        

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内田医師の生還と生命医療

2013年09月12日 | 自然治癒力・生命力・発揮する考え方

肝炎になって、自然力を知る 平成25年9月12日

******************************

 自然力とは *** part Ⅰ

*********************

この数日、近藤医師の著書をご紹介している。

著書のタイトルが”医者に殺されない47の心得”

という少々、ショッキングなものだが、内容は、

副作用や誤診をはじめ、”患者に寄り添う治療とは何か?”

ということを、患者側から考え 判断をしていくきっかけを

与えてくれるものだと思う。

 

先日、読者の一人が、

”そうは言っても、私は、xx の薬で心臓病を克服できた”

という意見をいただいた。

 

確かに、医者に難病といわれても 薬や手術で

克服するかたがいれば

早期発見して治療に専念しても、助からない方がいる。

あるいは、放っとけ療法で癌を温存しながら、

長命を保つ人、あるいは、完治する人

などさまざまだ。

それはどういうことなのだろう?

先日、テレビでコマドリ姉妹という、昭和の

演歌スター歌手の唄を聞いた。 

75歳で いまだに、現役。

彼女たちは、苦悩に満ちた半生を語り、

姉妹のどちらかの方が 癌を克服した

体験も語っていた。

人生模様の重みが伝わるには十分な

エネルギーを発散しておられた。 

そのエネルギーにお二人の演歌人生が支えられてきたのだ

とも感じられた。

先ほどの読者の方の、冒頭質問に戻れば、

”完治する”ということは、完全治癒だから

再発もなく、健康体になること。

そこには、隠れた秘訣がある。

その人の生命力の突き上げがあってこその

完治だから。

                  

以前、ブログで心療内科の創設者 池見博士の

”自然治癒力”の見解をご紹介した。(*1)

誰の体にも備わる、不可思議な治癒能力と

計算しつくされた自然生体機能。

どのような治療を行うにしても、完治したとしたら

この力の働きが、十分に出し切れたときだろう。

 

そして、癒すとは どのような施術にしろ、

この治癒力を 被施術者から

引き出させることだ と筆者は、考えている。  

さらに、天命 ということ。

何かまだ残されている大事なミッションがあれば

人は、生かされていることだろう。

         

薬が先か? 自然力が先か?

天命か?運命とは?寿命は?

 

ここに、それに関連した内田医師のエピソードを

紹介したい。

 医学学校を卒業し、インターン、

 医師国家試験を終えたころは

 病気についてなんでも知っている~

 と思いあがっているものであるが、

 臨床医学を勉強するにつれて、

 次第にわからなくなり

 3年目ごろになると、大きな壁に

 ぶつかるようになるものだ。”

とは内田医師が内科医局に入った先輩医師の

コトバだった。

”実際、細菌感染症の疾病や、膠原病、癌をはじめ、

 臓器の病気の中には、内科書をみても原因が

 はっきりしていないものや 複数の要因のものが

 多いので、治療によって一時は軽快しても、

 完全治癒に至らない場合も多くみられます。”

と 内田医師は医学の限界に突き当たったり、

臨床現場の現実を知るにしたがい

”絶対治ります”と 患者に請け負う

ことができず、悩んでいたころ、

胃潰瘍になり、薬の服用を始めた 。

                                        

すると、担当教授が

”内田君、胃潰瘍は薬が効くのか、

その時に飲む水が効くのか、どちらだと思うかね?”

と奇妙な質問をした。

 

”薬と水との両方が効くのだと思う”

と答えた内田医師に対し教授は、

’胃潰瘍の薬より、水の作用の大切さを

 案外みんなはしらないようだね。 

 薬物学の本の第一頁に何が書いてあるか

 もう一度調べてご覧。”

と言うので、内田医師が調べると、確かに、

”水” が 薬物学本 第一ページに記載されていた                    

そこで、内田医師は 

”傷んだり、胸やけのたびに水を飲んでいたところ、

 約3週間して胃の写真を撮ってみると、すっかり治っていた” 

という体験をして、其の後 患者にも試みて

水 の 治癒力効用を確信する                     

内田医師は この水の効用を体験することで、

”自然力の素晴らしさに目を振り向ける

ことを教えていただいた” 

と 著書に記している。

 

自然力 というのは 水に限らず、

私たちの体に、あふれている。

内田医師が、薬物中心医療から、生命力という

自然の力をとりいれた、”生命医療”に携わる

きっかけは、次のように書かれている。

 

大阪大学で1年半の研修後、市民病院に

勤務した当時、流行性肝炎が流行していて、

内田医師も、感染した。

完治したとは言えず、慢性的になって、数年後には

肝機能が悪化し、薬物治療を長年受けていた。

すると、当時の肝臓専門の木谷教授は次のように言う

 

”内田君、人間の考えた10や20の検査結果が

 どんなに悪くても、肝臓 にはまだまだ何億という

 人間では計り知れない不可思議な作用があるのだよ。

 医学で研究されているのは、その ごく一部にすぎない。

 現に障害された肝臓や切除した肝臓に再生能力

 あることが、我々の研究で確かめられているのだ。

 それに、病気と寿命は別です。”

 この言葉で 内田医師は、次のような感想を記している。

”現在のように、医学が発達してきても、

 医学で解明されているのは、まだまだごく

 一部で 研究すればするほど、人間知では

 計り知れない、何億という不可思議な

 働きがあることが判ってきたと

 先生は言われるのです。

 

 まして、病気と寿命は別だ、

 と聞かされた時、寿命 とか天命 という

 厳然たる存在の前には、病気というもの

 が非常に影の薄いもののようにおもわれて

 きたのです。

 

内田医師の仮死体験***** part Ⅱ

内田医師自身が その天命を 実感体験される。

死の淵まで行ったものの、天命尽きずと

この世に戻ってきた体験を著書に綴っている。

 

引用すると、

”昭和34年正月 京都の城南宮への初詣の帰路、

 雨にびしょ濡れになって長時間歩いた後、

 3日間の悪寒戦慄をおして出勤したところ

 40度前後の高熱が出始め 

 往診の医師が解熱剤の注射をされると、

 多量の発汗とともに、35度に急降下し、

 また、悪寒戦慄で40度に上昇するといった状態が

 10日間続き、ついに、胸内苦悶・血圧降下(40~0)

 で緊急入院になりました。”                     

さらに、内田医師は、入院中、抗生物質、強心剤、

輸液治療を続け、 2週間後には心臓停止の状態に陥る。

ベンも尿も焦げ臭くなり、ついに 

 心臓と呼吸が停止して

 桃色の美しいベールで

 包まれた中を、私は吸い込まれるようにして

 歩んでいったのでしたが、

 突然、 ’私は、この世に何か大切なものを残してきた!

 なにくそ!死んでなるものか!

 強い力でグググッと胸に迫るものを感じたと思うや否や、

 トクトクと心臓の鼓動を感じはじめました

あっ、生き帰った! と傍らの主治医の叫び声が耳に入りました”

さらに、この時の体験から

”高熱が出ると 病抜けする”という、高熱の効果身を持って知る。

”院長先生からも あの日は引導を渡されていた”

という総婦長の言葉どおり 多くの仲間がもう、

内田医師の生還は難しいと思っていた中での、生き帰り。

まさに、天命 というものだろう。                                

この時 ”まだ大事なことがこの世に残っている”と

内田医師は 死への道の途中で想いだした。

突き上げるほど強い力で、そのことを果たすために

この世に戻った”大事な事”・・・それはなんだったのだろう?

 

内田医師は綴る。

 ”私のような、つまらないものでも、人を喜ばすことが

 できるのなら、生きていてもよいではないか・・・と

 長い間、死への思いが重くのしかかっていた私でしたが

 26歳のこのころから、

 生きる希望が芽生え始めていきました。

                            

 この間、薬物治療 のみに偏らずに、

 食餌療法、生活指導を主にした、人間の体を

 総合的に判断する治療法を教わりました。

 これが将来の私の医療の基本となり、やがて

 精神面を導入した、’生命の診療’へ通ずる、一過程になりました。”

 

生命医療とは、精神面を導入した、心身一如の医療。

心の内面が肉体に作用し、その逆も真なり。

心身両面のバランスをはかりながら、人間の本質を

知ることで、病に対する、恐怖感を取り去っていく。

それば、体の持つ自然治癒を開花させ、

多くの患者さんに悦びをもたらす医療の道への

内田医師の再出発であったのだと思う。

 

 

 

*1) H・254月20日ブログ参照

   ”信ずることによって、起こる患者側の 

    心身の変化の方に注目すべきだと思われる。

     即ち、それらの水は、患者自身の中にある、

     可能性を引き出すひきがねとしても、

     重大な意味をもっていることが考えられる。

     この患者に内在する可能性は、一般に 

    自然治癒力 と言われている“ と池見教授は述べている。

 

 

参考: ”生命医療を求めて” 内田久子著 日本教文社 平成7年

 

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