2021年3月11日、式典会場と同期したラジオの音を聞きながら、職場の私の部屋では、その場で黙祷を捧げる形としました。
どんな忙しい職場にあっても、一瞬たりとも手を止めれないこと、は、そう多くはないと願いたいものです(微笑)。
その1分間。それぞれの胸に『あの日』(あの日から始まった支援』など、様々な想いがあっただろうと、思います。黙祷後、声を発する事なく、仕事に戻る横顔と背中に、やはり決意は滲むものだと、思います。
あの日、あの後。
様々な手を差し伸べたけど、あまりの災害の深さに、足りないことばかりだった…。諦めなかっただけ、忘れないだけ、だったと、後方支援隊は、思い返します。
防災はできなくても、減災のために、知恵を蓄える、最近の5年間だったようにも、感じています。
だからこそ、減災のために、という知識がある今なら、次に自分のすることは、これ!と思う気持ちで、今日を迎えた、私達の職場です。
日本のあちこちで、同じ取り組みをしています。
だから、どうか、あの日に止まった時計をお持ちの皆様は、重荷をおろして、すこしでも、楽になっていただきたいと、願います。
それこそが、他所者からの、十年目のお願いです。
あの日から10年。
お話を聞きたかった方の、名前を留めておきたいと思います。
吉田 昌郎(よしだ まさお)さま。福島第一原発の所長を務めていらした方です。2013年夏に、儚くなられてしまわれた。
この方に、私は聞きたかった。
次の減災のために、現場の指揮官だった貴方なら、何を変えようと、教えてくださるか?
確率論なら、地震と津波は、また起きる日がある。そのために、何が必要か、地獄をみた人なら解る真実があるはずだから。
もう聴く事ができないから。今日も学び、他の識者に教えを乞うのです。
Who’s in command?
だれが指揮を取っている?と問われた時に、できる中で最良の選択をするために。
20210311 過労死予備群、謹書