昨秋、台風15号の大暴走で悲惨な思いをした水源維持作業だったがその後半年余りは奇跡的に送水が滞る事は無かった。しかし雨の季節を前に導水路や取水桝の整備確認は必要なので隣り沢の奥まで足を延ばしてただ溜息をつく事態と分かったのであった。
2014/10
思い起こせば2014年10月の台風18号は東日本太平洋側に上陸し、その雨量と暴風で各地に甚大な被害をもたらしたが我がフイールドも山腹崩壊が随所に発生し水源地も破壊されたのだった。上掲、現場写真では左側に導水路と取水升があり画面下側に取水堰があったのだが押し出された土砂の圧力で崩壊した。
その結果、流路が右端に移動して取水できなくなったのだ。県の管轄地で部農会に水利権があったのだが「県は復旧の意思なし」で部農会も「それでは手を打てない」と言う事から「水が欲しけりゃ自分で・・・」という事になってしまった。とは言えそれではようやく水域を頼りに生物種が増加しているフイールドを元の木阿弥にする事になる。現在からほぼ十年前の事でまだまだ高齢者とは言えない頃だったから復旧に取り組めたのだ。
下の写真は途中経過でほぼ段差工が終了しつつある頃の1枚であるが取水路は安定してきたとは言え増水すれば取水升や送水管内は砂泥で詰まり排砂復旧作業は年中行事となったのである。しかしながらこの水商売・自転車操業・緊急排砂を続けているからこそフイールドの水辺を頼りにしている生物種は増加傾向にあるのだった。
写真では左側に流路が見えるが当時はこの部分にも崩落土があって、写真中央の取水堰の断片まで堆積しており右側に流路があったのだった。それを度々の段差工を経て上部崩壊部からの侵食流で堆積部と浸食部を使い分けしながら土砂を流し去る部分と貯める河床を区別させ安定させたのである。
左岸が谷止工の跡、中央上部、取水堰上部・下部二つの小山は押し出された土砂の残り
最初からの話に戻すと、とりあえず取水升に水が来るように崩壊土砂の上に水路を作って水を呼んだ。さしあたりはそれで済むけれど取水升の上部と下部に押し出された土砂の始末も必要だった。特に崩壊してしまった取水堰のため取水升より河床が下がってしまうのは必至で、そうなると未来永劫、取水は不可能となってしまう。
だからと言って1馬力、実質0.3馬力以下では出来る事は知れている。崩壊し沢に押し出した土砂の始末など出来る訳が無いのだ。それでも河床安定化は必須なので思案した結果「沢の流れに助けてもらう」案を作ったのだった。丸太を用い、いわゆる「沢止め工」もどきで取水升の等高線まで河床を上げた上、導水路復旧と河床安定とを行う算段だった。
そのため取水堰崩壊侵食で下がった流路左岸に丸太で段差工を施し、埋まればまたその上に段差工を施し、しつつ取水升との水平線では河床が低くならないように制御してきた。それから6年、写真上部の崩壊で押し出された土砂の流出も進み、流路も右岸取水升側に安定してきた。崩壊後に流路となってしまった左岸側も、ようやく段差工の働きでゆるい傾斜で安定しているように見える。
取水升の下側に押し出された土砂も出水の度に元の取水堰オーバーフロー部から流出させた水流で浸食がすすみ、ようやく崩壊前の右岸流路が見えてきた。残りは現状の取水路河床を下げればほぼ完成と言えるのだけれど、堆積厚さ40㎝以上の砂礫を取り除く作業が必要で躊躇があったのである。
そんな中、2022年9月の台風15号の降水量がすさまじくようやく安定をみた水源地の様相を下の写真の如く河床を更に埋没させ一変させてしまい更なる労力をつぎ込むことになった。それから6カ月、吐水口からの水量もほぼ安定していて、この間は雨不足気味だったから水源地には足を向けなかったのだが雨が降る季節になる前に取水升の排砂と取水路の整備確認のために行って見たのだ。
取水升には砂泥が溜まっているのは予定内だったが山腹の更なる崩れと出水で河床が不安定に変わってしまった。このまま放置すればまた流路は取水升から離れた土砂の堆積しただけの自然堤防を崩して河床浸食を起すであろう。
見てしまったのが運の尽き。何よりも優先して上流部で流路の移動を避ける仕切りを設えなければならなくなった。今までは伐採樹を横にし玉石を積み砂利を被せての設えだったのだが、この半年間の間の出水で跡形もなく流出し平河床となってしまった。腰の痛みが完治しないが少しづつでも流路の移動を防ぐ手立てをせねばならなくなった。
作業は自主的であると言えるけれど現実は奴隷労働に近く、有無を言わせない圧力がある。「セレナーデ」とは「思いを寄せる女性の窓辺で夕べに歌い奏する音楽」と知っているけれど、おいらのように昼日中、汗水たらしてフウフウ奏し麗しき存在に想いを夢想して何が悪い!。ンーッ…腰が悪い・・・。

思い起こせば2014年10月の台風18号は東日本太平洋側に上陸し、その雨量と暴風で各地に甚大な被害をもたらしたが我がフイールドも山腹崩壊が随所に発生し水源地も破壊されたのだった。上掲、現場写真では左側に導水路と取水升があり画面下側に取水堰があったのだが押し出された土砂の圧力で崩壊した。
その結果、流路が右端に移動して取水できなくなったのだ。県の管轄地で部農会に水利権があったのだが「県は復旧の意思なし」で部農会も「それでは手を打てない」と言う事から「水が欲しけりゃ自分で・・・」という事になってしまった。とは言えそれではようやく水域を頼りに生物種が増加しているフイールドを元の木阿弥にする事になる。現在からほぼ十年前の事でまだまだ高齢者とは言えない頃だったから復旧に取り組めたのだ。
下の写真は途中経過でほぼ段差工が終了しつつある頃の1枚であるが取水路は安定してきたとは言え増水すれば取水升や送水管内は砂泥で詰まり排砂復旧作業は年中行事となったのである。しかしながらこの水商売・自転車操業・緊急排砂を続けているからこそフイールドの水辺を頼りにしている生物種は増加傾向にあるのだった。
写真では左側に流路が見えるが当時はこの部分にも崩落土があって、写真中央の取水堰の断片まで堆積しており右側に流路があったのだった。それを度々の段差工を経て上部崩壊部からの侵食流で堆積部と浸食部を使い分けしながら土砂を流し去る部分と貯める河床を区別させ安定させたのである。

最初からの話に戻すと、とりあえず取水升に水が来るように崩壊土砂の上に水路を作って水を呼んだ。さしあたりはそれで済むけれど取水升の上部と下部に押し出された土砂の始末も必要だった。特に崩壊してしまった取水堰のため取水升より河床が下がってしまうのは必至で、そうなると未来永劫、取水は不可能となってしまう。
だからと言って1馬力、実質0.3馬力以下では出来る事は知れている。崩壊し沢に押し出した土砂の始末など出来る訳が無いのだ。それでも河床安定化は必須なので思案した結果「沢の流れに助けてもらう」案を作ったのだった。丸太を用い、いわゆる「沢止め工」もどきで取水升の等高線まで河床を上げた上、導水路復旧と河床安定とを行う算段だった。
そのため取水堰崩壊侵食で下がった流路左岸に丸太で段差工を施し、埋まればまたその上に段差工を施し、しつつ取水升との水平線では河床が低くならないように制御してきた。それから6年、写真上部の崩壊で押し出された土砂の流出も進み、流路も右岸取水升側に安定してきた。崩壊後に流路となってしまった左岸側も、ようやく段差工の働きでゆるい傾斜で安定しているように見える。
取水升の下側に押し出された土砂も出水の度に元の取水堰オーバーフロー部から流出させた水流で浸食がすすみ、ようやく崩壊前の右岸流路が見えてきた。残りは現状の取水路河床を下げればほぼ完成と言えるのだけれど、堆積厚さ40㎝以上の砂礫を取り除く作業が必要で躊躇があったのである。
そんな中、2022年9月の台風15号の降水量がすさまじくようやく安定をみた水源地の様相を下の写真の如く河床を更に埋没させ一変させてしまい更なる労力をつぎ込むことになった。それから6カ月、吐水口からの水量もほぼ安定していて、この間は雨不足気味だったから水源地には足を向けなかったのだが雨が降る季節になる前に取水升の排砂と取水路の整備確認のために行って見たのだ。
取水升には砂泥が溜まっているのは予定内だったが山腹の更なる崩れと出水で河床が不安定に変わってしまった。このまま放置すればまた流路は取水升から離れた土砂の堆積しただけの自然堤防を崩して河床浸食を起すであろう。
見てしまったのが運の尽き。何よりも優先して上流部で流路の移動を避ける仕切りを設えなければならなくなった。今までは伐採樹を横にし玉石を積み砂利を被せての設えだったのだが、この半年間の間の出水で跡形もなく流出し平河床となってしまった。腰の痛みが完治しないが少しづつでも流路の移動を防ぐ手立てをせねばならなくなった。
作業は自主的であると言えるけれど現実は奴隷労働に近く、有無を言わせない圧力がある。「セレナーデ」とは「思いを寄せる女性の窓辺で夕べに歌い奏する音楽」と知っているけれど、おいらのように昼日中、汗水たらしてフウフウ奏し麗しき存在に想いを夢想して何が悪い!。ンーッ…腰が悪い・・・。
