トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

二点位置流・昆虫すこいぜ「スジグロシロチョウ初見」

2023-03-19 | 小父のお隣さん
 シロチョウは10日に飛翔しているのを見送っていたのだが「モンシロかあ?」程度の感覚で「スジグロシロチョウ」の出現期に入った事など思いもしなかったのである。S先生はすでにアゲハを見ていると話に出たけれどフイールドではまだ無理だろう。
 そんなこっとて曇天と思っていた午前中は思わぬ快晴に一時だけではあったけれどテングチョウも近くで翅を休みに降りたりして、これからは種類も増えていくだろうし四月に入ればダビドサナエも現れるだろう。
 談笑中の脇にツリアブが降りて動かない。何時もだどせわしなく動き続け撮影どころではないアブなのだが動かずにいたから長い口吻まで良く撮れた。


今日の素労風努「新・心気エーッ!のカビルンルン・・・」哀しい…

2023-03-19 | 小人閑居して憮然
 要はナンジャモンジャ・ケセランパサラン・てなもんや三度カビ…のようになっちまったわい。途方を通り越しトホホにまで至れた事は恐悦仕打ちと言っても良い。かように人生は期待通りにはいかず、まあ、いかず後家人ではないけれど「チーズは喰わねど爪楊枝」なのであった。

 ようやく四週間の熟成カビ付け期間が終わり、この日は折よく雨模様で「行きたい行きたい」心待ちにしていた山の出湯の開場時間に合わせて向かったのだが閉まっている。駐車場の案内板を見れば「10時開場」とあった。以前は9時から16時までだったのに休日も増えている。これもまあ昨今の労働環境改善の一環とあれば致し方ない。
 玄関が開くまで1時間も雨の中で待つ気にもならず帰宅して熟成中のチーズを広げてみたら写真の通りの手太楽である。端的に「失敗」と判断して良いのだが原因が分からない。資料では「冷蔵庫で熟成」となっていたのを何かの折に番組で観たアルプスのチーズ製造の様子では室内の棚で熟成させていた。
 気温や湿度の環境を別にすれば「敢て冷蔵庫でもあるまい」と後半の二週間は室温に置いたのだった。この方が菌の増殖は早いと判断したのだが、これが天下分け目だったかもしれない。

 気を取り直して「俵型の蘇にグリーチーズを混入させた物」を取り出そうとしたらズルッと一皮むける。表面は汗をかいて湿潤である。カビの状態も細かい産毛状ではなくゼニゴケ状の斑だ。しかしながら三種類の塊はどれも蘇の香りを出していて腐敗臭は無。半分に切り分けると内部は白色で購入したグリーチーズの肉質感がする。蘇の状態の時は淡いクリーム色を呈していたから表面の状態はともかく内部は白カビ菌が増殖したのだろうか。

 豆乳ヨーグルトを煮詰めて「蘇もどき」にし白カビを移植した玉は表面はやはり湿潤になっており色合いも蘇もどきのクリーム色から壁土色に代わってカビは灰色である。途中経過の時は鳥肌立ったような肌だったのだが切り分けて見る内部の変化は少なかった。しかしながら表面の色合いがおぞましくて腐敗臭は無く蘇の香りは有るのだが試食するには至らない。

 三点目の「蘇にブルーチーズを混入させた物」は表面の湿潤さは無くて固いままだった。鼠色と言うか青色の混じったようなカビの繁殖部が有るので「黒カビ?」の疑念も出たけれど削り落とした下からはブルーのカビ色が線になって入っている。これは捏ねた時の圧着部なのだろうと思いつつ「青かびなら成功!」と喜びたいところなれど初心者としては確信材料に欠ける。

 結論を申せば「成功!」とも言えず「失敗!」とも断じられない。ただ腐敗臭が無くても試食する勇気が無くまずは池のタナゴに与えてみた。大豆大に丸め投入すれば着底前から集まって突っつくけれど着底するとタナゴより大ドジョウが集まって食べ尽くした。池の大ドジョウは十匹ほどはいるのだが未だに産卵してくれない。体長も20cm近くになってドジョウとは思えない大きさなのだけれど泥土の環境で無いので繁殖しないのか。
 二枚貝とドジョウの環境を思って田土を入れた時期があったのだが、この時は濁りが澄まず結局は細かく軽い粒子の底土にしたのだった。今回の「チーズもどき」を餌にすれば高栄養高蛋白食に間違いないから繁殖に役立たかどうか。二枚貝の給餌にも溶かせば役立つかもしれない。
 しかし一方では「給餌で全滅」のリスクもあるし…おいらの腹に収める決心はつかないし…少ない年金を費やしたのに、老いたベルテルの悩みは今日も果てしない。

      

 写真下側の二点が白カビチーズ混入物で左が豆乳蘇から右が生乳蘇からである。上側の大きいのは生乳からの蘇に青かびチーズを混ぜたものである。右下の物が母体のグリーチーズと遜色は無い様に見えるのだが我が人生、グリーチーズは種チーズとして購入した物を少々味見しただけなので確信はない。こう言う処に貧乏人の悲哀が出てしまう。
 さて、今回の試作の愁眉の的は「生乳廃棄を防ぐ手立ての蘇で作るチーズ」だったのだがアカデミックではない垢出身駆の小生では器量が不足だった。まあ小生、器量良しなのだが人生悲哀が大きければ若禿げにもなるというもの、弱みやネックは脱毛と異なり落ちてはくれない。
 しかしなあ、写真右下の白色一品は仕込みの時点より白色度は高まって「グリーチーズ風」になっているのだが指も舌も出ないのだった。まあ、ボチボチと表面のカビを取り除きながらタナゴの餌にすべえ…。こと「グリーチーズで育てた最高貴賓品種」と称しても爺我自賛行為でしかないわいなあ。

子孫分け目のガマ・ン!合戦

2023-03-18 | 小父のお隣さん
    

 なんともはや白昼堂々と言うべきか姿態嬌態と言うべきか目のやり場には困らなくて凝視するからドライアイになるが視線の先は濡れ場であってウエット愛の現場なのだった。
 「上になる」カエルが居れば「下になる」カエルが居るのは道理でそのままでは息継ぎも出来ず窒息するので適宜、上下を替える。まあ、サイクルなのだがカエルのサイクル、つまりはカエサル皇帝に誰が成れるかの瀬戸際でもある。ここで脱落するようでは子孫を残せないから「あぶれカエルも祭りの賑わい」であろう。要は辛抱辛抱我慢我慢の果てに功成りて子をなす事が出来るのだった。
 みんな一緒に未来永劫、テープを切って「ゴール!」なんて言う事態は決して選択しないのが生命の持続性につながると言うものである。

 翌日になれば何体かは捕食され無残な姿を晒すのも浮世の道理でもある。
              年年歳歳 合戦相似たり
              歳歳年々 蝦蟇同じからず・・・・・・・・てなもんや三度傘。

 「蛙鳴蝉噪」、これなどは役に立たない事柄の例えに使われる熟語であるけれど、事、保全活動に於いては「大成功」と言うべき状況である。四字熟語の頁を繰ってみればボケ老人が申すのも何だけれど「老い老い!」いいえ「オイオイ!」と言うべき理解や表現が多々ある。熟語が出来た時代を考慮すれば「環境保全」などの考えなど毛頭なかったはずだから当然と言えば当然だけれど時代に合わせた表現と解釈は必要だとsatoyamanは考えるのである。
 「生物生産緑地」が柱だと考える小生としては真っ先に「丸刈乃恥」が浮かんだのだが雨模様の丑三つ時、こんなことがビビビッと降臨してしまい結局は辞典を離せなくなりコケコッコー・・・・。里山保全に寄与する熟語を現さねばが明度の一朝目になったみたいでわが身の因果でこの世は地獄…。でもまあ、池のガマさんは極楽極楽、往生できれば大せいこう、いいえ大成功ですって!。そう、振りかけるだけだからナニは無いんだな。

いざ!蝦蟇競(がまくら)!

2023-03-17 | 小父のお隣さん
           いざ合戦巧者物見で何思ふ



 一週間前ほどからヒキガエルの鳴き声が聞こえており13日夜半は降雨だったから「産卵する!」確信満々だったけれど収穫は無かった。ところが16日、トンボ池が午前中から騒がしい。10匹程度が集まってコンパの相談中だった。冬の間はコガモの採餌でゴタ濁りの池だったがこの日はガマ様のコンパ予習行為でゴタ濁りである。
 やはり男として特に東男、いいえアズマヒキとして斯様な行動は恥ずかしいのか小生が池畔に立てば水中に没するのだった。足音を忍ばせて覗き見すればそれはもう赤裸々なもんだったわい。とても活字や写真で提供は出来ない炎上間違いなし!。

 それはともかくとして奥の院でお爺さんは山に竹伐り行きました帰路、集積した材の上でトンボ池の方を窺う一匹がいた。この個体、顔前にカメラを寄せてもびくともしない。さすが東男もとえ、アズマヒキの面目躍如であり池の中のヒキの面目一新させたと言って良い。
 言葉を掛けても答えはせず視線は池の方角に定まったまま微動だにしない。さすがに威風堂々、風格溢れる合戦を直前に控えた武将である事よ。一方の雑兵は今夜の嬉々ワイワイ春池雌臨を想うてか落ち着きがない。「急いては事を仕損じる」との諺があるのに教えようと池の傍に立てば皆没するのだった。馬鹿だねえ・・・。
 しかしなあ…かってハントも合コンも経験なく手練手管も持ち合わせてはいない姥捨て山の孤爺のアドバイスなど役に立つはずもないか・・・。こっちがアドバンスを出しても集まらんのはヒキ様も先刻ご承知なのだろうて。

 とは言え、我が代々の祖霊に申し訳が立たないから一言添えるけれど小生はカエルの王子様には興味はない!。もう少し経てばトンボのお姫様が肩に止まる!止まるのである。それも各種族のお姫様だわい!。 

             


二点位置流・昆虫すこいぜ「テングチョウ出た!」

2023-03-16 | 小父のお隣さん
 奥の院へ除竹作業へ向かう途中のトンボ池横の陽だまりでテングチョウを初見だ。顔面の天狗の鼻に見える造形美までは見切れなかったものの間違いないだろう。次の期待の新星ツマキチョウが出てくれば春爛漫の心持になる。とは言え年がら年中・四六時中、朝から晩まで脳内は春爛漫で春風駘蕩な小生であるからしてまあ、あまり変わり映えはないか・・・。

 この個体の撮影「撮り逃がすまいぞ!」と思って接近するよりデジタルズームを駆使した結果はピントが寝ぼけたものになった。氷の田んぼに飛び込んで金の鋸を得ようとした1月、哀れ先代デジカメは泥水没圧死したのだが後継機の現カメラを購入する際に販売員が「デジタルズームはお勧めしません」と言ってはくれたけれどタフカメラでなくては「無理・無理」と信じていたからこの結果だ。

 それはともかく奥の院で作業中にも一頭飛翔していた。距離にして林内を抜けての200mほど離れているゆえに最初の個体では無いのは明白だ。サイズも少しばかり小さかった。この個体にはデジタルズームを使わず光学ズームの範囲で撮影できたけれどやはり接近し難い。初見で撮影できたから二回目以降の出会いはもう少しリラックスして近づけるだろう。これはチョウやトンボでも無くても同じだろうが他人様相手ではストーカー扱いされそう。かくして姥捨て山からは出れない小生なのであった。

       

水選別してみた・・・

2023-03-16 | 今日は真面目に
 フイールドに堅果を落す樹種は少ない。入域当初に植え付けしたクヌギは結実するようになったけれど食材としては「どうも・・・」なのである。
 マテバシイのドングリは渋みも少なくドングリクッキーに最適と言われても小生は見たことが無いのだった。子どもが幼い頃はドングリ拾いに連れ出したけれど遠い昔の事とてマテバシイだったのかどうかも記憶には無くなっている。
 街中の主要道路の並木がマテバシイだとS先生から教えていただいたものの既に落果の時期は遠い昨年の事。今頃、道路傍を歩いたところで拾える訳もないのだった。そんな折、電話で兄にぼやいたところ早速届けてくれたのだ。

 まずは水選別してみた。半分が沈んで半分が浮き上がったままである。意外なほどの割合だった。浮いた中から数個を選び食べて見ようとしたのだが腐りが入っていたり変色していたりしてやはり食い物にはならない。沈んだ数個をわって見れば白色の充実した実が入っている。食べて見ると生の栗のように感じたけれど播種する堅果なのでそうそうご馳走になる訳にもいかない。 
 結実する様になれば「威野志士様ご来場遊ばされて食べられる」とは兄の助言だったがそれも致し方なし・・・。兄のフイールドで捕獲された猪の胃袋はドングリで一杯になっているのが冬の相場なのだそうな。となると我が腹には入りそうもないか…それともそれまでに蝋燭が燃え尽きるか、なんともロミオやベルテルの悩みになってしもうたわい。

 左が浮いたドングリ、右が沈んだもの       浮いた堅果と沈んだ堅果の違い

フジバカマの移植

2023-03-15 | 蝶の食草園
 新芽が伸びないうちにと思いつつ降雨が無いので移植後の活着が気になって先送りしたがために萌芽は10cmにも達している。これでは植え傷みする事は必至ではあるが致し方ない。雨量を期待できる予報ではなかったものの降雨の予報が出たから思い切って庭のフジバカマを掘り上げてフイールド突端台地に定植した。一輪車で一切合切押し上げなければならない位置なので一回に全てを賄えず二日がかりの作業になった。
 まずは掘り上げた根塊土塊を一輪車で運び次はポリタンクで水と道具を運び上げる。これだけで息絶え絶えゼイゼイ喘ぎの一休みを数回しないと植え付け場所へは到達できないのであった。

 降雨が十分で近くの三日月池に水量があれば運び上げなくとも良いのだが水位がそこに達しようとする寸前では水を汲む訳にはいかない。そんなことをしたらクロスジギンヤンマやニホンアカガエルの子どもたちを干からびさせてしまいかねないのだ。
 とにもかくにも植え終わった。庭の群落は消えてバラバラの新芽が残っているけれど、これは鉢に上げて養成した後に定植したい。残った根茎で数年後にはまた群落に戻ってくれるだろう。




Satoyamanの集大成

2023-03-14 | 今日は真面目に
 長らく「木aワーカー」と称してきたのだが保全活動の内容を取りまとめ出来たのを機会に「Satoyaman」に勝手出世させた。いつまでもヘイペイでは実利・実害は無いにしても活動意欲にかかわる問題で、でもまあ、ぺいぺいはご縁は無い生活なのである。
 ゆえにせもてもの自手「いい子いい子」の一端としてヘイペイから係長程度に昇進させたのであった。まあ、一人親方みたいな存在なので社長に据えても良いけれど、今のところ饐えてるのは長靴の中くらいか・・・。

 さて、いつものように急に思い立って着手したのが百年目、「福徳の百年目」ではなく「思い立ったが百年目」なのでひどい目に遭った。睡眠時間は削られるし片付けなければ落ち着けない。昨季の記録を入れ数年の記録を種別に一覧にし比較し易くしたり「生物生産緑地」の考え方と取り組みを挟んだ結果は40ページになってしまった。
 この厚さ事務用の大型ホッチキスでも綴じにくい。それは昨年に製作した版で経験済みで今回はファスナーで閉じた。しかしパンチで1回では穴開け出来ず1冊分を2回で穴開けしなければならなかった。それでも必要な5部を製本したのでホワイトデーのプレゼントで手渡せる。

 鳥類だけ抜粋した冊子も2部製作して、これはフイールドで小鳥の観察情報を頂く2氏に出会った時に渡しておこう。小生は探鳥をしないので常日頃の観察情報入手先は複数あった方が良いとの考えで、手渡された方は迷惑なら捨てれば済む事なのだ。
 この日の午後一杯使ってプリントと製本に費やした。本来ならば途中で単純硫黄泉の出湯に入りたかったのだけれど臨時休業で門前払い。それはともかくやっと穏やかな日常と平安な睡眠がやってくる。

オタマジャクシがばらけて来た

2023-03-13 | 小父のお隣さん
 最初の産卵は池も氷が張っていた1月の下旬で、これはこれで早い記録になった。この時の卵塊はすでにどうなったやらどこであったやら記憶も定かではないものの大挙して産み落とされた卵塊はすでに孵化しているけれど卵塊のゼリー質から離れず上部に留まっていたのだが、この頃では水底に下り散開を始めた。

 だからと言って泳ぎ回る訳でもなく黒米を投じたように散らばったままなのだ。これがアズマヒキガエルの孵化体だと集合体となって上陸するまで真っ黒けのケである。どちらも上陸すれば一本独鈷、一匹ガエル、孤立無援の人生?なのに面白いものだと何時も思って観ているのであった。

 強いて思考すればニホンアカガエルは「どうせ将来も一匹独孤だから…」てなもんや三度笠で「一匹で居る」孤高を選んでアズマヒキガエルは「将来はバラバラになるからせめて幼生期くらいはみんな一緒で居たい」と向こう三塊両隣が集うのであろう。まあ、どちらにしろ一理も二理もある選択だが上陸したら何里動くのだろうか。
 石鎚山だったかのヒキガエルの上陸体は一生懸命山登りをして峰々に散っていくのだとか・・・。これはこれで声も出ない。

 それは別にして眼鏡を外して幼体を眺めればその数が倍増するのだった。「これだ!」と思い眼鏡を外して買い物したら銭の使い勝手まで倍増もしなければ商品も倍渡しもしてくれなかった。まあ、我が人生すべてが夢幻、うつつの此岸なのであって謡いながら舞いを舞えない小生には全く持って夢幻でしかないのがあの英雄と大きく異なるところなのだろう。テモサッテモソジャナイカ テモソジャナイカ・・・。

        

 

 

**干支巡り来て

2023-03-12 | 大震災
           潮騒や引かれた人のささやける
                   寄せも返すもただ一巡り

           わたつみの殿のいらかに霜降りて
                   朝日にしたる滴る御霊

           わたつみの沖つ白浪立ち来らし
                   浪は還れどなれは還らじ

           わたつみや千尋の果てに居ますとも
                   寄せた御霊を言祝ぎたまえ

           未曽有とも世の終わりかと思えども
                   更に上あり更に馬鹿あり

           国滅ぶ瀬戸の際なる大惨事
                   すでに忘れて貼るや膏薬

           復興も五輪も博もなにせむに
                   永久に有りけりスムシやマダニ

           大困難中で生まれた吉凶も
                   すべてここから起てば歩めよ

           天灯の二万二千余天空へ
                   星となりたり銀河の星と
                              

今日の素労風努「しょうゆの実の新レシピ」

2023-03-11 | 何よりの楽しみ
 飯のお伴に乗っけていた「しょうゆの実」が費えてしまった。無ければ無いで困りはしないもののご飯茶碗が寂しい。高齢者は「蛋白質摂取しなさい。発酵食品もたんと摂りなさい」とは天下の常識ゆえ、てな事では無くて副食不足で手軽に盛れる「しょうゆの実」は欠かせない存在になってしまったのであった。

 さて、せっかく作り置きするのだから目先を変えたくて工夫してみた。今回の材料と言うかレシピは以下の通り。製作過程で加えたのが重なり左上の写真には写っていないのが出た。
          冷凍糀         460g(最初は半量、後加えが半量)
          茹で大豆 一袋     140g
          茹で小豆 一袋     180g
          塩            23g(3%を目安にしたが後からコーンを加えたので2%未満)

          後加え コーン     300g(生物だったからチンして加えた)

 「緩々」にしないつもりで糀を戻しても芯が無くなる程度の水分量で一晩ヨーグルトメーカーで戻したのだが、茹で大豆の水分を切らず開封しバーッと投入してしまった結果、緩くなった。正しくは「爺ぃっが投入」なのだが世間様にはつうじない。仕方が無いので更に糀を足し、容器にスペースがあったからコーンを加えてみたのだ。

 24時間50℃で保温発酵を続けて後は冷蔵庫で熟成させる。試食すると「糀の甘さの中から微かな塩味」が来る。旨いと感じる素材はコーンと小豆だった。塩の分量が少なくて糀の分量とコーンの投入で「しょうゆの実」らしからぬ「スイーツ風」のエッ!品になったのだ。
 「ご飯に載せる」というより「お八つ」感覚の出来上がりで試食段階では更に「香煎」を加えてみたのだが、これも旨い。美味いとか美味しいと言う感覚ではなく「旨い」の漢字がぴったりする仕上がり。

 まあ、世界広しといってもこんなのを食するのは小生くらいだろう。まあまあ、ボッチひろしのソロキャンプ食でのスイーツに丁度良い。この新作、既に一カ月も経過して残り少なくなって食べ続けて判った事は「塩の角が取れて来る」と言う事で、最初は尖った塩味なのだったが今では穏やかに丸くなって拙者とそっくりである。
 そう、猫ひろしも炬燵で丸くなるのだから世界広しと言えどもお爺が円くなって何が悪い!。しかしである「円くなった」と言っても熟成の味わいが醸し出ないのが侘しいと作家の鴨志田某はおっしゃってくれた…謝々。
 そこで考えてみた「円くなっても熟成の味わいが無いのは円が無い故であって年金が減るばかりでは無理」が結論。



 

ショウジョウバカマ開花

2023-03-10 | 小父のお隣さん
 作業の帰り、思い立ってショウジョウバカマの群生地に足を運んでみたら、ところどころに開花が見られた。これから見に来る人が増えてきて開花株などは踏み潰されないもののまだ未熟な幼苗は踏み潰されるので毛者道が出来てしまう。
 関心を持って見に来るのは結構だけれど脚下に発芽があり苗が育っていようなどとは気にもかけないのが現実である。小生らの勢力範囲では無いので手は出さないけれど周囲の立ち木を間伐し二つ割にして木道を設えれば随分と次世代が育ってくれるはずなのだが林床を見るたびため息が出てしまう。

   

丑の刻作業、執念・執着・妄想の果て・・・

2023-03-10 | 小人閑居して憮然
 小用に起きた結果、眠れなくなったに過ぎないのだが鉢巻をギュッと締め蝋燭を数本立て玄能片手では無かったものの、EDLライトを灯し右手人差し指でキーを打つなど近代化は果たしたのであった・・・。
 さて高齢出産、もとへ高齢出力は辛いもんであった。思い立ったが凶日、4回の試行のあげく三日目にしてようやく不十分とは言え使えるプリントが出来た。欲を言えば活字も挿入したかったのだがエクセルもワードも試したものの挿入できず結局は文字部分だけ切り貼りしたのだった。

 前回、同じような作業をしたのは十年以上も前なのでPCの操作もソフトも異なったのは仕方が無いにしても前回の方が文字も入れられたし透視率も自由だったから作業者としては有難かった。今回は操作内容が単純化され過ぎてお仕着せの操作しかできないのであったがため未明3時過ぎから夜9時頃まで食事もそこそこに行って三日間を要しての結果である。あーあ、くたびれた。
 その上、その上である。二日目にして気分転換をしなくてはと近在の硫黄泉の湧く出湯に行ったのだが休日だった。通常は「月末休み」の出湯なのでもうガッカリ落胆この上なし・・・。

 何回「最初の出来で満足しよう!」と思ったか知れなかったが前機種のPCで試したらプリント段階で「プリントする内容がありません」のメッセージばかりで受け付けてくれず、更にエクセルの版とワードの版とも作ってみたけれど「スプレー効果」を期待した表現もプリントするとモニターとは全く異なるものとなってお釈迦さま。
 結局は「初心に戻って」最初のソフトで描画彩色し「良し」としたのだ。

 写真、右上から時計回りに作成した順に並べた。左上が最終稿である。最初の稿は文字の挿入が出来なかった事と色彩の透視度を選べなかったのが気に喰わなかった。2稿3稿は旧PCを持ち出してエクセルとワード上で描画したのだが試しプリントした2稿は地図が黒くなってしまいスプレー効果によるぼかしもプリントすると全くの別物になった。

 3稿はワード上で作ったのだがやはりスプレー効果は汚いだけで不満足。結局は1稿のソフトに戻って完成させたのだ。このソフトには「蛍光ペン」操作が可能なのに太い帯状にしか塗付出来ず、おまけに透き通る効果も無いので全く出番なし。
 3日間、拡大画面で白地図に色付けしていたとは言えマウスの操作は気を使うし目も凝らさねばならない。しばらく作業を行えばピント調節機能が弱ってしまい新聞読むにもテレビ画面を見るにしても二重映りのあり様だった。こう言う場面でも身体の劣化ぶりが身に滲みる。

 こんなご苦労、苦心惨憺、哀しみよこんにちわ、踏んだり蹴ったり休業だったりした手太楽も一念発起して「確認生物種」の加筆増補版を作ろうとしたことに他ならない。今回は思い切って付表を綴じて資料として分かり易くしたかったのである。
 まあ、小生の悪い癖、因果な事に片付けるまで眠れない性分が出てしまったのだ。もっと悪い事に現役世代で無くなった現在、「眠りを削っても支障はなし」の日々の実態から夜討ち朝駆けと相成って完成、後は保存してある原稿を必要枚数プリントし綴じれば良い。数えてみれば40ページにもなっていて昨年版より10ページも増えてしまった。

 ブログには「生物生産緑地」云々を想いつくままに投稿したのだが2版目となる小誌には余分を削って作成しなおしたのだ。ただ作ったところで配布先は日ごろ教えを乞うているS先生やSさんなどで5部程度あればよく市と県の担当部署には届けない事にしたので十分である。まあ、この5部のために寝食を忘れなければならない我が人生とは報われず因果である事だなあ・・・。
 昨年の版はS先生の評として「アカデミックに出来ましたね」という事だったのだが、アカデミックとは小生にとっては「垢出身苦」なのであった。他に言いようがない第2版。まあまあ、普段お世話になっている方々へのホワイトデーのプレゼント版としよう。今夜は眠れるはずだが硫黄泉に入りたーい!。棺桶にはまだ入りたくなーい。

  

林接池堤の嵩上げ 2

2023-03-09 | 水辺環境の保全
 昨秋、15号台風の始末からズーと土木をやっている記憶だ。ここのところも泥浚いに始まり移植やら客土やら嵩上げと足腰肩の休まる所が無い。遂にこの日は腰に湿布を貼る手太楽となった。左右2枚を貼ればしばし痛みは減るけれど完治する訳でも無い。「いそいそ」と行える事なら歓迎だけれど「イヤイヤ」しょうもなく行う手当てはつまらん!。とは言え骨惜しみや痛み惜しみをするようではフイールドの保全は成り立たないし…。やはり自転車操業なのだった。まあ、「愚痴は言うまい溢すまい」と思えど身体髪膚が愚痴悲鳴を言ってくるのであった。ここでちょっと訂正「髪」は抜いておきます。既に抜けているから・・・。

 さて前日に盛り土してこの日は砕土し均し鎮圧である。従前の堤上端面に固着する様に落ち葉などはあらかじめ除いてあるのでスコップで砕き均して踵で潰し胴突きで突き固めて一件落着である。突き均してみれば嵩上げしたとはいえ数センチ程度で「もう少し高くしたい」と思いつつも既に気力は萎えている。当座は「よし」として気力が充実した頃合いに再度の嵩上げすれば良い。まあ、安全率は上がったのだ。

 とは言え池の落ち葉下で静かにしているであろうヤゴやその他の水生生物へ「ご安全に!」と言ってみたとて応ずる訳もなく生殺与奪権は小生に有るので足腰肩が「やばい!」と思っても投げ出す訳にもいかない。まあ、相見互い身、一蓮托生、自動化された最新鋭のシステムである。そう、おいらがこければ皆こける・・・。
 でもでも最新鋭のシステムだから「こける」なんては使わずに「おいら自信が核ボタン」、これでシッタシカンカンの日常が栄える。予算を継ぎ込んだあっちは「去るの惑星」を創ってしまうだけ。

 

 終わった事だし骨休めに「帰ろう!」と思ったものの、池の中に侵出しているヤナギの毛細根塊が気になった。片足を池の中に入れ剪定鋸で堤から池の中に侵出している毛細根塊を切断し引き上げた。長いのは1m以上にもなっており素手で引き上げるには非力だったから造林鎌を鉤手のように使って引き上げたのだ。見れば見る程、大量でこれから樹木の活動が活発になるに従い池の水を奪う力も無視できなくなる。
 たかだか毛細根塊なんて思っていると池の水不足に直結しかねない。予定の作業はつつがなく終えたが流路側の堤と上棚下の爺走りの部分が威之志士様の跋扈蹂躙でグズグズななっている。ここにも土を入れて固めたいけれどもう後回しである。山のいで湯に1日くらい出かけたい・・・。

             ➡  

**二度童にすなるといふ回想といふものを孤爺もしてみむとてするなり

2023-03-08 | 今はうたかた
           駅官舎転校しちゃったのりちゃんは
                 修学旅行のホームに母と

           みっちゃんを通せんぼした雪の路
                 悪ガキ仲間は黄泉路の遠く

           新担任すでに膨らむあの子にも
                 乾布摩擦の酷き一斉

           祖母の筋同級生のたけちゃんと
                 話す事なく視線合うだけ

           鮨詰めや背中合わせの時ありて
                 温みいまだに通学列車

           新学期トニオに行こう声幾度
                 吾はカツカツ両者哀しき

           惑い道われは生まれた生きて来た
                 絽の糸筋の阿弥陀くじいく

           淡き春干潟を満たしまた干潟
                 潮路の如き干満の中