GITANESをそっと置いていってくれる人はいない。
それとは無関係に・・・。
誰なのかはわからないが、自宅玄関に柿を置いていって
くれた。
多分近所の人だろう。
今の土地に引っ越してからもうすぐ丸2年になる。
最初の頃は、誰が置いていったのかわからないことに対して
気味が悪くも感じたし、お礼をきっちりとしなければと思って、
誰だったのかを必死に探索したものだが、ある時期からは
そういうことにも慣れてきて、深く追求はせずに
ありがたく頂戴することになってきた。
誰かと言っても近所の数軒に絞られることだし、自分で作ったものを
置いていってくれるのだからそれなりに安心品質だし、多分余りもの
だろうから、それほど神経質にならなくても良さそうなのだ。
何かの折にはウチの者もおすそ分けなどしているらしいし、
義理を欠いているわけではない。
誰かわからない人が玄関先まで入ってきて、何かを置いていくという
ことに対して「付き合いが煩わしい」と感じる人もいるだろう。
私もそういう感情がまったくないとは言えない。
しかし徐々に慣れるもんだし、新参者を気にかけてくれているという
ことなのだから、素直にありがたいことでもある。
さすが田舎だ。田んぼと畑のど真ん中だ。
ただ、近所付き合いと言っても、数軒先の家にはどんな人が住んでいる
かも知らないし苗字もしらないし、会うこともないし、会ってもそもそも
誰だかわからないし、まったく関わりがない。
また、隣の隣に住んでいるおばあさんはまったく誰とも付き合いをせず、
一人で暮らしているらしい。
それはそれで許されるというか、それもありらしい。
ひょっとしたら、「適度な田舎付き合い地区」なんだろうか。
引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
産経新聞
孤独死…代々木の借家から白骨遺体、6年以上前に死亡も気付かず
年の瀬。ビルのはざまにある東京・代々木の借家から、男性の白骨遺体
が見つかった。病死とみられ、死後6年以上が過ぎているという。男性は
借家で妻子と「幸せな家庭」を築いていたが、離婚して行方不明に。
人知れず借家に戻って「孤独死」した。その後も誰に気づかれることなく、
放置された。師走の悲しすぎる現実…。都会の人間関係の希薄さが浮かび
上がる。
中略
今月2日、地権者の男性が借家に入ると、居間にはゴミや本、衣類が散乱
し、それらに埋もれるように、洋服を着たままの白骨遺体が見つかった。
男性は約10年前から家賃を支払わなくなり、家具などを残して失踪した
とみられていた。
ところが今年9月に父親から借家を遺産相続した地権者が、借家を建て替
えようと下見に訪れ、偶然白骨遺体を見つけたのだ。「事情がよく分からない
」。地権者は困惑するばかり。
警視庁原宿署は男性の弟を捜し出し、DNAの簡易鑑定を行った。すると、
遺体は失踪していたはずの男性と判明した。
昭和17年生まれ、生存していれば66歳。遺体の状況などから死後6~8
年経過しており、50代後半で亡くなったとみられる。
中略
評論家の塩田丸男さんの話
「6年以上という長い間発見されずにいたことは信じがたいが、それが
起きてしまうところに、東京をはじめ大都会が異常な状況にあると気付か
なければいけない。親族が必死に探していたならまだしも、捜索願さえ
出していないとは。孤独死は近代都市生活の盲点だ。人付き合いをわずら
わしいと感じる若年層が増加傾向にある現状では、孤独死はひとり暮らし
の高齢者だけの問題ではないといえる」
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
最後に評論家(と言っても塩丸)にコメントさせて結んでいるが、
この結論でいいのだろうか。
「大都会は異常」なんだろうけどそれは厳密に言うと、大都会じゃなかった頃
と比べての異常さであり、そして「田舎ではそんなことはない」という
思いこみと比べての異常さである。
孤独死は近代都市生活『特有』のことではない。
多分田舎においても、一人で亡くなる人はいくらでもいるはずだ。
また、「捜索願さえ出していない」ことがかなり気に入らない様子だが、
それこそ都会も大都市も田舎も地方都市も、まったく関係ない話だ。
このように結論付けたいのなら、
「孤独死」と「孤独じゃない死」の、都市部と地方の比率をそれぞれ
提示する必要があるのではなかろうか。
新聞が売れなくなってきたことが新聞業界では大問題になっているが、
それはかなりの程度で「自滅」でもあるのだ。
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