GITANESは読書のお伴。
それとは無関係に・・・。
スピードはそれほど落ちていないはずなのに、どうも読書量が
落ちているような気になる。これは毎年2月の特徴である。
買う冊数は確実に増えていて、「どうしてこれを買ったんだ?」と
自分でもわからないような買い物もある。
だから未読が増える増える。
●森博嗣/つむじ風のスープ
森博嗣の本は2冊目。実は前に読んだ本も小説ではなく
日々のことを書いているものだった。それをエッセイというのか
雑記というのかよくわからない。まあエッセイか。
この人には多くの人が高く評価している小説がいくつもあって
例えば「すべてがFになる」などがそうだが、それらを一冊も
読まずにエッセイを読むよりも、小説を読んで興味を持って
それからエッセイに進んだ方がいいのかも知れない。
いや他の作家にも共通して言えることだろうか。
それでなければ「よく知らない人が、普通のことを言っている」
だけの感想しか出てこない。
●横関大/忍者に結婚は難しい
また「忍者」というキーワードで買ってしまった。
多分私は子供のころのまま、今でも忍者になりたいのだと思う。
これはすでに映像化もされていたようだ。
タイトル全体と表紙の漫画風イラストはさておき、面白かった。
でも一瞬で通り過ぎたような。
●清水朔/いくさじまた_臼杵戦役後始末
帯を読んでも単に「戦記物」かと思われたが、これはミステリー
小説である。
どちらかというと明治維新前後のモノが嫌いなので(だから坂本竜馬
などはホントにどうでもいい)、こういう時代のものは敬遠していたが、
なぜか読む気になった。
いくさじまた というタイトルがわからなかったのでネットで調べると
「戦始末」のことらしい。なるほど。
●ヘミングウェイ/移動祝祭日
生まれてから高校生ぐらいまで生活圏であった小さい町にも
何軒かの本屋があった。
たまにいく極小の本屋が2軒。そのうちの一軒では「のらくろ」
も買い、それは今でも持っている。
他は、幼馴染の家が営む本屋が商店街にあり、これは私が住む
長屋にいちばん近かったが、あまり行かなかった。
高校生の頃に新しくできた本屋は駅の近くにあり、通学にその駅を
利用していたのでよく行った。
そして、これも駅の近くで線路際にあったS書店という本屋があり
一生を通じてもっともよく行った本屋である。
町では一番大きいが、現在のジュンク堂などと比べると数十分の一
の面積だっただろう。それでも十分だった。
高校生の時そのS書店の棚で「華麗なるギャツビー」という文庫本
を見つけた。表紙はロバートレッドフォードだったと思う。
今ならディカプリオだろうか。書いたのはフィッツジェラルド。
多分映画「スティング」か何かを観た頃だったから、その流れで
「レッドフォードが出た映画の原作かな?」程度の認識で
買った。読み切ったのは覚えているがどんな感想だったか
まったく記憶にはない。
続いてフィッツジェラルドの何か短編集も買った。その中の
「カットグラスの鉢」という短編のタイトルだけは今も憶えているが
内容は印象深いものではなかったのだろう。
フィッツジェラルドよりもヘミングウェイの方が先に名前だけ
知っていたと思う。そして彼らは同じ世代の作家だと後に知った。
S書店の文庫の棚ではヘミングウェイとフィッツジェラルドは
隣同士で並んでいた。背表紙も苗字だけだったからそうなるだろう。
フィッツジェラルドを2冊読んだ後に続いて、並んでいたヘミングウェイの
「老人と海」や「日はまた昇る」に手を出さなかったのは
フィッツジェラルドの本が当時それほど面白く思わなかったからだろう。
ヨコハマホンキートンクブルースという曲がある。
原田芳雄や松田優作が歌っていた。作曲したエディ藩ももちろん歌う。
今では宇崎竜童と石橋凌が歌った動画もネットにあるし、なかなか
渋い路線の曲である。作詞が藤竜也。
「ヘミングウェイなんかに、かぶれちゃってさ~」
という歌詞が出てくる。そうか、ここでヘミングウェイがこんな
登場の仕方するんだなあと思っていた。
そういえばヘミングウェイやフィッツジェラルドは
「ロストジェネレーション」とか「ローリングトゥエンティーズ」
と呼ばれる世代に括られるのだ。そして松田優作の「インテリア」
というアルバムには奇しくも「ローリングトゥエンティーズ」
という曲もあった。
さてそれから40年。
ようやくヘミングウェイを読むことになった。
それも「移動祝祭日」は小説ではなく、彼が最初の妻と過ごした
第1季パリ時代の思い出を綴ったものである。
この中でフィッツジェラルドとのエピソードが結構なページを割いて
書かれていた。結構ボロクソに書きながら「あいつは大した奴だ」
とも言う。複雑な思いがあったのだろう。
これも「小説を読む前に小説以外を読む」ことになってしまった。
それでもこの「小説以外のもの」は「小説」だった。
まず訳者による解説を読み、そのあと本編を、そして最後にもう一度
解説を読んだ。
20年代のパリ時代を彼は30年後に回想し書いたとのことだ。
だから今から100ほど前のパリの情景である。
それから数か月後に彼は亡くなっていて、死後発表された本である。
最終話は「パリに終わりはない」という話だが、その終わり方が
息苦しく甘い。