the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 



GITANESを吸いながらだと、もっと上手に対応できる。
それとは無関係に・・・。

自宅の電話番号が少々わかりやすい番号なので
間違い電話が多い。
ここ最近では先週かかってきたのだが、男性の丁寧な口調で
「●●市の××ですが、決定しましたので早急にお願いします」
という留守電録音だった。
かなり急いでいる様子なのでこっちとしてもハラハラしているのだが
おそらく自分にできることはないのだから、第二報を待つしかない。
頑張れ、頑張れと陰ながら応援するばかりである。

これも迷惑電話に違いないのだが、純粋な間違い電話なら
悪意はないからまあ仕方ないのだろう。
完全な迷惑電話でいうと、最近増えてきた「〇時間以内にこの
電話番号は使えなくなります」で始まる詐欺電話である。
初めて聴いたときはてっきり「かけてきた奴の電話が〇時間以内に
使えなくなる」のだと勘違いした。なんか悲劇的な匂いがする。
「俺の電話がもう使えなくなるから、最後にこれだけは伝えて
おきたいんだ」ということなのかと思ってしまったのだ。
最後の告白だ。宝を埋めた場所を教えてくれるのか、あの事件の
真犯人は××だ!とか、あるいは「あなたのことが好きだった」と
コクられるのかと勘違いした(一瞬だけだ)。
なんのことはない、「そっちの電話はもうすぐ通話できなくなる
から、それでは困るだろう。指示通りの手続きをしなさい」
と言って騙す手口らしい。
私はそれをすべて聞き取るほど親切ではないので、「〇時間後に・・・」
と言われた時点で「やってみろ。」と言って通話を切るように
している。その電話を受けてから半月経つが、まだ通話はできる
ようだ。
会社にも自宅にも、勧誘やセールスの電話は頻繁に入る。
まったく関係のないところから始まって太陽光発電のセールス
につながっていくという電話が多いようだ。
憶えのない番号から着信があった場合、まず無言で電話を取るように
している。先方が「もしもし?もしもし?」と言っている。
その様子でセールスかどうなのかも結構わかるものだ。
セールスとわかったら、「要らん」「知らん」「やらん(やらない)」
の三つの組み合わせで回答する。それでも向こうの話が続くときは
「ちょっと待って」と話を一旦停止してもらう。
「はい?」
「聞こえるか?」
「ええ。」
「要らない。わかるか?聞こえたか?」
「はい」
ポイントは先方の話を遮る・こちらの話を聞かせる・
こっちはとても機嫌が悪いとわかってもらう・この三つである。

とても暇な場合は、少し相手することもある。
法律(特定商取引法)によって、勧誘電話する場合のルールが
あるので、そこから逸脱すると違法になる。
「関西電力の、ゴニョゴニョ・・・」と社名を誤認するような
電話を寄越したときは「関西電力さん?ほんとに関電さん?
ホンマに?」としつこく尋ねる。
盲点は「電話してきた人間も氏名を名乗らなければならない」
となっている点だ。大体「関西電力のゴニョゴニョ(特約ナントカ)
のヤマダと申します」という感じに名乗る。
ゴニョゴニョの部分で騙す気は十分伝わってくるのだが、
電話を寄越している当人の「氏名」も告げる必要があるのだ。
一度「いや、下の名前も名乗ってください。フルネームね」
とお願いしたところ、少し間をおいて「当社は担当のフルネームを
申し上げておりません」と堂々と断られた。

電話をかけてくる業者ももちろんいろいろ学習しているし
対策も練っている。特定商取引法等に縛られないために
「これはセールスとか勧誘の類じゃないんですよね~」なんて
言うやつもいる。ただこのフレーズにも重大な欠陥がある。
「セールスや勧誘の電話もこちらは聞く必要はない」のと同時に
「セールスや勧誘の電話ですらないのなら、もっと聞く必要はない」
のである。
また、「この電話は二度とかけてこないでください」と言われたら
「もう二度とかけてはいけない」と、同法律で決まっている。
はっきり断る・という行為はなかなか難しいものだが、最初に
はっきり断っておけば二度目はない。または、二度目からは完全に
違法となる(電話勧誘自体はもちろん違法でもなんでもない)。
まあちょっと長くなってしまうので、余計に面倒くさいだろう。
やっぱりガチャ切りがいいですよ。
「ガチャ切りしますね」と断ってからガチャ切りすることを
おススメします。



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GITANESが短いから短感。
それとは無関係に・・・。

引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
産経新聞
終わらぬ兵庫知事選の後始末、維新のリーク県議らが3人そろって
時間無制限会見で釈明へ

斎藤元彦兵庫県知事の疑惑告発文書に端を発した昨年11月の
知事選で、日本維新の会の複数の県議が政治団体「NHKから
国民を守る党」党首、立花孝志氏に情報提供したとされる
問題で、岸口実、増山誠、白井孝明の3県議が23日午後、
神戸市内で会見を開く。一連の問題を受け、岸口、増山の両氏は
県議会調査特別委員会(百条委員会)の委員を20日に辞任、
党内からも厳しい声が上がるなか、「時間無制限で説明責任を
果たすことが重要」(吉村洋文代表)と求められた2人に加え、
「立花氏の情報源となって同氏に発信してもらいたいとの意図
は持っていた」と述べた白井氏がどう釈明するのかに注目が
集まる。
岸口、増山の両氏は文書、音声データとさまざまな形で立花氏に
情報提供。立花氏は斎藤氏を支援するとの立場で知事選に立候補し、
もらい受けた情報を基にSNSで発信し、斎藤氏の再選に影響を
与えたとされている。
このうち、岸口氏を巡っては、斎藤氏を告発した文書の作成者で
ある元県幹部の男性=当時(60)、昨年7月に死亡=の私的情報を
立花氏が発信、立花氏は今月7日の会見で、岸口氏から私的情報を
文書で提供されたと主張した。
岸口氏は、立花氏と面談したことは認めたものの、「(文書は)
私から提供したものではない」と否定したが、維新の岩谷良平
幹事長は19日、「立場上、立花氏との面談に同席したことは
軽率だった」と指摘した。
増山氏も同日、出演した動画投稿サイト「ユーチューブ」番組で、
昨年11月の知事選前に非公開で実施された百条委の音声データを、
立花氏に漏らしたことを認めた。

以下略
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
兵庫県民でもないので本当はそれほど興味を持ってこのニュースを
チェックしている訳ではないから、もうどうでもいいやとしか
思っていないのだが、ちょっと気になるのは「時間無制限会見」
という部分である。
これが主流になってきたら「厄介な社会だなあ」と思う。
時間無制限というぐらいだから、どこで終わるかはマスコミ側が
決めることになる。
誰でも長時間、ワーワーと糾弾(というか詰問というか)されて
いたら失言もしてしまうだろう。長くなればなるほどその可能性は
高くなる。だんだん麻痺してくるだろうし、最初と最後で主旨が
違ってくることだってある。会議ですらそうなのに、糾弾会では
もっとそうなるだろう。
人民裁判。
芸能人の謝罪会見も同じだが、嫌な傾向だ、時間無制限。
あの、夜景ソムリエって自慢気に話していた、トイレで悪さ
していた芸能人に対する糾弾インタビュー以降、ますます
時間無制限会見というトレンドに拍車がかかったような
気がする。


引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
まいどなニュース
一日穿いたら、もうボロボロ…女性たちを苦しめる
ストッキング習慣「30デニールがマナーっていうの、
やめよう」に共感の声続々

女性を苦しめるストッキングマナーがSNS上で大きな注目を
集めている。 「帰宅したらこうなるの メーカーの皆さんが努力
したってこうなるわけだから、30デニールがマナーっていうの
辞めよ…」 
ストッキングに振り回される女性営業職…「またすぐ死んだあああ」
「破産しそうに」 と自身が一日穿いたストッキングの模様を紹介
したのは会社員のさんごさん(43歳)。 親指付近から生地が裂け、
使い物にならなくなってしまった黒のストッキング。 
「デニール」とは繊維の太さを表す単位のことで、数が低いほど
薄手の生地ということになる。よくマナーサイトやマナー本では
30デニール未満のものが公式の場にふさわしいとされるが、
それだと保温効果はほとんどない上に裂けやすく、つくづく
世の女性の苦労を思い知らされる。
 さんごさんにお話を聞いた。 
ーーこのお写真はどのようなシチュエーションで撮影された
ものでしょうか? さんご:仕事を終えて自宅に戻った際に
撮影しました。 
ーー「ストッキングは30デニール以下」というマナーについて
お考えをお聞かせください。 
さんご:女性や製造メーカー双方に負担を与えていると感じます。
ビジネスや冠婚葬祭においてストッキングより強度のあるタイツ
も許容されるような社会的合意が進むとよいのではないでしょうか。
 現状、スカート制服の職場では肌色のストッキング着用が
事実上義務になっています。冠婚葬祭でも公式ルールではない
ものの暗黙の了解として根強く残っています。男性で例えるなら
「破れやすいネクタイを強制される」ようなものなんです。 
「タイツやストッキング風の透けるタイツはどうか?」という
声もありますが、やはり違うんです。
中略

 また、今回の反響は近年のストッキングをめぐる炎上事例も影響
しているのでしょう。私は、当該メーカーのタイツや靴下、そして
開発に挑戦した女性実業家のブランド製品、どちらも愛用して
います。
マナーの見直しはもちろん、健全な競争が品質向上を後押して
多くの女性が笑顔になれる未来を心から願っています。

後略
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
自分は洋服関係で働いているので基準が世間一般より厳しかったり
緩かったりする。
その立場で言うと、ストッキングなんて好きなものを履けばいいのだ
としか思わない。もちろんしっかりしたタイツで防寒対策しつつ
強度も確保できるからそうしたいと思えばそうすればいいし
履きたくないなら履かなければいい。
葬儀の場では「一人目立っていいという場面ではない」という
縛りは必要だから(主役は故人なのだから)、着たいものを着る
という訳にはいかないだろう。しかしこれには「何を着ようか
迷わなくてもいい」という強力なメリットがあるのだから
不自由も受け入れられるだろう。
問題は職場か。それも制服がある組織ではどうなのか。
女性の制服をパンツ(ズボン・スラックス)にすればいい。
そもそも女性の制服は、着る本人たち=女性が決めればいい。
ところが、「ズボンは絶対に嫌だ」という声が、外野である
男性陣からではなく、女性側から出ることがあるのだ。
こうして、女性側の意見も統一されない。
本当は統一される必要もなくて、「スカートでもズボンでも
選べます」という方法にしておけばいろいろ解決する。
スカートでないとダメ!というような男性の意見など
放っておけばいい。
さてこうなると、もうストッキングがどうしたという問題は
雲散霧消する。


引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
レコードチャイナ
日本の店員「また台湾人、恥を知らない」、観光客のある行為が
問題に―台湾メディア

台湾メディアの三立新聞網は20日、台湾人客の「ある行為」が
日本の店員にとがめられたと報じた。
記事は、「多くの台湾人にとって海外旅行の第1選択肢は日本だ」
とする一方、日本人の台湾に対する印象はあまり良くないのでは
と疑問を抱かれる出来事が起きたと伝えた。
その場面を目撃したというユーザーが台湾の若者向けSNS・Dcard
で明かしたところによると、台湾人観光客2人のうち1人(A)
が先にレジの列に並び、もう1人(B)が店内を見て回った後、
並んでいるAに自分が購入する商品を渡して一緒に会計して
もらおうとした。すると、店員が制止し、列の最後尾に並ぶよう
指示したという。

Bはスマートフォンの翻訳アプリを使って店員とやり取りを
試みたが「店員は一切譲らなかった」といい、最終的にBは
不機嫌な表情で商品を棚に戻して、購入せずに店を後にした
という。その後、店員は同僚に向かって日本語で「また台湾人。
ルールも守らず融通を利かせろって迷惑だ。恥を知らない」
などと漏らしていたとのこと。その言葉を聞いた投稿者は
「日本人は台湾人をこんなふうに見ているのか…」と悲しい
気持ちになったことを明かした。

中略

「今の日本は台湾人に限らず全ての観光客に対して悪い印象を
持っている」「どの国にもマナーの悪い人はいるのに、日本の店員が
台湾を)名指しするのは問題」「この発言をした時点で、店員の
マナーも最悪」などと主張する声もあったといい、三立新聞網の
記事はこうした声を「日本が近年直面している観光客の問題
(オーバーツーリズム)」を表すものだと指摘している。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
どうなんだろう?
この記事自体がでっちあげのような気がして仕方ない。


引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
TBS NEWS
トランプ政権がレアアースめぐりウクライナに“より厳しい提案”か

アメリカがウクライナとの間で交渉中の希少な鉱物資源=レアアース
をめぐる協定について、トランプ政権がウクライナ側に、より
厳しい内容の要求を提示したと報じられました。
ニューヨークタイムズは22日、トランプ政権がウクライナに示した
21日付の新たな提案の内容を報じました。
アメリカ側が、鉱物資源に加えてガスや石油などから得られる収入の
半分を要求する一方で、ウクライナ側が求める安全保障の確約は
含まれていないとしています。
天然資源から得られる収入は、アメリカが所有権を持つ基金に
積み立てられ、ウクライナは5千億ドル=およそ75兆円に達するまで
拠出し続けることが新たに盛り込まれたと報じています。
アメリカ トランプ大統領
「我々が求めるのはレアアースや石油。得られるものは何でもいい。
合意にかなり近づいていると思う。そうあるべきだろう」
トランプ大統領は22日、演説でこのように述べましたが、新たな
提案を行ったかどうかについては言及しませんでした。
また国務省は、ルビオ国務長官が21日にウクライナのシビハ外相
と電話会談をしたと発表しましたが、協議の具体的な内容は
明らかにしていません。
こうした中、ホワイトハウスのレビット報道官は、ロシアと
ウクライナの戦闘終結に向けた交渉の見通しについて「トランプ
大統領は今週中にまとまると確認している」と話しています。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
どういうことなんだろう?
「味方してやるからレアアース寄越せ」という主張?
あ、そういうもんなの?アカラサマな?


引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
朝日新聞

中学生に紙の国語辞典を配布へ 「言葉が頭に入るようになる」
坂戸市長が教育効果を期待

 埼玉県坂戸市は新年度から、市立中学校の生徒全員に国語辞典を配る。
石川清市長は「スマートフォンやタブレット端末は便利だが、紙の辞書
を引いて読むことの方が大切。言葉が頭に入るようになる」と
教育効果に期待を寄せる。  辞書は1冊約3300円を見込み、
約2500人分を購入する予定で、約830万円の事業費を新年度の一般会計
当初予算案に盛り込む。  
中学生を対象にしたのは、市の調査で中学生(1~3年)の国語辞典
の所持率が2~5割弱にとどまっていたからだ。小学生(3~6年)
は約8~9割と、中学生より高かった。  
市教育委員会は「タブレット端末などで調べるより、辞書を引いて
苦労して調べた方が記憶に残るという調査結果がある。調べる時に
周りの言葉も目にするので、言葉に興味を持つ」と説明する。 
後略
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
辞書を引いて「苦労して」調べた方が記憶に残る
って、そんなことに苦労している時点でいろいろ問題があるだろう。
私も、紙の辞書を使って言葉を調べたら、本来調べるはずでは
なかった「前後の言葉」が目につくだけでもメリットだ・
と考えていた時期もあったが、結局は端末の辞書を利用しても
それを起点に芋づる式にいろいろ調べる人は調べるし、
紙の辞書でも目的の単語以外にはまったく目をくれない人も
いるだろう。要は使う側の人間がどんな奴か次第、と今は思っている。
紙の辞書のメリットは
●まず壊れないだろう
●端末より安い
●枕にもなる

引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
live door news
ネットカジノ問題のとろサーモン久保田かずのぶ「聴取されました」


 お笑いコンビ・とろサーモンの久保田かずのぶが21日、
パーソナリティーを務める渋谷クロスFM『とろサーモンの冠ラジオ
枠買ってもらった。』(後10:00)に出演。自身の現状について言及した。

 久保田は、スタジオの外に集まった観客・報道陣をみながら
「すごい人数で。こんな人気でたんかな」と外の状況を説明。
そして「まずは、現状を伝えさせてもらいます」として「まず、
Xの方で関係者、応援者の方に申し訳ないっていうことを書きました。
でも、切り抜きで『久保田が謝罪』みたいな感じの見出しで、
いつものごとくネットニュースで書かれてることに関しては、
ちょっと嫌な思いしてます」と正直な感想を述べ、「当初は新聞
に出た時に、激高してましたけども、今はもう、熱も通り越して、
冷めてる部分は正直あります」と明かした。
 そして、「正直言います。事情聴取があると聞きました。
行きました。関与をしてないと否定しました。
短時間で終わりました」と端的に説明。「で、刑事さんが、
『今後の聴取の予定はないと思います』ということを言われました。
その後に、余談なんですけども、『今度、劇場見に行かして
もらってもいいですか』って言ったんで、『はい、どうぞ』って
言って、終わりました」と伝えた。そして「その後、新聞に
出たので困惑はありました」と説明した。

後略
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
一連の騒動でやり玉に挙げられたうちの一人が(誰だか知らない人)
「あれだけ普通にネットでも宣伝をバンバンやっていたのだから
違法とは思っていなかった云々」とコメントしていた。
そりゃそうだろうな、と思う。
宣伝をしていた、ということはそれを載せていたサイトは
広告収入を得ていたということになる。
違法なものの宣伝を許可して金をとっていた訳だ。
余計にタチが悪いのではないか。
ともあれ、この騒ぎで「オンラインカジノは違法だ」と
多くの人が初めて認識することになったのは功罪の「功」だ。
で、
なんでパチンコはOKなんだろうか。






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GITANESのは香りではなくて匂い。
それも悪臭。
それとは無関係に・・・。

スーパーへ行ったときに、パンの棚に某商品が並んでいた。
いろいろな中身・ピーナッツバターやメンチカツ、たまごなどの具を
ミミなしの白い食パンで挟んだもの。
昔から存在していたし珍しくもなかったのだが、あれ、ちょっと
違うのが並んでいるなと思ったのは、「昔から知っていたメーカー
のソレではない商品」も並んでいたからである。
A社の「食パンで具を挟んだやつ」とB社の「食パンで具を挟んだやつ」
が並んでいたのだ。
なじみがあるのはA社のやつ。これはテレビのCMでも観たことがある
ほどメジャー。B社も同じようなものを作っていたのか、と初めて知った。
翌日の朝食用に、A社のものをひとつB社のものもひとつ買って
具は違うものながら、食べ比べてみようと思った。


さて翌日。
まずB社の製品の袋を破って取り出し口に入れようとしたが、
「なんか、匂いがおかしい」と気づいた。
続いてA社の製品も同じように袋から出して口に入れたが
これは何というか、慣れているからというか、無臭。
意識すると正確にはもちろん無臭ではなくて、慣れた匂い・パンの
匂いだった。
もう一度B社のものを顔に近づける。
匂いがおかしいといっても、その商品に問題があるような匂いではない。
傷んでもいないだろう。賞味期限もまだあと2日ほどある。
それでもなんか匂いがおかしい。

これはもうAとBという製パン業者の「パンの香りがそもそも違う」
からであろう。
B社の食パンに慣れている人からすれば、A社のパンなど臭くて
食べられないと思うかも知れないし、今までA社のパンしか食べた
ことがない人なら、B社のパンなど口に入れる気にもならないの
かもしれない。

焼きたてのパンの匂いは多分ほぼ全て「いい匂い」はずだが、
「パン製品」となると、それぞれの業者の匂い丸出しになり、
つまりそれらは「個性」なのだろう。
ここまで書いているうちに『至極当たり前のこと』だと改めて
気付いたが、パンって会社によってここまで違いが出るのかと
初めてわかった次第である。
というよりわかるのがちょっと遅くないか、自分。


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GITANESは読書のお伴。
それとは無関係に・・・。

同じ本ばかり繰り返し繰り返し、親がその様子を傍から見て呆れるほど
繰り返し読んでいた頃があった。小学生のころだった。
それはそれで十分に幸せだった。
ロビンソンクルーソー、十五少年漂流記、チョコレート戦争などが
そうだった。何度も読んで何度も同じ個所で気分が上がったり
下がったりした。
これもひとつの、正しい読書の在り方なのだろう。
そこそこ自由に本が買える今は、未読棚にあふれかえった本を
読むのに忙しいのだが、それでも再読する本も年間に20冊ぐらいは
ある。その行為は今でも愉しい。
もうチョコレート戦争を読むことはほぼないが、毎年1回ぐらいは
読んでいる。
これはもう本を読んでいるというより、昔読んでいた自分の姿を
ビデオのように再生し、「あの頃これを読んでいたときは近くに
姉がいて兄がいて、母がいて父もいて、『お前またそれ読んでるの?』
と笑われていた。」という光景ばかり頭に浮かんできて、
物語の内容に没頭するのが難しくなってきた。

「のらくろ上等兵」「のらくろ伍長」を開くと、それを買ってくれた
母方の祖父・茂さん(某大法学部を出て戦争に行った後植木屋)が
浮かんでくる。一升瓶を抱いている。
ロビンソンクルーソーを読めば夕食の支度をしている母のシルエット
が出てくる。
そうやって、懐かしい本の再読は当時の自分の再生スイッチが
入り、結びついた場所や人も、匂いや音付きで映像が再生される。

だから嫌なのだ、という日もあるし、別に何が思い出されても
平気な日もある。自分の内部の問題なのに自分でコントロール
できることではないようだ。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
ドミニクチェン/未来をつくる言葉_わかりあえなさをつなぐために

というタイトルなのに私とはわかりあえなかったようだ。
興味もないのに何の気なしにその本を買ってしまうという大失敗を
私は何度経験すれば身に沁みるのか。
本には何種類かタイプがあって、
●はじめは退屈なのに、終わり際になって怒涛のように面白くなる本
●つかみからぐっと掴まれ、最後まで行く本
●はじめは面白かったのに、どんどんしぼんでいく本
●はじめは退屈で面白くなく、とうとうそのまま終わる本
などに分かれる。
この本は・・・どうだろう。
とにかく世の中には「難しく難しくしか書けない人」がいて、
それは頭がよろしかったりするんだろうけど、さぞ不自由だろうなあ
と思う。


エッセイ集/ロイヤルホストで夜まで語りたい

タイトル通り、ロイヤルホストにまつわるエッセイを17人が
書いた本。前述の本を読んだ直後に読んだこともあって、こんな
分かりやすい本は助かるなあと単純に思ってしまった。
中には「お前、それほぼ全部嘘だろう?」というのも紛れ込んで
いたが、皆ロイヤルホストに思い入れがあって、かつ読めば
腹が減る。
一日で読める本という存在も重要なのである。


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GITANESは読書のお伴。
それとは無関係に・・・。

スピードはそれほど落ちていないはずなのに、どうも読書量が
落ちているような気になる。これは毎年2月の特徴である。
買う冊数は確実に増えていて、「どうしてこれを買ったんだ?」と
自分でもわからないような買い物もある。
だから未読が増える増える。


●森博嗣/つむじ風のスープ
森博嗣の本は2冊目。実は前に読んだ本も小説ではなく
日々のことを書いているものだった。それをエッセイというのか
雑記というのかよくわからない。まあエッセイか。
この人には多くの人が高く評価している小説がいくつもあって
例えば「すべてがFになる」などがそうだが、それらを一冊も
読まずにエッセイを読むよりも、小説を読んで興味を持って
それからエッセイに進んだ方がいいのかも知れない。
いや他の作家にも共通して言えることだろうか。
それでなければ「よく知らない人が、普通のことを言っている」
だけの感想しか出てこない。

●横関大/忍者に結婚は難しい
また「忍者」というキーワードで買ってしまった。
多分私は子供のころのまま、今でも忍者になりたいのだと思う。
これはすでに映像化もされていたようだ。
タイトル全体と表紙の漫画風イラストはさておき、面白かった。
でも一瞬で通り過ぎたような。

●清水朔/いくさじまた_臼杵戦役後始末
帯を読んでも単に「戦記物」かと思われたが、これはミステリー
小説である。
どちらかというと明治維新前後のモノが嫌いなので(だから坂本竜馬
などはホントにどうでもいい)、こういう時代のものは敬遠していたが、
なぜか読む気になった。
いくさじまた というタイトルがわからなかったのでネットで調べると
「戦始末」のことらしい。なるほど。


●ヘミングウェイ/移動祝祭日
生まれてから高校生ぐらいまで生活圏であった小さい町にも
何軒かの本屋があった。
たまにいく極小の本屋が2軒。そのうちの一軒では「のらくろ」
も買い、それは今でも持っている。
他は、幼馴染の家が営む本屋が商店街にあり、これは私が住む
長屋にいちばん近かったが、あまり行かなかった。
高校生の頃に新しくできた本屋は駅の近くにあり、通学にその駅を
利用していたのでよく行った。
そして、これも駅の近くで線路際にあったS書店という本屋があり
一生を通じてもっともよく行った本屋である。
町では一番大きいが、現在のジュンク堂などと比べると数十分の一
の面積だっただろう。それでも十分だった。
高校生の時そのS書店の棚で「華麗なるギャツビー」という文庫本
を見つけた。表紙はロバートレッドフォードだったと思う。
今ならディカプリオだろうか。書いたのはフィッツジェラルド。
多分映画「スティング」か何かを観た頃だったから、その流れで
「レッドフォードが出た映画の原作かな?」程度の認識で
買った。読み切ったのは覚えているがどんな感想だったか
まったく記憶にはない。
続いてフィッツジェラルドの何か短編集も買った。その中の
「カットグラスの鉢」という短編のタイトルだけは今も憶えているが
内容は印象深いものではなかったのだろう。
フィッツジェラルドよりもヘミングウェイの方が先に名前だけ
知っていたと思う。そして彼らは同じ世代の作家だと後に知った。
S書店の文庫の棚ではヘミングウェイとフィッツジェラルドは
隣同士で並んでいた。背表紙も苗字だけだったからそうなるだろう。
フィッツジェラルドを2冊読んだ後に続いて、並んでいたヘミングウェイの
「老人と海」や「日はまた昇る」に手を出さなかったのは
フィッツジェラルドの本が当時それほど面白く思わなかったからだろう。

ヨコハマホンキートンクブルースという曲がある。
原田芳雄や松田優作が歌っていた。作曲したエディ藩ももちろん歌う。
今では宇崎竜童と石橋凌が歌った動画もネットにあるし、なかなか
渋い路線の曲である。作詞が藤竜也。
「ヘミングウェイなんかに、かぶれちゃってさ~」
という歌詞が出てくる。そうか、ここでヘミングウェイがこんな
登場の仕方するんだなあと思っていた。
そういえばヘミングウェイやフィッツジェラルドは
「ロストジェネレーション」とか「ローリングトゥエンティーズ」
と呼ばれる世代に括られるのだ。そして松田優作の「インテリア」
というアルバムには奇しくも「ローリングトゥエンティーズ」
という曲もあった。

さてそれから40年。
ようやくヘミングウェイを読むことになった。
それも「移動祝祭日」は小説ではなく、彼が最初の妻と過ごした
第1季パリ時代の思い出を綴ったものである。
この中でフィッツジェラルドとのエピソードが結構なページを割いて
書かれていた。結構ボロクソに書きながら「あいつは大した奴だ」
とも言う。複雑な思いがあったのだろう。

これも「小説を読む前に小説以外を読む」ことになってしまった。
それでもこの「小説以外のもの」は「小説」だった。
まず訳者による解説を読み、そのあと本編を、そして最後にもう一度
解説を読んだ。
20年代のパリ時代を彼は30年後に回想し書いたとのことだ。
だから今から100ほど前のパリの情景である。
それから数か月後に彼は亡くなっていて、死後発表された本である。

最終話は「パリに終わりはない」という話だが、その終わり方が
息苦しく甘い。










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GITANESを一本くれ、と言われて親父に差し出したが
味の感想はとうとうなかった。
それとは無関係に・・・。

対面でも電話でも、私は低い声でボソボソ喋る。
意識的にそうしているのではなく、もうそうなっているのだ。
しかし、例えばほぼ初めての人で、それなりの礼儀を尽くそうと
思った相手と電話で話す場合では、まったく違う様子になっているらしい。
もう十数年前、オヤジが亡くなったときには仕事で関わった方
数人からお悔やみの電話をいくつも頂戴した。
その時の応対では2,3人から電話で絶句されたのを覚えている。
別にその相手が悲しみのあまり声が出なかったのではない。
あまりにも私の声や喋り方がオヤジとそっくりだったからである。
これは私がいつもの調子で電話応対することが憚られたので
ゆっくり丁寧に話したせいだ。
亡き父の知人、それもわざわざお悔やみの電話をいただいた相手だから
最大限の敬意を表したのと、ボソボソと喋って「は?」と聞き返され
たら面倒だからである。
「ご丁寧にありがとうございます。大変お世話になった方だと
生前から父より聞いておりまして・・・。」
などとこちらがあいさつし始めたところ、しばらく絶句され
「・・・亡くなったって担がれてるのかと思いました・・・
あまりにも父上とそっくりな声と調子だから・・・」
とびっくりされた。
今でも親父の妹(叔母)たちからの電話に応対したとき
「お兄ちゃんかと思った!あんたそっくりやな!」と驚かれる。
こちらはまったく意識していない。
意識していなくてもそうなってしまうというのは、やはり「血」
なのか。それとも父子として暮らしていた環境がそうさせるのか。


フィットネスバイクに乗り、アマゾンプライムで何か観ながら
漕ぐのが日課になっている。
昨晩はNHKドラマ10で放映されているというドラマ、
「東京サラダボウル」を観ていた。
その中で、松田龍平が肘のあたりを(服の上から)掴まれていて
その手を振り払うコンマ数秒のシーンが強く目に焼き付いた。
振り払う左手の所作が優作そっくりだったのだ。
これも無意識な血なのか、環境なのか、そうしようとしてやった
ことなのか。それとも左手がそもそもそっくりだからなのか。
左手に父親が乗り移ったようなシーンだった。
そのシーンを観ながら、電話で父と間違えられる場面を
思い出した次第。







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GITANESがないだけでもマシなんだろう。
それとは無関係に・・・。

どうも無駄でダメな日常生活を送っているなあと自覚している人は
多いと思う。間違いなく私もそのうちの一人である。
特に寝る前の過ごし方が無駄としか言いようがない。

仕事から帰るのが19時半頃。
食事が終わり20時半にはコーヒーをドリップして飲む。
父母の遺影前にも供える。といってもエスプレッソ用のカップ
だから少量だが。
ここまではそれほどおかしくもない。問題はここからだ。
21時半頃から眠くなる。だから床に寝転がってウトウトする。
薄いカーペットがあるものの、ほぼ床にダイレクトに寝転がる
もんだから、背中や腰が痛い痛い。
1時間ほど経過したら目が覚める。毎日「アカン、また寝てしもた」
との小さい反省をして、起き上がりフィットネスバイクに跨る。
アマゾンプライムビデオというのか、あれを観ながら30~60分
漕ぎ続ける。自転車を「漕ぐ」がサンズイなのが嫌だなあと
思いながら漕ぐ。
床で寝てたせいで痛かった背中は、バイクを漕いだ結果の痛みに
変わる。
その後一旦書斎。一冊本を選ぶ・もしくは読みかけの本を手に取る。
本を読みながら入浴。浴室暖房のせいもあって暑い。
出る。
本を読みながら書斎で歯磨き。
その後キッチンへ移動し湯を沸かす。カップ1杯分だから少量。
すぐに沸く。
サーモスの蓋つきマグカップに湯を注ぎ、リビングへ移動。
テレビの録画を観ながらネットにもアクセスしながら本を読む。
時折カップの白湯を飲もうとするが、サーモスだからまったく
冷めておらず、熱い。唇の裏側を毎夜ヤケドしながら白湯を飲む。
寒いのでブランケットを身体に巻きつけて、何の生産性もない
ことばかりする。
たまに仕事する。思いついたことを手帳に書き留めたりもする。
時計を見たらもう3時。
慌てて布団に入る。ああ疲れた。10分程度で眠ってしまう。
8時に起床。眠い。
一日中眠い。

だから仕事が終わって晩飯が終わると眠くなってウトウトして
「これではアカン」とバイクを漕ぎ、風呂に入る、白湯を飲む、
アカン3時や!と寝る、以下略。

わかっている、無駄なことをしている。
分かっちゃいるけど。





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GITANESは、挟んだ指が熱くなるまで吸うのが作法。
それとは無関係に・・・。

セクハラとかパワハラなど、単語だけでもすぐに何のことか想像が
つくものだが、ここ最近では「マルハラ」というのもあると聞いた。
ハラ というのだからハラスメントなんだろうけど、と思っていたら
なんと「マル(句点)ハラスメント」だという。
「文章に句読点が入っていたら冷たく感じる・威圧感がある」から
嫌だ、という「ハラスメント」らしい。
野坂昭如の書く文章のように、文字がどんどん並んでいくのが
いいのだろうかというと、それとも違うらしい。
とにかく 、 や 。 は冷たいと。
そもそも読点(、)は文章が読みやすいように打つもので
一文字空けと同じ。句点(。)は文章の区切りをわかりやすく
するものである。マルハラなどと言う種類の人は、すべて
一文字空けで表現できると思っているのだろうが、そういう
バカは放っておくのがいい。
そういう文章が読みたくないのなら読まなければいいのであって
その不利益も本人が被ればいいだけのことである。
。が冷たい・威圧感がある と言っても、そうするために
文章を冷たく終わらせることも多い。通達の類はみなそうだ。
。 で終わってその次に「以上」で〆ている文章など
「議論の余地はない」というニュアンスを醸し出しているからこその
「。」であり「以上」なのだから、そういう文章を読んで
「冷たく感じる」「威圧感がある」と感じたのなら実は正解で、
その感覚を持っているということは間違いではないのだ。
要は「文章が冷たいからって、何の問題があるのだ?」という点である。
お友達になりましょうという文章でもあるまいに、特にビジネス
とりわけ内部の文章ならば、内容や言外のニュアンスがくっきり
わかるその(句読点を打つという)方法が適しているのだ。
苦手なら苦手と思っていればそれでいい。
書く側が「マルハラ」と言い募る側の機嫌を取って迎合したいなら
そうするのも自由である。句読点を完全に取っ払って通じる世界を
作ればいいと思う。私はその世界に足を踏み入れることはない。

ついでに、
仕事上の文章、とくに社内での文章を書くときに、やたら難しい
表現をしようとする人がいる。難しい表現ではない。難しい表現を
しようと頑張っているという意味である。
知ってる限りの一番難しい単語や言い回しを使い、漢字もたくさん
たくさん使い、自分が考え得る最も「難しそうな立派そうな文章」
を書こうとして悪戦苦闘する人がいるものだ。
そういう人の文章をたまに「これでいいか添削してくれ」と頼まれる
こともあって、添削してくれというから本気で添削した結果、
A4で2枚程度の作文が、用紙に半分程度になってしまうことがある。
これも無駄あれも無駄、これは言い換える、もっと簡単に言い換える
と添削するうちに、「文章の難しそうな脂肪分」は取り払われ
すっきりスリムになってしまうのである。こうなると作文者は
結構がっかりするかも知れないが、文章が読みやすくなるための添削
なのだから、それでいいではないか。しかし、あまりにも別物になって
しまうのも申し訳ないからひとつふたつ、「難しそうな単語」をわざと
残すこともあるが。

またついでに、「報告書」や「提案書」、「予算編成時の要点」という
種類の文章なのに「・・・」を使う人もいる。
例えば「~昨年度対比では●●%ということになっているが、
これはコロナ騒ぎという面もあったので・・・。」
というような使い方である。
私信、ラブレター、日記の類ではないし、口頭説明の書き起こし
でもないのだ。どうして「・・・」が使えると思うのか。
やはり「読まない人は書けない。書かない人は読めない。」
ということなのだろうか。

というような感じで、組織内で私に寄せられる文章には日々
イライラすることもある。
だが、私が差し出す文章は「マルハラ」満載で、文末が「以上」
になっていることに「威圧感」というストレスを感じている者も
いるのだろう。

つまり、引き分けか。






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GITANESはまったく甘くない。
それとは無関係に・・・。

学校帰りの横断歩道の記憶私はあっちへ渡って、
友達あるいは彼女や彼氏はここを左に曲がる。

「それじゃあ」とどちらかが切り出すまで、何度も何度も
青信号をやり過ごし、ただそこに立ち止まったまま、
自転車にまたがったまま、別に明日でもかまわないような、
まったく急ぎではないくだらないことをいろいろ話す。
二人とも冷たい風が吹く方向に背を向け、横断歩道の前で
ひたすら喋る。
先生がどう言ったとか、うちの猫がどうしたとか、
試験がどうだったとか、あいつのあの言い方はないだろうとか。
いくらブロッコリーでもあんなに要らないとか、
オヤジとおふくろがケンカしてるとか、あ、ちょっとイヤホンを
左だけ寄越せとか。

寒い。マフラーでほぼ顔は隠れてるが、きっと相手も笑ってる。

明日もきっとこんな感じだ。
じゃあ明日は肉まんをひとつだけ買って、48:52ぐらいに割って
彼女には大きい方を差し出そう。


暗くなるのが恐ろしく早い。
毎日の根拠のない万能感と、同じぐらいの不安感を無視するように、
またしばらく話し、「じゃあ、また明日」と、やっと別れる。
立ち漕ぎの自転車で横断歩道を渡り、坂を登った。
・・・・・・・・・・・・
人生の、どの頃に戻れるなら
という設問はたびたび耳にするが、
別になんでもなかった普通の日の、
その横断歩道にかえるのがいいと思う。


今日も寒かったですね。



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