the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 



GITANESを買い忘れていたことは最大の事件だった。
それとは無関係に・・・。

忘れたはずが
と言っても、「もうあの人のことは吹っ切れたハズだったのに・・・」
的な色艶のある話ではない。単純に忘れ物の話である。
スマホをリビングのテーブルに置いたまま会社に来てしまった。
『こんなところに置く日に決まって、忘れていくんだよなあ』
と思っていたらその通りに忘れてきた。
クルマを始動させて5分ぐらいだったから、十分引き返す時間は
あったのだが、もう道路の流れに乗ってしまっているしなあ、と
考えながら運転していたら、呆気なく会社に到着してしまった。
さて不便だなあ、スマホはやっぱり要るよなあ・・・
と上着のポケットに手を突っ込んだら、そこにスマホがあった。
いや、こんなところに入れた覚えは欠片もないのだ。それなのに
あった。誰もこんなところに入れてくれないから自分で入れたの
だろうが、まったく記憶にないのだ。

あ、イヤホンを置いてきてしまった。あれがないとコンビニまで
歩くときや、休憩室でバリアをはりながら休憩する際に不便なのだ。
どうしよう、コンビニかどこかで安いのを調達しようか
と考えながら、財布を取りだそうとしてカバンを開けたら
そこにイヤホンもあった。
これも自分でそこに入れた記憶がまったくない。
あ、万年筆のインク補充用のスポイトを忘れたと思ったら
これもカバンに入っていたし、あ、昨日書斎でいじっていた手帳!
あれがないとアカン!デスクに置きっぱなし!と思ったが、
これもまさかカバンにあったりして、と思ったら、カバンではないものの
コートのポケットから出てきた。

いやそれらは結果的に忘れ物にはならなかったのだ。
しかし、まったく記憶にないままにそれらをカバンやポケットに
ちゃんと入れたということ自体が「忘れ物するよりヒドくないか?」
と思えるのである。
忘れ物による自分の被害は一切ないのに、そういう次第で
精神的にはダメージを少なからず受けている訳だ。

忘れたいことだけきっちり忘れられて、覚えておきたいことは
ずっと覚えておきたい。
でも、覚えておきたいという願望が叶えられるかどうかもわからないから
どこかに記憶しておく必要がある。例えば手帳に書き留めるなどの
方法でなんとかしようと考える。
で、その手帳自体をどこかに置き忘れてしまうんだろうなあ。
二重三重の備えをしても、「忘れる」というどうしようもない現象
の前では無力である。
忘れる・が最強なのだ。

で、実は結びになかなか気の利いた結び方を思いついていて、
それに向かってここまで書いてきたのに、すっかり忘れてしまった。
まあいいか。



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GITANESが常にポケットに一箱、カバンに一箱、
机にワンカートンというのが日常だった。
それとは無関係に・・・。

恐るべきことに、もう年が明けてから1週間以上経過してしまった。
なんということか、全人類は寿命が尽きるまでの日数からすでに
1週間も消費してしまったのだ。これは大変なことだ、急いで
忘れよう。

一昨年の年末(12月の半ば)から、取引先各位にCCで
御礼とごあいさつというメールを送信するようにした。
内容は、今年一年の御礼と来年もよろしくというものだ。
非常に礼儀正しいではないか、私。
ところが真の目的は外にある。
何度も何度も何度も何度も書いているが、無駄なあいさつ回りを
撲滅したいだけなのである。
歳暮を頂戴して、2,3週間経ったら年末のあいさつにいらっしゃって
元日あたりには年賀状も届いて、そして年明けすぐに年始のあいさつに
入れ替わり立ち代わりいらっしゃる。
これらのどれかは確実に無駄、本音を言えばすべて要らんことなのだ。

『年末年始はあいさつまわりが仕事だ!』と営業マン心得を忠実に
守っているのか、旧弊からなかなか脱却できないのか知らないが
挨拶を頂戴する側としてはそんなことばかりやっていられないのだ。
忙しいのだ面倒くさいのだ声が枯れるのだ咳が出るのだ立ったり座ったり
が煩わしいのだうれしそうな顔を作るのが大変なのだ同じような話を
するのが億劫なのだ。
それでももちろん大歓迎な芝居を完璧に演じるのだが、各営業マンの鑑
諸氏が「一日に何十件も廻らないといけないのが大変だ!」と
思っているのと同様に「一日にそういう人が何十人も来られる」のも
なかなか大変なのである。
これはもう分数の約分みたいにできないか、相殺できないのか。
これが毎年の不思議、毎年のストレスなのである。
もし、せーの!でやめることができれば、年末と仕事始めの日の
渋滞がかなり減る。ガソリンの消費は抑えられ、交通事故も減る。
本来の仕事にみんな集中することができる。
やることがないのなら休みを増やせばいい。
まことに良いことづくめではないか。

だから、そのあいさつのメールは署名のあと追伸として

「年末年始のごあいさつにお越しいただくのは恐縮ですので
本メールでごあいさつに代えさせていただきます。」
と添えている。言外に「来るに及ばず」ということだ。

このメールを送ることによって、相手側はいくつかに分類
できるようになった。
一番多いのは「そのメールに対し、挨拶メールを返信する人」
である。
そのほかには
「反応がない人」
「メールに対し、電話をかけてきてメールの御礼とあいさつをする人」
「そんなメールに関係なく年末にも年始にもやってきて、口頭で
メールの御礼を述べる人」
やっぱり来社する人はもう何の手立ても効かないのだろう。
諦めるしかない。自分だけは特別なのだと思い込んでいるようだ。

一番やっかいなのは、私の事実上の「訪問辞退」のメールにも
かかわらずやっぱりやってきて、その時こっちが留守だったので
ごあいさつというスタンプを押したメールを置いていき、私が
戻っていそうな時間帯を見計らって電話をかけてきて
「さきほどお留守だったので」とあいさつし、また後日やっぱり
会社にやってきて「名刺やお電話でのあいさつで失礼したので」
と結局直接あいさつの儀式を強行する、というスタイルの人で
目下これが最強最恐である。
もう「謹賀新年」のかわりに、「立入禁止」という四文字を
どこかに貼っておくしかないのかも知れない。





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GITANESをひたすら吸っただけの宴会もあったなあ。
それとは無関係に・・・。

興味深い記事を発見したので紹介する。
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
引用
読売新聞

企業の宴会回帰鮮明…「宴会も労働時間」は10%、
忘・新年会はコロナ禍後で最多の58%に

 東京商工リサーチ横浜支店は、神奈川県内にある企業の忘年会、
新年会の実施状況調査の結果を公表した。実施企業がコロナ禍後の
最多となる一方、宴会を労働時間とする企業もあるなど、働き方の
変化が浮き彫りになった。 
中略
 忘・新年会を「実施する」企業は58・6%で、調査開始以降、
右肩上がりとなっている。実施理由は「親睦を図るため」が最多で、
宴会への回帰が鮮明になった。
 「コロナ禍前は実施せず、今回は実施する」企業も20・3%に上った。
同支店は、コロナ禍でリモートワークが定着したため、
「対面で交流する価値が見直されているのではないか」とみている。
 一方、「宴会時間を労働時間とする」企業も10%あった。
同支店情報部の森沢章次課長は「社員の会社への帰属意識の低下と、
お金をかけてでも社員同士を交流させたい企業の狙いが交錯している」
と分析した。
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
ちょうどタイムリーな話題なのだが、忘年会・新年会。
現在出欠を問われているが態度を保留していう最中なのだ。

もともと私は職場の宴会が嫌いで、それは私自身がまったく酒を飲まない
ことと、好んで飲む奴らが酔ってしまった以降、本当にいつもいつも
面白くないからである。
「無礼講」などと言うが、この世に無礼講など存在しない。
少なくとも部下が上司に無礼をはたらくことが通るなんてことはない。
絶対にない。
逆に上司が部下に対して、いつにも増して無礼になるのは許される。
普段は多少控えているが、酒を飲んだら「何を言っても許される。
なぜなら私は上司で相手が部下で、そして酒の席だから。」という
ことなのだ。

入社してから30年以上も経つと立場も変わる。私が現在そういう席に
出たとしても、ほぼ上司はいない。はっきり言って部下ばかりである。
「上司が何人もいる宴会、仕事場の延長としか思えない宴会なんて楽しいかあ?」
という考えは今でも変わっていないが、自分自身が「お前らがいるから
楽しくないのだよ!」と思われる側なのである。つまり楽しいわけが
ないのだ。これには多分反論できないだろう。
だって、くじ引きで決まって仕方なく私の前に座った若い衆など
ちょっとだけ料理を摘まんで、あとは大量に残っていようとどうしようと
早々にまったく箸をつけなくなり、酒を飲むでもなく(これは嗜好
だから仕方ない)ほぼ自分からは喋らない。盛り上げるべく喋るのは
こちらの仕事で、「ほら遠慮しないで」とか、「飲み物ないね」とか
気を遣うのはこちらの仕事であるらしい。
ね?
若い頃も楽しくなかったが、オヤジになっても違う意味で楽しくも
なんともないのである。
いろいろ事情もあるだろう。中間に位置する管理職からは
「会社の宴会は業務の一環だ」という有言無言の圧力もあるらしいし
無礼講とまではいかないが、ちょっと弾けただけでも後でいろいろな
説教を食らうのではないか、そんなことならあまりしゃべらず
ただ時間が過ぎるのを待とう・と考えるやつがいてもおかしくない。
いや普段からそういうスタイルで業務にあたっている部署も
あるのだろう。つまらん。
新聞記事によると、4割ほどの会社では忘年会新年会をやらないという。
また1割の企業が「宴会時間を労働時間とする」というから、結局みんな
「宴会って、仕事だよね」と思っている証拠だ。
ならば無礼講などなくて当然である。
そもそも、「酒に酔った失態、暴言失言、態度」は、酒の上でのことだから
と無理やり許さなければならないという集団圧力がかかっているだけで
本心は許されていない。少なくとも、「許されるかもしれないが、
決して忘れてくれない」のである。

というような次第で、なあ。
本当の意味での自由参加にすればいいのに。でも「じゃあ私、
行きませんので。」と先輩や上司に正面から言える人間も稀有だ。
だから先陣を切って「上司の私は辞退します」と言うべきかもなあ
と考えている今日この頃である。


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GITANESを休止してもうそんなに経ったのか。
それとは無関係に・・・。

「十年早い」というフレーズがある。
私も社会人になってしばらくの間に二、三度言われたことがある。
質問の内容がキャリアと合ってないとか、もっと下働きのことだけ
に集中していろ、というような意味だろう。もっと簡単に言うと
「生意気だ」ということになる。
そう言われていたころからもう30年ほど経つのだが、なんと
今でもそのフレーズは使われているそうなのだ。
大体そんなことを堂々と言っている者は馬鹿に違いないのだから
まともに取り合わなくてもいい。また、馬鹿であるからその
バリエーションとして「百年早い!」と言い放つこともあったらしい。
亀や鶴ではないのだから百年も待てず、優秀な人類は転職していく。

言われた若手側はふと考える。職場を見回して10年選手、
20年選手を探して思う。「自分は10年経ってやっとアノ人
程度になるんだろうか」「20年我慢して、目指すのがアノ先輩?」
と考える。そして、目先の利く者はいち早く出ていき、そうでも
ない人は残る。これが「十年早い」というセリフの効果である。
もちろんマイナスの。
「十年早い」なんて言われるよりも「1週間遅い!」と言われる方が
発奮するという人もいるだろう。つまり「どんどん来い!」という
ことだ。
そういう組織が強そうな気がする。

と、自己啓発本風なことを書いてみた。

※ちなみに、「10年早い!」と言った人は、その1年後ぐらいに
「お前ももうそれぐらいできるようになれ!」と新たな説教を
くれた。
どっちやねん。





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GITANESが流行語になる時代がきっとくる。
それとは無関係に・・・。

流行語大賞の年間大賞が「ふてほど」やて。

「ふてほど」って、何?
流行ったの?
「ふてほど」って、何?
流行った?
ひょっとして、ずっとテレビ観てないとわからない系?

ふてほど って何?


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GITANESを吸うのが休憩なのか。休憩だから吸うのか。
それとは無関係に・・・。

会社にお茶を飲んだり昼飯を食べたりする部屋がある。
そんなに広くもないが狭くもない。
頭数を考えたらそこそこ広いのではないだろうか。
一斉に昼休憩をとる訳にはいかないので、順番になる。
外食する者もいれば弁当を持ってきたりコンビニで調達する人もいる。
私は誰かと外出する以外は勝手に昼休みをとる。
そこそこの広さがある休憩場所と言っても、昼時には席が埋まったり
するから、その時間帯は外している。空いている時間帯だ。
それなのに。
頻繁に時間が合う人がいる。それは偶然でもあろう。それぞれ
都合に合わせ休憩をとっているだけなのだ。それなのに。
ずらしても合う。ずらさなくても合う。
もっとずらしても合う。多分時間を早めても遅くしても
ちょうど会う。
いや、誰と一緒に食べるのが嫌だとかそういうことではない。
誰でも全然構わないのだが。
どうしてそんなに時間が合うのか。いやがらせか。
いやいやそんなことはない。
13時に行っても合う。13時半にしたら、そのうち合うように
なってくる。14時にしてもだんだん重なる。14時半でも
同じだ。
いや別に嫌がってはいない。
唯一嫌なのは「休憩時間に仕事の件で話しかけられること」
である。
休憩やで?
仕事での雑談も自然に出てくるだろうし、それを全否定するつもりは
ない。それでも、仕事の件で話しかけられるときは
「何かの解決を求められている」「指示を求められている」
ことが多いのだ。
私は様々なカップヌードルを平和にすすり、様々なおにぎりと
真剣に向き合いたいだけなのだ。
何が悲しゅうてそのタイミングで仕事のことを振られて、どうするべき
とかそうするべきとか言わなければならないのか。
だから最近ではとんでもなく時間を外したり、とりあえずイヤホンを
耳に突っ込むことでそれらの不幸を回避するようにしている。
「ちょっといいですか?」と言われても、「よくないです」と
答え、仕事関係だったら「じゃあ後ほど時間取りましょう」
にする。
それでまた、カップヌードルの平和な湯気と戯れることが
できるのだ。
万歳、カップヌードル。


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GITANESはそれほどしつこい味ではないのに
ずっと残る。
それとは無関係に・・・。

自宅のwin10パソコン。
そのパソコンに定期的に訊かれるのが
「win11にしませんか?」
という問いかけである。しません。
まったくその気がないのに、最近では
「win11にアップグレードする準備ができてまっせ」
という言い方をしてきた。
いやもうそれが既定路線だという口調をやめていただきたい。
なんど尋ねられてもやらないのだ。
だから「しません。何度言われてもやりません。二度と同じことを
訊くな」という選択肢も要るのだが、そんなものがある訳もなく
しばらくしたらまた同じ問いかけをされる。
win11に乗り換えたくなったらこっちから申し出るから
黙ってろ・というのが今の心境である。

セキュリティソフトで
「セキュリティがまだ万全ではない。完結させろ。」
というメッセージも表示される。そりゃあセキュリティは
万全な方が良いに決まってるのだが、「はい」を選ぶとすると
「じゃあ閲覧範囲に制限をかけるね」という意味の文言に
チェックが入っている。それも無駄なことだ。
だから「セキュリティが万全ではない」のだろうけどそれは
こっちが選択した結果のことだ。放っておいていただきたいのに
何度もこれが表示される。
うるさいのだ。

スマホで撮った画像を、一部クラウドに保管している。
それを
「自動的にバックアップしますか?」としつこくしつこく
質問される。
いつも「しない」を選択する。
数日後「自動的にバックアップしますか?」と問われる。
しない。
しますか?とまた問われる。
しない。
しますか?
しない。
しますか?
しない。
しますか?
お前、アホやろ?


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GITANESで自分をごまかすこともできない。
それとは無関係に・・・。

昼飯時に、大体12時30分ごろか
腹が鳴る。腹がなるというレベルではなく
奇怪な音がなる。ちょうど
「視聴者から寄せられた面白ビデオ・動物特集」の類のテレビ番組
で、たまに「喋る犬」みたいなのがあるが、
犬が「こんにちは」と喋っているように聞こえる・
ように聞こえる腹の音である。
もうこれはなかなかレアなことで、人間の真似をする犬を真似
する人間の腹 ということになる。
うまくいけばこれで世界を行脚し生計を立てていけるのでは
ないかという思いも一瞬頭を過ったが、それで成立させようと
すると、かなりの時間は腹が減った状態でいなければならず、
せっかく金を稼いでもずっと腹が減っているのでは本末転倒だと
辛うじてそのような冒険を理性が抑えている状態である。

とにかく虫抑えはデスクの抽斗の中に何種類か備えているが
最近新しく加わったのがこんにゃくゼリー系の食品である。
なんといってもローカロリーなのが素敵だ。腹の中の犬を
抑えるためにこっちが太っていったのではどうしようもない。
その点こんにゃくは強い味方になる。

腹の犬が喋ったので早速ポーションを開けひとつ味付きこんにゃく
を口にいれた。美味いではないか。美味い上にローカロリー。
大したものだ。

ところが犬は喋り続ける。
もうひとつ食べた。犬喋りやまず。
結局、犬を黙らせることと美味いこととローカロリーであること
はそれぞれがそれぞれにまったく影響を及ぼさないことが
わかった。少なくとも強力に腹が鳴っているときに
味付きこんにゃくぐらいでは効き目がないということだ。
やっぱり腹の中の犬は高カロリーの物が好きなようで、そこは
奇遇にも私とまったく同意見なのである。
ということでさきほども味付きこんにゃくを食べて、またすぐに
じゃがビーの封を切った次第である。


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GITANESはただのタバコです(になります)。
それとは無関係に・・・。

「~になる」「~になります」という言い方に
多くの人が違和感も感じながら、もう普通の表現として
扱われているように思う。例えばこんな感じである。

●昔々ある店で同伴者(平たく言えば前妻だ)がグラスワインを
注文したのだが、どう見てもワインの中に異物がいくつか漂っている。
通りかかったスタッフさんに
「これって、何でしょうか?」と尋ねたら
「少々お待ちください」とグラスを持って一旦奥に引っ込んだ。
しばらくして戻ってきた彼女が言った。
「こちらコルク、となっております(キッパリ)。」
つまり、『お前が異物だと思った物体の正体がわかった。これは
コルクだ。』という意味。栓の一部がこぼれたのだろう。
いや、そうなんだけど
『コルクとなっております』という答えでは、例えば
『この年の●●ワインなんだからコルクが混入しているのは
当たり前でしょ?あら、さてはそんなことも知らないの?』風に
聞こえる。または『見りゃわかるでしょ。コルクだよ』という
意味だったのか。
とにかく取り換えもなくゴメンでもなかったのだから
「ほら、これがデフォルトだ。飲め。」と言われたに等しい。
その後それを同伴者(平たいく言えば前妻)が飲んだのか、
飲んだとしたら口に入ったコルクをどうしたのか、もうまったく
記憶にない。

●何度か前の国政選挙。
投票所から出ると一人の女性が近づいてきた。
すぐに「出口調査だな」と分かった。
彼女に声をかけられた。
「朝日新聞になるんですけどぉ。」
一瞬何を言っているのかわからなかったので「はい?」と
訊き直した。
「あの、朝日新聞になるんですけどぉー」
そうか、『朝日新聞の者ですが、』と言いたいのだなとわかったが
どうにも「ですけどぉ」という語尾が気持ち悪かった。
『朝日新聞の者ですが出口調査にご協力ください』との声掛け
なら協力する可能性は限りなく高かった。
それなのに「朝日新聞になるんですけどぉ」なのだ。
いやしくも言葉を生業にしている組織なのに、こうも言葉に
雑なのか。アルバイトさんだろうけども。
だからつい、
「なったらええやんか。」と答えてしまった。
「はい?」
「『朝日新聞になる』んやろ?なったらええやんか。頑張ったら
ええやんか。」
彼女が絶句したのもほんの一瞬で、すぐにほかの人に声を
かけに行っていた。

その数年後の国政選挙時にも出口調査の人がいて、
「おはようございます。読売新聞ですが出口調査させてください」
と声をかけられた。朝日新聞になるんですけどぉ と比べると
はるかに普通で十分丁寧だった。だから真剣に答えた。

「内緒。」




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GITANESはどう考えても、長さも太さもおかしい。
それとは無関係に・・・。

20年ほど前に買ったベルトがあって、転居を挟んでも
ずっとクローゼットのベルト置き場に鎮座している。
鎮座だけしていて、まったく使わない。
その理由は
「微妙に太い」からである。
別に、微妙な太さの問題だけなら使用してもいいのだが
問題は
「どんなパンツのベルトループより、ちょっと太い」
のである。
スーツでもジーパンでも軍パンでも、「ループよりちょっと太い」
のだ。
それも、無理すれば入るほどの微妙加減。
ちょっと指で反らせておいて、ぐいっと腕力で引っ張れば
入らないこともない。
しかし、これではとくにウール系のパンツなどの場合は
確実にループが傷んでしまうだろう。
脱いでからも、ぐいっと力をこめて引き抜く作業が必要だ。
このベルトを有効に使おうとするなら、ズボンを穿いた後
ループなんか通さずに、ぐるっと腰に廻して強引に
留めてしまうしかない。
しかしそうなると、右も左も後ろ右も後ろ左もポケットが
使えなくなる。
いやポケットの使用に干渉しない位置まで上げればいいでは
ないかと思うかもしれないが、そんなに上部に巻いたなら
何かの拍子にベルトは腹の方にせり上がり、結局は何の役にも
やっていない革の腹帯を巻いているオヤジになってしまう。

どうしてGAPはあんなのを作ったんだろうと、今でも
たまにそのベルトを手に取って暫し眺めている。
眺めるだけで使用することはない。だって、太いもの。

ちなみに、その頃GAPで買ったパンツのループよりも
太かったような記憶がある。
ちゃんと使おうとするならもうあとは鑿や鉋で削って細く
するしかないのだが、そこまでしてなあ・・・
と面倒だから毎度毎度諦める。
そして今日も微妙に太いベルトはクローゼットに鎮座していて、
おそらく2024年も使用機会なしに終わるだろう。
アウトレットで買ったから多分1000円台だったから
そんなに悔しさはないのだが。

あ、使いにくいからアウトレットに流れたのか。





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GITANESは犯罪的な香りをばら撒く。
それとは無関係に・・・。

小中学校ではやや引っ込み思案と思われていたA君、
実は物心ついた頃から変わらず好きなものがあった。
それはバイク。
もちろん幼少期に排気量云々のことなどわからなかったが
とにかくカッコイイと思っていた。
近所に住む憧れの、かなり歳の離れた従兄が乗っていたバイクは
いつも磨かれピカピカだった。
従兄がA君を抱き上げバイクのシートに座らせてくれたとき
背筋にパチパチと電気を感じるほどうれしかった。
大きくなったら絶対に乗りたい!と思った。

高校はそれなりの進学校に進んだ。成績は中の上あたり。
部活は陸上で長距離が得意だった。
アルバイト禁止の学校だったから勉強も部活もそれなりに
頑張った。
友達も数人いて、たまに一緒に出かける女子の友達もいた。
全体的には目立つ存在ではなかった。
でも学生生活は毎日楽しかったし、それで十分だった。
両親は比較的ものわかりのいい人間だが、それでも
隠れてアルバイトすることは許さないだろうし、
だからとにかく早く大学生になりたかった。
アルバイトができるから。
それは自分でバイクを買う目標に近づくからだった。

念願の大学せいになれた。第一志望の学校だった。
親も喜んでくれた。さすがにバイクを買ってくれるという
褒美はなかったが、アルバイトすることには何の反対もせず
むしろ「一人暮らしして、自炊して、アルバイトして、
勉強もする。こんなに忙しくて自由で貴重な時期を
ムダにするな。ほら、働け。学べ。遊べ!」とけしかけた。

愛想よく笑うことは苦手だったからファストフードでの
アルバイトは除外した。
随時アルバイトを募集していた印刷屋が学校の近くに
あったから、その会社にアポなしで行ってみたら即座に
採用された。
ほぼ、あっちの重い荷物をこっちにやり、こっちのアレを
あっちに運ぶという作業だったが苦にならなかった。
無理矢理スマイル、と言われる方がゾッとした。

2年ほど真面目にアルバイトをした。
それまで持っていたおカネとあわせ、念願のバイクが
手に入った。
すぐに海まで走った。山道も走った。
まだ汚れてもいなかったのに、ヒマがあれば古いTシャツの
切れ端でバイクを磨いた。買った時よりピカピカに
なっていたと思った。

週末は自宅まで走ろうと考えていた。
両親に「普通に育ててくれてどうも。」と感謝を伝えたかった。
あの従兄は今でもバイクに乗っているという。
彼にもこのバイクを見せたかった。


アパートの階段を、ヘルメットを被りながら降りた。
バイクはなかった。
どこにもなかった。
何が起きたのかわからなかった。やがて
「バイクが盗まれた」と悟った。目の前が真っ暗になった。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

というストーリーがあったとして。

この話を反対側から見ると
「盗んだバイクで走り出す」
となる。
それを高らかに歌う側だ。


何があったのか知らんけど、乗りたかったら自分で買えよ
とA君はじめ多くの人が思うことだが、曲がりくねって
美しくなってしまった歌は存在してしまい、盗まれた側の物語
には誰も関心がない。

私はどちらの経験もないが、A君頑張れと思う側である。

つまり、普通の人間である。






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GITANESの煙を吐くスピードの方が速い。
それとは無関係に・・・。

別に自分がジョギングをするという話ではない。
やってきた台風の速度の話である。
もうかれこれ1週間ほども台風の進路や被害予想が
きにかかり続けている。
時速10キロ程度というではないか。
ほんとにジョギング並み。
急いでない人のママチャリ並みである。
台風が居座るもんだから、雨がなかなか止まず
被害は増える。
どうもこの台風は、暴風圏の外で雨の被害が
出ているらしい。
自宅近くは田んぼに囲まれたような場所だから
道路が冠水することが数年に一度はある。
数年前の梅雨初期の大雨のときなど、取材のヘリコプター
が何機もやってきた。
そしてそれらが取材したと思われるニュースを見ると
「辺り一面水だらけ、道路がどこなのかわかりません!
水没しています!」てな報道だったが、
そんなもん天気のいい日でも水をはった田んぼ中心の
場所なんだから、水浸しのところは毎日水浸しだし
畦道が数センチ水没して田んぼとの境界があいまいに、
なっただけのことなのに、インチキな報道するなあ
という感想を持った。

今回の迷走する台風では何人もの被害が出ているから
やはり自然の猛威はすごい。抗う術などない。
準備することぐらいしかできることはないと
再認識した。

と書くと台風一過の反省会のような口ぶりであるが
実はこれを書いている時点ではまだ台風はやって来ない。
何しろジョギング並みなのだ。
さっさと来て、さっさと行け。



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GITANESには健康になれる物質が入ってない。だろう。
それとは無関係に・・・。

砂糖・糖類ゼロ

を謳い文句にするには、砂糖・糖類を使っているような
味がしなければならない。
「え、これってホントに糖類入ってないの?!」
というびっくり感を引き出すためだ。

なのにこの****は、砂糖・糖類の味がそもそも
しないのに「砂糖・糖類ゼロ。」を謳う。
そりゃ、そんな味しないんだから入ってなくても
当たり前だろう。

カニの味がまったくしなくてビジュアルもカニの
要素がまったくないかまぼこに
「カニ未使用」ときっぱりとしたコピーを付けられても
「そりゃ、未使用でしょうね。味しないし、見た目も
遠いし。」
というのと同じである。
いやちょっと違うか。






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GITANESの地元、セーヌ川は汚いらしい。
それとは無関係に・・・。

以前住んでいたところの近所には、噂話が好きで
周囲にあまりよく思われていないAという人がいた。
よく話しかけに来てくれるおっさんなのだが
私にはサービス精神の欠片もないから、これ以上ないほど
適当な相槌を打つ程度に対応していた。

どこで聞きつけてきたのか、私が近距離引っ越しを予定していて
それがどのあたりなのかまでAさんは把握していた。
田舎ネットワークの恐ろしさでもあるが、吹けば飛ぶような
おっさんなので別に気にもしなかった。
ところが、その転居先付近にはBさんという、A旧知の
おばちゃんが住んでいて、
A曰く「あの人はちょっと如何なものかねえ」
とBさんを評していた。Bさんについての
噂話を超越するようなアレコレを、立ち話で喋っていた。

『よくつきあいもない私にBさんの噂話をするオマエ(A)の
方がいかがなものかねえ。それも引っ越し先の近所に
困ったヤツがいるなんてこと言うかねえ』と思っていた。

予定通り引っ越しをした。
BさんはAさんが言うほどの困った人ではなかった。
たしかに私の家について、詮索とは言わないがいろいろ興味が
あり、下手すると距離なしご近所になってしまう危険性も
垣間見えたが、引っ越ししてくる人間がどんなヤツだろうと
考えるのは自然のことだし、いくら距離なし人間だとしても
私が突出した不愛想男なので、まったく距離は縮まらない。

私が「第2616話」で大活躍しているとき、つまり
熱中症と闘いながら草刈りをしているをしているときに
Bさんはそれをブロック塀越しに見つけ、なにかと話しかけて
くる。
「ああ、こんにちは!」と少々大きい声で返事する。これは、
私の声が聞き取りにくいというゆるぎない評判があるから、
聞き直されるのも面倒くさいのでわざと聞き取りやすく返事
しているだけのこと。社交的な訳ではない。
で、あいさつが終わったらもうそれいいではないかとこっちは
思うのだが、Bさんにすればそうでもないようで、いろいろと
話しかけてくる。
でも私としては炎天下に命がけで草刈りをしている訳だから
会話なんかしたくないのだ。ついでに言うと、炎天下でなくても
春夏秋冬立ち話なんかする気がない。
おまけに草刈り機の爆音がなっているし、耳に突っ込んだイヤホン
からはドヴォルザーク交響曲9番第4楽章の爆音が鳴っている。
Bさんがいくら何を仰ってもまったく聞こえないのだ。
いや、草刈り機を止めてイヤホンを外したらいくらでも聞こえる
んだが、それでは作業が長引いて熱中症で死ぬ危険性もある。
これでは世にも稀な「立ち話が長すぎて熱中症で死んだ哀れな
噂話好き男」と断定されてしまい、おまけに死んでしまった
もんだからそれに反論もできない。
だからBさんへの対応は
「ああ、こんにちは!見ての通り草刈りやってんねん!Bさんは
何?散歩?あ、水分摂らないと死ぬで!ホンマやで!ほら水か何か
飲まないと!あ、オレも飲まんと死ぬわ!ちょっと飲んでこよう!
じゃあ!!」
と立ち去る。所要時間1分未満。

一旦家に入り本当に水分摂取し、レースのカーテン越しに目を
細めながらBさんは立ち去ったのかと確認し、しばらくして
やっと草刈りを再開する・という当たり障りのないものにした。
いや当たり障りがあり過ぎてどうしようもないケースなのかも
しれないが、何度も言うがこっちは命がけなのだから
仕方ない。


ところで、なんと今でもAさんはBさんの家にたまに来ている。
Bさんの家の草刈りや植木の剪定などの手伝いにやってくるのだ。
それで余所ではあれこれ悪口めいたことを喋っているんだから
もうよくわからない。やはりAさんともBさんともあまり関わらない
方がいいようだ。


で、ここからやっと皆さんが気になっている展開になる。
「タイトルのキュウリはどうなったんや?」である。

昨日インターホンが鳴り、モニターを見てみたらBさんだった。
「あら、奥さんはいないのね?」と言われた。
丁度家人がいたから対応はバトンタッチした。

「何の用だった?」
「キュウリ、どっさり貰った」
Bさんは家庭菜園でいろいろ作っているようだ。
んん、なんでや急に。んんんん、要らんけどなあ
が正直な感想である。ご近所付き合いの一環だろうが
実はその日、スーパーでキュウリがちょっと安かったから
買ったところだったのだ。
「キュウリ増えたなあ」
「お供えみたいになってきたなあ」

その直後、お隣のYさん(無類の良い人)が大量の
キュウリの浅漬けを持ってきてくれた。これがまたいつも美味い。
「キュウリ増えたなあ」
「お盆でもないけどなあ」



と、キュウリが急に増えたことを書きたかったのだが
前置きの話が予想外に長くなってしまって、もうキュウリの
ことを書く根気が尽きた。
ちなみに私はキュウリが好きでも嫌いでもない。






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GITANESにまつわる夏の思い出はないぞ。
それとは無関係に・・・。

雑誌Aの出版局長Oと話をしていた。
彼のお嬢さんたちはこの夏も様々な経験を積み、かなり充実した
生活、充実した夏を送っているらしい。
多分ずっと記憶に残る素晴らしい夏になるに違いない。
それと比べて我々は、記憶に残るような夏はあったか?
とお互い思い起こそうとしたが、二人ともそんなものは
何もなかったという結論に達した。

もちろん、何もなかったと言っても「何事もない日常」は
あった訳で、それが特筆すべき何ものかに彩られていない
だけである。

小学生のころ
なぜか真面目に通ったラジオ体操をおぼえている。
夏休み中はずっと学校のプールに通ったのも覚えている。
炎天下の少年野球は辛かったし、まだ「水を飲んだら
かえってバテるから我慢すべし」という時代だったので
ひたすら苦痛だったことも覚えている。

高校生のころの、真夏の引っ越しも覚えている。
非常階段でずっと喋っていて熱中症(あのころは日射病)
になりかけたことも覚えている。

20歳のころ、非常に親密だった女子と祇園祭見物に
行ったことも覚えているし、そのすぐ後にまた彼女と
天神祭の花火を見に行ったことも覚えている。

ひまわりが咲き誇っている時期にオヤジが亡くなったのも
覚えている。
こうなると、大人になってからのことはそれほど記憶に
残っておらず、子供の頃の夏の情景の方が覚えている。

ということは、大人になる前の夏というのは
とても大切だ ということだろう。
若い衆、今この夏が大切なのだ。心して日常を送れ。
そして隙あらば全力で楽しんでいただきたい。
ただし盗んだバイクで走り出すようなマネはクソダサいから
注意するように。





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