the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 



GITANESはまったく甘くない。
それとは無関係に・・・。

学校帰りの横断歩道の記憶私はあっちへ渡って、
友達あるいは彼女や彼氏はここを左に曲がる。

「それじゃあ」とどちらかが切り出すまで、何度も何度も
青信号をやり過ごし、ただそこに立ち止まったまま、
自転車にまたがったまま、別に明日でもかまわないような、
まったく急ぎではないくだらないことをいろいろ話す。
二人とも冷たい風が吹く方向に背を向け、横断歩道の前で
ひたすら喋る。
先生がどう言ったとか、うちの猫がどうしたとか、
試験がどうだったとか、あいつのあの言い方はないだろうとか。
いくらブロッコリーでもあんなに要らないとか、
オヤジとおふくろがケンカしてるとか、あ、ちょっとイヤホンを
左だけ寄越せとか。

寒い。マフラーでほぼ顔は隠れてるが、きっと相手も笑ってる。

明日もきっとこんな感じだ。
じゃあ明日は肉まんをひとつだけ買って、48:52ぐらいに割って
彼女には大きい方を差し出そう。


暗くなるのが恐ろしく早い。
毎日の根拠のない万能感と、同じぐらいの不安感を無視するように、
またしばらく話し、「じゃあ、また明日」と、やっと別れる。
立ち漕ぎの自転車で横断歩道を渡り、坂を登った。
・・・・・・・・・・・・
人生の、どの頃に戻れるなら
という設問はたびたび耳にするが、
別になんでもなかった普通の日の、
その横断歩道にかえるのがいいと思う。


今日も寒かったですね。



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GITANESの話だ。
それとは無関係、という訳にはいかない・・・。


たまに自分の書いたものを読み返す。
それによるともうGITANES、というよりタバコ全般を休止して
もうすぐ19年になることがわかった。

GITANESを「実は今吸っていない」と言うと、私のことを多少知っている
人は皆驚いた。本人は「やめた」つもりがなく「吸っていないだけ」
のつもりなのだが、それでもかなりびっくりされた。
中には「ブログどうするの?」と訊く人もいたが、別にGITANESを
吸っていないからと言って、このブログをやめなくてはいけない訳でも
ないだろう。

休止した経緯は何度か書いたが、ある日風邪をひいてしまい
どうもタバコが不味かった。住んでいたマンションにほど近い
ヤブで有名な医者に行き、問診で「タバコは吸うのか?」と
質問されたときに「まあ、そろそろやめようかと思ってますが」
と答えると、「ああ、そういう人は口だけだね。言ってるだけ。
ちゃんとやめてから言ってよね」と鼻で笑われたのがきっかけ
とも言える。
とにかくその風邪の際には「不味いから明日まで我慢しよう」と
一日吸わなかった。
そして、本当にそれから19年経っただけのことなのだ。

19年も吸っていない状態なのだから、もう「タバコをやめた」
と言ってもいいのだろうが、禁煙したつもりがないから
それもしっくりこない。
ただ言えるのは、GITANESを一日に二箱吸っていたのに、突然
吸うのをやめるって、かなり簡単だったなということ。
フライング気味にタバコを吸い始めて何年も経っていたから
「やめるときには苦労するだろうな」と予想していたのに
なんと呆気なかったことか。

いや、また吸うぞ。

そしてこのthe other side of SmokyGitanesCafe開設から
あと3日で20年経過する。

やあ、こんにちは。







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GITANESの味に慣れるハードルは低くない。
それとは無関係に・・・。

大人になった自分たちが今、
「月謝や時間の心配が何もないとしたら、今からでも始めたい
習い事はあるか?」という話になった。

そうすると、共通していたのは「ピアノ」「楽器」だった。
そしてこれも共通したのは「英会話」。
そして「習字」だった。
それぞれ習い事の王道だ。

私はそもそも人に何かを教わるのが不得意だからこの先も
習い事はないのだが、それぞれちゃんとやっておけばよかった
と思わないでもない。
ピアノはそれが置ける環境になかったのでそもそもハナから
選択できなかったが、習字は続けることはできただろう。

今から習い事で生活が忙しくなるのも億劫だから
結局習字の再開も、駅前に英会話を習いに行くこともない。
「こうだったらいいなあ」は死ぬまで「こうだったらいいなあ」
で終わってしまう。
こう書くと何やら暗くてため息ばかりついているような人生で
あるように見えてしまうが、それでもたまに家の電子ピアノで、
出鱈目で自分にしかそう聴こえないはずのラプソディインブルー
を弾いているだけでもそれなりに楽しいし、元日の書初めで
「勝訴」なんて書いているのも愉快なのだから、もうそれでよくて、
あとは暇でいい。

「いやちゃんと先生に習って、ちゃんとラプソディインブルーを
弾けたらもっと楽しいんだよ」と言ってくれる人もいるだろう。
わかってる。
人生というのは、「わかってる。」けど・の連続なのだ。
それは誰もが知っていることなのだ。



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GITANESとコーヒーとドーナツは至上のトリオ。
それとは無関係に・・・。

ある本を読んでいると、思い出の味として
「おばあちゃんが昔よく作ってくれた」とか
「母が幼い私のおやつとして作ってくれた」というような
「ドーナツ」が素朴で、それでも味わい深くて
それを食べられることが無上の喜びだった
てな文章がたくさん載っていた。

手作りで、だから少々歪んでいたり、形がバラバラ不揃いで、
それでいてやさしかった味が忘れられない
らしい。
これは家庭の味の話だが、ドーナツを扱う小さい店、
喫茶店やカフェ、パン屋でも
「少々歪で不揃いで、味が優しくて、いろいろ控えめで
それを買って食べるにはちょっと早起きして出かけなければ
すぐに売り切れてしまう」タイプのドーナツショップがあるだろう。
確かにこう書くと魅力的だ。
それはそれで美味いのだ。だってドーナツというのは
そもそも美味いもんだから。

でもその、素朴な店の手作りドーナツをありがたがって
それに同調しないといけないような空気があるような。

某大手チェーンのドーナツはいちばん美味いけどなあ。
いや、もちろん個人の感想です。

思い出したら食べたくなったので買いに行ってきます。


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GITANESをこっそり吸えるような木陰を見つけた。
それとは無関係に・・・。

会社から1キロほど離れた場所に関連施設があって
その運営も自分の守備範囲となっている。

炎天下はわかっているが、そこまで徒歩で行く。
一応日除けのハットは被っているが暑いものは暑い。
丁度この道のりは、先日AのO元編集局長が熱中症で
倒れたコースでもある。
別にそれに挑戦している訳ではないが、歩くのは元来
嫌いではないし、暑い最中に歩くのはそれなりに気持ち
いいものだ(個人の感想です)。

無風の炎天下を水を飲み飲み歩く。
途中には商店街のアーケードもあるから、そこを通過する
ときはラクだ。
それが終わったら、そこそこ大きい公園脇を通る。
何の音なのかわからないが、ずっと「ジーーーーーーーー」
という音が聞こえているような気がする。
なんだろうか、セミか他の動物か、気のせいか。
こんな音、冬でも鳴ってたっけ?と考えながら歩く。
いや、冬は主に風の音か。
いくら考えても正解など浮かばないのだから、これはもう
勝手に「夏の音」ということにした。

夏の音を聴きながら流れる汗と戦う。
こういうとき、ジーパンはアカンなあと考えながら
水をまた飲み飲み歩く。
何しろ1キロしか距離がないのだから呆気なく終わる。
到着した場所で取引先数人とカンカン照りの屋外で
打ち合わせ。
また夏の音を聴きながら帰ってくる。
合計2キロしか歩いていない。
(熱中症による)命の危険を感じることもなかったが
身に入れる水分より出ていく水分の方が多いだろうな
という感覚をおぼえた。

まだしばらくは、熱中症で死んでしまうような
身体ではないと自覚できたのは収穫だった。

まあ、わからんけどな。






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GITANES嗜好中ならその待ち時間を我慢できなかっただろう。
それとは無関係に・・・。

休みの朝イチ、10時にドコモショップへ行った。
機種変更以外の用事でドコモショップへ行くのは初めてかも
知れない。
10時数分前からドコモショプの入り口にはもう数人
入店待ちの人がいた。10時にならないと入れないようだ。
待っている人は全員年輩、お年寄り。
私もそのうちの一人だと、外からはそう見えるだろう。
まあどう見られても仕方がない。

入店するとほとんどの人は「スマホ教室」目的だと
わかった。年輩者中心にスマホの使い方を教えてくれる教室を
このショップでは開いているようだ。
よかった、私は少なくともスマホ教室を頼りにしている老人
ではない。今のところ。

しかし、私の用事もスタッフからすると充分「使い方が
わからない年配者の相談」だと受け取られる可能性は高かった。
私の用事とは
「ドコモからキャンペーンのDMが届いてカードを作り替える
ことを促されたのでその通りやってみた。カードも届いたが
さて、アプリの設定はどうすればいいのか。やってはみたが
どうもうまくいかない」という用事。
『ほらもう、デバイス音痴の年寄りが、自分でやることを
放棄して持って来たぜ』と言えなくもない。

応対してくれた女性スタッフ。
最初は余裕で応対してくれていたし、微妙に本筋とは違う
設定をしてくれて(実際はそれも助かった)、これでどうですか?
とテキパキ進めてくれたのだが、疑問に感じたのはそこじゃ
なかったのだ。
「いや、あの、その設定の後にここを見たら、ここは
変わってないんですよね」
「あら・・・、ホントですね。ちょっと詳しく調べてみます」
スタッフOさんは高速タイピングで端末をたたく。
どこかとオンラインチャットしていた模様。
しばらくして、まったく解決していないことが明らかになった。
解決していないことが明らかになっただけでもかなりの進捗
である。
「で、ここまで自宅で進んだのですが、これより先へ進めると
こんな感じで『撥ねられ』るんです」
「え、ちょっとやってみましょうか・・・あ、撥ねられますね。
指示通り進めてるんですが・・・」
「ね?」
「はい」
Oさんはまた高速でキーボードを叩く。あの調子で叩いていると
ものの1か月ほどでキーボードは反対に反ってくるのではないか。
「申し訳ございません」
「はい?」
「これ以上は直接電話ください と指示があったので電話
しながら作業させていただいてよろしいでしょうか?」
「もちろん、そうしてください」
なんとなくホッとした。私の用件はどうやらややこしい案件
だったらしい。
スマホ教室の「メールの送受信の仕方」とか「写真の取り方」
「その保存の仕方」という類のレベルではなかったのだと
勝手に安心した。いや事態そのものはややこしい方向へ
向かっているのだが。

1時間30分後。
こうもややこしい案件に挑戦していると不思議な連帯感も
生まれる。朝飯抜きは辛いのだが、90分の奮闘は有意義だ
(自分は座ってるだけだけど)。

で、一応の解決をみた。
設定はできたようだ。
どうしてここまで時間がかかったのか、どうしてOさんが
即座に解決できなかったのかというと、少なくともそのショップ
では「かなりレア」な案件だったから、とのこと。
センターにスタッフが直接電話して、センターも頻繁に
保留状態になって、やっとなんとか話が通じたようだった。
最後の最後に
「ところで、この設定変更が完了したのは間違いないのですが
ここの****番号が変更前と変更後にどうして変化がないのかは
ドコモのセンターでもわからないとのことです。
お客様かたこっちの****社の方に問い合わせてください
と言われたのですが、ご説明に苦労されると思いますので
私が代わりに問い合わせして結果を電話で連絡させて
いただくという形でもよろしいでしょうか?」
と提案される。ありがたいことだ。
ぜひお願いしますと答える。

ということで、おそらく同じようなことが発生したら
また独力では到底解決できないのだということに
自分で気づかないふりをして、せめて「スマホ教室」
に通わなくても済むように精進していこうと
思う今日この頃である。






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GITANESを吸う場面はそれなりに覚えている。
それとは無関係に・・・。

夕方、というか夜の入り口。
今から夏のシーズンで
もう太陽は沈みかけこれからマジックアワーに
突入か、というような明るさ。
先日そのような時間帯にクルマで走っていたら
突然、
「風呂上りでまだ汗も引かない状態で、この時間帯
外をぶらぶらと歩いたらこれ以上ないほど気持ち
いいよな」と思いついた。
緩い服装で靴下ももちろん履かずサンダルの足元で
それほど涼風も吹いていないが、熱い身体を少しずつ
少しずつ冷ますほどの気温で、まだまだ明るくて
そういう状態で屋外のどこかに腰かけて
決してスマホではなくて少し本を読む。
下手をすると散歩で汗をかいてまたシャワーを
なんてことにもなる可能性もあるが、そんなこと気にせず
少しの散歩をする。
往復でも1キロ未満の散歩である。

これが「気持ちよかろう」と感じるのは、どこかに
そのような記憶があるんだろうか、と考えたが
高校一年までは銭湯通いをしていたから、その帰りの
記憶なのか、稀に行った旅行先での経験がもとに
なっているのか。
銭湯といっても、そんなに明るい時間帯には行ってない
はずだが、オヤジや兄と連れだって銭湯まで歩いていた
ずっと子供の頃ならあったような気がする。
と書いていたら、そうだそうに違いないと思えてきた。

あまり早足で歩くとまた汗をかくからと、ゆっくりゆっくり
歩くようにオヤジに言われ、カサカサとサンダルを鳴らしながら
歩く。
その地域では比較的大きい寺の門前を曲がり、
お茶屋(茶葉を売っている店)の角も曲がる。
そこからはちょっとした商店街になっていて、薬店、
帽子屋、おもちゃ屋、金物屋の前を通過する。
生地屋、うどん屋、文房具屋も通り過ぎる。
鉄砲・火薬店というのもあった。洋品店も2,3。
粉屋と呼ばれる食材屋は米も売っていた。
散髪屋が二軒。洗剤だけ売っている店、和菓子店、
家電店(パナショップ)があって、洋菓子店もあった。
パン屋も布団屋も通り過ぎる。
小さい小さい靴屋があって、小さい小さい靴屋だが
店主は大きい大きい男だったが、とにかくその靴屋を
左に曲がる。
家はもうすぐそこだった。

うまくゆっくり歩けたから汗はひいた。
でも素足にサンダルだったから足はもう汚れていた。
「コラ!ちゃんと足を拭きなさい!」と母に怒鳴られるが、
そんなことはもう慣れっこになっているから
適当にいなす。
そんなことよりも冷蔵庫を開け、麦茶を一杯
一気に飲む。

そのころのオヤジも母も、今の私よりずっと年下だったのに
今でも自分の方が若いと思ってしまうのはどういう訳か。


後に少し離れたところにショッピングセンターができ、
小さい商店街からもそっちへ何軒かの店が移っていった。
そしてそのショッピングセンター自体も、自分が大人になり
その町を離れてしばらくしてから撤退した。
商店街はそれよりもずっと前にみな 店じまいして
今では普通の路地があるばかりである。

汗をかかないようにゆっくりと歩いていた頃は
もちろんマジックアワーなどという言葉も知らなかった。
そんなものより銭湯で売っているジュースを飲みたいのに
それを我慢して歩き、小さい自宅の小さい冷蔵庫を開けて
急いで飲む麦茶が世界でいちばんうまい飲み物だった。

そんなに冷えていなかったけど、美味かった。











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GITANES臭がなかなか消えなかった二の腕。
それとは無関係に・・・。

ネットでちょっと調べてみたら、
「腕」というのは古代から手首の辺りを指す名称
で、肘から下はタダムキといい、肩から肘までを
カイナ と呼んでいたそうな。
ところが辞書の中には「肘から手首をカイナ」と呼ぶ
とするものがあるらしく、結局はもっともっと調べないと
わからない。
かいなひねり という相撲の技があるが、それが
かいな である。タダムキなんて呼称は聞いたことが
なかった。タダムキがいつしか「腕」と呼ばれるように
なり、「肘から下が腕ならば、肩から肘までは『二の腕』だ」
ということで、肩から肘までが二の腕と呼ばれるように
なったとする辞書がある一方で、
「肩から肘が『一の腕』、肘から先は『二の腕』」と説明
する文献もあるそうだ。
もっともこの文献というのは日葡辞書だというから
単なる誤訳か誤解だったのかもしれない。

いやまあどっちでもいいのだ。

どうしてこんな話になったのかというと。
風呂の入り方なのだ。

私は家のメンバーの中では最後に風呂に入る。
だからゆっくりできる。
必ず本を右手に、歯ブラシを左手に持っている。
かけ湯をしないのか!とマナーにうるさい方は
目くじらを立てているかも知れないが、入浴の
順番が最後だし、風呂掃除は入浴後の私の仕事だし、
そもそも自分の家のことなので問題はない。
「かけ湯をしないなんて心臓に負担が!」
なんて健康フェチの誰かは言うんだろうが、
私が入浴する23:30にはすでにけっこう
湯がさめているので、ドボンと飛び込んでから
追いだきをするのだ。だから心臓の負担も軽い
だろうし、何より自分の心臓なんだから放って
おいていただきたい。
ぬるい湯から次第に熱くなっていく様は
自分が根菜になったようで風情があるから
やってみていただきたい。

いやそれも関係なく、とにかく両手にものを
持ったまま湯に浸かるのだから肘から先は
つけられないということになっている。
夏場はこれでもいいのだが、冬場は考えものだ。
追いだきが終わって湯が設定温度になった頃
には身体はポカポカしているはずだが
そうでもない。
理由は、肘から先が空中に浮いたままだからである。
肘から先が湯の中にあるのとないのとでは
身体の温まり方が全然違うのだ。
まあ誰でも知ってるか。


最近では本をそこそこ読んだ後、一旦脱衣所
に本と歯ブラシを置きに行き、また浴槽に戻って
指先まで全部湯に入れる。
あご先まで浸る。
これでぽかぽかになる。


ということで
「あれ、肘から先って何ていう部位だっけ?」
と疑問に思っただけのことだ。すまん。







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GITANESを始めるころよりずっとずっと昔。
それとは無関係に・・・。

先日オフィス近くを歩いているとき、左前方
から流れてきた匂い。
いつもなら右前方から焼き鳥かウナギの匂いが
漂ってくるのだが、この日は違っていた。

あれ、プールの匂い?

プールの匂いが具体的に何で構成されているのか
知らない。いろいろ交じり合った「プールの匂い」
だ。それも「学校のプールの匂い」だ。
匂いが最も「記憶を呼び起こす装置」だと言うが
全面的に賛成する。数分間タイムスリップした。
小学生の頃に記憶が飛ぶ。

」」」」」」」」」」」」」」」」」
プールに入る前に浴びせられたシャワーの水が
冷たかった。
コンクリートが焼けてプールサイドを歩くのに
大騒ぎだった。そしてその上で入念に準備運動
させられた。でもしばらく泳いでから
プールサイドに寝転がるときには温かくて
気持ちよかった気もする。

塩素だろうか、消毒の匂いはきつかった。
数日に一度入れ替えられた水は透き通っていて
潜ってもずっと先まで見通せた。
蜂が飛んでくるたびに大騒ぎになる。
でも、蜂は飛んできただけですぐわかるから
対処できたが、虻の方が厄介だった。
油断していたらいつのまにか身体に止まり
チクッとやられた。

泳ぐのは苦手ではなかったが持久力があまり
なかったので、距離を泳がされるのはきつかった。
スピードでは負けなかった。潜水競争も
楽しかった。

夏休みには地区ごとに時間が割り当てられていた。
週に4~5日、一回2時間だっただろうか、
可能な限りプールに行った。
低学年のころはその2時間で疲れ切ってしまい、
家に帰るとすぐに眠ってしまった。
クーラーなんかない部屋の、開け放たれた
窓際で寝た。目隠しのためのスダレが風で
いったりきたりしていた。
それを目で追いながら気絶するように
寝てしまっていた。

当然すぐに回復する。
翌日は元気満タンだ。
またプールに行く。
9月に入っても数回は授業で水泳の時間が
あったと思う。
そのころには、飛んでいるトンボの種類が
だんだん変わってきており、
「あ、もうプールの時期も終わりだな」
と、なんとなく寂しくもあった。

水泳でどれだけ消耗していても、夕方には
少年野球の練習が始まる。
水泳に参加した日に野球の練習を休んだり
すると、これ以上ないほど指導者が怒る。
だからイヤでも行く。
泥だらけ、汗だくになる。
野球をやっている間は水を飲むな!
という、今では考えられない時代だった。
だから全身が汚れ、水も飲めない状態で
ボールを追いかけ(させされ)、
グラウンドのすぐ横にあるプールを
恨めしくチラチラ見ていた。
午前中はあそこでイヤと言うほど
水遊びしていたのになあ。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

 やっぱりこの匂いはプールだな。
いろいろ入り混じってトータルでプールの
匂いだ。ジリジリする匂いだ。
短い短いタイムスリップから我に返る。


しかしもちろんオフィス近く、その場面の
左前方にはプールなどない。
そしてこの先、奇声を発しながらプールで
遊ぶことは多分ないだろう。
別にそれは寂しくないが、あれから随分
経ったな、とは思う。








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GITANESともよく合うのだ。
それとは無関係に・・・。

誰かに貰ったのか、家にあったマーブルチョコ
を食べてみた。
多分数十年ぶりだ。

美味いな。

子供の頃に「美味しいな」と感じたのと
変わりなく美味かった。

今たまに食べるようなチョコレートも
美味しいのだが、子供の頃に食べたチョコは
当時もっと美味しくて、それはマーブルチョコ
だったりチョコベビーだったり、コーヒービート、
フルタのエイトチョコだったりした。

いいなあ!マーブルチョコ。




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GITANESが吸えればなおいいんだけど。
それとは無関係に・・・。

※今回は特に結論もオチもありません。


それなりの乗降客がある駅に
陽が落ちてから、ちょうど帰宅時間帯
のころがいいのだが。
その時間帯に手ぶらで駅にいる、
あるいは駅の中を歩く というのが
嫌いではない。
嫌いではないどころか、好きな方だ。
理由はわからない。

手ぶらを誤解している人も多いようだ。
両手を空けることが手ぶらなのではない。
「リュック背負って手ぶら」なんてのは
カバンが背中に移動しただけのこと。
必要最小限のモノだけをポケットに
入れて外出している状態を手ぶらという。

必要最小限というのは、私にとっては
スマフォ(スマホってなんですか?)、
財布、ハンカチのことを指す。
これだけならズボンさえ穿いていれば
すべて収納できる。そして、ズボンを
穿かずに外出することは今のところ
ないし、今後もないことを願っている。

その手ぶら状態で駅にいることが
心地いい。
学校帰りで制服のままの人も多く、
もちろんサラリーマンも多い。
待ち合わせだと思われる人も、柱周りや
壁沿いに佇んでいる。
たまに警官もキョキョロしながら
通過する。
お土産を買った様子の人も見かける。
焦った表情で駆け足の人もいて
電話しながら歩いている人も多い。

そういうところで、何もしない自分が
手ぶらで歩いている。
誰も探しておらず、誰も待っていずに
階上の本屋にでも行こうか と
普通の歩幅で歩いている。

その数分の時間が気に入っている。
理由はわからないし分析しない。

ただ気に入っている。





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GITANESはジターヌだ
なんてイチイチ訂正しない。
それとは無関係に・・・。

タイトルに第****話という整理のための
通し番号を入れ始めたのに、ある時点から
その番号が間違っていることがわかったので
訂正した。

また、たまに過去の記事を削除することも
あるので、すべての記事の数と通し番号が
必ずしも一致しない。
それほど雑な作業だとご了承いただいている
と思っております。

つい先日もこんなことがあった。
「ごめんください」
「はいはい?」

後略



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GITANES吸い放題がいい。
それとは無関係に・・・。

理想のカフェは川のほとりにあり、
早朝から開いている。
珍しく早起きしてしまった場合も
問い合わせ電話するまでもなく営業している。

自宅から歩いて行ける。
それほど近すぎることもないが、歩くのに
草臥れるほどの距離もない。

そのカフェは一日中利用客が絶えないが
空いている。
満席になったのを見たことがない。
そのため店内でも落ち着いて本を読みながら
コーヒーを飲めるのだが、天気のいい日は
テラスの席に陣取って、飽きるまで座っていられる。

食べ物の種類はあまり多くないがドリンクは
そこそこ豊富である。
そして食べ物の値段は結構高いが、ドリンク
の価格はこのあたりの相場程度である。
この店オリジナルのブレンドのコーヒーは
深煎りで、飲み始めではほぼ酸味がない。
紅茶はそれほど飲まないし詳しくないので
どうなっているかわからない。

店主は自分から積極的には話さない性格
のようで、たまに客との会話が漏れ聞こえて
くることもあるが、それも長くは続かない。
従業員の女性は非常にきちんとしていて
ニコニコしているが、彼女も客とそれほど
会話をする方ではないようだ。
絶世の美女という訳でもない。雰囲気のいい
女性である。
常連と見受けられる客が数人いて、自分も
そのうちの人なのだろうが、それほど毎回
会う客もいない。
そして常連同士の会話もほぼない。
この上なく軽い会釈を互いに交わす程度である。


店内のBGMは、あまり聴いたことがない曲が
遠くの方で鳴っている というような塩梅である。
だから聴き入ることもなく邪魔にもならない。

全体的に、何かに凝ったような作りでもなく
目立ったオブジェもない。植栽は多いが
邪魔にならない程度である。

ここまで書いていて初めて気づいたが
この店のすべては、どれも「邪魔にならない」
というコンセプト下にあるような気がする。
そして、「ちょうどいい」という言葉にも
集約される。

だがコーヒーの味は丁度いいどころではなくて
とても美味い。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

というのが理想のカフェなんだけど
すぐつぶれるだろうなあ。



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GITANESを吸いながら掃除していたころが
懐かしい。
それとは無関係に・・・。

11月下旬
「ああ、年末が近づいてきたなあ。
よし今年こそは自宅の年末大掃除するぞ」

12月突入
「とうとう12月だ。よしやはり
年末大掃除する決心は揺るがないぞ!」

12月2週目あたり
「道具は揃ってるだろうか。あ、あれは
あった方がいい。あ、あれもなかった!」

12月中旬過ぎて
「何日にやろうか?
あ、休み取りにくいなあ。」

12月下旬突入
「たった一日の年末休みに
掃除っちゅうのはどうなんだろうか」

クリスマス頃
「まあ、自宅の大掃除なんて大それたこと
考えずに、せめて書斎だけでもやらないと。
責任範囲だからなあ」

現在
「大体年末と年始なんて地続きではないか。
何を大袈裟に『大掃除』なんて言ってるのか。
いつもきれいにするのが本来の姿であって
既に我が家はそこそこきれいではないか。
そもそも掃除完了した次の瞬間から汚れ
始める訳で、そんな連環を断ち切れるなんてのは
人間の思い上がりだ。他の動物は年末大掃除
なんてしないぞ。」


年明けの予想
「ああ、年末大掃除しておけばよかったなあ。
よし!今年の年末こそやるぞ!」






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GITANESが加われば最強なんだが。
それとは無関係に・・・。

休日。
有意義な休日を過ごすということを
はるか昔に諦めた。
有意義な は何を意味するかと言うと
休日にしかできないあれをやって
その次にはこれをやって、その上あれを
やって、その合間にこれをやって
時間が余ったらついでにあれをやって
ということである。
休日は、休日であることがすでに有意義なのだ
という深い真理に気づかないのは不幸だと
思うのだが「個人的な感想です」。


昼食後クルマで出かける。
コーヒー豆を買い、本屋に立ち寄って
文庫を一冊買う。
ペットボトルの温かいほうじ茶も買う。
海沿いの道路を走り、駐車が問題ないところで
クルマを停め、本を読む。

ほら、いかにムダな休日を過ごすかに
血道を上げるのが有意義なのだ。



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