the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 



GITANESを吸う場面はそれなりに覚えている。
それとは無関係に・・・。

夕方、というか夜の入り口。
今から夏のシーズンで
もう太陽は沈みかけこれからマジックアワーに
突入か、というような明るさ。
先日そのような時間帯にクルマで走っていたら
突然、
「風呂上りでまだ汗も引かない状態で、この時間帯
外をぶらぶらと歩いたらこれ以上ないほど気持ち
いいよな」と思いついた。
緩い服装で靴下ももちろん履かずサンダルの足元で
それほど涼風も吹いていないが、熱い身体を少しずつ
少しずつ冷ますほどの気温で、まだまだ明るくて
そういう状態で屋外のどこかに腰かけて
決してスマホではなくて少し本を読む。
下手をすると散歩で汗をかいてまたシャワーを
なんてことにもなる可能性もあるが、そんなこと気にせず
少しの散歩をする。
往復でも1キロ未満の散歩である。

これが「気持ちよかろう」と感じるのは、どこかに
そのような記憶があるんだろうか、と考えたが
高校一年までは銭湯通いをしていたから、その帰りの
記憶なのか、稀に行った旅行先での経験がもとに
なっているのか。
銭湯といっても、そんなに明るい時間帯には行ってない
はずだが、オヤジや兄と連れだって銭湯まで歩いていた
ずっと子供の頃ならあったような気がする。
と書いていたら、そうだそうに違いないと思えてきた。

あまり早足で歩くとまた汗をかくからと、ゆっくりゆっくり
歩くようにオヤジに言われ、カサカサとサンダルを鳴らしながら
歩く。
その地域では比較的大きい寺の門前を曲がり、
お茶屋(茶葉を売っている店)の角も曲がる。
そこからはちょっとした商店街になっていて、薬店、
帽子屋、おもちゃ屋、金物屋の前を通過する。
生地屋、うどん屋、文房具屋も通り過ぎる。
鉄砲・火薬店というのもあった。洋品店も2,3。
粉屋と呼ばれる食材屋は米も売っていた。
散髪屋が二軒。洗剤だけ売っている店、和菓子店、
家電店(パナショップ)があって、洋菓子店もあった。
パン屋も布団屋も通り過ぎる。
小さい小さい靴屋があって、小さい小さい靴屋だが
店主は大きい大きい男だったが、とにかくその靴屋を
左に曲がる。
家はもうすぐそこだった。

うまくゆっくり歩けたから汗はひいた。
でも素足にサンダルだったから足はもう汚れていた。
「コラ!ちゃんと足を拭きなさい!」と母に怒鳴られるが、
そんなことはもう慣れっこになっているから
適当にいなす。
そんなことよりも冷蔵庫を開け、麦茶を一杯
一気に飲む。

そのころのオヤジも母も、今の私よりずっと年下だったのに
今でも自分の方が若いと思ってしまうのはどういう訳か。


後に少し離れたところにショッピングセンターができ、
小さい商店街からもそっちへ何軒かの店が移っていった。
そしてそのショッピングセンター自体も、自分が大人になり
その町を離れてしばらくしてから撤退した。
商店街はそれよりもずっと前にみな 店じまいして
今では普通の路地があるばかりである。

汗をかかないようにゆっくりと歩いていた頃は
もちろんマジックアワーなどという言葉も知らなかった。
そんなものより銭湯で売っているジュースを飲みたいのに
それを我慢して歩き、小さい自宅の小さい冷蔵庫を開けて
急いで飲む麦茶が世界でいちばんうまい飲み物だった。

そんなに冷えていなかったけど、美味かった。











コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANES臭がなかなか消えなかった二の腕。
それとは無関係に・・・。

ネットでちょっと調べてみたら、
「腕」というのは古代から手首の辺りを指す名称
で、肘から下はタダムキといい、肩から肘までを
カイナ と呼んでいたそうな。
ところが辞書の中には「肘から手首をカイナ」と呼ぶ
とするものがあるらしく、結局はもっともっと調べないと
わからない。
かいなひねり という相撲の技があるが、それが
かいな である。タダムキなんて呼称は聞いたことが
なかった。タダムキがいつしか「腕」と呼ばれるように
なり、「肘から下が腕ならば、肩から肘までは『二の腕』だ」
ということで、肩から肘までが二の腕と呼ばれるように
なったとする辞書がある一方で、
「肩から肘が『一の腕』、肘から先は『二の腕』」と説明
する文献もあるそうだ。
もっともこの文献というのは日葡辞書だというから
単なる誤訳か誤解だったのかもしれない。

いやまあどっちでもいいのだ。

どうしてこんな話になったのかというと。
風呂の入り方なのだ。

私は家のメンバーの中では最後に風呂に入る。
だからゆっくりできる。
必ず本を右手に、歯ブラシを左手に持っている。
かけ湯をしないのか!とマナーにうるさい方は
目くじらを立てているかも知れないが、入浴の
順番が最後だし、風呂掃除は入浴後の私の仕事だし、
そもそも自分の家のことなので問題はない。
「かけ湯をしないなんて心臓に負担が!」
なんて健康フェチの誰かは言うんだろうが、
私が入浴する23:30にはすでにけっこう
湯がさめているので、ドボンと飛び込んでから
追いだきをするのだ。だから心臓の負担も軽い
だろうし、何より自分の心臓なんだから放って
おいていただきたい。
ぬるい湯から次第に熱くなっていく様は
自分が根菜になったようで風情があるから
やってみていただきたい。

いやそれも関係なく、とにかく両手にものを
持ったまま湯に浸かるのだから肘から先は
つけられないということになっている。
夏場はこれでもいいのだが、冬場は考えものだ。
追いだきが終わって湯が設定温度になった頃
には身体はポカポカしているはずだが
そうでもない。
理由は、肘から先が空中に浮いたままだからである。
肘から先が湯の中にあるのとないのとでは
身体の温まり方が全然違うのだ。
まあ誰でも知ってるか。


最近では本をそこそこ読んだ後、一旦脱衣所
に本と歯ブラシを置きに行き、また浴槽に戻って
指先まで全部湯に入れる。
あご先まで浸る。
これでぽかぽかになる。


ということで
「あれ、肘から先って何ていう部位だっけ?」
と疑問に思っただけのことだ。すまん。







コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESを始めるころよりずっとずっと昔。
それとは無関係に・・・。

先日オフィス近くを歩いているとき、左前方
から流れてきた匂い。
いつもなら右前方から焼き鳥かウナギの匂いが
漂ってくるのだが、この日は違っていた。

あれ、プールの匂い?

プールの匂いが具体的に何で構成されているのか
知らない。いろいろ交じり合った「プールの匂い」
だ。それも「学校のプールの匂い」だ。
匂いが最も「記憶を呼び起こす装置」だと言うが
全面的に賛成する。数分間タイムスリップした。
小学生の頃に記憶が飛ぶ。

」」」」」」」」」」」」」」」」」
プールに入る前に浴びせられたシャワーの水が
冷たかった。
コンクリートが焼けてプールサイドを歩くのに
大騒ぎだった。そしてその上で入念に準備運動
させられた。でもしばらく泳いでから
プールサイドに寝転がるときには温かくて
気持ちよかった気もする。

塩素だろうか、消毒の匂いはきつかった。
数日に一度入れ替えられた水は透き通っていて
潜ってもずっと先まで見通せた。
蜂が飛んでくるたびに大騒ぎになる。
でも、蜂は飛んできただけですぐわかるから
対処できたが、虻の方が厄介だった。
油断していたらいつのまにか身体に止まり
チクッとやられた。

泳ぐのは苦手ではなかったが持久力があまり
なかったので、距離を泳がされるのはきつかった。
スピードでは負けなかった。潜水競争も
楽しかった。

夏休みには地区ごとに時間が割り当てられていた。
週に4~5日、一回2時間だっただろうか、
可能な限りプールに行った。
低学年のころはその2時間で疲れ切ってしまい、
家に帰るとすぐに眠ってしまった。
クーラーなんかない部屋の、開け放たれた
窓際で寝た。目隠しのためのスダレが風で
いったりきたりしていた。
それを目で追いながら気絶するように
寝てしまっていた。

当然すぐに回復する。
翌日は元気満タンだ。
またプールに行く。
9月に入っても数回は授業で水泳の時間が
あったと思う。
そのころには、飛んでいるトンボの種類が
だんだん変わってきており、
「あ、もうプールの時期も終わりだな」
と、なんとなく寂しくもあった。

水泳でどれだけ消耗していても、夕方には
少年野球の練習が始まる。
水泳に参加した日に野球の練習を休んだり
すると、これ以上ないほど指導者が怒る。
だからイヤでも行く。
泥だらけ、汗だくになる。
野球をやっている間は水を飲むな!
という、今では考えられない時代だった。
だから全身が汚れ、水も飲めない状態で
ボールを追いかけ(させされ)、
グラウンドのすぐ横にあるプールを
恨めしくチラチラ見ていた。
午前中はあそこでイヤと言うほど
水遊びしていたのになあ。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

 やっぱりこの匂いはプールだな。
いろいろ入り混じってトータルでプールの
匂いだ。ジリジリする匂いだ。
短い短いタイムスリップから我に返る。


しかしもちろんオフィス近く、その場面の
左前方にはプールなどない。
そしてこの先、奇声を発しながらプールで
遊ぶことは多分ないだろう。
別にそれは寂しくないが、あれから随分
経ったな、とは思う。








コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESともよく合うのだ。
それとは無関係に・・・。

誰かに貰ったのか、家にあったマーブルチョコ
を食べてみた。
多分数十年ぶりだ。

美味いな。

子供の頃に「美味しいな」と感じたのと
変わりなく美味かった。

今たまに食べるようなチョコレートも
美味しいのだが、子供の頃に食べたチョコは
当時もっと美味しくて、それはマーブルチョコ
だったりチョコベビーだったり、コーヒービート、
フルタのエイトチョコだったりした。

いいなあ!マーブルチョコ。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESが吸えればなおいいんだけど。
それとは無関係に・・・。

※今回は特に結論もオチもありません。


それなりの乗降客がある駅に
陽が落ちてから、ちょうど帰宅時間帯
のころがいいのだが。
その時間帯に手ぶらで駅にいる、
あるいは駅の中を歩く というのが
嫌いではない。
嫌いではないどころか、好きな方だ。
理由はわからない。

手ぶらを誤解している人も多いようだ。
両手を空けることが手ぶらなのではない。
「リュック背負って手ぶら」なんてのは
カバンが背中に移動しただけのこと。
必要最小限のモノだけをポケットに
入れて外出している状態を手ぶらという。

必要最小限というのは、私にとっては
スマフォ(スマホってなんですか?)、
財布、ハンカチのことを指す。
これだけならズボンさえ穿いていれば
すべて収納できる。そして、ズボンを
穿かずに外出することは今のところ
ないし、今後もないことを願っている。

その手ぶら状態で駅にいることが
心地いい。
学校帰りで制服のままの人も多く、
もちろんサラリーマンも多い。
待ち合わせだと思われる人も、柱周りや
壁沿いに佇んでいる。
たまに警官もキョキョロしながら
通過する。
お土産を買った様子の人も見かける。
焦った表情で駆け足の人もいて
電話しながら歩いている人も多い。

そういうところで、何もしない自分が
手ぶらで歩いている。
誰も探しておらず、誰も待っていずに
階上の本屋にでも行こうか と
普通の歩幅で歩いている。

その数分の時間が気に入っている。
理由はわからないし分析しない。

ただ気に入っている。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESはジターヌだ
なんてイチイチ訂正しない。
それとは無関係に・・・。

タイトルに第****話という整理のための
通し番号を入れ始めたのに、ある時点から
その番号が間違っていることがわかったので
訂正した。

また、たまに過去の記事を削除することも
あるので、すべての記事の数と通し番号が
必ずしも一致しない。
それほど雑な作業だとご了承いただいている
と思っております。

つい先日もこんなことがあった。
「ごめんください」
「はいはい?」

後略



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANES吸い放題がいい。
それとは無関係に・・・。

理想のカフェは川のほとりにあり、
早朝から開いている。
珍しく早起きしてしまった場合も
問い合わせ電話するまでもなく営業している。

自宅から歩いて行ける。
それほど近すぎることもないが、歩くのに
草臥れるほどの距離もない。

そのカフェは一日中利用客が絶えないが
空いている。
満席になったのを見たことがない。
そのため店内でも落ち着いて本を読みながら
コーヒーを飲めるのだが、天気のいい日は
テラスの席に陣取って、飽きるまで座っていられる。

食べ物の種類はあまり多くないがドリンクは
そこそこ豊富である。
そして食べ物の値段は結構高いが、ドリンク
の価格はこのあたりの相場程度である。
この店オリジナルのブレンドのコーヒーは
深煎りで、飲み始めではほぼ酸味がない。
紅茶はそれほど飲まないし詳しくないので
どうなっているかわからない。

店主は自分から積極的には話さない性格
のようで、たまに客との会話が漏れ聞こえて
くることもあるが、それも長くは続かない。
従業員の女性は非常にきちんとしていて
ニコニコしているが、彼女も客とそれほど
会話をする方ではないようだ。
絶世の美女という訳でもない。雰囲気のいい
女性である。
常連と見受けられる客が数人いて、自分も
そのうちの人なのだろうが、それほど毎回
会う客もいない。
そして常連同士の会話もほぼない。
この上なく軽い会釈を互いに交わす程度である。


店内のBGMは、あまり聴いたことがない曲が
遠くの方で鳴っている というような塩梅である。
だから聴き入ることもなく邪魔にもならない。

全体的に、何かに凝ったような作りでもなく
目立ったオブジェもない。植栽は多いが
邪魔にならない程度である。

ここまで書いていて初めて気づいたが
この店のすべては、どれも「邪魔にならない」
というコンセプト下にあるような気がする。
そして、「ちょうどいい」という言葉にも
集約される。

だがコーヒーの味は丁度いいどころではなくて
とても美味い。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

というのが理想のカフェなんだけど
すぐつぶれるだろうなあ。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





GITANESを吸いながら掃除していたころが
懐かしい。
それとは無関係に・・・。

11月下旬
「ああ、年末が近づいてきたなあ。
よし今年こそは自宅の年末大掃除するぞ」

12月突入
「とうとう12月だ。よしやはり
年末大掃除する決心は揺るがないぞ!」

12月2週目あたり
「道具は揃ってるだろうか。あ、あれは
あった方がいい。あ、あれもなかった!」

12月中旬過ぎて
「何日にやろうか?
あ、休み取りにくいなあ。」

12月下旬突入
「たった一日の年末休みに
掃除っちゅうのはどうなんだろうか」

クリスマス頃
「まあ、自宅の大掃除なんて大それたこと
考えずに、せめて書斎だけでもやらないと。
責任範囲だからなあ」

現在
「大体年末と年始なんて地続きではないか。
何を大袈裟に『大掃除』なんて言ってるのか。
いつもきれいにするのが本来の姿であって
既に我が家はそこそこきれいではないか。
そもそも掃除完了した次の瞬間から汚れ
始める訳で、そんな連環を断ち切れるなんてのは
人間の思い上がりだ。他の動物は年末大掃除
なんてしないぞ。」


年明けの予想
「ああ、年末大掃除しておけばよかったなあ。
よし!今年の年末こそやるぞ!」






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESが加われば最強なんだが。
それとは無関係に・・・。

休日。
有意義な休日を過ごすということを
はるか昔に諦めた。
有意義な は何を意味するかと言うと
休日にしかできないあれをやって
その次にはこれをやって、その上あれを
やって、その合間にこれをやって
時間が余ったらついでにあれをやって
ということである。
休日は、休日であることがすでに有意義なのだ
という深い真理に気づかないのは不幸だと
思うのだが「個人的な感想です」。


昼食後クルマで出かける。
コーヒー豆を買い、本屋に立ち寄って
文庫を一冊買う。
ペットボトルの温かいほうじ茶も買う。
海沿いの道路を走り、駐車が問題ないところで
クルマを停め、本を読む。

ほら、いかにムダな休日を過ごすかに
血道を上げるのが有意義なのだ。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESを吸い始めるよりずっと昔のこと。
それとは無関係に・・・。

昔は、あちこちに水たまりがあった。
今よりもずっと、あっちにもこっちにも、
少しの雨が降っただけですぐに水たまりが
できていた。子供の頃の話だ。

生まれ育った環境は田舎町だったから
未舗装の道もあったし、空き地も多く
野原もまだまだあった。

少しまとまった雨が降ると、未舗装の道路
にはプールほども大きな水たまりができていた。
水は濁っていて底も見えない。

まだ幼稚園児だった頃だと思う。
「これを履いて行け。まだ水たまりが多いから」
と母に言われ、買ってもらったばかりの
黄色い長靴を履いて友達と遊びに行った。
真夏の雨はもう上がっていた。
いつもと違う方向、小学校の向こうまで行ってみよう。

そこは巨大な工場が廃墟となっていて、
そのとなりも広大な空き地。
間を通る道は未舗装で、プールのような
水たまりができていた。
こうなるともう、
「ほら、入ってみな?」と水たまりに
誘われているようなものである。
友達のMの目も輝き、
「もちろん、入るよな?水たまりに!」
という視線を向けてくる。

濁って深さがわからない水たまりに
おそるおそる片足を入れてみた。
あ!水が入ってこない!長靴ってすごい!

両足を入れてみても、当然長靴は
水たまりの濁った水など寄せつけなかった。
黄色い水は水を切り、頼もしく足元を
守ってくれていた。
これさえあれば、もうみずたまりを
よけながら歩かなくてもいいんだ。
道の真ん中を、気に入ったところを
ずんずん歩いていけばいいんだ!

私「おおすごいぞ!M!長靴ってすごいな!」
M「長靴なくても、俺なんかサンダルやから
  大丈夫やぞ!」
私「足濡れるやろ。長靴やったら足も濡れへん!」


どんどんみずたまりの中央部に進んでいったが
悲しいかな、そこの水位は長靴の丈を
上回っていた。



濁った水は黄色い長靴の中に
洪水のように浸入してきた。あ!
水たまりの真ん中手前で身動きができなく
なってしまった。
重い。水が入った長靴って重い。
足を大きく上げて歩こうとする。膝まで
太ももまで濡れた。ズボンにもすでに
茶色い雨水の飛沫が飛んでいる。

私「おおい!長靴ってアカンな!
  こんな歩きにくいもの、ないな!」
M「そらあそんなに歩きやすかったら
  晴れでも毎日履くやろ!」
何の解決にもならない会話が無駄に
終わり、私は水たまりの中ほどで
相変わらず立ち往生していた。
これ以上服を汚したら、きっとえらいことに
なる。



何人か、普段はあまり一緒に遊ばないが
顔と名前は知っている程度の友達も
数人来た。
「おおーーーい!」
「おおーいい!」
「おーーーー!よーーーー!」

そいつらは、私とMが水たまりで
遊んでいると勘違いしたのか
勢いよく水たまりの中に突進してきた。

「いつできたんや!こんなでっかい水たまり!」
バシャーーーと水しぶきがあちこちで上がった。
コロ(補助輪)付の自転車で突入するヤツも
いた。
「そうか!」
ひらめいた。
濡れずになんとかしようとするから困っているのだ。
濡れる遊びだと考えたら、何の問題もないのだ!

バシャーーーー!



1時間後、私と近所の友達Mは意気軒高と
それぞれの家に帰った。
歩くたびに長靴から濁った水が飛び出して
それもまた面白かった。

もちろん、猛烈に叱られたが
あの黄色い長靴は、使い方さえ間違わなければ
無敵だ ということに気づいた。

足のサイズがあっという間に大きくなり
黄色い長靴はお役御免となった。


今でもどこかの子供が履く黄色い長靴を
見かけたら、濁った水しぶきと
真っ白でギラギラな太陽と、
進んで水たまりに飛び込んできた
無茶な友達数人の顔を思い出すことがある。


毎日、肺の中を空っぽにするほど
大笑いした日々が懐かしい。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESが吸えないのならどうしようもない。
それとは無関係に・・・。

街中だが目の前が比較的大きい公園になっている。
そんな立地に、様子のいい店があるのを見つけた。

カフェだ。

仕事の帰り、いつもとは違うルートを通ってみようと
クルマを走らせているときに見つけた店である。

夜の公園は暗い。
その店は、その暗がりにぽっかり浮かぶように
あった。
浮かぶように見えたのは、店内の照明がまことに
ちょうどよく、公園の暗がりとコントラストを
作っているからだろう。

その店は、昼間はそれなりににぎわっているらしいが
私が通る夜の時間帯は客もまばらで、観葉植物の
影が浮かび上がるばかりである。
レジカウンタと思われるところにはスタッフらしき
人物がふたりほどいて、椅子に腰かけているようだ。

その店が入っているそれほど新しくないビルは
外部に照明がひとつもなく、照明を仕込んだサインも
なく、だから店内照明に照らされるそのカフェの店内
の様子が、大きい窓から浮かび上がっている。

エドワードホッパーのナイトホークスといえば
私が大好きな絵なのだが、その絵から緊張感と
そして暗い予感をほとんど取り払ったような、
その店にはそんな空気が漏れている。


店のすぐ手前で信号待ちする機会には、通り過ぎるだけ
の日よりもさらにじっくり観察してしまう。
とてもゆったり時間が流れているように見えるのは
その時間帯にはその店は暇だからだろう。

前を通り過ぎる一瞬、あるいはそこから数分間
頭のなかで妄想するのが気に入っている。
どのようなメニューがあって、どんなオーナー、
どんなスタッフが働いていて、そして今日はどんな
客が来て、どのような会話があったのか。
まるでドラマのようなことが起こったか、あるいは
何事もなくただ、晴れた日に過ぎなかったのか。
そのような妄想が、仕事終わりの帰途に頭を過るのが
気に入っている。

私はその店に立ち入ったことは一度もない。
そして今後もおそらくない。
しばしばその前をクルマで通りかかるだけだ。

はてそんな店がどこにあったっけ?
土地勘のある方は詮索するだろうが、
そんなことどうでもいいではないか。

街中の暗がりにぽっかり浮かぶ、
様子のいい店がどこかにあるというだけで
充分いい話だろう。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESがあれば完璧だった。
それとは無関係に・・・。

ゆっくり寝すぎた休日。
リビングの丸テーブルにパソコンや原稿を広げて
何の因果か仕事する。
休みだろうが何だろうが、締め切りは迫るのだ。
日よけを取り付けたので真夏の窓辺でも座っていられる。
外には真夏の緊急避難用のゴムプール。
キラキラゆらゆらと水面が動いて「今すぐ仕事など
やめて飛び込め」と誘惑している。

ヘッドフォンで音楽を聴きながらでも、仕事は進む。
最近はフランス語の唄をよく聴いている。
何を言っているのか見当もつかないのがいいBGMになる。
オフィスにいるときよりも捗る。
電話も入らないし別件も飛び込んでこないし
腹もそれほど鳴らないからだ。

頭の中でレイアウトしながら原稿を書く。
調べもの、特にスペルを確認しながら書くのだが
まったく便利になってきた。
昔なら電話をかけまくったり人に会ったりする必要が
あったはずなのに。


一通り原稿書きが終わったらそれを送信して終了。
今度は裏庭の草刈り。これがなかなかの重労働。
汗が流れ落ちる。腰が痛い。

で、それが終わってゴムプールに飛び込むわけだ。
ゆらゆら水面とシンクロして揺れながら
昨日届いた本を読む。

という、まことにありがたい休日。






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


感謝  




GITANESをろうそく代わりにして祝いたい。
それとは無関係に・・・。

このブログを開設してから、約35万人以上の人が
訪問された。
そしてとうとう「閲覧記事(ページ)数」が100万回
を超えた。
つまり、35万人の人がアクセスしてくれて
累計100万の文章を読んで呆れた ということである。

途中で随分削除したページもあるが、総記事数は
2200以上になっている。
くだらないことでも継続さえしていれば
数字上はそれなりになる ということの証明だ。

もちろん、書いて投稿しているだけでは
100万回読まれることもない。
すべては訪問者・つまり貴方や貴女のおかげ
なのである。
ああ、1記事につき1円でもいいから
有料にしておけばよかったと思わぬでもないが
とにかく、おつきあいいただきありがとう。

SGCはまだまだ続くことをお約束します。


コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )






GITANESのジ の字も知らぬ頃。
それとは無関係に・・・。

ハタ君の家は、川沿いの道で八百屋をやっていた。
八百屋だけど、いろんなものを売っていた気がする。
私の家からは歩いて走って10分ちょっと。
友達になったのは小学校入学で、同じクラスになったから。
幼稚園のときはハタ君はいなかった。
他の幼稚園に行ってたのか、近くの保育園だったのかはわからない。
いつもニコニコしていたハタ君と、すぐに友達になった。
小学1年生だから、別にどこか遠くへ一緒に出掛けるということも
ない。ただ、たまに向うの家に遊びに行ったり
うちの近くの空き地や裏山で遊んだり、学校で遊んだりする仲だった。
どちらかというと私の方がやんちゃ坊主だったので
きっと一方的に迷惑をかけていたと思う。
それでもハタ君はニコニコしていて、一緒にいろんなところを
走り回ったり探検したりしていた。
教室ではヒステリックな先生にボロクソに叱られた私に
おどけた顔、おどけた動きでなんとか笑わそう・温めようと
していた。いや彼が、誰かが怒鳴られているという雰囲気に
耐えられなかっただけかも知れないが、
『そんな顔しても、オモロないねん・・・』と言う私に
しつこくしつこく構いにくる子だった。


1年生の終業式で先生がハタ君を前に呼び
皆に言った。
「ハタ君は残念ながら引っ越しして転校していきます。
2年生からは他所の小学校に行くことになりました」
ハタ君はにこにこしながら、何やら言っていた。
そうか、ハタ君とはもうすぐ会えなくなるんだ。
そういう経験がなかったから、どうしていいかわからず
私は無駄にテンションが高かったように思う。
ハタ君とは下校ルートが違うのに、ハタ君の家の方まで
なんとなく一緒に帰って行った。
「なあ、いつ引っ越しするん?」
「うん、なんかあさって って言ってたよ」
「そうなんか」
「うん」

その日、一旦ランドセルを置きに帰り
すぐにハタ君の家に誘いに行き、近所の空き地で遊んだ。
次の日は裏山で、他の何人かの友達も一緒にハタ君と遊んだ。

その次の日も、ハタ君の家に行った。
お店はたたまれ、荷物がほとんどなかった。
前にトラックが停まっていた。
ハタ君とお母さんがいた。
お母さんが
「あらあら、さすがに今日はもう遊べないわ」

あ、そうか。引っ越しの当日って、遊べないんだ。

ハタ君のお母さんが、ビスケットを私に持たせた。
普通に市販されているビスケットだった。
ハタ君ちの店の売り物だったのかもしれない。
「今までずっと仲良く遊んでくれて、ありがとうね」
とお母さんが引っ越しの手を休めず言った。
どう返事していいかわからず、黙ったまま回れ右をした。

振り向いたらハタ君はニコニコしたまま
こっちを見ていた。

「ハタ君!!」
「はいよ!」

なんて言ったらいいんだろうか。
お礼かな、なんだろう・・・。

「ハタ君!!バイバイ!!」

ハタ君はなんだかクシャクシャの、それでも
過去最大級のニコニコ顔で

「うん!!バイバイ!!」

と、私と同じぐらいの大声で返した。
周りのオトナたちが少し笑っていた。


また回れ右して、川沿いの道を走った。
ビスケットを落とさないように両手で持って、走った走った。

「なんで、こんなときみんな笑えるんやろなあ・・・。」

家まで走った走った。
土手沿いは桜で白とピンクで染まっていて
それが眩しくてあんまり見たくなかった。
川面も染まっていた。


それから一度も、ハタ君とは会っていない。






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANES日和が懐かしい。
それとは無関係に・・・。

前日のうちに、次の日着る服を用意する習慣がない。
漠然とは想定するものの、やはり目覚めたときの気温や湿気、
これからどうなっていくかの予想、そして何よりも
どんな気分なのか・がわからない内に着るものを用意する訳にはいかない。

スーツというのは基本的に、寒い時期にも暑い時期にも向かない衣服である。
それを例えば、しっかりとした目付の生地とかフランネルの生地を選んだりして
真冬を過ごす。
もちろんズボンの下にもう1枚履いたり、シャツの下に暖かい昨日の
下着を着込んだり、またコートやマフラー手袋を駆使してなんとかする。
それでも基本的に、真冬はスーツを快適に着るシーズンではないだろう。
そもそも厚着しなければならない時点で、適していない。
もちろん個人的な感想だ。


最高気温の予想が5℃前後なんて日は、スーツ着用をあきらめる。
あきらめる自由がある職種だからできることなのだが、そうさせてもらう。
15℃近くなるとこれはもう、スーツ日和だ。加えて
雨が降らないなら。

下にいろいろ着込まずに、コートを着たり脱いだりする必要もなく、
手袋をどこかへ置き忘れる心配もせずに、着用感が軽いスーツが着られる環境が
スーツ日和なのだ。

スーツ日和にしかスーツを着用しない・という訳にもいかない事情もあるが
せめて気に入ったスーツはスーツ日和に着たい。

そろそろスーツ日和が増えてくるシーズンである。
そしてその後は、麻のスーツが出番を待っている。

今夏には、オリーブ色の麻スーツを着る予定である。
もう冬には飽きた。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ