GITANESもひょっとしたらそのルートで買っていたかも。
それとは無関係に・・・。
ゆっくり書店をのぞく時間も減ってきたので、本を買うのはもっぱらネット通販である。
ネット通販(平たく言うとアマゾンなんだけど)のマイナス点は
「買い過ぎる」ことだ。
リアルの書店で買い過ぎると持って帰れなくなるほどの重量になるので
さすがに買い物途中で「こりゃ買い過ぎだ」と自覚できるのだが、通販になるとそうはいかない。
おかげで自宅には数日おきには本が数冊ずつ届く。
朝届いて、また夕方届くなんて日もあって、宅配業者のおにさんもちょっと苦笑い気味である。
最近届いた本で、気に入ってじっくりじっくり読んでいるのは
素湯のような話
という本である。
内容をブックデータベースから引っ張ると、
酒は飲まず煙草は吸わず、碁も打たず将棋も指さず、謡も謡わず茶も立てぬ、世間的に云えば無趣味極まる男である。
暇さえ有れば独り杖を曳いて気侭に歩くだけの事である―、繊細かつ鋭敏な感覚を持って文学の世界に遊び、
独り歩くことを好んだ素白先生。自然を愛でる心や、庶民の目線で物を見る姿勢は、思索にとんだ文章となり、
静かに響く。幻の小説1編併録!
ということだ。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
岩本/素白
1883‐1961。国文学者で随筆家で散歩の達人。東京府麻布に生まれる。
早稲田大学文学部国文科教授で随筆文学講座を担当
という人物が書いたもの。
恥ずかしながら、かどうかは知らないが、この本を発見するまでは著者のことをまったく知らなかった。
私が生まれる前に亡くなった著者ではあるが(そんなこと言ったら紫式部もそうなんだけど)、
じっくり読みたくなるような本なのである。
現代においてもこのような書き手はきっといるには違いない。
そうは思うが、多分少数になっていて
これからますますそのような書き手は減るだろう。
物事のディティールを細かな観察眼でじっくり見、それを言葉で表現する。
ということは、観察方法も確かでなければならず、それを表現する言葉のストックは当然膨大でなければならない。
現代ではそういう作業は、ひょっとしたら「写真」に置き換わってしまっているのかも知れない。
目の前の景色を言葉で表現するよりは、写真の方が「多くの場合」早いからである。
それがいいか悪いかという問題ではない。
そういうものなんだろう。
こうして写真を主役とする日々の記録は隆盛を極めつづけ、文章で書き留めるという作業は
マイナーになっていく。
もっとこの傾向が続いていけば
SGCの存在価値は相対的に上がっていくので(希少性という意味でのみ)、
別に全然かまわないのである。
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