the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 




GITANESウィーク。

それとは無関係に・・・。

さて、ゴールデンウィークである。
ということは、仕事ばかりする期間 ということでもある。
慣れればなんてことはない。
これから就職する若者諸君、GWに働くのはいいもんですよ。
少なくとも、GWに行楽地へ遊びに行くよりは快適です。


年間に何回か、朝起きたときに
「ああ、こんな日は一日中本でも読んでいたいなあ・・。」
と思うことがある。
大体年間に350回ぐらいだろうか。

もちろんそんなことを実行に移してしまうと、
「じゃあもう、一生そうしていなさいな。」てなことになるので
仕事に行くわけだ。もちろんGWでも。



ジャケットを手に持ち、シャツ一枚で
駐車場から仕事場まで歩く。

GWの仕事、万歳。









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予定  




GITANESは甘く苦い。
それとは無関係に・・・。

休暇。

大した用事はほぼなく、午前中は陽だまりの坪庭で
靴磨き。
つま先、かかとを重点的にやるが、なかなか鏡面仕上げという訳にはいかない。
難しいものだ。


午後から某店へボーダーのロンTを買いに出かけようと思った。
ボーダーロンT欲しい欲しい病だ。発作的な。
そうとしか言い様がない。


渋滞しそうな時間帯だし、渋滞しそうなロケーションでもあるので
ミニバイクで行こう。


いや、その前に兄の見舞いだ。
最近ご無沙汰だ、病院へ寄らねば。

橋出血。

橋とは、脳幹部にあり延髄の上に乗っかっていて
その上には中脳が乗っかる。
延髄と脳の橋渡しの部分である。

ここから出血があった場合、すぐにこん睡状態や呼吸障害が生じ、やがて、死ぬ。
外科手術が及ばない場所であるからだ。

年末に発症した兄は、年内もたないだろうと宣告された。
患部が患部だけに、そして検査の結果の状態を見ても
一両日がヤマだろうと言われた。


しかし、持ちこたえた。新しい年を迎えることができた。

管だらけで意識もないにしても、持ちこたえた。

意識がなくなった兄は、病院のベッドに横たわったままになった。
何度会いに行っても、当然その状態のままである。




家の者が風邪をひいたり、それが長引いたりして
つい見舞いに行けなくなっていた。何かの菌でも持ち込んでしまっては
文字通り死活問題になるからだ。

ミニバイクで病院へ。


管に繋がれた兄が寝ていた。

折りたたみ椅子に座り、腕を軽くさすってみた。

眼が開く。



唇が動く。舌も動く。

完全に認識している。ゆっくりゆっくり、何かを言っている。

マダマダ、マダマダ・・・

まだまだ退院できないなあ とでも言いたいのだろうか?

「あれ、起きてる?」

何か返事する。

「おお、そうか。」

何か言う。

「わかる?」

何か唇が言っている。目線も合っている。


しばらく会っていないうちに、兄は意識を取り戻したようだ。


転院する前の大きい病院で医師に
「橋出血です。発症からの時間を考えると、もう危ないです」と言われてから
数か月で、何が起こっているのかわからないが、

「じゃあ、また来るよ。」と言ったとき、確かに顔の左半分で笑った。



病院を出て、ミニバイクにまたがる。

どうしようかと考えたが、予定通りボーダーロンTを買いに行くことにした。

「そうか、重篤ではあるが、危篤ではないんだなあ・・・。」
そればかり考えながらバイクで走る。


変な店員さんを捕まえて「ボーダーのロンTはありますか」?」と尋ねたが
「ごめんなさい。もうすべて半袖に入れ替わっちゃってます」と言われる。


あれほど欲しかったのに、
もうボーダーロンTなど、どうでもよくなっていた。









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演説  




「GITANESは一般的にジタンであります!ジターヌともいいます!
ジタネではありません!」

それとは無関係に・・・。



地元では選挙戦が続いている。

昨日も選挙カーが大音量で怒鳴りながら走っていてが
それについてどういう訳か違和感を持った。


あれ?なんか、違うなあ。



たまたまネットで見つけたのだが、選挙カーでの(走行中の)
演説は法律で禁じられているとのこと。
(名前の連呼ぐらいしか認められていない。)


そうか。
違和感の理由は
「走りながら演説をしていたから」だった。

あの陣営は知らないんだろうなあ。
それとも、知っていながらやっているのか。


いや、ネットの情報が古くて
今は許されているのかも知れない。


どっちにしても、うるさい。




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GITANES嗜好者はジイシキタカイケー。
それとは無関係に・・・。


イシキタカイケー。

意識高い系 のことだ。
最近ではとても面白い、少なくとも私は面白がっている言葉である。


意識高い系に(笑)をくっつけて揶揄している人も
適切なレッテルは思いつかないが、明らかになにかしら系であろうが、まあそれは措いて、

意識高い系。


いいなあ、意識高い系。

いいぞいいぞ、意識高い系。


そういう分類の仕方で言えば、私は間違いなく
イシキヒクイケーか、あるいはあんまりイシキ無いケーか。

まあいいか。


頼もしくて楽しくて、かつ何かをとりあえず引っ掛けておくのにちょっと便利な
壁の釘のような、
イシキタカイケー。

最近ではみんながなんとなくそれを揶揄して笑っているが
決して自分はそうではないと思っている(けど実は)イシキタカイケー。

あなたも私もみんなまとめてイシキタカイケー。






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GITANESを屋外ソファ(特価)でゆっくり吸ってみたい。
それとは無関係に・・・。


引っ越しして2年。

ようやく重い腰を上げて造園業者に坪庭の整備をお願いした。



それからもう1か月以上経つが、まだ見積もりは出ない。

電話で「いつになるの?」と確認したが、先方は平謝りで「立て込んでいて、申し訳ない」
とのことなので、それ以上何も言えない。


きっとその会社での、わが坪庭の優先順位が低いのだろう。

親戚の植木屋をすっ飛ばして、少々の義理があるからと選んだ業者なんだが、
この仕打ちだ。



やっと戸外で過ごせるような陽気になってきたが、
造園が間に合わぬ。


きっと完成するのは梅雨の最中とか、真夏とか。

もう、催促の電話をするのも億劫になってきた。

ま、そんなもんか。







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GITANESのパッケージに通じるところもある。
それとは無関係に・・・。


昔々、何気なくテレビを眺めていて
突然現れたCM(正確にはその音楽)に強烈に惹かれたことがあった。
VSOPの来日コンサートの告知だったと思う。1980年代か。

遅まきながら知ったのは、それが「処女航海」だったということだ。

昨日がハービーハンコックの誕生日。

75歳なんで信じられない。

さあ、なんとなくムズムズするMAIDEN VOYAGEを聴こう。




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GITANESのパッケージ色のスーツが欲しい。
あ、持ってるか。
それとは無関係に・・・。


理由があって、紺のスーツ(シングル)、白のシャツ、
紺のネクタイ、白のポケットチーフ、茶のベルトと靴という格好で出社した。


それだけで、
「お、どうしたの?」
「え?今日は何?」
「あ、どうしたんですか、その恰好」
と複数の声がかかる。

おかしな話だ。私はただのサラリーマンなのだから、それらの疑問を持つ方が
どうしてなのか疑問なのだ、私から見ると。



少なくともこういう格好で日々過ごしておれば、例えば先日部下の女子に
「あなたは威圧感が半端ないからちょっと一緒に働くのはNG」と言われたが
そういう状況も緩和されるのかもしれない。



で、会社のオーナーにも
「お、何や今日?」と言われてしまった。

いやいや、私はあなたのもとで働いている普通のサラリーマンなんだから
これも自然なんですが。





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GITANESすらポケットに入っていないのに。
それとは無関係に・・・。


大人になったら万年筆を使うものだ。



そう思い込んでいたのは、祖父や父が日常的に万年筆を使用していたからだろう。
それを見ながら育ったのだから、それには何の疑いもなかった。

ところがどっこい。


私は万年筆を1本も持っていないし、これから万年筆を使う姿も想像できない。

そもそもどこで使っていいかわからないし、使わなくても困るシーンが全く
ないからである。

なんちゃって万年筆なら毎日使っているが、それはボールペンでも一向に構わないような
使い方しかしていない。


祖父や父と私の間にどのような差があるのだろうかと考えると、
まず彼らの時代は「手書きしかなかった」という違いが大きい。
私が(我々が)カチャカチャとキーボードを打つ代わりに、彼らはせっせと
ペンを持って文字を書くしかなかった訳だ。

そしてもうひとつの最大の違いは、私が「字が下手」だ という点である。
そこがもう、悲しいほど違っている。

「汚い文字しか書けないのに万年筆なんか使うと笑われる」というコンプレックスが
最大の理由なのだ(自己分析によれば)。


こういう境遇になってしまってから振り返ると、やはり幼少のころからいろいろ
習い事の類をやっておけばよかったなあ と思わんでもない。

英会話、水泳、ピアノなどなどいろいろあるだろうが、
やはり真面目に習字・書道をやっておけばよかったのに と思う。









大人になったら万年筆を使うものだ。


もう私は大人を通り越してしまうような年齢に近づいていく。

いつかはお気に入りの万年筆を所有するときが来るのだろうか?




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違和  




GITANESは何から何まで違和感でできている。
それとは無関係に・・・。


S系巨大なカフェの

ほぼ満席状態の中で、

大きいテーブルを占拠して

複数の本やノートを盛大に広げてお勉強する。


または、

そこでビジネスマンが手帳やノートパソコンを広げて

バリバリ仕事を始めて、

色んなところにガンガン電話しまくっている。


もはやそれは社会的には自然な光景になったのかもしれないが、
私は、ちょっと違う気がするぞ。






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GITANESはたばこではなく、GITANESである。
それとは無関係に・・・。


アイ アム なんとか という文字を掲げるのが流行っているのか?

ほとんどテレビを見なくなったので、そういう流れがあることを初めて見知ったとき
よく理解できなかった。

あきらかに「アベ」という名前ではない人が「アイアムノットアベ」という文字を掲げ
テレビで何かを喋っていたらしいが、え?なんだ?


1 アベという名前の人が「アイアムアベ」という文字を掲げた。

2 アベという名前の人が「アイアムノットアベ」という文字を掲げた。

3 アベ ではない人が「アイアムアベ」という文字を掲げた。

4 アベ ではない人が「アイアムノットアベ」という文字を掲げた。


という4パターンが考えられる。



1・・・そりゃ、そうだろう。

2・・・いや、違うだろう。

3・・・ウソつけ。

4・・・何をわざわざ。


と思うのだが、こっちのほうがおかしいのだろうか?





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GITANES嗜好者になったきっかけは、たまたまそのタバコ屋が
GITANESを売っていたから。
それとは無関係に・・・。


あの神社のさくらは咲いたのだろうか?
と気になって、隣町まで車を走らせた。

隣町とは私が生まれた町で、17歳で転居するまで
育った町である。
生家は小さい長屋でもう取り壊されてなくなってしまったが
その神社はもちろん今でもちゃんと、当たり前だが元の場所にあった。


桜はそれほど咲いていなかったが、それが十分埋め合わされるほどのいい天気で
気持ちのいい散歩になった。

途中参道ですれ違って「こんにちは」とあいさつを交わしたのは
神主のS君だ。

ひとつふたつ年下の彼は、父上と同じ顔になっていた。
もう40年ほども会話をしていないので向うはまったくわからなかっただろうが、
私は彼の父上の顔を鮮明に記憶しているので間違いない。


それにしても、鮮明に顔を覚えている彼の父上だが
その当時の父上は、現在の私よりも年下だったのだろう ということに気づき愕然とした。

随分遠い存在という意味での「オトナ」に見えていたのに、もう私はその年齢を追い越してしまった。
私の中身(精神)は子供のころとほとんど変わっていないのに。



ともかくさくらが数十回咲いたり散ったりしている間に、そんな変遷があったわけだ。



誰でもそうなんだろうが、子供のころ仰ぎ見る大人と
実際に自分が到達した(はずの)大人にはかなりの差がある。

あの頃のおとなは立派に見えたが、いま大人である私は中身がまだ子供と差がない。


また、新社会人になったころの会社の先輩・特に40歳を過ぎたような人々は
かなり貫禄があるように見えていたし、いろんなことを知っているのだろうなあと
思ったものだ。のちにほとんど誤解であることも判明したが、それでも「年上」という存在は
立派に見えたものだ。

また、まだ若いのに例えば大きい企業や組織のリーダーとなって
大活躍している「年下」の人も数えきれないほど存在する。
カルロスゴーンは、現在の私の年齢のときには日産のトップに就いていた。



年上の世代にも引き離され、年下の世代にも置いて行かれて
まるで自分だけ撮り残されているような気分に陥る。


4月1日は私が就職した日である。
そしてそのままその会社に在籍している。

取り残されないように日々研鑽するのみである。





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