GITANESが常にポケットに一箱、カバンに一箱、
机にワンカートンというのが日常だった。
それとは無関係に・・・。
恐るべきことに、もう年が明けてから1週間以上経過してしまった。
なんということか、全人類は寿命が尽きるまでの日数からすでに
1週間も消費してしまったのだ。これは大変なことだ、急いで
忘れよう。
一昨年の年末(12月の半ば)から、取引先各位にCCで
御礼とごあいさつというメールを送信するようにした。
内容は、今年一年の御礼と来年もよろしくというものだ。
非常に礼儀正しいではないか、私。
ところが真の目的は外にある。
何度も何度も何度も何度も書いているが、無駄なあいさつ回りを
撲滅したいだけなのである。
歳暮を頂戴して、2,3週間経ったら年末のあいさつにいらっしゃって
元日あたりには年賀状も届いて、そして年明けすぐに年始のあいさつに
入れ替わり立ち代わりいらっしゃる。
これらのどれかは確実に無駄、本音を言えばすべて要らんことなのだ。
『年末年始はあいさつまわりが仕事だ!』と営業マン心得を忠実に
守っているのか、旧弊からなかなか脱却できないのか知らないが
挨拶を頂戴する側としてはそんなことばかりやっていられないのだ。
忙しいのだ面倒くさいのだ声が枯れるのだ咳が出るのだ立ったり座ったり
が煩わしいのだうれしそうな顔を作るのが大変なのだ同じような話を
するのが億劫なのだ。
それでももちろん大歓迎な芝居を完璧に演じるのだが、各営業マンの鑑
諸氏が「一日に何十件も廻らないといけないのが大変だ!」と
思っているのと同様に「一日にそういう人が何十人も来られる」のも
なかなか大変なのである。
これはもう分数の約分みたいにできないか、相殺できないのか。
これが毎年の不思議、毎年のストレスなのである。
もし、せーの!でやめることができれば、年末と仕事始めの日の
渋滞がかなり減る。ガソリンの消費は抑えられ、交通事故も減る。
本来の仕事にみんな集中することができる。
やることがないのなら休みを増やせばいい。
まことに良いことづくめではないか。
だから、そのあいさつのメールは署名のあと追伸として
「年末年始のごあいさつにお越しいただくのは恐縮ですので
本メールでごあいさつに代えさせていただきます。」
と添えている。言外に「来るに及ばず」ということだ。
このメールを送ることによって、相手側はいくつかに分類
できるようになった。
一番多いのは「そのメールに対し、挨拶メールを返信する人」
である。
そのほかには
「反応がない人」
「メールに対し、電話をかけてきてメールの御礼とあいさつをする人」
「そんなメールに関係なく年末にも年始にもやってきて、口頭で
メールの御礼を述べる人」
やっぱり来社する人はもう何の手立ても効かないのだろう。
諦めるしかない。自分だけは特別なのだと思い込んでいるようだ。
一番やっかいなのは、私の事実上の「訪問辞退」のメールにも
かかわらずやっぱりやってきて、その時こっちが留守だったので
ごあいさつというスタンプを押したメールを置いていき、私が
戻っていそうな時間帯を見計らって電話をかけてきて
「さきほどお留守だったので」とあいさつし、また後日やっぱり
会社にやってきて「名刺やお電話でのあいさつで失礼したので」
と結局直接あいさつの儀式を強行する、というスタイルの人で
目下これが最強最恐である。
もう「謹賀新年」のかわりに、「立入禁止」という四文字を
どこかに貼っておくしかないのかも知れない。