the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESを吸いながらのビデオ鑑賞は
非常に不健康だ。美味いから。
それとは無関係に・・・。


20年近く前は、本屋とビデオ・CDレンタル店に
配属され、店長をやっていた。
当然のことながら、知らないビデオがたくさんあった。

役得というべきか、店が終わる0時から
翌日の開店11時までの間なら、自店で無料でビデオを
借りることができた。
一応取扱商品なのだから、それを勉強するという意味で。

夜中に帰宅して朝までにビデオを観て、オープン前に
返却するということだ。
これならば機会損失はないからである。


その店に配属されていた1年少しの間に数え切れないほどの
映画などを観たのだが、今思い起こしてみると
何度も何度も繰り返し借りたビデオが何本かある。

レスリーニールセンのPOLICE SQUAD!だった。

(社会派の問題作・なんてものを挙げないのが
私の奥床しいところだ。)


その後何本も続いた邦題「フライング●●」というタイトルの
映画などはどうでもいいのだが、そのアメリカのドラマは
私にとって別格だ。


で、そのレスリーニールセンが亡くなった。

84歳。


ああいう(役柄の)感じの、「見事に周囲と調和」できなくて、
「基本的には内面でふざけ」ているオトナになりたいものだと
願っていたものだ。


ある意味(悪い面で)その願いは見事に達成できたのかもしれない。



早速DVDを注文した。
到着が楽しみである。



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手数  



GITANESは自動販売機では買えなかった。
タバコ屋さんはさぞ煩わしかっただろう。
それとは無関係に・・・。


手数。
てかずではない。てすう。

手数料という言葉を聞くと、即座に人的パワーを連想する。

その作業、その取引、その工作に関しては
誰かしら、人間の手がかかわっているのだから
それに対する費用は当然発生するだろう

という考え方に導かれるのが「手数料」。


ちょっとした工事などを発注するときには、これが
「手間料」という名前に変わる。
工事費のことだ。

材料費5000円
手間賃50000円

というような見積もりもよく見かける。

自分でやりなさい

という無言のアピールなのかも知れない。



で、手数料だ。

私の場合、最も頻繁に接するのが銀行ATMの手数料である。

ずっと違和感があるのだ、機械の手数料。


銀行側・利用者側双方の「手数(手間)」を簡略化して
もっと便利になるように、もっと迅速に利用できるようにと、
色々な「手数」を取り払うことが機械化であるのに、
「手数料」。

もう変えませんか、手数料。

誰もいないシステムに支払う「手数料」。

同じ金額でも「休日利用料」とか「無料時間外利用費」
という名目ならば、別に現在の「手数料」とまったく同じ金額でも
かまわないのだ。
「手数料」という名前が気に入らない。



先日も紙幣を10枚ほど、ATMの紙幣投入口に入れた。
もちろん、てんでバラバラな向きの紙幣を乱暴に放り込んだ
のではなく、それなりに揃えたつもりの紙幣である。


一旦フタが閉じられたが、すぐにまたフタが開き
ディスプレイには
「紙幣を揃えてもう一度入れ直してください」


粗方揃えられている紙幣をきちんと整理するぐらいは
できる機械だろうに、「利用者本人がやりなさい」
ときっぱり言い切って、自分の手数を減らそうとするATM。

これで手数料を払うのがこちらで、もらうのがあちらなのである。


機械利用料でもいい。名称を買えるべきだ。





あと、「からあげくん」はやっぱり「くん」が不要だ。



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ホネ  




GITANESは灰になっても臭い。
それとは無関係に・・・。


義母の納骨式。
昨年七回忌だったので、もう亡くなってから7年経つ訳だ。

仏壇に置かれた遺骨を義父も気にはしていたらしいが
ようやく重い腰をあげた。

納骨が遅くなり、いつまでも手元に遺骨を置いておくと
早くお迎えが来る(この場合は義母が義父を迎えにくるのだろう)
との言い習わしもあるそうで、義父以外の人間は
「じゃあもうしばらくこのままで(早く迎えにおいでという意味で)。」
というブラックなジョークを自然に交わしていたのだが、それを
真に受けた義父も「そりゃあ適わん」と慌てたのだろう。



大きい寺ではあるが、祝日のせいでもあるのか人影はなく、
事務所に座っていた当番らしい人に声をかけて手続き。

我が家は一応真言宗なので、他宗派の式にはやや違和感がなくもない。
お経も節回しも違うが、それが新鮮で興味深い。

終了後またアマゾンで真言宗と般若心経に関する書籍を注文して
しまった。我ながら影響されやすいもんだ。


門を出た。
もうちょっと遅ければ歩道にはイチョウの葉が敷き詰められて
それをサクサク踏みながら歩けたのに・
と思いながら、ほぼ交流のなかった義母を思い出しつつゆっくり
歩く。


その後はクルマで移動して某店で食事。施主のおごりだ。
カネがないんだから、ホカ弁でいいのに。

いや、これも供養の一つなのか。






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GITANESの味も究極に不器用だ。
それとは無関係に・・・。


もう17,8年も前からしばしば昼飯に行くめし屋。
めし屋と言っても寿司もあるし麺類も丼物もある。

繁盛店なので満席で座れないこともよくあり、そのため
あまり利用しない時期もあったり、またなにかの拍子に
通い始めたりしている。

メニューにはにゅうめん定食というのがあり、
このメインタイトルである「にゅうめん」は、「そば」
や「うどん」に変えて注文することもできる。

だったらそれはすでににゅうめん定食ではなく、そば定食・
うどん定食なのではなかろうか、
それほどまでににゅうめんというタイトルにこだわるのは
なぜなんだろうか

と、主人に確かめなければと思いつつ、今まで確認できぬまま
になっている。

その理由は、この主人があまりフレンドリーではないからである。
フレンドリーでないどころか、無愛想なのだ。この上なく。


目が合ったときにはスッと店の奥に引っ込んだり、なにやら
睨みつけるような表情になることさえある。

それでも別にそれほど不快な訳でもないし、うどんも美味いし
まあいいか と、主人のアンチフレンドリースタンスは
気にしていなかった。


昨日の昼。

その店でひるめしを食べていたら主人が近づいてきて
我々のテーブルに何かを置いた。

栄養ドリンク(エスカップ)だった。

「ま、どうぞ。」と口の端で笑った。



そうか、ただの(究極の)不器用者だった訳だ。




ところでこの店、ラーメン屋ではないのに
ラーメンもごっつい美味いのである。

(ごっつい美味いといっても、ラーメンなのだが)



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GITANESの香りを残して。
それとは無関係に・・・。


「て。」


正確には「○○して。」の方がニュアンス的に近いかも
しれない。


例えば料理名で

「○○の●●焼き ナントカソースを添えて。」


「・・・・のソテー  ●●の香りをつけて。」


なんてのがある。

あの、「て。」という終わり方が、どうもうっすら寒気が
するのである。


「ナントカソースを添えて、しっかり焼きました」


とか

「●●の香りをつけたらもっとよくなりました」

という名前ならいい(今度は『長すぎる』という問題があるが)。


「て。」で止める理由がわからない。





ファッション誌や、家具・家庭用品の通販カタログなどでは
商品名ではないのだが、それぞれの商品のコピーが結構な頻度

「て。」

で終わる。

例えばあのコートには「季節の風を感じて。」

その紅茶には「午後のひととき、自分をみつめて。」

あの枕には「まどろみに時を忘れて。」


という感じに「て。」で終わる。




それ、何かいいのか?



と疑問を感じて。




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GITANESを受付で一箱渡せば、「あ、あいつだ」と
わかってもらえないだろうか。
それとは無関係に・・・。


葬儀に参列する場合、避けて通れないのが受付での
やり取りである。
何時からというのがはっきり決まっているのだから
その開始時間に合わせて参列する人が圧倒的に多い。
必然的に受付は混雑する。
行列では当然のことだが場所柄、静かにおとなしく
並ぶことになる。

やっと自分の順番が回ってきて、厄介なのが
「記帳」作業である。

後続の人を待たせるのも、こんなところで字を書かされるのも
あまり快適なことではないので、なるべくなら書きたくない。
だから受付の人に名刺を渡すようにしている。


ところが受付に座る人によって(強烈に勘の悪いヤツ、あるいは
まったく気が利かないか色んなことを知らない人物)は
差し出した名刺は「ありがとうございます」と受け取りながら
その上で「それではこちらにご記帳ください」
なんて言うのも存在するのだ(※昨日のお参りの話ではないです、
関係者の諸君)。

では何のための名刺なのか。
名刺渡しが趣味なのではない。

「今名刺をお渡ししましたので、それでもうわかりますよね?」
と小声でかつ(場所柄もあるから)丁重に伝えてやっと
「あ、そうですね。」
なんてこともあるのだ。その経験も一度や二度ではない。



さて、誰かと一緒に参列する場合。
なるべく待たないように、簡略に済ませられるようにと
用意周到に名刺を用意して受付で渡す。
幸いにも受付担当者が普通の方で、すんなり「頂戴します」と
受け取ってくれた。
よかった、第一関門はすんなり終わった

と思ったら、同行者は名刺を用意しておらず
記帳させられている。
結果的に名刺を用意していた私もそれを待つハメになる。




名刺を忘れたか、名刺の意味がまったくわからない人が受付に
座っていたか、あるいはきまぐれで「今日は記帳してみよう」
と思ってしまった場合。

ほぼ間違いなく、記帳させられる受付の机が低すぎる。
腰をほぼ直角に曲げて書かなければならない。
知人のIさんやKさんなど高身長のあまり、腰が鋭角に
曲がっている。気の毒に、岩場に打ち上げられた海老の死骸の
ようである。

で、用意されている筆記具もよろしくない。
大抵の場合、軽い軽いチープなプラスチックのボールペンだ。
軽い。

高価な筆記具なら達筆になるのか と問われたら
それは違うのだが、適度な重さがないペンでは本当に文字が
書きにくいのだ。
書きにくいペンを手に持ち、腰を直角に曲げて書かなければ
ならないという、この苦行。

そしてこんな環境ではいつにも増してロクな文字が書けないのに
あとで集計担当者が
「あらら、自分の住所名前を書くのに、なんと情けない文字で
あることよ」なんて嘆息交じりに苦笑いされるのである。

だからみんな益々文字を書くことが嫌いになる。


ここはやはり受付に

●高さがいろいろな机を用意しておく。

●ボールペンなら何種類も用意しておくこと。
 ウォーターマンがいいです、個人的に。

●筆、墨、硯も忘れずに。

●椅子もいるかも知れない。場合によっては畳も。

●いっそのこと、パソコンで入力させればいいではないか。
 集計もラクだし、悪筆も達筆もなくなる。



お財布ケータイみたいな「ご記帳ケータイ」のシステムが
出現するのは何年先になるのだろうか。











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GITANESという名前が辛うじて話題に上がったのは
「飛んでイスタンブール」のときだけ。
それとは無関係に・・・。


本家流行語大賞候補を眺めてみても、それほど流行った訳
ではないが、それなりに注目された言葉もあるようだ。
大流行しなくてもいいのなら、


という訳で、SGC版である。
ワードというよりも、エピソードという方が適切かも知れんが。



●食う録・料理SGC

●草食系でもヤルことはやっている。

●引っ掻き回してから放り出すハト

●アマゾン

●無表情で凝視

●防災の役所で

●スマートフォン

●@sgctw

●東京遠足

●マートンに中元を。

●タヌキ

●心のこり

●赤いヘルメット

●イシカワさん

●観賞用トウガラシ

●チャリトレ

●星影の小径


ざっとこんな感じか。


やはり今年はツイッターとスマートフォンの存在が
大きい。

下らないなりに、結構いろいろあったもんだ。






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GITANESにでも48をつけたら流行語っぽく
なるのだろうか。
それとは無関係に・・・。


流行語大賞の候補が発表されたらしい。

「2位じゃだめなんですか」や
「ブブゼラ」は知っている。

中にはなんとなく意味が解るものもあるが
聞いたことがないものや、
聞いたこともないし意味も解らないものもある。

流行語をどれだけ知らないか
というのは自分の中では大きい問題であり(ウソだけど)
知っていれば知っているほどよろしくない
という指針でもある。

今年も知らない言葉が並んでおり、よかったよかったと
胸を撫で下ろしているところだ。

以下は流行語大賞の候補の内、知らない言葉。



(クロス)カップリング


いい質問ですねえ!

名ばかり高齢者

イクメン

家庭内野党

生物多様性

ダダ漏れ

バイクコンシャスライフ

パウル君

フェニックス

もってる

モテキ

・・ぜよ!

国技を潰す気か

終活

女子会

生きもの会議

断捨離

買い物難民

ゴルコン

どや顔
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

例えば ドラゴン や どや顔 という言葉は知っているが、流行語と
なっていたなんてしらなかった。


どや顔なんて言葉は結構昔からあったし、普通に使っていたので
意外でもある。

ちなみに「どや顔」というのは
「どうだ!オレ!」という顔のことなのだが、必ずしも
ある種の表情に限定されるわけではない。
「得意げな顔」に限りなく近いが、それをもっともっと
揶揄した言葉である。

例えば「らくごのご」で鶴瓶がオチを言った後、すぐさまソデに
引っ込んでいくときの表情も「どや顔」と評されるが、ただこれには
揶揄ばかりではなくかなりの愛情も含まれていると考えられる。

昔会議でTという人が
「公平と公正は違う!」と言い放った後のご満悦な表情が
それだった。
残念なことに、公平と公正は違うのだが、そのフレーズの使い方を
間違えていた。まったくトンチンカンなタイミングだったのが惜しまれる。


カツマという人がシワケという作業の中でマイクを握って役人に質問して、
その回答の最中に、わざと遮りながらしゃべり始める時のあのカンジ、
表情のみならずあの「カンジ」

あれもどや顔である。この種が「どや顔」と評されるときは
愛情が欠片も含まれていない場合が多い。





かも知れない。



次回更新はSGCの流行語大賞候補が勢ぞろいする。


かも知れない。



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GITANESがない分、掃除が少しはラク。
それとは無関係に・・・。


2日ほど前に
「ブログを始めるなんてことよりも
部屋の掃除の方が大切ですよ」
と書いたが、それを書き終わってから
自分のデスクが凄まじく乱雑であることに気づいた。

乱雑すぎて仕事をするスペースがないことにも
気づき、思い切って整理作業。
20分で完了したが、見違えるようになった。
なんと簡単に景色が変わるデスクであることか。


資料の下の資料の下の資料の下から、
非常に重要ではあるがすでにタイムオーバーになって
しまい、結果的に最早重要でもなくなった書類が
いくつか発掘され、
「おお、そんなところにあったのか」
「おお、初めて見るけどすでに時間切れだ」
なんて出合いがたくさん。
非常に有意義だ。



もっとデスクが小さければ、いろんなものを蓄積できず
結果的に仕事の処理スピードが速くなるのではなかろうかとも
考えたが、おそらく面積が小さくなると標高が上がるだけだと
すぐに気づいた。


抽斗がシュレッダーになっており、そこに入れた書類が
否応なしにどんどん処分されていく・的な装置でもなければ
この状態は改善されないだろう。


なぜなら、
これでいいのだ
と思っているからである。



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GITANES嗜好中は、どうしてあんな数値だったのか。
それとは無関係に・・・。


デロンギのオイルヒーターとホットカーペット、
ブランケットがもう活躍するシーズンになった。

会社の事務所の窓からは、真黄色になったイチョウの葉が
見えている。
そろそろ実の争奪戦が白熱してくる頃だ。

クルマの排気ガスを毎日思いっきり吸い込んでスクスクと
育つ銀杏の実を奪い合う心境がイマイチわからないが、
まあそんなこと、どこの銀杏(の立地条件)でも同じなのだろう。



昨年の今頃は、住んでいる町に観測史上最高(量)の豪雨があり
交通がマヒ、会社までいつもなら20分もかからない距離なのに
4時間以上もかかった。あれからもう一年だ。

また、仕事上で毎日会っていた方が突然亡くなった(数時間前まで
談笑していたのに)のも同じ時期だった。


アイホンという電話を羨ましがりつつ、もうすぐアンドロイドの新しい
ケータイが出るからと、じっと我慢していたのもこの時期だ。


ハトがおかんから巨額の金を貰っていながら、すべて他人と、
そしてあろうことか母親のせいにして非難されていたのもこの時期である。
なんだか色々処分されないままのような気もするが、どうなったのか。



というような、過去のことがすぐにわかる

という面のみ、ブログをやっているメリットである。
それ以外には、たいした利点はありません。
これからブログを始めてみようなんて思っている方、

世の中にはもっと大切なことがあるでしょう。
そっちをやりなさい。

例えば部屋の片付けとか。




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点検  



GITANESを点検したら欠陥だらけ。懐かしい。
それとは無関係に・・・。


家の設備の定期点検のため、業者の人が来訪。
特に問題はなく無事に終了。
まだまだガタが来るような年月は経っていないが
ホッとする。

クルマの定期点検のため、ディーラーにクルマを出す。
特に問題はなく無事に終了。
指摘していた目立つ傷も消えていた。
あと数年乗らなければならない。大切にしなければ。


会社の健康診断の結果が出た。
特に問題はなく、各種数値も基準内。
数年前までは毎年のように異常値が出て、
数値によっては入院している知人よりも異常な数値に
なっていたが、さすがにチャリトレ等が効いてきたのか
それぞれうまく(正常範囲に)収まっている。


スマートフォンのOSアップデートもやり、
特に問題なく完了。
別に不満はなかったが、アップデートによってさらに
便利で快適になったような気がする。
もう半年ほど使っているが、半年ほど経過したのに
飽きていないケータイというのは初めてだ。



「特に問題なし」がとてもありがたく感じる今日この頃である。



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GITANESは食事がまずいときの方が、
うまい。
それとは無関係に・・・。


なかなか上達しない料理のほうであるが、ぼちぼちキッチンに
立つようになってからあと2ヶ月足らずで1年になる。
よく続いたものだと思う。
後片付けは、家人が包丁で手を切って流血騒ぎになったときしか
やらないが、それは私が片付けの作業をやると余計にキッチンが
汚れるからである。


写真は豚汁。もう何度か作っているので既に名人の域に達している。

白菜、小蕪、もやし、豚肉、マイタケ、油揚げを、ずっと観察しながら
火にかける。子蕪が崩壊寸前になるほどじっくり加熱した。
にんじんとごぼうも入れたかったのだが、残念ながら大量すぎて
汁椀に入らなくなる。



某日夕。

子蕪の葉はこっちに使った。
葉とじゃこをフライパンで炒める。ごま油。
しょうゆと酒を加えさらに炒める。「肉味噌ラー油」というものが
あったので、それも加えてさらに炒める。炒めるだけ。
人類でよかった。



某日夕。




シャケをフライパンで軽く揚げる。黒胡椒。
そして揚げる。さっと揚げる。
人類でよかった。



某日夕。


イカ、ほうれん草、しいたけ、まいたけ。
ごま油、胡椒、オリーブオイル、バター&しょうゆで
炒める。
ああ、人類で(略)


某日夕。


イカの炊き込みご飯はみりんを入れすぎたのか、少々甘く
残念な結果に終わった。
卵焼きもちょっと甘すぎ、これも残念な結果だった。
それでも卵焼きの形は我ながら上達したと思う。
最初のころは使い古しの雑巾のような形だったのに。




こう並んでみると、我が家のばんめしはなんとシンプルなんだ
と思う。
もっと豪華な晩餐もあるのだと言っておきたい。
だから来週辺りはアンコウの吊るし切りにでも挑戦しよう。
天井の強度次第だけど。




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GITANES嗜好者ならなんとなくフランスとは
仲良くできる。
それとは無関係に・・・。


センカク。

船が衝突するビデオがなぜか、そしてどこからか流出した
らしい。で、関係者もそれを「どうも本物のようだ」と
しているらしい。
私は観ていない。

公開だ、一部公開だ、非公開だ

と騒いでいる最中に勝手に流出してしまったのだから、
日本のえらい人の中にも(場合によっては中国の中にも)
心の準備ができていないまま、結果的にビデオが公開されて
しまった・というケースもあるだろう。

タイトルの優柔不断とは、「どっちか決められない」
という意味である。


「故意にぶつかってきたのだ。国交も外交も関係なく
普通に刑事犯として裁判にかけ、処罰するべし」
というスタンスの人も多いだろう。

それならばビデオは公開する必要はない・ということになる。
普通の事故を記録した映像があるとして、当事者や当局に
関係のない人から「その映像を公開せよ」と言われても
公開などしないだろう。
本件を普通の事故として公平に扱え!というのなら、
ビデオは公開されないということになる。


とは言っても事情が事情だ。
一般的な事故ではないのだから、映像公開という特例があっても
いいではないか・という意見も成り立つような気もする。
ビデオが公開されないのをいいことに、絶対に非を認めない相手を
静かにさせるためには、それなりに有効な手段かも知れない
(その映像を見たら相手が悪いということが一目瞭然だと仮定して)。


どっちなんだろう。
優柔不断だ。でも、同じような考えを持っている「普通」の人も多いだろう。

結果的に映像が流出したことで、最早焦点は公開・非公開ではなく
「やっぱり故意の追突だ!」「いや、そうは言い切れない!」という
問題に移ってしまった。ますます公開の是非は去ってしまった。




流出したこと自体はどうなるのか。
多分これは事故に関係した人間が関わっているだろうから、高確率で
その人物は公務員だろう。
守秘義務に違反している。(国家)公務員を律する法律にも抵触するだろう。
しかし、その行動がなかったらとんでもない結果につながったかも知れぬ。
いや、これがとんでもない結果につながるのかも知れない。

だから、よくわからない。優柔不断だ。


センゴクというナントカ長官は
「(流出が本当ならば)大きなメスを入れる必要がある」と言った。

組織上由々しき問題だから、事態を解明し組織(やシステム)を改革する
という意味だろう。



いくら優柔不断な私でも、ここは「おかしい!」と声高に言うことができる。


「大きなメスを入れる必要がある」というコメントは大きな間違いである。
(あるいは報道が間違っているのかも知れないが)

大きくメスを入れる必要がある」でなければならない。

『大きな』と『大きく』ではまったく違う。

久しぶりに言うが、外交官と外交員ほど違う。写真家と写真屋ほど違う。


第一、「大きなメス」なんてものは、すでに「メス」ではない。

薙刀だ。



※真面目に時事問題を考える人、申し訳ない。


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GITANESの煙が漂わないスタジオは、
情緒がないのではなかろうか。
それとは無関係に・・・。

撮影仕事終了。

反省会では写真家K.Hopper氏やディレクターNic氏、
スタイリスト・メイクのT女史たちから
「打ち合わせが少なすぎる。そもそも例えばS社の仕事の場合
60ほどのすべてのカットについて綿密な打ち合わせがあって、
前日には全カットのリハまで行われるのに、アンタの仕事ときたら
全部の打ち合わせのトータルが15分ではないか!」
と、杜撰な仕事の格好の例にされてしまった。

非難轟々・糾弾の嵐になってしまい、カレーの3杯目おかわりが喉を
通らなくなるという事態にまで追い込まれてしまった。


私ばかり非難されるのは心外だ。

大体、私が全ショットについて思いの全てを吐露したコンセプトシートを
事前にみんなに配布していたはずなのに、誰一人としてそれを読んで
いなかったではないか。
15分もかけてせっかく作ったのに、あまりにもひどい仕打ちである。





ニワ御大も
「役作りに苦労させられたぞ。本屋まで行って立ち読みしなければ
ならなかった」と言い放っていた(※買えばいいではないか)。

昨年モデル休業宣言したのに、また今回無理矢理引っ張り出された帝王T氏も
さぞ戸惑っていただろうし、モデルキャリア極小のM君(来年から役者修行に
邁進することを決めたらしい)も。

「はい!今日のためにかなり練習しました!昨日!」と、前日になってようやく
重い腰を上げたことを白状した。




しかしそういう状況下でも、私がこういう仕事に関わるようになって17,8年の
中でも最高傑作クラスの写真が連発したのだから、やり方は間違っていなかった
ということなのである。


ありがとう。皆さんにいい言葉を贈りたいと思う。


結果オーライ。






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