the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

家人の母上の17回忌。
当然ながら、いつも呼ぶ坊主は決まっているのだが
この坊主がなにしろまるでダメな坊主で、
読経のリズムも悪く、つかえて途切れて声が裏返って
聞きづらい状況をすべて再現してくれる稀有な坊主である。

省略しているのか、幸い読経は15分ほどで終わってしまうのだが
そこからの無駄な説教が長い長い。
説教はどんどん脱線していき、
今の世の中の悪いところはすべて竹中平蔵のせいだ
と、よく聞くような説を展開していく。

今日はこの長い演説会をひたすら我慢をしよう、
一体どれぐらい自分が我慢できるのかやってみよう と
苦行のつもりで耐えていた。


狭い部屋のなかは、抹香を焚きすぎてモクモク。
あ、もっと焚いてやればよかった。
坊主用バルサンのように。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESは優秀な小道具だった。
それとは無関係に・・・。

商談とかなんとかで、週に何度か初対面の人と会う。
私は別に腕時計マニアでもないのだが、情報としてはそれなりに
見たり聞いたり読んだりしているので、有名どころの腕時計なら
ある程度わかる。

で、その初対面の人の左手首に高価な時計が燦然と輝ているという
場合もたまにある。

某求人情報課長さんの手首にはカルティエのサントス。
某フルオーダーメイドを扱う業者さんの腕にはパネライ。
と、何人か例に挙げられる。

で、
「あ、サントスですね」とか「パネライ、カッコいいですね」
などと声をかけるとほぼ同じような答えが返ってくる。

「いや、もうこれは何年も前に買ったもので・・・」
「いや、もうこれは数年前にお祝いで貰ったもので・・・」

と、最近買ったものではないことを強調する。
そしてなぜか、急に右手で時計を覆うようなしぐさをする。それを隠すように。
さっきまで隠れてなかったのに。

この反応を見るのが最近面白くて仕方ない。

この手の反応をする人の共通点はどういう訳か「会社に勤めている人」である。

別に隠さなくてもいいのに。
商談の席にその時計で臨もうとしたのだから、堂々としていればいいのだ。



オーナー社長さんや起業した人に
「いい時計ですね」と話しかけても、それを隠すようなしぐさはしないことが多い。


まあ、諸々なんとなくわかる。





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

老いた祖父母の世話を手分けしながらやり、二人の死をきっちり
見届けた父だったが、その父も後を追うようになくなった。
この秋にもう13回忌となる。


父の配偶者たる私の母は認知症も進み、寝たきりであるので
法事の世話などできない。
また、長男である私の兄も数年前に亡くなった。
ということで、こういう法事の世話は必然的に私の担当となる。


私の担当になる ということはどういうことかというと

「あ!!!おじい・おばあの13回忌忘れてた!!」(おじい・おばあは半年違いで亡くなった)

という事態につながるのだ、きっちり。



で、寺の和尚に相談した。
「父の13回忌をこの秋にお願いしたいんですけど」
「はいはい、お父様のね」
「で・・・実はじいちゃんばあちゃんの13回忌を忘れてまして・・・」
「あ!、そうでしたな。」

和尚は解決策を編み出した。
「じゃあこうしましょう。1年ほども早いけど、おじいさんおばあさんは
17回忌として、お父様は13回忌として、一緒にやってしまいますか?」
「え、そんなのできるんですか?」
「やったことないですけどね、ははは!供養というのは気持ちのことですから
やるならば本当はいつでもいいわけですよ、大丈夫。三つ同時にやりましょう」


という提案に乗った。

喩えは悪いが、不幸にして大勢亡くなった事故などの合同慰霊祭もあるのだから
ファミリーの合同法事も可能だろう。
要は、我々親類がどう考えるかだ。
昔はどうだったかわからないが、幸いにして現在の私の親戚一同は
そういうことにまったくうるさくない。

ということで来週は
「父13、祖父17祖母17回忌」
という行事となる。


毎晩ハンドドリップしたコーヒーを
親父の遺影前に供える。
真夏でも熱いコーヒーでも大丈夫なんだろうか と思うこともあるが
コーヒー好きだったから、多分大丈夫。







コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )