GITANESにはGITANESの路線がある。
それとは無関係に・・・。
昨日のアクセス数は、やはりあれだけ注目キーワードを
並べただけあって、それなりに増えた。
しかし、それなりに であって、爆発的に上昇した訳でもない。
やはりここにはここの、いつもの感じがいい
ということだろう。安心した。
さて、
かなり前から気にしながらも忘れっぱなしという状態の中で
「贅沢仕立てのマルシンハンバーグというのを食べてみたい」
という願いが遂に叶った。
マルシンハンバーグというと、今から45年ほど前だから
私が未就学の頃にはこれが大好きだった。
近所にはスーパーマーケットがなく、歩いて行ける八百屋
(この八百屋の隣には魚屋があった)に、母の買い物に連れられてよく行った。
冷蔵ケースの中に白い包装の「マルシンハンバーグ」が大量にあった。
私にとってはご馳走だった。美味かった。
その八百屋に「イシイのハンバーグ」が登場するまではマルシンの独擅場だったと思う。
そして程なくして、マルシンハンバーグをあまり食べなくなってしまった。
多分母がそれをあまり買わなくなったからだろう。
40年ほど経った今、贅沢仕立てのマルシンハンバーグの存在を知り、
とうとう昨日食べてみた。
何が贅沢なのか、定番のハンバーグと食べ比べなかったのでわからないが、
正真正銘の「マルシンの味」だった。
30年ほども前に廃業してしまった八百屋(とその隣の魚屋)の光景がいっぺんに
蘇る、マルシンの味だった。
他の食べ物や、よそのハンバーグとの比較という話ではなく、
マルシンハンバーグはマルシンハンバーグとして美味かった。
家人が「私にも一口ちょうだい」と言って口に入れた。
「あ、マルシンの味!」と、同じ感想を持ったようだ。
ニコニコしながらマルシンハンバーグを食べた。
何十年も食べていなければ忘れてしまうが、一口食べると
脳内のビデオが再生されるような、儚くて強い味がマルシンだ。
と、マルシンハンバーグから一銭も貰っていないのに
(私の中では)絶賛の文章を書いてしまった。
八百屋に連れだって行った母はその頃三十台前半だったか。
彼女は今、流動食を鼻から通したチューブで
胃まで流し込まれ、病院のベッドで寝ている。
いつ行っても寝ている。たまに薄目を開ける。そして寝る。
もう八百屋にも行けないようだ。
いや、行けるようになったとしても
あの八百屋はもうなくなった。
その近くの神社がちょっと整備されて新しく見え、
知らない家が増えた。
でも、マルシンハンバーグがあれば
すぐに頭の中の古いフィルムが再生され、
古い神社や櫛比した古い小さい家、小さいころのままの友達や
若くて賑やかな母が現れる。
時間が経ったなあ、と思う。
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