the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESを線香代わりに(12)。
それとは無関係に・・・。

兄が亡くなったので、これを潮として
一時的に私が預かっていた格好になっていた先祖からの仏壇を
兄宅へ引っ越しさせた。
兄には男子もいるし、彼らも毎日手を合わせるのにいるだろうし
私的にはこれが一番いいだろうと思っているが、
兄の長子は「これを背負うのかよ・・・」という気持ちでいっぱいだろう。
まだ23,4歳だからな。無理もない。

叔父(私のこと)からのありがたいアドバイスとして、

〇この仏壇は数百年も続いたようなものではなく、せいぜい数十年だ。
〇だから、いよいよ君が困ったらこの仏壇は君の判断で処分してもいい。
〇自分の子供を祟ってやろうとする親は普通いないから、仏壇を処分されたとしても
 先祖は君に危害を加えようとは思わんだろう。
〇先祖の格納庫という見方ではなくて、君のおやじが寝てるところと思え。

と授けておいた。納得できたかどうかは知らない。
世が世なら、家系が家系ならこの若者が当主である。
好きにすればいいのだ。


さて、仏壇が出て行った後の部屋はさすがにガランとして寂しい。
私のオヤジの遺影はコピーして手元に置いているが
(事情があってお骨もあるし、ケンタロ(犬)のお骨も並んでいる)
仏壇がないとやはり締まらないものだ。慣れの問題だろうけど。


さて、日課であるコーヒーを遺影の前に供えて
線香に火をつけて適当な茶器に立てて、というところで気づいたのだが
「チーン」がない。

仏壇と一緒に「チーン」と、「チーン」用の(ドラムなら)スティックもない。

これをチーンと鳴らさないと、手を合わせるきっかけが作りにくいということに
初めて気づいた。



こんなときのアマゾンだ。

商品検索したら、やはりアマゾンでも山ほど「チーン」を扱っている。
手頃なやつを見つけたのでそれを発注した。
1,2日以内にヤマトさんがチーンを持ってくるだろう。


ところで、「チーン」は正式には「りん」という。
丁寧に表現するときは「おりん」というらしい。アマゾンにもそう表記している商品もある。
おりんというと岩下志麻を連想するが、まあそれとあれにはまったく関係がない。


でも、
「チーン」でかなり意味が通じるアイテムの正式名称が「りん」というのは
なんか変ではないか。
だからって、「今後あれを『りん』と呼ぼう という運動」を始めようなんて
全く思わない。
いくらあれの本名が「りん」だからって、もうあれは誰が考えても「チーン」だ。


ところで、「与作」の曲中に登場する「じゃーん」「シャーン」「ジーン」と鳴る
打楽器、あれも誰もが「じゃーん」とか「シャーン」などと呼んでいるだろう。

あれは本当は「キハーダ」と言って、その上、本当に本当は「キハーダ」でもなく
その代用品のヴィブラスラップ という楽器らしい。

いや、そんな本名など誰も気にしない。
ヴィブラスラップなんてありがたい、なんだかお腹に塗ると風邪の症状がマシになるよな
洋物の名前など誰も覚えてくれない。
これからも「シャーン」と呼ばれるだろう。



「りん」も「チーン」でいい。



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GITANESが臭いから警告されている というのならわかるが。
それとは無関係に・・・。


寒いからうどんでも食べようかと、ひるめしに近所の
「うどんがいかにもうまそうな店」を標榜している店へ行った。
この店の特長は、「いつも空いている」「うどんは、何の変哲もない」
「年輩の従業員がいて」「その人は不愛想」
などなどである。

いらっしゃいませ  と、お茶やおしぼりを運んできたのは
不愛想で定評のあるあの年輩の人ではない、別の年輩の人で
この人もまた元々の不愛想な年配の人を見習っているかのような不愛想な年輩の人だった。
で、いらっしゃいませ といいながらこの人に足を踏まれた。
コンマ数秒、時がとまったような変な間があったので
おそらく異物を踏んだことはわかったのだろうが、特に何事もなく
作業は進行していった。

そういえば、飲食店で席についていて
足を踏まれるという経験が何度かある。
よく覚えているのは近所のパスタ屋さんだった。
こっちは若いスタッフだったが、一瞬というようなものではなく
4人連れの我々が注文をしている間中ずっと踏まれていた。
私が注文をする順になって
「ごめんね、あの足踏んでます・・・ペペロンチーノ。」
と注文したら、これ以上ないというほど謝られて
恥ずかしくてたまらなくなって、1年ほどその店に行けなかった。


共通点は「麺の店」というところだが、麺類を食べに行くたびに
足を踏まれる訳ではないのだから、相関関係はないだろう。


さてこのうどん屋さんは、うどん屋さんだからうどんしかないです・
そばは扱ってません・そばが食べたいなら別の店舗がありますので
そちらへどうぞ というスタンスだったはずなのだが
ここ最近は「そばも始めました」ということだったので
『そうか、とうとうそばも始めたのか。扱い始めたということは
それなりに旨いのだろう』と思って『そば』を注文したら
細くてぐにゃぐにゃでぐちゃぐちゃでぬるいそばだった。
これを出すのなら『始めなかったらよかったのに。』とも思うが
それよりも「そういえば足踏まれたなあ。気まずいなあ・・・」
という感情の方が大きく、幸いなことに味がまったくわからなかった。


あ、足を踏んでおいてそっちに注意を逸らせておけば
まずいそばを出してもOKという深謀遠慮があったのだろうか。
なかなかの策士である。

いやしかし、足を踏まれたのは私が「そば」を注文する前だから
その仮説には穴がある。

いやいやしかし、そもそもうどんも大したことないのだから
やっぱりアレか、
と色々考えてはみるものの、
どんな時間帯でもすぐ座れるうどん屋さんは貴重だし
また私はそれほど間隔を開けずにその店を訪れるだろう。

何しろ、私が足を踏まれたことは「なかったこと」になっているので
こちらが恥ずかしさを感じる必要はどこにもないからだ。


ああ、

ややこしい。


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GITANES歴よりは短いけど。
それとは無関係に・・・。

会社で使っている個人用メールアドレスを変更した。
インチキメールがあまりにも多いからである。

件名が
「ご請求書」
「添付写真につきまして」
「送付致します」
などなど、バラエティ豊富で眺めていると面白いし
実際にはセキュリティのソフトやサーバ自体が撥ね退けてくれるのだが
「これこれこういうメールが届いてましたが多分バカからのメールなので
撥ねときました」という通知が頻繁に来ることすら煩わしくなってきたのである。



ということで、SGC読者の人で
仕事上でもお付き合いのある人、
もうあのメールアドレスでは連絡が取れません。

ごきげんよう。




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GITANESをすう時点でマナーも何もないんだが。
それとは無関係に・・・。

たびたび再認識することではあるが、
公衆マナーがよろしくないのは圧倒的に年配者である。
いや、自分がそういう年代層に突入する日も近いだろうから
戒めの意味を込めてそう書いている。


たしかに、群れた若者はケタタマシかったり
何かと邪魔になる局面も多いが、若いだけあって勘はよさそうだ。
試しにその邪魔になっている若者の目をじっと見つめてみてごらん。
すぐに道をあけてくれるものだ。


今日遭遇した年配者は70代後半の男性で
やはりというべきか、声が大きい。
声が大きい上に、ケータイを使うときはさらに5割アップの声量になる。
それを大病院の、おそらく周辺の科を合わせれば100人ぐらいはいそうな
待合のソファで通話を始めた。

古くからの知人に電話をしていた。
その知人との共通の知人が亡くなったか、大病を患ったようで
しきりに
「あんたがいちばんショックやろ!なあ!」と5回言っていた。

「まあ、奥さんにもよろしゅう!」と会話を締めるまで
周辺の人間は10分ほど彼の野太い声に痺れた。


定期的に大きい病院を訪れるが、毎回毎回同じように
年配者の大声の愚痴、自慢話、ケータイでの会話を聞かせてもらえる。

マナーっちゅうもんは、他人が守ってワシが快適になる道具や!!

と思っているのではないかと一瞬疑ってしまうが
まあ、まさかそんなことはあるまい。

しかし、諦めずに頑張って「マナー」を学べ。
あなたにはもうあまり時間が残っていない。
それ以上悪名を残さなくてもいいじゃないか。




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仏壇  




GITANESを線香代わりに(5)・・・。
それとは無関係に・・・。


私は次男ではあるが、故あって親と仏壇を自宅に置いていた。
おやじが亡くなったここ10年は法事一切も曲りなりに取り仕切っていたが
このたび長男である兄が亡くなったので、兄宅へ仏壇を移すことになった。
兄の家族が兄の位牌や遺影に拝むには、仏壇もいるだろうし
そもそも兄宅にある方が自然だった という理由からである。


長男だから次男だからと、由緒ある家系でもあるまいし
御託を並べる気はないのだが、仏壇がどこにあるのが合理的かと考えると
私の元よりも兄家族の元ということになる。


病院で寝たきりの母親はもう意思表示もできないのだが
まだしっかりしている頃に
「お父さんの遺骨は私が死ぬまで納骨しないでね。一緒に納骨して欲しいから」
とのリクエストがあった。
だから、仏壇が引っ越して行った後も父の遺骨は私の手元に残す。
病院は母にとっては仮の住まい、本拠地は私の自宅だから
いずれ骨になった母は私の自宅に帰ってきて、そして父の骨と一緒に
高野山へ納骨されることになる。

そういう理由で、仏壇はなくなっても父の遺骨と遺影のコピー、
それとケンタロウ(犬)の遺骨は我が家に残る。


さて、もうそうなると仏式の諸行事は
少なくとも我が家で行われることはなくなる。
それらしく毎朝毎夜線香を立てて手を合わせるつもりだが
それは仏教式という意識とは離れる。



私が死んでも仏式での諸行事はやらないことと決めた。
坊主・寺不要。戒名不要。墓は一応作っておくが、どこの宗教ということではない様式だ。
葬式はなく、お別れ会はやってもらってもいい。
線香も不要、花だけ供えてもらおう。

法事も要らぬ。
私の誕生日に、近親者にはハンバーグでも食べて思い出してもらう。

遺骨は新設する墓と、テレビの下の収納か、キッチンの吊戸棚の中へ納める。
仏壇がないからだ。不要だ。


遺影を5年に一度ぐらいの頻度で撮影しておこうと思う。
巨匠Kent Hopper氏は撮ってくれるだろうか。

子孫が私の宗教的供養グッズ--仏壇やら位牌やらなにやらを
ずっと背負っていかなくても済むように。
死んで何年経ったから○○回忌だとかなんとか、煩わされないように。

次男坊の家系であることを謳歌、とまではいかないが
ちょっと伸び伸びやれるように。

そのようにして私は煙のように消えていくのみになる。




50年後の話だけどな。




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恒例  




GITANESを吸って落ち着こうとしても
事態が好転しなかったことが多い。
それとは無関係に・・・。

毎年この時期恒例の、「あいさつまわり不要ばなし」にしよう。

今年は4日5日あたりに各事業のあいさつまわりがピークを
迎えるようだ。

4日はG社のG氏、D社のI氏、Y社のY氏、
S社のS氏、W社のM氏、N社のK氏他らが次々と事務所を訪れた。
まさか「おめでとう。じゃあさよなら。」という訳にもいかないので
一組約3~5分ほどは時間をとられる。だからこれだけでも30分以上は
時間がかかるのである。
集中して仕事をしていても、細切れに分断される。
スタッフと会話をしていても、クライマックスの寸前に止められる。
それがぜひ必要な訪問であれば仕方ないし当たり前のことなんだが、
結局は「おめでとう」しか内容がない。
そんなことわざわざ伝えに来なくても、印象が悪くなる訳ではないし
それで減点しているようなら、減点する側に問題がある。
そもそも、年賀状まで送ってくれているのにその2、3日後に
直接あいさつする必要なんてあるのか。



極め付けはI社のKという人物。

11時に電話が入り、
「うちの社長を伴ってあいさつにうかがいたいので、
 13時半ごろにぜひお目にかかりたい」と言ってきた。
K氏は普段から無礼千万な70歳がらみの男性で、まあ要望要求が日ごろから
厚かましく常識的ではない人物である。
I社の大番頭格だ。

「はい?それは『事務所で待っとれ』ということですか?」
と尋ねると、
「ああ、はいそういうことになります」との返答。

私も取引先、ましてや社長さんに敬意を払わないものではないので
13時半に待っていた。

時間通りに二人はやってきたが、
「で、ぜひ会いたいという『おめでとう』以外のご用向きはどういった事でしょう?」
と尋ねたが、
結局、おめでとう だった。


「今日はあいさつまわりだけの日だ。」
という習慣につき合わされる身にもなっていただきたいと
毎年思う。

いやあ、めでたい。



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GITANES休止から12年目突入。そろそろ復活しよう。
それとは無関係に・・・。

どうも、年が明けましたね。どうも。


元日はハードに仕事して、2日もハードに仕事して
3日が休日でお好み焼き食べて、

と、普段と変わらないことを続けております。
だから正月感などまったくありませんので
ご挨拶が遅れて申し訳ないです。

どうも。

あ、珠姫も、どうも。



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