the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESが吸えないのならどうしようもない。
それとは無関係に・・・。

街中だが目の前が比較的大きい公園になっている。
そんな立地に、様子のいい店があるのを見つけた。

カフェだ。

仕事の帰り、いつもとは違うルートを通ってみようと
クルマを走らせているときに見つけた店である。

夜の公園は暗い。
その店は、その暗がりにぽっかり浮かぶように
あった。
浮かぶように見えたのは、店内の照明がまことに
ちょうどよく、公園の暗がりとコントラストを
作っているからだろう。

その店は、昼間はそれなりににぎわっているらしいが
私が通る夜の時間帯は客もまばらで、観葉植物の
影が浮かび上がるばかりである。
レジカウンタと思われるところにはスタッフらしき
人物がふたりほどいて、椅子に腰かけているようだ。

その店が入っているそれほど新しくないビルは
外部に照明がひとつもなく、照明を仕込んだサインも
なく、だから店内照明に照らされるそのカフェの店内
の様子が、大きい窓から浮かび上がっている。

エドワードホッパーのナイトホークスといえば
私が大好きな絵なのだが、その絵から緊張感と
そして暗い予感をほとんど取り払ったような、
その店にはそんな空気が漏れている。


店のすぐ手前で信号待ちする機会には、通り過ぎるだけ
の日よりもさらにじっくり観察してしまう。
とてもゆったり時間が流れているように見えるのは
その時間帯にはその店は暇だからだろう。

前を通り過ぎる一瞬、あるいはそこから数分間
頭のなかで妄想するのが気に入っている。
どのようなメニューがあって、どんなオーナー、
どんなスタッフが働いていて、そして今日はどんな
客が来て、どのような会話があったのか。
まるでドラマのようなことが起こったか、あるいは
何事もなくただ、晴れた日に過ぎなかったのか。
そのような妄想が、仕事終わりの帰途に頭を過るのが
気に入っている。

私はその店に立ち入ったことは一度もない。
そして今後もおそらくない。
しばしばその前をクルマで通りかかるだけだ。

はてそんな店がどこにあったっけ?
土地勘のある方は詮索するだろうが、
そんなことどうでもいいではないか。

街中の暗がりにぽっかり浮かぶ、
様子のいい店がどこかにあるというだけで
充分いい話だろう。





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GITANESなら匂いで敏感に察知できる。
それとは無関係に・・・。

最近喋りながらうるさく通過する車が多い。
暴走族の車の話ではない。スピーカーで何やら
喋りながら走り回っている車だ。
自民党だと言っている。
総裁選が近いからだろうか、何やら言っている。
聞こえているのだが、まったく耳に入ってこない。
ついでになぜか共産党も喋りながら走る。
党選挙なんてないと思うが、走っている。
これまた、聞こえているのに内容がわからない。

多分私の個人的な問題なのだろう。
私は道路に林立する看板の類をまったく
覚えられない。見えてはいるのだが、内容が
残らない。
自分が乗るべき高速道路の入り口の表示すら
見落としがちである。
最近ではナビが冷静かつしつこく「ここだ、そこだ」
と連発してくれるのでなんとかなっているが
道端の文字や絵、メッセージにはまったく
注意を払えない。

ネットやテレビでもほぼ同じだ。
あっちからやってくる情報はほぼ耳を素通りする。
こちらから取りに行く情報については当然
貪欲に消化しようとするからそれなりの
成果はある。

受け身の情報は苦痛で、益がまったくない。

だから野立ての看板も自民党や共産党の
車が喋っている主張も、刺さないオスの蚊
程度の存在である。

また明日も刺さない蚊は飛び回っているだろう。
ご苦労なことである。





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GITANESの匂いがフード(フッド?)に
沁みつく。
それとは無関係に・・・。

定義は
「フード付きの上衣のこと」であるパーカ。
綴りがparkaだからパーカーではなくて
パーカだ ということはこのブログでも数回
書いている。
ネットで、アパレル各社はこれをどう呼んでいるか
調べたこともあった。
まだパーカー と表記している有名企業もあるし、
パーカと表記している会社ももおちろんある。
フーディーと表記している会社もあった。
少なくともパーカーではないと思っている。

私もパーカは手軽だから好んで着ている。
フォルムの好みで言えば、前開きなし・かぶり
のパーカが本当は好きなのだが、ジップアップ
のパーカも数着持っている。
またフロンジップは極力ダブルジップでないと
ダメである。
ウェスト周辺がスッキリするというのが
ダブルジップを選択する理由だ。

 そもそも、かぶりが好きなのにどうして
ジップアップを選ぶのかというと、
万が一何かの事故に巻き込まれでもして病院に
担ぎ込まれたとき、カブリのパーカだと
さぞ脱がせるのに苦労するだろうからである。
そして、脱がせるのに苦労する場合は
苦労して脱がしてくれる訳ではなく、服を切られて
しまうということである。


休日に、パン屋まで散歩している最中に
日頃から利用している銀行を前を通りかかった。
どうも何か妙な感じがして、足を止めてしまったが
出入口から覆面を被り武装した集団が、
何やら叫びながら飛び出してきた。
さっきからのサイレンの音はこのせいだったのか。

発砲音。

覆面男にぶつかった。
倒れながら咄嗟に足払いをして一人が転倒。
小銃の銃口を向けられたので思わず銃身をつかみ
もみ合ううちに、誤って弾が発射され別の覆面男に
命中した。
「あ!」
もみ合っていた男が声を上げた瞬間に銃を奪い取り
逃走用バンに向かっていたうちの一人の
右肩と踵を打ち抜く。
銃を奪われた男が足にしがみついてきたので
肋骨付近をつま先で蹴り、こめかみをグリップで
殴りつけ無力化した。残るはもう車に乗り込んだ
1人と運転役の1人か。

二人が通行人に制圧されたことに同様しつつも
クルマはもう発進しようとしていた。
助手席から拳銃がのぞき、こちらに向けられている。
その人物に小銃を向けた時
「動くな!銃を捨てろ!」と呼び掛けられる。
警察だ。
構わず撃つ。当たったのかどうかはわからないが
逃走用バンは発進しようとして街灯にぶつかった。
警官が発砲した。自分に向けて。
小雨だからとパーカのフードをすっぽり被り
あろうことか小銃を振り回していたのだから
そりゃあ撃たれる。
肩甲骨のあたりに熱した棒を突き立てられた
ように熱い。息が苦しい。

病院に担ぎ込まれた。まだ武装集団の1人だと
思われているのか扱われ方が雑だ。

医師「背中に被弾、貫通はしてないから体内で
止まったか。とにかく服を脱がせろ!」
手術室スタッフ「了解、衣服切ります」


てな具合なことになったら、
ひょっとしたらジップアップのパーカなら
なんとか無傷で脱がせてくれるかな
という淡い淡い期待をもって、
私は被りのパーカよりジップアップの
パーカを選ぶのである。








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GITANESを吸っている奴は
何をどうやったって、ダメ。
それとは無関係に・・・。

風水ではこうです。
と言われると途端にその逆を行きたくなる
困った性格である。
黄色の財布を持ちなさいと言われたら
真っ先に黄色を購入候補からはずす。
ただ、
「玄関をきれいにしておけ」とか
「家の裏側をきれいにしておけ」という
類のことは、風水をネタに出されなくても
その通りだろうから、従うべきなのは
わかっている。
で、玄関の掃除と裏庭の草刈りをした。
その後背筋のストレッチをして、
案の定背中が痛くてたまらない。
やはり風水的なものの逆を行く方が
私にとってはいいことなのかも知れん。

そもそも風水なんかを信じるよりは
風水作家になる方がいいのだ。
風水作家って何?と問われるだろうけど
それは占い作家と同じである。
蟹座は今週あれをやれとか、丑年の人は
明日これはやるなとか、黄色い財布をもって
ミドリの窓口で赤い舌を出せとか
そういう、それらしいのを考える人が
占い作家である。
ちゃんと本気で占いを信じて研鑽を積み
占い師になった人もいるだろう。
しかしまあ、全ての占いがそういうプロセスを
経ている訳がないではないか。

このブログでは3回ほど書いているが
私など「血小板占い」の権威である。
血液型なんて漠然としたものではなくて
血小板を覗いてそれによって占うのだ。
顕微鏡と出鱈目な文章力があればすぐなれる。

うちには顕微鏡がないから、まだ
伸び悩んでいる最中である。



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GITANES色のがあったなら。
それとは無関係に・・・。

数年前から万年筆を使うようになり、
現在手元に5本ほど転がっている。
極力ボールペンを使わずに、意識して万年筆
を使う。

昔抱いていたイメージと違って、
今は数えきれないほどの種類のインクが
各社から発売されている。
それらは瓶に入っており、「コンバータ」
と言われるパーツを万年筆側に取り付けて
吸い上げて使う。

私もそうしているのだが、最近ではやっぱり
カートリッジインク(吸い上げ式ではなくて
はじめからインクが詰まったカートリッジを
万年筆に突っ込むだけ)の方が圧倒的に
ラクだということを素直に認めている。
バリエーションは瓶入りインクの方が圧倒的
だが、インクを切らしたときの手間がまったく
違うのだ。

どんなインクを使っても、それだけで文字が
キレイになる訳ではない。
書けば書くほど、子供のころからあんなに
書道を習う環境にあったのにやらなかった
のだろうと後悔するばかりである。

SGCの読者にはそれほどお若い人はいないだろうけど、
悪いことは言わないからできるだけ
早いうちから字を習った方がいい。
なにしろきれいな文字を書く人は、3割増しで
賢そうに見える。
汚い文字がバカっぽく見える とは限らないが
キレイな文字は確実に賢そうに見えるのが
不思議なところである。




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GITANESが短いから短感。
それとは無関係に・・・。

いじめ温床のタブレット端末、パスワードは
「123456789」 町田の小6自殺

前略


 萩生田氏は閣議後の記者会見で「児童のいじめの一部が
端末のチャット機能を使って行われていた」と説明。
「現実として学校現場での、こういったパソコン、
タブレットを通じていじめが起きていたことは極めて
残念な事実であり、事実関係を確認して全国の自治体
に周知することがあればしっかりやっていきたい」
との姿勢を示した。
 
中略

◆ずさんパスワードで「なりすまし」横行か?
 自殺した小6女児の両親によると、女児が通った
小学校では、児童に貸与したタブレット端末を起動する
際のパスワードを「123456789」に統一し、
IDは児童の所属学級と出席番号を組み合わせた
ものにしていたという。
 両親が同級生らに聞き取ったところ、端末上
での会話について「自分が書いていないのに勝手
に書き込まれた」「書いていた内容を消された」
など「なりすまし」の被害を訴える複数の証言が
あったという。
 両親は「他人のIDを容易に推測できたため、
なりすましが横行していたのではないか。学校の
管理がずさんだった」と指摘する。
 文部科学省情報教育・外国語教育課によると、
端末には学業成績など個人情報も保存されるため、
個々のIDとパスワードは本人と保護者、教員以外
に知られないようにするのが基本という。端末の
管理について、町田市教育委員会の担当者は本紙
の取材に「調査中のため答えられない」と話している。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
まずアカウントの管理徹底から教えることだ。
これが「最大の教育」だろう。学校なんだから
「アカウントのセキュリティに問題があると
どうなるか」を教える側である。


引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
文春online

「読んではいけない反ワクチン本」 遺伝子改変、
不妊、何年か後に副作用…偽情報を徹底検証

前 略

科学的に正しくない記述(3)
「長期的には後遺症のリスクがある」
〈数カ月、数年後の身体の異変はまったく研究
されていない〉(『コロナワクチンの恐ろしさ』p.77)
〈副作用や後遺症や遺伝子の変化は、遺伝子が組み込まれ
ていく関係でタイムラグが生じる恐れが高いのです。
つまり、すぐには症状として表れないということです〉
(『医師が教える新型コロナワクチンの正体』p.152)

 mRNAワクチンの技術は新型コロナワクチンで
初めて実用化されました。また、人間への接種開始
からまだ1年も経っていないため、「接種から何年か
後に重大な副作用が生じるのではないか」と、
長期的な安全性を懸念する声もよく聞きます。

 結論から言うと、mRNAワクチンの成分が
長期的に体内に残ることはありません。mRNAは、
細胞内でタンパク質を合成するリボソームで数日以内に
使用され、その後すぐに分解されるからです。
mRNAによって産生されるスパイクタンパクも、
接種後2週間で体内から消失すると言われています。

 こうした機序(薬が効果を発揮する仕組み)から
見ても、接種後1年以上が経過してからの副反応は、
極めて考えにくいのです。実際、これまでのワクチン
接種では、重篤な副反応は投与後の数週間以内でしか
確認されていません。

 また、mRNAワクチンは確かに新しいプラット
フォームのワクチンではありますが、全く新しい
技術というわけではありません。

 実はmRNAワクチンの技術は何十年も前から、
多くの科学者によって研究されてきました。
インフルエンザウイルス、ジカウイルスなど、まだ
実用化にいたっていないものの、多くの分野で
ワクチンに応用すべく研究されています。何十年に
もわたるmRNAワクチンの研究では臨床研究も実施
されましたが、長期的な副反応は認められていません。

後略

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

数年後に出てくる副作用で脅す。
もちろん数年後だからそれがあれだったのか、これの
原因がそれだったのかなどわからなくなっている。
そして後遺症と思しき症状が出なかった場合は
それで話はおしまい。「出なかったからよかったじゃないか」
で済まされる。
なんだかうまいことなっている。
私が勤める会社にいた某部長のエピソードを思い出した。
業績低迷について説明を求められたとき
「今後5年で回復させるんですわ!」ときっぱり宣言した。
「じゃあその5年間の計画を説明してください」と
当然の質問が重ねられたら

「それをこれから考えるんですわ!」
と言い放ち、本人以外がひっくり返った。
それを本気で言っているというのが彼のすごいところだった。
これと根は同じかも知れない。
つまり、数年後の時点で「今」を振り返り
責任を追及されることはない・ということだろう。


引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
中日スポーツ

ネットの誹謗中傷防止『侮辱罪』懲役刑導入へ…
芸能界から反響 女子レスラー木村花さん死去では
中傷男性に「科料9000円」

 インターネット上での誹謗(ひぼう)中傷対策を
強化するため、上川陽子法相は14日の閣議後記者会見
で刑法の「侮辱罪」を厳罰化、懲役刑を導入する方針
を固めたと明らかにした。法相の諮問機関である
法制審議会は現行の法定刑「30日未満の拘留か
1万円未満の科料」に「1年以下の懲役・禁固
または30万円以下の罰金」を追加する案を、
16日の法制審総会に諮問する。

 ネットでの誹謗中傷については、昨年5月、テレビ番組
に出演していた女子プロレスラーがSNSで人格を否定
されるような書き込み被害に遭い、死去。
中傷した男性2人が侮辱罪で科料9000円の略式命令
を受けたことが「軽すぎる」と批判されていた。
 上川法相は「ネット上の中傷は同様の書き込みを
次々と誘発し、取り返しのつかない重大な人権侵害
につながる」と指摘。厳罰化を説明した。

後略
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

要るだろう。


引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
マネーポストweb

実は深刻な「じゃがいも食べすぎ問題」 懸念される
健康リスクの数々

 ご飯のおかずにも、お酒のつまみにも、お腹を満足させる
主食にもなる万能の野菜といえば「じゃがいも」。
スナック菓子でも多用され、一日にじゃがいもを口に
しない日はないのでは。しかし、そんな
“じゃがいも食べすぎ問題”が、健康へのリスクに
つながっている現実がある──。

あとすべて略

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

食べ「すぎ」と言ってる時点で当然ダメなんだが。
食べ「すぎ」が問題なのはじゃがいもだけじゃない。

水の「飲みすぎ」もよろしくないし、
健康体操の「やりすぎ」にもリスクはある。
親孝行の「しすぎ」も問題は生じるだろうし
善行の重ね「すぎ」も同様。
「すぎ」とタイトルに書いてしまったら、
もうそれでおしまいなのだとわからない人は
まだまだ多い。


引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
TBS

【独自】池袋暴走・飯塚被告控訴しない意向固める
禁錮5年確定へ

 おととし、東京・池袋で乗用車が暴走し親子2人が
死亡し9人が負傷した事故で、禁錮5年の実刑判決を
受けた飯塚幸三被告が「控訴しない意向」を固めた
ことが、関係者への取材で分かりました。実刑判決が
確定する見通しとなりました。

中略

 飯塚被告はけさ、犯罪加害者家族の支援を行っている
NPOの理事長と面会し、「遺族に対して本当に申し訳ない」
「裁判所の決定に従い、収監を受け入れ、罪を償いたい」
と話したということです。飯塚被告は、高齢で自力
での歩行も困難なため、実際に刑務所に収監されるか
が今後の焦点となります。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

本当なのか誤報なのかわからないが、これが事実なら
やっと一区切りというか。
いや遺族にとっては決して終わることのない事件
だから本当に区切りでしかないのだろうが、
「クルマが悪い」で変更線が続いてしまったら
永遠に時が止まるのと同じだろう。



引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
河北新報

ほろ苦い深いりコーヒー、少年の墓前に 学校帰りの
「常連客」を店主しのぶ

 コーヒー好きの、大人びた16歳の少年が病気で
この世を去った。行きつけは宮城県白石市福岡の喫茶店
「58(こや)コーヒー」。お盆を迎え、店主の
根本剛さん(47)はジャージー姿の少年との日々を思い出す。

 市郊外の水田が広がる福岡地区。店の近所に住む
武田歩さんが来たのは2年前の夏だった。
 「コーヒー、いいですか」。中学3年生はそう言って
入ってきた。「コーラならないぜ」。
どちらかと言えばこわもての根本さんが言っても
物おじしない。「コーヒー好きなんです」
 聞けば小遣いは月1000円と言う。店はホット1杯300円
で提供しているが、それでも中学生には高い。
「金は要らない。初任給もらったら最初の1杯5000円な」
との根本さんの計らいで、学校帰りに立ち寄るのが日課となった。
 中学生ながら深入りの苦く濃い味を好んだ。テスト終わりは
「酸味が欲しい」とも。店を始めた直後の時期で客は少なく、
暇な根本さんにすれば「おいしい」と言ってくれるだけで
ありがたかった。注文に応え続けるうち、根本さんは
「店が出したいコーヒーでなく、客が飲みたいコーヒーを
出そう」と思い、店頭にメニュー表を置かなくなった。

 歩さんが自宅で全身のけいれんに襲われたのは、白石工
高生としての新生活が始まった昨年4月。悪性の脳腫瘍。
医師は親に病名と余命を告げた。歩さんは闘病生活に入り、
店に来ることができなくなった。
 父の久さん(58)によると、歩さんは市内で入院中
の昨冬、タブレットで地図を見ながら「店に行きたいなあ」
と語った。「病院では飲みたくない」とテークアウトは
しなかった。治して「自分で行く」と決めていた。
 病と闘いながらも、今年3月までは意識がはっきり
していた。一時帰宅の際には担任に「1年生からやり直す」
と留年する意向を伝えている。復帰できると本人は
固く信じていた。
 息を引き取ったのは6月27日。人けのなくなった
通夜の場で、根本さんはコーヒーをドリップした。
ひつぎの前で、ラフな黒のTシャツを着て、
店と同じスタイルでコーヒーをカップに注いだ。
 7月18日、久さんが来店した。根本さんから聞く息子の
話は初耳の事ばかり。親の前では見せない一面を知ることが
できた。
 歩さんが好きだったコーヒーを口にする。苦いけど
飲みやすい。「大人の苦いと中学生の苦いは違う。
大人よりワントーン落とした苦さ」(久さん)。背伸び
する少年にその差は分からなかったろう。子ども扱い
せずに、息子のオーダーに応えて配慮してくれた
根本さんの気遣いがうれしい。
 久さんがカウンターに置いたのは5千円札。
「歩の分じゃない。遅くなった開店祝いだから」。
札はカウンターをしばらく行きつ戻りつし、最後は
根本さんが折れた。その両目はすっかり潤んでいた。
 お盆が来る。「テークアウトはやんだって言って
たからな」。根本さんは若い常連客の墓前に出向き、
コーヒーを入れる。深いりの苦いのを。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

略しなかった。
そしてコメントもない。






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GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

コーヒーを家でドリップするようになって
しばらく経って、自宅からそう離れていない
喫茶店の豆が美味いということがわかり、
今では完全にその店の豆しか買わない。
うっかりして豆を切らしてしまった日が
その店の定休日に当たった場合なんかは
コーヒーを飲むこと自体を諦めるほどだ。
そして、その豆を使ったアイスコーヒーも
やっぱり美味いことに気づいた。
もともとその店のレギュラー焙煎は深煎り
で、ツヤツヤで黒いから、適していたのだろう。
別に淹れ方は難しくもない。
サーバーに予め氷をいくつか入れておき
そこにドリップする。
豆はホットコーヒーの場合の1.5倍。
いい具合に落ちる頃、氷入りのグラスを用意する。
そのうちの一つは小さいグラスにしている。
毎夜その小さいグラスのアイスコーヒーを
父の遺影に供える。

朝、出かけるときに線香、帰宅したときに線香、
そして夕食後にそうやってコーヒーを供える。



9.11は、同時に大勢の人々の命日になってしまい、
そして9.11は記号化されてしまった。

自宅で病気療養していた父が亡くなったのが
9.12。
昨日から遺影の前は甘いものであふれている。
甘いものとコーヒーが好物だった。

亡くなる直前の療養中の顔はずっと記憶に
残ったままではあるが、徐々にそれが薄れてきた。
そして父を思い出す際に浮かぶのは元気だった頃の
顔である。
やっとそうなるまで、やはり10年以上かかった。





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GITANESで後味を完全に消す
という方法が使えない。
それとは無関係に・・・。

ごく稀に
宣伝に釣られてハンバーガーが無性に
食べたくなる。
商業施設併設のハンバーガーショップへ行き、
大きい駐車場の片隅に停めたクルマの中で
食べる。

大体期待は裏切られる。そんなに美味くないことが
多いのだ。
ということは、宣伝が極めて優れている
ということでもある。
そして黒いTシャツは、ポテトの塩で真っ白になる。
一旦クルマから降りて塩を払い落とし、また
運転して帰ってくる。
またしばらく行かないんだけど、しばらくしたら
また釣られて行くのだろう。

で、またこれに
E7とA7と・・・

とブルースにしてしまうのをシーリーズ化してしまえば
いくらでも記事が書けることに気づいたけど
まあそういう訳にはいかんな。




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GITANESを吸っていたとしても不思議ではない。
それとは無関係に・・・。


信号のない、細い道の交差点

左方から来た白い車が止まってた

あなたがクルマを出さないと

俺はそっちに曲がれない

近づいて初めて気づいた

キャップをかぶり運転していたのは

クラプトンにそっくりの男

さぞやギターが上手かろう

さぞやギターが上手かろう

でも運転はどうなんだ



でこれを
E7  A7  E7  
A7  E7  
B7  A7   E7

で立派にブルースになるんじゃなかろうか。





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GITANESを吸いながら読みたいのに。
それとは無関係に・・・。


朱泥抄。
篠田桃紅が1979年に出していた本がリバイバル
された。
100歳を超えた というところばかりクローズアップ
されているように思え、どうもそこが納得いかないのだが
これと同じように数年前にリバイバルされた「墨いろ」を
買ったとき、彼我の差・なんていうと本当におこがまし
すぎるのだが、あまりにも来し方が違い過ぎて、
一行ごとに調べ物をしたり深く納得したりしながら読み
愉しかったことをおぼえている。
墨いろ の次が朱泥抄というのは色の対比なのだろうかと
感じたが、カバーの見返しに

前の集「墨いろ」と比べて、墨の作に朱泥を捺したような
気もするし、

とあり、自分の直感もいいところを突いたのかな
なんて微妙に得意をおぼえたのだが、それに続き

また、ささやかな二曲一双を、墨と朱で書いたような気もする。

とあった。もうこの見返しを読んだだけでも
単純にパンチを食らったような感覚になる。

墨と朱が対比し、その上それらがともに立つことを
二曲一双 と言うセンス。
そういうセンスに恋い焦がれる。


(墨と朱が供に在ったのは)
墨がもつ己の厳しさに堪えられなくなって求めた
一点の温かさが朱であるかもしれない  と。

こう表現されてしまったら、うかうかと安易に
落款など押せなくなってしまう。

そもそも落款を押すような生活を送ってないけどな。





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GITANES嗜好者以外でGITANESと正確な
スペルで書ける人は少ないし、そんな必要もない。
それとは無関係に・・・。

刺繍の「繍」という文字の、さらにその
ややこしい方・難しい方・画数の多い方
と言えばお判りいただけるだろうか。
その文字は機種依存文字らしいのでここには書かないが、
糸へんは同じで、旁の下の方がもうなんだか
複雑な障子の桟みたいになった、あの文字である。

文字である以上筆順があるが、昨日まで正しい
筆順を知ることを放棄していた。
ついに知ってしまったのだが、多分今後書くことは
ないだろう。
私が「勝手に巨大化する文字」と呼ぶカテゴリの
文字の一つである。
「勝手に巨大化する文字」とは、
書いているうちに意図せずでっかくなる文字である。
例えば、四条畷 と書いたとき 「四条」はまあ
平静な大きさに収まるのに「畷」は突如巨大化する。
書き慣れていない文字、筆順があやふやな文字、
そもそもあっているかどうか自信のない文字は
書いているうちに勝手にでっかくなる。
天蓋 なんて書いたときは、天は普通なのに
蓋はビジュアル的に天の3割増ぐらいにでかい。
ただし、墾田永年私財法 の「墾」は
「勝手に巨大化する文字」ではあるが、
墾田永年私財法の先頭にあるもんだから
墾  に続く 田永年私財法 もつられて
でっかくなりがちなので、全体のバランスとしては
おかしくなりにくい。
「韜晦」なんて書くことはほぼないが、
これはもう両者ともでかくなる。
どう書いたら多少なりとも上手く見えるかが
わからない漢字は、勝手にデカくなる。
「憂鬱」もその代表だろう。
憂を書いている時点で、「あれ、他の文字より
ちょっと大きくなったかな」と思った直後
鬱 を書いたらさらに悲劇的にでかくなる。
書いているうちに、文字と思えなくなってくる。
ゲシュタルト崩壊という現象なのであるが、
鬱 なんて天空の城に思えてくる。

と、いつも以上にどうでもいいお話でした。





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GITANESもいずれ、過去に存在した変なもの
扱いになるのは必至。
それとは無関係に・・・。

紅茶キノコ。
それなりの年齢の方なら一度は見聞きしている
だろう紅茶キノコ。
身体にいいらしい。健康増進に役立つらしかった。
私は幸か不幸か一度も現物を見たことはないが
愛用している人も多かった。あるいはそのような
宣伝をする巧者が売っていた代物だったのだろう。
当時の愛用者(愛飲者か)はどうしているんだろう。
ひょっとしたら私が知らないだけで今も堂々と日本の
健康増進界では顔役だったりするんだろうか。
それとも絶滅寸前まで減ったが故に、残った人々は
地下に潜りますます先鋭化しているのだろうか。

そんなことはどうでもよくて、
紅茶キノコとはそもそも何だろうかと、先日
初めてwikiで調べてみた。
そうすると、紅茶や緑茶にキノコみたいなものを
漬け込み発酵させた飲料、とあった。
紅茶キノコに入っていたアレはキノコではなかった。

大胆に言うと、それすらもどうでもいい。
問題は紅茶キノコが「飲料」であるという事実である。

ということは、『キノコ紅茶』でなければいけない
のではないだろうか。
「紅茶キノコ」であるならば、健康のために
その漬け込まれたキノコみたいなものを齧らなければ
ならないのではないか。


メガネザル というと、猿の種類である。間違いなく。
そして、この世の中に「サルメガネ」という代物が
存在したとしたら、それはきっと「眼鏡」のひとつ
であるはずだ。

だから、紅茶キノコはキノコ紅茶でなければならないのに
とうとうそういう訂正もされずに紅茶キノコは
どこかへ行ってしまった(と思う)。
まあ、いいんだけど。


と、これが流行った昭和50年代に浮かんでいた
キノコ紅茶説を先日唐突に思い出したので書いた次第。

もしかしたら以前すでにこの論争があったのかもしれないが
別にパクった訳ではない。
そんなもんパクっても何のメリットもないからな。




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