the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 




GITANES嗜好中でもさすがに吸えなかっただろう。
それとは無関係に・・・。

再び近所の内科医へ。
咳は大丈夫  なんて言ってたのにきっちり咳まで出始めた。

咳止めを処方してもらうことに。

熱はない?
吐き気は?
鼻水は?
と前回行ったときに質問されていたが
やはりそれらが後から後から現れてくるような感じになっている。

ただ、吐き気はまったくないどころか、
食欲が衰えない。

食べ過ぎたところに咳が突然出て
結果的に吐きそうになることはあるが、それは吐き気とは言わない。


内田洋子
ミラノの太陽、シチリアの月
を寝床で読んでしまった。

いいなあ。

身体はいまだに辛いが、気分は少々ふわっと軽くなったような気がする。



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敷居  




GITANESを吸った後は入念な入念な歯磨きをするべき。
それとは無関係に・・・。

昨年の夏に入院を経験して以来、明らかに病院に対して持つ敷居の感覚が
低くなった。

明日から風邪の症状が出るかも、というだけで内科に行く気にもなるし
(実際はそこまででもないんだが)、通い続けている歯科に行くのも
それほど億劫に感じなくなってきた。

いいか悪いかでいうと、多分いい傾向にはあると思う。

それにしてもいつも通っている歯科は、通院のインターバルが1か月に1度だから
なかなか進まないのだが、予約の日はいつも待ち時間がゼロなのが嬉しい。
医師もこの上なくソフトでどの患者にも親切なのだ。

中にはM歯科のように、患者に怒鳴り散らすやつもいるが(M歯科は廃業したらしいが)
そんな様子は微塵もない。


こういう病院ばかりになると、世の中は明るい。いや、少なくとも生活は明るくなる。

親切なお医者は、どうかみんな私よりも長生きして
ずっと現役でいてくれますように。



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GITANESをいつも買っていたタバコ屋が廃業して久しい。
それとは無関係に・・・。


週末週明け、
とは言っても、小売や飲食関係の会社に勤める身にとっては
一般的な週末や週明けとはとらえ方が違っている。
週末は「休日」を指しているんのではなく、忙しい日を意味する。


最近は週末になると関連する飲食店で手伝いをする。

日曜深夜は色々な現場から送られてくる資料を眺める時間がどうしても必要になるので
大体0時から1時はパソコンの前である。

月曜からはまた本業の洋服関係の仕事も始まる訳だから
気分を切り替える必要がある。
資料読みとコメントのまとめが終わると
洋服に関連する書籍を読むか雑誌を眺める。
1時間ほどのことだが、これがなかなか重要で
かつ効き目があるようだ。


布団に入り、さて明日は何を着るか漠然と考える。
あのスーツを着るとすると、靴は、腕時計は、シャツは、カバンは
眼鏡は・・・というシミュレーションが必須になっている。
(ネクタイは登場しないのが自分らしいと思う)



月曜は会議から始まる。

スーツを着るとテンションがそれなりに上がる。

やはり身に合うスーツっていいなあ とつくづく思う。


月曜日の1時間以上は洋服店舗の売り場で過ごす。

いやあ愉しい。

ファッションとかなんとか、そういう言葉(もちろん洋服自体も)を仕事で扱う職業がいいなあという
理由だけで洋服業界に飛び込んだ。

どんな現場に手伝いに行っても、やはり性根は服屋の店員だ。


いやあ、愉しい。


しかし、
純粋に自分が単なるお客の立場だったら、もっともっと愉しいだろうなあ。

複雑な心境だ。




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GITANESを吸いながらという訳にはいかない。
それとは無関係に・・・。


周囲でインフルエンザにかかった人が数人いる。
充分気をつけて生活しているが、やはり気になる。
自分も喉がいつもよりガラガラ違和感があるなんて状況になると
ますます気になるものだ。


朝起きると、ちょっと咳が出て
変な感覚があった。こういう場合、翌日にはもっとかなりはっきり
喉が痛くなる というパターンだ。


自宅から徒歩で行ける内科に行ってみた。


あまり混雑していない待合で10分ほど待つと、すぐに名前を呼ばれた。

月亭可朝のような医師が座っていた。冷静に考えると全然似ていないのだが
空気は確実に月亭可朝だ。※個人的感想です。


医師「さて、どうしたの?喉が痛い ということだけど・・・」
私「正確には『明日ぐらいに喉が痛くなる前兆がある』という程度なんですが。」
医師「ん?じゃあ今日は痛くない?」
私「いや、普通ではないです。」
医師「熱は?」
私「平熱です。」
医師「食欲は?睡眠は?」
私「普通ですが。」

可朝師匠は腕組みをしながらにやにやしている。

医師「インフルエンザじゃないよね?検査する?」
私「いや、その心配はしてないです」
医師「あ、そう。で、どうしようか?」
私「いやあ、例年ならお医者さんに診せるのが遅すぎて長引くもんだから、
  今年は早く行こうと思いましてね。」
医師「うん、かなり早いねえ。」
私「・・・」
医師「鼻水は?」
私「まったく出ないです。」
医師「・・・」


静かな医院なので待合室の様子もなんとなく聞こえてくる。
あまり誰もやってこない医院のようだ。


医師「ええと、じゃあインフルの検査も要らないよね?じゃあクスリを出そうか」
私「お願いします」

医師「薬で何か障害が出たような経験はない?」
私「先日『眠くなる恐れがあります』という薬を処方されて飲んだら昏倒しました。」
医師「あ、それじゃあ鼻水止めのクスリは止めた方がいいねえ」
私「鼻水出てませんしね。」
医師「じゃあ、炎症止め?」
私「はい、お願いします」
医師「それと、抗生剤か」
私「はいお願いします」
医師「トローチとか」
私「あ、いいですねえ。」


医者と相談しながら薬の種類を決めたのは初体験だった。



医師「まあ、お大事に。」
私「ありがとうございます」


傘を差して、ほとんど車が通らない裏道をトボトボと歩いて帰った。

はて、明日かぜの諸症状が一気に悪くなるんだろうか?
いや、でも薬もらったし、症状が出る前に治ってしまうんだろうか?

と考えながら、しかし数分で自宅に到着した。



すぐにひるめしを食べて
そして食後クスリを飲むのを完全に忘れてしまった。


やはりもうちょっとつらい状況にならないと
薬の存在など忘れてしまっているのだなあ。












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GITANESを思い切り吸いこんだらしゃっくりは止まるが、
多分GITANESでなくても止まるだろう。
それとは無関係に・・・。


しゃっくりが出た。
家人もしゃっくりを繰り返している。

私もなかなか止まらない。
冷えた飲み物を一気に飲んだからだろうか。

「そういえば、しゃっくりが止まらなかったらやがて死ぬ。」と聞いたことがあったなあ・
と思い浮かべる。

そんなことはあるまい とも思ったが、しかしそれは言葉の上では当然なのだ。

しゃっくりが出る
   ↓
なかなか止まらない
   ↓
本当に止まらない
   ↓
人間は誰でもやがて死ぬ。
   ↓
止まらないしゃっくりでも、死ねば止まる。
   ↓
死ぬまで止まらないのと同義。


そうか、しゃっくりが原因で死ぬのではなくて、
止まらないしゃっくり という状況があったとして、
そのまま何かの原因で死んでしまったら
「ああ、あいつはしゃっくりが止まることなく死んでしまった」ということになるのだなあ


と考えている間にしゃっくりは止まっていた。



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GITANESが入るポケットだけあればいい。
それとは無関係に・・・。


2日、3日はお世話になった方の葬儀で
受付係として、葬儀場の玄関に座っていた。
若いころの武勇伝なども聞いたことはあったが、少なくとも
私がお世話になった晩年は、好々爺の側面の方が大きかった。
関わり合いがなくなって10年近くにはなるが、いなくなると
寂しいものだ。


受付と言うと、芳名録に記帳してもらう役である。
香典ご辞退のスタイルだったので、香典を預かることがなかっただけでも
作業は楽だったが、それでもそれなりにいろいろある。

受付に座っている=式場の係員と勘違いする人が意外に多く、
「献花の精算はどこでやるのか?」とか、
同じ日に同じ式場で営まれていた別の葬式について質問されたり
「どうして香典を受け取らないのか?」という問いかけなど、
「知らんがな。」と思わず言ってしまいそうな質問を受けた。

中でも、
「当家の身内の者じゃ!」というおっさんは、通夜のときにも見かけたが
翌日の告別式前に式場に入ってくるなり、受付(つまり私ともう一人の担当)をジロっと見て
「記帳なんか要らんやろ!昨日やったやないか!そやから要らんやろ!」
と、同伴の妻と思しき女性に向かって大声で言い始めた。

そもそもそいつは施主家の身内だということなので、
例えば受付業務なんか身内がやればいいのだ。
いや、受付ぐらいの簡単な業務は、いろいろとお忙しい身内のために
近所や職場の人間が買って出ればいいのであって、まさしく我々がその立場だったのだが
(施主家から『誰も手配できていないので、申し訳ないが動員してくれないか?』と
依頼を受けてのこと)、
身内の者から「俺を誰だと思ってるんだ?!」なんて口調で何やら言われるぐらいだったら
「ほんならお前が受付やらんかい!身内がやって当然やないか!
我々の代わりにやってもらってスンマセンぐらい言うべきところじゃ。
別にそんなこと言って欲しくもないから、せめておとなしくしとかんかいボケ!」

となる。

現に私の表情がそう言い放つような動きをしたので、隣にいた同僚が
「あかん、やめとけ。」と目で制した。

おかげで常識のない人間の仲間入りせずに済んだのはせめてもの救いである。



さて、「いつもの観察」というのは、儀式における礼服事情についてである。

女性の礼装についてはあまりよくわからないので一切触れないが、
多くの葬式と同じように、男性の礼装は壊滅的である。

まずやはり、悲しいほど「礼服のサイズが合っていない」。

下手すると数年に一度、それも1時間ほど着られればいい服なので
サイズが合っていようがなかろうが、ブカブカであろうがピチピチであろうが
その席が済めばそれでいいのだろう。

丈が長すぎる、肩が落ちるほど大きい、袖が長い という人ばかりである。
年寄りの葬儀だったので参列者も年寄りが多い。そのせいもあるが、「大きい大きい礼服を着ている」
という男性ばかりだった。

「ボタンの留め方」が滅茶苦茶な人も多い。

靴も同様にひどいもので、
「内羽根式ストレートチップの一択」とは言わないまでも、せめてプレーントゥぐらいに
しておくべきところがローファーの男性も多く、中には黒いスニーカーの人もいた。

胸ポケットへ沢山ペンを突っ込んでいる人もいるし、
式場へ入るなり外套を脱ぐ人などほぼ皆無である(もともと着てこないか、着たままどんどん進んでいくかのどちらか)。


いや、それがどうだ ということはないのだ。
故人との別れにやって来たというのが唯一にして最大の目的なのだから
それ以外は些事と言えなくもない。

しかし、そう言い切ってしまったら
すべての「型」や「形」「様式」、場合によっては「儀式」「儀礼」が成立しなくなるし、
洋服を扱う会社に勤める人間としては気になって当たり前である。

着るなら(せめて葬式では)礼服を「普通」に着るのがいいんじゃないか とやはり思う。



いや、ジーンズとセーターで泣きながら式場に駆け込んでくる人がいれば、
本音で言うとそっちのほうが「本当」だ との思いも拭い去れないのだが。





ちなみに、

前出の失礼な身内の男は、実はきっちり礼服を着こなしていた。




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GITANES休止9年に突入。
それとは無関係に・・・。

大晦日は普通に仕事をし、夕食の休憩の後
再び出勤。
久しぶりの年越し勤務。

3時ごろ帰宅。
明け方5時半ごろ寝る。

10時半に起床。めし。

12時半~14時 昼寝。
14時半~15時半 昼寝。
16時~17時半昼寝。

19時 ばんめし。

20時 珈琲を淹れる。

23時~今朝9時まで寝る。

仕立てていた礼服を取り出し確認したら
袖付けがナポリ風のマニカカミーチャになっていたので
びっくり茫然、そのあと怒りがフツフツと湧き上がる。

そりゃあ前に作ったスーツの前寸と同じでオーダーしたが
袖付けの使用まで同じにするかね、普通。


もう数時間後にはこれを着て
お世話になった元上司の葬儀に出る。

ナポリ風。

寂しいのに、ナポリ風。



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