the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESの煙も一瞬で吸い込むか。
それとは無関係に・・・。

昔行ったことがあったというだけの理由で某焼き肉店へ行ったら
バイキング主体になっていてそこそこ高い料金を払ってちょっとずつ
オーダーの肉が運ばれてきてソーセージなんか鉛筆ほどの太さで
いやあなかなか肉の味が斬新だなあてな感じでその場で家人に指摘されたのは
「なんでずっと半笑いなのよ?」ということだったがその指摘が的を射ていて
さらに半笑い状態は続くし肉は薄いし小さいし味がなかなか探さないといけないし
とにかく読点を忘れるほど伝えたいことがたくさんあるがあんまり書かないのは
面倒だからだ




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GITANESは個人主義の現れとしか言いようがない。
それとは無関係に・・・。

伏せる必要もないんだが、某コンビニのグリーンカレーが気に入って
機会があればそればっかり食べていたが、数日前からその姿が消えた。
それに代わって「アジアンライス」的なものが登場したんだけど
まあこれは1回で「はい、わかりました。そうですか。」という味だった。


昨日も陳列棚にはグリーンカレーはなく、仕方ないので
「冷やしたカレーうどん」という、奇怪な品を買った。


このひやしうどん、この上なく強固にほぐれない。
ほぐれないこと岩の如し。
カレー出汁を全体にかけているのに、ほぐれないほぐれない。
なんとかほぐそうと、箸を突き立ててぐるぐる回すが
うどんは一塊になったまま、容器の中をぐるぐる回る。
45回転のレコード盤のようだ。
仕方ないので、ある程度麺を切りながらほぐそうともしたが
切れない切れない。ほぐれないほぐれない。
このうどんの結束力たるや、他に例を見ない。
我々は腐るまで一心同体だ! という心持ちなのだろう。
この麺一本一本にとっては、解散などあり得ないのである。


結局どうしたかというと、
箸でこの結束力抜群のうどん群を持ち上げ、よこから齧りました。



味については
例えば「コモドドラゴンのしっぽをハチミツ漬けにしたものを
タコ糸で縛ってオーブンで焼いたものをダシにしたスープ」と言われたら
『え、どんな味だろう?』と想像力の翼も広がるというもんだが、
「冷やしカレーうどん」という商品なのだから、
「冷やした」「カレーの」「うどん」の味がした。
この味を想像するのに、想像力など要らない。

買ってみる価値は大。

この結束力を見よ。




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pky  




GITANESの本数を控えようとしたことは一度もなかった。
それとは無関係に・・・。



朝食はヨーグルトと少量のパン。

昼は麺。

夜は白菜と豚バラの鍋。ごはんは軽く1膳。

食後、スイカ数切れ。

ポッキー。



あ、なんとなくポッキーが余分だと思う。




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GITANESの味を再現するのは、人力でないと無理。
それとは無関係に・・・。


医師がなかなか本当の病気を見つけられなかった患者について
人工知能が数分で「これは○○という病気とちゃうか?」と
見事に言い当てた というニュースを読んだ。
すごい時代の到来だ。

かと言って「病気にならない」時代になる訳ではないが
正しい道筋を短時間でつけることができるとしたら、
「いろんな病気が治る」時代になる。


ところで、いつもこういうニュースやAIに関するネタを見て
思うのだが、
AI同士が将棋の対戦をするとして(何の意味があるか知らんが)、
双方のAIがずっとすっとずっと先を読みまくって
対局がまだ始まらないうちに片方のAIが

「マイリマシタ・・・」

てなことにはならんのだろうか?





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五輪  




GITANESの記憶が薄れてきて寂しい限り。
そろそろ復活か。
それとは無関係に・・・。

○年齢を重ねるごとにどうでもよくなってきたオリンピック。
正確に言うと、メダルを獲得したかしなかったか がどうでもよくなってきた。
競技をテレビで観て「すごい!」とか「何食うたらあんなことできんねん?!」なんて
純粋な驚き方はまだまだできている。

○非常に身近な人で、過去にオリンピックに出そこなった人が二人いる。
それぞれ1960のローマ、1980のモスクワである。
前者は強化選手になっていながら直前の選考に漏れた(負けた)。後者は日本が
オリンピックをボイコットしたから出られなかったのだ。
前者は私が生まれる前だから、本人からその様子を聞いただけ。
後者のケースは、その悲嘆を目の当たりにした。
前者は後者の師匠格の人間だった。もちろん同じ競技だ。
モスクワボイコットが決まったとき、後者は前者を訪ね「納得がいかん!」と
ずっと嘆いていた。

○やがて後者は奮起したのだろう、1988ソウル、1992バルセロナに出場した。
残念ながらメダルは獲得していない。1桁の順位にも入っていない。
それでも、私がごく小さい子供のころ、会うたびに非常に可愛がってくれたおじさんだ。
そういう人がオリンピックに出た というのが、なかなか得難い経験だと思う。

そして、今開催中の五輪でも全選手が実はすごい奴揃いで、それぞれの国内ですでにすごい戦いに
打ち勝ってきたんだ という事実をイメージしやすい。

ついでに言うと、「前者」とは私の亡父である。
いくつもの競技会のメダルやトロフィー、カップが残されているところをみると、
国内ではそれなりに強かったのだろう。


○さて、女子レスリングの吉田が敗退した。
敗退と言っても彼女の上には現在のところ、地上に一人しかいないんだけど。

○それでも彼女がいちばん納得していないだろう。

○これは単なる伏線だ。東京オリンピックでまた頂点に立つというシナリオの伏線になった。

○と書いていて、「いやあ、多分ほんとうにそうなるんだろうなあ・・・」と感じられ
今から鳥肌が立つ。






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短報  



GITANESのサイズにもはじめは違和感があった。
それとは無関係に・・・。


○できるだけ緩い(矯正度の)眼鏡で過ごしたいが、クルマの運転や
ちょっと離れたものやテレビの画面を見るときは、やはりきっちりフィットした矯正度の
眼鏡でなければ不便だ。タレントの顔など見えなくても困らないが、文字が見えにくいと
ストレスを感じる。
でも、それで一日中過ごすのはどういうわけかイヤなもんだ。
だから、運転用の眼鏡とデスクワークの眼鏡、家でだらだらしているときの眼鏡は
すべて度が違っている。ついでに、自転車にのるとき・ゴルフをするときの眼鏡も
度が違っている。
まあ、それぞれ入れ替わってもそれほど問題はないのだが、クルマ運転のときだけは
「緩くてもOK」というわけにはいかないので厳密に使い分けている。
気分転換にもなるし、本当は使い分けがそれほど煩わしい訳でもない。


○何度か書いたことがあるが、眼鏡を買ったときに貰える眼鏡拭きの布、
どうしてあんなサイズなのだ?小さすぎる。そっちのストレスのほうがよっぽど大きい。
注意を払いながらレンズを拭いても、布のサイズが足りないもんだから
つい指がレンズにあたってしまう。それでレンズ拭き作業のやり直しだ。
以前は「バスタオルぐらいの大きさのレンズ拭きをくれ!」と書いたこともあったが
本当にそんな巨大レンズ拭きなど要らぬ。置き場所に困るからだ。
でも、せめてハンカチ大ぐらいのサイズが欲しい。

○一度眼鏡店でその苦情を言ってみた。
「なんであのクロスは小さいのだ?あんな部分でケチっちゃいけない。
 本当にイライラするのだ。」
と言うと、老主人はおもむろにクロスを私に差し出した。

「ああ、なるほど。じゃあ3枚あげるよ。」


そういう問題ではない!




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itata  




GITANES嗜好によるストレス解消度は、当然計測不可能。
それとは無関係に・・・。

仕事が終わり、クルマの運転席へ乗り込もうとしたときに
どういう訳か腰に激痛。
ただし、これがきっかけになった訳ではない。正確に言うと
「もうすでにしばらく前から痛かったんだけど、座ったときにそれに気づいただけ」
という感じだった。


帰宅後痛みのチェックをしたが、歩行にはなんら影響なく、
腰を捻る動きも阻害されない。
ただ、座ったりしゃがんだりするのが辛く、いったん座ると今度は
立ち上がるのが難儀だ。

おまけにどういうわけか熱が出てのども痛くなる。

どうしようもなく布団にゆっくりゆっくり潜り込む(痛いからそんな動きになる)。
じっとしていたらなんともないが、痛くて寝返りができない。
トイレに行くのが辛そうだから、水分摂取も控えてしまう。
後でわかったが、この「水分を控える」というのが悪影響だったらしい。


翌朝、やっぱり腰には激痛が走り、のどの痛みも改善されず熱もある。
一日中立ち仕事の予定だったがキャンセル。
ほぼ寝たきり、しばらくしたら起きたきり という状態を終日続ける。


その翌日はどうしても出なければならないミーティングに出かけ
そのミーティング中にも事態が悪化してきたので、終了後に早退。

もうすでに一般的な病院の午前診療時間を過ぎていたので、一旦帰宅。

自宅近くの整形外科へ行くことにした。

クルマに乗り込むのが億劫だったので、ミニバイクで向かったのだが
これがまあ完全に裏目に出た。
道路の窪みにはまるたびに腰が悲鳴を上げ、ついでに口からも悲鳴が出る。
「ひゃー!ひゃー!」と言いながら10分走って病院へ。


病院はガラガラ。待合室にはほとんど誰もいなかった。
「暑過ぎてお年寄りが来ません」ということらしい。

レントゲンを撮られまくり、いろんな姿勢を取らされまくり
診察が終わったらリハビリ室へ行くように促された。

生まれて初めての(他人による)マッサージとストレッチだ。


伸ばされまくり、揉まれまくって30分。
急に腰の痛みが改善されることはなかったが、まあ効いてくるのだろう。


さて、熱がある場合はマッサージを受けてはならぬ という基本的な考えが
欠けていた私は、当然のようにますます辛くなってきた。熱が高くなったのだろう。
のどの様子も改善されていない。

整形外科の階下にたまたまあった内科に入った。
こちらもガラガラだった。後で家人に訊くと「あそこは年中ガラガラ」ということだ。


あら、のどが赤いなあ、熱があるなあ、血圧高いなあ と色々言われ
何種類かの薬を処方された。


ミニバイクで「ひゃー!ひゃー!」言いながら帰宅。
体温は38度を超えていた。


結論的には「風邪と腰痛」だったようだ。


わかったことがいくつかある。

○腰痛のときにはミニバイクはやめたほうがいい。
○あんまり暑いと、病院は空いている。
○熱があるときマッサージを受けたら、どこまでが本来の体温なのかわからなくなるので
 気はラクだが身体はきつい。
○セブンイレブンのグリーンカレーは意外に美味い(上記に登場してないが、病院へ行く前に食べた)。









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GITANESの買い忘れほど悔しいことはなかった。
それとは無関係に・・・。

書き忘れ。まだ続く「ヨーロッパ退屈日記」について


私もロータス・エランを買うときは
是非あのようなエピソードに依って買いたいものだ
と思う。




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GITANESさえあれば迷い道も愉しい。
それとは無関係に・・・。


夕食の準備直前に、必要な食材である豆腐がないことに気づき、
ついでに大根もうどんも、豚肉もネギもないことに気付いたので
近くのスーパーへ。

クルマを出すまでもなく、夕方でそれほど暑くもなかったので
原付で出発。
風がまことに気持ちいい。
わざと裏道やあぜ道を選びゆっくり走る。


漂ってくる匂いは、周辺の家が夕食の支度をしている時間帯だからで
食べたい訳でもないのに魚を焼く匂いがチャンピオン級に食欲をそそる。


買い物を済ませ、また愛車にまたがり家に向かって出発。

折角だから、あまり通ったことがない細かい道を発見しながら
走ろうかと思い、最短距離を無視して走る。

10分ほどで帰れる自宅にたどり着いたのは20分後だった。

こういうムダは、気持ちいい。




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GITANES嗜好を始める前のことだな。
それとは無関係に・・・。

どこかで見かけて猛烈に気になり
ついにアマゾンで買ってしまった本。
実は、この本を(文庫でだが)学生時代に買い何度も読んでいる。



30年ほど前だ。

どうもある段階で処分してしまったらしく、気になったときには手元にない
というよくある状況で、そしてそれでは済まなくなり30年ぶりの再講読に至った次第である。

刊行が昭和40年、文庫化が昭和51年。
今回買ったのは平成17年新装で平成26年の十四刷。

著者の故・伊丹十三がこれを書いたのは32歳のときだったようだ。

初めてこれを読んだときは私も20歳を少し過ぎた頃だったので
感心することばかりだったが、今読み返してみて
やっぱり感心するというか、まあ面白い。

家人が寝静まってから風呂に湯を貯め、本を持ち込んで
身体も本もふやけるまで読んだ。


英国のクルマ、ジャガーをジャガーと書かない日本人と言えば二人思いつく。
徳大寺有恒氏と伊丹十三氏だ。
前者は「ジャグァー」で、後者は「ジャギュア」だ。


すでに書斎は本で溢れかえり、まだ一ページも開いていない本もどっさりあるのだから
振り返っているようなヒマはないのに、非常に良くない傾向だ。

でも、しばらく深夜の風呂が楽しくなりそうだ。






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