the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 




GITANESはその頃まだ吸っていなかった。
それとは無関係に・・・。

ある日、渋滞に巻き込まれたクルマの中で、
気を紛らわせるためタバコに火をつけた。
「電車通勤なら渋滞もないんだけどなあ・・・」

そして、毎日電車に乗っていた頃を思い出す。
」」」」」」」」」」」」」
私にも高校時代はあった。
途中に乗り換えを挟む電車通学だった。
この乗り換えが面倒だった。
特に帰路の乗り換えは20分ほどの時間調整が
必要で、真冬のホームで20分の待ち時間は辛い。
文庫本を読むにも指がかじかんでページをめくるのに苦労した。

その日はもう3月の中頃だったが、駅のホームは猛烈に
寒かった。
アゴ辺りまでマフラーをグルグル巻きにしても寒い、
高校一年の学校帰り、15歳、強烈にフレッシュな私だ。
その私をぜひ想像していただきたい。
想像できないあなたは想像力の翼が折れている。


乗り換えのため電車から降り、ホームのベンチに座る。寒い。


同じ電車から降りた人が、近くに立っているのに気付いた。
数日前に卒業したばかりの2年先輩の女子だった。

学校のイベントで顔見知りになり、少しばかり会話するようになっていた。
それが愉しかったのだとわかったのは、少し後だった。
見慣れていたセーラー服姿ではなかったから、それがその人だと
気付くまでやや時間がかかった。

向こうはこっちに気付いていたらしい。近づいてきた。


女子「あ、SGC。どうしたの一人で。」
私「あ、乗り換え待ち。家があっちですから。」
女子「あ、そう。寒いなあ。」
私「そうですね。」


私「で、何してるんですか、こんなところで。」
女子「私も乗り換え待ち。ちょっと遠方までね。」
私「へえ。」


私は座ったまま、彼女は立ったまま。あまり視線を合わさずに
会話がぎくしゃくと始まった。



女子「私の卒業式以来やね。」
私「そうすね。お元気でした?」
女子「私はいつも元気やからね。」
私「ああ、そうすか。」




私「ところで、あんたは春からどうなんすか?」
女子「SGC、先輩に向かって『あんた』はないでしょうが。」
私「ええと、センパイは春からどうするんですか?」
女子「うん、進学決まったよ。」
私「あ、受かった?どこ?」
女子「うん、H大。」
私「おお!」
才媛だったのか。

彼女が乗るべき電車は到着していた。数分で発車だ。



私「じゃあ一人暮らしなんだ。」
女子「そうそう、ワクワクやなあ。」
私「彼氏も同じ方面の大学?」
女子「いや、全然違う。ごっつい遠いよ。」
私「あら、それはそれは・・・。」
女子「別になんてことない。彼氏とは疎遠になってるし、
   でも一人暮らしは始まるし、ドキドキのワクワクやで。
   まあ、ちょっとは不安。」
私「へえ、そんなもんすか。」
女子「まあ一年坊主の男子にはわからんのよ。こういう乙女心はさあ。」





女子「じゃ、行くわ。」

電車に近づく彼女につられるように、ベンチから腰を上げた。

私「じゃあまた。機会があれば。」
女子「そうね。いつになるかねえ。」
私「H大は、ちょっと遠いですからね。」
女子「新幹線に乗ったらすぐやで。大丈夫やで。」
私「ん?行かねーよ?」
女子「ま、そりゃそうだ。」

電車に乗り込む寸前、彼女はスカートのポケットからなにやら取り出し、
こちらに向かって投げた。距離は2メートルほどか。

なんだかわからないまま、左手でそれを受け取った。

放物線を描いたそれは、飴だった。
包んだナイロンと本体がくっついてしまった飴だった。

私「飴?ちょっと古くない?」
女子「いやなら食べなきゃいいでしょ。あんたちょっと生意気やで。」
という割に、彼女は少し笑っていた。

彼女が電車に乗り込む。

女子「ほんじゃあね、後輩のSGC。」
私「はい。」

女子「来るんだったら、意外と近いぞお。新幹線に乗ったら。」
私「だから・・・」


もう少し、何なら彼女が電車数本スルーしてくれれば
この時間はもう少し続くのに。
もちろん自分も電車数本遅らせたってかまわないんだが。


そんな想像を強制終了させるようにドアが閉まった。

電車はすぐ動き出す。


振るでもなく、彼女は右手を上げた。

一人乗った電車の中の彼女に恥ずかしい思いをさせてやろうと、
右手を上げ、ぶるんぶるんと大きく振った。

爆笑する彼女を乗せた電車はスルスルと遠ざかっていった。

自分が乗る電車はとっくに乗り過ごしていた。
仕方なくベンチに腰掛ける。
マフラーをグルグルと顔の周りに巻き直す。
マフラーの下、口の中にはさっきの溶けかかった飴があった。

どうにももったいない気がして、それを噛み砕くことができなかった。



それから随分と時間が経ったが、彼女を見かけたことは一度もない。

今でも時折、少々くたびれた飴を食べたときに思い出すのは、
あの最後に、振るでもなく上げられた彼女の右手の白さである。


」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

やっとクルマの流れが動き始めた。

いや、渋滞中にちょっといろいろ思い出しただけのお話。



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GITANESとパッケージの関係ほど
ゆるいものはない。
それとは無関係に・・・。

枕カバーを交換しながらふと考えた。
「あ、自分はこういうのが嫌いなのだ!」

枕を買ったとして、その枕用の枕カバーも
同じコーナーにあるだろう。
「それ専用」と謳っているカバーである確率も
高い。
で、どのように専用かというと、サイズがぴったり
なのである。

本体を入れにくい!!

ちょうどサイズ過ぎて、カバーに枕を押し込もうと
するのだが、これが入れにくい入れにくい。

もうちょっと考えて作らんか?

そりゃあ枕本体がカバーより大きいなんてのは問題外
として、どうしてカバーを枕本体と同じ大きさで
作らにゃならんのだ?
もちろんコストカットなんだろうけど、
枕カバーなんて枕よりずっと大きくていいのだ。
たとえば玉入れ競争のように、少し離れたところから
枕本体を放り投げてもすっぽりカバーに入るほど
大きかったらどれほど作業が楽になるか。
いや玉入れは言い過ぎだが、苦労してカバーに本体を
ねじ入れて、さらにギュウギュウ押し込まないと
ファスナーが閉まらないなんて、どういう料簡だ。

ゆるーく入って、カバーの布の余り部分は折り返して
おけばそれでいいのだ。
余裕があるサイズでカバーを折り返しておけるなら
そもそもファスナーすら必要ない。
家事の軽減、時間短縮に寄与していない。
本当にお値段以上なのか。いやその会社だけじゃないんだけど。






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GITANESより小さいなんてあり得ない。
それとは無関係に・・・。

財布にも流行り廃れがある。
少し前なら超有名高級ブランドのラウンドジップ
な財布が流行ったこともあった。
みんな長財布、それも結構高そうなブランドの
財布を持っていた時期もあった。
かなり大きいモノ、まるで車検証でも入ってんのか
というような巨大なモノも流行っていた。

もう熱は冷めたかもしれないが、ミニ財布
も流行った。いや流行っているようだ。
ミニマルな財布、紙幣より小さくて
折りたたんで収納し、小銭も数個は入って
クレジットカードも何枚か入る。
そういうキャパの財布が、競って小さくなっていく。
いやいや、ある程度のサイズより小さくなったら
不便だろうに。と思うほど小さいやつもある。
ガハハハ!と内ポケットから辞書のような厚みの
長財布を取り出して というのもあまり格好よくないが
度を過ぎたミニ財布から指先だけでおかねを取り出す恰好
もかなり格好悪いのだが、
「小さいことはいいことだ」なんて風潮もあるから
なかなかトレンドは収まらないようである。
大きいのも小さいのも、
いいのか?

丁度の頃合いがいいと思うんだが
人それぞれ「丁度」の物差しが違っているのだろう。
誰にも見られないならば、ジップロックがいちばん
いい、と個人的には思っているが、そこまで振り切る
にはもっと人間修養が必要なようである。
ということで、財布の新調はまだまだ先だ。





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GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

私よりも随分年下で、学生時代はラガーマン
だった男。
そこそこ大きい土地を買って、それを分け合って
私とほぼ同時に家を建てて、隣人同士になった
男でもある。
そして義弟でもある彼が、一昨日なくなった。

頼りになる男だった。
もし私が亡くなったとしても、後は隣家に奴がいる限り
多分なんとかなるだろうと思えるほどの。


コロナがまだ収束しない中でもあるので
それほど積極的には訃報を広めるまい
と遺族が決めたにも関わらず、どこでどのように
耳に届くのかしらないが、通夜式に数百人が
押し寄せるような男である。
そこだけを見ても、彼は至る所で頼りになり、
仲間がどんどんできるヤツだったのだろう。
ちょうど私と正反対だ。

数年間の闘病はきっと辛くて煩わしいことだった
に違いない。でも
「こんなことで負けてられないんで。」
と言いながら戦っていた。
身動きが取れなくなるまで仕事からも逃げず、
大きい病院では治療方法がないと言われても
なんとか治療してくれる別の病院を自分で探し出すなど
病気からも逃げず、
戦っていた。


安倍晋三氏が亡くなったとき、弔辞で麻生氏が
「俺が死んだときの弔辞をもらうはずだった」と言った
そうだが、自分より年下が亡くなるというのは辛いことだ。

それも、私にとって義弟で隣人で頼りになって尊敬に値する男なら
特に。


早いよ、お前。






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GITANES休止して随分経つのになあ。
それとは無関係に・・・。

8年ほど前、頸部・耳の下に大きい腫瘍ができ
大学病院での手術により器官ごと切除した。
手術痕もほぼ目立たなくなった今になって
どうも違和感があるなあと思い始めたのが
7月下旬。
前回はかなり大きくなっており、手術も結構
大変だったと術後主治医に教えられた。
多数の神経が腫瘍に巻き付きあるいはくっついて
一本ずつ外しながらの作業だったという。
切除した部位を見せてもらったが、
(※お食事中なら申し訳ないが)
からあげ君2個ぐらいの大きさだった。
(※関係ないけど、からあげは呼び捨てでいいと思う)


その箇所にまた違和感だ。
手で押さえても今回はまったく膨れてもいないのだが
自分では「何かあるなあ」という違和感。

そして本日MRIでの検査だった次第である。

寸鉄も帯びていない状態になったところで
耳栓を渡される。毎晩使用しているから慣れたものだ。
しかしこれをあんまり早い段階で装着してしまうと
その後の指示が聞こえるんだろうか?
私「これって、つけちゃったら指示聞こえなく
なりますよね?」
技師「大丈夫ですよ、声はちゃんと聞こえます」
私「でも普通の市販品ですよね」
技師「ええでも大丈夫ですよ、耳に入れてみて。」
ちょっと捩じってから耳に突っ込む。
技師「・・・は・・・・・ね・・・だか・・」

聞こえへんやないかい!

詰めすぎた耳栓をやや戻し気味にしておいた。

技師「それで・・頭部・・固定しま・・」
私「はいはい」
技師「足元・・タオル・・・・か?」
私「はいお願いします。」
まあこの程度の話ならできるんだけど、
もっと重要なことを言われてもきっと聞こえない。
私「寝てしまってもいいんですよね?」
技師「ま・・・いですが・・ビクッと・・・
   は困り・・・」
私「はい、ビクッとならなかったらいいですね」
技師「はい・・・ま・・・眠れるもんなら眠って
    みてください」
というセリフの後半はどういう訳かちゃんと聞こえた。

耳栓を装着した上に、固定具がさらに耳付近を覆った
ので、もうほぼ聞こえない。

寝た。

実際には50分経っていたが体感では15分程度。
体内時計が余程狂っていなければ、30分ほどは
ウトウトしていたということだろう。

技師「お疲れ様でした。ホントに寝てました?」
私「そのようです。」
技師「へえ。」


そこから主治医の診察、6人待ち。

主治医「お久しぶりですねえ」
私「ご無沙汰しておりました」


MRIの画像を見ながら話をしたのだが、結局
主治医「特に何も映ってないですよ。これなら
心配はないと思うけどなあ」
ということだった。
切除跡は黒く空洞のままで、何かが新たに始まって
いる様子もないと。

まあ、何もないと言われると人間はホッとするものだ。
しかしこの2か月の気がかりは何だったのだろうか。
いや油断は禁物だ。嫌がられてもまた気になったら
堂々と病院の世話になろうと思っている。堂々と。
なぜなら
「今後はこれだけ腫瘍が大きく育つ前に
来てくださいね。」
と言ってくれたのは主治医の先生だからな。

某コンビニに立ち寄り、大きいノリ弁とカップヌードルを
買って帰宅。食い過ぎて苦しい。
からあげくんは買わなかった。

MRIの内部に横たわっている間、頭の方から
ずっと涼風が流れてきたことが印象的だった。
でも、くしゃみが出そうで苦労した。







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GITANESがあるなら何時間か過ごせる。
それとは無関係に・・・。

世は空前のソロキャンプブームらしい。
いやそうでもないかも知れないが、そう書き始めたの
だから仕方ない。そういうことにしておいてください。

少しは興味もある。だから無駄遣いして
いろいろ道具を揃える前に
「自分にどれだけ向いていないか」を検討してみた。

陣地の設営について
テントを張る作業がまず無理である。
動画で、ベテランの手際の良さを見ていると
誰もが自分でもできるのではないかと錯覚して
しまうのだが危ない。
私は不器用だ。

天候について
暑い寒いは事前に分かっていることだから
覚悟の上で行くか止めるか決めればいいが
到着してから雨が降り出したなんてことに
なるともう無理だ。当然テントの設営の出来栄えも
私クオリティなのだから余計無理だ。

メシ
自分でその日のためのメシを作る。
これが醍醐味なのだろう。
多分、夕食を作り始めて完成するのが
朝になるから無理だ。

外敵
虫。蚊もイヤだしムカデなど刺したり
噛んだりする虫がいたらもうダメだ。
イノシシもだめ。熊なんてもう絶対に話が通じない。
悪事目的の人間の方がまだマシだが
それはマシというだけのことであって
決して歓迎できない。だから無理だ。

寝る
これは意外に大丈夫かもしれない。
テントが張れて雨も降っていないという前提で
その中で寝袋で寝る。これは大丈夫だ。
寝られる自信がある。
しかし、どうせならクルマの中で寝たい。
車中泊だ。
そして車中泊するぐらいならホテルで寝たい。
ホテルに寝るような用事がないから家で寝ていたい。
やっぱり無理だ。

綜合的に考えるまでもなく、完全に無理だ。
ソロキャンプ万歳。
動画みるだけにしよう。




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GITANESはイギリスと関係ないが。
それとは無関係に・・・。

女王陛下が亡くなったとのことだ。

女王陛下と聞いて真っ先に頭に浮かぶのが
007(ダニエルクレイグ)を先導するように
ヘリから飛び降りた(という設定の)、ロンドン五輪
のあの映像だ。

https://www.youtube.com/watch?v=1AS-dCdYZbo

ユーモアを理解する王室と国民性が為せる
ことだったのだろう。

夫君は一足先にかの地へ旅立たれていた。
お待ちかねの再会だろう。
そしてやっと二人の静かな日々が始まり
永遠に続く。






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GITANESの匂いがイヤなのは
愛好者でもわかる。
それとは無関係に・・・。

天津飯が好きという人がいる。
あの、あんかけ界の大御所の天津飯である。
あんかけワールドの第一人者、ドロドロトロトロの
魔術師、ふわふわとろりのテクニシャン、天津飯
のことである。

私は嫌いなのです。

とろとろ万能説に納得いかないのだ。
いつまでたってもごはんがあんまみれなのも
気に入らない。
いつまでたってもずっと熱いのも腹立たしい。
ずっと熱いということは、食べてる間ずっと
やけどするということだ。なんだそれ。
すべてもう味以前の問題なのだ。
天津飯を必要以上にもてはやす風潮が
もうずっと続いているような気がして
気分が悪い。

これを誰かに話すと大体笑われる。
そして決まってこう問われる。
「じゃあ中華丼はどうなんですか?」

中華丼は好きに決まっているではないか。
愚問だ。

なぜって、美味しいもん。





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