GITANESも吸っていないのに、のどが痛い。
それとは無関係に・・・。
受験に関係のない授業を止めてしまって
その代わりに受験に関係のある授業を受けることができた
生徒が存在する他方で、普通に
「こんなの、入試にも関係ないし、今後先の人生にも
関係ないのになあ・・・」なんて言いながらでも
本来のルール通りの授業を受けていた生徒・
受けさせていた学校が存在する。
前者はコトがばれてしまったので
本来の授業を補習で受けることになった
というケースが多いらしいが、
では後者は「受験に関係のある勉強を補習で
受けることができる」としなければ
バランスを欠いている。
「こんなの、あんまり役に立たないなあ・・・。」
という授業は、小学校から沢山あった。
○入試には出るかもしれないが、実生活には無縁。
○実生活には役立つが入試には出ない
○入試にも実生活にも役立たない
と、色々なパターンがあるが、
音楽の「歌」のテスト、
体育の「長距離走」、
美術の「写生」、
国語の「筆者は何を言いたいのか、200文字以内で書け」
※本当に何を言いたいかなんて、分かる訳ない。
数学の「次の曲線を、Y軸について回転させてできた立体の
体積を求めよ」、
※実際にそんな物体があったときは水を入れて量る。
理科の「高さ○○メートルのビルから、●●kgの物体を
自然落下させた場合、地面に着く時の速度を求めよ」
※地面に着くときはどう考えても時速ゼロだと思う。
英語の「How old are you?」
※「こんなことを尋ねて失礼なのですが・・・」
を先に教えてくれ。
日本史の「墾田永年私財法の施行は何年か?」
疑問を持ちつつも、そう決まっている以上
その類の授業を受けたし、理解もしたし、覚えもした。
それでも解消されない素朴な疑問を
「先生、それってどんな役に立つのですか?」
と教師に投げかけた場合、
答えは
●直接は役に立たないかもしれないが、
「考える」という行為自体や「論理的思考」を養うという
重大な意義がある。
●嫌なこと・無益と思われることに耐える という訓練だ。
●受験が全てではない。
という、大体3種類の答えが返ってきたものだ。
今回の騒動では、上記の3つの答えがすべて崩壊してしまった。
そして、
●約束を守る
●ルールを守る
という崇高で大切で、しかしもっとも難しい故に
理想と現実が乖離しそうな恐れのある問題から
逃げてはならないはずの「教育機関」が
易々と逃亡してしまっていた。
融通きき放題の学校など
世の中には不要だ。
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