the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 



GITANESはジターヌだが、ジタンでいい。
それとは無関係に・・・。

FITZGERALD&PASS...AGAIN
という、エラ・フィッツジェラルド(Vo)と
ジョー・パス(g)のアルバム(今でもアルバムと
いうのだろうか)があって、1977年のグラミー賞の
最優秀ジャズボーカルパフォーマンス賞を獲ったらしいのだが
そんなことには関係なく、最近気に入ってよく聴いている。
クルマで聴くときはエアコンの音が気にならないように
暑いのをやや我慢しながら聴く。もしくはボリュームを
大きめにする。

何曲か目に 
'Tis Autumn
というのがあり、このアルバムが気に入っているというより
実際にはこの曲を中心にたびたび聴いている。
で、この曲を知ってからかなり長い期間
「'Tis って何だろう?」と疑問に思っていた。
疑問を疑問のまま放置するのは良くないのは分かっているが
すぐさま調べるのもなかなか面倒なものだ。
おまけに、この曲を知ったころにはまだスマホなんてものが
なかった。パソコンもインターネットも存在していたから
それで調べることはできたのだろうが、パソコンを
触っているときはそんな曲のタイトルについての疑問なんて
忘れてしまっていた。

やっと昨年「そういえば、あれって何だったんだろう?」
と、スマホをいじっているときにその疑問を思い出し
調べてみた。もちろん呆気なく解決した。

'Tis  は It is  のことだった(アポストロフィはあっても
なくてもいいらしい)。
なんでもかんでも短縮しやがって!と思ったが、さらに
調べると、これはやや古い(古風な)短縮の表現で
詩や文学作品で使用されるとのこと(完全にネットの受け売り)。
そう言われたら「おお、文学的なのだな。確かに曲調に
合っていて・・・」とすぐに思い込むあたり、本当に
我ながら単純な人間である。

ぜひご一聴を。







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GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

若くして亡くなった義弟の、早くも三回忌。
義弟自宅で執り行われ、その上身内しか来ないから
誰も礼服は着用せず、真っ黒の普段着で集合。

いつもの坊主が入院中らしく、その娘が代役。
あまり慣れていなかったらしいので、いろいろと
すっ飛ばしていたが、そこは身内だけの小さい儀式なので
問題はなかった。
ところが説教の際に、自分と同じ年代の人が
自分の子と同じような年ごろの子供たちをのこして
病気で亡くなったという事実に心を揺さぶられ
半泣きの説法になってしまった。
あんなに感情移入していては、これから何度も携わる
葬式や法事で心や体が持つのだろうかと心配になった。
それともやはり、やがて慣れてしまうことになるんだろうか。
どちらがいいのかわからないが、父坊主よりも読経も
説教も良かった。
父坊主の説教はいつも「それもこれも竹中平蔵が悪い」
で締めくくられるし、義弟の遺児に面と向かって
「これから大変やぞーー」と言い放ってしまうという
ロクデナシなのだ。
これが私の家の葬儀のことならおそらく胸倉をつかんで
引き摺り回し、庭へ放り投げるところである(本気)。
入院中の代役と言わず、一日も早い世代交代をお奨めする。

お互いに家を建てる計画があり、どうせならそこそこ広い
土地を探して、そこを分け合って家を建てようか
と意見が一致し、間に中庭を設けて家を建てた私一家と
義弟一家だった。
彼は私よりも10歳ほども年下だったが内心では頼りにしていたし
私にもし何かあったら彼に後のことを託そうとも考えていた。
それが逆転するとは夢にも思わなかった。

亡くなった人の中で、誰ともう一度会いたいかと問われると
彼の名が真っ先に浮かぶ。
もっといろんな話をしておけばよかったと思う。





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GITANESの買い置きがもう悲惨な有様。
それとは無関係に・・・。

9月に入ったというのに更新が疎かになり
もう5日も経ってしまっていた。
熱心に覗きに来られる皆様には無駄足を踏ませてしまい
申し訳なく思っておりますが、もう何にも書くことが
ないのだ。


9月というと、父の命日があり義弟の命日があり
あまり前向きなイメージがない月である。
陽が短くなり、窓を開けていると涼しい風が入ってくるなど
秋の気配はあるが、昼間の暑さはまだまだ狂暴である。
先日の休みなど、運転しているだけなのにぼーっとして
きて、さては水分が足りてないな と水をがぶ飲みした。
もともと一日の中であまり水分を摂らない方なのだが
もう青年でもないのだから油断せず日々を生きて行かなければ
ならない。
 知人がちょっと軽くはない病気だとの一報も入り
それでも少々気が滅入る。
こういう時には歩き回るに限る。かなり身体も気分も
軽くなることがあるのだ。
そして、歩き過ぎて身体の水分が飛んで行って
また脱水気味になりぼんやりする。キリがないサイクル。

「控えよ小十郎」という本を読みだした。
これがいい。伊達家の話だがどんどん俳優(大河)の
顔が浮かぶ。
渡辺謙、西郷輝彦、岩下志麻、原田芳雄、三浦友和、
寺田農、いかりや長介・・・
もちろんまだまだ大勢いるが、挙げた中だけでも
もう4人も故人になっている。
懐かしがる9月なんだろうか。


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GITANESは臭い
という事実を一所懸命に広める活動の
私は第一人者である。
それとは無関係に・・・。

オフィスがあまりにも静かすぎて困っている。
電話を使用したら、部屋中の人間に注目されている
ような気がして、真面目なビジネスの電話でも会話を
憚られるような、それほど静かなオフィスである。
カッコーーンと鹿威しが聞こえてきてもしっくりくるような
雰囲気である。
鳥の羽が床に落ちた音が聞こえてきそうなほど静かである。
この静寂を破ってはいけないのだ、と思い込むほど全員が
静かであることに協力しているかのようだ。

だから私など外線が入ったりすると一旦保留にして
となりの会議室へ移動してから通話を再開するように
している。
昨日は関西電力の人と電話で話した。
ある場所の契約廃止の手続きのためこちらから電話した。
ガイダンスに従っていくつか番号ボタンを押し、
ちょっと尋ねたいこともあったので「オペレーターと話す」
希望のボタンを押す。


移動先である会議室も静かだが、これは人が誰もいないのだから
当たり前だ。
ただ、必要なときしか使われない部屋だから、今の時期は
猛烈に暑い。いろんなものが自然発火する直前のような
気配すらある。暑い。電話中に死ぬわけにもいかないから
すぐにエアコンのスイッチを入れる。
なかなか強力なエアコンはすぐに効き始めるだろう。
少々稼働音がうるさいが、死ぬよりはマシだ。

関西電力の女性オペレーターNさんは丁寧な人だった。
しかし、絶望的なほど声が小っちゃかった。
ほとんど聞き取れない。
隣室のオフィスなら鳥の羽が落ちる音でも聞こえるから
問題ないだろうが、強力なエアコンの強力が音が鳴り響く
会議室ではNさんの声は聞き取ることができない。

仕方なくエアコンをオフにする。
暑い。もう、会話の内容などどうでもよくなるほど暑い。
長い長いお客様番号を伝えている間に身体の水分はかなり
減った。
「復唱いたします」
いや、しなくていいのに。死ぬのに。


結局、Nさんでは即答できない質問をしてしまったようで
一旦通話を切ることになった。
こちらで少し調べ物をしてから、再度電話することにした。
不明な点を潰してから電話すれば、Nさんにも通じやすく
なるだろう。

Nさんに繋がるだろうか。ガイダンス中に倒れる訳には
いかないから、エアコンスイッチオン。

繋がったのはNさんではなかった。
今度は男性でしっかりと聞き取れる声量の持ち主Sさん。
なのにそれでも声が聞き取りにくかった。
これはもうNさんのせいでもSさんのせいでもない。
エアコンの稼働音が大きすぎるのだ。
スイッチオフ。

Sさんの声は弾むような、テンポの良い、少々勿体ぶった
結構芝居がかった声だった。
もう調子がどうだろうと構わない。エアコンが使えるなら
それ以外のことはどうでもいいのに、Sさんはそんなことと
関わりなく、いい声だった。

弾むようなテンポの良い勿体ぶった芝居がかったコントのような
Sさんは、きっと電話の向こうで「社交ダンスをする男性が
着るような、サテンでキラキラで袖がボヨンと風船チックに
膨らんだシャツを着ているに違いない」と想像した。
髪型はもちろんピッチリ固定された横分けだ。
場合によってはバラの花を一輪、口にくわえているかも
知れない。

などと妄想したのはもう、私が半ば意識を飛ばしていた
せいだったのかも知れない。


幸いSさんのテキパキした処理で、会話は無事に終わった。
その上私は、1.5キロほど減量できたはずである。





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GITANESの匂いもよく落ちるだろう。
それとは無関係に・・・。

前回の転居の際から使っていた洗濯機が壊れた。
いつまで経っても水が溜まらなかったり、動作が
止まらなかったりという症状が頻発し始め、とうとう
全体的におかしくなったとのこと。
何度か修理もしているが、もう限界か。
家人が家電店で品定めをし、翌日配達・設置してくれる
というので、それに決めたとのこと。

 私が一人で家にいるときに家電店の設置担当が
やってきた。
前日確認、来宅直前確認の電話もあった。
ちゃんと時間通りにやってきた。
古い洗濯機は引き取り、新しいものも素早く設置
してくれた。バカでかい。バカ高い。

30歳前後のその設置担当は明るくキビキビしていて
懇切丁寧だった。
ほんとに有能で態度も申し分ないスタッフに違いない。
二人組のうち他方も、別にいろいろ喋らないが
終始ニコニコしており礼儀正しい。

聞けばその日は12件の設置があったとのこと。
ひょっとしたら各家庭で差し入れも続き、腹が水分で
ちゃぷちゃぷ鳴っているかも知れない。
あずきバーを2本差し出し、
「クルマの中で食べてね」と渡したのだが
それに対するお礼がずっと続く。
もうええねん、素晴らしい若者よ。
あずきバー溶けるやんか。

訪問担当についてのアンケートにぜひ答えてください
と頼まれたので(スマホでの回答)、もちろん絶賛しておいた。

ここ最近は食洗器などの修理の際に来宅した
メーカーの修理担当の、愛想がなく会話を撥ねつけつつ
女性にはやや強く男性にはかなり柔軟な姿勢という
ボーッとした男が印象的だったので、それと比べると
この設置担当はこの上なくいい。
そういえば、浴室暖房の修理マンもかなりよかった。
というより、家庭を訪問するサービスマンの人々の
サービスはどんどん向上していってるのかも知れない。
客の機嫌を損ねるとすぐにSNSで晒されたりするし、
会社からは「アンケートに答えてもらえ!」と強いられて
いるし、向上していくだろうなと思う。
しかし最終的には人間の差であろう。


という感じで、まったく起伏もオチもなく何の問題も
ない記事のままで終わっていいのだろうか、SGCは。
いやあ、すんません。




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GITANESは必要だけど。
それとは無関係に・・・。

「あいさつは必要か?」というようなことが
ネットで話題になったり「しない自由もある」とか
「時代は変わる」と言った人が炎上したりしているらしい。

周りが自分よりもやさしい人ばかりなら
おそらくあいさつも必要ないだろう。でも
優しい人にはあいさつしてしまう という矛盾も
生じるかもしれない。
やりたくなければそれでいいじゃないですかとしか
言い様がない。
「あいさつしない人」だと認定され、それが跳ね返ってきても
それをよしとすればいい。
経済的な不利益を蒙ることすら受け入れるなら
それで何の問題もないだろう。

「私は年賀状書かない主義なんで。」
と会社の先輩に言われたことがあって、その翌年から
年賀状送付リストからその人の名を削除した。
こういう場合は助かる。
虚礼・というとちょっと冷たい表現だが、年賀状は虚礼の
代表格だろうしコストもかかる。年賀状になんの価値も
見出していない人に送らなくても済むのはこっちも助かるのだ。
ちなみに年賀状には一年に一度の生存確認・無事表明という
側面もあって、実はそっちの方が意味があるのに
とは思っている。


ずっと以前、会社の駐車場でほうきと塵取りを持ち
ちゃらんぽらんな掃除なんかをしているときに、スーツ姿の
男性二人が近寄ってきた。そして声を掛けられる。
男「宣伝の責任者、事務所に居るかな?」
私「今日は居る日です」
男「あ、そう。はいはい」と言いながら
彼らは事務所に続く階段を昇って行った。
直後に事務所から駐車場に内線があった。
「広告代理店●●の人が来られて、宣伝の責任者にお会いしたいと
仰ってます(アポなし)」

「お待たせしました」と、彼らが待つ応接部屋に入ったときの
彼らの「あっ!」という驚愕の顔は今でも思い出すことがある。
「宣伝責任者のSGCと申します。ようこそ。」
「初めてお目にかかります!私共は、」
と丁寧な丁寧なあいさつを受けた。

さて、今日のテーマは「あいさつは必要か」だったが、
どっちでもいいんじゃないですかぁ。





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GITANESの味は思わず笑みが出るようなもの
ではない。
それとは無関係に・・・。

つい最近病院でいろいろな検査によって
「まあ問題なし」という無罪放免のお墨付きをもらったので
余勢を駆って「他の部位も検査しよう!」と決め
別の病院へ行った。まああまり余勢を駆るような物事では
ないのだが。

「3診前の待合でどうぞ」と案内された。
私の直前に入った人が出てきた。もうそろそろ
呼ばれるぞ、と思ったのだがそこからなかなか名前を
呼ばれない。
そのうちに3診の中から少し刺々しい会話が聞こえてきた。

女性「それでも●●は△△なんですから・・・」
男性「いやだからそういう類の話は悉く私に知らされて
ないんだからさあ!」

病院スタッフと、どうやら医師の会話らしい。
あら、診てもらう直前にどうも雲行きが怪しいのか・・・

スルスルっとドアが開いて、先生が顔をだした。
「SGCさん、どうぞどうぞ!」
と満面の笑み。

え、いま結構悪そうな雰囲気で話してたのに、笑み!

どうやら優れた切替スイッチを持った医師らしい。
その後の会話でも特に機嫌が悪いような様子は一切見せず
終始にこやかにやり取りは行われた。

大学病院への紹介状を書いてくれたのはこの医師で
その結果を報告しつつ、次の検査のスケジュール調整を
してもらった。
まあどんな職場でも、いや職場でなくても
いろいろあるわな。



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GITANESを嗜好し始める、ずっと前。
それとは無関係に・・・。

ずっとずっと前のこと、高校生の頃。
何かの集まりがあって、私はまだ1年生だった
のだが、3年生の先輩に
「おい、何かやれ!」と命じられた。
1年生から3年生まで、男子も女子も同数ぐらい。
30人ぐらいいただろうか。

誰かが持ち込んだギターがあったのでそれを持ち
ガチャガチャと弾き始めたのがこの曲。
それは別にどうということもないのだが
驚くべきことに同席していたほとんどの人が
ほぼ完ぺきに、その他の人もサビは完璧に
歌うことができた。
ギター弾き始めた1年生の私が引くぐらい
ほぼ全員が歌えるなんて想像していなかった。



左がオリジナル。
右は清志郎亡き後、CHABOが歌ってるやつ。
最近の出勤時にはいつもこれを聴く。


ちなみに、この集まりには
「第2425話・飴は放物線を描いた」に
登場する先輩女子も参加していて、誰よりも
ノリノリで絶唱していた。

CHABO(仲井戸麗市)は現在73歳という。
いつまでもこんな感じで歌っていてくれれば、
と思う。


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GITANESが似合う曲なんだ。
それとは無関係に・・・。

こういうことはよくあるのだが。

昨日久しぶりの久しぶりに
渡辺香津美・リチャードストルツマンの
「BLUE MONK」を聴きたくなり、繰り返し
3度ほど聴いた。

で、さっきネットニュースで渡辺香津美氏が
自宅で倒れたと知った。脳幹出血かも
とのことで、すべての音楽活動を休止する
らしい。

この曲は最後の笑い声までイイ感じなのだ。
そんな感じのように、回復されますようにと思う。

BLUE MONKと言えば、昔テレビでArt Farmer
の演奏が放映され、それをビデオに撮って
ビデオテープがどんどん劣化するまで観た記憶がある。
多分「真夜中テレビ」という番組(録画されることが
前提という画期的な番組だったと思う)で
Jazz at the Smithsonianシリーズだった。

Art Farmerだけではなくて、Joe Williams,
Benny Carter ,
Alberta Hunter,
Art Blakey and JazzMessengers,
Winton Marsalisなどが日替わりで放映されていた。
Art Farmerのフリューゲルホルンや日野皓正に
感化されて、まったく心得もないのにコルネット
を買った。結局吹けるようにはならなかったが
これらのビデオを毎日毎日観ていた結果
細部まで「口」でコピー・再現できた。
何の自慢にもならないけど。

で、渡辺香津美と言えば「夢の乱入者」である。
90年から97年にかけて、これも深夜にやっていた
音楽番組で、この番組でDavid T Walkerを知り
ギターで一所懸命コピーしていた。

昔の番組だから、既に亡くなった人も大勢出演
していた。原田芳雄もそうだし、桑名正博、
もんたよしのりも歌っていた。

ちなみに、Jazz at the Smithsonian も夢の乱入者も
今ではyoutubeで一部を観ることができるのだから
幸せな時代になったもんだ と思う。

とにかく、回復を祈っております。




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GITANES嗜好の真っ最中だった。
それとは無関係に・・・。

某現場で看板屋さんの社長と打ち合わせ。
社長は76歳。
少し前から階段の登り降りなどがやけに
キツくなり、
「歳やなあ・・・」
と思っていたらしい。
夜中にトイレに立った時も、どうも息苦しく
「歳やなあ・・・」
と思っていたらしい。
そうすると朝まで胸がドキドキし続けて
「歳やなあ・・・」
と思っていたらしい。

その様子が気になっていた奥様がネットでエリアの
お医者さんをいろいろ検索し、病院へ連れて行ったところ
「あかん、あんた死ぬで。このままでは来年生存率
一桁やで。すぐ紹介状書いて電話もしておくから
●●病院へ急いで!」
と言われた。
おとなしく指示に従って、指定された大きい病院へ
行き検査を受けたところ、
「心臓と繋がるでっかい血管(社長の表現です)が
切れかかってます。すぐ手術です」
と言われた。

左手首からカテーテルを入れて、その後ごちゃごちゃ
してもらって(これも社長の表現のままです)、
「たった4日入院して、もう普通ですわ」
とのこと。
その後はいくら階段を上っても降りてもまったく
支障なく、息も上がらないらしい。

「命拾いしたわー。はじめ『医者に行こう』と
言われたときは『連休明けでエエやんか』と思ったけど
なんとなく言われた通りしておいてよかったわー。」
と暢気に仰る。

「SGCさんと一緒に仕事するようになって、
何年になりましたっけ?」
「社長、もう30年ですよ」
「えっ?30年!」

その頃私はまだ20代で、社長も当然若く
今の私よりもずっと年下だった。
体型はまったく変わらない社長だが、体内では
そりゃあいろいろあったのだろう。

これからも長生きしてもらいたいし、
それだけではなくて、仕事は現役のままで
あってほしい。私のわがままな願望だとはわかって
いるが、そう思ってしまう人物である。





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GITANESは休止しているだけです。
それとは無関係に・・・。

2022年だったからもう2年も経ったのか。
ロシアがウクライナへ侵攻開始した日だ。
意外、というと何かしら批判されるのだろうが
はっきり言って「すぐにウクライナのほとんどが
占領されてしまうだろう」と思っていた。
善戦という言葉も適切ではないだろうが
持ちこたえていると言える。
戦争開始のあの頃の話は
小泉悠/ウクライナ戦争(ちくま新書)などが
参考になるので、そちらを読んでいただくとして
今後どのように進んでいくのか誰もが気になる
ことだ。


自分の家ではまんじゅうを買いに行く日でもある。
24日は亡くなったオヤジの誕生日だからだ。
一滴も酒を飲まなかったオヤジは、まんじゅうが
好きだった。そしてコーヒーも好きだった。
昭和10年生まれだったから子供のころは
戦時中だった。
幸い田舎生まれの田舎育ちだから空襲に巻き込まれ
たことはなかったらしいが、戦争のせいで転居は
余儀なくされたという。
自由にまんじゅうなど食べていられない時代だっただろう。

遺影の前にまんじゅうの山を築いてやろうと
思っている。



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GITANESなどもちろんない時代のことであるが。
それとは無関係に・・・。

万葉集に(巻16.3858)
このころの我が恋力記し集め功に申さば五位の冠
(比来之吾恋力記集功尓申者五位乃冠)

というのがある。
これを眺めるたびに口元はにやけてしまい、
「これ詠んだ奴、いいやつなんだろうなあ」と想像する。

意味は
最近の自分の恋愛に関する努力なんて、それ全部
記録して業績申請したら、五位に昇進できるほどじゃねえの。

というような意味である。

時代背景としては、このころの法律(考課令)に
「(役人は)一年間の功績、賞罰、能力を詳しく記録
したものを集めて申請し、それをもって考課される」
という制度があったということだ。
だから、
「こと恋愛のマメさや熱意でいうと、これ申請
できるもんなら五位の冠ぐらい貰えるんじゃないか」
ということになる。

万葉集に載っているということは1200年以上
も前のもの。その頃の男がぼやく内容は
現代とさほど変わらないというのが可笑しい。
そしてそもそもそれが残されていること自体が
すごいことだ。
何でも残さないとあかんもんやなあ。







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GITANESもなかなかのクオリティだったけど。
それとは無関係に・・・。

おばさんの店員さんがおにぎりを運んできた。

店員さん「はいお待たせしました。こんぶのおにぎり
と梅のおにぎりです」
我々「はいありがとう」
おばさん「こちらがこんぶです。こっちですよ。
で、こっちが梅干し入り」
我々「はいはい」

店員さんが立ち去ってから
A「SGCさんどっちがいいですか?」
私「こんぶ欲しいな。」
B「じゃあこっちですね」
私「いやいや、こういう場合はその逆をいって
こっちがこんぶだな」
A「なんでやねん!素直じゃないですね」
私「うるさい。こんぶはこっち」

店員さんが自信を持って「梅干し入り」と宣言した
方を割ってみた。
こんぶだった。
私「ほら!」
皆「うわあ!こんなことある?!」

しばらくして、

A「おにぎりたべたいですよね」
B「もういちどおにぎり注文しましょうよ」
今度はこんぶと鮭を注文した。

さっきの店員さん「はいお待たせ。おにぎりです。
こっちがこんぶね。そんでこっちが鮭ね。」
我々「はいはい、ありがとう」

A「ボクはこんぶ欲しいので、おばさんが言うには
こっちだけど・・・」
B「この流れでいうと、やっぱりこっちの『鮭』
の方が『こんぶ』だよな」
A「じゃあ逆張りで、『鮭』の方を割ってみよう。
どれどれ・・・」

中身は梅干しだった。

文句も言わずみな食べきった。




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GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

フレンズ、いやfriendsか、
もっと正確にはF・R・I・E・N・D・S
で、それも各々のドットは色が違っているのが
正式か。

書斎の一番下の棚にはアメリカのコメディドラマ
フレンズのDVD全巻が揃っているのを長い間
忘れていた。

テレビの深夜枠で放映されていたそれをたまたま
観てしまい、すぐにハマッた状態になった。
そのうち、身の周りにもそのドラマがお気に入り
だという人もいることがわかった。
O編集長(当時)や珠姫がそうだった。
当時はまだまだバリバリにGITANESを吸っていた頃
だった。

もう久しくDVDの存在も忘れてしまっていたが
思い出すきっかけは往々にして、悪いニュースで
あるようだ。
チャンドラー役のマシュー・ペリーが亡くなった。
54歳。若い。
永遠に続編制作の機会は失われた。

とにかく、DVDがあるのだからチャンドラーは永遠に
死なない と考えるべきか。











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GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

父と母の分骨分の納骨がようやく終わったと
先日書いた。

母が亡くなってからの一年数か月は
母が寝起きしていた部屋に小さい経机を据えて、
そこに3つの遺骨を並べていた。
センターが父、向かって右が母、そして
左はケンタロー(柴犬)の骨だった。
ケンタローはこのブログでも登場回数が
多いのでご存知の方もいるかも知れない。

父と母の骨がその場からなくなった後は
ケンタローの大きい(すべての骨を納めたから)
骨壺だけが取り残されていた。もちろん高野山へ
納骨する訳にはいかなかったし、そもそもケンタロー
が仏教の信者だと打ち明けられたこともなかった。

ケンタローはとにかく家の中に入るのを嫌がった。
大雨でも雷でも、面倒くさそうな顔をするだけで
「おい、今日は家の中で寝るか?」とこちらが
気を利かせて屋内に引っ張り入れようとしても
断固として拒否した。足をグンッ!とつっぱり
動こうとしなかった。
矛盾しているが独立心のある飼い犬だったのかも
知れない。

ケンタローが寝起きしていた犬小屋は家の北角に
あった。だからと言って一年中日当たりの悪い
ところで過ごしていた訳ではなく、フェンスで
仕切られた場所内で自由に動き回っていた。
季節とともに、時間とともに過ごす場所を変え
いちばん快適なところを陣取っていた。もちろん
フェンスの中ではリードなど付けずに
冬は日向を追いかけ、夏は日陰を探して
散歩の時間までの暇つぶしをしていたのだろう。

犬小屋の前にはシマトネリコを植えていた。
小さい苗から育てていたが、現在ではもう4メートル
ほどの高さにまで伸びた。
ケンタローはこの根元が気に入っていたようだった。

そこにシャベルで穴を掘った。
ハンカチを敷いてそこにケンタローの骨をすべて
移した。
ハンカチの端でまた蓋をし、土をかけた。
砕石と白い石があったのでそれらを使って
前方後円墳にした。
不本意だろうが許せ、ケンタロー。




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