the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESはゴロワーズと一緒くたにされがち。
それとは無関係に・・・。

「松坂世代」というと、某球団にいた松坂という
投手が新人の頃から大活躍したらしくて、その同期の
プロ野球選手たちはまとめて「松坂世代」と表現
されていた。
そういう扱いが不本意だった「松坂世代」もいるだろう。
また、いくらスターだ・大投手だと言っても嫌いな人は
少なからず存在する訳で、自分の贔屓選手が
その嫌いな投手の名で括られるのはいやだっただろう。
でもそういうのは宿命でもあって、それが嫌なら
自分の名前を冠にした「●●世代」と呼んでもらえるよう
活躍すればよかったのだし、そうならなかったのなら
仕方ないことである。
そういう松坂という投手ももう引退してしまったし、
最早どうでもいいことではあるが、藤川球児すら
「松坂世代」と括られることもあるのだ。


名前繋がりでいうと、「ホントは商標です」問題も思い浮かぶ。
古くは「マジック」がそうだ。あの油性ペンのこと。
油性ペンをすべて、フェルトペンらしきものは皆「マジック」
と呼び慣わして違和感を覚えない人も多い。
正確には寺西化学工業が作っている油性マーキングペンのみが
「マジック」である。

同じように、「ヒートテック」はユニクロのもの。
「イオンのヒートテック」とか「ライトオンのヒートテック」
なんてものは存在しない。
グンゼが作っている同じカテゴリーの商品は「hot magic」という
商標がついている。「ヒートテック」と括られるのは
不本意だろう。「松坂世代」じゃあるまいし。

佐川の「宅急便」もないしニチバンの「バンドエイド」もない。
逆にニチバン以外の「セロテープ」もない。
TOTO以外の「ウォシュレット」はないし、主に関西でそう呼ばれる
「カッターシャツ」もドレスシャツの総称ではない。
服屋ですら「ワイシャツ」のことを「カッターシャツ」と呼ぶ
人間が多いのだから、こういう問題は根が深いのだ。

いや、別に問題でもないか。






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GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

「今度メシ行きましょうよ」などと
誘われた際に
「いやちょっとその日は法事があって・・・」
と返事して
「まだ日は言ってないでしょ!」
と言われる
という受け答えは私がいつもやる断り方
なのだが、昨日は正真正銘の
母の3回忌。
早いものでもう2年経った。

いつもは葬儀屋さんの小さい部屋を借りて
法事全般を執り行ってきたのだが
どうせごく少人数にしか知らせないので
今回から自宅でやることにした。
ともかくこれで会場費55000円は不要になる。
葬儀屋さんは一応親戚でもあるが、まあお許しください。


もともと私よりもひとつ年上の坊主に
いつも世話になっていたが、彼が早くに亡くなって
しまい、彼の父上が現役復帰し寺を運営していた。
それでもさすがにもう年齢的にキツイということに
なり、その孫--亡くなった坊主の甥にあたる人で二十歳そこそこ-
にバトンタッチされた。
若い坊主の読経はやはり声に瑞々しさや張りがある。
狭い部屋でそこまでの音量を出さなくても、と
思わないでもなかったが美声だったことは確かである。

ところでお祖父さんはお元気ですか?と
尋ねたら
「職場のOB会という名の宴会(?)に行きました」
と言う。88歳、羨ましいほど元気である。
ちなみにこのお祖父さん坊主は元警察官でもある。
そして私の父と警察で同期だった。

そもそもこの寺は私の祖父宅と隣接していた。
寺のある場所の裏手に引っ越してきたのが縁で
その後祖父は墓をこの寺に移した。
ついでに宗旨替えもした。浄土宗から真言宗に
移籍した訳だ。
強烈に頑固な割には、引っ越ししたからって宗旨替え
をしてしまうほどの柔軟さもあった祖父だから
その周囲の人も柔軟であったらしく、それは仏壇の
中身にも表れていた。
もともと浄土宗バージョンになっていた仏壇内から
浄土宗色を排除するのではなく、浄土宗の仏壇のなかに
真言宗をそのまま持ち込んだのである。
つまり、センターには大日如来(真言宗)がいて
近くに不動明王(真言宗)もいてその他それにちなんだ
仏具も並んでいるところに、法然さんや善導大師もいたり
とにかく何のコラボかはたまたFESか、オールスターか
特番かというような騒ぎになっている。

私はそのあたりに疎いので気にもしていなかったが
前出の葬儀屋社長がうちの仏壇を初めて見るなり
「オマエんところの仏壇は、こりゃあ何じゃい!
えらい賑やかやなあ!」と感嘆した。
「あり得へん並び方になってるぞ!なんでや?」
「ああ、祖父が宗旨替えしたとは聞いてますけど」
「ああ、そうか!まあ宗旨替えはいくらでもあるけど
両方同居してるなんて初めて見たぞ!」
と呆れながらびっくりしていたのを思い出す。

早逝した坊主がまだ元気だった頃、一度
「仏壇内がイレギュラー過ぎてびっくりしたと葬儀屋さん
に言われたが・・・」と話したところ
「別にいいじゃないですか。仏壇の中が賑やかで
不都合なんかないですよ。仏さんは仏さんです。」
という見解だった。
この坊主も柔軟だったようだ。

ちなみに、この柔軟な考えの持ち主の坊主(早逝したほうね)
は、私の祖父の書道の弟子だった。
私も破門されたとはいえ祖父の弟子だったから、兄弟子と言える。


オールスターの仏壇は私の自宅にはない。
長男である兄の家にある。そしてその兄はもう亡くなって
仏壇を見るはずの兄は見られる側に回ってしまった。

母の遺影と派手派手な坊主用の座布団、位牌を運んできての
法事だった。

さてところでこの位牌だが、実は父と母二人合わせての
位牌となっており、

長くなるのでやめよう。

後略







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GITANESとゴロワーズは二大悪臭タバコ。
それとは無関係に・・・。

やっぱりサイゼリヤはすごい。
三人連れでかなり食べて2780円。
千円札三枚しか要らないのにお釣りまでくれるという。
当たり前だけど、プライスは当たり前じゃない。
肉は冷めるまえに素早く切って食べないと
どんどん硬くなる印象はあるが、十分だ。
もう、サイゼリヤと餃子の王将があれば
なんとかなるのではなかろうか。
まさに二大外食チェーンだ。自分にとっては。

年齢とともに、か、
段々趣味や嗜好は変わってくるものかも
知れない。
書斎に置いてある小物を見ても
「腕時計なんて結局Gショック1個あれば
いいよな。電池切れたら電池入れ替えるか
そのときに新しいの買ったらいいし。」
とも思うようになってきた。
ソーラー充電タイプを買っておけば
電池交換すら要らないだろう。
仕事柄さすがに服や靴に対して
「1着、1足あればいい」とは思わんが
どんどんシンプルになっていく。
え、もうそんな時期(年齢)なのか?!
と、心配にならないこともない。

でも、未読の本が書斎に2,3百冊あって
それでもまだ買っているんだから
無駄が若さを測る尺度の一つとするなら
結構大丈夫な気もする。

よくわからん。





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GITANESがひょっとしたら似合うのかも知れん。
それとは無関係に・・・。

見慣れないクルマが会社の車庫にあった。
社用車点検のため、ディーラーさんが乗ってきた
代車だとのこと。
これがまた、


これだった。なんでやねん。

調べたところトヨタの超小型電気自動車だと。
これに乗る機会はなかなかないだろうから、昼メシ
外食のため乗ることにした。
車内にはテプラで「高速道路は走れません」と
注意の掲示。
あとでわかったが、アクセルを踏んでも踏んでも
スピードが出ない。最高速が60キロという設定
とのことだ。だから高速道路を走れない。

電気自動車なのに変な音がずっと鳴っている。
静かなはずの電気自動車なんだが(個体特有なのか)。

これで街をしばらく走ったが、
煽られる煽られる。
60キロ未満しかスピードが出ないので
そりゃあ後ろについたクルマからすると
ストレスになるのかも知れない。
一応制限速度は50、60キロの道路なのだが
とにかく皆後ろぴったりについてくる。

そして信号待ちなどで隣に並び、一体どんな奴が
運転しているんだろうと覗き込んでくるのだが
そこにいるのは私なんだから、すぐに目を逸らされる。

ええ、私はなかなか人相が悪い。
ごめんね、違和感丸出しの車を運転して。




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GITANESが美味いかどうかも、
要は慣れ。
それとは無関係に・・・。

昼や夕方に休憩時間がある。
昼はしばしばコンビニなどで買い物し、休憩室で
食べる。夕方は同じ休憩室で主に白湯を飲むことにしている。
これら休憩時間には漫然とスマホを観ていることが
多いなあという自覚があって、いやいやもちろん
スマホを観ていると言ってもスマホという機械を
「おお、四角いなあ」「黒いですねえ」と眺めて
いる訳ではなくて、動画やいくつかのSNSを
眺めている。
昔はその時間にも持参した本を読んでいたのに
スマホがどんどん進化していった結果、空き時間
と言えばスマホを観ているという、自分的には
非常にバカっぽいことになっていた。
これではイカン(どうしてイカンかはわからん)と、
やっぱり休憩の王道は本を読むことだと考え、
それほど集中・熱中しないぐらいの本を常に
カバンに1冊は入れておくように決めた。

それで休憩時間。
本を読んでいる最中に「今何時何分だろう?」
と気になったので、本を読みながら左上隅に
視線を滑らせた。
当たり前だがそこにはページ数が書いてあった。

なんということだ。
スマホなら画面の左上は小さい時計表示がある
場所なのだ。時刻を知りたいときは眺めている
画面の左上隅に視線を滑らせるだけだった。
それがクセになってしまっていたのだ。

そんな狭いスペースでの動きの中でも
クセというのは必ず存在していて、それに
支配されながら生活しているのだ。
読書がまた習慣となったときにはおそらく
そんなクセなど上書きされてしまい、忘れて
しまうことはわかっているのだが、なんとなく
自分に対して気恥ずかしくて、
いやまあどうでもいいんだけど。











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GITANESを安く作ってくれるファンドはないか。
それとは無関係に・・・。

たまにクラウドファンディングのサイトを眺める。
一度支援、というか買い物をしたことがあり、それは
中原某の詩集と内田洋子氏呼びかけの、これも本だった。
それ以来たまにサイトを覗く訳だ。
たまにおもしろい商品もあって、ウィンドウショッピング的に
愉しいものである。

しばしば見受けられるのが
「着物風セットアップ」とか「新解釈の着物」とか
「楽ちん和服」というような、着物をネタにしている
もの。かなり多いのではないだろうか。
コンセプトは斬新にも思うが、そういう出品者が
結構多く、多いがゆえにまったく斬新ではなくなっている
という、不幸な雰囲気もある。
同じようなことを考える人は実は結構多い
ということなのだろう。

あとは「これ1着だけでOK、究極のセットアップ」
「軽くて洗いやすくてフォーマルにも使えて
オールシーズン着られるセットアップスーツ」
という、そんな訳あるかい という類のモノも
多い。
プレゼンページでは「せめてモデルさんを雇ってください」
というクオリティのプロジェクトもあり、
やっぱりなかなかたのしい。

そしてこれも結構あるが、
「支援集めに時間切れ失敗」というのも
晒されていて、これにはなかなか哀愁が漂う。
まさに悲喜交々である。





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GITANESはかなり下位。
それとは無関係に・・・。

最近柿の種が常備アイテムになっている。
もちろんお菓子の柿の種であって、さらに正確に
言うと「柿ピー」である。
美味い。
美味しさを最近再認識してしまったようだ。
もう、この美味さはおそらく黒毛和牛を
超えたのではなかろうか。
お菓子と牛肉を比べるなんて・・・と思う人
もいるだろうが、例えばボクシングの世界で
階級の垣根を取っ払うとしたら、という
パウンドフォーパウンドのように、
「美味いものの中で究極は?」というような
乱暴な順位があってもいいと思う。
そういう意味で言って、柿ピーは黒毛和牛より
上位だと思う。
第一、手軽だ。
買ってきたらすぐに封を切りパリポリと
食べ始めることができる。
黒毛和牛をもし買えたとして、まずどうやって
連れて来るのか。
連れて来たとして、どこへ繋いでおいたらいいか
想像もつかない。いやどこかへ繋いだとして
そこから口に入るまでには途方もないプロセスが
待っているだろう。
「いやいや、じゃあ柿ピーだって
うるち米とピーナッツをそのまま手渡されたら
困るだろうが!」と理不尽さに憤る人もいるだろう。
どうか冷静になってください。玄関に繋いだ黒毛和牛を
なんとかするよりも、うるち米とピーナッツ、しょうゆ
などを手渡された場合の方が、なんとかなるだろうよ。

という意味でも柿ピー万歳。




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GITANESはポケットに常備していて、
そしてポケットはゴミだらけになる。
それとは無関係に・・・。

羽田での事故以来ペットにまつわる記事・意見
をよく見かけるようになった。
「ペットを人間と同様に扱って欲しい」
「ペットは家族なのに!」
「ペットにも人権を!」

「何かあったらペットを犠牲にすることも
ある。それぐらいの覚悟はなかったのか!」
「イヤなら飛行機に乗せるなよ!」
などなど。

事故が発生して、もし私がペットも持ち込んで
いたとしたら、そりゃあペットを連れて非難したい。
当たり前だ。
そして、「ペットはペットであって人間ではなく
生きてはいるが飛行機の中では『荷物』である」
ということを再認識した。


ネットで見つけてなるほどなあ、と感じたのは
「ペットに人権を与えるなら、その瞬間に
『飼え』なくなるよ。人間を飼うなんてことは
許されないでしょ・
という書き込みだった。

そやなあ。







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GITANESなどもちろんない時代のことであるが。
それとは無関係に・・・。

万葉集に(巻16.3858)
このころの我が恋力記し集め功に申さば五位の冠
(比来之吾恋力記集功尓申者五位乃冠)

というのがある。
これを眺めるたびに口元はにやけてしまい、
「これ詠んだ奴、いいやつなんだろうなあ」と想像する。

意味は
最近の自分の恋愛に関する努力なんて、それ全部
記録して業績申請したら、五位に昇進できるほどじゃねえの。

というような意味である。

時代背景としては、このころの法律(考課令)に
「(役人は)一年間の功績、賞罰、能力を詳しく記録
したものを集めて申請し、それをもって考課される」
という制度があったということだ。
だから、
「こと恋愛のマメさや熱意でいうと、これ申請
できるもんなら五位の冠ぐらい貰えるんじゃないか」
ということになる。

万葉集に載っているということは1200年以上
も前のもの。その頃の男がぼやく内容は
現代とさほど変わらないというのが可笑しい。
そしてそもそもそれが残されていること自体が
すごいことだ。
何でも残さないとあかんもんやなあ。







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GITANESをかなり吸っていた頃だ。
それとは無関係に・・・。

社内の会議がどんどん減ってきて、必要最小限
のものしか開催されなくなった。
良い傾向である。
そもそも決まった曜日の決まった時間に集まっても
ネタがある場合とまったくない場合があるのだから
「定例」というのがムダなんだろう。

昔は儀式的な会議がいくつもあり、月イチの全店会議が
その最たる(ムダな)ものだった。
全店の店長と各部署の責任者が集まる。
私も一応呼ばれていた。

司会はなにかしらの部長がやっていた。
営業部長や企画の部長だったと思う。
そのとなりにはなんとか事業部長と総務部長、
商品部長が並んでいた。
いちばん無駄だったのが、各店各部署の営業実績表
が総務部長から全員に配られ、それを端から端まで
総務部長が読み上げるパートだった。
別に総務部長独自の視点によるコメントがある訳
でもない。ただ読む。

数年後、企画の部長が失脚、というかクビに
なった後は私が会議を回すようになった。
別に部長になった訳じゃなかった。
部長がいなくなったから直属部下のお前がやれ、
てなもんである。

ひな壇となりの総務部長の資料読み上げパート
は相変わらず続いていた。
ある会議の際、また読み上げが始まったのだが
私「・・・途中ですんません。それって全部
資料に載ってます?」
総「当たり前やないか。」
私「じゃあほら、時間もないことですし、
載ってないことに絞ってコメントしてもらえませんか?」
総務部長が絶句した。
翌月から総務部長が喋らなくなったので、自然と
そのパートは廃止された。しばらくして総務部長
自体がその会議に出席しなくなった。
とても快適になったが、依然として定期的な
開催は無駄としか思えなかった。

やがて営業部長もクビになり、総務部長も
クビになった。クビの理由はそれぞれだが、
「そりゃクビだろう」というそれぞれの理由だった。

そのうち、月例会議も廃止された。

今でも雰囲気的に残っているのは
「書いてることは読まんでもええ。」という空気である。





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GITANESの煙には何のご利益もない。
それとは無関係に・・・。

家人たちはすでに行ってきたというので
歩いて行ける近所の神社まで一人で初詣。
曇天で降水確率も40%と、結局降るのか
降らないのかわからない予報。かなり怪しい
空模様だから、一応折りたたみ傘を外套の
ポケットに突っ込み歩いていく。
1人だし、耳にイヤホンを突っ込み音楽を
聴きながら行く。不謹慎なのかも知れないが
心配は要らない。そもそも私は不謹慎な出来なのだ。

比較的大きい神社だから参詣客も多い。
みんなほんとに行儀よく行儀よく並んでいるので
大行列がなかなか進まない。
不謹慎な私でも行列を追い抜くようなことは
しない。
不謹慎ながらもそれなりの仁義はあるのだ。
前の人は3人連れのようだ。プラス犬。
ゴールデンレトリーバーがこの3人の脚に
纏わりつきながらも行儀よく並んでいる。
時折私の顔も見上げながらもまったく興味
ないようで、お互い何よりだ。

それにしても進まない。
やっと門をくぐり、本殿や賽銭箱が見えてきて
行列の進行が進まない理由がわかった。
賽銭箱の前には余裕で3人並ぶことができる。
本当は、賽銭箱も一つではないしもっと並ぶこと
ができるのだが、なんとなくできている行列が
三人ずつという雰囲気が完成されていた。
で、参詣客は圧倒的に二人以上が多い。
二人客に拝礼の順番がやってきて、その後ろが
一人客「A」だとする。
三人並べるのだからAさんは二人客と並んで
拝礼すればいいのだ。二人の真ん中に割り込め
とは言わない。左右どちらかにつけばいいのに
律義に「前の二人の拝礼が終わるまで待つ」
のである。
で、Aの順番が来る。
その後ろが「BCD」の三人客だ。
BCDのうち二人がAの横について拝礼すれば
いいのにこれも律義にちゃんと、待つ。
もっと言えば、四人でも並べるのだから
Aの横にBCDも並んでしまえばいいのだ。
喫茶店ではないのだ。
相席にされる訳ではない。それなのに待つ。
拝礼も「せーの!」とか号令がある訳でもない。
みんな自分のタイミングと長さでやっている。
それなのに、自分のすぐまえの何人組が
終わるまで、待つ。
殊更行儀よくしておかないと神様の前だから、
という心理が働くのかもしれないが、それは
「自分さえ行儀よくして、自分の願いごと
さえ届けばいいのだ」ということにもなるから
結果的に「そんなによろしくない」のではないか。
各自効率よく行列をまわし、後続の人々のために
さっさとやるのも貢献なのだが。

あと三列ぐらいで自分の順番が回ってくる。
1人客が拝礼している。その次の二人客は待っている。
スマホが流す音楽がカート・エリングの「Oh my God」
だったので、そりゃゴッドの前ではあるがいくらなんでも
と次の曲に飛ばした。Shogun の Bad City
つまり探偵物語のテーマ曲だ。まあこっちの方が
いいか とそれを聴きながら待つ。
やっと順番がまわってきたとき、私の隣は犬だった。
ゴールデンレトリーバーだ。
『お前は何を祈るの?やっぱりエサ関係?』
と思いながら、自分はなんとなく全般的に祈る。
突然家族や住居、何もかも失ってしまった人たちが
数百キロ離れたところに大勢いて、複雑な心境が
拭えないまま、この瞬間も普通のことができている自分
の置かれた環境に感謝するばかりだった。

小雨が降ってきた。
外套のフードを被れば充分防げるほどの雨で
傘は要らなかった。そもそも、人ごみのなかで
傘は迷惑だ。このまま歩こう。
人間は、小雨に濡れるぐらいでは死なない。





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GITANESを休止してもう18年か。
それとは無関係に・・・。


元日はさすがに休み。
報道が気になって仕方ない。
珍しくテレビをつけっぱなしにして本を読み過ごす。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」
・・・「時間」と、あの頃言葉の意味を深く
考えることもなしに呼んでいたものが、「記憶」と
変換可能かもしれないとまだ考えついてはいなかった。
思考あるいは五官が感じていたことを「線路に沿って」
ひとまとめの文章につくりあげるまでには、地道な
手習いが必要なことも、暗闇をいくつも通りぬけ、
記憶の原石を絶望的なほどくりかえし磨きあげることで、
燦燦と光を放つものに仕立て上げなければならないこと
もまだわからないで、わたしはあせってばかりいた。

須賀敦子全集3
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
この個所が好きで、何度も読む。
すべてがなんとなく自分なりに解釈できた気になる
まで眺める。それで時間を費やすのがなんとも贅沢
というか、日常のありがたさが身に沁みるような
気がして、いいのかどうなのかわからない心境になった。


おめでとうございます となかなか言う心持ちに
ならないが、とにかく年が明けました。
本年もどうかよろしくお願いいたします。






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