the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 

退学  




GITANES嗜好者は、高校時代からGITANESを
吸っていたわけではない。
それとは無関係に・・・。

以前、私鉄の運転士がちょっとだけ運転室に
自分の息子を入れてしまい、それでクビ処分に
なったというニュース(実際に辞めさせられたのかは不明)
があり、「厳しいなあ」と思った。

このニュースもインパクトがある。

以下引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
卒業目前…女生徒2人“退学” 「教師に暴言吐いた」 
県内の私立高

 県内の私立高3年の女生徒2人が「教師に暴言を吐いた」
として、卒業を半年後に控えた10月末、事実上の退学処分
を受けていたことが29日、分かった。女生徒らは非を認め、
母親と一緒に教師らに謝罪し、土下座までしたが、学校側は
処分を変えなかった。指導方法や処分は妥当だったのか、
双方の主張を検証した。

 女生徒や学校の話を総合すると10月13日の5時間目、
「昼休みにたばこを吸った生徒がいた」として、持ち物検査
があった。女生徒2人は化粧ポーチを持っており、生徒指導
担当教師は「校則違反にあたる」と没収した。
その際、教師が「卒業まで(化粧ポーチを)返さない」
と言ったことに、女生徒が反発、「暴言」を吐いたという。

 「暴言」について、学校側は「女生徒から『泥棒、返して』
『死ね、バカ』などと言われた」とするが、女生徒は
「覚えていない」という。

 その日は担任、学年主任も交えて話し合ったが、2人は
その場で自宅待機を命じられた。2人はその後、母親と一緒に
学校に出向き、土下座して処分の軽減を求めたが、1週間後に
父母が学校に呼ばれ、校長から転校を命じられた。

 女生徒のうち1人は5日間、ショックで食事がのどを通らず、
体重が減ったという。2人はその後、県外の通信制高校に転入、
アルバイトをしながら通学している。

    ☆   ☆

 退学、停学などの懲戒処分は学校教育法で「教育上、必要
があると認められた場合」に限って認められ、適用は学校判断に
任されている。

 処分理由について、学校側は「普段から生徒の教師に対する
反抗的な態度は目に余った。繰り返し注意したが、態度は
改められなかった。教育活動を妨害したため、やむを得ず
排除した」と説明。複数の教師に対する「暴言」と、これまでの
生活態度を加味した総合判断だったとする。
事実上の退学処分だが、2人の就職や進学にも配慮して「転学」
という形にしたという。

中略
    ☆   ☆


 たとえば、今回の処分の背景には「これまでの生活態度」がある。
学校側は2人に「授業中にあぐらをかく」「教師に向かって
『うるせー』」などの問題行動があり、再三指導したとする。
これに対し、2人は「授業中に注意を受けたことはあったが、
先生から呼び出されて注意を受けたことなどはなかった」として
おり、両者の認識にはかなり開きがある。

 2人はこれまで謹慎などの処分を受けたことはなく、3年生に
なってからは無遅刻、無欠席。生徒、父母、教師による三者の
話し合いなどもなかったという。

    ☆   ☆

 女生徒の言動に行き過ぎた面があったかもしれない。問題行動の
生徒を排除すれば、学校の秩序は保てるだろう。しかし、人として
生徒の過ちを許し、正しい道に導くことこそが、教育ではないだろうか。
生徒にもう1度、チャンスを与える選択はできなかったか。

 「今でも学校に戻りたい。みんなと一緒に卒業したかった」。
ごく普通の女子高生の言葉が耳に残った。


=2006/11/30付 西日本新聞朝刊=
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」


厳しいといえば厳しい。
しかし退学も放校処分決定も、最終的には学校が
判断することだが・・・。


もし単純に、暴言を吐くだけで退学になるとしたら
私など高校時代には多分50回ぐらいは処分されて
いただろう。
「ナカソネ政権など許せませーん!」と
金切り声をあげた世界史のナカタ先生には
「ナカソネは好きでもないが、アンタよりマシじゃ。」
と言ったり、
「お前の話は意味がわからん。」と言った谷口先生には
「先生の理解力が低いのは俺のせいじゃない」と
言ったりと、まあその節は大変失礼しました。
※普段はこの先生方とも大変うまくやっており、
結構可愛がられていたのだが。


この二人の生徒は
「注意は受けたこともあるが、呼び出しはなかった」
と言う。
段階を経ていないから大丈夫・という判断に
甘さがあった訳だ。


西日本新聞が言うように、過ちを許し正しい道に
導くことも教育だろう。
しかし、何をやっても許してくれないケースも世の中には
ある(失敗ではなく自分の意思による行為なのだから)
ということを実践的に教えてあげることも教育であり、
どちらをとるかは学校が判断することだ。



そんなことより、西日本新聞。
最後の(多分創作だと思われる)一文・
「ごく普通の女子高生の言葉が・・・」って。
ごく普通の女子高生が何かの被害にあったかのような
表現はおかしくないか。

化粧道具を学校に持っていき(まあこれは普通か)
それを没収されたら「泥棒 返せ 」と言い、
授業中にはあぐらをかき、「うるせー」「バカ」
なんて行動が西日本新聞の基準では「普通」なのか。
なあ西日本新聞。
こんなことすると没収されるんだよ・
没収されて困るようなものを持って来てはいけないよ・
だから卒業するまで預かっておくよ・
という教育さえも伝わらない相手なのだ。


ところで、ここまで書いてきたことが一挙に
ひっくり返るわけだが、

土下座させてしまった という部分において
学校の負け。

やはり問題発生から処分決定・実行まで
有益な話し合いも指導も教育も存在しなかったという
証拠である。

土下座まで追い込んでしまうような 事の進め方など
文化として日本には存在しないし、
教育機関内にあってはいけない。
学校は
「そんなこと強制していない」というだろう。
強制した・していない ではなく
土下座などさせずに放校するプロセスを
必死になって考えろ ということである。



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GITANES休止者は、息苦しくても
GITANESのせいにできない。
それとは無関係に・・・。


「来シーズンは上位クラスに入れなければ辞任する。」


ノムラというプロ野球球団の監督が宣言した。

有言実行の準備をしなくても
(有言実行と言っても、上位に入る覚悟を
宣言したのではなく、辞める準備)
さっさと辞めればいいのに。

ねえ、O編集長。

そもそも脱税の(略)。


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GITANESを休止しているのに、
風邪をひくと息苦しい。
それとは無関係に・・・。



国会の1シーンをテレビで見たのだが、
私も会議などの際に、くれぐれも蓮舫口調で詰問したり
蓮舫面(づら)で発言したりしないように気をつけようと
固く心に決めました。






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紅葉  



GITANES休止者はGITANES嗜好者のことが
それほど羨ましくもない。
それとは無関係に・・・。


家族数人で紅葉見物に。

場所は近所の城の庭園。
※近所に城があるのだ。
というよりも、田舎の中の街だから
なんでも近所にあり、その真ん中に住まいがある。
だから歩いて数分で城があり、市役所があり
県庁があり(知事は理由があって留守のようだが)
とにかくなんでも近くにある。


紅葉を見に行ったはずだが、結果的に見られなかった。
まだまだ紅葉は進んでおらず、ほとんどの葉は
青々としていた。
まあ、それっぽい空気を吸いに行ったと思えば
残念とも思わない。




名前の知らない大きい木を見上げていると
なにやら2つほどの動く物体が。

リスだった。

そうか、リスがいるのか。

いいなあ、田舎は。
(田舎しか知らないが。)







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GITANES休止者の車から徐々にタバコ臭が
薄れつつある。
それとは無関係に・・・。


乗ってみたいと思う車は何種類かある。

外車では
屋根なしワーゲン
屋根なしミニ
屋根なしアウディ

国産では
屋根なしフェアレディ
屋根なしソアラ(レクサスなんだろうけど、番号で覚えられない)
スカイライン
違う意味でセルシオ(レクサス番号が覚えられない)

と、ちょっと考えただけでも数種類挙げられる。

屋根ありの車ではスカイラインが魅力的だ。
性能は知らない。
癖も知らない。難点も知らないが、魅力的なのだ。
車の選び方など、その程度でいいのである。
(※以前乗っていたMR-Sなんか、
納車の時まで「シーケンシャルミッション」で
あることを知らなかったぐらいだ。)


で、そのスカイラインは5年ぶりにフルモデルチェンジ
されるらしい。

5年しか経っていないのに。

新車が登録され、抹消されるまでの「車の平均寿命」が
11年を突破したというニュースもあるくらいなのに。

5年目にして、早くも自分の車より新しいモデルの車と
街ですれ違うということだ。

なんか、買わなくて良かったなあという気がする。

(そうか、車検を2回受けたら買い替える人は
買い替えるんだなあ。そういうサイクルなのか。)






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GITANES休止者はGITANESの箱を毎日
眺めながら自己鍛錬。
それとは無関係に・・・。


「アホ」
「アホ言うヤツがアホじゃ」
「アホ言うヤツがアホじゃ、って言うヤツがアホじゃ」

と進行するのは、何も子供の世界だけではない。

以下引用
」」」」」」」」」」」
<彦根市長>「バカ市長」記事で名誉棄損 新潮社を訴え

 滋賀県彦根市の獅山向洋市長(66)は17日、飲酒事故を
起こした公務員への報告義務付けは「憲法違反」と発言したこと
を取り上げた「週刊新潮」の記事が「バカ市長」などと書いたのは
名誉棄損として、新潮社に慰謝料2200万円や同誌の車内中づり
広告への謝罪文掲載などを求める訴訟を大津地裁に起こした。
 獅山市長は10月25日の記者会見で、憲法38条を根拠に
「報告義務付けは憲法違反で人権問題」などと述べた。
同誌は11月9日号で「『飲酒事故』報告義務は憲法違反と
言った『彦根のバカ市長』」の見出しで「『バカにつける薬』
は発見されていない」などと書いた。
 訴状では、報告義務がないとの発言は公務外の事故や検挙に
ついてだけで、週刊新潮は広告、目次などで「バカ」と6回も
使って著しく名誉を傷つけたと主張している。
 新潮社の「週刊新潮」編集部は「訴状の内容がわからず、コメント
できない」と話している。
 彦根市によると、発言には計252件(17日現在)の電話や
メールが届き、うち24件は賛同、残りは反対意見という。
【近藤希実】(毎日新聞) - 11月17日23時58分更新
」」」」」」」」」」」」」」」」」

テンコ盛りの内容である。


●バカと書かれて訴訟を起こす。

余程腹が立ったのか。
書きたい放題、書かれ放題では雑誌メディアが調子に
のるばかりだから、その警鐘の意味も込めた訴訟なら
それなりに意義はあるのかもしれないが、
テーマがちょっと悪すぎる。
「バカと書かれたから。」って。

訴訟に関する費用も彦根市の税金から捻出されるのだ。
記事はどうせ市長個人と発言を「バカ」にしているだけ
なのだから、市民の為に我慢する という選択は
ないのか。

●飲酒事故報告義務は憲法違反

道徳・モラルで縛れなくなったときは
法律を持ち出す・の好例。

交通事故の報告義務ではないのだ。
誰でも防げる「飲酒事故」の報告義務なのだ。
憲法を持ち出さないと「是非」が分からないのか。
だから○○と書かれるのだ。

●訴状の内容がわからず、コメントできない

メディアがこんなこと言っちゃいけない。

「訴状は届いていないが、多分・・・ということだから
それについては・・・・だ。」などと、
考えてコメントするべきだ。
普段はコメントすることでメシを食っているのに。


●「報告義務がないとの発言は公務外の事故や
  検挙についてだけで・・・」

前提がおかしい。

じゃあ、「公務内の飲酒事故や検挙」が
あり得るということなのか?

だから○○と書かれるのだ。


身に覚えのない犯罪について雑誌に書かれたり、
身に覚えのない金銭の授受について書かれたり、
身に覚えのない異性関係について書かれたり、
家族や身内に関して事実に反することを
面白おかしく書かれたり というケースならば
徹底的に戦おうという姿勢は、身分にかかわらず
理解できる。


でもなあ・・・。
バカ って なあ・・・。



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GITANES休止者は、来客に灰皿をすすめるのを
つい忘れてしまう。
それとは無関係に…。

例のやらせタウンミーティングで、やらせ質問に
どうやら5000円のギャラが出ていたようだ。


以下引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

やらせ質問:「協力者」に謝礼金5千円 内閣府が予算化
教育改革タウンミーティングで、内閣府が運営を委託した
広告代理店と結んだ契約に「協力者謝礼金5000円」が
予算化されていることが、14日の衆院教育基本法特別
委員会の審議で明らかになった。
保坂展人氏(社民)が契約書を示しながら「やらせ質問」
との関連性を追及。内閣府は関連を認めなかったが、
再度の調査を確約した。

保坂氏が示したのは、一般競争入札によって半年~1年契約
で運営を受託した代理店と内閣府会計課との契約書。
1回当たりの支出項目に02年度後半から05年度まで、
1人分の「その他の協力者謝礼金5000円」が予算化
されていた。

内閣府は01年度のタウンミーティング開始時、議論の口火を
切る「代表質問」という形式を取っていたことを明らかにした
うえで「代表質問の依頼を念頭に代理店が見積もりを作成した
のではないか」と説明。実際に支出していたかどうかも含めて、
民間有識者を交えた調査委員会で調べる考えを示した。
【竹島一登】

毎日新聞 2006年11月14日 21時30分
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
開かれた公的機関の契約書なのだろうか。
そうでないならば、誰かが何かの規則に違反して
(守秘義務を破ったのか、盗み見したのか)
公開したのか。
こういうケースでは、そっちの方面ばかり気になる。


ともあれ、ヤラセ質問させられたヤツ、
あなた方はどうして、
「5000円ポッチでそんな面倒くさいこと
できるか、ボケッ!!」
と怒らなかったのか。

無料だったら断りにくいこともあるだろう。
会社や役場の上司の命令で、仕方なくヤラセに
荷担したのかも知れない。

しかしギャラが出る時点で怒らないと。

「タダだったらやってやるけど、
カネ貰って、そんなことできるか?!」
か、
「人に面倒な頼み事する時は、もっと出さんかい!」
か。




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GITANESを休止しても、犬には臭いが分かるらしい。
それとは無関係に・・・。


色々な理由があるのだが、私は黒い服を(略)。


家人の実家に隔離されている、獰猛なオスの
ジャックラッセルテリア「壮一郎(そういちろう)」
である。

こいつと格闘すると、黒い服が数分で
真っ白い毛布のようになる。


こちらの肩まで駆け上がってきて、
顔中を嘗め回し、魚のような小さい歯で
指などに遠慮がちに噛みついて
その後ひざの上で寝るのがこいつの挨拶である。
そのうちこいつにも殺されるだろう。




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GITANES休止者だが、禁煙者と連帯感が持てない。
困った。
それとは無関係に・・・。


色々な理由があるが、昔から黒い服を好んで着る。
一時など、タンスを開けると全て黒い服 なんて
こともあった。

それが最近やや変わってきたのは、嗜好の変化も
あるだろうが、こいつが原因であることも否定できない。

実家に収監されている獰猛な柴犬
「犬太郎(けんたろう)」である。

数分の格闘で、黒い服は真っ白の服に早変わりだ。

横目でこちらの顔を睨みながら、手首に噛みついて
離さないのがいつもの挨拶である。

「お手」がボクシングの「フック」に近い。

そのうち私は殺されるだろう。





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GITANES嗜好者とGITANES休止者の違い~
臭いかどうか。
それとは無関係に…。

タウンミーティングの一部(か ほとんどか)応答がやらせだったことが
バレ、話題になっている。驚いたのは、あれをまともに「正真正銘ぶっつけ
本番の真剣勝負の議論の場」だと信じていた人が多かった・あるいは多かった
と仮定したかのような論調のマスコミの論調が賑やかだ・ということである。

以下、毎日新聞の社説
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
社説:やらせ質問 政府説明会と名を変えろ

 教育の改革や再生を訴える政府が見えすいた手口で国民を欺こうと
していた。多くの国民は今、あきれ果てていることだろう。
タウンミーティングの「やらせ質問」である。

 小泉内閣の5年余、開催された政府主催のタウンミーティングは
174回。9日には教育改革に関するものだけでも、8回中5回も
同じような行為があった事実が判明した。政府は他のすべての会合に
ついて実態調査を急ぐ一方、調査がまとまるまでタウンミーティングは
再開しないという。当然の判断である。

 問題の発端となった9月の青森県八戸市での会合は、質問した10人中
6人が事前に政府側から質問を頼まれ、うち2人は文部科学省から渡された
質問案に沿って発言をしたというものだ。

 文科省の質問案は「時代に対応すべく、教育の根本となる教育基本法は
見直すべきだと思います」などと、政府が提出している教育基本法改正案を
支持する内容だ。事前に発言内容の報告を受けたところ、基本法に関する
質問が少なかったため、「やらせ」に走ったらしいが、これは明らかに
世論誘導と呼ぶべき行為である。

 質問者には「棒読みは避けて下さい」「自分の意見を言っている感じで」と
要請し、当日は質問者の着席位置を確認したうえで、無作為に発言者を選んで
いるように演出していたという。頼まれた質問者も気の毒だ。しかも、依頼は
文科省から地元の教育委員会に伝達されて進められたというから、教育行政
担当者ぐるみの「やらせ」だったと言っていい。

 時の内閣が「国民の声を直接聞く」という発想は古くからある。62年に
池田内閣が岡山市で開いた「国政に関する公聴会」がその走りとされ、佐藤
内閣まで計10回開いている。しかし、当時から「政府のPR色が強い」と
批判を浴び、その後の内閣は定期的に開催することはなかった。

 それが小泉内閣で変わった。小泉純一郎前首相にとって、全国各地で
閣僚が出席して開くタウンミーティングは、「小泉劇場」の有効な小道具
だったのだろう。
「国民との対話」を演出し、政治を身近なものにする。それが小泉人気に一役
買ったのは間違いない。

 「国民の声に耳を澄ます」という姿勢は歓迎すべきことだ。しかし、実態は
世論操作の一環ではなかったかと、多くの国民は疑い始めているはずだ。
もはや、制度を存続させるかどうかも含め抜本的に見直すしかなかろう。

 事前に質問者を指定するのは、政府に批判的な勢力のアピールの場に利用
されたくないとの思いからだともいう。だが、公正さを担保したいのなら、
中立的な地元のNGO(非政府組織)など第三者に主催を委ねる方法もある。

 それもできないというのなら、「タウンミーティング」と、あたかも国民と
政権担当者が対等の立場で意見交換するかのような看板は書き換えた方がいい。
「政府説明会」とか「政府広報集会」とでもすればよいのである。

毎日新聞 2006年11月10日 0時14分

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
タウンミーティングなるものが始まる という当初のニュースはそれなりに
インパクトがあり、「お、また何か新しいことを始めるな。」という反応で
世間には好意的に受け入れられたとは思うが、その後174回の内容がきちんと
国民のもとに届けられたとは思わない。、届かないのが政府の責任か新聞社の
怠慢であるのかは知らないが、ニュースが届かないんだから、その届かない
情報によって世論が形成されたとか、間違った方向へ導かれたなんて神業は、
誰にもできるわけがない。
あんなものに「世論誘導される」なんて社説で堂々と言ってしまうということ
はこの新聞社が国民をナメている証拠である。
今になってこんなに批判するほど騒ぐ(あるいは騒がせようとする)
なら、どうしてミーティングの度にその詳細と論説をつけて記事にし続け
なかったのか?


ただ、アレの存在意義と名称の乖離を埋めるための方策として、毎日新聞が
提案する(バカにしているだけだろうけど)、「政府説明会」とか「政府広報
集会」と改名せよ・という主張はまったく正しい。その通りである。

で、本当に改名してしまったらどうするのだろうか?
社説での主張が通ったのだから、その後会合について毎日新聞が批判する
ことはできなくなるが、それでもいいのか?

「名前を変えるだけで済ませるなんて言語道断」なんて書くのだろうけど。

それから、毎日新聞には休刊日があるのだから、名称を変更しなさい。
「ほとんど毎日新聞」とか「ちょいちょい休刊新聞」とか。
朝日新聞はそれほど「朝の日光」というさわやかなイメージもなく、夕刊も
発行しているのだから「朝夕新聞」に改名しなさい。
「読売新聞」は、意味がわからないから、なんでもいいから変えなさい。
「産経新聞」は、まあそのままでも改名しても、どっちでもいいです。

「今まで熱心に内容について報道・論評してきたのに あれがヤラセだったとは
この上ない裏切りだ!」という訳でもなし、
毎日新聞にとっては、タウンミーティングの内容なんかよりも
それがヤラセだったかどうか の方が重大事だったのだ。



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GITANESを休止してみると、ハワイでどれだけ
禁煙化が進んでも何とも思わない。
ハワイへ行く予定もつもりもないが。
それとは無関係に・・・。

こんばんは。日曜版です。

日曜版というのは何度も書きますが、
いつも以上にくだらないのです。
いきなり引用もしてしまいます。

」」」」」」」」」」」」」」」」」
NIKKEI NET 社説・春秋

春秋(11/12)
 「亞問」と名乗る怪人物がインターネットで大暴れした。知人の個人情報や
画像を勝手に公開し、問題が発覚すると「大爆撃する」とサイト管理者に反撃
を企てた。SNSと呼ばれるネット上の会員制交流サービスで最近起きた事件だ。

▼誰でも参加できる「2ちゃんねる」などの掲示板とは異なり、登録が必要な
SNSは面識がある友達の紹介がないと加入できない。だから安心。実名も
素顔も明かし、仲間の輪の中で気兼ねなく趣味や仕事の話題に花が咲く……。
というのが理想だが、会員数が増えるほど“無法者”が紛れ込む危険もある
のだろう。

中略

昨年夏に100万人だった会員数は600万人に迫る。大膨張するにつれ実名の
登録は減り、人々の顔の実画がパタパタと動物や漫画に置き換わっていく
様が寂しい。人の温(ぬく)もりを求めた者が駆け込んだSNSの「安心」も
またネットの匿名性の闇に儚(はかな)く溶けゆく幻なのか。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

温かいもの全てが心地よいとは限らない。
熱くて当たり前のものや、冷たくなければいけないもの、
そもそも温度など関係ないものなど、様々である。


顔も実名もわかっている人々から、例えば100通も
真面目でフレンドリーで好意的で前向きな
メッセージが寄せられたらどうしたらいいのか?

このNIKKEIの社説を書いた人にもわからないだろうし、
私にもわからない。
が、なんとなく
「そんな事態になってしまったら逃亡するだろうなあ」
ということだけは容易に想像がつく。
いわゆる「mixi疲れ」というヤツだろうか。

実名登録を前提としたSNSで自分の居場所を見つけ
上手くやっていくには、それなりの才能が必要なのだ。

SGCにはその才能がありません。

で、この記事の言うように、SNSに「温かさを求めて駈け込む」
という理由で参加した人が何人いるだろうか?
この記事を読むと、昨年夏ごろまでの参加者100万人の
多くは そのような理由で参加した
かのように思ってしまうのだけど。

一度、さすらいの写真家・Kent.Hopper氏に
訊いてみよう。



※本日の記事は「どうしてmixiに参加しないの?」とある人に
質問されたので、それに対する答えです。






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GITANES休止者は喫煙者・非喫煙者・禁煙者の、
どの層にも属さないような感じを持っており、
非常にケツの座りが悪い。
それとは無関係に・・・。


言葉を考えたり、モノや仕組みにネーミングする仕事に
就いているせいか(自分のセンスは棚に上げて)、
名前のつけ方などには非常に敏感になる。

超ド級の下らないニュースを発見してしまった。


以下引用
」」」」」」」」」」」」」」」」」」
(よみうりオンラインより)

「子の命保護」か「捨て子助長」か、赤ちゃんポストに戸惑い

 熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)が、親が養育できない新生児を預かる
「赤ちゃんポスト」を年内にも開設する。市保健所はポスト設置に必要な
施設変更届が出されれば受理する。

 子どもの命の緊急保護か、捨て子の助長か――。全国初の試みは専門家の間
でも賛否が分かれ、病院から「予想外」の相談を持ちかけられた市や熊本県、
国、警察などは「前例がなくて……」と戸惑うばかりだ。

 ポストは病院の外壁に設け、新生児を寝かせるマットを敷き、室温は約36度
に保つ。新生児が置かれるとセンサーが感知し、医師らがすぐに保護できる。

 設置するには、市保健所に施設変更届を出し、許可が必要だ。10月中旬、
病院側から説明を受けた保健所の担当者は「前例がなく、即答できない」と、
厚生労働省医政局総務課に電話をかけ、判断を仰いだ。

 ところが同課も「所管する医療法で判断する事案ではない」と言うだけで、
設置の是非について判断を先送りした。同課の担当者は9日、「省内のどの
部署で判断すべきか見当がつかない」と打ち明けた。

 10月26日には、同病院の蓮田太二副院長らが県庁を訪問した。しかし
ここでも、どの部署が応対すべきか即断できず、児童相談所を所轄する
少子化対策課子ども家庭福祉室と、乳幼児健診などを担当する健康づくり
推進課母子保健班の2部署が話を聞いた。

 吉田勝也室長は「行政が設置の是非を一般論で判断することは難しい」
としたうえで、「県民、国民が議論を尽くすことが望ましい」と、世論にゲタを
預けた格好だ。

 結局、市保健所は明確な指針は得られないままで、「ポストの安全性が確認
されれば受理するしかない」と語った。

 また、ポストに赤ちゃんを預けた親が保護責任者遺棄罪に問われないかどうかに
ついても、はっきりした見解はない。

 親が新生児をむやみに置き去りにすると罪に問われる可能性があるが、
県警捜査1課は9日夕、「犯罪が成り立つかどうかは、それぞれの事案ごとに
法と証拠に基づき判断される」との見解を発表。ポストに「合法」のお墨付きは
与えず、違法性は個別に判断するとしている。

 慈恵病院でポストに預けられる赤ちゃんは、その後どうなるのか。

 熊本県に対する病院側の説明では、病院は赤ちゃんを預かったら、警察、
熊本市、県中央児童相談所へ連絡する。警察は保護責任者遺棄事件にあたらないか
捜査する。市は2週間以内に戸籍を作り、市長が赤ちゃんに命名する。

 児童相談所は赤ちゃんの健康状態をみて乳児院(県内3か所)に入所させる。
その後、児童相談所に登録した里親に委託するか、乳児院で2歳まで育てた後、
児童養護施設に移す。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

ネーミングとは、着色であったり、オブラートであったり
すりガラスであったり、ラッピングであったりする。
強調もすり替えもごまかしも、何でもできる。


法律とは、ある種 道徳の中心から派生した、許容範囲のボーダー
ラインであり、線を踏み越えていなければ、そこが正しい
立ち位置だということにはならない場合も多い。

本来なら境界線のずっと手前に立っているべきだ・
というケースがいくつも容易に思い浮かべられる。
(例えば、体内のアルコール検出量が基準以下で、
酒気帯び運転にはならないから「問題ない」というのは、
「運転する前は酒を飲まない」という位置から
明らかに距離がある。)


道徳的な正しい立ち位置というものは、境界線があいまいだったり
足場が非常に悪く、居心地が良くないので
どんな人もついつい中心(理想)から外れてしまう。

これでは社会が成り立たないから、せめてここまでにせよ
と明確な境界線(法)と、高い壁(罰)を設けた。
「ああ、あの壁は越えちゃいけないんだな」
という線の中でやっと我々は、義務を課せられそして果たす
代わりに、許される全ての権利を主張することができる。



「子捨て器」に「ポスト」なんて名前をつけて
境界線をあいまいにして、壁を低くしてどうするのだ?


院長先生が独断で名前をつけたのか
院内の会議で決定したのか、外部の業者に委託したのか
このニュースだけではそこまでは分からないが、
「よし、『赤ちゃんポスト』で行こう!」という
決定の瞬間があったはずである。
他の候補はダメで、このネーミングはOKと判断した、
決定の瞬間を想像すると、堪らなく不快なのだ。


このセンスが境界線をあいまいにして垣根を低くして、
「越えられないほど高い壁があったから、越えずに済んで」
いたものを、「意外と簡単に越えることができる」社会を
呼び寄せてしまうのだ。


「個人経営の売春」が「援助交際」になり
「子捨て器」は「赤ちゃんポスト」になる。

そして将来「人殺し」は「強制完了」と呼ばれるように
なったりする。

そうなると、強力な巨大な宗教の力でも借りないと
「立つべき位置の範囲の ど真ん中」が誰にも
分からなくなる。
そしてその「真ん中」は恣意的な位置だということに
気付くことができる人は誰もいないか、
いたとしても「異端」として扱われるだけである。

どっちにしてもくだらぬ世の中に傾く。
境界線を決めてもらうためだけに信仰など持てぬ。


「子捨て器」は「子捨て器」と呼び
せめて、なんとか「現在」に踏み留まらなければ。




社会として助けてあげたいケースと
絶対に助けてやりたくないケース、助けるわけには
いかないケースの判断は、警察や自治体、政府がやるらしいから
それはそれで正しく機能することを期待するとして、
それら一切合財が「赤ちゃんポスト」という名の
入り口を一旦通過するというのも どうなんだろうか?


産むしかなかった、そしてそれは隠すしかなかった
悲しいケースもあるだろう。
「ポスト」創設の是非は判断がつかない。

しかし、そのネーミングのセンスは
「是非を考えなくても済む」ようにできていないだろうか。



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GITANES中止者が最近買った服は、ほぼ無臭。
それとは無関係に・・・。


番号が変わらないなら別にどこの会社の
携帯電話でも選べるなあ、どこにしようか?

なんて考えていたのが、

Auのコマーシャルで聞こえてくる

SATISFACTION

の曲中の、変な声の 「合いの手」が
震えるほど不快なので、Auを選べない。

困った。







ストーンズは怒ってませんか?





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ミスタースリムやマルボロ、キャメルなどを経たのは
確実にある男の影響だ。
GITANESを始めてそして休止したのは
誰の影響でもない。
それとは無関係に・・・。


先週から今週にかけて、昼飯にパスタを食べる
機会が3度もあった。

本日は梅田まで出かけ、イワシ入りのペペロンチーノ。
不味くはなくて、どちらかというと美味いのだが、
記憶しておけるような味ではなかった。

昨日の、近所の店のパスタは
たまねぎの勝ちだった。




梅田まで出かけて色々な店を見てまわり
色々買い物したわけだが、
これを買ってしまった。

↓↓↓

DVD


帰宅後それを眺めていると
20数年前の色々な映像がバッバッと次々に
頭の中に現れた。


あの頃高校生の分際で、
どうして彼のバンドをコピーして
人前で披露などしていたのだろうか。

顔から火も何もかも噴出しそうだ。



あの頃、
友人の友人(L氏)が組んでいたバンドに誘われた記憶が
よみがえった。
L「プロになる気なんだけど、一緒にやらんか?」
練習が嫌いで技術ゼロ、なぜか動員だけは
幾つかの知り合いのバンドの中でも抜群だった私の
バンドは、その時は空中分解状態だった。
L「お前ンところのバンドはもうアカンやろ?
どう?一緒に。」
私「誰が歌う?」
L「当然オレ。」
私「じゃ、嫌。」


結局その誘いはあまりにも自分の
当時の現実感覚とかけ離れており
割と簡単に断った(ボーカルなのかどうかは
断った理由ではない。プロのミュージシャンという
シミュレーションが、まったく頭の中になかったのだ)。


彼らは上京してすぐに活動を始め
バイトをしながらライブもやっていたようだった。


半年後、かれらはあまりにも有名な事故で亡くなった。

簡単に誘いを断った自分は、
今ここに存在している。





DVDの映像は、我々のバンドが最も気に入っていた曲に
なった。
無性にGITANESを吸いたい。
タバコが似合うのだ、この状況は。この映像、この曲には。


L氏もこの世にいない。
DVDの中の彼も、いまは存在しない。



さて、現在の自分は
DVDに出てくる彼より年上だ。
どうしたものか。


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GITANES休止者、引き出しの中から
吸殻入りの携帯灰皿が出てきて絶句。
それとは無関係に・・・。

日曜版更新できずに申し訳ありません。
どうして謝罪するかと言うと、
日曜の新規記事に「さらに下らぬ日曜版」と
消極的なネーミングを施したところ
日曜日のアクセス数が増えた という現象が
生じているからであります。
それなのに更新できないというのは、
申し訳ないであります。
なぜ更新できなかったかと言うと、
仕事がとんでもなく忙しかったからであります。
それは月曜日も続いたであります。

あまりに忙しかったもんだから、帰宅してから
何かを取り戻すかのように

楡周平/ラスト・ワンマイル 新潮社

を読んでしまったであります。

明日は休日につき、この勢いで

アンドレイ・クルコフ/ 大統領の最後の恋

という弁当箱のようなサイズの本を
読み始めるであります。

636ページもある本だから
辛いような楽しいような意味がないようなあるような
複雑な心境であります。


では、読書しない方
おやすみなさいであります。




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