the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 



GITANESを一本くれ、と言われて親父に差し出したが
味の感想はとうとうなかった。
それとは無関係に・・・。

対面でも電話でも、私は低い声でボソボソ喋る。
意識的にそうしているのではなく、もうそうなっているのだ。
しかし、例えばほぼ初めての人で、それなりの礼儀を尽くそうと
思った相手と電話で話す場合では、まったく違う様子になっているらしい。
もう十数年前、オヤジが亡くなったときには仕事で関わった方
数人からお悔やみの電話をいくつも頂戴した。
その時の応対では2,3人から電話で絶句されたのを覚えている。
別にその相手が悲しみのあまり声が出なかったのではない。
あまりにも私の声や喋り方がオヤジとそっくりだったからである。
これは私がいつもの調子で電話応対することが憚られたので
ゆっくり丁寧に話したせいだ。
亡き父の知人、それもわざわざお悔やみの電話をいただいた相手だから
最大限の敬意を表したのと、ボソボソと喋って「は?」と聞き返され
たら面倒だからである。
「ご丁寧にありがとうございます。大変お世話になった方だと
生前から父より聞いておりまして・・・。」
などとこちらがあいさつし始めたところ、しばらく絶句され
「・・・亡くなったって担がれてるのかと思いました・・・
あまりにも父上とそっくりな声と調子だから・・・」
とびっくりされた。
今でも親父の妹(叔母)たちからの電話に応対したとき
「お兄ちゃんかと思った!あんたそっくりやな!」と驚かれる。
こちらはまったく意識していない。
意識していなくてもそうなってしまうというのは、やはり「血」
なのか。それとも父子として暮らしていた環境がそうさせるのか。


フィットネスバイクに乗り、アマゾンプライムで何か観ながら
漕ぐのが日課になっている。
昨晩はNHKドラマ10で放映されているというドラマ、
「東京サラダボウル」を観ていた。
その中で、松田龍平が肘のあたりを(服の上から)掴まれていて
その手を振り払うコンマ数秒のシーンが強く目に焼き付いた。
振り払う左手の所作が優作そっくりだったのだ。
これも無意識な血なのか、環境なのか、そうしようとしてやった
ことなのか。それとも左手がそもそもそっくりだからなのか。
左手に父親が乗り移ったようなシーンだった。
そのシーンを観ながら、電話で父と間違えられる場面を
思い出した次第。







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