the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESの匂いが充満したあの部屋が懐かしい。
それとは無関係に・・・。


すぐご近所、隣の隣の隣のウチの
おばあちゃんが亡くなった。

私がそこに住み始めて4年経ち、引越しの際には
あいさつにも伺ったことはあるが、それっきり
その家の人とは出会った記憶もなく、だから
あいさつに伺ったときに応対してくれた人が
どんな顔だったか(女性であったことは確かだが)も
まったく記憶にない。

そのときの人が亡くなったおばあちゃんだったのかどうかも
だからまったく解らない。
田舎の近所づきあいも、ある面では都会とまったく変わることなく
希薄な部分はこの上なく希薄であるのだ。



ただ、これほどの至近距離ではあるし同じ町内会(自治会)の
同じ班(第2班だ。どうでもいいけど。)なのだから
ご葬儀には行くことになった。


ご自宅はランニングアプローチで届くほどの距離だが
葬儀会場はクルマで10分ほどのところにある。
久しぶりの神式葬儀らしい。緊張した。




最近の葬儀では、お清めの塩を用意しないこともあるのだろうか。
それともたまたま不備があっただけなのかも知れないが、
何度か塩を葬儀場で貰えないことがあった。

今回は念のため、家人に
「お清めの塩があるかどうかわからないから、ちょっと用意して。」
と頼んだ。


「はい、どうぞ。」と手渡されたのがこれである。





まったく自覚はないのだが、人相的に私はどちらかというと
色々誤解されやすいカテゴリーに分類されるようだ。
飛行機に乗り込むときのチェックでは、国内線でもフリスクのケースの中まで
調べられるし、ヒースロー空港では「おまえちょっとこっちへ来い」
状態で、自動小銃を携行した男2名の監視付きで
洗濯物袋の中まで全てオープンにされた。

だから、こういう

塩の所持の仕方は非常に具合が悪いのである。


「あのなあ、職質でもされたら厄介でしょうが。」

「あら、近いから大丈夫でしょ。」


いや、距離の問題ではない。

「とにかく、こういう『ビニールの小袋に粉』はまずい。」

「紙に包む?」

「それはそれで、そういうのをテレビで観たことあるし、なかなか
まずい。」

「ということは、容貌と白い粉の組み合わせがまずいのよ。
瓶ごと持っていく?」






「ポケットがボコッとなるではないか。」

「クルマに置いておけばいいのに。」

「葬式に味塩を瓶ごと持っていくなんて、聞いたことがない。
それならいっそ、クレイジーソルトにするか。
あれなら色々混じっているから、ビニールに入れてもそんなに
変なものには見えないし。」

「ビニールにクレイジーソルトを入れてる時点で違う意味で『変』でしょうに。」



というようなことを言ったり言われたりしているうちに時間切れとなり、
結局そのビニールの小袋をポケットに忍ばせて
葬儀場に向かった。



葬儀はもちろんだが近所の人だらけなので、知った顔も多かったが
遺族席の人たちの顔にはまったく見覚えはなかった。


神式の作法には緊張したが、いつものようになるべく丁寧に丁寧に
お参りすることを心がけた。
仏式でも神式でも、厳かであることには変わりはない。






帰り際、白いお手拭を手渡された。


そして傍らには、お祓い用の塩がきっちりと大量に用意されていた。






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GITANESはジャイアンツではない。ジタネでもない。
それとは無関係に・・・。



昨年の暑い夏。


ゴルフが終わって、いつものことだが
クラブハウスで一服ということになった。


さて、いつもなら同行者はほとんどアイスコーヒーか
コーラなどを注文するのだが、
テーブルの上に

「かき氷始めました!」
という手描きのポップが置かれていた。


おお、このシーズン
そしてゴルフの後にカキ氷はうれしい。


イチゴ味のPOP

メロン味のPOP

レモン味のPOPもあった。


そして

スイカのPOPも並んでいた。


おお、ちょっとソソるではないか、スイカのカキ氷。


私だけそれを注文した。

他のみんなにはそれぞれイチゴ味やメロン味、
レモン味やミルク金時味などのカキ氷が運ばれてきた。





「スイカ」は、スイカを切ったものだった。


POPを見直したが、どこにもカキ氷とは
書いていなかった。


私の前にスイカを切ったものが運ばれてくるのは

当然である。





スイカがキンキンに冷えていたのが
せめてもの救いではあったが、

冷え過ぎて味がなかった。





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NG  




GITANESを吸っていれば舌を誤魔化せたのだが。
それとは無関係に・・・。



NGの数々。



○スーパーで買った、パックのまま鍋で煮込むだけ。という中華そば。
 見た目とはまったく違っていて、ほとんど味がなかった。


○暗闇で食べたチョコレート系ケーキ。
 味をほとんど感じなかった。


○健康に気を使った系のコンビニ弁当。

 そりゃあ健康になるだろうけど  という味だった。



○無愛想な店員ばかりの、パン屋チェーン店で買った食パン。
 
 なんだか、塩辛かった。


○地元有名店のカツ丼。

 味が濃すぎて食べられなかった。


○某ゴルフ場で食べたチャンポン。

 味がまったくまったくまったくなかった。
 あれだけ味を消し去るのは至難の業だろう。




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GITANESを吸いながらの作業が愉しかった。
それとは無関係に・・・。



シャツのアイロンがけは自分の仕事である。

自分で着るシャツは当然だが、家人のシャツへの
アイロンかけの必要があれば、それも私の仕事である。

理由は簡単だ。

私が家の中でいちばんアイロンかけが上手いからである。



シワがどんどん伸びていく様は、やっていても気持ちいいものだ。


大体、一回につき
アイロン待ちでたまっていたシャツ5,6枚を相手にするのだが、
テレビを観ながら、音楽を聴きながらやればすぐに終わる作業だ。



ただ、4枚目に取りかかる頃になると、
「こんなもの、どうせ着て1時間も経てばシワだらけになってしまうのに、
自分はなぜこんなことをやっているのだろうか?」
なんて考えてしまうが、そのヤマを越えてしまえば何ということはない。



さて、シャツにアイロンをかけるのが苦手な人にいくつかのコツをアドバイスしよう。


○作業は立ってやる。

そういうアイロン台を買い、立ってやる方がいい。
意外と体重移動の多い作業だから、座ったままではやりにくいのだ。


○ポイントを重点的に、あとは適当に。

襟や前立付近、袖口などを重要ポイントと位置づけ、そこはソコソコ丁寧に、
あとは適当でいい。



○一気にやる。

重要ポイントといえども、あまりにも慎重にアイロンを滑らせていると
要らぬシワを作ってしまう原因にもなる。
「おりゃ!」と一気にアイロンを走らせる。


○気にしない。

特に、袖にアイロンをあてる場合、折り目を気にし過ぎるのが
失敗のもと。
自分が今日アイロンで作ったものが「新しい折り目だ」と考えること。


○あきらめる。

どうせ数時間でシワだらけになるのだ。
アイロンが上手くいかなかったぐらい、どうでもいいではないか。

そんなにシワがイヤならば、シャツを鉄板で作りなさい。




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GITANESを線香代わりに供えたい。
それとは無関係に・・・。


ここ、SGC(SmokyGitanesCafe)は、正確にはSGCではなく
The other side of SmokyGItanesCafeである。
The other side of というからには、本体も別に存在する。
まだブログというような言葉も形態もなく、HTMLエディタで
せっせと更新するような時代に本体のSGCはスタートした。

いくつかのコンテンツがあり、その中のGitanesnotesというのが
このSGCの原型だ。
記念すべき第一回は1999年7月15日。
そして記念すべき最初の登場人物は、マッドアングラークラブという
釣り組織を主宰するAscot氏だった。
名古屋在住の、私が敬愛する兄貴分の一人である。



この世の中に、私が「兄貴分」と認める人が幾人かいることは、既に何度か
書いたことがある。仕事上の、洋服関係や広告関係の人がほとんどである。
悲しいことに、そのうちの一人である山形のI氏が昨年亡くなったことも
書いた。
そして今日は、Ascot氏が亡くなったという報せが入った。

最後に電話で声を聞いてから、まだ丸5日も経っていないのに。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
Ascot氏と初めて会ったのは、平成元年の11月。
仕事の関係で私が勤める会社を訪問されていた時である。

私は入社1年目の新人で、撮影用に使う服のコーディネートの作業を
夜遅くまで手伝っていた。
その作業場へ、見知らぬ男性一人を伴って上司連中が入ってきた。
私以外の人間はその人がどこの誰であるか知っている様子だったが、
新人のぺーぺーである私にその人を紹介してくれる訳もなく、
どうやらこの撮影関係の仕事で関わりのある取引先の人物だろうと
考えた。名前など聞いてもどうせ日常にはまったく関係なさそうな
人だろうし、どうでもいい。
とにかく、会釈しながら入ってきたその男性はわずかに照れ臭そうな、
そして面倒臭そうな微笑みを浮かべていた。
私がコーディネートした何着かのスーツのセットの前に立ち、
彼は私が苦労してコーディネートしたつもりのポケットチーフを
片ッ端から抜き去り、全て取り替えてしまった。
『いきなり何をしやがるんだ、この男は。』
『失礼なヤツめ、どこのどいつだ?!』
という敵意を抱いた。
私はキャリア1年にも満たない新人で、彼はそのとき既に業界20年ほどの
脂の乗り切った人間だった。

その男性がAscot氏である。
そのときの悪い印象をそれから10年以上抱き続けることになるのは、
それからしばらく顔を合わせなかったせいである。




9社ほどが寄り集まって運営する、洋服に関する撮影プロジェクトに
私が勤務先の担当者として関わるようになったのは、私の上司が
会社をクビになり、たまたま順番が回ってきたからだった。

ほぼ月に一回、その組織は東京で打ち合わせを開いていた。
初めてその打ち合わせに出向いたときのことも覚えている。
某所会議室でドアを開けて入っていくと、窓を背にしたところに
座り、なんとなく微笑んでいるような男性がいた。
その逆光の男がAscot氏だった。
ちなみに、昨年亡くなったI氏はその隣に座っていて、結構な眼力で
こちらを睨んでいたような気がする。
Ascot氏はその組織の実行委員長というポジションだった。
議長は持ち回りだが、実行委員長はフィックスだった。
構成各社のオーナー諸氏に対しても様々な意見具申や
やり取りをするのは彼が適任だろう という考えだったらしい。

Ascot氏は
「やあ、久しぶり。」と言ったと思う。

あ、あの男だ。
私は、
「どうも。」と言ったと思う。



それからほぼ月に一度会うことになるAscot氏は、私が抱いていた
イメージなどとは程遠く、付き合えば付き合うほど味がある人物だった。
できればあまり会いたくない・という数年持ち続けた印象などコロッと
忘れてしまった。
大声で冗談を交わしたり激論を交えたりすることはないが、比較的
穏やかな口調で、かつ非常にバカな話をやり取りしてもらえる間柄
になった。
いや、自然にそんな間柄になったのではないだろう。生意気不遜な
若輩者の私に合わせていただいただけだ。
それでも私は、随分と助かった。
月に一度、その集まりに出席することもそれほど苦にならなく
なった。その会議のためだけに夜明け前に家を出て
飛行機で東京に向かい、会議が終わったらすぐに飛行機でまた
飛んで帰って深夜に帰宅する。それがそれほどイヤにもならず
続けられたのは、メンバー諸氏のおかげであり、とりわけ山形の
I氏やAscot氏のおかげである。

あるときAscot氏に
「しかしアレですね、貴方はなかなかとっつきにくいが、
 段々味わい深くなるようなお方ですね。」と言ったら
大爆笑された。
「そりゃあ、こっちのセリフだわ!!!」

ある程度の社会的な、つまり人間修養的なキャリアを積んで初めて
面白みがわかるタイプの人がいる。
Ascot氏がそうだったのだろう。
彼の値打ちがわからなかったのは、出会った頃こちらにいろいろな
ものが足りていなかったせいだったのだ。




HTMLエディタでホームページをせっせと書いているような時期に
私もAscot氏も自分のサイトを開いたので、その辺りからも
さらに懇意にさせていただけるようになった。
住んでいる場所はちょっと離れているので、ほぼメールでのやり取り
だったが、SGCにはAscot氏がしばしば登場し、あちらの
サイトには私の名がたまに現れた。



Ascot氏の所属する会社の人事異動で、とうとうその撮影
プロジェクトから氏が抜けることになった。

最後に一緒に仕事をしたのは2001年1月26日。
広島でのスタジオ撮影2日目のことである。
ホテルロビー集合だったが、なかなかAscot氏が部屋から
出てこない。
二度寝してしまって遅刻したとのことだった。
「すんませーん。前日飲み過ぎたからねーー。」と
苦笑いのような照れ笑いのような表情だった。

ウソつけ。
前の日はホテルのラウンジで、他の皆が酒を飲んで盛り上がって
いるのを横目に、私と二人酒を飲まない者同士でコーヒーを
飲みながらチーズを齧っていただけだったでしょうが。



Ascot氏が遅刻したにも関わらず、スタジオ撮影は
ほぼ予定通り終了した。
帰りの新幹線の時間まで、ちょっと腹ごしらえでもしようかと
駅のカレーショップでカレーライスを食べた。
精算のときになって「奢るわ。」と言われ、一瞬戸惑った。
この仕事でAscot氏と一緒になることはもうないだろう。
それで奢ってもらうというのはどうなんだろうか。
「でも、しばらくお会いできないかも・・・」
「ははは、数百円貸しとくわ。」


それからは本当に直接会うこともなく、そればかりか
電話で話をすることもなかった。
その代わりメールの交信はしばしばあった。



写真家K.Hopper氏から
「実は、Ascot氏の健康状態があまりよくない。」
と最近聞いていたが、
「かなり悪い状況だ。」と聞いたのはつい先日、五日前だった。
余命云々というような状況だとは思ってもいなかった。


何か、Ascot氏がびっくりして寝床から飛び起きるような
ネタはないものかと考えたら、たまたまピッタリのネタが
身近にあったので、それについてメールで送った。
多少でも元気がでればいいなという心境だった。

8時間後、携帯に着信。
Ascot氏からだった。
え、電話できるの?

とにかく電話に出たが手が離せない状況だったので
「お久しぶりです!すぐにかけ直します!」

声を聞くのはあのカレーの夜以来。
10年以上も経っている。

かけ直した。
「お久しぶりです」
「久しぶりだねえ、元気だった?」
「はい、こちらは。そちらはあんまりお元気じゃないそうで。」
「そうそう、まあ大変だねえ。それにしてもメールびっくりしたよ!」
「気に入っていただけましたか?」
「そりゃあもうあんた、いやあ、いいメールだよ!」


随分息苦しそうだった。喋るのも辛いだろう。


ずっと話していたかったが、それでは身体に障る。
こちらから切り上げなければ、と思いつつ、話は
いろんなところに飛んだ。

最近産まれた二人目の孫の話、仕事の話、
共通の知人の話・・・。



「カレー奢られっぱなしですよ。」
「あ、そうだっけ?」
「そうですよ。今度お会いするときにお返しするつもり
だったので、それまでに体力の充電完了してくださいね。」

「ああ、ははは。・・・・
あのさあ、最近はさあ、別荘持ってるもんで、そこで
釣りしたりさあ、そんなことをしてるんだわ。
で、ヒマもあるもんでさあ、一度、会いに来てよ。」
「そんなこと言ったらほんとに行きますよ。」
「うん、おいでよ。顔見においで。」
「でも多分かなり痩せてるでしょ?」

痩せた顔は見たくない。

「いやあ、それが痩せないんだよ。最近いいクスリが
あるもんで。」
「ああ、そんなもんですか。」
「そうそう。」
「とにかく、必ず行きますから・・・」
「うん。」
「ではお体に障るとアレなので・・」
「はいはい。どうもありがとう。」
「いえ、わざわざお電話ありがとうございます」
「はいはーい。」
「では失礼します。」
「はーい、失礼しまーす。」






最後の会話だった。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

Ascot氏の訃報が入ってすぐ、携帯電話の通話履歴を
開いた。


電話をかけ直します というやり取りの通話が24秒。
その後電話をかけ直してからの通話が9分36秒。
合計、ちょうど10分間である。


まだ耳の奥にAscot氏の声は残っている。
これほど記憶に焼きつく10分間は他に思い当たらない。



この兄貴分にも、とにかく
ありがとう
しかない。それしか、ない。






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GITANESを試したいと言った人で、
根元まで吸いきった人は稀だった。
それとは無関係に・・・。



三人ぐらいまでなら相手してやる!!

と言ったのは、もちろんジェントルマンの私ではなく、
うちに住む柴犬の犬太郎(ケンタロ)である。

いつも狂犬病の注射を受けさせるために獣医さんのところへ
引っ張っていった結果、そんな状況になってしまうのだ。



昨日も、自宅から大きい神社を挟んで向こう側にある
動物病院まで散歩ついでに歩いて行ったのだが、
病院が近づいてくるにつれてちょっと興奮気味になり、
到着したころには完全に過去のことを思い出す始末。

持参したエサやおやつを与えるポーズを取り、
注意をひきつけておいて、物陰に隠れた獣医さんが
隙を見つけて尻に針を突き刺す・という段取りなのだが
(もちろん診察室へなど入るはずがない。いつも
屋外で注射してもらうのだ)。


昨年はまんまと騙されたが、今年はすぐに先生を発見してしまい、
唸り始めた。

そして大暴れ。先生と助手の人やこちらの関係者をなぎ倒し、
リードの端を持った私の手に噛み付き(ドツいてやったが)
獅子奮迅、八面六臂、孤軍奮闘、勇猛果敢、
四面楚歌、七転八倒、一騎当千という様相の犬であった。


結果的には人間が勝ち、腹がパンパンになるほどの
おやつを分捕った奴は、帰宅時に神社の敷地で全笑い状態で
気持ち良さそうに散歩していた。

勝ったつもりなのだろう。



しかし、他の犬とまったく直接触れ合うこともない犬にも
やっぱり狂犬病の予防接種は必要なんだろうか。




毎年いい運動にはなるんだが。






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GITANESは会議のお供。
他の人から見ると会議の敵。
それとは無関係に・・・。



相変わらずだった。


広告業や雑誌の制作・出版などをやっているB社
(Bは某のこと)とは最近あまり仕事をしていないのだが
それでも年に一度ぐらいはお付き合いがある。
狭い町だからそれは自然なことでもある。
地元ではその会社はいわゆる「勝ち組企業」に分類
されるだろう。




今回は先方から依頼されてある種の取材を受けた立場である。


ラフが上がってきてチェックを頼まれたので一応目を通した。
表現がおかしいところがあろうと、広告ではないのだから
先方の問題なのであるが、明らかな「間違い」があったので
一応お知らせしておこうと思い、担当者に電話をしてみた。


そこで出たのがB社の「相変わらず」だったのだが、

女性「○○はただいま会議中で、電話に出られません。」

という応対。






SGCにも過去に同じ内容で二度ほどは書いた。
そしてその二度ともこの会社である。
今回で三度目だ。


いや、別に「会議中でも何でも電話に出やがれ!」なんて
尊大なことを言うつもりはない。


どうして「会議中」なんてことを言ってしまうのだろうか。


向こうからの頼まれ事への対応のために電話をして
「会議だから出られない」と言われるこの、この、この、
この、この、


「告白されたからOKの返事をしたのに即答でフラレた」感はどうだろう!




今後B社からの電話は全て「会議中」で済ませることにした。



本当の会議中の場合は、

「SGCは今トイレに立て篭もって出てきません」か、
「自分探しの旅に出たか、他人探しの旅にでました」
と返答することにしたからそのつもりで。






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GW2  




GITANESを2カートンほど買い込んでGWを
迎えていたが、連休中にそんなに吸う訳ないのに。
それとは無関係に・・・。



下水道も未整備な田舎に住んでいるものだから
生活排水は各家庭で処理したあと(合併浄化槽)の水を
用水路に流すことになる。


町内会(自治会)主導で、その用水路(溝)の掃除
を年に1回やるのだが、それがどういう訳かゴールデンウィークの
最中に挙行するのだ。


そういうスケジュールは回覧板でもなく、いつかの場所に設けられた
「掲示板」に貼り出される。だから常に注意深く掲示板を
観察しておく必要がある(らしい)。



今年も掲示板に溝掃除のスケジュールが貼られていた。

5月3日
用水路清掃
集合時間・8時
集合場所・SGC邸前


なんで私の家の前が集合場所なのだ?




実は、この清掃作業について私の家は免除されている。

4年前に引っ越してきたとき、近所の人に溝掃除について
確認してみたら、
近所A「ああ、あんたところは別にやらなくてもええ。」
近所B「そうそう、ええで。こっちでやっておくから。」
近所C「この作業は近隣の農家だけで昔からやってるから、気にするな」

と口々に免除してくれたのだ。
(農家の人ばかりなら、わざわざ休日を指定しなくてもいいのに・とも思う)


ただ、免除してくれたのはこの近所ABCが勝手に判断しただけかも
しれないし、ひょっとしたら自治会の寄り合いでは
「あのSGCは溝掃除にまったく参加しない!怪しからん!」
「そうだそうだ!大体、集合場所に住んでいる人間がどうして参加しないのだ?!」
などと糾弾されている可能性はある。

あらためてその辺りを明確にしようとすると、
「じゃあ参加すれば?」なんてことになりかねないから
そっと息を潜めて事態を観察している次第である。



私の家の正面付近からスタートされるこの清掃作業は、
30分ほどでSGC邸前の清掃を済ませ、次のポイントへ移動する。

この30分はたとえ出勤のためだといえども
戸外へ出るのは避けなければならない。
作業をしている人々を横目で見ながらクルマで出かける勇気がないのだ。


そんなに後ろめたいのならもう進んで参加すればいいではないか

と仰る方もいるだろう。


はっきり言おう。

やらなくて済むのならやりたくない。
まして、「やらなくていい」と言ってくれてるのだから。



事情があって1年以内に引っ越してしまうので
このGW溝掃除作戦からは解放されるが、
引越し先ではどんな作戦が待ち構えているのだろうか。

戦々恐々である。





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GW  




GITANESを売ってくれるタバコ屋の
休みに備えていたあの頃。
それとは無関係に・・・。


ゴールデンウィーク 
と聞けば、別に何の予定もないのに
訳もなく気分が高揚していた時期もあった。
もちろん小・中・高校生の頃だ。
大学生の頃の記憶はない。
熱心な学生ではなかったから、休日と平日の
差が曖昧で、だから覚えていないのだろう。


学校がイヤなわけでもないのに、それでも
休日は嬉しかったものだ(今と変わりないか)。


小売業を営む会社に就職して、ゴールデンウィークの
捉え方がまったく変わってしまった。

連休=ヒマだけど嬉しい 

から、

連休=忙しい時期

に変化した。当たり前のことだ。



今年のゴールデンウィークは、平日の1日にゴルフ。
それが私のゴールデンウィークらしい行事の全てである。


年末年始や盆の時期と同様、ゴールデンウィークにも
「連休中も仕事なんですか?大変ですねえ。」と
同情してくださる方もいるが、同情される側は案外
なんとも思っていない場合が多い。
慣れてしまうからである。

そういう境遇で20年以上過ごせば、ほとんど何も
感じなくなる。何の不自由もないからだ。

どこに遊びにいっても混雑しているような時期に
わざわざ休みをもらって何になる?
と考えることが身に染みてしまった。



ところで、
どうして我が家が所属する自治会は
ゴールデンウィークのど真ん中に
毎年「溝掃除大会」を挙行するんだろうか?


まあいいけど。

ということで、明日は溝掃除大会について
書くことになる。


気力があれば。







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